朱鞠内湖 心霊。 百人浜オートキャンプ場

朱鞠内湖の心霊現象&心霊体験

朱鞠内湖 心霊

雨竜ダムの建設によってできた人造湖である朱鞠内湖は、幻の魚「イトウ」が養殖され、今ではボート、カヌー遊びで有名な観光地になりました。 しかし、半世紀以上前の戦時中、この地は「タコ部屋」労働と、朝鮮から強制連行された人々の強制労働現場でした。 埋葬許可証などの記録をもとに調査した結果、これまでに鉄道工事とダム建設工事を合わせて204人の犠牲者が明らかになっています。 鉄道工事 ダム工事 他 合 計 日本人 57 109 2 168人 朝鮮人 2 33 1 36人 1980年から工事犠牲者の遺骨発掘が始まり、これまでに16体が掘り起こされました。 今なお、共同墓地やその周辺の竹藪の中には、劣悪な労働条件の下で病死したり、逃亡が発覚して連れ戻され、拷問によって殺された人々(日本人も朝鮮人も)の遺骨が埋まったままになっています。 この背景には、広大な原始林を伐採して雨竜ダムを作ることによって、大量の原木と電力の両方を手に入れようとした王子製紙の思惑がありました。 ---------- もともと北海道の開拓は囚人労働から始まりました(石狩・釧路・網走など)。 ところが、あまりに死人が多いため、明治中期に囚人労働は廃止されます。 その後も労働力の確保が困難なため、明治23年頃から民間の周旋屋に騙して連れてこられた労働者による「タコ部屋」労働に引き継がれていきました。 そして戦時中、男は出征して戦地へ赴き、鉱山・土木建築・港湾事業などの働き手として、児童・生徒・学生・女性を軍事動員しました。 私の母親も、札幌市山鼻(現・中央区南20条)から停車場(現・JR札幌駅)まで歩いて、軍需工場での三八式歩兵銃の弾丸磨きや援農に駆り出されたといいます。 それでも人出が足りなくなり、1939年(昭和14年)には朝鮮人を、1942年には中国人を、さらに連合軍捕虜を強制連行し、強制労働させることにしました。 その数は終戦までに、朝鮮人約80万人(道内15万人)、中国人約4万人(道内1.5万人)、連合軍捕虜3.2万人(道内1600人)にのぼりますが、連行先を国内に限らなければ総数は700万人にもなるとも言われています。 ---------- 北朝鮮が日本人の拉致を明らかにし、今また核施設の封印を除去したことで、一気に朝鮮半島情勢は緊張が高まっています。 テロ国家である北朝鮮を擁護する人はいないでしょうし、誤った指導者の元で悲惨な生活を送る北朝鮮の人々が、自らの国の民主化のために立ち上がってほしいと思います。 しかし、これを機会に日本が過去アジア各国で犯してきた過ち全てを「作り事」にすり替えようとする動きが日本国内にあることは見過ごせません。 「日韓併合は朝鮮の利益のための正しい方針だった」、「朝鮮人の強制連行などなかった」などの歴史ねつ造が、この時期にいっきに進められる危険性があります。 また、北朝鮮を嫌うあまりに「核を落として消滅させろ」と叫んだり、在日朝鮮人全てをひとくくりに敵視して「在日は朝鮮に帰れ」などの書き込みを執拗に行うなどの嫌がらせが楽天内でも横行しています。 いくつかの論点を整理して検証しなくてはなりません。

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絶対に行ってはいけない最恐心霊スポットの体験談 北北海道編~信じる信じないはあなた次第~

朱鞠内湖 心霊

朱鞠内湖は、ひと言で表すと「超絶景色の良いイトウの釣り堀」です。 「超絶景色の良い」景観というのは、この土地ならではの独特な自然により作られています。 朱鞠内湖は、日本最大の冠水面積を誇るダム湖で、戦時中に広大な森が沈むことにより誕生しました。 複雑に入り組んだ湖岸線、水没した巨木が突き出す水面、奥の深い森。 静寂に包まれた湖の奥では、 ここが日本であることを忘れさせられる、と言ったら言い過ぎでしょうか。 釣りをしていても、シカやキツネやクマが、よく道路沿いで見かけるような「町に下りてきてしまった!」というような慌てた姿ではなく、より自然に暮らしている様子で見られます。 「イトウの釣り堀」というのは、それぐらいイトウが身近な存在であるということです。 元々、イトウの生息していた川がダムでせき止められると、イトウは流れ込む川で産卵し、湖で暮らすようになりました。 湖には、人間が移入したワカサギが増え、エサが豊富にあるため、食うには困りませんでした。 