小田急東海大学駅前の16番 HO)ゲージを中心とした鉄道模型の店です。 完成品からパーツ、線路まで、何でもご相談ください。 なお、昨今の流通状況からNゲージ製品につきましてはご予約中心のお取り扱いとさせていただきます。 店舗は駅前横浜銀行の隣、不動産会社のあるビルの3Fです!当雑談室では商品のご案内の他、工作のヒントや実物ネタなどざっくばらんに書いてみたいと思います。 「プロフィール」に店の紹介がございます。 通販も大歓迎!記事に出て来る商品は、こちらからもお買い求めいただけます。 raku-uru. 気動車の屋根でやってみたいことがありました。 客車と同じ考え方で、ウエザリングを施します。 生きている気動車の雰囲気をいかに再現するか、というのがテーマです。 まずは、客車と同じようにレッドブラウンを薄く溶いたものをエアブラシで下回りに吹きます。 最後は艶消しクリアーで仕上げます。 屋根はまず先端部分を中心に、レッドブラウンの錆系エキスを吹いた後、排気のススを表現します。 このスス汚れは、車両によって全く異なりますから、汚れの少ない車両、酷い車両と、1両ごとに設定を変えると良いかと思います。 このキハ26は、やや強めという設定です。 錆表現の上に、薄く溶いた黒をグラデーションをかけるように吹きます。 もちろん排気口付近を一番強めにして、あとは排気が自然に流れて汚れたようにします。 気動車の屋根の汚れ方は、極めてパターン化しにくいですから、逆に隣の車両と全然違っていても、不自然な感じになりません。 軽めの汚れのキハ17、とやや汚れのきついキハ26の2両編成です。 気動車編成のポイントは屋根のスス汚れだと思います。 完成品をそのまま連結しても雰囲気は出ないと思います。 電車と違って、検査周期は1両ごとに違っていましたから、当然、各車のコンディションも違っていたのです。 でも、強めに汚すにしても、ポイントは「腹八分目」ですね。 汚し過ぎるとただ汚いだけになってしまいます。 でも、寄せ集めの長大編成の場合、屋根のまだら模様も必須のものなのです。 引き続きキハ26の馴らし走行と調整を行います。 特に異音などもなく走るのですが、ポイント部分で一瞬不安定な動きをするのに気づきました。 ポイント区間では、台車が左右に振れますから、トラブルが発生しがちです。 特にMPギアシステムは、この形式専用ではなく、汎用設計のものですから、その都度長さを決めて切断する伸縮軸あたりに原因があることが多いものです。 そのあたりを疑ってみました。 伸縮軸を1mm程度カットしてみたところ、見事にこの症状が消えました。 直線区間での走行も軽くなったように思います。 MPギア本来の、見ていて安心感のある走りになりました。 来週はフィニッシュの仕上げを行って、ひとまずの完成に持ち込みたいところです。 昨日に続いて、今日はキハ52を連結した3両での試運転です。 このキハ52は、フジの車体にエンドウのキハ58用完成動力ユニットを取り付けた構造です。 模型でも2エンジン車は両台車駆動にして、馬力を稼ぐというのも面白そうです。 そのうち出てくるであろうキハ58あたりでやってみたい方式です。 そのキハ52を連結して3両編成で走らせてみます。 全車が動力車ですが、これまた実に気持ち良く走りました。 一応各車ともLN14またはLN15のコアレスモーターですが、CN16モーターの場合、パワーや回転の安定性がかなり落ちますから、ここまできれいには協調しないかもしれません。 CN16使用の古い完成品などを混ぜ込む場合には、モーターを換装した方が良いかもしれません。 どうにか気動車の標準的な動力構成が構築できたようです。 今日はキハ26のレイアウト試運転です。 まずは連結器を取り付けて、単車でのテストです。 カーブ区間やポイント区間などでの異音の発生もありません。 続いて連結試運転です。 モーターがLN15のキハ26とLN14のキハ17の混成ですが、実にスムーズに走りました。 問題がないことが分かったので、車軸にいつものセラミックグリスを詰めて連続走行です。 データイムの2両編成でも、全然関係のない車種同士が連結されていた左沢線のイメージになりました。 朝ラッシュの8両とは言わなくても、高校生の下校時間の4両編成くらいのものにすれば、あの時代のまだ活気の残っていたローカル線のイメージが再現できそうです。 そして、レイアウトで隣に並ぶのは、やはりこれですね。 ED78は、山形を超えて、羽前千歳から仙山線の仙台まで運用されていました。 今の自動放送のような血の通わない声でなく、駅員さんの肉声で、列車の発車の都度、山形駅の駅本屋内に流れていた放送を思い出します。 「3番線の左沢行きが発車いたします」。 東京の国電区間にはない、地方主要駅の貫録のようなものを感じたものです。 とりあえず走行はOKなので、ナンバーリングなどに進みます。 タッチアップと小パーツの取付の続きです。 ホロを取り付けました。 4の真鍮線を植えて、取付位置に開けた穴に差し込んで接着するようにしました。 前回のキハ17は正面のホロなしでしたが、それと背中合わせになるこの車両は、正面ホロ付です。 気動車のホロは客車のように両側から渡すのではなく、片側から渡すだけなので、線区ごとに方向を決めて片側だけに付いています。 ホロワクの色はグレーだったり黒だったり、車体色だったりとまちまちですが、見つけた資料写真のものが黒だったので、それに倣ってみました。 前照灯はまだ電球が剥き出しですが、この後レンズを入れます。 昔はこれで十分通用したのですが・・・。 もちろん運転台のない側も含めての話ですが、模型的な見栄えを考えて、連結面側にはすべて取り付けておくことにしました。 走行をメインに考えているので、連結面側はごくあっさり目にしてあります。 ここに新製品の標記インレタを入れれば、いくらか細密感は増すかな?と考えています。 貫通ドアは、キットに含まれませんが、似たような形状のものに多少手を入れて取り付けました。 「無いよりは良いでしょ」くらいの感覚です。 キハ17のキットに入っているものの分売があれば一番良いのですが・・・。 あと一息ですが、機関車や客車とは勝手が違うので、思いの外時間がかかっています。 完成が近いキハ26、照明の配線を行いました。 前照灯と尾灯は原始的な電球方式ですが、光の色合いが自然な感じなのが気に入っています。 いつものダイオード基盤を用意します。 配線をします。 ダイオードを倒してあるのは、この基盤を床の中央に取り付けるので、ダイオードが座席と干渉しないようにするためです。 前照灯、尾灯、室内灯をそれぞれ配線して点灯テストです。 前照灯にまだレンズが入っていませんが、レンズを入れればもう少し落ち着いた感じになるはずです。 前照灯と尾灯は、便所付近の床に取り付けたスイッチでON-OFF出来ます。 車内は、先のキハ17の白熱灯に対して、こちらは近代的な100番台ということで蛍光灯色の照明です。 昔、夏の夜の左沢線でそんな列車に乗りましたが、窓を開けていると暗い白熱灯のキハ17には、それほどたくさんは虫が入ってこないのですが、明るい蛍光灯の車はすごかったですね。 ツマグロヨコバイといったウンカの類から大きなガ、メタリックグリーンのコガネムシ類、さらには巨大なシロスジカミキリなどなど。 シロスジカミキリはちょっと気になったので、手で摘みあげたら、あのニッパーみたいな口で思い切り噛みつかれましたね。 そんなことも、あの時代のローカル列車の旅の醍醐味の一つだったのかもしれません。 一応点灯試験もOKなので、タッチアップの残りとレンズ類の取付を行って、週末には新製品の標記インレタを貼るところまで進めたいと思います。
次の車体及び妻板は真鍮をプレスにより製作。 ホロ枠、床下器具等はホワイトメタル。 ジャンパー栓付き胴受等はロストワックス。 室内灯は旧一般色のみユニットライトA 電球仕様 、その他はユニットライトB 白色LED仕様。 キハ22は9ベンチタイプ。 0ミリ バス窓は25. 5ミリプレート車輪を搭載。 台車はダイカスト製DT22 バス窓はDT-19。 また、今回よりインテリア 椅子 付き、テールライト 尾灯 が点灯式となります。 ヘッドライト、テールライトON・OFFスイッチ付き。 旧塗色には信号炎管と放送用ジャンパー栓は付いておりません。
次のまで大量に増備され、からにかけて・を問わず、全国でを中心に投入された。 なお、本項の「キハ58系」という表現は、同一の設計思想により製造された気動車を便宜的に総称したもので、のものではない。 広義には、北海道用の「」、通過仕様(横軽・区間対策車)の「」を含むが、本項では、主に狭義の「キハ58系」について記述する。 具体的には、 キロ28形・ キロ58形・ キハ28形・ キハ58形・ キユ25形の5形式およびこれらの改造車を指す。 また、本項ではの自社発注車や他社譲渡車についても解説する。 概要 [ ] に、牽引列車を置き換え、スピードアップと居住性改善を図るを目的に大量製造された。 ・の別なく、日本全国に気動車網を完成させた車両群である。 以降は、幹線電化の著しい進展に伴い、急行列車の電車化さらにはへの格上げが進められたことから、気動車急行列車は徐々にその運用域を狭め、以降は、ローカル線の用として多くが転用されている。 しかし老朽化や後継形式の増備、地方中核都市圏路線の電化やそれに伴う電車への置き換え、および赤字ローカル路線の廃止に伴って淘汰・が進行し、最終増備車の製造から50年が経過した2019年時点では、運用を終了し保留車1両が残っているのみである。 開発の経緯 [ ] 後半以降、動力近代化によって気動車によるが日本各地で運転を開始し、スピードアップや居住性改善に大きな効果を上げると非電化主要の急行列車についてもの牽引するによるから気動車に切り替えようという動きが起きた。 当時の準急列車用気動車であるは、走行性能面では当時必要な水準を満たし、一部はいち早く急行列車に投入されたものの3等車には独立した洗面所がなく、2等車はリクライニングしない回転クロスシートであるなど、急行列車用として接客設備面で従来からの客車と比較した場合見劣りする欠点があった。 そこで、キハ55系と同等の走行性能を持たせつつも、急行列車用として十分な設備を持った気動車を開発することになり、設計・製造されたのが本系列である。 なお、開発過程では、(昭和34年)にされた大出力エンジン気動車のや、(昭和35年)に登場した日本初の気動車のでの経験がフィードバックされている。 キハ58系 [ ] キハ58系 一般に「広義のキハ58系」として扱われるのは、用の耐寒耐雪型「キハ56系」・用の空気ばね台車装備車「キハ57系」・以南向け の標準型である狭義の「キハ58系」の3系列である。 これらの広義のキハ58系全体の製造両数1,823両は、日本のディーゼル動車としては史上最多で、一時は国鉄在籍気動車総数の3割を占めたこともあった。 製造メーカーは、・・・・の5社である。 