8月7日はバナナの日 今回は 「バナナの日」について解説していきます! なぜ8月7日が「バナナの日」なのかというと、8月7日がという日付が 「バ 8 ナナ 7 」という語呂合わせであることが由来となっています。 「バナナの日」は日本バナナ輸入組合によって制定された記念日となります。 日本バナナ輸入組合によると「 果物で一番の輸入量を誇り、健康にも良いバナナを食べて暑い夏を元気に乗り切ってもらいたい」との願いから制定したそうです。 バナナは とにかく栄養が豊富に含まれているという事が有名ですよね。 スポーツを行う前にも栄養補給としてバナナを食べている人は多く、朝ごはんにバナナを食べるととても効率よく必要な栄養を摂取出来て、エネルギー補給にもつながるそうです。 また、バナナは果物として食べられる事も多いですが、その 甘くて独特な味からスイーツに使われる事も多いですよね。 バナナが好物の人にとってはバナナパフェやチョコバナナといったバナナを使ったスイーツはたまらないのではないでしょうか。 「バナナの日」には是非とも栄養満点なバナナを食べてみてくださいね。 バナナの雑学 今回は「バナナの日」にちなんで「 輸入されるバナナは青いものだけ」「 バナナの茶色い斑点の名前」などバナナにまつわる面白い雑学を紹介します。 輸入されるバナナは青いものだけ 皆さんはバナナといえば何色を想像しますか? おそらくはほとんどの人が バナナといえば黄色を想像するかと思います。 しかし、実は輸入される段階ではバナナは全て青いんです。 そもそも 輸入されるバナナに関しては青いバナナしか輸入できないという規則があるんですね。 バナナは長時間船で運ぶ際に傷みやすいというのはもちろんのことですが、 熟して黄色くなったバナナについては日本にはいない未知の虫による病気にかかりやすいのです。 もしそのようなバナナを日本国内に持ち込んで蔓延してしまっては多大な影響を与えてしまうため 「植物防疫法」という法律によって青いバナナしか持ち込めないようにしているのでした。 スーパーに並んでいるバナナがなぜ黄色いものばかりなのかというと、バナナを発酵室に入れて熟成を促すためのエジレンガスを吹きかけることによって熟成を早め、黄色くなったものを商品として出しているからなんですね。 バナナの茶色い斑点の名前 バナナって黄色くてシャキっとしている状態の方が新鮮な感じがして美味しそうですよね。 逆に 茶色い斑点が出てくると「傷んできた」と感じる方も多いのではないでしょうか。 ちなみに 茶色い斑点には「シュガースポット」という名前がついています。 茶色くなってくるともう食べれないかなと思いがちですが、 実はバナナの食べ頃はシュガースポットが出てきてからって知っていましたか? まず バナナは熟すことでシュガースポットが出てくるので、黄色い時よりも糖度が上がります。 また、シュガースポットが出てきたバナナは、出てくる前と比べ、 免疫増強効果が8倍も上がるそうです。 黄色いままでも充分に美味しいバナナですが、せっかくですので美味しく栄養価も高い状態で食べるのがベストですね。 以上がバナナの雑学でした、いかがでしたか?.
次の2019年7月23日の『マツコの知らない世界』に出演する野田枝里 のだえり さんの バナナジュース専門店の名前は「sonna banana そんなバナナ 」!! そんなバナナ!! こちらの記事ではマツコさんが飲んだ野田枝里さんのバナナジュース専門店「sonna banana そんなバナナ 」の 場所・アクセス・メニュー・値段 価格 ・口コミについて調べたことをまとめました。 バナナジュースで朝型人間になった野田枝里さんの「sonnna bana そんなバナナ 」のバナナジュースを飲んでマツコさんもバナナジュースを大絶賛!! こだわりのバナナジュースを飲めるのお店の場所気になる方多いと思います!! マツコさんが飲んだバナナジュースメニューも紹介しますね!! では、早速チェックしてみましょう!! 」と大絶賛したこだわりのバナナジュースを販売しているのは元ホステスの経歴を持つ野田枝里 のだ えり さん。 野田枝里さんが経営しているバナナジュースの専門店の名前は、 「sonna banana」です。 お店の名前が 「そんなバナナ」ですよ!! バナナジュース専門店「sonna banana そんなバナナ 」は、 2016年3月にオープンしました。 しかも「sonna banana(そんなバナナ)」は、現在は1店舗のみならず6店舗も展開しているです。 3年で6店舗まで増えるってすごいことですよね!! それぞれの店舗の場所と営業時間を紹介しますね。 トロッと濃厚ながら砂糖不使用の自然な味わいで老幼問わず女性客がひっきりなしでした。 そんな早い賞味期限初めて聞きました 笑 いや、でもきっとそれだけ野田枝里 のだえり さんのこだわりは本気なんでしょう。 バナナと牛乳だけで作ったバナナジュースはさっぱりとしていてバナナを食べるよりおいしいと言う方もいるほどです。 砂糖を使っていないので、自然の優しい甘みのバナナジュースに仕上がってます。 バナナと牛乳だけでしっかりと甘みがあるバナナジュースになる秘密は、「sonna banana そんなバナナ 」のこだわりがあるんです。 バナナの産地やちょうど良い時期まで計算されているんだそうです。 バナナを知り尽くしているからこそできたバナナジュースなんですね。 セサミンが肝臓に酔い働きをするそうです。 オーナーの野田枝里さんが一番おすすめのトッピングだそうです。 甘酒と言われないと分からないくらいくせのない味で飲みやすいそうです。 マツコさんはこの甘酒が一番好きそうでしたね。 エアコンがガンガン聞いたオフィスに行く前の朝に飲んで欲しいとのことでした。 マツコさんはしょうがは苦手そうでしたね。 シークワーサー味のバナナジュースもあったから、気になるひとは飲んでみてね。 私はふつうのバナナにしました。 おいしかった。 バナナと牛乳のみで作って半端ないって。 砂糖不使用かつ無添加で作られたバナナジュースは超濃厚な味わい、黒ゴマやきなこ、宇治抹茶、ほうじ茶などお好みでトッピングすることも可能やもん。 そんなんできひんやん、普通。 バナナと牛乳だけで作った基本のメニュー・バナナジュースに別料金でトッピングやアレンジができる。 時間勝負!!
