公営・府営住宅・市営住宅・団地・公務員住宅の原状回復工事も実績があります 過去に施工したお客様の住宅(畳・襖・障子・網戸張替え)賃貸住宅の修繕工事も対応 池上5丁目3-6伊川谷住宅3号棟 1伊川谷町有瀬143-2県住2号棟 伊川谷町有瀬1281-6県営有瀬団地2号棟 伊川谷町有瀬1281-6県公営有瀬団地1棟 伊川谷町有瀬143-2県営住宅3号棟 伊川谷町有瀬143-2県営伊川谷第2高層住宅 伊川谷町有瀬1567-10県営赤羽団地5号棟 伊川谷町有瀬1567-13赤羽団地7号棟 伊川谷町有瀬1157-9伊川谷住宅9号棟 伊川谷町有瀬1281-6-2号棟 伊川谷町有瀬1281-6県公営有瀬団地2号棟 伊川谷町有瀬1567-13赤羽団地号棟 伊川谷町有瀬1637-5県営赤羽団地4号棟 伊川谷町有瀬502-4伊川谷高層団地1号棟 伊川谷町有瀬502-4県営伊川谷高層鉄筋団地1号棟 玉津町今津316-20県営玉津今津団地20号棟 玉津町今津364-29県営住宅1号棟 玉津町今津434-3県営玉津今津団地1号棟 玉津町今津316-19県営玉津今津団地19号棟 玉津町今津316-1県営玉津今津団地32号棟 枝吉1丁目101県営住宅玉津南高層1号棟 枝吉1丁目75玉津鉄筋住宅1棟 曙町1070玉津鉄筋6号棟 曙町3玉津団地1棟 王塚台4-52県営厚生年金住宅玉津団地B棟 王塚台4-57県営王塚団地5号棟 王塚台4-57県営玉津王塚団地3号棟 王塚台4-57県営玉津王塚団地4棟 王塚台4丁目2県営玉津高層住宅1号棟 王塚台4丁目56県営玉津王塚団地8号棟 王塚台4丁目56県営玉津王塚鉄筋7号棟 王塚台5-25県営厚生年金住宅玉津団地9棟 王塚台王塚台4-57県営王塚団地6号棟 神戸市西区大塚台4-57県営玉津王塚団地3棟 王塚台4丁目56県営玉津王塚団地8号棟 王塚台4-2王塚台鉄筋団地10棟 王塚台4-57県営玉津王塚団地4号棟 玉津町出合18県公営住宅玉津出合団地5号棟 高雄台10-1県営神戸緑ケ丘住宅2号棟 押部谷町福住579-1県営押部谷団地6号棟 押部谷町木幡2-74木幡県営住宅3号棟 押部谷町木幡2-75県営神戸木幡住宅5棟 押部谷町木幡2-75木幡鉄筋6棟 押部谷町木幡2丁目69-8県営神戸木幡住宅8号棟 井吹台西町1-7西神井吹台住宅8号棟 井吹台西町1丁目7市営西神井吹台住宅3号棟 竜が岡4丁目6-1県営住宅1号棟 竜が岡4丁目6-1竜が岡高層住宅 神戸市西区施工張替えエリア 秋葉台 曙 天が岡 伊川谷有瀬 伊川谷井吹 伊川谷上脇 伊川谷小寺 伊川谷潤和 伊川谷前開 伊川谷長坂 伊川谷布施畑 伊川谷別府 池上 井吹台東 井吹台西 井吹台北 今寺 岩岡岩岡 岩岡印路 岩岡西脇 岩岡野中 岩岡古郷 枝吉 王塚台 大沢 大津和 押部谷押部 押部谷木津 押部谷近江 押部谷木見 押部谷木幡 押部谷細田 押部谷栄 押部谷高和 押部谷西盛 押部谷福住 押部谷養田 押部谷和田 学園西 学園東 樫野台 春日台 上新地 狩場台 神出五百蔵 神出池田 神出古神 神出小束野 神出田井 神出広谷 神出宝勢 神出紫合 神出勝成 神出東 神出南 神出北 北別府 北山台 糀台 小山 桜が丘中 桜が丘東 桜が丘西 白水 前開南 高雄台 高塚台 竹の台 玉津居住 玉津今津 玉津上池 玉津高津橋 玉津小山 玉津新方 玉津田中 玉津出合 玉津西河原 玉津二ツ屋 玉津丸塚 玉津水谷 玉津吉田 月が丘 天王山 中野 長畑 櫨谷池谷 櫨谷菅野 櫨谷谷口 櫨谷寺谷 櫨谷栃木 櫨谷友清 櫨谷長谷 櫨谷福谷 櫨谷松本 平野印路 平野大野 平野大畑 平野堅田 平野黒田 平野慶明 平野繁田 平野芝崎 平野下村 平野常本 平野中津 平野西戸田 平野福中 平野宮前 平野向井 福吉台 富士見が丘 二ツ屋 丸塚 美賀多台 水谷 見津が丘 南別府 美穂が丘 宮下 室谷 持子 森友 竜が岡 和井取 学園都市駅(がくえんとしえき) 神戸市営地下鉄西神・山手線 木幡駅(こばたえき) 神戸電鉄粟生線 押部谷駅(おしべだにえき) 神戸電鉄粟生線 西神中央駅(せいしんちゅうおうえき) 神戸市営地下鉄西神・山手線 木津駅(きづえき) 神戸電鉄粟生線 栄駅(さかええき) 神戸電鉄粟生線 西神南駅(せいしんみなみえき) 神戸市営地下鉄西神・山手線 伊川谷駅(いかわだにえき) 神戸市営地下鉄西神・山手線• 神戸市西区施工張替えエリア 秋葉台 曙 天が岡 伊川谷有瀬 伊川谷井吹 伊川谷上脇 伊川谷小寺 伊川谷潤和 伊川谷前開 伊川谷長坂 伊川谷布施畑 伊川谷別府 池上 井吹台東 井吹台西 井吹台北 今寺 岩岡岩岡 岩岡印路 岩岡西脇 岩岡野中 岩岡古郷 枝吉 王塚台 大沢 大津和 押部谷押部 押部谷木津 押部谷近江 押部谷木見 押部谷木幡 押部谷細田 押部谷栄 押部谷高和 押部谷西盛 押部谷福住 押部谷養田 押部谷和田 学園西 学園東 樫野台 春日台 上新地 狩場台 神出五百蔵 神出池田 神出古神 神出小束野 神出田井 神出広谷 神出宝勢 神出紫合 神出勝成 神出東 神出南 神出北 北別府 北山台 糀台 小山 桜が丘中 桜が丘東 桜が丘西 白水 前開南 高雄台 高塚台 竹の台 玉津居住 玉津今津 玉津上池 玉津高津橋 玉津小山 玉津新方 玉津田中 玉津出合 玉津西河原 玉津二ツ屋 玉津丸塚 玉津水谷 玉津吉田 月が丘 天王山 中野 長畑 櫨谷池谷 櫨谷菅野 櫨谷谷口 櫨谷寺谷 櫨谷栃木 櫨谷友清 櫨谷長谷 櫨谷福谷 櫨谷松本 平野印路 平野大野 平野大畑 平野堅田 平野黒田 平野慶明 平野繁田 平野芝崎 平野下村 平野常本 平野中津 平野西戸田 平野福中 平野宮前 平野向井 福吉台 富士見が丘 二ツ屋 丸塚 美賀多台 水谷 見津が丘 南別府 美穂が丘 宮下 室谷 持子 森友 竜が岡 和井取 学園都市駅(がくえんとしえき) 神戸市営地下鉄西神・山手線 木幡駅(こばたえき) 神戸電鉄粟生線 押部谷駅(おしべだにえき) 神戸電鉄粟生線 西神中央駅(せいしんちゅうおうえき) 神戸市営地下鉄西神・山手線 木津駅(きづえき) 神戸電鉄粟生線 栄駅(さかええき) 神戸電鉄粟生線 西神南駅(せいしんみなみえき) 神戸市営地下鉄西神・山手線 伊川谷駅(いかわだにえき) 神戸市営地下鉄西神・山手線 神戸市西区のおすすめスポット 兵庫県の南部に位置する神戸市は、県庁所在地であり、平成28年現在で154万人が住む大都市です。 神戸市には9つの区があり、その中でも神戸市西区は市内ナンバー2の面積を誇る区として知られています。 