ヨルシカ 雨 と カプチーノ。 【ヨルシカ/雨とカプチーノ】の歌詞の意味を徹底解釈

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ヨルシカ 雨 と カプチーノ

楽曲の配信日に公開されたMVの概要欄では、楽曲について 思想犯というテーマは、ジョージ・オーウェルの小説「1984」からの盗用である。 そして盗用であると公言したこの瞬間、盗用はオマージュに姿を変える。 盗用とオマージュの境界線は曖昧に在るようで、実は何処にも存在しない。 逆もまた然りである。 オマージュは全て盗用になり得る危うさを持つ。 この楽曲の詩は尾崎放哉の俳句と、その晩年をオマージュしている。 それは、きっと盗用とも言える。 というコメントが残されています。 「盗用」は悪意による他者の作品の不正使用であり、 「オマージュ」は作者への尊敬から似たような作品を創作すること。 「盗作」というアルバム名からは主人公が非情な人物であるように思えますが、それはあくまで「オマージュ」の別の側面であるということがここで強調されています。 尾崎放哉は1世紀ほど前の時代を生きた代表的な詩人です。 一体彼の晩年をオマージュした詩とはどのようななのでしょうか。 歌詞の考察に移る前に、まずはタイトルの意味を読み解いていきます。 楽曲名「思想犯」とは 先述の通り、 「思想犯」という楽曲テーマはジョージ・オーウェルの小説 「1984」をオマージュしたものです。 この小説の舞台は、巨大な国家により国民の思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられている世界。 物語の主人公は国家により極刑相当の 「思想犯罪」と定められた 「ノートに自分の考えを記して整理する」行為に手を染めています。 また辞書的に言えば、 「思想犯」とは 「国家体制に相反する思想に基づく犯罪。 また、その犯人。 」のこと。 例えば戦時中の日本での反戦運動や社会主義運動なんかがこれに当たります。 楽曲の主人公は小説の世界ならば「思想犯罪」にあたる詩を書き連ねる音楽家であり、自らの信念のもとに犯罪を犯そうと目論んでいる危険な人物。 その意味で、楽曲タイトルには 「思想犯」という言葉が用いられているのではないでしょうか。 この楽曲名が歌詞の内容とどう関与しているのでしょう。 スポンサーリンク 歌詞 他人に優しいあんたにこの心がわかるものか 人を呪うのが心地良い、だから詩を書いていた 朝の報道ニュースにいつか載ることが夢だった その為に包丁を研いでる 硝子を叩きつける音、何かの紙を破くこと、 さよならの後の夕陽が美しいって、君だってわかるだろ 烏の歌に茜 この孤独も今音に変わる 面影に差した日暮れ 爪先立つ、雲が焼ける、さよならが口を滑る 認められたい、愛したい これが夢ってやつか 何もしなくても叶えよ、早く、僕を満たしてくれ 他人に優しい世間にこの妬みがわかるものか いつも誰かを殴れる機会を探してる ビール瓶で殴る街路灯、投げるギターの折れる音、 戻らない後悔の全部が美しいって、そういうのさぁ、僕だってわかるのに 言葉の雨に打たれ 秋惜しむまま冬に落ちる 春の山のうしろからまた一つ煙が立つ 夏風が頬を滑る 他人に優しいあんたにこの孤独がわかるものか 死にたくないが生きられない、だから詩を書いている 罵倒も失望も嫌悪も僕への興味だと思うから 他人を傷付ける詩を書いてる こんな中身のない詩を書いてる 君の言葉が呑みたい 入れ物もない両手で受けて いつしか喉が潤う その時を待ちながら 烏の歌に茜 この孤独よ今詩に変われ さよなら、君に茜 僕は今、夜を待つ また明日。 口が滑る 作詞:n-buna 歌詞の意味・解釈 1番 他人に優しいあんたにこの心がわかるものか 人を呪うのが心地良い、だから詩を書いていた 朝の報道ニュースにいつか載ることが夢だった その為に包丁を研いでる 「思想犯」という鮮烈で物騒なタイトルからもわかるように、主人公は行動に移せば逮捕されかねないような、 危険な思想を胸に抱いています。 「他人に優しいあんたにこの心がわかるものか」 誰にも理解してもらえないような、いくらか歪んだ価値観を持つ主人公。 包丁を研ぎ、誰かを殺してでもいいから世間の注目を集めたいという考えはまさに「思想犯」と呼ぶにふさわしいものでしょう。 誰かを殺す快感を味わいたいだとかそういう動機ではなく、朝のニュースで報道されることが夢。 