ダウンタウン・松本人志 7月21日、吉本興業所属の松本人志と東野幸治がMCを務める「ワイドナショー」(フジテレビ系)が、一部生中継を行う。 吉本芸人を中心とした闇営業騒動が波紋を広げている中、吉本興業から契約解除されたお笑いコンビ「雨上がり決死隊」の宮迫博之と「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮が20日、都内で謝罪会見を行ったことを受けての対応とみられている。 20日、2時間半近く続いた会見では、吉本興業の岡本昭彦社長が謝罪会見の開催を求める田村に対して、「お前ら、(録音)テープを回していないだろうな? 」と確認したうえで、「(田村が)辞めて1人で会見したらええわ。 やってもええけど、(騒動の渦中の芸人)全員連帯責任でクビにする。 俺には全員クビにする力がある」などと恫喝。 さらに、2人が正直にすべてを洗いざらい告白するため、謝罪会見はインターネットなどでの生配信にも対応した形にしてほしい旨を岡本社長に伝えた際には、「それはこっちで決める」とし、「在京5社、在阪5社のテレビ局は吉本の株主だから大丈夫やから」などと発言したことも明らかにされ、大きな波紋を広げている。 スポーツ紙の芸能デスクはこう語る。 「2人が会見で話した内容が事実ならパワハラ以外の何物でもない。 いずれにせよ、吉本の企業イメージは地に堕ちましたね」 そのうえで、「まあ、あの人ならそのくらいのパワハラ発言はしていてもおかしくない。 業界内でもかなりのコワモテで知られていましたからね」と岡本社長について言及する。 岡本社長といえば、「ダウンダウン」のマネジャーを務めていた当時は、日本テレビ系「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」にもたびたび出演し、松本や浜田雅功から番組内でイジられていたことはファンの間では広く知られている。 そのことでも分るように、かつての吉本ではダウンタウンのマネジャーを務めることは出世への登竜門だったわけですが、そのぶんプレッシャーも大きく、仕事もハードで、長く務められた者はほんの一握り。 そういう意味では、岡本さんは確かにスタッフとして優秀だったと思います」とは他の芸能事務所の幹部。 だが、その一方でこんな声も……。 「ダウンタウンを守ろうという意識の強さの裏返しか、マネジャー時代からとにかく現場では細かい注文が多く、幹部になってからは高圧的な態度も目立っていました。 『ウチの松本を何だと思っているんだ』、『おたくはダウンタウンを潰すつもりか』など、よくスタッフを怒鳴りつけている姿を目にしましたね。 幹部になってからも、ダウンタウンの現場には時々姿を現していましたが、部下にあたるダウンタウンの現役マネジャーらは戦々恐々といった感じで、周囲のスタッフも腫れ物に触るように扱っていました」 放送作家 さらに、その矛先はあの人気アイドルグループにも。 「ある番組に吉本所属のNMB48のメンバーが出演した際、大崎会長と岡本社長が現場に視察に来ていたことがある。 番組収録後、メンバーたちが番組内で披露したお手製のデザートを手に『もし良かった食べてください』とスタッフに配る中、現場にいた岡本社長にも声を掛けたら、『いらん』と不機嫌そうに拒み、『俺は秋元(康)は嫌いや。 信用ならん』って吐き捨てたことも。 それを隣で見ていた大崎会長は苦笑いを浮かべていましたね」(前出・放送作家) 今でこそ、吉本坂46を展開するなど吉本と秋元は良好な関係だが、当時は微妙な距離感にあったという。 「NMB48が始動した際はAKB48グループをバックアップしている京楽が『沖縄国際映画祭』のスポンサーをするなどの関係性はあったとはいえ、今ほどの友好頼関係にはありませんでした。 とくに若い頃にダウンタウンのマネジャーを務めていた岡本社長は、当時しのぎを削っていた、とんねるずと縁の深い秋元さんに対して、思うところもあったのでしょう。 自分の会社のお偉いさんにデザートを差し出したら、あからさまに不機嫌な態度で拒絶されたわけですから、さぞかし驚いたことでしょうね」(前出・放送作家) 元所属タレント2人の告発でパワハラ疑惑も浮上している岡本社長だが、果たしてその剛腕で窮地の吉本興業を立て直すことができるのだろうか。
次の出典:toyokeizai. net 上で掲載した岡本社長の略歴をみると「 ダウンタウンのマネージャー」というのが気になりますよね。 実は、岡本社長は 吉本興業の入社2年後に ダウンタウンのマネージャー に着任しています。 ダウンタウンが関西から東京に進出してトップタレントへと登りつめたのが 1990年代の中盤ですから、 ダウンタウンのマネージャーをしていた当時からかなりの やり手であったのでしょうね。 ダウンタウンのマネージャーを離れた後は、今田耕司さんや東野幸治さん、130R(蔵野孝洋さん・板尾創路さん)、木村祐一さんのマネージャーも担当されていたようです。 若い頃からの活躍が評価され、株式会社アール・アンド・シー(R and C Ltd. )の取締役や吉本興業代表取締役副社長、共同代表取締役社長COOを経て、 現在は 吉本興業 の代表取締役社長と YDクリエイション 代表取締役社長を務めています。 若手の頃からタレントを育成し活躍に導く力を発揮してきた方だけに、 宮迫博之さんや田村亮さんに対する パワハラ発言はとても残念ですね。 ちなみに吉本興業ホールディングス株式会社の代表取締役会長である大﨑洋さんや吉本興業株式会社の代表取締役副社長である藤原寛さんも、ダウンタウンの 元マネージャーであり、ダウンタウンのマネージャーは吉本の 出世コースであることが知られています。 