井岡 一翔 基本情報 本名 井岡 一翔 階級 身長 165. 6cm リーチ 168cm 国籍 誕生日 1989-03-24 (31歳) 出身地 ・ 家族 (父) 親戚 (叔父) スタイル プロボクシング戦績 総試合数 27 勝ち 25 KO勝ち 14 敗け 2 獲得メダル 男子 銅 2008 バンコク ライトフライ級 井岡 一翔(いおか かずと、 - )は、の 第33代日本王者。 元世界王者。 元世界ミニマム級王者。 元WBA世界ライトフライ級王者。 元WBA世界王者。 現世界スーパーフライ級王者。 日本人男子初の世界4階級制覇王者。 元プロボクサーである父・が会長を務める、、Reason大貴ボクシングジムを経て、現在はAmbition GYM所属。 卒業・中退。 メディア応対はマネジメント契約を結んでいるが行なっている。 弟が2人いる。 井岡ボクシングジム初代会長で井岡弘樹ボクシングジム会長の元世界2階級制覇王者は叔父(一法の弟)。 来歴 [ ] アマチュア時代 [ ] 中学1年時に叔父が所属していたでを始め、中学3年時に叔父の井岡弘樹が設立したへ移籍。 在学中にはライトフライ級で2年時に、、で優勝し、2005年度アマチュア部門新鋭賞を受賞。 3年時も選抜大会、インターハイ、の各大会で優勝して・らに次ぐ史上3人目の高校6冠を達成した。 高校卒業後はに進学して出場を目指したが、1年時の決勝で大久保賢児に1ポイント差で敗れ出場を逃した。 翌のでは、で銅メダルを獲得したタイの に準決勝で敗れたものの、銅メダルを獲得。 しかし、この時の井岡はオリンピックを視野に優勝を狙っていたため、「銅メダルもメダルなしも自分としては一緒」と感じていた。 同年の全日本選手権の決勝では林田太郎(駒大1年)に1ポイント差で敗れ2年連続準優勝となった。 大学では・で優勝したが 、北京オリンピックという目標が消えたことを理由にプロ転向を決め、大学を2年途中で中退した。 プロ転向 [ ] 1月18日、B級試験のプロテストに合格してB級ライセンスを取得し 、同年4月12日に第1競技場でプロデビュー。 メインイベントで王者のトンタイレック・ポーウォラシンとライトフライ級ノンタイトル6回戦を行い、3R26秒勝利を収めた。 2009年7月26日、大阪府立体育会館第1競技場で日本ミニマム級7位の()とライトフライ級ノンタイトル8回戦を行い、2R終了間際にを奪ってから連打をまとめて2R2分59秒TKO勝利を収めた。 この試合後、日本ミニマム級8位にランクインした。 2009年12月29日、大阪府立体育会館第1競技場で世界ライトフライ級9位・WBC世界ライトフライ級12位の()とライトフライ級ノンタイトル10回戦を行い、3-0の判定勝利を収めた。 この勝利で世界ランク入りが確実と報道され、年明けにWBA、WBCともライトフライ級14位にランクされた。 なお、この試合はメインイベントとして行われ、世界である高校の先輩()のWBA世界の防衛戦がノンタイトル戦の前座となる日本では異例の扱いだった。 また、CS放送()ながら生中継もされた。 4月18日、大阪府立体育会館第1競技場でWBA世界ライトフライ級13位・WBC世界ライトフライ級13位として東洋太平洋ミニマム級7位・ミニマム級王者のヘリ・アモルとライトフライ級ノンタイトル10回戦で対戦。 9Rにアマチュア時代を含め109戦目で初めてダウンを奪われたが 、6 - 7ポイント差の3-0で判定勝利を収めた。 2010年7月25日、大阪府立体育会館でWBA世界ライトフライ級12位・WBC世界ライトフライ級10位としてフライ級8位のアルバート・アルコイとライトフライ級ノンタイトル10回戦を行い、9RTKO勝利を収めた。 この試合は同一興行内で行われた・兄弟の試合と合わせ「トリプル世界」としてで中継され、以降の試合も同局が中継するようになる。 2010年10月10日、大阪府立体育会館第2競技場で同門のが返上した日本ライトフライ級王座をかけ、WBAライトフライ級9位・WBC同級7位として日本同級1位の瀬川正義()と王座決定戦10回戦を行い、10R1分57秒負傷TKO勝利で王座を獲得した。 その後、12月15日に世界王座挑戦へ専念するため同王座を返上した。 世界ミニマム級タイトル獲得と防衛 [ ] 2月11日、でWBC世界ミニマム級王者(タイ)に挑戦。 2回に左でダウンを奪い、5回に左ボディブローで2度目のダウンを奪うとレフェリーがカウントを途中でストップ。 5回1分7秒TKO勝利を収め、との当時として国内最速記録を更新する7戦目(2014年、により6戦に更新される)での世界王座獲得に成功すると共に生まれの選手としては初の世界王者 となり、試合後のインタビューでは周囲への感謝を語った後に4階級制覇を宣言した。 当時、『』誌の編集長だったナイジェル・コリンズは、「井岡の非凡な功績は3戦目で世界王座を獲得したを彷彿させる」と言って、この戴冠劇を絶賛した。 2011年8月10日、でWBC世界ミニマム級1位で北米ミニマム級王者の()と対戦し、12回3-0(116-112、117-111、118-111)の判定勝利を収め初防衛に成功した。 2011年12月31日、でWBC世界ミニマム級10位でWBC世界ミニマム級の()と対戦し、初回1分38秒TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。 なお、この試合のKOタイムは1972年にがマークした1R1分49秒を抜いて当時の日本の選手による世界王座防衛戦としては最速であり、世界戦全体でも1992年にが王座奪取したときの1R1分32秒に次ぐ記録である (双方の記録とも、のちにが2018年に1R1分10秒の記録で更新)。 WBA王者との統一戦 [ ] 詳細は「」を参照 、でWBA世界ミニマム級王者()と統一戦を行った。 WBC王座3度目の防衛ならびにWBA王座獲得に成功。 日本人による初のWBA、WBC世界王者同士の統一戦に勝利しての(男子かつ同一階級の)世界王座統一を果たした。 しかしながら、WBA・WBC両団体より今回の試合を王座統一戦として認定する条件として「この試合の勝者は10日以内にWBA・WBCいずれかの王座を返上する事」が義務付けられていたため、その条件に従う形で王座統一から9日後の6月29日、WBC王座を返上することを発表した。 この試合後はライトフライ級での2階級制覇を目指すことになり 、4か月後の10月5日にWBA王座も返上した。 井岡は王座統一後、『リング』誌のランキングを2位から1位に上げた。 元1位のは無敗ながら年に1度ペースでしか試合をしない一方で、井岡が楽な試合をせず、王座を統一したことが評価された。 また、この選考過程で、同誌ランキング諮問委員の一人からは、「このようにチャンスを掴む行為は報われるべきだ。 井岡はプロ10戦目にして王座を統一することで自分自身に挑戦している。 これは(若くして実績を残した)のような功績だ。 