おしんを演じる役者も子供時代の小林綾子さん、田中裕子さんから、乙羽信子さん(1924~94年)に替わり、1年放送の連ドラも終盤に。 1983年度の初回放送時は見ていない若い世代にもハマる人が続出しています。 現在は、1週間分の放送をまとめてみているという小林さんは今、作品をどうみているのか。 一方、どこにいっても人に囲まれるようになった当時、どんな思いで過ごしていたのか、「国民的子役」の重圧はなかったのか。 撮影秘話も含めて聞きました。 「当時10歳、小学校4年生でした。 5歳ごろから仕事はしていたけど、そんな大役、まして主役は初めて。 『せりふだけはしっかり覚えてきてください』と言われて、1週間分で2センチ近くある台本を計6冊、母と二人三脚で覚える作業からスタートしました。 撮影は朝から晩まで出ずっぱり。 大変だったけど、子どもなので『うまくやらなきゃ』というプレッシャーは全然なかった。 だからこそ、ナチュラルな一生懸命さが画面を通して伝わったのかも。 この子が何とか最後までできるようにと、周りの皆さんが気にかけてくれて。 (母親役の)泉ピン子さんには、本当のお母さんのように演技指導もしていただきました」.
次の1983年放映のNHKの朝ドラ「おしん」のストーリー 全297話を簡単に分かりやすくネタバレ満載でまとめました。 おしんとは橋田壽賀子さん原作の連続テレビ小説で 明治生まれの女性の人生の物語です。 放送期間は1年、平均視聴率52. 本投稿ではドラマの章立てに合わせ 7章に分け、結末までまとめています。 もくじをクリックすると読みたい章に飛ぶことができます。 少女編 1話-36話 故郷の山形へ旅に出る(1話-3話) 1983年、80代の田倉しんは、自分が興したスーパーマーケートチェーンの経営から退き静かに暮らしていたが、早春のある日(新たな大型店のオープン前日)、誰にも行先を告げず旅に出た。 追いかけてきた孫の圭と共に思い出の地を巡るおしんの旅がはじまった。 一方、両親は凶作と地主への小作料を払うための借金に苦しみ、2人の姉・はるとみつは既に奉公に出され、一家は大根飯 大根で薄めた飯 を食べる厳しい状況だった。 そんな中7人目の子が生まれることになり、父・作造 伊東四朗 は 口減 らしのためおしんに1年の年季奉公に出るよう言った。 そんな中幸運なことに、 子守しながらの通学を材木屋の主人 平泉成 に許された。 おしんは、優しい松田先生の助けで 字を書けるまでになり(いじめっ子のせいで通学は途中で断念)、故郷に手紙を出すことも出来た。 しかし冬を迎え奉公終了までもう少しの時、 つねに 金が紛失した濡れ衣を着せられ、祖母からのお守りの50銭銀貨を奪われたことで忍耐の糸が切れ、 奉公先を逃げ出してしまった。 故郷に向かう途中、吹雪に遭いおしんは倒れてしまったが、山で猟をして暮らす 脱走兵の俊作 中村雅俊 に命を救われた。 心暖かい俊作から食事の世話になり、更に 字や算術を教わった。 俊作を支える松造じいさん 大久保正信 にも可愛がられ、 おしんは雪解けまで幸せに過ごした。 また、 生まれた妹・すみは養子に出され、母は銀山温泉へ酌婦として出稼ぎに行ってしまった。 おしんは家計のため新たな奉公の話を受け、奉公に出る前に 銀山温泉に居る母を歩いて訪ね、母に似た こけしを貰い次の奉公先へ向かった。 次の 奉公先、 酒田の米問屋の加賀屋はとても裕福で、 見るもの全て身分の差を感じさせる世界だった。 おしんと同い年の跡取り娘・加代 志喜屋文 は、美しい着物で女中に付き添われ学校に通い、奉公人も十分な食事を与えられた。 仕事は加代の妹・小夜の子守だけだったがおしんは他の仕事も積極的に行った。 やがて 加代とも友達のように仲良くなり、おしんの向学心を知った大奥様・くに 長岡輝子 が、奉公後の夜の時間に 字や算術を教えてくれるようになった。 また 加代を大怪我から助けたことで若奥さまにも目をかけられ、正月に加代と揃いの晴れ着を着せてもらうなど、大切にされながら奉公を続けた。 しかし奉公をはじめて半年、最愛の祖母が病で天に召された。 