神戸市西区は自然にあふれた環境から、中央部から北部にかけてはゴルフ場など自然を生かした施設が多くみられます。 また、南部へ行けば隣の明石市へとすぐに行くことができますので、明石海峡大橋を渡って淡路島へアクセスするのにも便利な街といえます。 そんな神戸市西区には、全国でも有名な企業のグリコが設立した施設、グリコピアがあります。 グリコピアとは神戸市西区高塚台にある、「お菓子の工園」をコンセプトに作られた施設です。 こちらの目玉は何といっても、あの「プリッツ」を作る工程を見学することができる事です。 生地作りからパッケージングまで一連の流れを見ることができ、お子さんの社会勉強にも良さそうです。 その他にも3Dシアターなど様々なお菓子に関する事を学ぶことができて、大人から子供まで満足できること間違いなしです。 入館にあたり事前予約は必要ですが、スマホからも予約可能ですし、なんと入場料は無料で利用することができます。 さらに、お菓子のおみやげまで貰えます。 神戸市西区の近くに住んでいる方もそうでない方も、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。 襖の張替えは日本古来の技を持つ、襖張替えのプロに頼むと良い "襖とは部屋と部屋とを仕切る、日本独特の間仕切り建具です。 木などで出来た枠組みに和紙の下張りを繰り返し、最後に表紙を張って仕上げます。 その製法により軽いのが特徴です。 表紙は柄物を張る場合や、無地の物を張り、その上に書や絵などを書き込む場合とがあります。 近年は洋風が好まれる傾向にありましたが、最近は和風の良さも見直されています。 襖を開け放したり取り外したりすることで風通しを良くしたり、続きの部屋を一間として広く利用することが出来ます。 襖の建具としての用途は、畳や障子と並び日本家屋の素晴らしい特徴のひとつです。 襖は張り替えることで部屋の雰囲気をがらりと変えることが出来ます。 特に最近は、どんなイメージの物も作り上げることができるほどの種類の襖紙があります。 更に枠や引き手の素材や色も含めると、まさにオリジナルの物を作ることが出来ます。 襖の張替えには専門の業者に頼むことが大切です。 日本古来の技を持つプロの仕事は、単なる張替えではなく襖を創造することです。 熟練の技法で完璧に作り上げます。 その仕上がりの美しさには誰しも目を張るはずです。 襖の張替えで部屋の模様替えをしたいと思ったら、迷わずプロに相談するべきです。 自分の望むイメージを決めて依頼するだけです。 手間がかからず、素晴らし仕上がりで、想像をはるかに超える居心地の良い空間が出来上がります。 " お宅の襖そろそろ交換しませんか もうすぐ年末の大掃除の時期が近づいて来ましたが、今いるお部屋の襖、みんなが出入りするお部屋の襖よく見てみてください。 特に取っ手の部分、汚れてきていませんか。 12月の大掃除の前に変えれば早くすむし、安く出来ます。 少しの汚れではなかなか交換をすることはないかもしれませんが今の時期が一番のチャンスです。 きれいな襖に交換して気持ち良く新年を迎えましょう。 もちろん入り口の扉になっている襖だけでなく押し入れの扉の襖もたまには交換しましょう。 交換や張替は自分でやると大変だけど頼んでしまえば楽に交換出来ます。 冬には暖色系の襖に交換すれば暖かく、夏場は寒色系の襖に交換すれば涼しい気持ちで過ごすこともできます。 季節ごとに襖を交換すれば家具の配置換えをしなくてもお部屋の雰囲気も変えられます。 季節の合間のいまが価格も抑えられてはお得に交換出来るのでこの機会にお家の襖を交換しませんか。 意外と身近にある襖は季節ごとにお部屋の雰囲気を変えてもくれるので簡単な模様替えを始めてみてください。 何度も言いますが大掃除前の今がお得に変えられる出来るチャンスです。 皆様が気持ち良く新生活や新年を迎えられますようにお祈りしています。 襖の縁を塗り縁に交換したい場合 襖の縁の種類が生地縁の場合、木の木目を残している自然な風合いが魅力です。 しかし長年使用するうちに塗りがない分、汚れやすいため 交換をしたいと思われる方も多いのではないでしょうか。 そこで、生地縁に塗りが施された「塗り縁」があります。 元々、襖の縁は襖を開け閉めする時に手の汚れが付かないようにと設置されているものです。 汚れが気になる場合は交換も検討しておくと良いです。 塗り縁は生地縁と比べても塗りがあるため、汚れが付きにくく耐久性に優れています。 汚れが気になる方は襖の張り替えを専門業者に依頼するときに、 塗り縁への交換を相談しておくと良いでしょう。 塗り縁の使われている木材には国産木材は少なく、 米檜、スプルース、米杉などが使用されています。 そして塗料は漆塗りが最高級品とされています。 しかし、近年では漆塗りの職人も少なくなりました。 また、襖の縁のような縦長のものを塗り上げるにはさらに技術が必要なため、 代用の塗料が一般的となっています。 どうしても漆塗りに交換したい場合は襖の張り替え専門業者に、 問い合わせてみると良いでしょう。 漆塗りの代用はカシュー塗りと呼ばれるものです。 こちらはカシューナッツが使われています。 塗りの種類もいくつかあるので交換する前に見本などを専門業者に見せてもらうことが出来ます。 神戸市西区の自然や特徴について 神戸市西区は、近畿地方の兵庫県に位置しています。 最近ではニュータウンの開発が行われたということで人口が多くなっていますが、昔からの田園風景が残ったところとなっています。 神戸市西区には雄岡山や雌岡山や高塚山があります。 明石川や井川が流れています。 また明石平野が広がっており、なだらかな丘陵地帯となっています。 神戸市西区には印南野台地や印南台地があります。 神戸市西区の人口に関しては、9区の中で一番少なかったのですが、西神ニュータウンなどの開発によって、市の中心部からたくさんの人が流入し、その結果人口が増加しています。 阪神淡路大震災が発生した後は、神戸市全体で人口が減少しましたが、神戸市西区はニュータウンの開発途中であったために、マンション建設などによって流入人口が急増したという背景があります。 しかし昼間の人口はニュータウンがあるということで少なくなっています。 区内の中では15歳未満の年齢層が一番多くなっています。 逆に65歳以上の高齢化率は一番低くなっています。 1983年に人口が10万人を超え、1994年には人口が20万人を超えています。 