井岡は非常に過小評価されたオーレイドン・シスサマーチャイを倒して王座を獲得したのであり、忘れてはならないのは、彼がこれらのことを階級を下げてやってきているということだ」という強い支持があった。 この勝利により、トレーナーである父・一法は同年度のを受賞した。 ライトフライ級転向 [ ] 2012年12月31日、大阪府立体育会館で元WBA世界ライトフライ級でWBA世界ライトフライ級5位の(メキシコ)とWBA世界ライトフライ級王座決定戦で対戦し、井岡がロドリゲスから1回と6回の合計3度のダウンを奪い、6回2分50秒TKO勝ちを収め、日本人選手最短のプロ11戦目での2階級制覇を達成した。 1月7日、2012年ので井岡が最優秀選手賞を受賞した。 また「」が「年間最高試合」を受賞した。 2013年1月24日、同年2月23日までの30日間でWBA世界ライトフライ級スーパー王者 対 井岡一翔戦が両者にとって次戦となるよう交渉して合意するようにとWBAより通達を受けたが 、同年2月7日、WBAは同月18日に最低価格を米ドルで8万ドルとする入札を行うと発表した。 しかし、2013年2月15日、ゴンサレス戦に消極的だった井岡陣営からの要望により入札は中止となり延期されることとなった。 父親でありプロモーターでもある一法は、ゴンサレス戦回避の理由について準備期間が短かったことと、統一戦はラスベガスで行うべきとゴンサレス陣営と意見が一致したことを挙げている。 その後ゴンサレス戦の実現に向けた動きはなかった。 2013年5月8日、大阪府立体育会館で元ライトフライ級王者でWBA世界ライトフライ級3位の(タイ)と対戦し、9回2分51秒KO勝ちを収め初防衛に成功した。 2013年9月11日、大阪府立体育会館で元WBA世界ミニマム級王者でWBA世界ライトフライ級5位の(タイ)と対戦し、7回2分17秒KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。 2013年12月31日、大阪府立体育会館でWBA世界ライトフライ級4位の()と対戦し、12回3-0(115-113、119-110、119-109)の判定勝ちを収め、3度目の防衛に成功した。 2月28日、に転向する為にWBA世界ライトフライ級王座を返上した。 フライ級転向 [ ] 2014年5月7日、大阪府立体育会館でアマチュア時代に対戦経験のある世界王者(タイ)と対戦したが、王者の執拗なクリンチに苦しみ12回1-2(114-113、108-119、112-115)の判定負けを喫し、世界最速のプロ15戦目での3階級制覇に失敗した。 2014年9月16日、後楽園ホールでWBA世界フライ級14位の()と対戦し、10回3-0(98-92、99-93、99-91)の判定勝ちを収め再起に成功した。 2014年12月31日、大阪府立体育会館で元WBA世界フライ級暫定王者の()と対戦し、5回2分9秒KO勝ちを収めた。 4月22日、大阪府立体育会館でWBA世界フライ級王者の()と対戦し、序盤はレベコが手数で上回っていたが、終盤からは左ジャブでリズムをつかみ徐々に王者のパンチが当たらなくなり、12回2-0(114-114、116-113、115-113)の判定勝ちを収め悲願にしてを上回る最速での3階級制覇を達成した。 2015年9月27日、大阪府立体育会館でロベルト・ドミンゴ・ソーサと再戦し、12回3-0(2者が119-109、120-108)の判定勝ちを収め初防衛に成功した。 2015年12月31日、大阪府立体育会館で元WBA世界フライ級王者でWBA世界フライ級2位の指名挑戦者ファン・カルロス・レベコと再戦し、11回1分57秒TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。 2016年7月20日、大阪府立体育会館でWBA世界フライ級6位でWBCラテンアメリカフライ級王者のキービン・ララと対戦し、11回1分11秒KO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。 2016年10月6日、WBAはWBA世界フライ級正規王者の井岡一翔とWBA世界フライ級暫定王者のに対し、王座統一戦に関する対戦交渉を開始するよう指令を出した。 2016年12月31日、でWBA世界フライ級暫定王者のスタンプ・キャットニワットと王座統一戦を行い、7回2分51秒TKO勝ちを収め王座を統一し4度目の防衛に成功した。 4月23日、大阪府立体育会館でWBA世界フライ級2位でWBCインターナショナルフライ級シルバー王者のノックノイ・シップラサートと対戦し、12回3-0(2者が117-110、116-111)の判定勝ちを収め5度目の防衛に成功した。 2017年6月23日、同年5月20日にで王座を剥奪されたフアン・エルナンデスに6回2分58秒TKO勝ちを収めWBC世界フライ級王者となった()が、記者会見の席で井岡との統一戦の実現を希望した。 豊富な戦績があり、テクニックに定評のある井岡と、若く勢いがあるハードパンチャーの比嘉の対戦が実現するかどうかが注目されていた。 2017年8月1日、WBAはWBA世界フライ級王者の井岡一翔とWBA世界フライ級1位のに対し、同年7月31日から30日間の交渉期限で指名試合を行う事でまとめるように指令を出した。 2017年11月9日、父親でもある井岡一法会長が井岡一翔不在で会見を開き、同年12月31日にWBA世界フライ級1位でWBAコンチネンタルフライ級王者のアルテム・ダラキアンと6度目の防衛戦を行う計画があったのだが、「(との結婚後、井岡一翔の練習が)コンスタントに出来ていない。 準備が間に合わない。 指名試合で、相手を待たすわけにもいかないし。 いったん返上しようということになった。 」とWBA世界フライ級王座の返上を発表。 井岡一翔の今後については「本人がやる気があれば、いつでも教えていく。 モチベーションがなければ引退するしかない。 二つに一つ」と現役引退の可能性を口にしたが、「(井岡一翔は)東京では走って体を作っていて、体重も60kgを超えずキープしている。 3ヵ月あればコンディションは作れると思う。 来年に再起戦を組むことも、4階級制覇を狙うことも出来る。 」と井岡一翔が現役続行を決意し、井岡一翔本人が希望すればサポートする考えがあることも口にした。 2017年11月13日、WBAが井岡一翔のWBA世界フライ級王座の返上を公式サイト上で発表した。 引退から現役復帰、日本人男子初の4階級制覇 [ ] 2017年12月31日、井岡がTBSの番組「」で生中継された記者会見の中で、同月30日に日本ボクシングコミッションに引退届を受理されたことを明らかにし、「さらなる人生の目標を見つけたので4月の5度目の防衛戦の前に引退を決めました。 次のステージに進むビジョンはできています」と電撃引退を表明した。 引退から約7ヶ月が経過した7月20日、都内で会見を行い、トム・ローファーが率いる360プロモーションズと契約を結び、所属先がパチンコ製造メーカーのになることを発表し、同年9月8日にので開催される「SUPER FLY3」で現役復帰することを表明した。 