石川さゆりのプロフィール 本名:石川 絹代(いしかわ きぬよ) 誕生日:1958年 昭和33年 1月30日(2019年9月時点で61歳) 出身:熊本県熊本市南区 飽託郡飽田村 ほうたくぐん ほうたむら 学歴:堀越高等学校卒業 石川さゆりの生い立ち 石川さゆりさんは小学1年ぐらいの頃に島倉千代子さんの歌謡ショーを見て感動、そこから歌手を夢見たそうです。 小学5年生の頃に父の勤めていた熊本市電が廃止になり仕事を変えざるを得なくなり、父の『娘の夢を叶えてあげたい』という思いから東京都横浜市に引っ越してきたそうです。 お父さんの決断力凄いですね。 それにお父さんをそこまで動かした石川さゆりさんも凄いです。 子供時代に歌手にあこがれてマイクを持って歌ったりして練習していたのかもしれませんね。 横浜に引っ越してきてから賀川晴雄音楽教室に週に2回ほど電車でかよっていたそうです。 音楽教室に通ったかいがあってか中学三年の頃にフジテレビの「ちびっこ歌謡曲大会」に出場して見事優勝。 それが切っ掛けでドラマに出演オファーがあり見事芸能界デビューしたのでした。 石川さゆりの若い頃の出演ドラマ、映画まとめ 石川さゆりさんの昔の出演ドラマ、映画まとめました 1972年ドラマ『光る海』に出演 フジテレビで放送された連続ドラマで石川さゆりさんの芸能界デビュー作品。 沖雅也さんの妹役としてレギュラー出演していました。 1978年ドラマ『疾風同心』に出演 1978年9月から放送されていたドラマで和田浩治さん主演の時代劇ドラマです。 石川さゆりさんは第5話「蘇えった父娘の絆」にお駒役として出演していました。 このころ石川さゆりさんは20歳なんですが凄く大人っぽくみえますね。 1979年映画『トラック野郎・故郷特急便』に出演 1979年12月に公開された菅原文太さん主演の映画です。 石川さゆりさんはマドンナ的存在の小野川結花役を演じています。 石川さんはこの映画で挿入歌『傷だらけの恋』も歌っています。 1980年ドラマ『大江戸捜査網』に出演 大江戸捜査網は1970年~1984年、1990年1991年とたくさんのシリーズが放送されたテレビドラマで2015年には高橋克典さんが主演で映画にもなった大人気時代劇です。 石川さゆりさんは1980年10月4日に放送された第358話「 浮世絵が明かす 大爆破の謎」に芸者の小雪役で出演しています。 石川さゆりの若い頃のシングル曲「70年代編」 石川さゆりさんの1970年代にリリースされた曲をピックアップしました! 1973年『かくれんぼ』 1973年にリリースされた曲「かくれんぼ」で石川さゆりさんはアイドル歌手としてデビューしています。 1974年『おもいで』 1974年1月にリリースされた曲「おもいで」。 有馬三恵子さんが作詞、作曲は遠藤実さん。 B面には「淋しがりやのあの人」が収録されています。 1975年『青い山脈』 1975年8月にリリースされた曲「青い山脈」。 石川さゆりさんの他にも美空ひばりさんや桑田佳祐さんなどいろんな人にカバーされています。 B面には「夕風」が収録されています。 1976年『霧のわかれ』 1976年1月にリリースされた曲「霧のわかれ」。 作詞は西沢爽さん作曲は浜圭介さんでB面には「わたしの町」が収録されています。 1977年『津軽海峡・冬景色』 言わずと知れた名曲ですね!1977年1月にリリースされた曲です。 なんと40以上年前の曲だったんです。 名曲はさびれないですね~。 作詞は阿久悠さん、作曲は三木たかしさんB面は「野の花のように」が収録されています。 1977年『能登半島』 1977年5月にリリースされた曲「能登半島」は石川県のご当地ソングになっています。 この曲が作られたきっかけは石川さゆりさんの名前『石川』からきたとのこと。 作詞は阿久悠さん、作曲は三木たかしさんB面は「帰りたくない」が収録されています。 1978年『沈丁花』 1978年1月にリリースされた曲『沈丁花』。 じんちょうげ と読みます。 最初見たとき読めませんでした;作詞は東海林良さん、作曲は大野克夫さんB面は「いつわりの部屋 」が収録されています。 1979年『命燃やして』 1979年6月にリリースされた曲『命燃やして』。 作詞は千家和也さん、作曲は徳久広司さんB面は「哀愁本線」が収録されています。 石川さゆりの若い頃のシングル曲「80年代編」 石川さゆりさんの1980年代のシングル曲ピックアップしました! 