おしんは「働き詰めで亡くなってようやく楽になる人生は嫌だ」と強く思った。 青春編 37話-86話 16才の初恋-浩太との出会い- (37話-48話) 時が経過し16才になったおしん 田中裕子 は、店の帳簿つけも手伝い女中頭として 加賀屋になくてはならない存在になっていた。 ある時 、酒田を訪れていた農民運動の 活動家・浩太 渡瀬恒彦 と知り合い、惹かれ合うようになった。 しかし同じく浩太に思いを寄せていた加代 東てる美 が、帰京する浩太に強引に着いて行ってしまった。 おしんは加代の失踪理由を加賀屋の人達に隠し続けるのが心苦しく、縁談を断ったこともあり、 奉公を終えて故郷に戻った。 実家の状況は変わらず厳しく、おしんは米沢の料理屋で奉公に出る事になった。 しかし紹介屋が女郎の斡旋目的であることを知り、 製糸工場での過労が原因で亡くなった姉・はるの夢( 東京で髪結いになること)を叶えるため、逃げるように故郷を後にした。 2年の下働きの後、 流行り初めていた 洋髪の髪結いとして活躍し始め、神田のカフェ・アテネの女給を中心に得意客も得た。 (加代とも再会) しかし働いて得た金の多くを、 実家の新築のために送金していて、過労で入院する事態になった。 (新築した家には兄・庄治 吉岡祐一 と嫁とら 渡辺えり が住み、 両親はあばら屋住まいだった) そ の時、カフェの得意客でおしんに好意を持つ、高級布地商店の社長・ 田倉竜三 並樹史朗 が、献身的に世話をしてくれたことに心を打たれ、 家柄の差による義母の反対を押し切り、21歳の年に結婚した。 しかし、大正12年 1923 年、 関東大震災に遭い、夫の故郷・佐賀に身を寄せることになった。 佐賀で夫家族と同居 (117話-136話) 夫の実家では、 姑・清(きよ) 高森和子 からの数々の酷い仕打ちが待っていた。 他に空き部屋があるのに納戸で寝起きするよう言われ、厳しい開墾作業を行い食事に差をつけられ、竜三が息子のおしめを洗えば夫をこき使う と嫌味、 干拓事業で土地を持ちたいという竜三の希望も、おしんがそそのかしていると言うなど、 やることなすことおしんが悪者 にされる辛い日々が続いた。 そんな中おしんは第二子を妊娠、 自由を得られる東京に戻ろうと出奔しますが、一緒に 逃げようと声をかけた小作人の妻・佐和 香野百合子 が身重のおしんを心配し、 竜三に計画を伝えてしまい、 追いかけてきた竜三と長男の取り合いになり、おしんは右手に 大怪我を負ってしまった。 妊娠報告後も姑はおしんをじゃけんに扱い続け、怪我の原因が出奔であることが知れると更に当たりが厳しくなった。 日が過ぎ、篤子が出産を迎え難産となり、台風の夜に遠方の医者を呼ばねばならないなど慌ただしくなる中、同時に 小屋で産気づき苦しむおしんに誰も気づかず、おしんは長女の命を失ってしまった。 ここでは子供を産むことも出来ないと悟り、竜三にはいつかまた一緒に暮らしたいと伝え、おしんは長男・雄を連れて 佐賀を去った。 東京に戻ったおしんは髪結いの師匠たかを頼りますが、 怪我の右手を思うように動かせず、髪結 いの職を断念した。 その後、かつて田倉商店の在庫布地を売り裁くのに世話になったテキ屋の 健 ガッツ石松 の手配で屋台を始めたが、健の女から浮気を疑われたため 商売をやめ、山形の故郷に戻ることした。 故郷はすっかり兄の代だったが困窮は変わらず、おしんは肩身の狭い思いで滞在した。 そんな中、 加賀屋の大奥様の危篤の報せを受け、雄を連れ酒田へ向かった。 酒田で飯屋を営む (156話-169話) おしんは大奥様と最後の言葉を交わすことができた。 (加代は上京後、妹が病で他界したため実家に帰り、各地を回り連絡してこない浩太を諦め婿を迎えた)そして加代から、 加賀屋が所有する空き家で商売をしてはどうかと言われ、おしんは飯屋を始め苦労しながらも商売を軌道に乗せた。 そんな中、農民運動で酒田に来ていた浩太と再会、酔っ払い相手など苦労が多い事を 心配した浩太は、 魚の行商の仕事をおしんに紹介します。 おしんは飯屋をたたみ三重(伊勢)へ向かいます。 