この試合は米国ではのボクシング中継番組「」で中継された。 2018年12月31日、のウィン・パレスにて元3階級制覇王者と世界スーパーフライ級王座決定戦を行い、12回判定負けで王座獲得に失敗した。 2019年3月27日、東京都内で会見し、国内復帰をするために日本ボクシングコミッション(JBC)に選手としてライセンスを申請しており、今後は「Reason大貴ジム」所属となることを発表した。 2019年6月19日、2年2か月ぶりの国内リング復帰戦となった・イベントホールでのWBO世界スーパーフライ級1位のアストン・パリクテとニエテスの返上したWBO世界同級王座を懸けて対戦し、10回1分46秒TKO勝ちを収め、王座獲得と同時に日本人初の4階級制覇を達成した。 なおこの試合はパリクテのプロモーターであるが契約を結ぶストリーミング配信サービスのによりアメリカを始めとする、世界中で生配信された。 2020年6月25日、Ambition GYMに移籍すると発表した。 私生活 [ ] 2017年5月17日、歌手のと結婚。 谷村の30歳の誕生日である同年9月10日、ハワイで挙式。 2018年2月3日、都内で結婚披露宴を行った。 同年11月11日、離婚を発表。 2019年6月26日、元モデルの一般女性と再婚。 同年8月17日、第1子となる男児が誕生。 スタイル [ ] ボクシング関係者からは距離感、左、駆け引き、冷静さ、コンビネーションなどが評価されている。 井岡一法の語る井岡の強みは、距離感と打ち終わりのポジショニングなどのディフェンス面。 切れのある左ジャブからの多彩なコンビネーションパターンを持ち、鍛えられた下半身から振り子のようにパンチを放つ。 得意のパンチにはアマチュアの国際試合で学んだ、拳の角度を変えて当てる左のロングフックなどが含まれる。 を理想とし、そのコンビネーションについては「(デ・ラ・ホーヤは)ここでパンチをまとめたらレフェリーが止めてくれるのを知っているかのように連打する」と表現する。 幼少期からアマチュア時代のデ・ラ・ホーヤのビデオを繰り返し観ており、全ての動きを攻撃につなげる攻防一体の「超攻撃型」を目指している。 戦績 [ ]• アマチュアボクシング:105戦95勝 64KO・RSC 10敗• プロボクシング:27戦25勝 14KO 2敗 戦 日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考 1 2009年4月12日 勝利 3R 0:26 TKO トンタイレック・ポーウォラシン プロデビュー戦 2 2009年7月26日 勝利 2R 2:59 TKO () 3 2009年12月29日 勝利 10R 判定3-0 () 4 2010年4月18日 勝利 10R 判定3-0 ヘリ・アモル 5 2010年7月25日 勝利 9R 1:57 TKO アルバート・アルコイ 6 2010年10月10日 勝利 10R 1:57 TKO 瀬川正義 () 日本王座決定戦 7 2011年2月11日 勝利 5R 1:07 TKO 世界タイトルマッチ 8 2011年8月10日 勝利 12R 判定3-0 WBC防衛1 9 2011年12月31日 勝利 1R 1:38 TKO ヨードグン・トーチャルンチャイ WBC防衛2 10 2012年6月20日 勝利 12R 判定3-0 () WBA獲得・WBC防衛3 11 2012年12月31日 勝利 6R 2:50 TKO 世界王座決定戦 12 2013年5月8日 勝利 9R 2:51 KO ウィサヌ・ゴーキャットジム WBA防衛1 13 2013年9月11日 勝利 7R 2:17 KO WBA防衛2 14 2013年12月31日 勝利 12R 判定3-0 WBA防衛3 15 2014年5月7日 敗北 12R 判定1-2 世界タイトルマッチ 16 2014年9月16日 勝利 10R 判定3-0 パブロ・カリージョ 17 2014年12月31日 勝利 5R 2:09 KO 18 2015年4月22日 勝利 12R 判定2-0 世界タイトルマッチ 19 2015年9月27日 勝利 12R 判定3-0 ロベルト・ドミンゴ・ソーサ WBA防衛1 20 2015年12月31日 勝利 11R 1:57 TKO WBA防衛2 21 2016年7月20日 勝利 11R 1:11 KO キービン・ララ WBA防衛3 22 2016年12月31日 勝利 7R 2:51 TKO 世界王座統一戦 WBA防衛4 23 2017年4月23日 勝利 12R 判定3-0 ノックノイ・シップラサート WBA防衛5 24 2018年9月8日 勝利 10R 判定3-0 世界シルバータイトルマッチ 25 2018年12月31日 敗北 12R 判定1-2 世界王座決定戦 26 2019年6月19日 勝利 10R 1:46 TKO アストン・パリクテ WBO世界スーパーフライ級王座決定戦 27 2019年12月31日 勝利 12R 判定3-0 ジェイビエール・シントロン WBO王座防衛1 獲得タイトル [ ] アマチュア [ ]• 第16回・第17回全国高校選抜優勝• 第59回・第60回インターハイ優勝• 第60回・第61回少年の部優勝• 第62回・第63回国体成年の部優勝 プロ [ ]• WBC世界シルバー王座• WBO世界王座(防衛1) 受賞歴 [ ]• 2005年度アマチュア部門 新鋭賞• 2009年度プロ部門 新鋭賞• 2011年度プロ部門 殊勲賞• 2012年度プロ部門 賞• 八重樫東)• 2013年度プロ部門 敢闘賞• 2015年度プロ部門 殊勲賞• 2019年度プロ部門 技能賞• 堺市栄誉賞(2009年・2011年)• 第18回 ボクシング部門・敢闘賞(2011年)• 第7回関西MIB賞(2011年)• 第55回関西スポーツ賞 特別賞(2011年)• 第19回日刊バトル大賞 ボクシング部門MVP・敢闘賞・ベストバウト賞(2012年)• 第8回関西MIB賞(2012年)• 2015年12月度月間優秀選手賞 芸能活動 [ ] PV [ ] 「」 2012年4月25日 TV番組 [ ]• 、2011年4月9日、2012年9月29日• 2011春 184位 11問 1:04. 