そんなあらゆる芸人の世界を経験してきた 岡本昭彦社長の年収ですが、 なんとその 年収金額は推定 7億円 と言われています。 先ほども紹介したように吉本興業は財務状況が優良な会社で、 売上高は700億程度と言われています。 ジャニーズ事務所の売上高が 1,000億円ほどで、ジャニー喜多川さんの年収は推定 9億円と言われていますから、吉本興業の岡本社長が 7億というのは妥当なラインではないでしょうか。 もし毎年7億円が岡本社長の懐に入っているとなると、闇営業をしなければ生活していけないほど 劣悪な労働条件を強いられている 吉本芸人の扱いを巡って批判の声が高まるのは当然ですね。 そういった批判の声を受けてか、7月22日の会見では 岡本社長と大崎洋会長の 給料 について、 50%の 減俸を1年間続けると発表がありました。 岡本昭彦は吉本興業の社長を辞任すべきの声 今回騒動となった「闇営業」を巡る対応やタレントへの解雇をチラつかせる脅迫的な圧力などを受けて、 世間では 岡本昭彦社長 の 辞任 を求める声が高まっています。 恫喝・パワハラの岡本社長は、辞任だろ!— ソフトバンクユーザーやめちゃった。 x31VC2d0zh9qFk3 吉本氏案件、ワイドナショーは問題の本質にそこそこ触れた程度。 唯一良かったのは、東野氏が株式の持合いに触れた点。 各TV局が忖度した部分だったので東野氏は素晴らしかった。 明日(07・22)は岡本社長の辞任が前提で無いと誰も聞く耳もたないと思う。 謝罪のみなら吉本興業崩壊か。
次の「吉本せい」 1932年-1948年 : 16年間 「林正之助」 1948年-1963年 : 15年間 ・1970年-1973年 : 3年間 ・1986年-1991年 : 5年間 「林弘高」 1963年-1970年 : 7年間 「橋本鐵彦」 1973年-1977年 : 4年間 「八田竹男」 1977年-1986年 : 9年間 「中邨秀雄」 1991年-1999年 : 8年間 「林裕章」 1999年-2005年 : 6年間 「吉野伊佐男」 2005年-2009年 : 4年間 「大崎洋」 2009年-2019年 : 10年間 「岡本昭彦」 2019年- 参考元: なお、 初代社長の 吉本せいさんは、創業者の 吉本吉兵衛さんの嫁であり、創業者の 姓から 吉本という 名前となりました。 さらに、 林正之助さんは、通算で 20年以上も 社長を務めていますが、初代社長の 吉本せいさんの弟です。 そのため、2000年代前半頃までは、完全に 一族経営であったことが分かります。 「ダウンタウン」は、「吉本興業」所属のお笑いコンビであり、関西や関東の多くの芸人が、お笑い芸人となるきっかけを… 吉本興業の歴史とエピソードまとめ 吉本興業は、創業者の姓を取り 吉本と名乗っていますが、現在は オーナー経営ではなく、東京・大阪の 主要民放局(フジテレビ・日本テレビ・TBS・テレビ朝日など)が 主要株主となっています。 なお、2007年9月までは、日本の芸能プロダクションの中で、 95年半の 最も古い歴史を持っており、その歴史は、 よしもとクリエイティブ・エージェンシーに引き継がれています。 そんな 吉本興業の歴史とエピソードまとめについて、ご紹介していきます。 吉本興業の歴史まとめ 吉本興業は、 吉本吉兵衛さんと 吉本せいさん 夫婦が大阪市北区天神橋にあった 第二文芸館を 買収し、 寄席経営を始めた事であり、明治45年の1912年4月1日に 創業されました。 そして、1913年1月に現在の大阪市中央区東心斎橋に 吉本興行部を設立しています。 しかし、1924年に 吉本吉兵衛さんが他界し、 吉本せいさんが 経営を背負うことになりましたが、2人の弟である 林正之助さんと 林弘高さんが 大阪と 東京で活躍しました。 その後、1932年に 吉本興業合名会社となり、 戦後の1948年に 吉本興業株式会社に発足されました。 なお、 吉本興業は経営陣の中枢を 創業者一族で固める 同族企業として出発しており、 吉本せいさんと 林正之助さんの 姉弟、 林正之助さんと 林弘高さんの 兄弟の 主導権争いを繰り広げてきました。 現在では、2005年の 林裕章さんの他界を受けて、 社長の 外部からの登用が続いています。 そして、 吉本興業といえば、 お笑いというイメージがあると思いますが、 戦前は 巨人軍を他社と共同で設立し、草創期の プロ野球界を支えました。 さらに、 戦後は 日本プロレス協会を立ち上げて 力道山をスターにし、近年はスポーツ選手の マネジメントを数多く手がけるなど、 スポーツ界とのつながりも深いことで知られています。 また、元々は全国で 寄席・ 劇場・ 映画館の 経営を手がける興行会社であり、 戦前は松竹・東宝・吉本で 三大興行資本と称され、東京の二大落語家団体の1つである 落語芸術協会の 創設者でもあります。 上記のように、 寄席経営からスタートした 吉本興業は、 お笑いだけに固執せず、 色々な分野に 挑戦し、 成功してきたことが分かります。 2019年には BSデジタル放送への新規参入を果たすなど、常に 先進的な取り組みをすることが歴代社長から 脈々と受け継がれているのだと思います。 (参考元:) 上記の 主なエピソードより、 吉本興業は、 約1,000人近い所属タレントや社員を抱える大きな会社なので、色々な問題があるとは思いますが、長年に渡り「 お笑い=吉本」という概念を崩さず、常に 業界トップを守ってきたことは凄いと思います。
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