車両形式 [ ] キハ58系新製主要形式一覧 車種 2等車(現・普通車) 1等車(現・グリーン車) 備考 駆動用搭載エンジン数 2基 1基 1基 2基 キハ56系 キハ56形 キハ27形 キロ26形 - 北海道向け 耐寒耐雪仕様 二重・小型客室窓 キハ57系 キハ57形 - キロ27形 - 信越本線用「横軽・アプト区間対策車」 ディスクブレーキ装備・空気ばね台車付き キハ58系 キハ58形 キハ28形 キロ28形 キロ58形 本州以南向け 一般型 上記のほかに、新製形式として キユ25形が存在する。 詳細は後述する。 また、改造によって誕生した形式や区分番台については項目を参照のこと。 なお、電車とは異なり半室の製造は行われなかった。 車体構造 [ ] 普通車車内 有田鉄道キハ58003 ベージュ()を地色とし、窓周り・裾部・雨樋をスカーレット()に塗り分けた車体塗色 を採用した。 気動車としては、特急形のキハ80系に次いで広幅車体ならびに浮床構造を採用した。 車体幅はキハ55系と比較して100 拡幅され2,944 mmとなったために抵触しないよう裾部は絞り込まれたほか、曲線区間での車体偏倚発生でが車両限界外へ膨らんで地上に抵触することを防ぐ意図から、国鉄車両としては比較的採用例の少ない張り上げ屋根構造とされた。 これにより雨樋は屋上肩部に配置され幕板が広がった。 正面形状は気動車ではすでに標準化していた貫通路を配置するほか、同時期に製造されていたの設計思想を取り入れに備えた高運転台構造の採用ならびに貫通路上に列車種別表示幕を設置した。 ただし、は運転台上部左右に振り分けられた小型2灯式としたほか、コストダウンにより前面窓は後年まで急行形・近郊形電車で標準となった車体隅部に回りこむ曲面ガラスによる「パノラミックウィンドウ」の採用は見送り 、車幅外側一杯までの幅を持つ平面ガラスとされ、車体下部のも省略された。 客用扉もキハ55系より広い850 mm幅に拡大。 さらにキハ55系では車端部設置とされたとキロハ25・キロ25を除いて独立した洗面所を持たない簡易仕様から、本系列では車端部をデッキとし、車室との間にトイレ・洗面所を設置した。 走行エンジン2基搭載のキハ58形・キロ58形では、床下機器の艤装スペースが狭小のためトイレ・洗面所用水タンクを屋根上に搭載した。 客室設備 [ ] 水平型エンジン を採用することで、床下側面からのエンジンが可能となり、在来型気動車に設けられていた車室内床面の点検蓋は廃止された。 これにより静粛性と居住性が高まった。 床の表張りは本州以南向けはビニール張りとし、北海道向けキハ56系のみは木板張りとして、保温性と雪靴の滑り止め金具に対する耐久性が高められた。 また、従来は客室中央壁面で立ち上げられていた排気管を客室外の車体両端に移設し、車内の見通しと見栄えを良くしている。 これらの改良は、先に開発された特急形のキハ80系に準じたものである。 (現・)は、大きな1段上昇窓と向かい合わせの4人掛け()を10窓分備えるが、運転台側部のみ2人掛けが1列があり、合計定員は84名となる。 車体幅が広がったことで、急行形電車と同様に窓側に肘掛幅分のスペースが確保され、窓枠下には付きの小型と大型を設置した。 従前の気動車では、一般にが照明に用いられたが 、本系列では40 W直管を採用し車内を明るくした。 (現・)は、急行列車用1等客車で標準となっていたならびにサロ152形同様の1段下降式2連型側窓 を採用したが、サロ152形で採用された蛍光灯カバーはコストダウンのため見送られた。 1段下降式窓は、後半には雨水の浸入・滞留による車体が深刻化しており、全車が採用するなども含め排水対策を講じたものの充分ではなく、やなどを含む採用残存車の多くがに入り、側窓を上段下降・下段上昇式で外ハメ式のユニット窓に交換した。 装置は、在来型気動車では燃焼式温風ヒーター が標準採用されていたが、熱量が不足するケースもあった。 開発の北海道向け耐寒強化形であるではエンジンによる方式が採用されて良好な成績を示したことから、本系列でも採用され暖房効率と静粛性の改善を図った。 客室内足下にエンジン冷却後の高温冷却水を通す放熱器を配置して暖房を行うが、窓側足下スペースが圧迫されるのが難点である。 また北海道向けキハ56系では、冬季凍結防止の観点から用シャッターや客用扉などにも室内暖房と供給源を共用する温水管を装備する。 主要機器 [ ] TR51形台車 は、キハ55系後期型同様の標準型金属ばね台車のを装着する。 これらは台車がすでに標準だった同時期の国鉄急行形電車に比較すると明らかにグレードが落ちるが、地方路線向けに大量生産しなければならない事情から、コストダウンを優先して採用された。 ただしキハ57・キロ27は、当時が採用されていた - 間で軌道中央に敷設されたラックレールと台車の基礎ブレーキ装置や床下機器との干渉を避ける必要から、と一定の車高が維持可能な式空気ばねをに採用したDT31・TR68 を装着した。 ブレーキ装置は、当時の気動車用標準型であるA動作弁によって車体装架ブレーキシリンダーを制御するDA1を基本とするが、キハ57系は前述のディスクブレーキ対応のため、運転台付のキハがDA1系ブレーキシステムに中継弁を付加して台車シリンダー方式としたDAR1、運転台のないキロがDAR2自動空気ブレーキを採用した。 番号区分 [ ] キハ58系の新製されていた期間は1961年から1969年までの8年間であるが、その期間中にも随所に絶えず改良が加えられた。 この改良は多岐に及び、枚挙に暇がないが、大きな改良が行われた場合はされている。 0番台車 [ ] 修学旅行色 (リバイバル) 東北・九州地区用の区分番台。 1962 - にかけてキハ58形19両とキハ28形13両の合計32両が東急車輛製造・帝國車輛工業(キハ58形のみ)で製造された。 車体構造は基本的に一般仕様車に準じているが、車内は同時期の用電車であるの流れを汲んだ設備とした。 一般の本系列と同様に1ボックス4人掛けで網棚もレール方向であるが、それ以外のデッキ補助席・客室内速度計・着脱可能な跳ね上げ式の大型・レール方向に3人が並んで使える大型洗面台や客室端の座席引き出し式の急病者用簡易ベッドなどの設備が追加された。 また、塗装も塗り分けこそ一般形に準ずるが、に窓回りや裾をと155系・159系のそれを反転させたもので修学旅行用に共通の意匠とされた。 修学旅行シーズン以外の時期にはなどでも運用された。 しかし、後半には博多開業や特急網の整備によりこれらの列車は運転を終了。 その後は1978年以降に塗装は一般急行色に変更されたものの、冷房化改造や修学旅行用設備の撤去などは未施工のまま、本系列一般車やキハ55系と混用されて急行列車やで運用された。 までに全車廃車となったため、JR各社には承継されていない。 キハ58 801 - 819• キハ28 801 - 813 長大編成対応車 [ ] 国鉄の気動車は、KE53形2基で24 電源による制御と空気圧作動の自動ブレーキを共通装備としていた。 このため、長大編成を組むと電圧および空気圧の低下で、先頭運転台から後方車両までの制御の応答性・確実性に問題が生じた。 長大編成を頻繁に組む本系列も当初はその例に漏れず、最大11両17エンジンまでに編成を制限されるため問題は深刻であった。 そこで1963年度以降に製造されたグループからは、以下に示す仕様変更を行った。 各車の自動ブレーキA動作弁直近に応答性能が優れる電磁給排弁を付加。 運転台のM23系ブレーキ制御弁も電磁給排弁への指令を可能としたME23B弁とし、運転台付車両はDAE1、運転台のないキロはDAE2電磁自動空気ブレーキに仕様変更。 DAEブレーキ化のために回路制御用KE67形ジャンパ連結器による引き通しを増設。 また従来からの制御回路にも中継装置を設置し、引き通し線の電圧降下・制御電流の容量制限・ブレーキ作動時間の遅延に対する改良を実施。 その結果、最大15両23エンジンまで制御可能となった。 当初から上記の長大編成対応で製造されたグループは新規の番号区分が行われた。 キハ28 2329• キハ58 401 - 799・1000 - 1052• キハ28 301 - 494• キロ28 101 - 204• キロ58 1 - 8• キユ25 1・2 キロ58形・キユ25形は、全車が新造時より長大編成対応であったため基本番台からの区分であり、0・800番台車についても(昭和40年)から(昭和46年)にかけて全車が同仕様に改造された。 そのほか車体面では客用扉下部に明り取り用小窓を新設、1965年(昭和40年)度増備車からキハ2形式は出入台に通風器増設、1966年(昭和41年)度後半増備車からはトイレの窓を小型化・長方形化する設計変更を実施した。 1等車は冷房化の過渡期に製造されたため以下に示す形態にわかれる。 キロ28形 101 - 108• 非冷房車。 車体構造が強制通風換気方式 に対応していないため冷房化に際して屋根上に押込式通風器6基を新設。 109・110• 冷房試作車。 AU12形 を搭載し、換気は強制通風方式としたため屋根上通風器が廃止されたが、冷房装置脇にトランジスタ蛍光灯冷却用小形通風孔が設置された。 111 - 138・145・146・153・154• 冷房準備工事車。 屋根高さは、111 - 138が当初AU12形取付を想定していたため従来車両と同じであるが、145・146・153・154はAU13形取付へ変更した準備工事施工となり、後述する新製冷房車と同じとなった。 139 - 144・147 - 152・155 - 204• 新製時からの冷房車で自車給電用として冷房用発電装置を搭載して落成。 なお冷房関係の改造工事は以下を参照。 102・103・107・112・122・125・126・128・130・137・139・140・147 - 152・158 - 163・166・167・171・173 - 175・177・182 - 184・186 - 197・201・203・204 キロ58形 山岳部に連続急勾配区間を擁し、都市部ではの高速高密度ダイヤで運行する中央東線急行「アルプス」運用では、速度低下対策として編成中の2エンジン搭載車の比率向上が求められたことから、1等車もDMH17Hエンジン2基搭載とした本形式が1963年に8両製造された。 形態的には同時期製造のキロ28 101 - 108をベースにした2エンジン車となる。 非冷房で落成したが、1968年度までに急行冷房化の進展でキロ28同様AU13形を搭載する改造が施工された。 しかし、2エンジン車のため4DQ冷房用発電装置の搭載は不可能なことから冷房装置を稼動させるために4VK冷房用発電装置を搭載するキハ28・キロ28の2000番台車もしくはキハ65との編成組成が必要である。 で「アルプス」運用からの撤退と中央西線の運用が名古屋鉄道管理局に移管されたことから、1 - 4が名古屋機関区(現・)、5 - 8が美濃太田機関区(現・)に転属となり、・・の急行列車で運用された。 