友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ 読み)ともがみな われよりえらく みゆるひよ はなをかいきて つまとしたしむ 作者 石川啄木 『一握の砂』 現代語訳と意味 友だちが皆ことごとく自分より偉く見える日だ そんな日には花を買って帰り妻と親しくするのだ 語の意味と文法解説 ・見ゆる…「見える」の文語 連体 ・見るの基本形は文語では「見ゆ」 ・買い来て…複合動詞 買ってきて ・したしむ…親しむ うち解けて仲よくする 表現技法と句切れ 3句切れ 解説と鑑賞 明治43年10月13日夜の作品。 友との身の上の比較 「友がみなわれよりえらく」というのは、人と自分との比較であるが、大言壮語が持ち前の作者も、現実の友を見ると否応なく気鬱に陥らざるを得なかったのだろう。 この比較というのは、友との比較だけではなく、過去の自分自身のことでもあった。 石川啄木の神童体験 啄木の歌で目立つのは、子どもの時の「神童体験」であって、その頃は、啄木の父も住職として尊敬される立場にあった。 啄木の人格はともかくとしても、生家の没落には痛ましい部分がある。 それ以上に、啄木自身の思い出として、少年期の成績が優秀であったことが、啄木にとっては生涯固執するべきことであったようである。 「花を買いきて」の疑問 「花を買いきて」というのは、なんとも愛妻家のイメージだが、啄木が本当に妻に花を買ってきたことがあるのだろうか。 実際の啄木の生活はもっと貧しく、生活に必要のないものを買う余裕があったとも思えない。 しかし、友の身の上を思うほどに自身が小さく思えて、家にこもらざるを得ない気持ちになり、普段ないがしろにしている妻と親しくしたい気持ちになる、つまり内向的な気持ちになったということであるとも思われる。 「妻としたしむ」の真の意味 「花を買いきて妻としたしむ」というのは、妻と積極的に仲良くしたいというのではなくて、外に居場所がなくなった時の作者の気持ちなのである。 東京に住まいを移した啄木一家 また、「花を買う」というのは、都会的なモチーフであるが、啄木はこの1年前、明治42年の6月に東京に家族を呼ぶ集め、そこで家を持っている。 家庭に視点を変えてこの歌を見てみると、困窮した生活以上に姑と妻の中が悪かったのはよく伝えられる話で、啄木にも時には妻に何かを買ってやりたい思いがあったのかもしれないし、また、そうしなければ家庭が保てなかったのかもしれないということも思い起こされる。 啄木の外向性 啄木の歌に「妻」が出て来るモチーフはこの歌くらいだろうか。 家庭的な歌は、病床に付してからのその後の『悲しき玩具』の方にはあるものの、『一握の砂』においては、むしろ妻や家庭いがのモチーフの歌が圧倒的に多い。 そして、社会と家庭の対比だけではなく、啄木は良い意味で外交的な人であったようだ。 一方、決して家庭的な人ではなかったことは、そのほかの作品を読んでいる人なら、容易に思い起こせるだろう。 山本健吉の評 以下は、この歌に関する山本健吉の評より抜粋する。 アマゾンで無料の短歌の本を読もう! アマゾンには「Kindle Umlimited」(キンドル アンリミテッド)という、和書12万冊以上、洋書120万冊以上のKindle電子書籍が 読み放題になるサービスがあります。 利用料は 月額980円ですが、申し込み後1ヵ月間は無料なので、その間にお好きな本を読むのがおすすめです。 使わなければ、その間に停止の手続きをすれば無料のままです。 amazonで無料の本の探し方 アマゾンで表示される本のうち、赤線を引いた部分、「¥0 Kindle Umlimited」の表示のある本は、無料で読める本です。 特に、短歌関連の場合は、万葉集は全巻無料。 それと現代短歌の新鋭短歌シリーズの歌人木下龍也さんや虫武一俊さんんの歌集など、本当に無料でいいのかな、というような本や歌集が軒並み揃っていますので、一度無料期間中にご覧になってみてください。 詳しい内容は下から。