1980年『あなたに帰りたい』 1980年2月にリリースされた曲『あなたに帰りたい』。 作詞は中山大三郎さん、作曲は 浜圭介さんです。 B面には「ぬかるみの女」が収録されていて同名のフジテレビドラマの主題歌にもなっています。 1981年『なみだの宿』 1981年5月にリリースされた曲『なみだの宿』。 作詞はたかたかしさん、作曲は鈴木淳さんです。 B面には「あなたへの旅」が収録されています。 1982年『ほととぎす』 1982年5月にリリースされた曲『ほととぎす』。 作詞はなかにし礼さん、作曲は三木たかしさんです。 B面には「蝉しぐれ」が収録されています。 1983年『港の潮暦』 1983年6月にリリースされた曲『港の潮暦』。 作詞は星野哲郎さん、作曲は船村徹さんです。 B面には「都忘れの花」が収録されています。 1984年『東京めぐり愛』 1984年8月にリリースされた曲『東京めぐり愛』は琴風豪規 ことかぜ ごうき さんとのデュエットです。 作詞はなかにし礼さん、作曲は市川昭介さんです。 B面には「東京めぐり愛(ペアオケ)」が収録されています。 1985年『波止場しぐれ』 1985年7月にリリースされた曲『波止場しぐれ』。 香川県小豆島にある土庄港 とのしょうこう をモデルにしたご当地ソングです。 作詞は吉岡治さん、作曲は岡千秋さんです。 B面には「夕雨子」が収録されています。 1986年『大阪つばめ』 1986年2月にリリースされた曲『大阪つばめ』。 作詞は吉岡治さん、作曲は岡千秋さんです。 B面には「ひとり海峡」が収録されています。 1986年『天城越え』 津軽海峡冬景色と並んで代表作といえる曲「天城越え」。 第28回レコード大賞金賞を受賞しています。 カラオケ「DAM」の1994年から2018年までで演歌ではもっともうたわれた曲。 数々の記録をもっている名曲です。 作詞は吉岡治さん、作曲は弦哲也さんです。 B面には「隠れんぼ」が収録されています。 1987年『夫婦善哉』 1987年2月にリリースされた曲『夫婦善哉 めおとぜんざい 』。 この曲はNHK紅白歌合戦で2回歌われています。 作詞は吉岡治さん、作曲は弦哲也さんです。 B面には「折鶴情話」が収録されています。 1989年『風の盆恋歌』 1989年6月にリリースされた曲『風の盆恋歌 ぼんこいうた 』。 高橋治さんの小説「風の盆恋歌」をモチーフにしていて第31回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した曲です。 作詞はなかにし礼さん、作曲は三木たかしさんです。 B面には「女の山河」が収録されています。
次の生年月日:1958年1月30日• 職業:歌手、女優• 出身:熊本県飽託郡飽田村• 本名:石川絹代• 所属事務所:ホリプロ、株式会社さゆり音楽舎 音楽の世界に触発されたのは小学1年生の頃。 歌手の島倉千代子に憧れ、自身も歌手として活躍することを夢見ていた。 中学3年生、急遽出場キャンセルとなった友人の代役で「ちびっこ歌謡大会」に出場。 見事合格し、これをきっかけにホリプロにスカウトされ、1973年に芸能界デビューを果たす。 1976年の新曲「津軽海峡・冬景色」にて一躍有名となった。 お友達の代役を務めなければ、石川さゆりさんの才能が世間に気づかれるのはもっと後になっていたのかもしれませんね。 実は彼女、演歌歌手としてではなくアイドルとして売り出されていたようです。 ではこれからデビュー当時の画像を見ながら石川さゆりさんの経歴を追っていきましょう。 石川さゆりの10代!デビュー当時がヤバすぎる… こちらデビュー当時の石川さゆりさんの画像です。 あまりにかわいいので驚いてしまいました…! 現在は演歌歌手としてのイメージが強いので、「アイドル」ときいて疑問に思ってしまったのですが画像を見て納得です。 1973年デビュー当時はわずか15歳。 未成年でまだあどけない表情の残る石川さゆりさんは、アイドルの名にふさわしく本当にかわいい女の子ですよね。 実は一番初めは歌手としてではなく女優としてお仕事をされていたんですって。 白黒写真が当時テレビドラマ「光る海」に出演されていた時の写真です。 ちなみに「光る海」は現在のテレビ業界ではとても放送できる内容ではないほど、過激な表現の多い作品でしたが、当時石川さゆりさんはまだ未成年。 歌手になるまでにも大変な道のりだったのかな…と考えさせられました。 