1978年に6 - 8の3両が常磐線荷物列車用のキニ58に改造されたが、1 - 5は1979年に廃車となり形式消滅した。 末期増備車グループ [ ] キハ28 3001 冷房改造施工車 からまでに製造されたグループで、走行性能に変化はないが車体のマイナーチェンジなどの以下の改良が行われた。 普通車は後の冷房化を考慮し、AU13形分散式冷房装置7基をボルトオンで簡単に搭載できる冷房準備工事を施工。 このため屋根形状が従来よりフラットで高さも長大編成対応グループのうち新製冷房車となったキロ28 139 -同様に低下。 また、冷房時には窓やベンチレーターが締め切りになるために客室の換気対策として強制換気方式を採用し吸気口を客室端部裾に設置。 キハ28形は4VK冷房用発電装置搭載準備工事も併せて施工し、車体窓柱部または窓下部に吸気口を設置。 キロ28形は暖地向け・寒地向けを問わず全車新製時からの冷房車で装置脇にあったトランジスタ蛍光灯冷却用小形通風孔を廃止した。 301 - 308・501 - 507は4VK冷房用発電装置搭載準備工事を施工した上で4DQ発電装置搭載で落成。 このうち暖地向けの301 - 308は - に4VK発電装置換装工事を施工し2301 - 2308に改番。 2309 - 2314・2508 - 2518は最終増備車で新製時より4VK発電装置搭載済みとし、車体断面形状をキハ65形に合わせたものに変更し雨樋位置を低下させたほか、本系列では唯一トイレを車端部デッキ外に設置する設計変更を実施した。 運転台前面窓をパノラミックウインドウに変更。 運転台下部に排障器(スカート)を採用。 落成時から全車両に外ハメ式のを採用。 この結果、前面の印象はから増備されていた近郊形気動車のに追随する形になったため従来形に比べて大きく変わった。 しかし、DMH17系エンジンを核とした構成の陳腐化や電化の進展による電車特急列車の増発で気動車急行列車の減少が予測されたことから、同時期に製造された他の気動車同様に新製数は少なく抑えられた。 また、帝國車輛工業 と東急車輛製造は製造を担当していない。 本グループからは暖地向け車両と本州内寒地向け車両が分けられるようになり、以下の番号区分が行われた。 暖地向け• キハ58 1101 - 1143• キハ28 1001 - 1024• キロ28 301 - 308・2309 - 2314• キユ25 3・4 寒地向け• キハ58 1501 - 1534• キハ28 501 - 504・1505 - 1510• キロ28 501 - 507・2508 - 2518 キユ25形 [ ] キユ25 4 の。 気動車としては唯一の全室郵便車で製造はすべて新潟鐵工所。 車体構造的には1964年製の1・2は長大編成対応車、1971年製の3・4はモデルチェンジ車に相当する。 車内は運転台に続き小包締切郵袋室、中央に休憩室・郵便区分室、後位に通常締切郵袋室およびトイレを設置する。 また1960年代以降の全室郵便車のうち新製車については、郵政職員の労働作業環境改善のため冷房装置付で製造されるようになったため本形式も新製時から1・2はAU13形、3・4はAU13A形分散式冷房装置4基と自車給電用4DQ発電装置を搭載するほか、長大編成対応車グループに属する1・2も屋根高さが末期増備グループに属する3・4相当に低いのが特徴。 また冷房電源の他車供給・受電が生じないことから、冷房装置制御用KE53形・電源供給用KE8形ジャンパ連結器は未装備である。 全車がに配置され四国地区で運用されたが、鉄道郵便業務の廃止に伴い1986年6月6日に全車廃車された。 製造年・製造会社別一覧 [ ] 製造 年度 形式 1961 キハ 28 14 - 29 1 - 13 51 - 54 キハ 58 1 - 10 31 - 42 54 - 70 91 - 99 11 - 30 71 - 80 43 - 53 キロ 28 1 - 43 1962 キハ 28 76 - 78 30 - 50 79 - 103 122 - 130 55 - 75 104 - 121 131 - 156 801 - 804 キハ 58 120 - 123 148 - 157 174 - 189 207 - 209 236 - 256 100 - 119 158 - 173 81 - 90 124 - 147 190 - 206 211 - 235 801 - 808 キロ 28 44 - 79 1963 キハ 28 197 - 203 190 - 196 157 - 189 301 - 328 805 - 813 キハ 58 254・255 271 - 292 407 - 422 445 - 449 256 - 270 300 - 307 438 - 440 466 - 473 293 - 300 308 - 312 401 - 406 441 - 444 450 - 458 809 - 819 423 - 437 459 - 465 キロ 28 80 - 85 101 - 127 キロ 58 1 - 8 1964 キハ 28 361 - 372 353 - 356 329 - 352 357 - 360 373 - 385 キハ 58 488 - 509 522 - 536 549 - 551 555 - 568 510 - 521 537 - 548 552 - 554 585 - 587 474 - 487 569 - 579 キロ 28 128 - 149 キユ 25 1・2 1965 キハ 28 399 - 405 386 - 390 415 - 431 391 - 397 406 - 414 キハ 58 594 - 604 611 - 638 655 - 674 588・589 611 - 613 639 - 654 675 - 683 590 - 593 690 - 709 580 - 584 605 - 610 キロ 28 150 - 177 1966 キハ 28 454 - 467 432 - 453 468 - 491 キハ 58 734 - 740 761 - 777 1008 - 1014 684 - 689 741 - 750 1001 1015 - 1018 710 - 718 729 - 731 751 - 760 778 - 799 1000 1002 - 1007 719 - 728 732・733 キロ 28 178 - 204 1967 キハ 28 492 - 494 キハ 58 1019 - 1021 1035 - 1047 1022 - 1027 1048 - 1052 1028 - 1034 1968 キハ 28 501 - 505 1001 - 1024 1505 - 1510 キハ 58 1101 - 1115 1132 - 1136 1516 - 1534 1116 - 1131 1137 1512 - 1515 1501 - 1511 キロ 28 301 - 308 501 - 507 1969 キハ 58 1138 -1143 キロ 28 2309 - 2311 2508 - 2513 2312 2514 - 2518 2313・2314 1971 キユ 25 3・4 改造・更新 [ ] 本系列の改造工事には多種多様なものがあるが、この項では国鉄時代・JR化後各社で行われた大きな改造・更新工事について解説を行う。 国鉄時代 [ ] 冷房化 [ ] 国鉄の列車冷房は前半までや一部の(ビュフェを含む)などの優等車両に限って装備されていたが、では1等車が(昭和38年)から、2等車が(昭和43年)から順次冷房化が実施された。 本系列では、1963・1964年に九州地区に配置されていたキロ28 26・53・54・62・65の5両に小倉工場(現・)で45 PSの・用直列4気筒ディーゼルエンジンにより直接を駆動する方式のBAU102形冷房装置を床下に搭載する改造を施工し試験を行った。 本方式は改造コストが低いものの後にが多発するなどの諸問題が発生したため不採用となり 、試験対象車両は1968年(昭和43年)に全車AU13形への取替えと4DQ電源装置搭載改造が施工された。 この結果、キロ28・58形の冷房改造は・形電車などと同様に電源によるを屋根上搭載する方式を採用した。 このため大容量交流電源が必要となるが、気動車の走行用エンジンに付属する()は、機関始動・制御・保安・照明・などの電力量を確保する程度しか考慮されておらず、エンジン性能的にも大容量・高負荷の発電機を駆動する余力はない。 キロ26・27・28の非冷房車・冷房準備車は順次改造で、新製車は当初から、冷房装置と小型軽量の製ディーゼルエンジンとDM72形発電機をセットで搭載し、自車1両分の冷房電源を確保した。 ただしキロ58形では冷房装置のみ搭載で発電装置の搭載は見送られた(詳細は後述)。 2等車では、本格冷房化改造を前にした1968年(昭和43年)に以下の簡易冷房化が山陰・四国地区配置のキハ58形で実施された。 通常20 m級車1両あたり5 - 6基、21 m車の本系列では7基の搭載を標準とするAU13形3基搭載とする。 電源はキロ28形の4DQ発電装置から給電されたが、電源容量が不足するため、キロ28形ではAU13形6基中2基を使用停止とした。 キハ58形簡易冷房改造施工車一覧 キハ58車両番号 施工工場 備考 540・637 667・669 後藤工場 (現・) 637は試験終了後の通常冷房化改造未施工 非冷房 に戻され1992年に廃車 221・279・576 577・776・777 キハ28 2346 ジャンパ連結器 A:制御回路用KE53形栓受2基 B:冷房電源供給用KE8形栓受 C:冷房制御用KE53形栓受 D:冷房制御用KE53形 E:冷房電源供給用KE8形 上述方式は実用に至らず、バス用小型も検討されたが、(昭和44年)から実施された冷房化工事では1等車同様の方式となったが、以下の対応策が採られた。 4DQ発電装置では自車にしか給電できない上に、走行用エンジン2基搭載のキハ58・キロ58形では床下艤装に余裕がなく、4DQ発電装置の搭載ができない。 このため最大3両分の供給が可能な4VK冷房用発電装置が開発され、本系列では走行用エンジン1基搭載のキハ28・キロ28に搭載する方針が採られた(詳細は後述)。 従来から冷房化されていたキロ28を含めた冷房車には冷房装置制御用のKE53形と電源供給用のKE8形ジャンパ連結器が増設された。 北海道用のキハ56・27には冷房化は施工されず、(JR北海道)への承継後にジョイフルトレイン化されたグループと、ごく一部が冷房化された程度である。 またキハ58・28形への冷房化改造工事は全車に行き渡らず、非冷房のまま廃車となった車両も東北地方を中心に多数存在する。 