隣接している自治体は、神戸市垂水区と須磨区と北区となっています。 依頼した襖の交換について 和室の入口の襖が破れていたので自分で布施をしていたのですが、このまま年を越すのも嫌だと思い業者に襖の張替えを依頼することにしました。 しかしすでに12月だったので、依頼をしても今年中に襖の張替えをしてもらうことは難しいかもしれないと思っていたのです。 とは言え、襖業者の人に来てもらわないことにはどうしようもないと思い見積もりの依頼をしました。 すると土曜日であったにも関わらず、その翌日には来てくれてとてもうれしかったです。 しかも見積もり料は無料で、大助かりでした。 見積もりの結果を聞くと、自分が想定した値段よりもずっと安かったのでそれならば文句はないと思い依頼をしました。 その日に持ち帰れば4日後には仕上げることができると言われ、思い切ってお願いをして良かったと思いました。 見本帳を持ってきてくれていたので、その場で襖紙を選ぶ作業をしたのですがとても種類が多く驚きました。 昔ながらのデザインはもとより、とてもオシャレで現代的なデザインのものもあったので気分を変えて鮮やかなカラーの襖紙を選びました。 派手すぎるだろうかと思いましたが、現在はこの襖紙を選んだことは大正解だったと思っています。 オシャレなものを入れてもらったことで、和室に彩りが増しました。 いいアドバイスを与えてくれた業者の方にはとても感謝しています。
次の印南野台地から望む西神ニュータウン と同様にに属していた地域で、隣接するとも結びつきが強い。 かつては田園地帯・公共交通の空白地域であったが、が明石平野に新都心が計画することを構想し、の市議会でが宅地計画を挙げたことから、頃から、神戸市中心部のベッドタウンとして開発が進み、や地域・玉津地域を中心に大きく様変わりし、同時に公共交通の敷設計画をした区である。 神戸市の新たな文化、教育の集積地としての期待がかかり、現在のところ神戸市9区で最も人口が多く、市の3割近い面積を当区が占める。 (57年)に垂水区から分区した、神戸市で一番新しい行政区であり、神戸市の西側に位置することから 西神と呼ばれる。 地理 [編集 ] 印南野台地と印南台地に位置する田園地帯(神出町田井で撮影) の西側での東端に当たる。 大部分はなだらかな丘陵地帯とそれに明石川や伊川などの川に侵食された谷である。 東部の丘陵地帯にはが中心地の人口密度が過密なために・の土砂確保と同時に計画した西神住宅団地、西神住宅第2団地(西神南ニュータウン)、西神工業団地、西神第2工業団地、、といったと呼ばれる新興地区などが存在し、谷は旧来の田園風景を持つ農村地帯となっている。 同様に隣接する北区も農村地帯があるが、当区では近郊農業地帯である。 西部の神出町、岩岡町は印南台地の東端に当たり、が点在する農村地帯である。 あまり高い山はない。 山:、、• 河川:、、櫨谷川• 平野:明石平野• 台地:印南野台地・印南台地• 伊川 人口 [編集 ] 分区当時は全9区の中で一番少なかったが、玉津地区と伊川谷地区の区画整理事業・西神ニュータウン開発のために市の中心部から流入されてきたために人口が増加した。 さらには後の人口は大幅に減少したが、当区は被害が少なくかつニュータウンが開発中であったために神戸市内の中心部から人が流入し、などではマンション建設によって神戸市中心部からの流入人口が急増した。 しかし、昼間人口はニュータウンが多くあるために減少傾向である。 人口の変遷 [編集 ]• - 人口が10万人を突破する。 - 人口が20万人を突破する。 隣接している自治体・行政区 [編集 ]• 神戸市 (、、)• 地形 [編集 ]• の西側に位置している。 であり、西部の神出町、岩岡町は印南台地の東である。 気候 [編集 ]• であり、1年を通じて暖かい。 歴史 [編集 ] 651-2201 651-2202 押部谷町近江 651-2203 押部谷町高和 651-2204 押部谷町養田 651-2205 押部谷町和田 651-2206 押部谷町細田 651-2207 押部谷町栄 651-2211 押部谷町押部 651-2212 押部谷町福住 651-2213 651-2214 北山台 651-2215 美穂が丘 651-2216 651-2217 押部谷町木幡 651-2221 押部谷町木津 651-2222 651-2223 秋葉台 651-2224 桜が丘東町 651-2225 桜が丘中町 651-2226 桜が丘西町 651-2227 651-2228 玉津地域 [編集 ] 玉津町水谷 651-2121 水谷 651-2121 玉津町高津橋 651-2122 天王山 651-2123 伊川谷町潤和 651-2124 玉津町新方 651-2125 玉津町上池 651-2126 玉津町西河原 651-2127 玉津町今津 651-2128 白水 651-2129 持子 651-2131 森友 651-2132 枝吉 651-2133 曙町 651-2134 王塚台 651-2135 中野 651-2136 玉津町出合 651-2137 玉津町吉田 651-2138 天が岡 651-2141 玉津町二ツ屋 651-2142 二ツ屋 651-2142 玉津町丸塚 651-2143 丸塚 651-2143 小山 651-2144 玉津町小山 651-2144 玉津町居住 651-2145 宮下 651-2146 玉津町田中 651-2147 長畑町 651-2148 岩岡地域 [編集 ] 西神中央地域 [編集 ] 高塚台 651-2271 狩場台 651-2272 糀台 651-2273 竹の台 651-2274 樫野台 651-2275 春日台 651-2276 美賀多台 651-2277 西神南地域 [編集 ] 井吹台東町 651-2242 井吹台西町 651-2243 井吹台北町 651-2244 学園都市地域 [編集 ] 学園東町 651-2202 学園西町 651-2203 町名・大字の変遷 [編集 ] 垂水区時代 [編集 ]• - 押部谷町福住と押部谷町押部の一部から分離して、 美穂が丘が誕生する。 1972年 - 押部谷町西盛と押部谷町福住の一部から分離して、 富士見が丘が誕生する。 - 玉津町吉田の一部から分離して、 曙町・ 枝吉・ 持子・玉津町森友の一部からは 森友が誕生する。 - 押部谷町木見と押部谷町木幡の一部から分離して 秋葉台が誕生する。 - 押部谷町栄と押部谷町木幡と押部谷町木見の一部から分離して 桜が丘中町・ 桜が丘西町・ 桜が丘東町が誕生する。 - 押部谷町高和と押部谷町養田・櫨谷町寺谷・平野町堅田の一部から分離して 高塚台が誕生する。 - 岩岡町古郷字福吉西の一部から分離して、 福吉台が誕生する。 - 櫨谷町池谷と櫨谷町福谷と櫨谷町寺谷・押部谷町高和の一部から分離して 狩場台が誕生する。 1981年 - 櫨谷町池谷と櫨谷町福谷字糀ヶ谷と櫨谷町寺谷と櫨谷町長谷の一部から分離して 糀台が誕生する。 西区時代 [編集 ]• - 押部谷町西盛字北山と富士見が丘2丁目・3丁目の一部から分離して 北山台が誕生する。 1982年8月 - 押部谷町西盛から分離して 高雄台が誕生する。 1982年 - 平野町大畑と平野町繁田と平野町宮前と平野町常本・櫨谷町寺前と櫨谷町栃木と櫨谷町菅野の一部から分離して 春日台が誕生する。 - 玉津町二ツ屋と玉津町小山・平野町慶明の一部から分離して 天が岡が誕生する。 - 平野町繁田と平野町堅田の一部から分離して、 美賀多台が誕生する。 - 伊川谷町前開と伊川谷町小寺・伊川谷町長坂の一部から分離して 学園西町・ 学園東町が誕生する。 - 伊川谷町上脇と伊川谷町別府の一部から分離して 池上が誕生する。 1985年 - 櫨谷町寺谷と櫨谷町栃木と櫨谷町長谷の一部から分離して 竹の台が誕生する。 - 押部谷町押部と押部谷町福住の一部から分離して 月が丘が誕生する。 1986年 - 玉津町居住と玉津町小山と玉津町田中・平野町慶明の一部から分離して 長畑町が誕生する。 1986年 - 伊川谷町潤和と伊川谷町別府の一部から分離して 天王山が誕生する。 - 伊川谷町別府・伊川谷町上脇の一部から分離して 今寺が誕生する。 1986年 - 玉津町出合の一部から分離して 中野が誕生する。 - 伊川谷町前開の一部から分離して 室谷が誕生する。 1987年2月 - 伊川谷町有瀬・伊川谷町上脇・伊川谷町別府の一部から分離して 大津和が誕生する。 1987年2月 - 岩岡町古郷・岩岡町岩岡字新地の一部から分離して 上新地が誕生する。 1987年2月 - 岩岡町古郷と岩岡町西脇字大澤の一部から分離して 竜が岡が誕生する。 1987年 - 櫨谷町寺谷と櫨谷町栃木・櫨谷町菅野の一部から分離して 樫野台・ 学園東町が誕生する。 - 伊川谷町井吹の一部から分離して 井吹台西町・ 井吹台東町が誕生する。 - 玉津町田中字宮ノ下の一部から分離して 宮下が誕生する。 - 岩岡町西脇・岩岡町古郷・竜が岡2丁目の一部から分離して、 大沢が誕生する。 - 押部谷町木見と押部谷町木津の一部から分離して、 見津が丘が誕生する。 - 玉津町二ツ屋と小山と玉津町丸塚と長畑町の一部から分離して、 二ツ屋が誕生する。 - 玉津町水谷と玉津町高津橋と玉津町今津の一部から分離して、 水谷が誕生する。 1999年 - 玉津町小山の一部から分離して 小山が誕生する。 - 玉津町丸塚と二ツ屋の一部から分離して、 丸塚が誕生する。 - 伊川谷町前開と伊川谷町上脇と伊川谷町小寺の一部から分離して 前開南町が誕生する。 2001年 - 玉津町高津橋の一部から分離して 和井取が誕生する。 地域 [編集 ] 役所・出張所・連絡所 [編集 ] 施設名 画像 備考 西区役所 西神中央出張所 伊川谷連絡所 押部谷連絡所 神出連絡所 岩岡連絡所 櫨谷連絡所 平野連絡所 公共施設 [編集 ] 警察 [編集 ]• 消防 [編集 ]• 神戸市西消防署 郵便局 [編集 ]• 無集配郵便局• 伊川谷郵便局• 玉津郵便局• 神戸押部谷郵便局• 神戸学園西町郵便局• 神戸岩岡郵便局• 神戸高津橋郵便局• 神戸桜が丘郵便局• 神戸狩場台郵便局• 神戸春日台郵便局• 神戸竹の台郵便局• 神戸美賀多台郵便局• 神戸富士見が丘郵便局• 神戸有瀬郵便局• 神出郵便局• 西神南センタービル内郵便局• 櫨谷郵便局• 神戸西戸田簡易郵便局 図書館 [編集 ]• 神戸市立西図書館 健康 [編集 ] 西神中央駅• (JR西日本)• :区内に駅はない。 : - - -• 神戸市9区で唯一JRの駅がない西区だが、JRを利用する人が最も多い珍しい区である。 また、市営地下鉄が計画されたときは方式を計画し、採用された。 バス [編集 ] 一般路線 明石市の明石駅と西神中央駅を主な拠点に路線網が張り巡らされている。 区全域に路線網がある。 区内の路線バスをほぼ独占。 西神中央・西神南周辺のニュータウン内路線が中心。 垂水区と伊川谷駅・学園都市駅を結ぶ路線もある。 (ただし運行は神姫バスに委託)• 2005年4月までは玉津町西部と平野町を除く全域に路線があった。 神鉄沿線の住宅地を走る。 学園都市駅付近と伊川谷高校付近のみ。 準高速バス• 神戸空港・三ノ宮と神戸市西区・三木市を高速道路経由で結ぶ路線。 神姫バス担当。 道路 [編集 ] 有料道路 [編集 ] 枝吉城の石標• (本堂が、仁王門等が国のに指定、第25番)• (国の)• (県指定文化財名勝)• 太山寺歓喜院庭園 (市指定文化財名勝)• (文珠堂・三重塔・阿弥陀堂が国の重要文化財)• 福聚院 - 作庭とされる(市指定文化財名勝)がある• - 第26番• (神戸地区)• (神戸ワイン城)• 神出神社• 王塚公園• 玉津田中遺跡• 吉田遺跡• 地蔵院• 端谷城跡(衣笠城・櫨谷城)• 岡之屋形(岡辺の屋形)跡• 井吹台谷口公園• 吉田郷土館• 保養センター太山寺• こうべ環境未来舘 人物 [編集 ] 出身有名人 [編集 ]• 平川()• (元)• (プロ野球選手)• (プロ野球選手)• 斉藤麻衣()• 在住者 [編集 ]• ()(現:)出身• 区内に自宅を構えている。 郵便番号 [編集 ] は以下の通りである。 (明石市):651-21xx 伊川谷町、玉津町、学園東町・学園西町、小山・枝吉・王塚台・大津和・北別府・白水・前開南町・天王山・中野など• :651-22xx(旧673-02)651-23xx(旧673-03) 井吹台東町・井吹台西町・井吹台北町、櫨谷町、平野町、押部谷町、神出町• (明石市):651-24xx 岩岡町 電話番号 [編集 ] は、全域が078。 市内局番は以下の通り。 名谷収容局(須磨区):79X 学園都市• 明石収容局(明石市):91x 玉津町東部• 明石西収容局(明石市):92x 玉津町西部• 西神中央収容局(旧07806):961,963 平野町• 神出収容局(旧07808):964,965 神出町• 岩岡収容局(旧07807):967,969 岩岡町• 伊川谷収容局(旧0789):97x 伊川谷町• 櫨谷収容局(旧07800):962,990〜993,996,997 櫨谷町• 名谷収容局(当時は妙法寺または福田収容局)、明石収容局、明石西収容局はそれ以前から「078」だった。 