イエロー で ホワイト で ちょっと ブルー。 aws-cid.boxhill.edu.au: ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー eBook: ブレイディみかこ: Kindleストア

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』無類に面白い!少年の成長物語

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あらすじ 大ファンであるブレイディみかこさんの新刊がこのところ立て続けに出た。 岩波書店からは。 そして本日紹介したい新潮社からのである。 内容はブレイディさんの息子さんのセカンダリースクール(11歳から16歳まで通う日本の中学校に該当するもの)でのさまざまな体験を綴ったもの。 乳幼児期はブレイディさんが働くいわゆる「底辺託児所」に通い、そこで経験豊かなブレイディさんの師匠筋にあたる責任者に見てもらい、小学校は教育熱心な牧歌的カトリックスクールに通っていた優等生の子。 ところが、中学校もそのまま優秀なカトリック中学に通うのかと思いきや、なぜか近くの元底辺中学であった学校に通い始め、様々な体験を重ねていく中でなかなかドラマチックな日常が綴られる物語。 ブレイディさんの働いてきた保育所の話などを読めば(『子どもたちの階級闘争』など)、底辺層の子供たちの話などから大変さには思いは至るが、息子さんが通う中等学校はもっと多様で、複雑で、さまざまなレイヤー(層)の子どもたちのあいだで教育が行われていることに、結果として、その先駆性に驚かされる。 ある種単純で波風が立たない環境をよしととしてきた、私のような初老期の子どもを持たない者には、その「壁の薄さ」へ向かう力学を強烈に感ずる。 社会的アクチュアリティへの対応力の強さだ。 さまざまなレイヤーとエンパシー そのさまざまに複雑なレイヤー(層)とは何か。 例えばEU離脱派と残留派、移民と英国人、様々な階層の移民どうし、階級の上下、貧富の差、高齢者と若者たちなどの分断などなどだ。 そのため、教育にも「シチズン・シップ」の学習に力が入れられている。 英国ではこれらのことについて11歳から学んでいる。 特筆に値すると思う。 この学習の中でエンパシーとは何か?という問いも設問される。 エンパシーとは他人の経験や感情を想像し、理解しようとする「能力」。 だからシンパシーとは違い、意識的に努力して学んでいかねばならない。 経験の異質性を解って行こうとする努力。 多民族化、アイデンティティが多様化する英国では特に大事な能力になっていくという見立てゆえだろう。 その意味では、愛読者側として知っているエンパシーの能力を磨きに磨いてきたブレイディさんと、相当クオリティの高い共感力をもつ息子さんのエンパシーを磨く修行がお互いに共鳴しているように読める(学校生活において、日本に旅行に来て典型的なオヤジに絡まれることにおいて、人種的な問題について、移民や貧困下にある同級生と接することについてなど)。 いや、よく読むと修行という言葉は違う。 息子さんはしなやかに、学校生活にも、教育にも適応している。 もちろん、時に悩み、時にブルーになりながらも。 ほかにも思うのは息子さんの世界だけでなく、英国の庶民層が見ている「社会」は外に開かれている世界だな、という印象だ。 階級というか、格差が隠蔽されずにオモテに出ているし、性に寛容であるブライトンという土地柄ゆえか、カップルや愛のかたちも多様。 そのような環境の中でブレイディさんの息子さんはさまざまなレイヤーの中で育ち、さまざまなカラーの中で新しい考えが生まれ、こころをひらき、思春期の子として友や周囲の大人を気遣い、自分がコミュニティとなんらかの絡みがあるはずと考える。 アイデンティティの多様化と同朋意識 幾つも印象的なエピソードがあるのだが、中でも中国系の生徒会長が東洋系の自分に同胞意識を持ち、守り接してくれることに戸惑う場面で、ブレイディさんに自分の思いを語る息子さんのことばが印象深い。 ぼくは東洋人の生徒会長が思うほど、自分を東洋人と思ってない。 ピンと来ない。 仲間意識の感情が強いんだな、って。 僕はそういう気持ちが持てない。 