キハ58形冷房化改造未施工車• 1・4・7・11・15・17・18・22・28・29・37・38・49・65・67・87・97 - 100・105・107・108・112・115・127・156 - 160・175・201・205・206・217・225・226・242・256・258・270 - 273・278 - 285・294・413・416 - 419・432・434 - 436・440 - 442・452 - 454・458 - 462・466・469・471・475・480・481・483 - 500・507・509・511 - 513・515・519 - 521・524 - 536・543 - 552・561・565 - 568・580 - 584・588・590・603・604・611・612・615・617・618・620・621・627・629 - 637・643・651・681・692 - 695・699・704・707 - 709・711・712・732・735・736・739 - 743・745 - 758・760 - 763・766・778 - 782・789・790・798・801 - 819・1000・1002・1011・1040・1124・1130・1501・1503・1504・1506 - 1516・1518 - 1526・1528 - 1531・1533・1534 キハ28形冷房化改造未施工車• 2000番台改造未施工車一覧を参照。 2000番台(4VK冷房用発電装置搭載車) [ ] 上述の状況から、新たに自車を含めて3両分の冷房電源の供給が可能となる 4VK冷房用発電装置が開発された。 機関 - 製4VK形ディーゼルエンジン(連続定格90 PS)• 発電機 - DM83形発電機(2極)• 発電能力 - 400 ・50 ・70 4VKエンジンはダイハツのトラック用4気筒ディーゼルエンジンを元にV型配置へ気筒倍増して開発されたものであったが、国鉄のユニットクーラーに本来求められる60 Hz電源を発電するには出力・許容回転数がやや不足しており、実効発電能力でやや劣る50 Hz発電機として運用せざるを得なかった。 このため、急行形気動車では冷房の実効性能がカタログスペックよりやや低下した。 また稼動中は常時、甲高くけたたましい騒音を発するなど、いくつかの欠点を伴ったが、結局後年まで急行形気動車の冷房用標準エンジンとなった。 ただし、以下の例外がある。 キハ28 1505 - 1510:中央本線用のキロ58が2エンジン車で4DQ発電装置を搭載することができないことから、新造時から4VK発電装置が搭載された。 (昭和46年)に自車も冷房化されたため2505 - 2510に改番。 キハ28 5200番台:キロ28 2000番台格下げ改造車もしくはキハ28形5000番台に4VK発電装置を改造搭載した区分。 搭載施工車は以下を参照。 キロ28形の搭載車は各(・・)を参照。 キハ28形は搭載車が圧倒的主流となったため搭載工事が施工されなかった車両を示す。 なお、 この書体は冷房化改造工事も未施工の車両である。 17・23・24・ 34・38・52・54・57・62・ 64 - 66・71・72・75・ 82・83・ 84・ 108・ 116・ 117・ 122・ 123・ 150・ 154・ 156・ 173・ 178 - 182・189・ 190 - 192・194・307・332・334 - 339・347・348・354・357・358・361・368・369・373 - 376・378・388・390・399・400・402 - 405・415・416・421 - 425・428・439・440・451・454・455・468 - 474・494・501 - 504・801 - 813 改造による問題点 [ ] 4VK電源装置の開発で本系列の冷房化は一定の進展をみたが問題点も残った。 全車両を冷房化するには3両に1両の割合で4VK電源装置を搭載する1エンジン車を連結する必要があるが、車両側に冷房装置が搭載されていても編成組成によっては冷房装置を稼動できない場合もある。 編成A キハ58 冷房車(A) キロ28 2000番台 キハ58 非冷房車 キハ58 冷房車(B) 4VK(A)から給電 4VK(A)• 編成Aでは4両中3両が冷房車なので冷房電源の容量は確保できるが、中間に挟まれた非冷房車には冷房装置制御ならびに電源供給用のジャンパ連結器が装備されていないためキハ58冷房車(B)の冷房は稼動不可となる。 上述編成Aに4VK発電装置搭載車を2両組込んだ全車冷房編成B(5両編成)を併結した場合、1両分の冷房電源給電と制御が編成Bからできるため編成Aのキハ58冷房車(B)の冷房稼動が可能となる。 つまり、編成の向きに関わらず4VK発電装置搭載車を含めた連続する冷房車3両まででひとつの電源ユニットを構成する。 編成C キハ58 冷房車(A) キロ28 キハ58 冷房車(B) キハ65 冷房車 4VK(A)から給電 4DQ自車給電 4VK(A)から給電 4DQ 4VK(A)• ただしキロ28形自車給電用4DQ搭載車は、普通車の冷房改造進展に伴い制御用ならびに冷房電源供給用ジャンパ連結器が追加されたため上述編成Cのように同車を編成中間に組成しても飛び越しての冷房制御ならびに給電が可能となる。 発電セット搭載と編成出力の確保は常にとならざるを得ないため、冷房化後の本系列急行列車には、前身となったキハ55系準急列車に比し編成内の2エンジン車比率が下がり、速度低下を余儀なくされる例までも生じた。 本系列に搭載されていたDMH17H形ディーゼル機関は、信頼性・耐久性・静粛性の面では一応の水準に達していたが、その基本はにさかのぼる旧式設計のため、出力は180 PSと重量に対して非力であり、2基搭載しても性能は電車に及ばない。 問題の根本的解決に新開発のDML30HS系500 PS級エンジンと4VK電源装置を搭載するが開発・製造された。 しかし、キハ65形と4VK発電装置を搭載するキロ28形の最終増備車は新製両数が少なく、以西の幹線およびローカル線への投入が優先されたこともあり、気動車急行列車の冷房化と慢性的な出力不足問題は完全に解決したとは言いがたい。 普通列車用も含めて多くの車両が冷房化された以降でも、急勾配路線での運用では以下の理由で冷房化できない事情も介在した。 一例として盛岡車両センター所属のキハ58は、ジョイフルトレイン「Kenji」とキヤ28 1とユニットを組むキハ58 75を除き非冷房車のみの配置とされた。 これは運用区間に含まれるがかつ - 間に最大33. 3 の急勾配区間が存在するためで、この条件での2両編成は1両を1エンジン車としても出力不足と駆動軸数不足で登坂時にをきたしかねないため、2エンジン車のみで編成せざるを得ず、冷房電源確保ができないばかりかにしかならない冷房装置を搭載して運用する意義も乏しく、非冷房車が長期にわたって残存する結果となった。 キロハ28形 [ ] キロ28形を半室普通車化改造した形式であるが、国鉄時代に改造された0番台と分割民営化後にJR西日本が改造した100番台が存在した。 0番台 [ ] で、高松 - 徳島間の急行列車「」にグリーン車の連結が計画されたが、需要的に全室グリーン車では供給過多と判断されたためにで半室普通座席化改造した合造車である。 客室内中央部に仕切引戸と壁を新設し後位側を普通席に改造。 普通席シートピッチは他の普通車の1,470 mmから1,667 mmに拡大。 窓配置と座席間隔は一致しない。 定員はグリーン席24・普通席40名である。 前位側車掌室・グリーン客室・後位側トイレ洗面所・冷房装置・4DQ電源装置は種車からそのままで改造未施工。 1形式1両のみがに配置され、1977年には徳島気動車区(現・)に転属。 1980年にキハ28 5301に格下げされて形式消滅し、1984年に廃車となった。 客室内中央部に仕切引戸と壁を新設し、後位側を普通席(ボックスシート)に変更した。 仕切設置に伴い普通席の前位寄り1枚目の窓を小型・固定化。 普通席のシートピッチは1,605 mm。 窓配置と座席間隔は一致しない。 また座席は廃車発生品が使用されたが、グリーン座席は改良が加えられたセミバケットタイプに交換。 定員はグリーン席28・普通席40名。 後に「砂丘」用キハ58形7200番台の改造(後述)と同時期に、普通車座席もグリーン車用回転リクライニングシートへの交換と塗装変更などの改造が施工され、普通席の定員は28名に減少した。 種車がキロ28形2000番台のため4VK電源装置を搭載。 西鳥取車両支部に配置されたが、1997年11月の「砂丘」廃止により101・102が1998年に廃車。 103・104は気動車センター(現・)に転属、岡山-津山間急行「つやま」に転用されたが、老朽化のため2004年に廃車となった。 キロ28形・サロ481形などの廃車発生品のリクライニングシートに交換。 シートピッチはグリーン車並みの1,150 mmのため定員は52名となった。 窓配置とシートピッチは一致しない。 分割民営化時には全車JR九州に承継。 5001・5004は1989年にエンジン換装を施工。 急行「由布」「火の山」の特急格上げにともない5001・5004を除き「」化改造が施工されたが、老朽化のため2002年までに全車廃車となった。 番号を変更することなく5000番台と同様の改造を実施された車両も存在するほか、5001・5002はJR東海との番号重複車である。 改番手続きによる格下げ諸手続。 通路のカーペットと肘掛カバーを撤去し、シートカバーをリネンからビニールに変更。 後に冷房用電源装置の相違や後に九州地区でも同様の改造が施工されたため細かい番台区分が存在する。 キハ28 5301 1984年 5000番台 4DQ電源装置搭載車。 1980年から1982年にかけて6両が4VK電源装置に換装し後述の5200番台に改番された。 残存車は1986年に全車廃車となった。 車両番号により4つのグループにわけられる。 5201 - 5203• 5000番台と同時改造の四国地区用車。 5000番台の4DQ電源装置を4VKに換装したグループ。 1984年から1985年にかけて他地域から四国地区転入のキロ28形2000番台を本区分番台化したグループ。 小倉工場が改造施工を行った九州地区用車。 5300番台 からの格下げ車。 グリーン室は5000・5200番台と同様に改造され普通車指定席として使用し、普通室は自由席として運用された。 1984年に廃車。 急行「能登路」ロマンスカー(キハ28 2049) [ ] ロマンスカーマーク 1980年当時、七尾機関区(現・)に所属し七尾線の急行「能登路」で運用されていたキハ28 2049に施工した改造。 床に絨毯を敷き、座席を同様の転換クロスシートに交換したため定員を44名に変更。 運転中に車内で観光案内ビデオの放映を行うため、ビデオ再生装置の搭載と客室の前後に50インチビデオスクリーンならびに側壁面にサイドスピーカー24個を搭載。 客室後位寄りの窓1枚を小型化し、戸袋窓脇にシンボルマークを記載。 AU13形冷房装置を1台撤去して6台とした。 