漁獲、釣獲、産卵環境の悪化などで、数を減らしたこともありましたが、現在では漁協によって良く管理され、 比較的安定してイトウが生息しています。 釣りをしたことがなかった子供が、湖畔のキャンプ場から、ルアーを初めて投げてみたら、イトウが釣れたというような話は、いくらでもあるほどです。 このようにイトウが沢山いるの理由として、他の釣り場と違い管理されている点が大きいわけですから、 ここで釣りをするなら、入漁漁を支払い、規則を守るべきでしょう。 管理釣り場で、お金を払わないで釣りをする人がいますか? お金を払いたくないなら、釣り堀ではない所に行くべきでしょう。 北海道では、ほとんどの場所でタダで釣りができるのですから。 「超絶景色の良いイトウの釣り堀」とは言っても、釣れる魚は、 ほぼ完全に天然の魚です。 川のイトウ釣りが好きな人からは、湖に閉じ込められたイトウは「体型が、 これじゃない感がある」とか、「海に行かないのだから、陸封イトウであり、 別の種類の魚だ」とか、贅沢な意見もあります。 しかし、 ちゃんと1メートル以上のサイズもいますし、綺麗な透き通った鰭を持つ魚を、静かで美しい環境の中で存分に釣れるのだから、そうバカにできないのではないでしょうか。 朱鞠内湖のイトウ釣りのポイントとシーズン 朱鞠内湖でイトウを釣る一番の近道は、渡船を利用することでしょう。 これは釣りのポイントまで、船で送り迎えしてもらえるサービスで、周囲を森に囲まれ、大部分の湖岸に徒歩でアクセスすることが困難なこの湖では、とても便利です。 また、 ボートでの釣りはエリアが制限されていて、湖の一部でしか釣りが出来ません。 渡船では、そのエリア外へも送ってもらえ、ボートからは手付かずの広大なポイントを、一日貸切りで過ごせます。 たまに、 個人で行っている釣りガイドを頼んで、ボートから釣りをしている人もいますが、当然その釣りのエリアも、持ち込みボートと同じエリアとなります。 誰でもアクセスできる場所で釣りをするのに、何万円ものガイド料を払って、マイボートに乗った人達とプカプカと肩を並べては、特別いい釣りが出来るわけではないのでしょうか。 先述のように、子供でも釣れる湖ですので、誰かに教えてもらうほど特別難しい釣りでもありません。 そんなわけで、岸からバシバシ釣っている釣り人達からは、「私はバカな金持ちですって言っているようなものだ」という声も聞きますが、まあ趣味の世界ですから、他人の嗜好に口を出すことでもないでしょう。 渡船が行われている時期が釣りやすい シーズンであり、釣れる目安にもなるでしょう。 春は5月の湖の解氷~6月くらいまで、秋は9月~11月くらいでしょうか。 だいたいの場合、渡船から降りた上陸地点付近が一番のポイントです。 それを信じて、一日投げては引っ張ってくるのを繰り返していれば、一度や二度のチャンスはだいたい訪れるはずです。 一日で20匹近くイトウを釣った人もいますし、それが不思議でないくらいの量の魚はちゃんと生息しています。 湖での釣りの基本ですが、無風の状態では魚を釣るのに厳しい状況です。 風が吹き、ジャブジャブ波が出てきたらチャンスです。 風の当たる岸側、向い風がベストです。 風が強ければ強いほど最高です。 立っているのも辛く、ろくにキャストも出来ない状態でも、連続でヒットなんてことも珍しくありません。 ちょっと釣りをしてみたい場合。 渡船などを利用せず、ちょっと釣りをしてみたい場合、この湖は山深く道路から岸に出られる場所が少ないので、手軽に行けるポイントは限られてきます。 最も手軽なのは、入漁券の自動販売機の設置された管理棟すぐ前の、通称「前浜」と呼ばれる場所でしょう。 ボート屋があったり観光客がいたり、この湖にしては騒がしく、雰囲気は全く良くありませんが、実は一級ポイントです。 おそらく人工的に作られた、砂利のなだらかな浜で、春でも秋でも風が吹くと魚がよく寄ります。 また6月には、ここでウグイの産卵も行われ、それを狙ってイトウが集まります。 やはり人が多いと、魚の寄りが悪くなるらしく、人気の無い時ほどいい釣りが出来ることが多いです。 また、 立ち込むと魚が寄ってこなくなりますので、なるべく水に入らないことです。 春先などは、夕方に静かにしていると、水深30センチほどの所までイトウは平然と入ってきます。 ですから、一人でも腰まで浸かっている人がいたり、過剰に水面をラインで叩く釣りをしている人がいると、釣れる可能性が極端に低くなります。 極端な話、ウェーダーを履いていない、長靴やスニーカーのライトな釣り人の方が釣れることも多い場所なのです。 nyandaro.

