東京大神宮について 近年縁結びに御利益のある神社としても知られ、良縁を願う若い人たちのご参拝も年々多くなっています。 東京台神宮は「東京のお伊勢さま」と称され親しまれています。 伊勢両宮の御祭神である天照皇大神と豊受大神、さらに倭比賣命を奉斎していることによります。 また、天地万物の生成化育つまり結びの働きを司る造化の三神が併せまつられており、その御神徳は縁結びをはじめとし、実に広大無辺なものがあります。 家内安全・商売繁昌・開運厄除・交通安全・学業成就など諸願の成就をご祈念ください。 江戸時代、伊勢神宮への参拝は人々の生涯かけての願いでした。 明治の新国家が誕生すると、明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建された当社は、最初日比谷の地に鎮座していたことから、世に「日比谷大神宮」と称されていました。 関東大震災後の昭和3年に現在地に移ってからは「飯田橋大神宮」と呼ばれ、戦後は社名を「東京大神宮」と改め今日に至っています。 現在広く行われている神前結婚式は、当社の創始によるものであり、今も神前において伝統的な結婚の儀式を守り伝えています。 必ずご自身で事前にご確認の上、ご利用ください。 営業期間 その他:授与時間:9:00〜17:00 所在地 〒102-0071 東京都千代田区富士見2-4-1 交通アクセス 1 JR中央・総武線「飯田橋駅」西口より徒歩3分 2 地下鉄有楽町線・南北線「飯田橋駅」B2a出口より徒歩5分 3 地下鉄東西線・大江戸線「飯田橋駅」A4出口より徒歩5分• 観光MAP• 印刷用MAP 交通アクセス 1 JR中央・総武線「飯田橋駅」西口より徒歩3分 2 地下鉄有楽町線・南北線「飯田橋駅」B2a出口より徒歩5分 3 地下鉄東西線・大江戸線「飯田橋駅」A4出口より徒歩5分 営業期間 その他:授与時間:9:00〜17:00 料金 その他:お守り500円〜、おみくじ200円〜 その他 ご利益:縁結び、家内安全、開運厄除 お問い合わせ じゃらん旅行ガイドを見たと伝えるとスムーズです。 tokyodaijingu. html 最近の編集者 じゃらん 新規作成 滞在時間•
次の東京大神宮 東京大神宮(とうきょうだいじんぐう)は、二丁目にある。 ・を主祭神とする。 (明治13年)、の邸跡に落成した遙拝殿が起源であり 、一般には「日比谷大神宮」もしくは「日比谷皇大神宮」と称された。 明治政府の宗教政策転換によりとが分離すると、後者に属していた本神社は、大神宮祠、神宮奉斎会本院と幾度か改名した。 (明治33年)5月10日、(のちの)の結婚式がで行われる。 これを記念にを創始、現在に伝わる神前結婚式となった。 (大正12年)9月1日の関東大震災で被災し、(昭和3年)に現在地に移転して飯田橋大神宮と呼ばれた。 終結後の(昭和21年)1月、宗教法人東京大神宮に改称し、現在に至る。 御祭神 [ ] ・を主祭神とする。 ・・・を相殿に祀る。 歴史 [ ] 5年()に開設された神宮司庁東京出張所(の事務機関である神宮司庁と、東京の教部省との連絡のための出張所)には 、の勅裁を仰ぎの分霊が祀られていた。 翌年、その構内に東京神宮教会(伊勢神宮の教導機関である神宮教院の東京支部)が開設された。 両所にあった神殿を継承して 、明治13年()、の邸跡に落成した 皇大神宮遙拝殿が当社の起源である。 これは、当時の明治政府が目指していた・の一環として作られたものであった。 本神社落成時、通りを隔てて邸があり、前年12月7日より明宮(はるのみや)嘉仁(よしひと)親王(第三皇子、後の)が生活していた。 、明宮親王(当時2歳)は・(明治天皇生母)・・(明宮親王生母)等と共に日比谷皇大神宮を私的に参拝した。 なお中山忠能邸には、病弱だった明宮親王の健康を祈り、よりの分霊も祀られていた。 明治15年()1月、明治政府の方針転換により神社と宗教活動は分離することとなり、伊勢神宮でも神宮司庁と神宮教院を分離することとなった。 皇大神宮遙拝殿は神宮教院に属することになった。 同年5月、神宮教院が神道神宮派に改称する際に 、当社も 大神宮祠と改称した。 一般には、所在地名から 日比谷大神宮や 、 日比谷皇大神宮と呼ばれていた。 明治18年(1885年)3月23日、明宮親王(7歳)は有楽町の中山忠能邸から青山御用邸内に新造された明宮御殿(花御殿) に移転した。 