2012秋 91位 22問 1:36. フジテレビ、2011年4月10日、2012年4月8日、10月7日• (2013年4月7日、) イベント [ ]• 2013(2013年9月21日) 脚注 [ ] []• スポニチアネックス 2015年4月23日• (英語)• 2013年2月18日• 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WBA公式サイト 2013年9月11日• Boxing News(ボクシングニュース) 2014年1月1日• WBA公式サイト 2014年2月28日• Boxing News(ボクシングニュース) 2014年3月2日• Boxing News(ボクシングニュース) 2014年5月7日• Boxing News(ボクシングニュース) 2014年9月16日• Boxing News(ボクシングニュース) 2015年1月1日• Boxing News(ボクシングニュース) 2015年4月22日• WBA公式サイト 2015年4月22日• WBA公式サイト 2015年9月27日• Boxing News(ボクシングニュース) 2015年9月27日• Boxing News(ボクシングニュース) 2015年12月31日• WBA公式サイト 2016年7月20日• Boxing News(ボクシングニュース) 2016年7月20日• WBA公式サイト 2016年10月6日• Boxing News(ボクシングニュース) 2016年10月8日• Fightnews. com 2016年12月31日• Boxing News(ボクシングニュース) 2016年12月31日• Boxing News(ボクシングニュース) 2017年4月23日• eFight【イーファイト】 2017年6月23日• WBA公式サイト 2017年8月1日• Boxing News(ボクシングニュース) 2017年8月2日• デイリースポーツ 2017年11月9日• Boxing News(ボクシングニュース) 2017年11月9日• Fightnews. com 2017年11月9日• WBA公式サイト 2017年11月13日• Boxing News(ボクシングニュース) 2017年11月14日• 日刊スポーツ 2017年12月31日• スポニチアネックス 2017年12月31日• Boxing News(ボクシングニュース) 2018年1月1日• 日本語. デイリースポーツ online. 2018年7月20日閲覧。 日本語. サンスポ. 2018年7月20日閲覧。 Boxing News(ボクシングニュース) 2018年7月20日• Boxing News(ボクシングニュース) 2018年9月9日• Boxing News(ボクシングニュース) 2018年11月12日• デイリー・スポーツ 2018年12月31日. 2019年1月3日閲覧。 サンスポ 2019年3月27日. 2019年7月17日閲覧。 Boxing News(ボクシングニュース)2019年6月19日• スポーツ報知 2019年4月19日. 2019年7月17日閲覧。 中日スポーツ 2019年6月19日. 2019年7月24日閲覧。 Boxing News(ボクシングニュース)2019年12月31日• Boxing News(ボクシングニュース)2020年6月25日• 日刊スポーツ 2017年5月17日. 2017年5月17日閲覧。 デイリースポーツ online 株式会社デイリースポーツ. 2017年9月12日. 2017年9月12日閲覧。 日刊スポーツ 2018年2月3日. 2018年8月18日閲覧。 日刊スポーツ. 2018年11月11日. スポーツ報知 報知新聞社. 2019年6月26日. 2019年6月26日閲覧。 Instagram. 2019年8月19日. 2019年8月20日閲覧。 スポーツ報知大阪版. 2012年2月1日. 2012年7月4日閲覧。 スポーツニッポン. 2012年2月1日. 2012年7月4日閲覧。 ボクシングニュース「Box-on! 」 2010年1月6日• 2012年1月6日. 2012年1月11日閲覧。 日刊スポーツ 2020年2月7日• デイリースポーツ 2011年3月8日. 2013年2月21日閲覧。 大池和幸 2011年12月22日. 日刊スポーツ. 2012年1月11日閲覧。 デイリースポーツ 2011年12月30日. 2012年1月11日閲覧。 日刊スポーツ 2012年1月20日. 2012年1月20日閲覧。 木村有三 2012年12月20日. 日刊スポーツ. 2012年12月29日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年12月25日. 2012年12月29日閲覧。 映像資料 [ ]• 試合後インタビュー. 善理俊哉(格闘技ライター)のチャンネル.. 2011年9月2日. 該当時間: 4:15. 2012年10月8日閲覧。 参考文献 [ ]• 2013年9月13日. 2017年2月28日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 芸能プロダクションによるプロフィール• - (英語) 空位 前タイトル保持者 第33代日本王者 2010年10月10日 - 2010年12月15日(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 2011年2月11日 - 2012年6月29日(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 2012年6月20日 - 2012年10月5日(返上) 空位 次タイトル獲得者 空位 前タイトル保持者 世界王者 2012年12月31日 - 2014年2月28日(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 2015年4月22日 - 2017年11月9日(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 2019年6月19日 - 現在 空位 次タイトル獲得者.
次のプロボクシングWBO世界スーパーフライ級王者の井岡一翔(31)が25日、マネジメント会社を通じてDANGAN AOKIジム(東京・新宿区)からAmbitionジム(東京・渋谷区)へ移籍したと発表した。 井岡は「私事ではありますが、Ambition GYMへ移籍させて頂きましたことをご報告させて頂きます。 新たな気持ちで更なる高みへ進んでいきます。 今後とも何卒宜しくお願い致します。 」(原文ママ)とコメントした。 Ambitionジムは2018年4月から休会中だったオザキジムの会長だった元日本同級王者の木谷卓也氏(47)が会長を務め、ライセンスも同ジムのものを使用する。 既に日本ボクシングコミッションにクラブオーナーライセンスの再発行、ジムの移転と名称変更、井岡のジム移籍の各届を提出。 現所属選手は井岡1人。 昨年の大みそかに初防衛に成功した井岡は他団体王者との王座統一戦や、指名挑戦権を持つ元世界3階級制覇王者の田中恒成(25)=畑中=との対戦が期待される。 新型コロナウイルス感染拡大による自粛期間を経て、すでにジムワークを再開させている世界4階級制覇王者は、新天地でビッグマッチに備える。 外部サイト.