伊勢で魚の行商・竜三と再会 (170話-185話) 三重では浩太の親戚・網元のひさ 赤木春恵 に世話になり、 魚の仕入れ~行商を行った。 体力勝負でライバルも多い中が、これまで培った 商才と働きぶりで得意客を獲得、ひさにも気に入られた。 数年が経ち、竜三がおしんの前に現れた。 台風で干拓事業が失敗し 新天地を求め満州に行くため、別れを言いに立ち寄ったのだった。 しかし竜三はおしんが苦労して商売をする姿を目にし気持ちが変わり、 再び共に暮らすことになります。 昭和6 1931 年、長男・雄は小学校に入学、翌年には 次男・仁 ひとし が誕生、同時期、母・ふじが病で他界した。 不景気の中おしんたちも頑張って魚屋を商っていたある日、 加賀屋倒産の報せを受けた。 加代の夫が先物取引で大損を出し自ら命を絶ち、 一家は夜逃げし行方不明ということだった。 太平洋戦争編 186-225話 加代の最期 (186話-197話) 加代の行方不明から1年経った頃、浩太が行方 を探し当てたが、加代は借金の為に身売りをし無理がたたり病を患っていて、 おしんと再会し間もなく他界した。 加代の両親も既に他界していた為、 加代の息子・希望 のぞみ はおしんが引き取り養子にした。 知人の依頼で10才の少女を大阪の遊郭に奉公に出しに行く途中とのことだった。 おしんは 山形の小作出身のその子 初子 が 幼少時苦労した自分のように思え、金を払い引き取ることにした。 更に36歳で女児を授かり、田倉家は、 雄、仁、希望、初子、禎 てい の子供5人となった。 戦争で大切な人を失う (198話-225話) 昭和13 1938年 、竜三の次兄で軍人の亀次郎の助言で、 竜三は軍に魚を納める仕事を始めようとした。 おしんは、昔俊作から戦争の辛さを聞いていたので、 軍に協力するような仕事には反対だったが、竜三の考えを尊重するため 了承し、魚屋を閉めます。 そして日本は戦時下に突入、日用品に困る家が増える中、おしんの家は軍関連の仕事を行っていたことで 周囲に比べ余裕のある生活を送ることが出来た。 (立派な屋敷にも引っ越した) しかし戦争は長期化、 大学生の雄も出兵しフィリピンで命を落としたとの報せが来た。 更に終戦直後、 竜三は軍に協力したことを悔い自決してしまった。 おしんは悲しみにくれたがが、少年飛行兵に志願し出て行っていた 仁が無事戻り、品物を転売するなど逞しく動き生活を助けた。 再起編 226-261話 伊勢で商売を再開 (226話-250話) 戦後5年経過した昭和25 1950 年、 行商を再開したおしんはふたたび店を構えた。 雄が戦死したショックで行方不明だった初子 田中好子 (雄と初子は思い合っていた)を東京から連れ戻し、ようやく安心したおしんだったが、 希望 塩屋智章 が陶芸家を志し、仁 山下真司 は東京の百貨店に就職するため 家を出てしまい、初子と2人で魚屋を盛り立てることになった。 (傷ついた百合は田倉家を去り希望の居る陶芸工房で働くようになり、後に希望と結婚) 同時期、仁の強い希望を受け、おしんはセルフサービスの店をオープンすることにし、新店舗建設を進めた。 おしんも嫁のやり方を尊重し譲歩したが、 お嬢様育ちで商売を手伝う気がない道子と上手く行かなかった。 道子が「少ない金で家計をやりくりするのが辛い」と嘆くので、おしんが昔の話を引き合いに出したところ、仁に「そんな時代とっくに終わった 、二度と聞きたくない、貧乏話する前に道子に十分な生活費渡してくれ」と言われおしんは言葉を失った。 このことは「幸せも金でしか買えなくなったのか」 と長くおしんの心に残った。 更に道子の妊娠が発覚、 店の新装オープン(セルフサービスの店オープン)を控える時期に、 実家に帰ってしまった。 完結編 262-297話 店舗拡大とそれぞれの家族の変化(262-284話) セルフサービスの店がオープン、娘の禎 浅沼友紀子 も店を手伝い 働く楽しさを知り、大学を辞め店で働くようになり、 店員で仁の友人・崎田と結婚しすることになった。 