その後も幾度か中山忠能邸を訪問したが、そのたびに日比谷皇大神宮に参拝している。 明治32年()9月、神道神宮派が解散して新たに神宮奉斎会が作られ 、当社は 神宮奉斎会本院と改称し、神宮奉斎会の本部機関となった。 尚、三重県宇治山田市(現・)には神宮教院大本部が置かれていた。 12年()ので社殿を焼失する。 昭和3年()、現在地に再建・遷座して、以降は 飯田橋大神宮と呼ばれるようになった。 上述のように、第二次大戦以前は神社という形ではなかったので、の指定はない。 ゆえに地域も存在しない(当社所在地はの氏子地域にあたる。 後の21年()4月、宗教法人 東京大神宮として再発足した。 「 日比谷大神宮での結婚式」 日比谷大神宮は明治13年(1880)、有楽町の大隈重信邸跡に落成した、皇大神宮遙拝殿を起源とする。 32年(1899)、神宮奉齋会本院と改称。 神前結婚式の創設と普及活動を行い、現在の「神前式」の基礎を築いた。 関東大震災後は飯田橋大神宮とも呼ばれ、戦後は宗教法人東京大神宮として再発足した。 「日比谷大神宮の御神前にて結婚之式を挙る追々に行る是も東京名物之一なるべし」と記載あり。 屠蘇飾り(雄蝶と雌蝶の折紙)の絵あり。 「東京市麹町區有樂町三丁目2番地 神宮奉齋會本院」 と記された紙片が書き写されている。 — 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「日比谷大神宮での結婚式」より抜粋• 東京大神宮マツヤサロン 以後の近代日本でも方式の結婚式が行われていたが、皇室や神社への信仰心の影響により神前結婚式が行われるようになった。 だが、この動きは統一的な運動や方式ではなかった。 また明治維新以前にも武家社会や神官家での「作法」として、あるいは方式の神前結婚式が存在したが、全国的な広がりはなかった。 時代、本神社は教化事業としての創設と普及活動を行った。 新聞記者で随筆家のは、男爵(元海軍軍医)が日比谷大神宮(当宮)で始めたとの説を唱える。 明治33年()、第三皇子の明宮嘉仁(後の)と令嬢の九條節子(のちの)との結婚式が宮中三殿において執り行われた。 皇太子夫妻は続いて伊勢・京都地方へ行啓、5月25日には(、)に参拝して結婚を報告した。 神宮奉斎会国礼修業部は嘉仁親王と節子妃の結婚の儀を基本にして神前結婚の儀式を創設し、翌明治34年()、当社において模擬結婚式を開催した。 その後改良を加えた神前結婚式のスタイルが奉斎会各県本部・各支部によって全国に広められ、定着していった。 今日「神前式」として行われているは、神宮奉斎会が創設したものが基になっている。 現在、同神社での神前結婚式及び披露宴については、の関連会社であるアターブル松屋が運営しており、「 東京大神宮マツヤサロン」の名称を用いている。 パワースポットとして [ ] 東京大神宮は縁結びの神社として、若い女性を中心に多くの参拝者を集めている。 としてたびたびで紹介されたことや、(平成20年)に「」という言葉が流行した際にほぼすべてので取り上げられ、が番組中で参拝し後にここで挙式した(その後)ことを受けて参拝者が増加した。 の取材によればの日を狙って参拝し、同日から婚活を始める女性たちが多いというが、お日柄や天候に関係なく平日でも多数の参拝者が訪れ、時には長い行列ができる。 東京大神宮ではの形をした「縁結び鈴蘭守り」やのアドバイスを記した「恋みくじ」などを頒布している。 例祭 [ ]• 交通 [ ]• ・地下鉄各線 地下鉄各線• (下り方向)・(上り方向) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 『 十七日、御殿の向ひなる教導職事務局皇大神宮にて、神殿遷宮式並に鎮座祭を行ふを以て、南長屋なる中山公憲宅二階より諸人参詣の景況を御覧あらせらる。 『 二十五日、午前九時御出門、教導職事務局皇大神宮に遊歩あらせらる。 中山忠能・正親町実徳・中山慶子・柳原愛子等十数人扈従す。 私に初穂料を供し、忠能・慶子扶け奉りて神殿階下より簀子に進み給ひ御拝の後、帰還あらせらる。 『 十七日、午前八時御出門、日比谷皇大神宮に成らせらる。 客殿にて御少憩の後、鳥居内に到り給ふ。 祠官、浄水並びに祓除の後、玉串を奉りて神殿に御誘導す。 