次の友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ 作歌1910年(明43)10月13日夜。 初出『一握の砂』。 木股知史氏がこの歌の簡潔な評釈史を書いておられます(木股知史・藤沢全・山田吉郎『一握の砂/黄昏に・収穫 和歌文学大系77』〈明治書院、2004年〉の「一握の砂」補注七)。 矢代東村・渡辺順三・橋本威・岩城之徳・今井泰子・本林勝夫・太田登・寺山修司の評釈そして与謝野鉄幹の詩人意識までを引いての考察は重厚です。 これらを踏まえた氏ご自身の評釈は以下のようです。 立身出世を基本倫理とした明治社会で、友はみなそれぞれしかるべき地位を得ているように見える日、自分はそうした軌道からはずれた生き方をしているが、花を買ってきて妻と親身な会話をかわす。 敗残の気持ちを妻によって慰撫するととらずに、世俗的栄達よりも、妻との親和という日常のほうが価値があるという思想の表明の歌と理解したい。 まず事実の問題から行きますが、啄木の友で立身出世した者はまだいません。 盛岡中学時代の友人は「友はみな或日四方に散り行きぬ/その後八年/名挙げしもなし」(103ページ左)と啄木自身が歌っているとおりです。 北海道の友は「こころざし得ぬ人人」(176ページ右)ばかり。 考えられるとすれば文学上の「友(特に作家)」ですが、それはどうか。 当時の啄木は短歌に関しては自信をもっていました。 与謝野晶子、前田夕暮、若山牧水、吉井勇、北原白秋、土岐哀歌等々を評価し彼らからよい影響も受けていますが、かれらが自分より「えらく見ゆる日」など考えられません。 ただひとり詩人としての白秋には一目置いていましたが。 啄木がこの時期に 敵わないと認めるのは小説家だけです。 しかし「明治四十四年当用日記補遺」に明治43年の事として次のように書いています。 文学的交友に於ては、予はこの年も前年と同じく殆ど孤立の地位を守りたり。 一はその必要を感ぜざりしにより、一は時間に乏しかりしによる。 これで見ると(この時期にはほとんどいない)作家の友人たちでもないでしょう。 こうして「友がみな」消えてしまいました! では「友がみなわれよりえらく見ゆる」とはどういう事か、という問題があらためて浮上して来ます。 村上悦也さんの労作に『石川啄木全歌集総索引』(笠間書院)があります。 助詞の「の」や「を」を含む全語彙の索引があります。 『一握の砂』『悲しき玩具』を研究する上で非常に有用な本です。 今「友」を検索すると58箇所に出てくることが分かりました。 これらを参考に啄木の「友」の概念を抽出すると「縁あって浅からぬ関係をもっている(あるいはもった)ほぼ対等の立場の人」となります。 師弟関係での師や職場で上下関係にある上司は含みません。 もっとも小樽日報社で啄木が社から追い出した主筆の岩泉江東や啄木を殴って啄木を社から追い出した事務長小林寅吉のことは「友」と呼んでいます(187、192ページ)。 こうなると掲出歌の「友」は職場の同僚、遊びに来たあるいは音信のある渋民盛岡時代・北海道時代の友、東京の文学仲間などみんなということになります。
次のこの項目では、エッセイストについて説明しています。 実業家については「」をご覧ください。 上原 隆(うえはら たかし、 - )は、日本の、コラムニスト。 来歴・人物 [ ] 出身。 哲学科を卒業後、PR映像制作会社に勤務。 会社勤務と同時に、同人誌「揺」、雑誌「」において編集、執筆活動をはじめ、後に作家活動に専念する。 市井の人々の生き方に目を向けたルポルタージュや身の回りの何気ないことに温かな目を向けるエッセイから、「日本の」と称される。 「」のパーソナリティなどをしていた社員の上原隆は、同姓同名の別人である。 著書 [ ]• 『「普通の人」の哲学 ・態度の思想からの冒険』(毎日新聞社、1990)• 『なんかこわくない』(毎日新聞社、1992)• 『友がみな我よりえらく見える日は』(学陽書房、1996) のち幻冬舎アウトロー文庫(1999)電子書籍(2014)• 『喜びは悲しみのあとに』(幻冬舎、1999)のち幻冬舎アウトロー文庫(2004)電子書籍(2014)• 『1ミリでも変えられるものなら』(日本放送出版協会、2002)のち『雨の日と月曜日は』と改題して新潮文庫(2005)• 『雨にぬれても』(幻冬舎アウトロー文庫、2005)電子書籍(2014)• 『胸の中にて鳴る音あり』(文藝春秋、2007)のち文春文庫(2011)• 『にじんだ星をかぞえて』(朝日文庫、2009)• 『こころが折れそうになったとき』(NHK出版、2012)電子書籍(2013)• 『こんな日もあるさ 23のコラム・ノンフィクション』(文藝春秋、2012)• 『君たちはどう生きるかの哲学』 幻冬舎新書、2018• 『こころ傷んでたえがたき日に』 幻冬舎、2018 脚注 [ ] [].
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