これは、沿線地域の観光振興のために試験的に改造したものであり、同年7月12日より多客期のみ1往復の名称で普通車で運用された。 しかし、利用客が延びずに1982年には運用を終了。 ビデオ再生装置の撤去と車内の復元が行われた。 なお同車は、1987年にゴールデンエクスプレスアストルの中間増結車キロ29 552に改造された。 長崎地区向けお座敷改造車 [ ] 1985年に、当時に所属していたキハ28 2006・ 2114の2両へ以下の改造を施工した。 床に絨毯を敷きカラオケ・麻雀用のテーブルを設置。 側面窓に白い障子を設置。 先頭にオリジナルヘッドマーク「ばってんNAGASAKI」を取付。 1985年5月26日に営業運転開始。 運行時は中間にキハ58形を連結して小口団体列車に充当されたが、1986年12月に2両とも廃車となった。 キニ28形・キユニ28形 [ ] キユニ28形 一般色塗装 1978年 老朽化が著しくなっていた改造の・の代替として、余剰になったキロ28形の台枠ならびに走行装置を流用しと同タイプの新製車体へ換装を施工した改造車である。 全室荷物車が キニ28形で郵便荷物車が キユニ28形である。 改造は、1978年から・多度津・・郡山・の各工場で施工されたが、郡山・高砂はキユニ28形のみ担当。 キニ28形は運転台後位に荷物棚・貴重品箱を備える荷重12 の荷物室を設置、後位寄車端部に荷扱車掌室・トイレ・洗面所を設置。 キユニ28形は前位側が荷重6 tの郵便室、後位側が荷重6 t荷物室とし、後位側面にトイレ・洗面所を後位妻面に設置する。 塗装は初期落成車のキユニ28 1 - 6がクリーム色4号と朱色4号の一般色とされたが、この6両以外は1978年10月の「車両塗色および表記基準規定」改正に伴いの首都圏色へ変更。 北海道を除く全国各地に配置されたが、改造施工から10年にも満たない1986年に鉄道による郵便・荷物輸送業務が廃止となったため翌年までに全車 となり、JRグループに承継された車両は1両もない。 2エンジン車のため床下にスペースがなく、水タンクを後位側妻面室内に設置した点がキニ28形と異なる。 1・2が名古屋工場、3が幡生工場で1978年に改造施工し水戸機関区に集中配置。 の荷物列車で運用された。 本形式は同区に配置されていたキニ55形の老朽化置換え名目であるが、電化路線で列車密度の高い常磐線の運用では、DMH17系機関1基搭載では出力不足による加速力不足が問題となることから2基搭載車が要求された。 荷物輸送業務廃止により1987年2月までに全車が廃車となった。 改造は、車体の後位を切断して廃車の運転台を接合する方式で施行され、外観は富士急行から有田鉄道に譲渡されたキハ58003に似ているが、窓配置に違いがある。 形式は、すでにに存在していたとされ、既存車との重複を避けるため新区分番台が起こされた。 同趣旨の改造としては、を改造したキハ53 500番台があるが、こちらについてはを参照されたい。 200番台 [ ] キハ53 1002 2003年 1987年から1988年にかけて、松任工場(現・)で3両のキハ58形冷房改造車を両運転台化したもの。 トイレは設置されていない。 屋根上に冷房装置は搭載しているが冷房用電源を搭載していないので、単独では冷房を使用することができない。 冷房装置を除けば有田鉄道キハ58003に最も外観の近い車両である。 普通列車の増結用として七尾運転区(現・)に配置され、1990年の同線電化後はに転出しで運用された。 1996年には高山本線の置換えに伴いへ転出しなどで運用されたが、2005年に全車廃車となり区分消滅。 塗装を上述した団体専用車用に施工した白地に朱色S字形ラインへ変更。 座席・テーブルをキハ58は新幹線0系電車用転換クロスシートへ、キハ28はキハ181系用回転クロスシートへ交換。 定員を60名とした。 内容的には団体専用車からカラオケ設備ならびに給水器を省略した内容であるが、本改造は定期急行列車での運用を前提とする。 JR化後の主な改造 [ ] JR化後には、各社で運用や投入線区に特化した改造・更新などが施工された。 JR東日本 [ ] 車体更新工事や特別保全工事による延命のほかに運用線区での実態に合わせて多くの車両が化されたが、では車両番号を改番しない大きな改造に以下の事例が存在する。 通常の更新工事とは別に座席をへ交換したほか、側面の行先表示に電動式を搭載するなどの施工を行った。 訓練車化改造 [ ] 一方で改造による改番を行った事例としてに乗務員を対象とした定期的に行う異常時取り扱いや応急処置等の教育訓練用として施工された本改造が存在する。 電車では余剰になった・・・・などへ施工したが、気動車では土崎工場で本系列の所属車へ一部座席撤去・備品収納用ロッカーならびにテーブルの設置・用とビデオ搭載用ラックの装備など主に車内の改造を施工。 外観上は白線2本と「 訓練車」表記を追加し一般車とは区別された。 改造後も盛岡車両センター所属でキハ58 75と常にユニットを組む形で運用されたが、2008年11月に廃車され形式消滅した。 1991年、快速「みえ」用に3両が以下の改造を施工された。 座席をリクライニングシートに交換。 5100番台はパノラミックウィンドウ車が種車となったための区分である。 登場後は臨時列車や武豊線で運用されたが2001年に廃車となった。 なお、5001・5002はJR九州との番号重複車でもある。 「能登路」や「みよし」などローカル線の急行運用に就く車両はシートの取り替えや塗装変更を行った。 ローカル線に運用する車両は対応工事、セミクロスシート化したものも多い。 改番を伴う改造について以下で解説する。 5500番台 [ ] キハ58 5510 1991 - 1992年にやなどのローカル輸送で、通勤輸送を考慮して化改造されたグループ。 床材張り替え、吊り手増設なども併せて行われた。 改造施工は、鷹取・松任の両工場。 全車に配置されたが、1999年に全車廃車となり廃区分番台となった。 廃車後31両中20両がタイに譲渡されている。 普通車座席をリクライニングシートへ交換。 定員は64名に変更。 電気暖房化。 専用塗装への塗り替え。 1999年12月のダイヤ改正による「たかやま」廃止に伴い全車2000年に廃車となった。 座席を0系新幹線廃車発生品のリクライニングシートへ交換。 トイレ・洗面所をリニューアル。 「砂丘」充当車のみ塗装を白と水色系統へ変更。 本番台区分は該当列車廃止と老朽化のため2005年までに全車廃車となった。 に配置されたが、後にに転属。 2000年に廃車となった。 またキハ58形の一部車両のキハ181系化で発生した回転クロスシートに交換するグレードアップがされ、定員60名に変更となった。 JR九州 [ ] 急行用車両は座席のリクライニングシート化と床板の取り替え、普通列車用車両は客室近郊化工事の施工が行われたが、改番を伴う改造は7000・8000番台に区分された後述するジョイフルトレインのみである。 このほかキハ58形2両が「」用の中間車であるキハ70形2両の改造種車とされた(先頭車のキハ71系はが改造種車)。 後者は翌1990年に増結用で追加改造) ジョイフルトレインへの改造 [ ] 本系列は乗務員や検修員にも扱いに習熟した者が多く、また1980年代までに多くの車両が冷房を搭載していた。 しかも気動車で運用区間や編成長の制約が少なく用に特化させる改造には適した車両であった。 この特性を活かし国鉄末期から本系列改造による団体専用車両が各地で出現し始めた。 サロン風内装やお座敷客室などを備えた本系列改造のが民営化後のJR各社で多数登場し増収策として様々な形態で運行された。 しかし旅行スタイルの変化や景気の悪化に加え、国鉄民営化の1987年時点で最終製造車でも落成後18年が経過していた本系列は、全体の経年が高くなったことやジョイフルトレインへの改造対象車も本系列より経年の新しいキハ40系へ移行したことから、1990年代後半以降は多くの車両が老朽廃車となった。 本系列ではJR東日本の「Kenji」が9月に廃車となり 、2019年現在JRグループに在籍する本系列は存在しない。 なおキサロ59の詳細についてはを参照のこと。 JR東日本 [ ] セイシェル• 増結用中間車で552が老朽化のため554が代替として改造された。 キハ58 305・306 キハ28 2153・2432• 開通に合わせてなどの団体列車用として1988年に改造された。 白地にJR四国のコーポレートカラーであるブルーとグリーンの帯が入ったデザインを採用した。 車内は床材・仕切り扉・壁板・網棚を交換、座席は折りたたみ式の大型テーブルを備えたバケットタイプのクロスシートに更新された。 定員は84名だが、キハ58 306は付きの添乗員室を設置したため76名とされた。 レインボー• キハ58 464・649 キハ28 2490・2491• 前述の「旅立ち」と同時期の1988年改造であるが、こちらは一般団体用気動車としての改造。 白地にJR四国のコーポレートカラーであるブルーとピンクの帯が入ったデザインを採用した。 車内は床材・仕切り扉・壁板・網棚のほか、座席をテーブル付リクライニングシート交換。 各車にディスプレイモニターを含むカラオケ装置とラウンジを設置したため定員は52名に変更された。 また、ディスプレイモニターを設置したために側窓が1箇所埋められた。 旅立ちを含めて計画当初から本州方面への団体・臨時列車運用が考慮されていたため、当時のJR四国に所属する特急形を除いた気動車で唯一本州地区対応の機が搭載された。 キハ58 770• 1999年7月 - 8月にで運転された「サイクル列車」運転用に改造。 側面に自転車のイラストを描き、車内は座席を撤去して自転車固定用金具を設置。 乗客は併結したキハ32形に乗車した。 JR九州 [ ] らくだ号• らくだ号初代編成から1987年に再改造。 サウンドエクスプレスひのくに• キハ58 700・701・キハ28 2485・(キハ65 61)• 1986年に改造。 1994年に一般車へ再改造された。 キハ58 190は、らくだ号からの再改造。 しらぬい• キハ58 190は、ジョイフルトレイン大分からの再々改造。 キハ28 2436は、ゆ~とぴあからの再々改造。 その後はキハ65 36と共に国鉄色へ復元し車両の検査期限切れとなる2010年8月まで主に「復活! 急行列車シリーズ」などで運用され 、8月29日の復活急行「ひかりファイナル」を最後に運用離脱。 運用離脱後は2010年10月23日に大分車両センターで開催された「トレインフェスタ」を皮切りに展示が続いたが、2013年6月2日に大分車両センターで実施された撮影会 を最後に同月5日小倉総合車両センターへ回送され、2015年3月16日に解体された。 2019年1月に廃車された。 運用 [ ] 優等列車への投入 [ ] 1961年4月にキハ56系がの「」で、7月にはキハ57系が信越本線の「」で、そして10月にはキハ58系が・大糸線の「」で、それぞれ急行列車として営業運転を開始した。 