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北海道の心霊スポット

朱鞠内湖 心霊

今から5年程前の10月、帯広に住んでいたKは友人たち4人で雄別炭鉱に肝試しへ向かったという。 炭鉱へ向かう車中は酒盛り状態で、炭鉱へ到着する頃には完全に出来上がっていた。 深夜の時間帯である。 当然K達以外には誰もいない中、余裕余裕と笑い話をしながら廃墟群に入る。 目当ては色々と噂のある廃病院だった。 病院内に入ると、懐中電灯で照らす壁は落書きだらけで異様さを放っていたという。 さすがに荒廃した真っ暗な廃墟は気味が悪く、Kの酔いはほとんど覚めていた。 院内のテラスのようなところに辿り着いたところで、突然、甲高い女の悲鳴が上がった。 K達は男4人で来ていて、もちろん、病院内に他の人間がいるような気配もなかった。 K達は動揺して、逃げるように走って廃病院を飛び出した。 出たところで、いったいなんだったのかと玄関ホールを懐中電灯で照らしていると、誰もいないはずの院内からたくさんの足音がカツコツと迫るように聞こえてきたという。 さすがに耐えられず、K達は早くここを離れようという事で一目散に車まで戻った。 だが、全員が車に乗り込んだところで、Kの携帯が鳴り始めた。 誰かと思い、携帯のディスプレイを確認すると、『非通知』。 何より彼が驚いたのは、電波の表示が『圏外』になっているのだ。 圏外になっているのに着信音は鳴り続けている。 友人に早く出ろと催促されてKが電話に出てみると、最初に聞こえたのは強風のような音だったという。 ゴァッゴアァーという音の奥で誰かが話しているような声が聞こえる。 そして突然、院内で聞いたのと同じ女の悲鳴が、その場にいる全員に聞こえるくらい大音量で流れたというのだ。 あまりの恐怖にKは電話を切った。 すると今度はその場に居合わせた全員の携帯が一斉に鳴り始めた。 携帯電話はしばらく鳴り続けていたが、市街地まで入ると突然鳴り止んだという。 その後、一緒に炭鉱に行ったメンバーに異変はないが、さすがに気持ち悪くなってKは携帯を一度解約したという。 旧阿寒町、炭鉱の町だった雄別地区です。 現在は廃墟と化し、誰も住んでいない地域です。 阿寒の町からだいぶ山奥に入っていく印象です。 かなりきわどい経験をしている人もいるので、気安く行かないほうが良いと思います。 とある有名な霊能者か霊媒師の方が訪問した際に、近づくにつれ 「これはまずいところに来てしまった、なるべく早くUターンして帰りたい」 とまで言われた場所です。 車がないと行けません。 そして、その車に空席があるとそこに霊が乗っかってつれて帰ってきてしまう、という噂まであります。 地元の若者が時折心霊スポットとして肝試しに行く場所でもあります。 知人が肝試しで行ったときの話しです。 4人乗れる車に2人で行ってしまいました。 知人は運転手、その友人が助手席でした。 ちなみに二人とも男性です。 行って現地を少々探索し、帰り道でおかしなことが起こりました。 助手席に座った人が、帰りに 「ちょっとここで降りたい」 と、車を止めさせました。 そこは、まだ雄別から出たばかりの山道。 周りには何も無く、町まではまだ距離があります。 気分が悪そうでもないし、町に着くまでにトイレがないから立ちションかな、と軽く考えていた知人。 助手席から降りた人影が見えません。 びっくりして知人は車を降り、助手席側に回り込んだらその友人はしゃがみこんでいました。 「具合悪いのか?」 と聞くと、首を振り 「いや、なんかここを掘らなきゃ」 と、いきなり素手で道路わきの地面を掘り始めました。 知人は唐突な出来事に固まってしまいましたが、すぐに我に返り地面を掘っている友人を無理矢理やめさせ助手席に押し込み、すぐに車を発進させました。 しばらくの間、走行中にも関わらず助手席から降りようとするため、ドアや窓はロックをかけざるを得ませんでした。 しばらくして町の中に入った頃、 「あれ、なんで手が汚れているんだ?」 と助手席の友人が我に返りました。 