次の「芭蕉」という文字ですか、見覚えがありませんか? そう、あの「奥のほそ道」や「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句で有名なあの松尾芭蕉ですね。 これらは日本人ならば誰でも聞いたことがあるといってもいいぐらい有名ですよね。 松尾芭蕉は、現在の三重県伊賀市出身の江戸時代前期の俳諧師です。 ではバナナと松尾芭蕉にどんな関係があるのでしょうか?松尾芭蕉がよく食べていたフルーツだからそれが芭蕉と呼ばれるようになった?そうではないようです。 というよりは逆でした。 松尾芭蕉はもともとは桃青と名乗っていました。 ですが、ある日、桃青の弟子が桃青の自宅の庭に芭蕉の木を植えました。 当時の1600年代には芭蕉の木は非常に珍しかったこともあり、桃青はそこから名前をもらって松尾芭蕉と名乗るようにしたとのことです。 聖書に詳しくない人でもこれぐらいは誰でも知っている話ですよね。 この禁断の果実はリンゴだったと教わりませんでしたか?なんとこれがリンゴではなくバナナだった?という説が存在しています。 ルネサンス時代のヨーロッパ以外の学者たちはその果物は正しくはバナナだと主張していたのです。 また、楽園の物語を旧約聖書とは違う形で語っているコーランではまさにバナナと書かれているそうです。 バナナの起源 バナナの歴史は大変古く、マレー半島のあたりで紀元前5000~10000年ごろに偶然できたバナナの苗を人間が栽培するようになったのが現在のバナナの起源のようです。 もともとバナナは我々が知っている大きさではなく、人差し指ほどの非常に小さく、しかも種があるバナナだったそうです。 当時の人たちにとって、それをあえて食用に栽培しようするものではなかったそうですが、ある時期突然種無しバナナが出現します。 突然変異または偶然の異種交配によるものと考えられています。 それは大きいものであり、食用に適していたので栽培がはじまったそうです。 私たちが普段食べているのはマレー半島原産の「ムサ・アラミナータ」とフィリピン原産の「バビルシアーナ」の2種がもとになっているといわれています。 この2つの「ムサアラミナータ」と「バビルシアーナ」の2つが出会ったことにより、様々な品種が生まれてきたという歴史があります。 バナナを西洋に広めたのはあのアレクサンドロス大王だった! 紀元前300年代に活躍した大遠征をしたことで有名なマケドニアの王アレクサンドロス大王はインドのインダス側上流でバナナを発見し、船でバナナをエジプトに持ち帰ったそうです、 これによってバナナは初めて西洋にもたらされることになりました。 このことから、インドから西方へのバナナの伝播は中近東を通らずに海を渡ったと考えられています。 フランス人の神父によってアメリカにもバナナが広まる コロンブスのアメリカ大陸発見後の16世紀ごろ、フランス人の神父がアメリカへ渡航する際、西アフリカのカナリヤ諸島(スペイン領)に立ち寄りました。 そこで手に入れたバナナの苗を持って大西洋を渡りました。 そして 中米ハイチに上陸し、苗を育ててみたところ、気候に合っていたため繁殖しました。 ここからキューバ、メキシコ、ブラジルなど、アメリカ大陸に移住者とともに広まっていきました。 台湾からの輸入で日本にもバナナが入ってくる 現在は比較的安価なフルーツの代表と言えるバナナですが、日本に入ってきたころは非常に高価なフルーツでした。 贈り物やお見舞いの品など、ごく限られたときにしか買えないようなものだったそうです。 1949年には市場での卸値は1キロあたり、1000円以上に相当する値段がついていました。 当時の日本人の平均月収は10000円弱程度でしたので、平均月収の1割もするということですね。 これは何故かというと輸入数が制限されていたからです。 当時の日本では外貨が不足していたので、バナナは必要性の低いものと考えられていました。 数の限られたバナナの輸入権利を獲得しようと多数の業者が争う形になってしまったため値段が跳ね上がってしまったのです。 しかし、戦後の日本は自国の産業保護のために輸入制限をすることが許されない状況になったために 1963年(昭和38年)にバナナの輸入が自由化されました。 これに目をつけたのがフィリピンです。 輸入自由化された日本市場向けのバナナを生産するために、大農園(プランテーション)が作られます。 これによって1970年代のフィリピン産のバナナが大量に出回るようになり、台湾産は次第に数を減らしていきました。 1970(昭和45年)の時点では、エクアドル産バナナが1位になったのですが、その後、1973年(昭和48)年ついにフィリピンが一位になります。 以降、 現在に至るまでバナナはフィリピンからの輸入がトップを独占するようになりました。 それに伴い価格も安価なものになり、日本人に定着していくようになりました。 日本では沖縄、小笠原奄美諸島などのごく限られた地域での少量生産やハウス栽培などで栽培されるのみで戦前・戦中から現在に至るまでほとんどを外国からの輸入にたよっていています。 果物・野菜の漢字表記について• バナナに関する記事•
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