兵庫 難読 p112• 国土交通省. 2012年6月30日閲覧。 阪神大震災と西神ニュータウン. 2012年6月30日閲覧。 阪神大震災と西神ニュータウン. 2012年6月30日閲覧。 阪神大震災と西神ニュータウン. 2012年6月30日閲覧。 阪神大震災と西神ニュータウン. 2012年6月30日閲覧。 神戸市. 2012年6月30日閲覧。 神戸 地理 p210• 神戸 地理 p211• 神戸 地理 p212• 神戸市西区. 2012年7月21日閲覧。 神戸市. 2012年5月25日閲覧。 神戸市. 2012年5月25日閲覧。 神戸市. 2012年5月25日閲覧。 神戸市. 2012年5月25日閲覧。 神戸市. 2012年5月25日閲覧。 神戸市西区. 2012年7月21日閲覧。 神戸市. 2012年9月25日閲覧。 神戸市西区. 2012年5月25日閲覧。 神戸市西区. 2012年5月25日閲覧。 神戸市西区. 2012年5月25日閲覧。 地名 歴史 p64• 神戸市西区. 2012年5月25日閲覧。 地名 歴史 p74• 神戸市西区. 2012年5月25日閲覧。 地名 歴史 p76• 地名 歴史 p78• 地名 歴史 p80• 神戸市西区. 2012年5月25日閲覧。 兵庫 難読 p81• 兵庫 難読 p114• 地名 歴史 p58• 地名 歴史 p60• 地名 歴史 II p80• 地名 歴史 II p81• 神戸市西区. 2012年5月25日閲覧。 兵庫 難読 p75• 兵庫 難読 p115• 地名 歴史 p62• 神戸市西区. 2012年5月25日閲覧。 兵庫 難読 p113• 地名 歴史 p70• 地名 歴史 II p82• 地名 歴史 II p83• 神戸市西区. 2012年5月25日閲覧。 神戸の町名 改訂版 p288• 神戸の町名 改訂版 p289• のじぎく. 2012年6月30日閲覧。 地名 歴史 p68• 神戸 地理 p204• 神戸の町名 改訂版 p283• 神戸の町名 改訂版 p286• 神戸の町名 改訂版 p306• 神戸市西区. 2012年5月25日閲覧。 神戸市. 2012年6月30日閲覧。 神戸市. 2012年5月25日閲覧。 セリオ. 2012年5月25日閲覧。 イズミヤ. 2012年5月25日閲覧。 株式会社アルプス. 2012年6月30日閲覧。 神戸市西区. 2012年5月25日閲覧。 神戸市. 2012年5月25日閲覧。 兵庫県立のじぎく特別支援学校. 2012年5月25日閲覧。 神戸 地理 p205• 神戸 地理 p193• 神戸 地理 p194• 神戸 地理 p196• 神戸 地理 p199• 神戸 地理 p200• 神戸 地理 p201 [] 参考文献 [編集 ]• 『神戸の町名 改訂版』神戸史学会、神戸新聞、2007年12月10日、第一冊発行。 978-4-343-00437-6。 『兵庫県の難読地名がわかる本』神戸新聞総合出版センター・編、のじぎく文庫、2006年12月28日、第一冊発行。 4-343-00382-5。 『西神ニュータウン物語』大海一雄、2008年12月、初版第1刷。 4343004988。 著:西神ニュータウン研究会• 『神戸の地理』田中眞吾、のじぎく文庫、1984年4月10日、第一冊発行。 4-87521-436-7。 『地名でたどる小さな歴史』橘川真一、神戸新聞総合出版センター、1999年7月30日、第一冊発行。 978-4343000446。 『地名でたどる小さな歴史II』橘川真一、神戸新聞総合出版センター、2008年7月30日、第一冊発行。 978-4-343-004758。 関連項目 [編集 ]• - 全国の西区の一覧 外部リンク [編集 ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 に関連する地理データ -.
次のこんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。 前回に続いて、 明石城を歩いてみたいと思います。 明石城巽櫓 石段を上って、本丸に上がりました。 本丸の南面には城壁があり、左右に三重櫓があります。 明石駅側から見て右側にあるこちらは巽櫓です。 巽櫓の内部 普段は非公開の巽櫓ですが、イベント期間中は公開日が設けられていて内部を見学することができます。 現在の明石城で残されている建物は南面にある二基の三重櫓だけですが、かつては北面にも乾櫓、艮櫓という三重櫓があり、天守はなかったものの、四基の三重櫓を始めとする数多くの櫓が建ち並ぶ大城郭でした。 築城にあたっては藩内で廃城になった三木城や明石城の前身とされる船上城の資材が使われたとされ、巽櫓も船上城の天守だったと言われています。 ただし、現在の巽櫓は火災で焼失したものを再建した江戸時代中頃の建築です。 人丸塚 本丸の真ん中に木々が生い茂った一角がありました。 こちらは 人丸塚です。 明石城のある山にはかつて 楊柳寺という寺院がありました。 この寺院の裏手には柿本人麻呂の墓とされる塚があり、祠が設けられていました。 後にこの地へ明石城が築城されることとなり、寺と祠は隣の山に移転し、現在の 月照寺と 柿本神社となりましたが、塚は城の鎮守として城内に残されています。 坤櫓 南面を西に向かって歩くと、 坤櫓が現れました。 坤櫓は巽櫓と同じく三重櫓ですが、一回り大きく、天守のなかった明石城では天守代用として使われていたようです。 もともとは伏見城の建物だったとされ、破風の格子が朱塗りになっているなど、優美な印象の櫓ですね。 明石城と桜 訪れた時は桜が見ごろで多くの方が花見と城の見学を楽しんでいました。 築城400年を迎える明石城。 建物の多くは失われてしまっていますが、二基の櫓からもかつての大城郭を偲ばせることができます。 次回はもう少し明石城内を歩いてみます。 ランキングに参加しています。 お出かけ前にクリックをお願いします! カテゴリー: 春が深まり、 令和への改元が迫ってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。 こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。 明石公園 今回訪れたのは 山陽明石駅の目の前に広がる 明石公園です。 訪れた時は桜の花がまだ咲いていて、多くの方で賑わっていました。 築城400年 明石公園の入り口にはこんな看板が。 今年は明石城が江戸時代の元和5 1619 年に築城されてから 400年の節目の年で、各種イベントが予定されているようです。 明石城 多くの人で賑わう明石公園に入ると、目の前には左右の櫓と立派な石垣がそびえます。 以前は生い茂った木々で隠れていた石垣ですが、築城400年を迎えるにあたって樹木の伐採が行われ、美しい石垣が遠くからもよく見えるようになりました。 明石城は先述のように江戸時代の初めに当時の明石藩主・ 小笠原忠真によって築かれた城です。 平野に築かれた平城のようにも見えますが、実は、西神からの丘陵地帯の西端にあたる 人丸山に築かれた平山城です。 西国への交通の要衝であった明石海峡と山陽道を抑える重要な立地である一方で、大坂の陣が終わってから築かれた城であるためか、築城には廃城となった城の資材が使われるなど、エコな印象の城です。 明石城の石垣を眺める 樹木が伐採されて露わになった明石城の石垣を見上げてみます。 この辺りは木々が鬱蒼と茂っていて昼でも薄暗いくらいだったのですが、すっかり明るくなってしまいました。 あの木々がすべて切られてしまったのかと思うと少し寂しい気分になってしまうのですが、今まで見られなかった石垣をこうして眺められるのは新鮮ですね。 桜と櫓 城への上り道の途中から櫓を眺めてみました。 桜の花と白い壁が眩しい櫓のコラボレーションも新しい景色ですね。 次回も築城400年を迎えた明石城を歩いてみたいと思います。 ランキングに参加しています。 お出かけ前にクリックをお願いします! カテゴリー: 新年あけましておめでとうございます。 今年も 山陽沿線ブログ「せっつ・はりま歴史さんぽ」をよろしくお願いいたします。 今回は前回に続いて、明石の 人丸山を歩いてみたいと思います。 時の道 柿本神社の前を通るのは 時の道です。 石畳の道は風情がありますね。 月照寺 時の道に面して、 月照寺がありました。 月照寺は平安時代の弘仁2 811 年に創建されたと伝わっています。 創建当時の名前は楊柳寺。 前回訪れた柿本神社の始まりといわれる祠が造られた寺です。 この祠が造られた際に寺号を「月照寺」と改め、今に至っているとのこと。 ただし、創建の地であった赤松山には明石城が築城されることとなり、現在の場所は柿本神社とともに江戸時代の元和5 1619 年に移ったものです。 ちなみにこの地が「人丸山」と呼ばれるようになったのもこの時のことだそうです。 月照寺の境内 現在の月照寺の境内は広いわけではありませんが、整備された庭園は美しく、まるで京都や奈良の寺院のようですね。 月照寺山門 境内の西には 山門があります。 こちらはもともと伏見城の城門を移築したもので、明石城の城門として使われていたのが明治時代にこの地に移築されたものです。 亀の水 人丸山の麓に降りると、湧水がありました。 こちらは 「亀の水」です。 もともとは江戸時代にこの地に移ってきた月照寺・柿本神社の手水として使われていたのですが、水の美味しさから名水として知られるようになったそうです。 雲晴寺 人丸山の麓の街中に寺院がありました。 こちらは雲晴寺です。 雲晴寺の創建時期は詳しくわかっていないようですが、江戸時代の寛永16 1639 年に当時の明石藩主・大久保忠職が姉の夫で現在の千葉県の安房館山藩主だった 里見忠義を弔うために寺を整備した際に「雲晴寺」という寺号がつけられたとされています。 ちなみにこの里見忠義は江戸時代の小説 『南総里見八犬伝』のモデルと言われています。 宮本武蔵の庭園 本堂の裏手には宮本武蔵が作庭したものを復元した庭園がありました。 江戸時代の明石城下の街づくりに宮本武蔵は深く関わっていたと言われています。 雲晴寺は武家屋敷の建ち並ぶ街の東の端に位置し、広い伽藍を持って城下町の外側の寺町を形成していました。 人丸山もこの雲晴寺も明石城と城下町とともに生まれた地域とでも言えるでしょうか。 今では賑やかな港町の姿の明石ですが、こうして歩いてみると、城下町として生まれ発展してきた歴史を少しずつひも解いていくような気がします。 雲晴寺から山陽電車の高架沿いに歩き、現代の明石の中心市街へ戻ることとしました。 ランキングに参加しています。 お出かけ前にクリックをお願いします! カテゴリー: 今年も終わりが近づくこの頃、いかがお過ごしでしょうか。 こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。 人丸前駅 山陽電車で着いたのは 人丸前駅。 両馬川旧跡 駅のすぐそば、山陽電車とJRの橋の下に 「両馬川」と記された石碑がありました。 かつてこの地には石碑がありました。 時は源平の戦いの頃、寿永3・治承8 1184 年に行なわれた一ノ谷の合戦の際、敗走した平氏軍を源氏軍が追い詰め、この地で川を挟んで戦いが行われたことから、 「両馬川」と呼ばれるようになったと言われています。 天文科学館 人丸前駅から緩やかな坂道を上っていくと、時計台が象徴的な 天文科学館の前にたどり着きました。 柿本神社 天文科学館の裏手に鳥居がありました。 こちらは 柿本神社です。 柿本神社の歴史は非常に古く、平安時代の仁和3 887 年にさかのぼるとされています。 現在の明石公園の位置にあった 楊柳寺という寺院の境内にある塚が平安時代の歌人・ 柿本人麻呂の墓であるとされ、祠が造られたのが始まりとされています(諸説あるようです)。 この楊柳寺のある位置は六甲山地からなだらかにつながる台地の先端にあたり、山陽道や明石海峡を見下ろす要所であったことから、江戸時代には 明石城の築城場所に選ばれ、寺は台地上を東側に移転しました。 柿本神社の境内 柿本神社の境内は古い神社らしく、落ち着いた雰囲気です。 柿本人麻呂ゆかりの神社とはいえ、知られざる存在だった柿本神社ですが、柿本人麻呂の没後千年とされた江戸時代の享保8 1723 年に 「柿本大明神」との名前がつけられるとともに、千年祭が執り行われ、一気に柿本人麻呂ゆかりの神社として知られるようになり、明石のシンボルのような存在となりました。 ちょうど日本標準時子午線が通ることから、麓に天文科学館が建てられていますが、山陽電車の車窓などから眺めると、こんもりとした神社の森は今でも印象的ですね。 