僕はどこかに属している気持ちが持てない。 悪い部分も、いい部分もない。 220ー意訳) これが排外主義的な態度を持つハンガリー系の友人や貧困地域に住む英国人の友人を持ち、日本で知らないオヤジからガイジン扱いでいわれない批判的な目線を向けられたプレ思春期の子どもの悩みなのだ。 何と曇りない大人な悩みなのかと思う。 子どもを社会が育てる そのほかにも英国の子どもたちが大人たちのドラッグ禍に巻き込まれるさま(の世界は虚構でない、と思ってしまう)や、そのような問題もあるためか、教室格差などもありつつも、教育機関から離れていると親に罰金が科される制度など、明らかに英国は家庭中心ではなく、「社会が子どもを育てる」土壌が強い文化だなと思う。 ゆえにソーシャルワーカーの権力が強く、子供が親から引き離され、里親などに引き渡される傾向もけっこうあると思える。 このあたり親子の結びつきが強い日本の文化では違和感が持たれそうだ。 ただ、日本でも最近は親の虐待事件が多発しているので、今後は今よりも子どもは社会が守るもの、という風に変わっていくかもしれない。 いずれにしても、英国は移民の包摂や、アイデンティティの多様化が開かれ、オープンな社会になっており、そこでは揺れ幅も大きいかもしれないが、国としてはその分だけさまざまに免疫が強い、オープンゆえに、おそらく今後も世界の動向的にも先頭集団としての力を発揮する国であり続けるのではないかなと思う。 ブレイディさんの息子さんが受けている教育、その市民教育への目配りの高さを考えると、そう思われるのだ(ただ逆にそこからこぼれ落ちてしまう子は極めて大変なのかもしれない)。 対比して日本の初等中等教育などでどのような変化があるのか子どもが居ない自分にはわからず、なんとも言えないが、やはり英国に比べてその潮流に乗り遅れているところがあるのではないかと想像する。 例えば感情を押し殺すのではなく、感情を正確に相手に伝える教育に力を入れる英国のコミュニケーション教育ひとつとってもそうだろう。 普遍性を獲得しつつある筆力 作品については、ブレイディさんのいままでの作品の中ではもっとも読みやすく、一般性があるのではないかと思う。 明るい黄色な表紙と爽やかなイラスト通りに、爽やかなプレ思春期でありつつ、いたいけなまでに大人っぽい少年の成長物語はちょっと懐かしいビルドゥィングス・ロマンの現代版を感じさせる。 ブレイディさんの文筆も普遍的に読ませる力量に至っている(偉そうですみません)。 最後に最近のブレイディさんの描写を読んでいると、かつての誰かを思わせるな…とずっと考えていたのだが、思い出した。 それはを読んだ時の感触だ。 今回、米原さんのタイトル表題作を読み直したが、流石の力量であった。 ただし米原さんの作品のほうが昔の友人と大人になって再会しても、かなり理詰めで向き合って議論的、ある種アグレッシブなのには再読して驚いた。 むしろブレイディさんのほうが、持っていたパンクなイメージよりもずっと相手の感情を大事にされているとさえ思える。 ただ、お互いのアティチュードはきっと似ていると思う。 時代や立場の違いもあるかもしれない。 話がずれたけれど、元来ブレイディさんが持つアナーキーな感触、闘士女性たちの憑依(?)する清冽な情熱が沸々湧き上がる鋭利な意識はのほうにある。 こちらにも作家としての筆力的な成長にびっくり。 ある意味ではブレイディさんのもう一つの側面がこちらにはあります。 また時間があればそちらの感想もかければ幸いです。 忘れていました!ぜひ「ぼくはホワイトで~」は中学や高校の学習参考書にして欲しいと思います。 それだけの価値ある本だと思います。

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ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーあらすじで学ぶ社会制度。