あくまで主人公の思想の根底にあるのは、 「誰かに知ってもらいたい、受け入れてもらいたい」というある種の自己顕示欲のようです。 何故人を呪う詩を書くことにとどまらず殺人のような大々的な犯罪を望んでいるのか、というその理由は次の歌詞で明かされています。 硝子を叩きつける音、何かの紙を破くこと、 さよならの後の夕陽が美しいって、君だってわかるだろ さよならの後の 夕日は美しい。 少々抽象的な表現ではありますが、恐らくここで歌われているのは 「戻らない物は美しい」ということです。 叩きつけられて砕けたガラスも、破かれた紙も、一度終わってしまえば二度と戻ることはありません。 例えば花火だって、一瞬ではじけ飛んでしまえばそれでお終い。 しかしながら、だからこそその最後の瞬間は美しく輝くのです。 ガラスも紙も花火も、人間関係も。 どれだけ悔やんだって戻らないからこそ、戻らない物には美が宿ります。 物語の最後のさよなら、そしてその後の夕日はこの世の何よりも美しい。 だから主人公は、ニュースで報道されるような犯罪でこのつまらない毎日に劇的な結末を与えることを夢見ています。 楽曲で登場する「君」との関係も、美しい「さよなら」で幕が閉じられることを切望しています。 戻らない結末を与えることで、美しいものとして人生や人間関係を締めくくろうとしているのです。 サビ1 烏の歌に茜 この孤独も今音に変わる 面影に差した日暮れ 爪先立つ、雲が焼ける、さよならが口を滑る ここで描かれている情景は、 主人公が夢見る最後の景色でしょう。 君の面影に夕陽がさし、雲は焼き立つように赤く照らされる美しい街の中、主人公は「さよなら」という言葉を口を滑らせたように静かに告げる。 主人公の抱える孤独も音に変わり街に消えていく。 そこに待つ景色は、きっと誰が見たって美しいものに違いありません。 主人公はそんな結末を夢に見ているのです。 2番 認められたい、愛したい これが夢ってやつか 何もしなくても叶えよ、早く、僕を満たしてくれ 他人に優しい世間にこの妬みがわかるものか いつも誰かを殴れる機会を探してる 認められたい、愛したい。 主人公の夢は満たされないままに、ねじ曲がった形へと変わっていきました。 きっと世間にはこんな妬みがわかるはずがない。 きっと誰にもこの憂鬱は理解してもらえない。 そう感じて正常な認められ方、愛し方を放棄した主人公は、いつだって誰かを殴り、傷つける機会を探しています。 ビール瓶で殴る街路灯、投げるギターの折れる音、 戻らない後悔の全部が美しいって、そういうのさぁ、僕だってわかるのに ビール瓶もギターも人間も、破壊してしまえばそれまで。 一度それらを破壊してしまったその後には 戻らない後悔だけが残ります。 しかし青春が人生で何より輝いているように、戻らない後悔はきっと何よりも美しい。 だから何かを壊して、世間の注目を集めて、君に「さよなら」を告げて、すべてを戻らない過去にしてしまいたい。 人生を美しく締めくくりたい。 ここまでの歌詞でずっとそう歌い続けてきた主人公。 「 そういうのさぁ、僕だってわかるのに」 しかしここからの歌詞では急に雲行きが変わり始めます。 サビ2 言葉の雨に打たれ 秋惜しむまま冬に落ちる 春の山のうしろからまた一つ煙が立つ 夏風が頬を滑る 2番のサビの歌詞は一見すると時間の経過を表しています。 「戻らない後悔の全部が美しいって、そういうのさぁ、僕だってわかるのに」 大犯罪を犯して戻らない後悔を作りたいと願いながらも、結局そんなことはできず月日だけが流れていきます。 主人公は何故犯罪を犯せないのか。 ここで注目したいのが 「 春の山のうしろからまた一つ煙が立つ」という歌詞です。 公式のコメントにもあった自由律俳句の代表的詩人・尾崎放哉の句に 「はるの山のうしろから けむりが出だした」というものがあります。 ここでの歌詞は明らかにこの句を模したもの。 アルバムのタイトルになぞらえて言うなれば「盗作」です。 これは41歳でこの世を去った尾崎放哉が人生の最後に残した句であり、 「死期を悟った放哉が故郷の山を懐かしみ詠んだ句である」とする解釈があります。 海に憧れ、各地を渡り歩いた放哉が最後に思い浮かべた景色は結局懐かしい故郷のものだった、というわけです。 ここから想像するに、 楽曲中の主人公も美しい終わりを望みながら、結局は 思い出へ執着しているのではないでしょうか。 全てを美しく終わらせようとしても、戻りたい過去が頭をよぎる。 戻らない後悔をしたいと願いながらも、過去を懐かしみ誰かを想う気持ちが主人公を妨げているのです。