一方出産し帰宅した道子は「育児専念のため家事はしない」と言い、 おしん達は凍り付く。 セルフレジの店オープンから10年経過した1967年、 67歳のおしんは引き続き店の経営を担っていた。 (仁家族との同居は解消) 拡大志向の仁の意思を尊重し 県下へのチェーン店出店を増やして行った。 一方、陶芸の腕を上げた希望に工房を持たせることにしますが、妻の 百合が4才の息子・圭を残し交通事故で他界してしまった。 その際おしんが仁の葬式参列を断ったことで、 仁と百合の昔の関係を道子が知り仁夫婦の関係が悪化した。 おしんは嫁との距離もほどほどに保ち、離れの部屋で好きなことができる幸せな同居生活だった。 成長した孫達も集うおしんの誕生祝の席で、仁が 17店目に大型店を出店することを報告した。 場所が浩太の家が運営する並木食料品店の商売に影響する立地のため、おしんは大反対したが、仁は取り合わず強引に話を進めた。 時が経過し、17号店の開店前日、おしんは浩太から、 大手スーパーが、たのくら17号店近くへ出店するという話を聞かされた。 (並木食料品店を経営する浩太の息子をはじめとした周囲の店が、駅前の土地を大手スーパーに売るという) たのくらが立ち行かなくなるのは目に見えていて、おしんは17号店の開店を祝う気なれず、 家族に黙って旅に出た。 やがて大手スーパーが開店、 スーパーたのくらは経営難に陥ります。 経営破綻するならと道子が離婚を申し出たが、おしんが仁に「別れたくないなら引き止めろ」と言い、離婚を回避、道子は苦労覚悟で仁と人生を共にする道を選んだ。 ところが店が不渡りを出す直前、 17号店の買い手が現れ(ライバルの大手スーパーが建物を姉妹店として利用したいとのことで、浩太が仲介)、すんでのところで 倒産を免れ、田倉家は救われます。 おしんは墓参りに来ていて、偶然浩太と会った。 おしんと浩太はこれまでの人生について語り合いながら伊勢の海岸を散歩した。 地図にすると東南アジア以外にも南米の放映が多いこともわかります。 動画配信サービスは、パソコンやスマホでドラマや映画などの動画を視聴できるサービスです。 1か月見放題で〇〇円という定額制が多く、契約手続きはインターネット上で、支払いはクレジットカードやオンライン決済で可能です。 「おしん」を見れる2サービス(NHKオンデマンド・U-NEXT)のお得な利用法を下記記事で詳しく紹介しているので興味のある方はご覧下さい。
次のスポンサーリンク [希望の誕生と加代の望み] 昭和4年におしんは仁を生みます。 同時期に加賀屋の加代が希望を生んだのでした。 その後、加賀屋が危ないと云う噂を聞いたおしんは昭和5年の終わりごろ、加代に手紙をおくりますが戻されてきます。 その後に、りきからの手紙で夫の正男が自殺したことを知ったおしんは加代に連絡を取ろうとしますが電話も通じなかったのです。 そんな時に浩太が伊勢にやってきていました。 加賀屋は政男の失敗で潰れて、八代家は夜逃げ同然で離散したと浩太は言います。 おしんは加代の行方を探している浩太からの連絡を待ち続けます。 昭和6年の春になって、浩太が再び伊勢にあらわれたのでした。 浩太はおしんに100円と云う大金を預けて加代を迎えにいけと言います。 おしんは直ぐに加代がいると云う東京に向かいます。 しかし、健さんに頼んでおしんが連れていかれた加代がいる場所は女郎屋のような場所でした。 加代はみのの入院費を稼ぐために身を落としていたのでした。 しかも、加代を見受けする為には1000円もの大金が必要だったのです。 一旦はたかの家に引き返したおしんは、せめて希望と清太郎とみのの遺骨だけでも伊勢にと加代を訪ねなおそうとしますが、加代は自害していたのです。 おしんは希望と清太郎とみのの遺骨を引き取って伊勢に戻ります。 伊勢に帰ったおしんは竜三に希望を自分の子供として育てることを告げます。 そして、八代家の3人を弔って伊勢に墓を建てたのでした。 [5人兄弟姉妹の大家族の田倉家] 数年後のある日、健さんが10歳の初子と云う女の子を連れてあらわれます。 しかし、他人事には思えなかったおしんは大阪の年季に連れていく途中の初子を自分で引き受けることにしたのでした。 