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イギリス南部の都市ブライトンで生まれ育った中学1年生のぼく。 パンクな母ちゃんとダンプの運転手の 父ちゃんの間に生まれた一人息子で、「いい歳をして反抗的でいい加減な」母親とは違い、 学校ランク第1位の公立小学校で生徒会長をしていたような「いい子」。 しかし、 ぼくはちょっと変わった「元・底辺中学校」に進学することにした! 超美少年なのにレイシストのダニエルや、こわーい兄貴がいるけど心優しいティム。 ただでさえ思春期ってヤツなのに、「ワケあり」だらけの中学校では、 家庭環境とか、性別の違いとか、ときには両親の肌の色をきっかけに、毎日が事件の連続。 それでも、 ぼくたちは大人たちの常識を軽く飛び越えて、 子どもなりのやり方でそれを乗り越えていく。 今作の登場人物は、イギリスに暮らすブレイディさんとアイルランド人のパートナー、そして、お二人の間に生まれた息子さん。 その息子さんがひょんなことから、荒れていたことで有名な「元・底辺中学校」に通い始めたところ、様々な困難にぶつかっていくことになる…。 その様子をみずみずしく描いたエッセイ作品です。 ユーモアたっぷりの家族の姿についつい笑ってしまうこともしばしば、たくさんの困難を友人や両親の力を借りながら乗り越えていく姿は、涙なくして読めません。 そして、今作が何より素晴らしいのは、時に笑わせ、時に泣かせながら、 様々な社会問題を読み手と同じ目線で問いかけることにあると考えています。 今作で扱われる人種やジェンダー、貧富の格差などの問題は、どうしても他人事になりがちです。 ところが、息子さんの目線を通じて世界を見ると、それらが当たり前のように壁になる。 ともすれば、簡単に遠い話になってしまう問題を、こんなにも切実に、それでいて、決して押し付けることなく、自然に心に問いかけられたことはありません。 読者に届ける難しさは確かにあります。 しかし、そのすべてのハードルを軽々と乗り越え、心を揺さぶる魅力が今作には あると確信しています。 なんとしても、たくさんの人に届けたい! みなさまのお力添えなくして、伝わることは決してありません。 この作品に少しでも 心が動かされたなら、どうかお力をお貸しください。 【担当編集より】 本作は新潮社の月刊誌「波」での連載がもとになっているのですが、社内の反応がとんでもなく熱く、しかも多く、担当者として彼らの熱気に圧倒され続けてきました。 あらゆる部署のあらゆる世代、性別のひとが口々に「2章で早くも落涙……」「自分の子どもを重ね合わせちゃう」「かつての自分に読ませたい!」「息子くん……年下なのに憧れます」「人生を通じて何度も読み返したい!」…なんて、わざわざ席まで言いに来てくれたんです!感想の違い、響く個性に感激したから、書店員のみなさんにも原稿をお届けしたくなりました。 よろしければ本書の魅力がぎゅっと詰まった第1章をぜひ。 10分で読めますし、お時間は無駄にしませんので! 【部署の垣根を越え、新潮社社員が大推薦!】 ・ブレイディさんは言いました。 「みなまで言わないよう、気をつけて書いてます」。 なのに、なんでこんなに伝わってくるんだろう。 本作は小説風味のエモいエッセイであり、さまざな違いが力強くユニゾンする実録「君たちはどう生きるか」。 人種、階級、多様性。 日本で暮らしているとどこか他人事に思えていたのも今は昔。 10代から大人まで、少し遠い話に感じる方にも是非読んでほしい作品です。 (宣伝部・佐藤) ・この親子、とにかく最高!パンクで熱い母ちゃんと、ときにクールに母を諭す10歳の息子。 自分を取り巻く雑多で厳しい世界、そこから何が正しくて何が大切かを見極めようとする彼の、みずみずしい眼差しに心打たれ、いつの間にか彼と一緒に考えている自分に気づくはず。 心から思います、こんな息子がほしかった! (営業部・岩崎) ・肌の色やジェンダー、格差…。 センシティブで難しいテーマを扱いながら、決して押し付けることなく、時に泣かせ、時に笑わせ、ここまで自然に心に問いかけられたことはありません。 自分を見つめなおすために、これからの人生、何度も何度も読み返したい大切な1冊です。 私はいま、何色なんだろう。 (営業部・秋山) ・みかこさんと息子さんのやりとりを見ていると、子育てとは親の覚悟と子への信頼につきるのだなと思います。 多様な環境の中、腹をくくって本音で息子さんと接し、息子さんはそれをちゃんと受け止めて、ぐんぐん成長していく姿がすばらしくて、胸がいっぱい…涙なくては読めません。 思春期子育て世代必見の書です。 (出版部・Y) ・かつて私が通り、私の娘もいつか通るであろう道を、いま海の向こうで一人の少年がたくましく歩いている。 笑い、泣き、怒り、傷つき、少しずつ自分と世界のいろいろに気づいていく子どもたち。 繋いだ手をそっと離す日のために、私たち大人はいま、どんな世界にしておくことができるだろう。 そう、読むたびに考えます。 (校閲・K) ・ブレイディみかこさんのことを知らずに読み始めましたが、2章で早々に落涙。 差別、格差、分断といった進行形の問題を「他人事」として考えないようにしていた私は、著者の12歳の息子のフラットで豊かな「想像力」に打ちのめされました。 (企画編集部・T) ・難しい問題がたくさん起こる中で、ときに対立することはあれど、誰のこともはなから嫌うことはない息子くんが素敵!どんな相手にも尊敬の態度で接しているし、何かをされても、理解しよう、何が違うんだろう、と冷静に分析して母親と議論しているという。 ピュアなのに大人っぽい。 年下なのに憧れます。 (受付・S) ----- Twitterでも感想大募集中!「 ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」にてお聞かせください。 最新情報は公式アカウント「 ywbg2019」から! グローバル社会を生き抜くために、知っておくべき外の世界の日常が描かれた一冊。 私の中ではそんな認識だった。 だが、多様性が社会に複雑さを招く場合もあり、世の中を上手く回すためには、真髄に触れない方がいいときもある。 まさに、知らぬが仏。 こんな世界があったんだと、無知な自分を恥ずかしく思う。 でも無知とバカは同じではない。 と、登場するパンクな母ちゃんの言葉に勇気付けられた。 笑 最初は、英国の差別問題を追体験しているようだったが読み進めていくうちに気づく。 結局、差別は肌の色とかそういうのじゃない。 人間はみな個々に善心を持っている。 なのに、群がると狂いだす。 それは、文化とか言語とか関係なく、どこの国だろうと起きることなのだ。 「お前の頭の中でお前は白人かもしれない」 見た目は東洋人、背景は白人文化。 でも心は…。 その心が、親子一緒にたくましく成長していくストーリー。 オススメです! 私のおすすめ度 新しい時代に読むべき1冊に出会えました。 英国に住む著者がハーフである息子の学校に通う日常を綴ったエッセイ。 元底辺校と言われる公立学校に通う息子さんが直面するさまざまな差別。 人種、性嗜好、貧困。 EU離脱という世界的にも注目される時期において、どう考え、どう乗り越えて成長しているかが、熱く強く、冷めて鋭く、ユーモアを交え描かれています。 息子さん本人やパートナーの一言が、海外未経験で凝り固まった価値観にある自分には刺さりました。 来年の五輪や外国人労働者受入などよりボーダレスになっていく我々日本人もこれから直面するであろう問題を強く意識させます。 また対照的に保護者として息子を眺める視点は温かく、いつの時代も家族とはという在り方も感じさせてくれます。 何度も何度も繰り返して読みたくなるような1冊。 私のおすすめ度 新潮社さんの雑誌『波』に掲載されているのを読んで、これはなかなか面白い話だな、と思っていた。 だいたい私たちは学校の事となると、子供が通うその地域くらいしか目が行かず、国はおろか他県にすら興味がわかない。 狭い地域の事しか考えないものだ。 そんな中、自分の住む世界とは遠く離れた別の国の子育てや学校の話を読むのは、同じような悩みに親近感を持ったり、時に目からウロコでとても勉強になる。 その地域の暮らしや風土、考え方など。 タイトルにあるイエローでホワイトである息子さんのアイデンティティだったり、周りの人達との関わりに、やはり母親側の目線で読みながらハラハラした。 が、若い子達は親世代よりもずっと逞しく、新しものを吸収していく。 それを絶妙な距離感で見守る両親に好感が持てた。 私のおすすめ度 イギリスで暮らす著者が、地元ブライトンの元底辺中学校に通う自分の息子の日常を軸に綴ったエッセイ。 「多様性とは何か?」「差別とは?」「多文化共生社会とは?」など今、日本でも考えるべきトピックがたくさん含まれたエッセイでした。 