その場はそれで終わったように見えますが、その後、知人はその友人と連絡がとれなくなってしまいました。 実際にその助手席の人に何が起こったのか、もう知るすべはありません。 行かれる方は、色々と覚悟の上、自己責任でお願いします。 昨日写真の整理をしていたら、偶然かつて行った北海道、道東では有名な心霊市ポット、「雄別炭鉱跡地」の写真が出てきたんで、当時の話を書いてみます。 当時私は釧路のジャスコで働いていて、片道30km離れた阿寒町布伏市内と言う、ゴーストタウンに近い寂れた所に住んで通勤していました。 ここはあの雄別からわずか4km程のところで、家賃4300円と言う3LDKの一軒屋を借りて住んでいたんです。 GWに東京に住む友人数名が遊びに来て、雄別に近いことを既に知っており、「連れて行け、連れて行け」とせがまれました。 でも本当にヤバイところなので、最初はきっぱり断っていました でも遠方からフェリーに揺られてはるばる見に来たと言うのだから、少しかわいそうかな、と思い始め、結局折れて案内する事に。 でもここでの危険な話や実際に体験した自分にとってこれは相当な恐怖でした。 そこで、霊の気持を怒らせないように廃病院に入る前と出る時にメンバー全員に 「心からご冥福をお祈りいたします」 出る時には 「大変お邪魔して申し訳ありませんでした、安らかにお眠りください」 全身心を込めて、合掌するように、これを徹底させました。 自分はやはり少し入っただけで気持悪く身の毛が激しくよだつんで、入り口で断念。 その後みんなで記念撮影を数枚。 全員無事で妙な声やラップ音などを聞くことも無く車に乗って帰ることが出来ました。 さて、当時の写真を後で見てみたら・・・・ メンバー5名、撮影者一人除いて4人で写っているはずの写真。 俺たちの後ろに3名見知らぬ人がはっきり写っていたんです。 でも合掌とお祈りが効いたためか、3名ともとってもにこやかな表情でうち一人は手まで振ってくれていたんです。 心霊スポットに入る時や出る時の態度で呪われるか何事も無いかが分かれる事も十分ありうると、この時初めて納得できました。 無論、心からお祈りすれば何処に行っても大丈夫と言う事ではありませんが、心構えとして重要なのかもしれません。 大勢で面白半分にドヤドヤと押し入ってハンマーでガラスを割りまくるような破壊行為・・・・ こんなメンバーは祟られても仕方ないと思います。 以上、簡単な話ですが終わります。 北海道の炭鉱が心霊スポットとしては有名ですが、道東に位置するこの『雄別炭鉱』は霊能者の宜保 愛子さんも訪れたことのある有名な心霊スポットです。 地元では大学生くらいになると肝試しがてら行く人が多く、そのほとんどが何かしらの心霊現象に遭遇すると言われています。 元々は石炭の普及によってできた炭鉱の街で、光熱費が全てタダだったりと当時はとても栄えていたと聞きます。 しかしその裏では『タコ部屋』という、ひたすら坑内で働かせるための収容所のような場所があったそうで。 出稼ぎに来た若者をだまして借金を負わせ『タコ部屋』で働かせるなど、ほの暗いことが行われていたという話も…。 そんな雄別炭鉱に訪れたときの話です。 時期はちょうど春先。 私は写真を撮るために、雄別炭鉱に興味のある知り合いと3人でそこを訪れていました。 カメラはそれぞれ私はミラーレス一眼、知り合いはデジカメと一眼レフを持ってきていて、雄別炭鉱をグルリと一周する予定でした。 携帯も通じない山の中で、聞こえるのは獣の声だけ。 しかし3人というのは心強かったですし、天気の良い昼間で主な目的ではないものの「心霊写真が撮れちゃうかもな」というちょっとしたワクワク感の方が勝っていました。 雄別炭鉱は衰退と共にあっという間に人がいなくなった街で建物も当時のままのものがほとんど。 街の中にはそこかしこに坑道の入り口がそのまま残されていました。 ちょうど坑道の大きな入り口を過ぎた辺りで、入れそうな小さな坑道の入り口を見つけたのです。 それは地下へ続くコンクリート製の階段になっていて、曲がり角もあるため奥まではよく見えません。 入り口の壁には「コウモリがいるよ!」