次の井岡 一翔 基本情報 本名 井岡 一翔 階級 身長 165. 6cm リーチ 168cm 国籍 誕生日 1989-03-24 (31歳) 出身地 ・ 家族 (父) 親戚 (叔父) スタイル プロボクシング戦績 総試合数 27 勝ち 25 KO勝ち 14 敗け 2 獲得メダル 男子 銅 2008 バンコク ライトフライ級 井岡 一翔(いおか かずと、 - )は、の 第33代日本王者。 元世界王者。 元世界ミニマム級王者。 元WBA世界ライトフライ級王者。 元WBA世界王者。 現世界スーパーフライ級王者。 日本人男子初の世界4階級制覇王者。 元プロボクサーである父・が会長を務める、、Reason大貴ボクシングジムを経て、現在はAmbition GYM所属。 卒業・中退。 メディア応対はマネジメント契約を結んでいるが行なっている。 弟が2人いる。 井岡ボクシングジム初代会長で井岡弘樹ボクシングジム会長の元世界2階級制覇王者は叔父(一法の弟)。 来歴 [ ] アマチュア時代 [ ] 中学1年時に叔父が所属していたでを始め、中学3年時に叔父の井岡弘樹が設立したへ移籍。 在学中にはライトフライ級で2年時に、、で優勝し、2005年度アマチュア部門新鋭賞を受賞。 3年時も選抜大会、インターハイ、の各大会で優勝して・らに次ぐ史上3人目の高校6冠を達成した。 高校卒業後はに進学して出場を目指したが、1年時の決勝で大久保賢児に1ポイント差で敗れ出場を逃した。 翌のでは、で銅メダルを獲得したタイの に準決勝で敗れたものの、銅メダルを獲得。 しかし、この時の井岡はオリンピックを視野に優勝を狙っていたため、「銅メダルもメダルなしも自分としては一緒」と感じていた。 同年の全日本選手権の決勝では林田太郎(駒大1年)に1ポイント差で敗れ2年連続準優勝となった。 大学では・で優勝したが 、北京オリンピックという目標が消えたことを理由にプロ転向を決め、大学を2年途中で中退した。 プロ転向 [ ] 1月18日、B級試験のプロテストに合格してB級ライセンスを取得し 、同年4月12日に第1競技場でプロデビュー。 メインイベントで王者のトンタイレック・ポーウォラシンとライトフライ級ノンタイトル6回戦を行い、3R26秒勝利を収めた。 2009年7月26日、大阪府立体育会館第1競技場で日本ミニマム級7位の()とライトフライ級ノンタイトル8回戦を行い、2R終了間際にを奪ってから連打をまとめて2R2分59秒TKO勝利を収めた。 この試合後、日本ミニマム級8位にランクインした。 2009年12月29日、大阪府立体育会館第1競技場で世界ライトフライ級9位・WBC世界ライトフライ級12位の()とライトフライ級ノンタイトル10回戦を行い、3-0の判定勝利を収めた。 この勝利で世界ランク入りが確実と報道され、年明けにWBA、WBCともライトフライ級14位にランクされた。 なお、この試合はメインイベントとして行われ、世界である高校の先輩()のWBA世界の防衛戦がノンタイトル戦の前座となる日本では異例の扱いだった。 また、CS放送()ながら生中継もされた。 4月18日、大阪府立体育会館第1競技場でWBA世界ライトフライ級13位・WBC世界ライトフライ級13位として東洋太平洋ミニマム級7位・ミニマム級王者のヘリ・アモルとライトフライ級ノンタイトル10回戦で対戦。 9Rにアマチュア時代を含め109戦目で初めてダウンを奪われたが 、6 - 7ポイント差の3-0で判定勝利を収めた。 2010年7月25日、大阪府立体育会館でWBA世界ライトフライ級12位・WBC世界ライトフライ級10位としてフライ級8位のアルバート・アルコイとライトフライ級ノンタイトル10回戦を行い、9RTKO勝利を収めた。 この試合は同一興行内で行われた・兄弟の試合と合わせ「トリプル世界」としてで中継され、以降の試合も同局が中継するようになる。 2010年10月10日、大阪府立体育会館第2競技場で同門のが返上した日本ライトフライ級王座をかけ、WBAライトフライ級9位・WBC同級7位として日本同級1位の瀬川正義()と王座決定戦10回戦を行い、10R1分57秒負傷TKO勝利で王座を獲得した。 その後、12月15日に世界王座挑戦へ専念するため同王座を返上した。 世界ミニマム級タイトル獲得と防衛 [ ] 2月11日、でWBC世界ミニマム級王者(タイ)に挑戦。 2回に左でダウンを奪い、5回に左ボディブローで2度目のダウンを奪うとレフェリーがカウントを途中でストップ。 5回1分7秒TKO勝利を収め、との当時として国内最速記録を更新する7戦目(2014年、により6戦に更新される)での世界王座獲得に成功すると共に生まれの選手としては初の世界王者 となり、試合後のインタビューでは周囲への感謝を語った後に4階級制覇を宣言した。 当時、『』誌の編集長だったナイジェル・コリンズは、「井岡の非凡な功績は3戦目で世界王座を獲得したを彷彿させる」と言って、この戴冠劇を絶賛した。 2011年8月10日、でWBC世界ミニマム級1位で北米ミニマム級王者の()と対戦し、12回3-0(116-112、117-111、118-111)の判定勝利を収め初防衛に成功した。 2011年12月31日、でWBC世界ミニマム級10位でWBC世界ミニマム級の()と対戦し、初回1分38秒TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。 なお、この試合のKOタイムは1972年にがマークした1R1分49秒を抜いて当時の日本の選手による世界王座防衛戦としては最速であり、世界戦全体でも1992年にが王座奪取したときの1R1分32秒に次ぐ記録である (双方の記録とも、のちにが2018年に1R1分10秒の記録で更新)。 WBA王者との統一戦 [ ] 詳細は「」を参照 、でWBA世界ミニマム級王者()と統一戦を行った。 WBC王座3度目の防衛ならびにWBA王座獲得に成功。 日本人による初のWBA、WBC世界王者同士の統一戦に勝利しての(男子かつ同一階級の)世界王座統一を果たした。 しかしながら、WBA・WBC両団体より今回の試合を王座統一戦として認定する条件として「この試合の勝者は10日以内にWBA・WBCいずれかの王座を返上する事」が義務付けられていたため、その条件に従う形で王座統一から9日後の6月29日、WBC王座を返上することを発表した。 この試合後はライトフライ級での2階級制覇を目指すことになり 、4か月後の10月5日にWBA王座も返上した。 井岡は王座統一後、『リング』誌のランキングを2位から1位に上げた。 元1位のは無敗ながら年に1度ペースでしか試合をしない一方で、井岡が楽な試合をせず、王座を統一したことが評価された。 また、この選考過程で、同誌ランキング諮問委員の一人からは、「このようにチャンスを掴む行為は報われるべきだ。 井岡はプロ10戦目にして王座を統一することで自分自身に挑戦している。 これは(若くして実績を残した)のような功績だ。 井岡は非常に過小評価されたオーレイドン・シスサマーチャイを倒して王座を獲得したのであり、忘れてはならないのは、彼がこれらのことを階級を下げてやってきているということだ」という強い支持があった。 この勝利により、トレーナーである父・一法は同年度のを受賞した。 