以後、キハ56系・キハ58系は毎年100 - 200両単位での大量増備が続けられ、日本各地の非電化区間の急行列車に多数投入された。 夏期に客対応のため特別ダイヤが組まれる房総地区や繁忙期となる北海道地区では、増結や臨時列車が大量増発されるため、他地域からの借受車のほかに新製や転入による正式所属車が多いのも本系列の特徴である。 これらの車両の多くは夏期の2 - 3か月のみ該当地区の所属でシーズン終了後に他地域へ転出している。 新製が打ち切られた以降は幹線電化の著しい進展に伴い急行列車の電車化、さらにはへの格上げが進められた結果、気動車急行列車は徐々にその運用域を狭めた。 本系列はから速度や普通車でも非冷房車があるなど設備水準が改善されておらず、時代の潮流に取り残されつつある存在であった。 は1970年代中期に余剰車が出始め、1975年3月10日のダイヤ改正で最初の廃車が発生した。 一部は荷物車や郵便荷物合造車へと改造されたほか、四国地区では1980年10月1日のダイヤ改正で普通車指定席車両への格下げが実施された。 分割民営化時にキロ28はJR東海に7両、JR西日本に14両の計21両が承継されたが、20両が4VK冷房電源装置搭載の末期製造車となる2300・2500番台で、長大編成対応の100番台からは2162のみ。 0番台は国鉄時代に全車が廃車もしくは他形式に改造されている。 しかしその一方で、に至っても複雑な分割・併合を行う もまだ多数存在しており、本系列による急行列車は最盛期より減少するも運転は行われた。 金沢 - 青森間「」・上野 - 秋田間経由「」・名古屋 - 新潟間・・信越本線経由「」など車両需給や運用の関係から全線電化区間を走る列車も残存していた。 の・新幹線開業に伴うでは、本系列が多数投入されていた東北・上信越方面の急行列車が、減便・特急格上げ・廃止などの整理対象となった。 「みよし」最終列車 では九州地区でもグリーン車の廃止が実施されたほか、引き続き多くの急行列車が特急列車への格上げもしくは快速列車への格下げとされたため以前に比較しても大量の余剰車が発生し、以下の傾向が見られた。 後述する普通列車運用へ転用。 ジョイフルトレインの改造種車。 引き続き急行・快速運用に投入される車両は座席を転換クロスシートや回転クロスシート・リクライニングシートに換装するアコモ改良を施工。 これらとは別に1985年3月17日 - 9月16日に開催されたの会場へのアクセスのために臨時快速「」がで運転されたが、この列車には開催3日前のダイヤ改正で廃止となった急行に充当されていた水戸機関区所属の本系列余剰車も投入された。 その後は、から初頭にかけて全国でほとんどの気動車急行列車は廃止または特急への格上げで消滅した。 本系列を用いた最後の定期急行列車はJR西日本の「」であったが、で廃止された。 普通列車などへの転用 [ ] キハ58 216 出入口付近ロングシート改造車内 急行形としては年々余剰となったが、1980年時点では初期形でもまだ車齢20年足らずであり、十分な耐用年数を残していた。 それ以前から非冷房車を中心に一部が普通列車で運用されていたが、1980年代以降は冷房車も多数転用され、非冷房で老朽化した・キハ55系の取替えに使用された。 当時は老朽化したキハ10系の代替車として増備されたは機関出力と変速機設定の相性・車重問題で勾配線区に適しておらず、対して本系列は2エンジン車主力で勾配線区へ投入しやすい上、特に中部地方以西では急行用で冷房搭載車も多くそれなりの設備水準を維持していたという事情もありローカルの冷房化にも大きく貢献した。 普通列車で運用することを前提に運用路線に特化させた以下の改造が施工された車両も登場した。 出入口付近のクロスシートをロングシートに変更• さらにデッキと車室の仕切りや・洗面所設備の撤去• 分割民営化後の対応車 等 国鉄分割・民営化後の運用 [ ] この節のが望まれています。 1987年4月の国鉄分割民営化時に本系列(キハ56系・57系を除く)は、旅客JR5社に計1,098両が承継された。 :323両• :103両• :353両• :131両• :188両 民営化後は国鉄時代に引き続き急行列車や普通列車で運用されたほか、ジョイフルトレインへの改造も数多く施工された。 しかし、老朽化による置換え・急行列車廃止・ローカル線のによる運用終了などにより、1990年代からは廃車が進行した。 要因のひとつにに表面化し多方面で問題になった(アスベスト)の発ガン性問題がある。 日本ではかつて多数の工業製品に使用され、古い鉄道車両でも内装や走行機器に多くの使用例があった。 このため鉄道業界でも乗客・乗務員・検修員への悪影響が取り沙汰された。 本系列でもこの問題は例外ではなく、車体内装・エンジンガスケットなどで使用されており、アスベスト飛散防止工事の施工も老朽化の点からほとんど実施されなかった。 2011年3月11日、JR西日本富山地域鉄道部富山運転センター所属車による - 間での本系列最後の定期運用が終了した。 2019年4月1日現在で保留車1両のみが車籍を有する。 JR東日本 [ ] キハ58 677 新潟支社色 配置・使用線区でそれぞれ専用塗装を施工し、東北・信越地区でのローカル輸送を中心に運用された。 ・・などへの置換え、あるいは新車投入による玉突き転配で廃車が進行。 で新津運輸区所属車3両による最後の定期運用が終了。 2019年4月現在、盛岡所属のまま保留車で秋田総合車両センターに留置中のキハ58 75がJR全社で唯一車籍を有する。 なお、末期まで本系列が所属した車両基地について以下で解説を行う。 盛岡車両センター(盛モリ) 2007年11月24日にキハ110系の導入によりでの定期運用を終了。 キハ58 1504・1514・1528が同区のと共にへ譲渡された。 残りの車両は構内に留置。 2008年3月までに全車秋田総合車両センターへ回送・解体された。 その後はジョイフルトレイン「Kenji」のみが運用を続けていたが2018年9月8日の団体列車をもって運用を終了、同時に同区のみならずJR各社が保有する同系列全ての運用が終了した。 同編成は団体・臨時列車に投入されたが、検査期限が切れる直前の2008年12月23日に東北本線・石巻線・気仙沼線を経由したさよなら運転を実施。 2009年1月13日に郡山総合車両センターに廃車回送・解体された。 ジョイフルトレインは「こがね」が配置されていたが、老朽化により2010年12月26日で運用離脱し、海外へ輸出された。 ジョイフルトレインは「」が2009年11月に運用が終了。 その後は保留車としてキハ28 2346のみが在籍していたが、への譲渡が決定し、2012年7月24日付で廃車され、同年10月9日に金沢総合車両所からへ向けて搬出された( 詳細は)。 かつて在籍した車両と塗装• キハ58 293 リバイバル復元されたヒゲ塗装 ローカル列車主体に運用されていたが、-間の電化や後継車両である・の導入やや導入による急行列車の特急格上げによって少しずつ数を減らし、2008年3月15日ダイヤ改正で予讃線高松口の運用が終了。 最後に残っていた予讃線松山以南運用も同年10月15日で終了となり、本系列・キハ65形の定期運転をすべて終了した。 同時に四国地区でから頃まで採用された電子音警笛付き車判別の「ヒゲ付塗装」を復元。 同年12月12日にはJR四国色の2両が高松運転所で行われた総合事故対策訓練に使用された。 2009年3月31日付でこれらを含めた全車両が廃車となった。 JR九州 [ ] シーガイア色 非電化区間を中心に九州の各路線で使用されていたが、2007年ダイヤ改正で鹿児島総合車両所(現・)所属車による定期運用が終了した。 2018年4月1日時点では以下の2両が車籍を有していた。 蒸気機関車の休車に伴い運行を終了した「」の後継「あそ1962 」として、2006年7月22日から2010年12月26日にかけて運用されたが、「あそ1962」での運用終了後も団体列車や臨時列車などで運用された。 その後は保留車として熊本車両センターにて保管されていたが、2018年3月下旬に小倉総合車両センターへ回送された。 2019年1月16日付でキハ28 2401が、同月23日付でキハ58 139が、それぞれ廃車された。 なお、この2両はJRグループ全体でも原型車体でDMH17Hエンジンを搭載した車籍を有する本系列最後の2両であった。 富士急行のキハ58 [ ] キハ58003 2002年 からからの急行「アルプス」に併結してまで乗り入れる急行「」が運転を開始したが、富士急行線内および中央本線新宿-大月間は全線直流であるものの、併結する急行「アルプス」が区間 からの運転で必然的に気動車となることから、独自の併結用車両が必要となり、1961年12月にで製造されたのがキハ58001・58002である。 1963年には予備車としてキハ58003が製造された。 中央本線・富士急行線は急勾配路線であるため2基エンジン搭載のキハ58形とされたが、以下の点でと異なる。 車両番号は国鉄と同様な5桁数字とした。 通常はキハ58001・キハ58002の2両で編成を組成 するため両車は国鉄向け仕様と同一の片運転台車である。 一方キハ58003は予備車ということから編成のどちら側にでも組成できる観点から両運転台車として製造。 片運転台車と定員を合わせるためトイレ・洗面所を廃止。 客室窓はそのままのサイズで後位側運転台側戸袋窓の広幅・大型化と客用扉の幅を縮小した。 3月の「アルプス」全列車電車化により運用目的を失い、同年4月24日付けで廃車。 その後58001・58002はトイレ・洗面所を撤去した上で3両とも同年7月にに譲渡され、1976年5月から運用を開始。 同社のを置換えた。 は全線で平坦な線形であることとランニングコスト低減の観点から、1980年に国鉄で全車が搭載エンジン1基化工事が施工された。 また利用客の減少が続いたため単行運転が可能な両運転台型の58003が充当されることが多く、1994年6月にから譲渡されたの運用開始に伴い58001・58002は同年11月に廃車。 58003は予備車として2002年の同鉄道廃止まで在籍した。 :4両(後述)• :キハ58 136• :キハ28 2346(後述) 日本国外へは・・に例がある。 北近畿タンゴ鉄道KTR1000形・KTR2000形 [ ] 1989年度に「」の補完特急に投入する目的で本系列4両が譲渡された。 形式 KTR1000形(1001・1002) KTR2000形(2001・2002)• KTR1000形が元キハ28形、KTR2000形が元キハ58形。 形式はエンジン搭載基数にちなむ。 座席を特急形電車の簡易リクライニングシートを改造した回転リクライニングシートに交換。 KTR1000形はトイレと洗面所を撤去し荷物置場に変更。 第2編成(1002・2002)はJR西日本の」に準じた前頭部形状と座席を階段状に並べた展望席を設置。 