「答えのない問い」として優れたものも多く、エッセイの一部分だけを配布して、「解決策を考えさせる」、「自分の意見をまとめる」などの授業にも使えると思いました。 最近大学から求められているのか、図書館に「グローバルに関する本はないですか?」とやって来る生徒がとても増えました。 しかし「グローバルの何が知りたいの?経済?社会?文化?」と聞いてもほとんど答えられる生徒はいません。 そんな「グローバルについて知りたいけど、よく分からない」という生徒にぜひこの本を手渡してやりたいです。 個人的には「学校の先生の仕事として福祉的なものが増えている(食事にも事欠く家庭に対して、先生が自腹で食料を買ったりしている」という話と、筆者ならびに筆者の息子さんが日本に帰国した際に受けた差別の話が特に印象に残りました。 息子さんがノートに書いていた言葉から拝借した「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」というタイトルもとても素敵です。 理知的で好奇心旺盛な息子さんの今後が気になります。 私のおすすめ度 本書では著者がイギリス人と結婚し、イギリスで子育てする中で見えてきた多様性、差別、格差について紹介している。 「多様性、差別、格差」と書くと身構えてしまうのだが、元「底辺」中学校に進学することになった息子さんのエピソードを通して語られているので、サクサク読めてしまった。 それも一気に読んでしまった。 読み終えた後、息子さんと一緒に成長させてもらったなぁと充実感を感じている。 息子さんに教えてもらったんだな、これは。 多様性に関しては先進国というイメージ(実際そうだろう)のイギリスだが、だからこその差別があったり、思っていた以上の格差社会だったりで驚いた。 一方で、他国の様子を知ることで自国の課題も見えてきた。 多様性、差別、格差という言葉を見たり聞いたりしない日はない。 近年は外国人労働者も増え、また海外からの観光客も増加し、日本にいても異文化やいろんな価値観と触れる機会が増えたせいもあるだろう。 裏を返せば、課題は以前からそこにあったが、人々の意識が成長することで気づくようになった、または声を上げられるようになったということでもある。 息子さんと同じく「これはどういうことだろう」と素直な心で思考することを忘れないでいたい。 そこからチェンジ、または前進のチャンスにしたいと思う。 1人でも多くの方に読んでもらいたい。 私のおすすめ度 中学生の時に読みたかった!!! 「学校は社会を映す鏡」(p236)なのがよくわかる。 著者の息子さん(中学生)を軸に、人種・移民・格差・貧困・LGBTQI・性の問題、更にはBrexit、スクールストライキ(環境問題)などを、著者の視点[大人・女・日本人]だけでなく、息子さんの視点も含めて多角的に提起する(だけでなくロック音楽のことも)。 印象に残ってずっと頭から離れないのが「シンパシーとエンパシーの違い」。 エンパシーとは、自分と違う立場の人の視点を持つ(知る/考える/努力して想像する)こと; 独首相メルケル氏(保守政党)の同性婚合法化を想起した。 しっかし、イギリスの先生達の取組みにはひたすら脱帽&子供たちの環境に瞠目する。 私のようにSDGsに関心がある人は入門の一冊としてぜひ。 でも究極的には《イギリスの話だけど、日本の中高生/教育関係者に読んでほしい一冊。 本当に必読すべきは政治家なんだが…》。 日本の話ではないから関係ない読まないとか、社会人だから関係ないという思考だとエンパシーは育まれない。 この本のおかげでやっと踏み出せる) 私のおすすめ度 すごく良かった。 深刻に問題提起してくるような重さはなく、ユーモアある軽やかな文章であるのに、読みながら自分の中に色々な思考の種が蒔かれるのを実感する。 人種やジェンダーなど様々な「分断」が溢れるこの世界、大人たちが議論をこねくり回してるのを尻目に、シンプルな感性で問題をひょい、と飛び越えてしまう子供の素直さが素敵。 この素直さは、息子くんのように常に「差異のあるもの」として見る/見られる両方の立場でにあればこそ培われた感性なのだろうか?いや、"エンパシー"が"シンパシー"と違って(感情ではなく)能力だとするなら誰だってその力を磨くことは可能だと信じたい。 