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ヨルシカ 雨 と カプチーノ

Words and music: n-buna Vocal: suis 2nd Full Album 「エルマ」 2019年8月28日 水 発売 初回盤はエルマの書く日記帳仕様。 曲目 01 車窓 02 憂一乗 03 夕凪、某、花惑い 04 雨とカプチーノ 05 湖の街 06 神様のダンス 07 雨晴るる 08 歩く 09 心に穴が空いた 10 森の教会 11 声 12 エイミー 13 海底、月明かり 14 ノーチラス ダウンロード、ストリーミング、アルバム予約等 Credits: Director : ぽぷりか Character design : まごつき 3D Animation assistant : おはじき Lyrics: 灰色に白んだ言葉はカプチーノみたいな色してる 言い訳はいいよ 窓辺に置いてきて 数え切れないよ 灰色に白んだ心はカプチーノみたいな色してる 言い訳はいいよ 呷ろうカプチーノ 戯けた振りして さぁ揺蕩うように雨流れ 僕らに嵐す花に溺れ 君が褪せないような思い出を どうか、どうか、どうか君が溢れないように 波待つ海岸 紅夕差す日 窓に反射して 八月のヴィスビー 潮騒 待ちぼうけ 海風一つで 夏泳いだ花の白さ、宵の雨 流る夜に溺れ 誰も褪せないような花一つ どうか、どうか、どうか胸の内側に挿して ずっとおかしいんだ 生き方一つ教えてほしいだけ 払えるものなんて僕にはもうないけど 何も答えられないなら言葉一つでもいいよ わからないよ 本当にわかんないんだよ さぁ揺蕩うように雨流れ 僕らに嵐す花に溺れ 君が褪せないように書く詩を どうか、どうか、どうか今も忘れないように また一つ夏が終わって、花一つを胸に抱いて、 流る目蓋の裏で 君が褪せないようにこの詩を どうか、どうか君が溢れないように• Caption author Russian• Caption authors English• Caption author Portuguese• Caption author Chinese Taiwan• Caption authors Korean• Caption authors Japanese• Caption author Hungarian• Caption author Interlingue• Caption authors Indonesian• Caption authors Spanish• Song• Rain with Cappuccino• Artist• Licensed to YouTube by• UMG on behalf of Universal J ; Muserk Rights Management, and 1 Music Rights Societies Show more Show less.