本形式は「レインボー・リゾート」と命名され、第2編成単独もしくは第1編成(1001・2001)を中間に組み込んだ3・4両編成でJR線内への直通運転も実施された が、に「」の新製と代替で廃車された。 いすみ鉄道キハ28 2346 [ ] いすみ鉄道譲渡後旧国鉄色 8月27日に同社の社長(当時)が自身のブログでJR西日本からの譲渡を発表 、同年10月11日に搬入された。 3月9日から営業運転を開始した。 営業運転時はキハ52 125と編成を組成し側に連結される。 同車は1964年にでキハ28 346として製造され同年4月15日米子機関区(現・)に新製配置。 同年5月24日付で新潟機関区(現・)へ転出、同年7月14日付でへ転出して房総地区での海水浴客輸送に使用され、同年9月17日付で米子機関区へ転出と実質的には貸し渡し的な転出入が行われた。 1972年に冷房改造と同時に4VK発電装置を搭載し2346に改番。 引続き山陰地区で運用された。 に七尾機関区(現・)へ転出し分割民営化時にはJR西日本に継承。 には富山運転所へ、にはへ転出。 2000年に一度小浜へ転出しているが、2003年の小浜線電化と同時に再び高岡へ転出をしている。 その後一度は保留車となるが、2004年にはに貸し出されてでの災害復旧まで投入された。 これ以後はキハ58 1114 と編成を組むようになり高山本線での列車増発実験に伴い2007年に富山へ転出。 高岡色のまま高山本線で運用された。 8月にJR東日本などの鉄道技術者でつくる視察団がサハリン鉄道局を訪問 し、1月にはサハリン鉄道局の視察団が来日してJR東日本ならびにJR西日本の駅・旅行センター・工場などを視察 したことが契機になり、同年10月にサハリン鉄道局とJR東日本が車両無償譲渡契約の調印を交わし、キハ58形29両が市原港から港に輸出された。 現地到着後、からユジノサハリンスク機関区に自力回送され 、部品取り用車を除く17両を整備。 1両が静態保存されている。 タイ [ ] 1997年にキハ58形14両・キハ28形9両・キロ28形3両の計26両が、1999年にキハ58形11両・キハ28形9両の計20両、総計46両が無償譲渡された。 タイ国鉄では1 軌間・ブレーキシステムの変更・出入口へのステップ設置 などの改造を施工し以下の形式名に変更。 現在では運転台とエンジンが完全に撤去され冷房も使用されていない。 これは以下の原因が推定される。 運転台が現地の標準とは逆のため 信号機の認識や通票の受け渡し等において使い勝手が悪い。 元々の車齢が高く老朽化が進んでいた。 編成組成がバラバラで適切な運用ができず冷房の使用停止もこれに起因。 車体が大きくタイ国鉄の車両限界を超えておりトンネルや急曲線通過に際し支障を来した。 後に運転台の撤去と同時にドアの移設など大掛かりなリフレッシュ工事が一部の車両に対して施工された。 2005年頃まではグレーに青と白のグラデーション(妻面は黄一色)に塗装変更し首都圏の客車列車で運用されていたが、現在はほとんどの車両が休車もしくは廃車となった。 ただし一部車両は事業用控車として使用されているほか、老朽化した旧型客車を置換える目的で、車体長を短縮して急曲線通過に対応させる改良工事が施されているが供用には至っていない。 上述車両とは別に「リゾートサルーン・フェスタ」の譲渡も計画されていたがタイ側の事情で中止になった。 種車の老朽化が著しく進行していたことも一因となっている。 参考サイト: - (2003年4月5日アーカイブ分) ミャンマー [ ] 2008年にキハ58形3両が無償譲渡された。 譲渡後に1 m軌間への・ミャンマー国鉄のの関係から低屋根化・冷房装置の撤去など大がかりな改造工事が施工された。 当初は急行列車で、現在は近郊列車で運用されている。 中国 [ ] 2004年の廃車後に輸出されたキハ28 2306・キハ28 2486が、港の保税区で長らく放置状態にあることが2013年・2018年の両時点で確認されている。 事故廃車 [ ] 国鉄時代・JR化後を含め以下の9両が事故廃車となった。 なお事故の詳細についてはリンク先を参照のこと。 キハ58 666 10月14日に発生したの当該車両。 先頭に組成されていた同車はダンプカーと衝突し脱線大破。 1970年3月12日付で廃車。 キハ58 1034 5月15日に名古屋発天王寺行急行「紀州1号」で運用中、 - 間の踏切でダンプカーと衝突。 先頭に組成されていた同車は全面大破。 1974年3月8日付で廃車。 キハ58 409・1015 キハ28 2005・2352 7月11日に発生したの当該列車急行「能登路5号」に4両編成を組成し充当されていた。 全車同年10月1日付で廃車。 キロ59 508 3月30日に発生したの当該車両。 排気管の過熱による出火から全焼となり廃車。 キハ58 1023 5月14日に発生したの当該車両。 同車はJR西日本からへ直通運転された本系列3両編成の臨時列車「世界陶芸祭しがらき号」の先頭車に組成。 - 間で4両編成と正面衝突を起こし脱線大破。 車体が折れ曲がり復旧困難となり1994年3月31日付で廃車。 キハ28 3013 8月26日に発行普通停車226Dで運用中、冷房電源用4VK型エンジンの回転数がいつもより高いことに運転士が気づいた。 付近で運転士が4VK型エンジンを止めようとしたが止まらず、で待機していた車両検修員によって停止できたものの車内への白煙流入が発生。 で床から出火したため乗客を避難させ消火活動を行った。 原因は4VK型エンジンの部品脱落により燃料が供給過多となり異常燃焼が発生。 その結果消音器が異常過熱されたためで、修理は行わず休車後の2004年3月31日付で廃車。 なお、キハ56系の保存車についてはを参照のこと。 動態保存 [ ] キユ25 1 キハ58 787 2001年にで廃車後にで保存。 キハ28 3019 のにて期間限定の鉄道イベントの展示品としてJR西日本より無償譲渡。 よりトレーラーで搬送されイベント終了後に競売出品されたが、高額な輸送費がネックとなり買い手がつかないまま終了し屋内施設の一部として事実上の静態保存。 に搬出され、鉄道車両輸送業者のアチハ本社()で保管されていた。 その後、が・界隈を再整備するに当たり、散在する鉄道遺産を活かすことを決定し、その一環としてを走った実績がある本形式を購入した。 2018年5月に北側隣接地屋外に移設され保存。 キハ58 554 2003年に廃止された可部線非電化区間の跡地で保存。 キハ58 624 の上り線メモリアルコーナーで同車の運転台部分に新たに製造した客室部モックアップ を接合 した状態で2009年3月26日より保存。 車両番号は当時を再現している関係からかキハ57 26 とされた。 キユ25 1 1986年の廃車後に内でレストランとして使用。 キニ58 1 群馬県安中市ので保存。 保存後解体 [ ] キハ58 92・キユニ28 20 弘前運転区(現・)で廃車後に・・と共にの「たかともワンダーファーム」が購入し館内施設として使用されていたが、2008年9月に車体腐食のため解体された。 キハ28 2353・キロ28 2303 キハ28は伊勢車両区で2001年に、キロ28はで2008年の廃車後に美濃太田車両区で保存。 2013年に相次いで浜松運輸区へ陸送後に解体。 キハ28 17 国鉄時代に廃車後、の鞍手中央公民館で保存されていたが、腐食が激しくなり2003年7月に解体された。 日本国外での保存車 [ ]• 1960年7月1日の3等級制から2等級制への移行後は、それぞれ2等車(現・普通車)・1等車(現・グリーン車)に該当。 夏期には本州から北海道に貸し渡しされるキハ58系もあり、転属によって道内配置となった車両もある。 その多くは夏の繁忙期のみの所属だが、一部は冬期も継続所属しており、キロ28 131・198は1981年に道内で廃車となっている。 雨樋の塗り分けは後年多くの車両で省略された。 1等車を除いて全車運転台付きである本系列の場合、大量増備時のコスト上昇を配慮する必要があったことによる。 1960年代後期になるとパノラミックウィンドウが急行形・近郊形電車で広く普及し、コストが低下したことから、急行形気動車でも末期増備車には採用された。 国鉄呼称では「横形エンジン」。 キハ55系は1956年に製造された1次車は白熱灯であったが、翌年以降に増備された車両では20 蛍光灯を採用した。 北海道向けキロ26形は防寒のため単独の小型2重窓を採用。 家庭用と同様の原理。 ウェバスト式ないし式の温気式暖房機。 キハ80系一次車の装備改良で発生したDT27・TR67に交換された車両があり、この交換作業で発生した本来のDT22A・TR51Aは、DT22Aが逆転機周りの改修でDT22Bとなり、を装着する及びキハ55系1次車に転用された。 キハ80系一次車に採用されたDT27・TR67をベースにディスクブレーキへ設計変更。 修学旅行用800番台ならびに試作車900番台区分(本形式では該当なし)を避けるための飛び番で、キハ58 1000はキハ58 799の続き番で仕様も変更されていない。 同様に、の500番台が貨物用の800番台の区分を避けるため799から1001まで飛ぶケースや、クハ103形の基本番台が500番台を避けるため、499から701まで飛ぶケースがある。 1969年(昭和44年)以降の改造施工車の一部は、冷房改造と同時施工。 窓を締め切った車内でタバコの煙が使用中の冷房装置内部に循環することを軽減するもので、本装備装着車は外板客室端車体裾4箇所に外気取入口があり、客室内はデッキ仕切り壁上部に排気扇を備える。 したがってこの8両に外気取入口はない。 後にAU13形に交換。 松本へは同時期にキロ28 101 - 106も新製配置されているが、こちらは1965年に他区所に転出している。 また、これ以前にもキロ28基本番台が11両配置されていたが、1963年度新製のキロ28・キロ58と入れ替わる形で転出している。 183系電車を房総地区に投入し、捻出された165系電車を「アルプス」増強用に転用した。 以西に配置されていた車齢の高い非冷房車への改造工事が優先されたケースがある反面、本グループでは向けとして製造されたキハ28 501 - 504をはじめ投入線区の事情から冷房改造されずに廃車となった準備車も多数存在する。 これらの車両は多くは分割民営化時にJR東日本が継承。 東北地区で運用された。 一部車両は未設置で落成。 新製配置は、1505 - 1508が松本運転所。 1509・1510が長野運転所• 登場と同時期に東急車輛製造へ吸収合併された。 1・2はタイフォンシャッター装備、3・4は省略という差異もある。 1・2の製造時点は4VK電源装置登場前で、急行形気動車全体としてもキロ28形の一部で自車給電による単独冷房化が開始されたばかりの時期であった。 このため冷房制御・電源供給用引き通しそのものが存在せず未装備。 