などと書かれていたので、奥に降りれるのではないかということで、私たちは降りて行くことになったのです。 順番は私が先頭でした。 特に懐中電灯などは持っていなかったので見える範囲で階段を下りていたのですが、しばらく降りると前が真っ暗になったんです。 ここから先が壁になって封鎖されているのか、それともまだ奥があるのか全く分からない暗闇。 手を伸ばすと何も触れないので壁のハズがないのですが、そのときは何故か壁を伝って降りようとは全く考えませんでした。 なんとなく「これ以上行けない」と思ったのです。 真っ暗で壁なのか分からないことを後ろに続く知り合いに伝えると、カメラのフラッシュで奥があるか確認しようということになりました。 「なるほど」と思った私はフラッシュを強制発光にしてシャッターを押したのですが… なぜか何も反応しないんです。 ボタンは押せるのに、一向に写真も撮れないしフラッシュだって付きません。 「あれ~」などと言っていると、後ろにいた知り合いたちも私の横に降りてフラッシュを光らせようとしました。 けれど3人とも何もできないんです。 ミラーレスも一眼レフもデジカメも一切反応しませんでした。 「ヤバイ」 私たちは顔を見合わせてすぐさま撤収しました。 その後カメラは元に戻って、不具合が嘘のよう。 それぞれが撮った写真にも、特に何も映っていませんでした。 「なんだったんだろうね」 などと話していたのですが、後日その話をした友人の言葉で私は思わず背筋が寒くなりました。 「いや、いたんじゃない?」 「何が」 「幽霊」 「だってシャッター押せなかっただけだし、写真も特に問題なかったよ?」 「いい天気だったんだよね?急に前が暗すぎて壁かどうかも分からなくなることある?」 「それは…」 「いたんだよ。 …すぐ、目の前にさ」 北海道美唄市といえば、我路にある円形校舎が有名ですが、地元では円形校舎よりも、昔の炭鉱町の廃墟の方が心霊スポットとして有名でした。 学校や病院、住宅の跡地が廃墟として残っており、場所によっては防空壕の跡地が残っているところもあります。 そんな我路の奥地ですが、そこには白い車で肝試しに行くと帰ってこられなくなるという話があります。 友達から聞いた話によると、肝試しに白い乗用車で行った4人のメンバーが、肝試しがてら廃墟を散策して、何も起こらないと落胆して車で引き返そうとしたそうです。 道は一本道で、迷うはずもないのですが、進んでも進んでも町に戻れない。 ある場所まで戻ってくると、また同じ場所をぐるぐる回っている……。 男だらけの4人も、さすがに怖くなったそうですが、相談した結果車の中で一晩明かそうということで、話がまとまり、その夜は車の中でおびえながら夜を明かしたそうです。 朝日が昇り、ダメもとで車を発進させると、あんなに迷ったのが不思議なくらいあっさりと街中に戻ってくることができたそうです。 とりあえず近くのコンビニに車を乗り入れ、一息つこうと車の外に出て、4人は言葉をなくしたそうです。 白い車には、大小さまざまな大きさの手形がビッシリとついていたそうです。 それも、赤い色の……。 洗車してもしばらくは手形が取れず、車は売却されたそうです。 今では、地元の自動車学校でも我路には白い車で行くな…という話も聞くことがあるという話を噂で聞きました。 男ばかり7人で真っ暗な吊り橋を渡っていた。 そこは旭川市近辺にある神居古潭(カムイコタン)有名な心霊スポット・・・ 大学に入ったばかりの連中を先輩が怖いところへ連れて来てくれた。 みんな同じ下宿だった。 会って一週間ぐらいで、みんな周りのやつに怖がりと思われたくない、根性あるやつだと言われたいと言う雰囲気マンマンだった。 橋を渡りながら先輩の説明があった・・・ 「橋を渡ってねぇ電話ボックスがあるから、ここで電話ボックスの中に女の人が見えたら帰るから、その後ろに廃路線と汽車が展示して在って、そこで汽車の中をスーッと通る女の人見えてもダッシュで帰るから、見えなかったらちょっと進んでトンネルに入るから・・・」 歩きながら話すこの先輩異様に怖いしなれてる・・・ 怖いとこよく行っているのか聞いてみた・・・ 「旭川近辺には怖いところいっぱいあってねぇ一家惨殺があった山本家でしょ~中国の人が強制労働させられて死んで埋められた中国人墓地とかいろいろあるよ~」 この人が怖い・・・ 電話ボックス、展示してある汽車このへんは電話ボックスの灯かりがありそれほど怖くなかった。 