神社から 神社の前から景色を眺めてみました。 輝く明石海峡と播磨灘の景色は印象的ですね。 次回はもう少し人丸山を歩いてみたいと思います。 今年の更新は今回までです。 本年も 山陽沿線ブログ「せっつ・はりま歴史さんぽ」をご覧いただきありがとうございました。 来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 ランキングに参加しています。 お出かけ前にクリックをお願いします! カテゴリー: こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。 前回に続いて、八木の海岸を歩いてみたいと思います。 明石原人発掘地 アカシゾウ発掘地から海岸を歩いていくと、フェンスで厳重に囲まれた一角がありました。 こちらは 明石原人発掘地です。 明石原人が発掘されたのは戦前の昭和6 1931 年のこと。 アマチュアの考古学者だった 直良信夫氏がこの地で人骨の化石を発見しました。 直良氏は東京帝国大学(現・東京大学)に鑑定を依頼するものの、当時は相手にされず、化石は後に東京大空襲によって焼失してしまいました。 戦後、東大に保管されていた石膏模型が再発見され、北京原人やジャワ原人などと同じ原人の骨とされて 「明石原人」と呼ばれるようになります。 しかし、現物が失われていて、後の発掘調査でも周辺からは関連する化石などは見つかることはなく、正体は今なお謎とされています。 ちなみに、この辺りは明石原人がいたころからずっと時代が下がった仲哀天皇2 193 年頃、三韓征伐の帰途に神功皇后が海岸線の崖を屏風のように美しいとして 「屏風ヶ浦」と名付けたと伝わっています。 住吉神社 明石原人発掘地の裏手に神社がありました。 こちらは 住吉神社です。 海に向いた神社 住吉神社は小さな神社で詳しい由緒はわかりませんが、周辺によくある海に向かった神社でした。 鳥居の向こうには播磨灘と淡路島の景色が広がります。 来迎寺 八木の街中に入ると、寺院がありました。 こちらは 来迎寺です。 山号は 「月輪山」で、神功皇后がこの沖合で月の美しさを称賛したという伝説を由来としています。 寺院の創建は養老元 717 年に、神戸市西区の櫨谷にある如意寺で行基が造った観音像の一体をこの地にまつったことに始まるといわれています。 来迎寺の境内 小さな寺院ですが、掃き清められた庭は気持ちがいいですね。 神功皇后といえば、大昔のこと…となってしまうのですが、ここ八木ではそれよりはるか昔にさかのぼる歴史があるだけでなく、それらが現代まで繋がっているのを感じることができ、気が遠くなるような気さえしてきます。 平成最後の年末に、八木ではるか遠い歴史を感じてみませんか。 ランキングに参加しています。 お出かけ前にクリックをお願いします! カテゴリー: 冬らしい寒さのこの頃、いかがお過ごしでしょうか。 こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。 中八木駅 山陽電車で到着したのは 中八木駅。 八木遺跡公園 駅から播磨平野らしい平らでのどかな道を歩いていくと、公園がありました。 こちらは 八木遺跡公園です。 今では公園の周りは住宅地となっていますが、古い地図を見ると、集落があるのは谷八木川沿いと、この西側に当たる八木で、中八木にはわずかな住宅があるほかは田んぼが広がるばかりだったようです。 坂道から望む海 八木遺跡公園の横の道を下っていくと、木々の合間から播磨灘の水面が見えてきました。 アカシゾウ発掘地 海沿いの道を歩いていくと、石のブロックで囲まれた一角がありました。 こちらは 「アカシゾウ発掘地」です。 アカシゾウは昭和35 1960 年に当時中学生だった紀川晴彦氏がこの地の崖でゾウの牙の化石を発見したことから発掘が始まりました。 120~180万年前にこの地に生息したゾウの一種とされ、同じ種類のゾウの化石は周辺でも発見されています。 この八木のアカシゾウについては、紀川晴彦氏から大阪市立自然史博物館が発掘を引き継ぎ、全身の標本が作られました。 八木の海岸 アカシゾウ発掘地から播磨灘を眺めてみます。 穏やかな冬の海の向こうには淡路島の島影が見えます。 アカシゾウがいた頃、この播磨灘は大きな湖だったといわれています。 我々人間が歴史を紡ぎ始める前のはるか昔に思いをはせながら、もう少し八木を歩いてみたいと思います。 ランキングに参加しています。 お出かけ前にクリックをお願いします! カテゴリー: こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。 前回に続いて、 小久保を歩いてみたいと思います。 上ヶ池公園 新幹線の高架を潜って北側に出ると、街中に公園がありました。 こちらは 上ヶ池公園で、その名の通り、池の跡に作られた公園です。 駅が開設され、新幹線の駅が設けられたことで 「西明石」として発展した小久保ですが、それ以前は田んぼが広がっていました。 この上ヶ池は田んぼの中にあるため池でした。 上ヶ池は埋め立てられて公園となってしまいましたが、周辺にはかつてここが田園地帯であったことを示すかのようにため池が点在しています。 大宮橋 駅近くに戻り、国道に沿って歩いてみることに。 道路脇に欄干があったので見てみると 「大宮橋」という文字がありました。 古い地形図を見ると、この橋の下には上ヶ池から流れる小川があったようです。 橋の下は今も通れるようにはなっていますが、水はありません。 三社神社 街中にあったのが 三社神社です。 三社神社は江戸時代の寛文2 1662 年、この辺りの新田開発の際に創建された神社と伝わっています。 印南野台地の東端にあるこの辺りは平野が広がっていましたが、稲作を行なう上で重要な水の確保は難しい土地でした。 この地に水が引かれるようになったのが江戸時代に入ってから。 明石川の上流から水を引き込む 大久保用水の開通によって、小久保にも新田が開かれ、田園地帯が形成されるようになりました。 点在するため池は、裏返してみれば水の確保に苦労した歴史を象徴しているといえるのかもしれません。 三社神社の境内 三社神社の境内でも秋祭りの準備中でした。 駅ができ、ビルやマンションが建ち、街が大きく姿を変えていっても、実りの秋を祝うお祭りは今も続いています。 ランキングに参加しています。 