まずは問題を認識すること、自分の無意識下にある「自分とは違うものへの忌避感」を自覚すること。 その第一歩として、この本が果たす役割は大きいと思う。 私のおすすめ度 ピュアで聡明な息子と、パンクでクールな母ちゃんが、絶妙な距離感で共に成長し合う、理想の子育て。 子を育て、子に育てられるということが「子育て」であるというのが適切な見解であると感じずにはいられないような、お互いの「気付き」が見える素敵な親子だ。 彼らをのせて地球が回ってるなら、世の中捨てたもんじゃないな、と希望すら感じる。 格差社会、差別、分断化、多様性…… 生活している地にしっかりと足をつけ、問題に向き合い、自分なりに思考を巡らせ、解決の糸口を見出していく。 自分は日々のくり返しばかりで、普段目を向けられていない問題が、多々あることを認識した。 難しい課題もスッと提起し、グッと提示する。 その見解に何度でもハッとさせられる。 心に響く。 これこそが今、現代社会に必要な教科書のように思う。 ありとあらゆる人に届けたい。 私のおすすめ度 現在の英国の教育現状、子供を取り巻く社会の問題を教育者としての批評的な見方だけでなく、親として地域の大人として、子供達を見守る視線で書かれていて、日本の教育現場に投影しやすかったです。 経済格差の問題は日本の子供達にも通じるものではありますが、多人種、階級社会の英国ではより複雑なものであると感じました。 しかし、本書に登場するシティズンシップエデュケーション、アイデンティティの問題など英国の教育に日本も学ぶべきことがあり、日本の子供達が国際社会で生きていくスキルとして必要な事が沢山あることを実感しました。 是非、先生や中高生のお子さんを持つ保護者に読んでもらいたい一冊です。 息子と政治的な問題や学校でのいじめなども率直に話しあう著者の子供達を見守るまなざしは温かく、たくましく母親としても大いに学ぶことがありました。 私のおすすめ度 あまりに頷けることが多くて、一生を通して折に触れ読みたい本。 みかこさんの視点と言葉が育てた息子さん。 自分の位置のようなもの.... アイデンティティーという言葉もちょっと違うと思うので使いにくいけれど.... から、ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーだったのが、だんだんとグリーンであることに変化していく日々。 英国の教育体制と、階級社会と、人々の様々な意識、思惑。 全てを冷静に観ながらそのなかで生きているみかこさんの経験から生まれてくる言葉は、母親としても頷けることばかり。 私がその立場だったら?と常に自問しながら読んだ。 それなのに、日本に里帰りした時の知らない人達の反応には、恥ずかしくて苛立って悔しくてたまらない。 私たちはそんな意識のなか、生きているのだ。 この21世紀に! まずは自分が変わろう。 周りを見回すこと、エンパシーを身につけるように努力していこう。 下を向きがちな自分を、少しでも前を遠くを見られるように、この本を読んで力をつけよう。 私のおすすめ度 話題の書をかなり出遅れて読む。 イギリスのエリート小学校を卒業したにもかかわらず、あえて荒廃した元・底辺中学に入学した息子。 その日常を見て思うところを記したエッセイ。 イギリスがEU離脱を含め滅茶苦茶になっていて、日常生活も荒廃している。 そんな中でアイルランド人の父親と日本人の母親に間に生まれた子供は差別や暴力、いじめ、犯罪、格差などの中、自我を持ってサバイブしていく。 子供と交わす言葉がいい。 世にはダイバーシティなどとよく言われるが、格差社会は必然的にダイバーシティコミュニティになっていく。 デイバーシティというよりは「カオス」のほうが近いかもしれない。 子供は気張って生きていくのではなく、実は淡々とごく普通に日常を送っている。 そこがいい。 日常だからこそ見えてくる真実を母に語る言葉が、素直で、しかし的確に刺さってくる。 異国の地で生活しているからこそ得ることのできる新しい発見に満ちた書。 読み進める手は止まらない。 その発見が示すのが、かのイギリス帝国の没落という悲しい真実というところはちょっと物悲しいけれども。 話題になる本には話題になるだけの理由があるということを再実感させてくれた一作。 読まず嫌いはよくないということ。 私のおすすめ度.