宮、御拝あり、八時二十分帰還あらせらる。 『 二十九日、午後零時三十分御出門、に御参拝、尋いでにて陳列品を御巡覧、・中山忠能邸・日比谷大神宮に御立寄りあり、四時還宮あらせらる。 此の後、二月二十八日・三月二十八日・七月五日・同月十八日・九月六日にも靖国神社・遊就館・偕行社に御成の事あり。 就中、二月二十八日には神宮宝剣鍛錬の状を御覧あらせらる。 又侯爵中山忠能邸にも屡ゝ御立寄りあり。 時にはを御同伴あらせられ、邸内に於て御相手等と共に撃剣等の遊戯に興ぜらるる事あり。 御立寄に当り日比谷大神宮に御参拝の事も亦尠からず。 『さても日比谷大神宮が、結ぶの神の出店仕事を扱はれるに至つた事の次第は、當今無帽主義のプロパガンダに浮身をやつされる、男の創意に負ふ所が少くない。 明治三十年七月に、高木男が媒酌人となつて、保科某の結婚式を日比谷大神宮の拝殿で擧げられたのが、此處での神前結婚式の始めらしい。 爾来商賣大繁昌、料理屋から寫眞師までに、聯絡到らざるなき有様である。 』 出典 [ ]• コマ8『日比谷太神宮 麹町區有樂町 HIBIYA-DAIHINGU. 伊勢の宗廟を模せし大社にして嚴正を保つ爲本社にて神道に依り結婚式を擧ぐる者多し』• 、16頁〔明治13年4月17日記事〕• 、11頁『 明治十二年十二月 七日 中山邸移徙』• 、16頁〔明治13年4月25日記事〕『私に日比谷皇大神宮御参拝』• コマ16-17 原本7-9頁 『出雲の大神にお祈りあそばす』• コマ136 原本230-231頁 『ジングーシチョー 神宮司廰』• 、34頁〔明治16年3月17日記事〕• 、667頁『〔3〕明宮御殿』• 、75-76頁〔明治19年10月27日記事〕『中山忠能邸御成』• 、85-86頁〔明治20年1月29日記事〕『靖国神社・遊就館・偕行社御成』• 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「日比谷大神宮での結婚式」国立国会図書館蔵書、2018年2月9日閲覧• コマ93 原本190頁• 佐藤直子"WEB FRAME 地下に育つ「緑の森」"朝日新聞2017年5月16日付夕刊、夕刊be3ページ 参考文献 [ ]• 図書寮編『大正天皇実録 補訂版 第一 自明治十二年至明治三十三年』株式会社ゆまに書房、2016年12月。 編者『神道事典』弘文堂、1994年7月。 編纂発行『全国神社名鑑 <上巻>』全国神社名鑑刊行会史学センター、1977年7月。 「日比谷大神宮」『』春陽堂、1918年10月、92-94頁。 久保三滑「日比谷大神宮」『』東京滑稽社、1943年7月、29-30頁。 内藤彦一「日比谷神宮儀式申込手續」『』松屋呉服店、1909年11月、34-37頁。 水谷次郎「出雲の大神にお祈りあそばす」『』日本書院出版部、1927年2月。 平凡社編 平凡社、1939年6月。。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 (公式サイト)•
次のContents• 東京大神宮 東京大神宮は東京三大縁結び神社、東京五社の一社です。 大きな神社ではありませんが、東京にいながら伊勢神宮の神様にお参りができる神社です。 東京大神宮の御由緒 神前結婚式はここから始まった 江戸時代、伊勢神宮への参拝は人々の生涯かけての願いでした。 明治の新国家が誕生すると、明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建された当社は、最初日比谷の地に鎮座していたことから、世に「日比谷大神宮」と称されていました。 関東大震災後の昭和3年に現在地に移ってからは「飯田橋大神宮」と呼ばれ、戦後は社名を「東京大神宮」と改め今日に至っております。 現在広く行われている神前結婚式は、当社の創始によるものであり、今も神前において伝統的な結婚の儀式を守り伝えております。 出典: 東京大神宮は明治13年、伊勢神宮の「遥拝殿」として創建されました。 伊勢神宮へお参りしたいと願う人々は多かったですが、交通機関があまり発達していないため、庶民が実際にお参りに行くことは難しかったのです。 東京大神宮が作られたおかげで、伊勢まで行かなくても庶民はお伊勢様を遥拝(=はるかに隔たった所からおがむこと)できるようになりました。 