ライトフライ級転向 [ ] 2012年12月31日、大阪府立体育会館で元WBA世界ライトフライ級でWBA世界ライトフライ級5位の(メキシコ)とWBA世界ライトフライ級王座決定戦で対戦し、井岡がロドリゲスから1回と6回の合計3度のダウンを奪い、6回2分50秒TKO勝ちを収め、日本人選手最短のプロ11戦目での2階級制覇を達成した。 1月7日、2012年ので井岡が最優秀選手賞を受賞した。 また「」が「年間最高試合」を受賞した。 2013年1月24日、同年2月23日までの30日間でWBA世界ライトフライ級スーパー王者 対 井岡一翔戦が両者にとって次戦となるよう交渉して合意するようにとWBAより通達を受けたが 、同年2月7日、WBAは同月18日に最低価格を米ドルで8万ドルとする入札を行うと発表した。 しかし、2013年2月15日、ゴンサレス戦に消極的だった井岡陣営からの要望により入札は中止となり延期されることとなった。 父親でありプロモーターでもある一法は、ゴンサレス戦回避の理由について準備期間が短かったことと、統一戦はラスベガスで行うべきとゴンサレス陣営と意見が一致したことを挙げている。 その後ゴンサレス戦の実現に向けた動きはなかった。 2013年5月8日、大阪府立体育会館で元ライトフライ級王者でWBA世界ライトフライ級3位の(タイ)と対戦し、9回2分51秒KO勝ちを収め初防衛に成功した。 2013年9月11日、大阪府立体育会館で元WBA世界ミニマム級王者でWBA世界ライトフライ級5位の(タイ)と対戦し、7回2分17秒KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。 2013年12月31日、大阪府立体育会館でWBA世界ライトフライ級4位の()と対戦し、12回3-0(115-113、119-110、119-109)の判定勝ちを収め、3度目の防衛に成功した。 2月28日、に転向する為にWBA世界ライトフライ級王座を返上した。 フライ級転向 [ ] 2014年5月7日、大阪府立体育会館でアマチュア時代に対戦経験のある世界王者(タイ)と対戦したが、王者の執拗なクリンチに苦しみ12回1-2(114-113、108-119、112-115)の判定負けを喫し、世界最速のプロ15戦目での3階級制覇に失敗した。 2014年9月16日、後楽園ホールでWBA世界フライ級14位の()と対戦し、10回3-0(98-92、99-93、99-91)の判定勝ちを収め再起に成功した。 2014年12月31日、大阪府立体育会館で元WBA世界フライ級暫定王者の()と対戦し、5回2分9秒KO勝ちを収めた。 4月22日、大阪府立体育会館でWBA世界フライ級王者の()と対戦し、序盤はレベコが手数で上回っていたが、終盤からは左ジャブでリズムをつかみ徐々に王者のパンチが当たらなくなり、12回2-0(114-114、116-113、115-113)の判定勝ちを収め悲願にしてを上回る最速での3階級制覇を達成した。 2015年9月27日、大阪府立体育会館でロベルト・ドミンゴ・ソーサと再戦し、12回3-0(2者が119-109、120-108)の判定勝ちを収め初防衛に成功した。 2015年12月31日、大阪府立体育会館で元WBA世界フライ級王者でWBA世界フライ級2位の指名挑戦者ファン・カルロス・レベコと再戦し、11回1分57秒TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。 2016年7月20日、大阪府立体育会館でWBA世界フライ級6位でWBCラテンアメリカフライ級王者のキービン・ララと対戦し、11回1分11秒KO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。 2016年10月6日、WBAはWBA世界フライ級正規王者の井岡一翔とWBA世界フライ級暫定王者のに対し、王座統一戦に関する対戦交渉を開始するよう指令を出した。 2016年12月31日、でWBA世界フライ級暫定王者のスタンプ・キャットニワットと王座統一戦を行い、7回2分51秒TKO勝ちを収め王座を統一し4度目の防衛に成功した。 4月23日、大阪府立体育会館でWBA世界フライ級2位でWBCインターナショナルフライ級シルバー王者のノックノイ・シップラサートと対戦し、12回3-0(2者が117-110、116-111)の判定勝ちを収め5度目の防衛に成功した。 2017年6月23日、同年5月20日にで王座を剥奪されたフアン・エルナンデスに6回2分58秒TKO勝ちを収めWBC世界フライ級王者となった()が、記者会見の席で井岡との統一戦の実現を希望した。 豊富な戦績があり、テクニックに定評のある井岡と、若く勢いがあるハードパンチャーの比嘉の対戦が実現するかどうかが注目されていた。 2017年8月1日、WBAはWBA世界フライ級王者の井岡一翔とWBA世界フライ級1位のに対し、同年7月31日から30日間の交渉期限で指名試合を行う事でまとめるように指令を出した。 2017年11月9日、父親でもある井岡一法会長が井岡一翔不在で会見を開き、同年12月31日にWBA世界フライ級1位でWBAコンチネンタルフライ級王者のアルテム・ダラキアンと6度目の防衛戦を行う計画があったのだが、「(との結婚後、井岡一翔の練習が)コンスタントに出来ていない。 準備が間に合わない。 指名試合で、相手を待たすわけにもいかないし。 いったん返上しようということになった。 」とWBA世界フライ級王座の返上を発表。 井岡一翔の今後については「本人がやる気があれば、いつでも教えていく。 モチベーションがなければ引退するしかない。 二つに一つ」と現役引退の可能性を口にしたが、「(井岡一翔は)東京では走って体を作っていて、体重も60kgを超えずキープしている。 3ヵ月あればコンディションは作れると思う。 来年に再起戦を組むことも、4階級制覇を狙うことも出来る。 」と井岡一翔が現役続行を決意し、井岡一翔本人が希望すればサポートする考えがあることも口にした。 2017年11月13日、WBAが井岡一翔のWBA世界フライ級王座の返上を公式サイト上で発表した。 引退から現役復帰、日本人男子初の4階級制覇 [ ] 2017年12月31日、井岡がTBSの番組「」で生中継された記者会見の中で、同月30日に日本ボクシングコミッションに引退届を受理されたことを明らかにし、「さらなる人生の目標を見つけたので4月の5度目の防衛戦の前に引退を決めました。 次のステージに進むビジョンはできています」と電撃引退を表明した。 引退から約7ヶ月が経過した7月20日、都内で会見を行い、トム・ローファーが率いる360プロモーションズと契約を結び、所属先がパチンコ製造メーカーのになることを発表し、同年9月8日にので開催される「SUPER FLY3」で現役復帰することを表明した。 この試合は米国ではのボクシング中継番組「」で中継された。 2018年12月31日、のウィン・パレスにて元3階級制覇王者と世界スーパーフライ級王座決定戦を行い、12回判定負けで王座獲得に失敗した。 2019年3月27日、東京都内で会見し、国内復帰をするために日本ボクシングコミッション(JBC)に選手としてライセンスを申請しており、今後は「Reason大貴ジム」所属となることを発表した。 