3日、松坂大輔投手を西武ライオンズが獲得することが発表された。 背番号は16。 1年契約となった松坂。 昨年は中日所属だったがケガで出遅れ、登板は2試合で1敗。 いいところなくシーズンを終えて自由契約に。 その後新天地を探していたが、かつてエースとして活躍していた古巣に14年ぶりに復帰が決まった。 本人も「14年ぶりに復帰することになり大変、うれしく思います。 プロ野球選手としてのスタートであり、育ててもらった所沢、そしてライオンズファンの皆さんの前で再び野球ができることをとても楽しみにしています」と球団を通してコメントしている。 ファンの間では「がんばってほしい」「引退への花道を西武が用意した感じだろうけど、がんばって」と応援の声がある一方、「中日でもソフトバンクでもチャンスあったけどダメだし、なぜ獲得した」「若手を起用してほしい」「かえって邪魔になりそう」と否定的な意見も同じくらい多い。 「無論、全盛期のような活躍を求めるのは難しいでしょうし、やはり『温情』はあるのかもしれません。 西武でエースを張り、貢献してきた大スターですからね。 シビアに結果を求めるファンからすると疑問が出るのも自然です。 ただ、松坂投手は昨年、ケガの休養中にゴルフに行ったことがバレ、批判の的になりました。 ソフトバンクでも、3年でほとんど登板がなく、それでも12億円の契約を終え、ソフトバンク側の育成選手契約もしくはコーチ契約を結び直した上で右肩のリハビリを行っていくプランを断り退団。 立つ鳥跡を濁さず、ができていない印象はあります。 西武でもスッキリと退団、もしくは引退する状況になるといいんですがね……」(記者) どうも最近はその行動に疑問がよく出る松坂。 「松坂世代」といわれる同年代にとっては希望の星なのかもしれないが、一般ファンからすればどこか「笑いもの」の扱いすらされている状況だ。
次の宮崎市内から国道220号線を南へ60キロ。 ほとんどが一車線の海沿いの道を車で約一時間半、たらたらと走るこのドライブは、ライオンズが南郷でキャンプを行なうようになってからいったい何度目のことだろう。 キャンプが始まるこの日を正月だとするならば、1年の計は元旦にありの言葉どおり、2月1日にどの選手を取材するのかということはフリーランスの野球記者には書初めのようなものなのかもしれない。 キャンプ初日、誰を取材するのかを自分の意志で決めることができるからだ。 キャンプ初日に笑顔を見せる松坂大輔 松、坂、大、輔。 2020年2月1日、第2回WBC(2009年)に向けた調整をするために訪れて以来、11年ぶりとなる南郷に、松坂が帰ってきた。 ファンから掛かる声は「お帰り」「お帰りなさい」。 松坂はそんな言葉を耳にするたび、照れ臭そうに笑っている。 ピッチャーが練習するサブグラウンドへの135段の階段を降りてきた松坂は、「これ、帰り、やだなぁ」と呟いた。 その昔、階段の手すりに乗って滑り台のように滑り降りた無邪気な20代の松坂はもういない。
次の今もなお、伝説として語り継がれる決勝ノーヒットノーランが米で再脚光を浴びている。 1998年8月22日、全国高校野球選手権大会・京都成章との決勝で59年ぶり2人目、戦後初の「決勝ノーヒットノーラン」を達成した松坂。 PL学園との準々決勝では延長17回を250球、翌日の準決勝・明徳義塾戦では大逆転劇を呼び込む1イニングの好リリーフ……。 この激戦を振り返っているのはニューヨークのTV局「YESネットワーク」のアナリストを務めるジャック・カリー氏だった。 自身のツイッターで「物を漁っていると1998年の日本の甲子園トーナメントのテープを見つけた。 17回で250球を投げ勝利したダイスケ・マツザカが映し出されていた。 素晴らしい。 彼はその翌日にセーブを挙げ、翌々日にはノーヒットノーランを記録して全国制覇した」と、高校時代の松坂の偉業を改めて称賛。 現在も西武で現役としてプレーを続ける松坂の動向を注視しているようだ。 そんなカリー氏が最も衝撃を受けたのはPL学園との延長17回の死闘だったようだ。 横浜高校が延長17回に常盤が勝ち越し2ランを放った際に松坂が三塁ファウルゾーンで次の回に向け準備する姿に「彼の行動に私は驚嘆した。 炎天下の中、延長戦を一人で投げ抜き、次の回に備えブルペンで投球する姿は米国ではありえない光景。 なお、この試合がきっかけとなり2000年の甲子園からは延長15回制に短縮されることになった。 (Full-Count編集部).
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