3・4登場時は既に急行形気動車の普通車冷房化が開始され、冷房関係の引き通しが一般車には装備されたが、本形式は私有車扱いの郵便車であることから定期旅客列車と連結する場合でも編成中間に組み込まれることがないため未装備である。 マロ55形などにも施工し試験を実施したが、本系列共々不採用。 当初改造されたキロ28形の一部はAU12形を搭載したが、後にAU13形に変更された。 冷房装置搭載部を塞ぎ板で閉塞したが、屋根上の給電用配管はそのまま残存。 JR化後に冷房化されたキハ27形冷房準備工事車は、コスト削減のためAU13形を使用せずに小型エンジン直結式床下による改造を行い、屋根は完全なフラットとなった。 低騒音と冷房能力の両立には電車や客車で用いられているのと同じ60 Hz(機関回転数1800 、4極発電機)が望ましいが、このエンジンでは出力が足りず2極発電機とし回転数を3000 min -1としたため50 Hzでの運転となった。 3600 min -1とすれば計算上は60 Hzになり、1963年以降の1等車への導入初期では電車用AU12形冷房装置(60 Hz定格のみ)を用いたため3600 min -1運転の4DQ発電装置を用いた事例もあったが、爆音も激化する。 冷房化と同時に4VK発電装置取付が基本的方針とされたが、関東地区配置車には搭載しなかった車両(車番は原番号のまま)も存在した。 後に一部車両は他地域への転属時に4VK搭載改造を施工した。 DMH17系機関搭載車は最終段の5ノッチでの連続高負荷運転での過熱により火災に至るリスクを回避する観点から「5ノッチ5分」と呼ばれる時間制限措置が設定された。 しかし連続勾配区間ではこの規定を満たせなくなり、出力確保のため編成全車の2エンジン化が要求され冷房化はできない。 東北地区では急行形電車の冷房化は(昭和49年)までに完了している一方で、4VK発電装置搭載車が新製投入されなかったことから、東日本エリアにおける気動車急行の冷房化遅延の一因であるとも言われた。 新製時から冷房準備工事車のキハ58形1500番台も多数配置されたが、冷房改造は未施工のまま廃車となった。 キロハ28形は、1の格下げによりいったん形式消滅しており、本番台はキロハ28形の2代目となる。 急行「」八幡浜 - 宇和島間は一部列車をはじめの普通列車では自由席となることから乗車券のみで利用可能。 指定席料金 だけでグリーン車用リクライニングシートに座れるいわゆる「乗り得車両」であった。 冷房装置は未搭載とされたため4DQ電源装置ならびに冷房装置制御用KE53形1基・高圧電源供給用KE8形1基のジャンパ連結器は撤去。 ラストナンバーのキユニ28 28は改造後わずか4年で廃車となった。 (当時)がデザイン。 DMH17Hは機関予熱に時間がかかり、特に冬期はエンジンをアイドリング状態で維持せねばならないことから機関や排気管に過熱の危険性が極めて高い。 これらの新型エンジンの出力は本来330 PSまたは350 PSだが、DMH17系エンジン搭載車への換装時には流用された在来型液体式変速機の容量制限に対処するため250 PSに出力を落とした。 津山線についてはまでに全線の高速化は行われていたが、車両性能と線形の面から現状以上のスピードアップは困難であった。 JR九州では以前にも記念で・・と共にキハ58 143・5007、キハ28 2434・3024が、映画撮影のためにに貸し出されたキハ58 144・1132が国鉄色に復元されたが、いずれも廃車となっており現存しない。 2001年よりキハ58 1504・1513・1523 - 1525・1528は国鉄色に復元。 急行列車廃止後の数少ないキハ58系優等列車運用であった快速は、まで乗り入れ運転を行っていたが、陸羽東線へのキハ110系投入に伴う本系列の大量廃車でキハ58は1両を残して廃車となり、「南三陸」のキハ28は4VK電源搭載の2000番台を主体とした運用となった。 しかし、出力不足ならびに駆動力不足から霧雨時や紅葉の季節の落ち葉で大船渡線-間の飯盛峠急勾配区間でが多発し、ダイヤの乱れが頻発した。 ダイヤ修正で時間余裕を持たせたもののあまり効果がなく「南三陸」の同線乗り入れも廃止となり、気仙沼 - 盛間は一ノ関運輸区所属のキハ100系による普通列車にで接続する形に変更された。 その後も気仙沼以南での「南三陸」キハ28運用はしばらく続いたが、最終的には2007年にキハ110系気動車置き換えられた。 オリジナルの旧国鉄色が車両番号・搭載ATS表記が赤色なのに対して、この2両は白色という相違点がある。 京都地区での急行「丹後」など比較的短距離で運転本数を多発させる事例もあった。 1962はキハ58 139の製造年を意味する。 当時中央本線甲府以西は未電化で、篠ノ井線松本までの連続電化が完成したのは1965年。 同様にが国鉄乗り入れを目的に国鉄車同型の優等列車用気動車を自社発注したケースは、の、のに見られる。 多客期に58003を増結した3両編成での運転実績もある。 部品取り用というのが通説であるが実際には営業運転で湯浅駅まで運行している映像が存在する。 第1編成は線内の定期普通列車でも運用されたほか、KTR線内運転開始前に急行「丹後」に併結された実績もある。 パノラミックウィンドウ車で1999年にから高岡へ転入。 2004年には越前大野へ貸し出し。 この2両はで運用されていたキハ52の検査時予備車としてへの貸し出し実績もある。 ロシア・ミャンマーとは異なり自動ドアを下に延長した内付けステップである。 そのため運転台直後のデッキは台車が干渉するので当該改造が不可能なため封鎖され、キハ58・キハ28は実質1ドア車となった。 右運転台が所定である。 軌道を越える橋梁などに接触しないようにするための改造で1両の改造期間はおよそ3か月。 キハ58 293はJR四国で最後まで現役で稼動していたキハ58で、2008年の「リバイバル列車」として最後の運行が行われた車両。 運転終了後の2009年3月31日付けで廃車となったが、現在も編成を組んでいたキハ65 34とともに保存されており、リバイバル運転の際に施された「ヒゲ付塗装」もそのままの状態である。 なお、同車は2009年10月1日に開催された多度津工場「きしゃぽぽっぽまつり」で満員の乗客を乗せてキハ65 34と工場内を自走した。 キハ28 2002は、2008年3月29日に所属していたから通常は単独運用の営業列車に併結され多度津まで営業運転を行い、そのまま多度津工場に入場。 同年3月31日付けで廃車。 キハ28保存会の手により手入れがされており、イベント時には展示運転を行う。 整備は有田川町鉄道保存会が担当。 ただしその後エンジンが故障したため2018年現在は自走不可。 2011年3月14日に開業したでの展示車両候補にもなった。 事前予約で1時間あたり1,000円で車内を貸切にすることが可能。 2007年7月のダイヤ改正による急行「みよし」運用消滅後となる同年10月に下関車両センター(現・)で旧・国鉄色に塗り替えてよりに転属。 同年11月にのみまさかスローライフ列車に使用され、その後も各地の臨時列車に充当されていた。 2010年11月20日・21日運転の「ありがとう『キハ28・58』号」を最後に運用離脱。 その後廃車。 休憩室となっているため飲食も可能である。 そのため運転台後部のデッキ部分がなくモックアップ内には助手席側乗務員室扉(扉そのものは撤去)の位置から出入りする構造である。 キハ58 624は1965年の新製後は盛岡に配置されたがその後は九州地区を転々とし分割民営化時にはJR九州に承継。 最終配置は鹿児島総合車両所(現・)で2008年3月31日付で廃車。 同所の運営を行っているのが信越本線での販売をてがけたであり、名物として知名度を大きく上げた1960年代を再現するというコンセプトからJR九州で廃車となった同車 が譲渡された。 1975年に美濃太田機関区(現・美濃太田車両所)へ、1984年に中込機関区(現・小海線営業所)に転属し、1986年に廃車となった。 1964年3月新潟鉄工所製。 小海線にキハ110系が導入されたため1993年9月27日付で廃車。 出典 [ ]• 四鉄史、鉄道ファン 1984年5月号、1987年3月号、鉄道ジャーナル 1987年12月号• - 交友社『鉄道ファン』railf. jp鉄道ニュース 2018年9月9日• - 『鉄道ファン』交友社 railf. jp 2010年8月30日• - 『鉄道ファン』交友社 railf. jp 2013年6月3日• - 『鉄道ファン』交友社 railf. jp 2013年6月6日• - 『鉄道ファン』交友社 railf. jp 2018年8月30日• 「富士急に在籍したキハ58系」 1987年4月号 No. 478 p. 68-69 鉄道図書刊行会• 「キハ58物語」p. 168-169 2003年 JTB刊• RAILWAY TOPICS 北近畿タンゴ鉄道の「レインボー・リゾート」 - 鉄道ジャーナル1990年7月号• 2012年11月14日, at the. - いすみ鉄道 社長ブログ 2012年8月27日付け• - reilf. 斎藤幹雄「東南アジアを走るニッポンの廃車両」2011年 枻出版社刊• 服部朗宏「中国 天津のキハ28」『鉄道ピクトリアル』2013年7月号、電気車研究会。 134-135頁。 草町義和『』 - 乗りものニュース、2018年2月10日• - 鉄道ファンrailf. jp(2009年10月11日)• 2017年12月1日. 2018年5月29日閲覧。 東洋経済オンライン. 2018年2月28日. 2018年3月16日時点のよりアーカイブ。 2018年5月29日閲覧。 金ヶ崎周辺施設整備計画策定委員会. 敦賀市. 28 2018年4月26日. 2018年5月26日時点のよりアーカイブ。 2018年5月29日閲覧。 新幹線まちづくり課. 敦賀市 2018年5月22日. 2018年5月29日時点のよりアーカイブ。 2018年5月29日閲覧。 2018年5月28日. 2018年5月29日閲覧。 TRAINPIX(ロシア語) 参考文献 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 『キハ58物語 津々浦々くまなく走ったディーゼル急行1900両』( 2003年)• 交友社『』• 1988年4月号 No. 324• 1988年6月号 No. 326• 1990年3月号 No. 347 特集・急行形気動車30年の歩み• 1994年7月号 No. 399 特集・ジョイフルトレインたちの名場面• 2002年1月号 No. 489 特集・キハ58系一族• 2005年2月号 No. 526 斎藤幹雄「タイ国鉄へ渡ったキハ58系レポート」• 電気車研究会『』• 1987年4月号 特集・キハ58系気動車• 1988年5月号• JR四国ニュース No.
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