だんだん電話ボックスの灯かりがなくなってトンネルの入り口近づいた・・・ また歩きながら先輩の話がはじまった・・・ 「ああ言っとくの忘れてた数年前にねぇ、近くの精神病院からぬけ出した人がいてねぇもう精神病院に戻りたくないって言って、トンネルの中で手首とかいっぱい切って亡くなったんだって、だからねぇ、トンネルの中で歩いてる途中何かに肩たたかれたり声が聞こえてもても、振り返っちゃいけないよ何があるかわからないからねぇ」 先輩・・・ 遠くの電話ボックスの灯かりにに少し照らされたみんなの顔が引きつり笑いしてた・・・ トンネルの中に入った・・・ 自然と4人が前、3人が後ろになった・・・ 30分くらい歩いてトンネルの反対側に出た・・・ 車のところに戻るまでまた同じ経路を辿らなくてはいけない・・・ 先輩のほうを見ると緊張した感じだった・・・ 聞くと、行きより帰りのほうが、雰囲気的にいやらしい・・・ みんな帰りのトンネルに入った・・・ 相変わらず真っ暗が続いた・・・ それでも人間はそこにいるなと言う輪郭はおぼろげながらあった・・・ そのうち前の4人が少しじゃれ出した・・・ 肩を叩き合ったり、変な声を出したり・・・ みんな怖さに慣れてきて最初のほうに言った 「怖がりと思われたくない、根性あるやつだと言われたい」 状態に入ってきた。。。 わたし1人をのぞいて・・・ それはなぜか? 帰りのトンネルに入った2~3分後からそれが見えていた・・・ 後ろから見た人数が4人のはずなのに・・・ 5つ動いてる・・・ 1つ多い・・・ 今それを言うとパニックになると思い口に出さなかった・・・ 前の5つつのやつらが騒いでるすきに後ろを歩いてた先輩ともう一人に小声で言った・・・ 「動いてるやつら1つ多くありません?」 言った瞬間後ろを歩いてた2人が前の5つつをさけて猛ダッシュ・・・ そのあと間髪いれず私が叫びながら猛ダッシュ・・・ 「お前ら4人が5人に増えてるぞー」 と訳の分からない事言われて怖くて4人も猛ダッシュしたと思ってた・・・ 電話ボックス、汽車、全然目に入らなかった・・・ 車についた・・・ 経緯を説明した・・・ 「お前らこんな怖いことがあったんやで」 すると前を歩いてたやつが言った・・・ 「走った時に叫んだことはあんまり聞こえなかったが、トンネルの奥を見ると人影のようなものがだんだん増えながら近づいて来たからあわてて走って逃げてきたんだ」 とゾッとした・・・ 先輩がビビリながら・・・ 「山本家行く?」 先輩によけいゾッとした。 当時、付き合っていた彼と彼の友人が実際に体験した話です。 高校生活最後の体育祭の打ち上げで、盛り上がった彼のグループは心霊スポットに肝試しに行くことになったのです。 彼らは自転車で「カムイコタン」という場所に向かいました。 カムイコタンというのはアイヌ語で神様が住んでいる場所という意味で、広い公園と大きなキャンプ場が併設され、昼間はとてもキレイな場所なのですが、夜は変な噂のある心霊スポットとしても有名な場所でした。 彼らは夜中、男4人でカムイコタンに到着するなり、かなり奥の方まで歩いて散策したようです。 特にこれといって怖い体験や、変なものを見るような収穫もなく、何枚か写真を撮ったりして帰宅することにしたのです。 自転車を止めた場所まで四人並んで、話ながら歩いていたそうです。 彼は真ん中を歩きながら、自分の左で話していた二人に向かって相づちを打っていました。 しかし彼は何気なく違和感を覚えました。 彼が話した話題に相づちをうったのは右側にいた3人だったのです。 彼は自分の左側2人と右側に1人いると思いこんで話していたのですが、実際には友人は3人とも自分の右側にいました。 では今ずっと左側で話していた2人は誰だったのか。 考えただけで背筋がぞっとして、彼は振り返ることなく一目散に自転車のおいて有る場所まで走り、逃げるように帰ってきたのでした。 