2019年6月19日、2年2か月ぶりの国内リング復帰戦となった・イベントホールでのWBO世界スーパーフライ級1位のアストン・パリクテとニエテスの返上したWBO世界同級王座を懸けて対戦し、10回1分46秒TKO勝ちを収め、王座獲得と同時に日本人初の4階級制覇を達成した。 なおこの試合はパリクテのプロモーターであるが契約を結ぶストリーミング配信サービスのによりアメリカを始めとする、世界中で生配信された。 2020年6月25日、Ambition GYMに移籍すると発表した。 私生活 [ ] 2017年5月17日、歌手のと結婚。 谷村の30歳の誕生日である同年9月10日、ハワイで挙式。 2018年2月3日、都内で結婚披露宴を行った。 同年11月11日、離婚を発表。 2019年6月26日、元モデルの一般女性と再婚。 同年8月17日、第1子となる男児が誕生。 スタイル [ ] ボクシング関係者からは距離感、左、駆け引き、冷静さ、コンビネーションなどが評価されている。 井岡一法の語る井岡の強みは、距離感と打ち終わりのポジショニングなどのディフェンス面。 切れのある左ジャブからの多彩なコンビネーションパターンを持ち、鍛えられた下半身から振り子のようにパンチを放つ。 得意のパンチにはアマチュアの国際試合で学んだ、拳の角度を変えて当てる左のロングフックなどが含まれる。 を理想とし、そのコンビネーションについては「(デ・ラ・ホーヤは)ここでパンチをまとめたらレフェリーが止めてくれるのを知っているかのように連打する」と表現する。 幼少期からアマチュア時代のデ・ラ・ホーヤのビデオを繰り返し観ており、全ての動きを攻撃につなげる攻防一体の「超攻撃型」を目指している。 戦績 [ ]• アマチュアボクシング:105戦95勝 64KO・RSC 10敗• プロボクシング:27戦25勝 14KO 2敗 戦 日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考 1 2009年4月12日 勝利 3R 0:26 TKO トンタイレック・ポーウォラシン プロデビュー戦 2 2009年7月26日 勝利 2R 2:59 TKO () 3 2009年12月29日 勝利 10R 判定3-0 () 4 2010年4月18日 勝利 10R 判定3-0 ヘリ・アモル 5 2010年7月25日 勝利 9R 1:57 TKO アルバート・アルコイ 6 2010年10月10日 勝利 10R 1:57 TKO 瀬川正義 () 日本王座決定戦 7 2011年2月11日 勝利 5R 1:07 TKO 世界タイトルマッチ 8 2011年8月10日 勝利 12R 判定3-0 WBC防衛1 9 2011年12月31日 勝利 1R 1:38 TKO ヨードグン・トーチャルンチャイ WBC防衛2 10 2012年6月20日 勝利 12R 判定3-0 () WBA獲得・WBC防衛3 11 2012年12月31日 勝利 6R 2:50 TKO 世界王座決定戦 12 2013年5月8日 勝利 9R 2:51 KO ウィサヌ・ゴーキャットジム WBA防衛1 13 2013年9月11日 勝利 7R 2:17 KO WBA防衛2 14 2013年12月31日 勝利 12R 判定3-0 WBA防衛3 15 2014年5月7日 敗北 12R 判定1-2 世界タイトルマッチ 16 2014年9月16日 勝利 10R 判定3-0 パブロ・カリージョ 17 2014年12月31日 勝利 5R 2:09 KO 18 2015年4月22日 勝利 12R 判定2-0 世界タイトルマッチ 19 2015年9月27日 勝利 12R 判定3-0 ロベルト・ドミンゴ・ソーサ WBA防衛1 20 2015年12月31日 勝利 11R 1:57 TKO WBA防衛2 21 2016年7月20日 勝利 11R 1:11 KO キービン・ララ WBA防衛3 22 2016年12月31日 勝利 7R 2:51 TKO 世界王座統一戦 WBA防衛4 23 2017年4月23日 勝利 12R 判定3-0 ノックノイ・シップラサート WBA防衛5 24 2018年9月8日 勝利 10R 判定3-0 世界シルバータイトルマッチ 25 2018年12月31日 敗北 12R 判定1-2 世界王座決定戦 26 2019年6月19日 勝利 10R 1:46 TKO アストン・パリクテ WBO世界スーパーフライ級王座決定戦 27 2019年12月31日 勝利 12R 判定3-0 ジェイビエール・シントロン WBO王座防衛1 獲得タイトル [ ] アマチュア [ ]• 第16回・第17回全国高校選抜優勝• 第59回・第60回インターハイ優勝• 第60回・第61回少年の部優勝• 第62回・第63回国体成年の部優勝 プロ [ ]• WBC世界シルバー王座• WBO世界王座(防衛1) 受賞歴 [ ]• 2005年度アマチュア部門 新鋭賞• 2009年度プロ部門 新鋭賞• 2011年度プロ部門 殊勲賞• 2012年度プロ部門 賞• 八重樫東)• 2013年度プロ部門 敢闘賞• 2015年度プロ部門 殊勲賞• 2019年度プロ部門 技能賞• 堺市栄誉賞(2009年・2011年)• 第18回 ボクシング部門・敢闘賞(2011年)• 第7回関西MIB賞(2011年)• 第55回関西スポーツ賞 特別賞(2011年)• 第19回日刊バトル大賞 ボクシング部門MVP・敢闘賞・ベストバウト賞(2012年)• 第8回関西MIB賞(2012年)• 2015年12月度月間優秀選手賞 芸能活動 [ ] PV [ ] 「」 2012年4月25日 TV番組 [ ]• 、2011年4月9日、2012年9月29日• 2011春 184位 11問 1:04. 2012秋 91位 22問 1:36. フジテレビ、2011年4月10日、2012年4月8日、10月7日• (2013年4月7日、) イベント [ ]• 2013(2013年9月21日) 脚注 [ ] []• スポニチアネックス 2015年4月23日• (英語)• 2013年2月18日• 林田はNHKのインタビューで「後半2Rはポイントを取られて負けたと思った」と語った。 「」オフィシャルサイト 2007年10月8日閲覧。 「月刊ボクシングワールド」オフィシャルサイト 2008年10月2日閲覧。 日刊スポーツ 2009年4月12日閲覧• 2009年7月27日閲覧• 日刊スポーツ 2009年12月30日閲覧。。。 スポーツ報知 2010年4月20日閲覧• 2010年7月25日閲覧• ボクシングニュース「Box-on! 」 2010年10月10日閲覧• ボクシングニュース「Box-on! 」 2010年12月22日• 亀田大毅も井岡と同じ1989年の早生まれだが、タッチの差で昭和64年。 ボクシングニュース「Box-on! 」 2011年2月22日閲覧。 Doug Fischer 2011年2月15日. 2012年12月29日閲覧。 