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イエロー で ホワイト で ちょっと ブルー

インプットしたらアウトプットもしないと... ということで、まずは読んだ本について。 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 昨年から気になっていたものの、なかなか手に取る機会がなく、 無償に本を読みたくなって立ち寄った本屋で迷わず購入した一冊。 ページをめくりながら何度か目に涙がたまったり、 その直後にクスッと笑えてきたり、 読むスピードが止まらずに、するすると内容が入っていくる。 私にとって間違いないく面白い本だった。 優等生の「ぼく」が通い始めたのは、人種も貧富もごちゃまぜのイカした「元・底辺中学校」だった。 ただでさえ思春期ってやつなのに、毎日が事件の連続だ。 人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。 時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり……。 何が正しいのか。 正しければ何でもいいのか。 生きていくうえで本当に大切なことは何か。 世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子と パンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。 連載中から熱狂的な感想が飛び交った、私的で普遍的な「親子の成長物語」。 今なら四章無料で読めます! 「学校から家に帰ったときに、家にママがいないと可哀想なの?」 子供に聞かれたときに、私だったらなんと答えればいいだろうかと、 本を閉じながらふと思った。 子供の予定もないのに。 実にはやとちりな悩み。 だけど、都会の共働き夫婦の間ですくすくと育った私が何度も感じた気持ちを、 自分の子供もいつか感じるだろうし、そのための予行練習は大切だなと思い、 本を読み終えて手持ちぶさたな電車内で悶々と考えた。 本のなかでは、アイルランド人の父と日本人の母を持つ"ぼく"が、 日々学校で起こった事件や悩みを、 著者である母に相談して一緒に悩むシーンが何度も描かれています。 母ちゃん 著者 が色々と頭を抱えている間に、 息子や彼の仲間たちは既に問題を解決して拍子抜けしたり... 人種や世代、貧富の差やLGBTQといった、 自分達の時代は目をつぶってきたり気にしないようにしていた問題とも 向き合わないといけない。 一つ一つの問題に、 「世の中なんてそんなもん」 「しょうがない」 といった言葉ではなく、著者である母ちゃんが息子と向き合い、 どういった言葉で説明するのがよいのかを考えていくところが、 この本のなかで一番すきなところ。 ルールや常識だからというワードでは本質的に解決できない悩みを、 子供にしかっりと説明していく母ちゃんの物語を読みながら、 私も同じように母ちゃんになったとき 子供の悩みに一緒に頭を抱えられる母親になりたいなと思った。 「新しい時代の教育本」 というポップが本と一緒に飾ってあったけど、 本当にその通りだった。 過去に何度もこすってきた教育論には想定されていない問題の多くがこの本にある。 もっともっと広がる日本の貧富の差や、 どんどん様々な国の人が経済に加わって多種多様なっていく日本の社会、 LGBTQなど、子供だけでなく大人もどうのようにとらえていかなくてはいけないのか、 本を読むことで考えるきっかけになるかもしれない。 私は自分の子供が、 私が働くことで「自分は可哀想なの?」と聞かれてたときに、 なんと答えればいいんだろう。 まずは、「かわいそう」と思った理由を聞くことからスタートしようと 今のところ決めている。 だいたい、誰かに言われた言葉から湧いてきた感情であるところまでは予想できるので、 "可哀想"の定義を一緒に考えるところから始めようかな。 この本を好きな方、他におすすめがあれば教えてください。 昔は差別用語だった単語を上流階級では親しみと愛をこめた言葉として使っていても、 下級階級では現在でも差別用語である。

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