やがて、仁と希望が小学校に入学します。 おしんは希望を加賀屋再建のために八代姓のままにしていました。 しかし、学校などでそれが原因で希望は虐められますが、その度に仁が擁護したのでした。 そして、おしんは希望を加代の墓に連れて行く、八代の由縁を教えたのです。 雄が中学入学、初子が小学校4年、仁と希望が小学校1年のとき、竜三とおしんは徐々にあらわれ始めた4人の個性に戸惑います。 仁は希望に我儘を言うようになり、希望は初子を手伝います。 雄は皆にとって良い兄でした。 そして昭和11年に禎が生まれて、おしんは5人の子持ちとなりました。 [戦時中の田倉家と竜三] 昭和12年、日本軍は大陸に進出します。 小学校を卒業したら山形に戻されると思っている初子を雄と仁と希望が返さないで欲しいと竜三とおしんに頼み込んだのでした。 昭和12年の暮れに日本軍が南京を陥落させた頃に竜三は兄の亀次郎から商売を太くするよう忠告を受け、軍関係の仕事に切り替えます。 昭和15年には戦争が激しさを増す中で国家総動員法が施行されます。 昭和16年の春になると仁と希望が中学校に進学しました。 昭和16年12月、真珠湾攻撃で英米と戦闘状態になった日本。 そして、京都帝国大に進んでいた20歳の雄にも遂に召集令状が届いたのです。 昭和19年7月、サイパン陥落から一気に形勢が悪くなった日本軍は神風攻撃による奇襲作戦を展開します。 そして華々しく流されるニュースを聞いた仁が特攻隊に志願するのでした。 本土攻撃が激しさを増した頃、雄の戦死が伝えられ田倉家は悲しさに包まれます。 そして昭和20年8月になって広島と長崎に原爆が投下されます。 そして終戦。 終戦により軍隊はなくなりました。 そして、竜三は軍に加担してきたとひとり自害してしまいます。 [それぞれの道] 一方、仁は出撃できずに終戦となった事で生き延びていて帰ってきました。 仁は軍から持ち帰った品物を交換しながら必要品に変えていくカツギ屋を始めます。 それを希望も手伝います。 しかし、おしんは仁と希望を再開された中学校に通わすために自分と初子でカツギ屋を続けたのでした。 昭和25年、おしんは東京で身を落として働いていた初子を見つけ出し伊勢に連れ戻します。 そして、店と行商が軌道に乗ってきた頃に、希望が陶芸をやりたいと言い出します。 そして、仁の勧めもあって希望は窯元に弟子入りしたのでした。 この時点でおしんは希望による加賀屋の再興を諦めたのでした。 [人でなしの仁とゆり] 数年後、おしんは雄の戦友の川村から譲り受けた駅前の土地で田倉商店を開店します。 そして、田倉商店に17歳のゆりが奉公にくるようになったのでした。 昭和30年、その頃にはおしんはトラックを運転して魚や野菜を仕入れていました。 ある日、おしんは仁とゆりが只ならぬ関係になっていると初子から知らされ驚きます。 しかし、仁は初子と付き合っていながら東京で知り合った道子と結婚しようとしていたのです。 一方、おしんは仁が受講してきたセルフサービスを自分も理解しようとします。 しばらくして、仁は道子と結婚してセルフサービスの店を開きたいと言い出します。 それを聞いて驚くおしんと初子と愕然とするゆりでした。 おしんに自分の気持を訊かれたゆりは仁とは何もないと気丈に答えますが、翌日になると姿を消していました。 [ゆりの新たな仕事] しばらくして、おしんのところに希望がやってきて、ゆりの事は自分に任せて欲しいと伝えたのでした。 ゆりは自分の働き口について希望に相談しにいっていたのです。 それを聞いた希望は窯元の女将さんに頼み込んで、ゆりに弟子たちの食事などの世話をする仕事をさせて貰うようにしていました。 一方、おしんは人でなしになり下がってしまった仁を情けなく思うのでした。 仁のセルフサービスの店の開店資金を出すつもりである道子の父親の川部仙造はおしんと衝突します。 しかし、おしんは自前で開店に漕ぎつけるのでした。 その頃、ゆりは窯元夫婦に大切にされながら、下働きの仕事をしており、ずっと働き続けたいと思っていました。 