また東京大神宮は神前結婚式を創始したことでも知られ、今も良縁を願う多くの女性が参拝に訪れます。 お守りや御朱印帳も女性向けの可愛らしいデザインのものが多いですよ。 東京大神宮の御祭神 伊勢神宮の神様にお参りできます• 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)• 豊受大神(とようけのおおかみ) 【造化の三神(ぞうかのさんしん)】• 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)• 高御産巣日神(たかみむすびのかみ)• 神産巣日神(かみむすびのかみ)• 倭比賣命(やまとひめのみこと) 伊勢神宮の遥拝殿だけあって、伊勢神宮に祀られている神様にお参りすることができます。 天照大神は伊勢神宮の内宮(ないくう)の御祭神で日本の神様のトップ!、豊受大神伊勢神宮の外宮(げくう)の御祭神で農業、諸産業、衣食住の守護神です。 倭比賣命は天照皇大神に仕え、その御心を人々に伝えた天照皇大神の御杖代(みつえしろ)、造花の三神は天地万物の生成の働きをつかさどることから、縁結びの御利益もあります。 東京大神宮は縁結びの御利益あり! 最寄駅• JR総武線「飯田橋駅」 徒歩5分• 東京メトロ東西線・有楽町線・南北線・都営大江戸線「飯田橋駅 B2a」 徒歩5分 〒102-0071 東京都千代田区富士見2-4-1 私は東京メトロ飯田橋駅からスタート。 一番近い出口は B2aです。 東京メトロ飯田橋駅「B2a」出口から地上にあがり、左へ進みます。 牛込橋を渡り、 早稲田通りを直進します。 2つ目の十字路、左側に「小泉」という蕎麦屋さんを見ながら、道なりに進んでいくと、東京大神宮があります。 東京大神宮の境内へ さ、東京大神宮に到着です。 この日は9時前に着いたので参拝客が少なめですが、休日は大混雑します。 ゆっくり参拝したい方は午前中早めの時間、または平日の参拝をおすすめします。 東京大神宮を訪れたらハートを探そう! 東京の強力な縁結びスポットである東京大神宮を訪れたら、「ハート」を探しましょう!若い女性の間では写真を撮ってスマホの待ち受けにすると、縁結びの御利益がある、なんてジンクスもあるらしいですよ。 このハートは正式な名前は「猪目(いのめ)」といい、魔除けの意味があります。 こちらで身を清め、境内に入ります。 龍の口から水が出てくるタイプの手水です。 手水脇には小さな滝のようなものがあり、水が流れていました。 境内社 飯富稲荷神社は芸能の御利益あり 東京大神宮の境内には「飯富稲荷神社」という境内社があります。 大神宮にお参りをする際にはぜひ、こちらにもお参りを。 祀られているのは、• 稲荷大神(いなりのおおかみ)• 大地主大神(おおとこぬしのおおかみ) 東京大神宮が日比谷大神宮を呼ばれていた頃から鎮座しており、 九代目市川団十郎が篤く信仰していたことから「芸能の利益」があるとされ、芸能を志す人が参拝に訪れるそうです。 時間が早かったので空いていますが、休日はかなり混雑します。 参拝するのに、20~30分待つ場合もありますので、ご注意くださいね。 小さな境内ですが庭が整えられており、朝のすがすがしい空気をあいまって、心が浄化されるようです。 東京大神宮の社殿 やはり女性の参拝客が目立ちますね。 若い女性が熱心にお参りする姿が見られます。 御朱印はこちらの授与所にて。 混雑する休日は待ち時間が発生することがあります。 オリジナル御朱印帳は3種類。 花柄・蝶・うぐいす、と女性に好まれそうなデザインが揃っています。 出典: 縁結びの神社だからこそ!かわいい恋みくじと恋守り 東京大神宮のおみくじやお守りはどれも可愛らしいデザインのものが多いです。 種類が豊富で、どれにするか悩んでしまいますが、すずらんの形をした 「鈴蘭守り」が人気らしいです。 鳥居の外まで行列ができています。 参拝まで時間がかかることもありますので、余裕を持って出かけてくださいね! 牛込橋から見た光景 東京大神宮へ向かう際に、牛込橋から見た風景です。 春は桜が見事ですよ。 両側がピンク色であふれかえります。 牛込橋の近くには江戸城の石垣が今も残っています。 東京大神宮の基本情報 所在地 〒102-0071 東京都千代田区富士見2-4-1 Tel 03-3262-3566 最寄駅.
次の