お出かけ前にクリックをお願いします! カテゴリー: 秋も深まりつつあるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。 こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。 西明石駅 山陽電車を乗り換えて到着したのは 西明石駅。 新幹線の駅のイメージですが、在来線がメインの東口はのどかな雰囲気です。 小久保の街並み 駅前に広がるのは 小久保の街です。 この地に駅ができたのは戦時中の昭和19 1944 年のことです。 開業当初の駅は現在の場所から東側に設けられていて、 川崎航空機の社員向けの専用駅として設けられました。 一般に利用できるようになったのは現在地に移った戦後になってからです。 西明石が大きく変わったのは昭和47 1972 年の山陽新幹線の開業でこの地に新幹線の駅が設けられてからです。 現在では明石の交通の要衝として発展しています。 旧山陽道 駅前を横切るのは旧山陽道(西国街道)です。 新幹線が開業し、駅前が大きく開発される以前、小久保と呼ばれていたこの地は山陽道沿いにある小さな集落でした。 古い地形図を見ると田畑が広がる中にぽつんと集落がある景色を想像できますが、市街地となった今、面影はありません。 西明石駅西口 山陽道を少し歩くと、西明石駅の西口に着きました。 西明石駅に停車する新幹線は多くはありませんが、巨大な駅舎に圧倒されそうです。 前回まで訪れた王塚・枝吉ははるか古代にさかのぼりますが、ここ小久保に関してはわずか100年余りで大きく変わってしましました。 巨大な駅舎はこの町の変化を象徴するようですね。 次回はもう少し小久保を歩いてみたいと思います。 ランキングに参加しています。 お出かけ前にクリックをお願いします! カテゴリー: こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。 前回に続いて、神戸市西区を歩いてみたいと思います。 吉田郷土館 王塚台から県道を渡った南側も住宅地が広がっています。 その中にあったのが 吉田郷土館です。 神本神社 吉田郷土館の裏手にあったのが 神本神社です。 かつてこの地には 枝吉城という城がありました。 この地は 明石川の河岸段丘上にあり、西に広がる 印南野台地の東端にもあたる見晴らしがよい土地で、城造りには最適な場所でした。 この辺りの条件は前回訪ねた 王塚古墳とも同じですね。 城が築かれたのは室町時代の永享元 1429 年頃と言われて、王塚古墳とはなんと 千年(!!)もの差があるのですが、この辺りが時代を超えて重要な場所であったことが伺えます。 中世以降には山陽道と三木への三木街道が交わる交通の要衝となったため、さらに重要視されることとなりました。 神本神社の境内 神本神社の境内は広々としているのですが、それ以上に印象的なのが鬱蒼とした裏山の森です。 枝吉城を築いたのは赤松氏配下の 明石氏であると言われています。 しかし、明石氏について詳しいことはわかっていないようで、そのためにこの城のことも詳しくはわかっていません。 交通の要衝に位置したため、戦国時代には戦いの舞台となりましたが、天正13 1585 年、代々城主を務めていた明石氏が豊岡へ移ったために廃城となり、資材は舟上城の築城に使われたといわれています(諸説あるようです)。 今では住宅地の中にわずかな城郭の一部が残るのみです。 城山を眺める 神社から城山を眺めてみました。 この上には本丸跡があるようですが、秋祭りの準備中だったので、訪問は改めることとしました。 この辺りには弥生時代の稲作集落の遺跡である吉田遺跡もあり、古くから人が住み重要な土地であったことがわかります。 気の遠くなるような昔に思いをはせながら、実りの秋を迎えた王塚と枝吉を後にすることとしました。 ランキングに参加しています。 お出かけ前にクリックをお願いします! カテゴリー: すっかり秋らしくなってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。 こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。 王塚台 西明石駅前からバスで到着したのは神戸市西区の 王塚台です。 神戸市内ではありますが、西区の西端に位置し、どちらかと言えば明石と結びつきの強いエリアです。 実際、戦後の昭和22 1947 年に神戸市に編入されるまで、この辺りは 明石郡玉津村という自治体名でした。 王塚台の街並み バス停から歩くと、静かな住宅街が広がります。 この近くには神戸市と明石市の市境があるのですが、街並みは連続していて、あまりよくわかりません。 王塚公園 住宅街の中を歩いていると、こんもりとした森と公園が現れました。 王塚古墳 公園の中にはさらにこんもりとした森がありました。 森の周囲は緑色の水をたたえた堀で、堀の周囲は柵で厳重に囲まれています。 もうお分かりかもしれませんが、この森は 王塚古墳と呼ばれる古墳です。 王塚台という地名はこの古墳に因んでいます。 地上からはよくわかりませんが、王塚古墳は垂水の五色塚古墳と同じ 前方後円墳です。 住宅が建ち並ぶ今ではあまりわからなくなってしまいましたが、この地は東側を流れる 明石川が形成した段丘に位置し、「王塚台」の名前の通り、西に広がる 印南野台地の東端にもあたる眺めの良い土地でした。 古い地形図を見てみると、明石川と伊川の作った谷が玉津から明石の市街地へと広がっているのを見下ろすことができたのであろうことが伺えます。 この古墳が築かれたのは古墳時代中ごろの5世紀前半と言われていて、この辺りでは垂水の五色塚古墳に次ぐ規模とされ、有力者が埋葬されていると考えられています。 宮内庁の管理 古墳の周りの柵には宮内庁の文字がありました。 王塚古墳の被葬者(埋葬されている人物)はわかっていませんが、欽明天皇の皇女の 舎人姫王という皇族の墓であるとされていて、現在では宮内庁の管理する陵墓となっています。 ただし、この古墳の築造時期と舎人姫王の時代(6世紀末から7世紀初頭)とは異なるため、事実は謎のようです。 静かな住宅街の中に古代へとつながる史跡があるのはこの辺りの魅力ですね。 次回はもう少し歩いてみたいと思います。 ランキングに参加しています。 お出かけ前にクリックをお願いします! 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