どたばたしながらも結婚した仁と道子が結婚して新婚旅行に行っている頃に、希望は窯元の師匠から呼ばれました。 師匠は次の窯で希望の作品を一緒に焼いてくれると希望は伝えられたのです。 昭和31年元旦におしんと初子がふたりだけの正月を過ごしている頃、希望は正月休み返上で師匠から言われた作品作りに取り組んでいました。 窯元夫婦が正月を温泉で過ごすために出掛けたのでよりも留守番です。 師匠と同じ窯で焼いてくれると云うのは希望が陶芸家としてやって行けるか否かの試練だったのでした。 希望は師匠の窯に10点も入れて貰えることになります。 そして窯入れ。 窯入れは陶芸家にとって最も需要で気を遣う工程です。 希望は三日三晩不眠不休で焼き上げました。 ゆりもおにぎりを作ってそんな希望を支えたのでした。 [希望が陶芸家になってゆりと結婚する] 新店舗の準備に忙殺されているおしんですが、しばらく連絡のない希望のことが気になります。 おしんが窯元を訪ねようかと思った矢先に、希望とゆりが突然あらわれました。 希望は陶芸家としてやっていける目途が立ったとおしんに報告したのです。 そして、百合と結婚して師匠の近くで小さな所帯を持って作陶していきたいと言い出します。 それを聞いたおしんと初子は喜び、さっそくその足で加代の墓前に行き報告したのでした。 そうして、希望とゆりの結婚式です。 田倉家からはおしんと初子だけが出席し、仁夫婦には列席を禁じます。 場所は窯元夫婦の家で質素な挙式でしたが、おしんは大いに満足したのでした。 おしんは仁とは違い自分の力だけで生きて行こうとする希望を称賛していたのです。 引き出物は希望が焼いた壺です。 それを仁が味噌でも入れるのかと言うのを聞いて誰も相手にしませんでした。 [希望の作品が評価され始める] セルフサービスの開店は仁の知り合いの崎田辰則を加えてラストスパーに入っていました。 しかし、道子と田倉家の溝は深まっていくばかりです。 スポンサーリンク 昭和31年3月15日、やっとの思いでセルフサービスの店が開店します。 希望とゆりも赤飯を炊いてお祝いに駆け付けたのでした。 そして、1年が過ぎて開店一周年の日に家族が集まってお祝いと竜三と雄の13回忌の法要を催されました。 おしんは久しぶりに会った希望に近況を尋ねます。 ふたりとも元気に暮らしているが未だ子宝には恵まれていなかった希望夫婦でしたが、希望が造る焼き物が少しずつ売れ始めていたのです。 それを聞いたおしんは希望が自分の窯を持つ日が待ち遠しいと伝えたのでした。 おしんはこの時には57歳になっていました。 [おしんの交換条件] ある日、田倉家でチェーン店の出店の会議が開かれている時に、希望の作品が展覧会で特選を受賞したとの知らせが飛び込んできます。 それを聞いておしんは、チェーン店の出店を認める交換条件として、おしんが希望を援助して窯を持たせて独立させたいと言い出したのでした。 おしんは希望とゆりの貧乏生活を前から不憫に思っていたのです。 後日、おしんは窯元の希望の師匠を訪ねて、希望の独立をお願いします。 すると師匠も希望の独立の支援を約束してくれたのでした。 おしんは希望を支援するために投機用に購入していた土地を売却しようとしますが、仁が勝手に抵当に入れてしまっていました。 仁に対し激怒したおしんは、初子の為に用意していた株券と希望が焼いた壺を持って浩太を訪問します。 その壺をみた浩太は加代を思い浮かべながら支援を約束してくれたのでした。 そして、窯の火入り式には自分も参加したいと希望に伝えて欲しいとおしんに頼みました。 [ゆりが死んでしまう] こうして希望はおしんの支援で自分の窯と住居を構えることになります。 希望もゆりも自分たちの窯と住居が持てることを喜びつつ、支援してくれた並木浩太との関係をおしんに訊いたのでした。 おしんは自分が借り入れた金だから心配無用だといいますが、希望は自分の借金だから返すつもりだというのです。 それを聞いたおしんは初子にしか話していない浩太との関係を話す決心をしたのでした。 