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ヨルシカ『雨とカプチーノ』歌詞の意味を考察・解釈

ヨルシカ 雨 と カプチーノ

「雨とカプチーノ」とは、一体どういった意味なのでしょうか? まず「雨」という言葉。 普通に天気を表す言葉ですが、この言葉は「エルマの想い」を表現しているのだと思います。 エイミーと別れ、悲しみにくれ泣いている「エルマ」をn-bunaさんは「雨」と表現したのでしょう。 次に「カプチーノ」という言葉。 カプチーノとは、イタリアで好まれているコーヒーの飲み方の1つで、陶器のコーヒーカップに注いだエスプレッソにクリーム状に泡立てた牛乳を加えたコーヒーのことです。 この言葉から見えてくるものとは、黒と白の対比なのでしょう。 MVを見ても分かる通り、エルマとエイミーの着てる服が白と黒で、これは鍵盤の色と一緒なんですよね。 白鍵と黒鍵、お互いがあるからこそ「鍵盤」という素晴らしいものになるけれど、決して片方だけでは成り立たないし混ざることも無いわけです。 このように、エルマとエイミーも同じで、エルマがエイミーの生き方や口調を真似したとしても、エイミーがエルマの真似をしたとしても、お互いの色には決してなれなくて、灰色になっちゃうのだと思います。 そんな様子をn-bunaさんは「カプチーノ」と表現したのだと思います。 では、早速歌詞の意味を解釈していきましょう。 解釈 白色と黒色が混ざったような、まだ決断しきれていない言葉はいらない。 言い訳はいいから、本音で話そう? 「灰色に白んだ言葉」とは「言い訳」を表現しているのだと思います。 では、一体「言い訳」とはどんな言い訳なのでしょうか。 少し考えて見ましたが、この曲が収録されている「エルマ」というアルバムがエルマ目線で書かれているとすると、 おそらく「エイミーがエルマと合わないという言い訳」なのでは無いでしょうか。 何かしら言い訳を見つけてはエルマに合わない理由にしている「エイミー」に向かって歌っているのでしょうね。 灰色に白んだ心はカプチーノみたいな色してる 言い訳はいいよ 呷ろうカプチーノ 戯けた振りして 解釈 「波待つ海岸」「紅夕差す日」「波が押し寄せる音」 八月のヴィスビーの海岸で待ちぼうけた思い出。 「ヴィスビー」とはスウェーデン ゴットランド島の都市の「ビスビュー」のことだと思います。 エルマとエイミーの物語の中でもスウェーデンの思い出の描写が出てきますし、間違い無いでしょう。 また、潮騒(しおさい)とは、潮が満ちる時に波が発する音のことをさします。 この部分は、エルマのエイミーとの思い出の回想シーンなのでしょうか。 それとも、「エルマが来るのを今も待っている」ということなのでしょうか。 未だ真相はわかりませんが、ヨルシカのアルバム「エルマ」が発売されたらわかるのかもしれませんね。 夏泳いだ花の白さ、宵の雨 流る夜に溺れ 誰も褪せないような花一つ どうか、どうか、どうか胸の内側に挿して 解釈 夏の水の上を泳ぐような花とその花を濡らす涙。 流れ、溜まっていく涙に溺れる。 誰も忘れられないような思い出を どうか私の胸にさしてほしい。 「誰も褪せないような花」という歌詞。 一番では「君が褪せないような思い出」となっていますから、花=思い出ということなのでしょう。 つまり、「夏泳いだ花の白さ、宵の雨 流る夜に溺れ」という歌詞は、エルマの思い出(=花)を白とし、宵の雨(=エイミーが流す涙)を黒とすると、 「エルマの思い出はエイミーの涙では流され、決して混ざることなく溺れてしまう(=エイミーが泣いていては二人は決して幸せになれない)」ということを表現しているのだと思います。 ずっとおかしいんだ 生き方一つ教えてほしいだけ 払えるものなんて僕にはもうないけど 何も答えられないなら言葉一つでもいいよ わからないよ 本当にわかんないんだよ 解釈 心が動揺するように涙を流そう。 僕らを惑わす花に溺れて 君を忘れないように書く詩(歌)を どうか忘れないでほしい。 前作のアルバム「だから僕は音楽をやめた」ではエイミーがエルマに送る「手紙」のようなものでしたが、 今回の新作アルバム「エルマ」は、エルマがエイミーに送る「手紙」のようなものなのかもしれませんね。 そして、君を忘れないように書く詩というのが「エルマ」というアルバムに収録される曲たちであると。 そう考えると、この曲たちはエイミーが送ってきた手紙の返答でもあるのかもしれませんね。 また一つ夏が終わって、花一つを胸に抱いて、 流る目蓋の裏で 君が褪せないようにこの詩を どうか、どうか君が溢れないように.

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