あとで何度確認しても、友人は3人とも彼の右側を歩いていたということでした。 彼は振り向くことをしませんでしたが、その瞬間もしかしたら彼の左には、存在しない2人がいたのかもしれません。 彼は一体、誰と話をしていたのでしょう。 昔の話ですが今でも忘れません。 僕が小学生の頃、友達とサイクリングロードに出かけたのですが、その日は凄く天気がよくてサイクリング日和でした。 この日は友達と3人でお弁当持って、釣竿持って楽しく3人でわいわいと出かけました。 北海道旭川市にあるそのサイクリングロードを、ずーっと通っていくと、白い吊り橋があります。 そこには昔「伊納駅」という名前の駅がありまして、その駅の近くには神居古潭トンネルというトンネルがあるんです。 昼間でしたが、そこで僕たちはここで肝試しをやろうと決意したんです。 神居古潭トンネルは古いトンネルなので、街灯もなく中は真っ暗で先が見えないんです。 実に長いトンネルで、夏場なのにトンネル内に入ると少し寒くていかにも霊気が漂う感じの雰囲気です。 そこで僕たちは3人で勇気を振り絞ってトンネル内に入ったんです。 恐る恐る入ると、トンネル内ではゴーンという不気味な音が何度も何度も聞こえてくるんです。 僕たちは怖くて怖くて、どんどん奥に進んで行きました。 すると丁度トンネルのど真ん中に付いてとたん白い服着た髪の長い女性らしき姿をとらえたんです。 3人が3人ともその姿を目撃したんです。 もう、それでびっくりして、トンネルの真ん中あたりで、来た道を大急ぎで全力で走って引き返しました。 あの体験談は今でも考えるとゾッとします。 背筋が凍るような気持ちです。 今もその神居古潭トンネルでは幽霊が出るという噂があり、夜中に興味本位で肝試しやる人がいます。 もう僕たちはあれから何十年経ちましたが二度と行かない決心しました。 本当もう二度とあんな体験はしたくありません。 これは2010年に、北海道へ旅行に行った時の話になります。 目的は羽幌(はぼろ)の築別(ちくべつ)炭砿なのですが、札幌からは200キロも離れた場所で、一番近い町からも20キロは離れています。 雪の季節になると、誰も立ち寄れなくなるような場所なので、ここへは行くことは無いと思っていました。 ところが、ネットで知り合った北海道在住のKさんの誘いで、私は築別炭砿を訪れる事になります。 炭鉱で栄えた場所なので、閉山のウワサが流れただけで、一万人の人が街を離れてしまったそうです。 石炭需要の低下もありますが、労働力の確保が出来ない状況から炭鉱は閉鎖。 数年後には炭鉱周辺の地域を合わせても、そこには99人しか残っていませんでした。 炭鉱労働者のための集合住宅では、作業等で亡くなった炭鉱労働者と思われる、人の話し声や人の影が見えると聞いていましたが、集合住宅の部屋の梁はまだキレイで、廃墟特有の落書きも少なかったです。 もしかしたら、何処かの部屋には人が住んでいるかも、そんなふうに思えて来ます。 「この場所から帰る時に事故を起こす」 心霊現象としてよく聞く話ですが、築別炭砿もそんな風に言われているそうです。 築別炭砿へはKさんの年季の入った車で行ったのですが、宿泊先まで戻った時に、タイヤのネジを隠すキャップがどこかで外れているのに気が付きます。 このくらいで終わりなのだろうか…。 いやこれが始まりなのかもしれない。 その時は冗談のように言ったのですが、自分の部屋に帰る途中で私は車と事故を起こしました。 私が住んでいる最寄りの駅から、自転車で部屋に帰ろうとしていた時です。 横断歩道を渡ろうとしていたら、左折するトラックとお見合いして、お互いに止まってしまい。 トラックの運転手さんが先に行けと手で合図をくれたので、会釈して自転車を動かすと、赤の車がトラックを追い越そうとして、その赤い車に自転車の前輪がぶつかってしまいます。 幸い手のひらを擦りむいただけですんだのですが、宿に帰る途中の出来事に続いての接触事故を、私はただの偶然では無いと思っています。 