スーパーたのくらの2号店と3号店を開店が成功して4号店の出店の計画をするころに、希望の窯と新居も完成しました。 おしんと初子は引っ越しの前日に完成した希望の窯と新しい家を見に行って、ゆりの手料理を食べながら楽しいひとときを過ごします。 しかし、おしん達が帰ったあとでゆりが買い物地中に交通事故にあって病院で死んでしまったのでした。 希望はゆりを新しい家に連れて帰ると、傍らでは何もわからない圭がゆりを呼んでいたのでした。 [ゆりが生涯ただひとりの妻] 希望はゆりが幸せの絶頂で死ぬことができたと涙ぐみます。 ほどなく、ゆりの葬儀が執り行われますが、おしんは仁夫婦の参列を禁止したのでした。 それは、昭和42年秋のことでした。 希望はゆりがいなくなった絶望感から逃れるために作品作りに集中しようとしますが、幼い圭がそれを妨げます。 おしんはそれを見て自分がしばらく圭を引き取ることを希望に申し出たのでした。 ゆりの49日の法要が終った頃、おしんと初子は希望の家の新築祝いに行きます。 新築祝いが終って、おしんと浩太と希望が残って話をしていました。 浩太はそこにあった立派な壺を見つけて希望に譲って欲しいと頼みます。 しかし、希望自身もこの壺が好きだったのでゆりの骨壺にしようと思っていると断ったのでした。 その頃の圭はすでに初子にとても懐いていて、おしん達が帰る時も一緒についてくるのでした。 おしんは希望と初子が一緒になってくれたらと思いますが、希望は生涯にわたって自分の妻はゆりだけだと言うのでした。 その後、希望は自分の働く姿を圭に見せながら作陶を続けます。 そして、その年の終わり頃に初釜で焼いた作品が出来上がり、それは高い評価を得たのでした。 [皆がまたそれぞれの道を歩み始める] しばらくして、おしんは初子に手芸の店を持たせます。 その頃には仁も改心していて、希望とふたりで田倉家のために尽くしてきた初子に兄弟で報いようと協力していたのです。 そして、仁は希望の作品を展示する為のギャラリーを手掛け始めたのでした。 そうして、希望の焼いた作品にも初子が作った手芸品も周囲から評価され高値がつくようになったのです。 十数年の時が流れました。 大学生になった圭がおしんに話をします。 大学を卒業したら会社勤めはせずに加賀屋の暖簾をあげて商売を始めるつもだと圭はおしんに伝えたのです それを聞いたおしんは、これで加代に顔向けができると満面の笑みを見せたのでした。 <おしんキャストのぞみ希望役を演じた塩屋俊さんのプロフィール> [生年月日] 1956年8月5日 2013年6月5日逝去 [出身地] 大分県臼杵市 [主な出演作品 テレビ ] 離婚ともだち 1980年 、元気です! 愛と平和と理解を信じるかい? 2008年 おしんキャスト百合ゆり役を演じた寺田路恵さんのプロフィール> [生年月日] 1942年11月27日 [出身地] 東京都武蔵野市 [主な出演作品 テレビ ] やさしい女たち 1967年 、泣いてたまるか・兄と妹 1967年 、おふくろ 1968年 、華やかな春 1969年 、おやじ乾杯 1969年 、男はつらいよ 1969年 、 おれの義姉さん 1970年 、女・かけこみ寺 1982年 、しのぶ 1985年 、整形復願未亡人 1986年 、空白の実験室 1986年 、妻殺し 2001年 、無実の証明 1988年 、女に生まれて 1988年 、明日さがし 1990年 、嵐の中の愛のように 1993年 、春よ、来い 1994年 、指輪 1995年 、眠れる森 1998年 、櫂 1999年 、伊豆・天城越え殺人事件! 2001年 [主な出演作品 映画 ] 橋のない川 1969年 、君が若者なら 1970年 、家族 1970年 、新座頭市・破れ! 唐人剣 1971年 、甦える大地 1971年 、君は海を見たか 1971年 、鯉のいる村 1971年 、日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章 1981年.
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