さて、こんな美貌をもつ石川さゆりさんですが、残念なことにデビュー当時はアイドル全盛期の山口百恵さん等の人気により歌の世界でも低迷していたようでした。 しかし、1976年にアルバムの一部として収録された「津軽海峡・冬景色」が1年後にシングルとなり、 これが注目され後に演歌界で知らない人はいないほどの名曲になりました。 最近でも石川さゆりさんのベストアルバムって今でも結構売れていて、 お父さんやお母さんへのプレゼントに買う方って結構多いんですよ! 「津軽海峡・冬景色」大ヒット当時の画像!20代の頃も デビューしてから4年後、当時19歳の石川さゆりさんの画像が見つかりました。 まだ未成年ですが、この時点でとても大人っぽいお顔になっていますね。 演歌は心を込めて女の嫉妬や悲しみを歌にするものが多いということらしいです。 津軽海峡・冬景色で、石川さゆりさん自身の本当の年齢よりも年上の大人の女性の気持ちになって何度も歌っていたためか、 顔付きも大人の女性らしく変わっていかれたということでしょうか。 更に2年後の当時21歳、月9ドラマ「大空港」にてテレビ出演されています。 刑事ドラマなので銃などを使用したアクションがあり、石川さゆりさんのイメージとギャップがあって面白いですね。 女優としてのお顔は、演歌を歌われる時とはまた別のような気もしますが、やっぱりどの石川さゆりさんもかわいい! スポンサーリンク 当時28歳「天城越え」発売でますます名声が高まる 天城越え発売当時の画像のようですが、28歳になっても本当にお綺麗です。 20歳前後の頃はかわいい顔立ちだったのが、この頃になると美しさが加速して…なんだか女神様みたいな神々しさを感じます。 ちなみに石川さゆりさんは23歳の頃にご結婚されており、女の子を授かっています! しかし天城越え発売後31歳で離婚されてしまったそうです。 彼女は離婚の件に関して「平成になってから離婚したのはわたしが初めて」とジョークをかましておられたみたいで、このことからも明るく強い女性だということが良く分かりますね。 彼女の持ち前のアクティブな精神は、経営の世界でも活躍されました。 カミパレス運営会社と結託し、経営主としてカラオケボックスを30店舗も経営していたそうです。 女優も歌手も経営も何でもやってしまう、世の女性からも憧れる存在になりつつあった石川さゆりさん。 しかしカミパレスは破産宣告を受け、連帯保証人となっていた石川さゆりさんの自宅が差し押さえに遭ってしまい、 最終的に10億の損害が生じてしまったということです… 経営の世界も芸能界と同様、簡単にはいかず難しいことが沢山あるみたいですが、10億も支払えるんだからさすが石川さゆりさん! 更に経営での問題が起こっていた最中、39歳にして「株式会社さゆり音楽舎」事務所を立ち上げ独立しています。 これからも困難に負けず、強く美しい女性であってほしいなと思います。 まとめ 今回は石川さゆりさんの若い頃の画像を集めて、デビュー当時から大ヒット曲「天城越え」発売された28歳までの彼女について詳しくお話していきました。 歌手としてだけでなく女優としても活躍しておられたそうですが、その時々によって顔の表情が違うのに驚きましたね。 でもやっぱり一番の驚きは、噂通りかわいい顔立ちだったということ! アイドルとして活躍されていたという話も、現在の石川さゆりさんとはイメージが異なりとてもビックリしました。
次の石川さゆりの現在にいたる昔:じつはアイドル出身 1958年1月30日生まれ。 中学3年制で、ホリプロのスカウトを受けて芸能界入り。 実は堀越学園出身。 ピチピチ肌で、容姿も歌唱力も満点な石川さゆりは、鳴かず飛ばずだった。 同世代に、「花の中三トリオ」が強すぎたのだ。 森昌子、、桜田淳子である。 石川さゆりは、5年ほど伸び悩むことになる。 そして突然大ヒットとなった。 「津軽海峡・冬景色」だ。 石川さゆりの現在にいたる昔:「津軽海峡・冬景色」でヒット 石川さゆりと言ったら、なんやかんや「津軽海峡・冬景色」。 現在の若者でさえ、聴いたことがある最も有名な演歌の一つとなった。 実はシングル曲でもなく、アルバムに入っていた1曲だった。 アルバムで好評だった曲をシングルで販売して、名曲っぷりに話題となった。 オリコン順位を調べてみると、ミリオンヒットしている。 ただ意外なことに、週間6位で、オリコン順位はそれほど高いわけではなかったのだ。 