日刊スポーツ 2011年8月10日閲覧• スポーツニッポン 2011年12月31日閲覧• スポーツ報知. 2012年12月29日. 2012年12月29日閲覧。 日刊スポーツ 2012年6月29日閲覧• 日刊スポーツ 2012年9月20日• Michael Rosenthal 2012年6月26日. RingTV. com. 2012年12月29日閲覧。 ボクシングニュース「Box-on! 2012年12月22日. Fightnews. com 2012年12月31日• ボクシングニュース「Box-on! 」 2012年12月31日• スポーツ報知 2012年12月31日• WBA公式サイト 2013年1月1日• ボクシングニュース「Box-on! 」 2013年1月7日• 2013年1月24日• 2013年2月7日• Boxing Scene. com 2013年2月13日• 2013年2月15日• 2013年2月17日• スポーツ報知 2013年5月8日• Boxing News(ボクシングニュース) 2013年9月11日• 2013年9月15日, at the. WBA公式サイト 2013年9月11日• Boxing News(ボクシングニュース) 2014年1月1日• WBA公式サイト 2014年2月28日• Boxing News(ボクシングニュース) 2014年3月2日• Boxing News(ボクシングニュース) 2014年5月7日• Boxing News(ボクシングニュース) 2014年9月16日• Boxing News(ボクシングニュース) 2015年1月1日• Boxing News(ボクシングニュース) 2015年4月22日• WBA公式サイト 2015年4月22日• WBA公式サイト 2015年9月27日• Boxing News(ボクシングニュース) 2015年9月27日• Boxing News(ボクシングニュース) 2015年12月31日• WBA公式サイト 2016年7月20日• Boxing News(ボクシングニュース) 2016年7月20日• WBA公式サイト 2016年10月6日• Boxing News(ボクシングニュース) 2016年10月8日• Fightnews. com 2016年12月31日• Boxing News(ボクシングニュース) 2016年12月31日• Boxing News(ボクシングニュース) 2017年4月23日• eFight【イーファイト】 2017年6月23日• WBA公式サイト 2017年8月1日• Boxing News(ボクシングニュース) 2017年8月2日• デイリースポーツ 2017年11月9日• Boxing News(ボクシングニュース) 2017年11月9日• Fightnews. com 2017年11月9日• WBA公式サイト 2017年11月13日• Boxing News(ボクシングニュース) 2017年11月14日• 日刊スポーツ 2017年12月31日• スポニチアネックス 2017年12月31日• Boxing News(ボクシングニュース) 2018年1月1日• 日本語. デイリースポーツ online. 2018年7月20日閲覧。 日本語. サンスポ. 2018年7月20日閲覧。 Boxing News(ボクシングニュース) 2018年7月20日• Boxing News(ボクシングニュース) 2018年9月9日• Boxing News(ボクシングニュース) 2018年11月12日• デイリー・スポーツ 2018年12月31日. 2019年1月3日閲覧。 サンスポ 2019年3月27日. 2019年7月17日閲覧。 Boxing News(ボクシングニュース)2019年6月19日• スポーツ報知 2019年4月19日. 2019年7月17日閲覧。 中日スポーツ 2019年6月19日. 2019年7月24日閲覧。 Boxing News(ボクシングニュース)2019年12月31日• Boxing News(ボクシングニュース)2020年6月25日• 日刊スポーツ 2017年5月17日. 2017年5月17日閲覧。 デイリースポーツ online 株式会社デイリースポーツ. 2017年9月12日. 2017年9月12日閲覧。 日刊スポーツ 2018年2月3日. 2018年8月18日閲覧。 日刊スポーツ. 2018年11月11日. スポーツ報知 報知新聞社. 2019年6月26日. 2019年6月26日閲覧。 Instagram. 2019年8月19日. 2019年8月20日閲覧。 スポーツ報知大阪版. 2012年2月1日. 2012年7月4日閲覧。 スポーツニッポン. 2012年2月1日. 2012年7月4日閲覧。 ボクシングニュース「Box-on! 」 2010年1月6日• 2012年1月6日. 2012年1月11日閲覧。 日刊スポーツ 2020年2月7日• デイリースポーツ 2011年3月8日. 2013年2月21日閲覧。 大池和幸 2011年12月22日. 日刊スポーツ. 2012年1月11日閲覧。 デイリースポーツ 2011年12月30日. 2012年1月11日閲覧。 日刊スポーツ 2012年1月20日. 2012年1月20日閲覧。 木村有三 2012年12月20日. 日刊スポーツ. 2012年12月29日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年12月25日. 2012年12月29日閲覧。 映像資料 [ ]• 試合後インタビュー. 善理俊哉(格闘技ライター)のチャンネル.. 2011年9月2日. 該当時間: 4:15. 2012年10月8日閲覧。 参考文献 [ ]• 2013年9月13日. 2017年2月28日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 芸能プロダクションによるプロフィール• - (英語) 空位 前タイトル保持者 第33代日本王者 2010年10月10日 - 2010年12月15日(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 2011年2月11日 - 2012年6月29日(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 2012年6月20日 - 2012年10月5日(返上) 空位 次タイトル獲得者 空位 前タイトル保持者 世界王者 2012年12月31日 - 2014年2月28日(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 2015年4月22日 - 2017年11月9日(返上) 空位 次タイトル獲得者 前王者 世界王者 2019年6月19日 - 現在 空位 次タイトル獲得者.
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