地球岬は断崖という意味のアイヌ語「ポロ・チケプ」のチケプが由来で、チケプが変化してチキウ、そこに読みがにている「地球」を当て字した名称です。 断崖という元々の由来の通り10kmを超える断崖が続く場所で、視界の全部が水平線だけの景色は、ここが日本だとは思えませんでした。 写真だと海から生まれた霧が崖いっぱいに広がって、自分が雲の上の楽園に住んでいるような幻想的な写真があるので、何時かはこんな景色を見たいと思っています。 条件が合えば楽園のような姿を見せる地球岬ですが、この場所で地獄を味わった人がいるようです。 カップルがこの場所で飛び降り自殺をしたのですが、彼女さんだけ即死することが出来ず、瀕死の重傷に苦しみながら事切れたそうです。 私達がこの場所を訪れたのは、私がNMPを利用してガラケーからスマホに変えたばかりのころで、特にGPSに関した機能が面白かった頃でした。 衛星からの電波をどれだけ掴んでいるとか、通った道にピッタリとGPSログが重なるのを見たりが楽しくて。 地球岬へ行くときもレンタカーのナビは使わずに、スマホにナビをさせていました。 帰る時もスマホでナビをしたのですが、車が動き出してすぐに画面がグルグルと変化して使い物になりません。 いったん車を止めてスマホの画面をよく見ると、私達は北へ進みたいのに、コンパスの赤い矢印は南の方を指し示していたのです。 スマホでのナビは諦めてレンタカーのナビを使って走行していると、助手席の友人が私のスマホを眺めながら、コンパスは地球岬を指していると気が付きます。 次の目的地に付く間に、コンパスは正しい方位を示すようになったので、修理には出していませんが、コンパスがおかしくなったのはその時だけです。 その時は友人の言葉に笑っていましたが、地球岬で自殺したカップルの話を聴いていまうと、ただの誤作動だと笑えなくなりました。 自殺ですぐに死ねなかった彼女さんの死体が発見された時には、死んでから日にちが経っていたそうです。 想像も出来ない苦痛のなかで助けを願った彼女さんは、今も助けを願い続けているのかもしれません。 帯広市西15条北2丁目にある小さな沼がチョマトーで、アイヌ語の「チ・ホマ(害を受けるの意)」と沼を意味する「トウ」でチョマトーです。 友人がこの場所に興味を持ったのも、チョマトーはアイヌ同士の争いで戦士が死んだと言われる場所で、工事した時に人骨が出てきたとか、漢字だと「血妖魔沼」と表記されるとか物騒な理由でした。 十勝地方に残る史蹟の中でも、伝説に由来がある数少ない場所で、水場としては蚊が大量に発生するほど汚れていて、すぐ脇の道路が曲がっていて凍結が起こりやすく、事故が多発していています。 アイヌの長老達が沼のことを「トウカムイ(神のいる沼)」と呼んでいて、聖地のひとつだと言われても、話を聞く限りは「害をもたらす沼」という名称が似つかわしい沼です。 友人がチョマトーに訪れた時には、大きく曲がっていた道路をまっすぐにする工事で、沼は埋め立てられて小さくなっていたようです。 (この時の工事で、骨が発見されたようです) 工事されてから日も浅かったこともあって、害をもたらす沼と呼ぶには小奇麗になってました。 友人としては、植物がもっと生い茂っていた時に行きたかったそうです。 それが何だったのかはわかりませんが、チョマトーに訪れた友人は水の匂いに覆われたと感じ、それから友人の周りで奇妙な事が起こるようになりました。 最初は後で片付けようと思っていたペットボトルが倒れていたとか、ハサミが記憶と違うところに置いてあったとか、気のせいで済んでいました。 それから何もないベランダから物音がしたり、空き家になったばかりの上の階から物音が聞こえてきたそうです。 神社や寺に相談して相手にされなかったらどうしようとか。 こういうときには占い師の方が、その道のプロを紹介してくれたりするのかな。 物音が聞こえだした頃には、そんなことを相談されたことがありましたが、そんなこと答えようがありませんでした。 幸いなことに二ヶ月も経たないうちに何も起こらなくなったそうです。

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