石川さゆりの現在:「津軽海峡・冬景色」が超有名な理由 現在、最も有名な曲である「津軽海峡・冬景色」。 たった1つの原因は何だと考えると、「紅白歌合戦」で間違いないだろう 紅白歌合戦は、1962年に「不滅のテレビ史上最高視聴率記録81.4%」を叩き出したおばけ番組。 たとえば、石川さゆり参加回の1982年には69. 9%、最後に参加した2017には39. 日本一視聴率が高いおばけ番組に、石川さゆりは、1977年から2017年までのあいだ、なんと10回も「津軽海峡・冬景色」を披露している。 そのうち4回はトリをつとめた。 石川さゆり以上に紅白歌合戦で同じ曲を披露したアーティストは他にいないので、当然1番認知度が高くなるわけだ 石川さゆりの現在にいたる昔:賠償10億円 石川さゆりは、1987年頃から、カラオケの共同経営を始める。 知人とだ。 「軽いやつやろ、バーみたいなやつやろ」と思った。 現実の石川さゆりは、銀行から35億円の融資を受けて、30店舗を運営するマジなやつだ。 が、10年後に経営破綻、回収できなかった28億円分の賠償請求をうける。 最終的に、債務処理で10億円の賠償金を支払って、決着がついた。 10億持ってたってのがしゅごい。 石川さゆりの現在にいたる昔:結婚した旦那 石川さゆりは、なんと23歳で結婚だ。 当時は、1981年で、すでに人気歌手になったあとである。 女優としても、「功名が辻」に出演していた。 結婚相手は7歳年上の元マネージャー馬場憲治。 石川さゆりの現在にいたる昔:子供【娘】 1984年には、長女である佐保里を出産した。 結婚してから3年後の長女ということで、夫婦仲が良いことも伺える。 (長女は、現在石川さゆりの音楽事務所で働いているという噂だ。 本当かどうかは不明。 が、積極的に表にはでてきていない。 ) 伺えるのだが、すべては子供の出産後に狂ってしまったようだ。 石川さゆりの現在にいたる昔:離婚、理由 石川さゆり夫婦は、子供出産後から5年後離婚にいたる。 理由は、嫁姑問題だったとか。 子供出産後、馬場憲治一家と同居するようになって、家族14人で同居状態。 が、問題なのは、姑の価値観が、歌手の石川さゆりに全く合わないものだったのだ。 たとえば「泊まりの仕事はだめ」と考えていたこと。 通常の家庭なら良いんだろうが、全国飛び回る芸能人は到底無理である。 石川さゆりが凄いのは、姑の言うことを聞いていたことだ。 仕事で本州をでても日帰り。 むしろよく数年間我慢したなー。 石川さゆりの現在:ルパンのエンディング 2015年には、「新テレビシリーズ ルパン三世」のエンディングテーマを担当した。 石川さゆりは、1970年代から大ヒットした歌手だ。 しょせんは昔の人だし・・・ 名曲である。 THE 名曲。 ハイパー名曲だ。 パンチを効かせたジャズ風のJポップで、古臭いどころか、オシャレ感があふれてでている。 石川さゆりの現在:印税しゅご「津軽海峡・冬景色」 石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」は今なお聴いたことがあるということは、それだけ印税が発生しているということだ。 平成元年から平成31年までの総合累計ランキングでは、なんと48位。 大ヒットしたのが、1977年昭和52年だ。 平成に入るのは12年後。 にもかかわらず、平成印税ランキングで48位。 参考までにモーニング娘「LOVEマシーン」57位、松田聖子「赤いスイートピー」60位である。 石川さゆりの現在:印税しゅごしゅご「天城越え」 石川さゆりが凄いのは、「津軽海峡・冬景色」が1番の稼ぎ頭ではないってことだ。 1番は、石川さゆり「天城超え」。 1986年昭和61年にヒットして、2008年にはイチローの打席曲になったりもした。 実は「天城越え」、「津軽海峡・冬景色」48位よりも、遥かに上回る稼ぎっぷりで、40位は超えて、30位も飛び抜けて、20位だって蹂躙して、なんと14位。 平成カラオケランキングでは全曲4位、演歌では圧倒的な1位を獲得している。 理由はやっぱり紅白歌合戦。 紅白歌合戦で、10回歌われた「津軽海峡・冬景色」。 11回歌われた「天城越え」。 そういうことだ 2018年でも、「天城越え」「津軽海峡」ともに100位前後で、最も歌われている演歌歌手となっている。 おわり.
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