入間銃兎は自分が基本ずぼらな性格をしていることを自覚している。 海の見える高級マンションの最上階に住居を構え、3LDKと一人暮らしにしては随分と広々とした部屋だ。 ここを選んだのは言うまでもなく、職場から近いということが第一条件だ。 掃除は面倒臭いから、週に三回ほどハウスキーパーを入れ掃除してもらい、主婦が羨んで仕方がない広いキッチンは自分で使うことはなく、基本外食ですませている。 そのため朝食は抜くことが多い。 使い道がほとんどない大きな冷蔵庫に入れているのは、缶ビールで、隙間なく埋まっているのを見て満足するタイプだ。 だからビールの補充だけはマメにやっている。 ラベルにも拘っていて、青いビール缶が冷蔵庫の中にずらりと並ぶ姿は圧巻だ。 引越ししてきた際に面倒だったので部下に任せて家電を全部まとめて買ったおかげで、洗濯機は一応備え付けてあるが使われることはほとんどなく、大体クリーニングで済ませている。 モデルルームのような生活感のない部屋、余計なものが一切ないのは、物を増やして片付けるのがとにかく面倒だからだ。 基本物は増やさないようにしていたし、余計なものは間違っても買わないようにしてきた。 重度の煙草中毒なので、部屋がなるべくヤニに染まらないよう、高性能な空気清浄機も各部屋に置いてある。 おかげで五年近くこのマンションに住んでいるが、未だ天井は白いままだ。 空気清浄機がとても頑張っている。 ちなみにフィルターを換えるのもハウスキーパーの仕事だから、常時どの部屋もずっと空気清浄機がオンのままである。 しかし、銃兎の部屋に入り浸っている男が、物を持ち込んできては部屋を汚していく。 銃兎はずぼらなりに部屋を綺麗にしておくための努力を主に金の力で買っていると言っていい。 それなのに、その男はそれをことごとく全て台無しにしやがるのである。 その日は、四日ほど泊まり込みで張っていたヤマが片付いて、ようやく部屋に帰ってこられたのは深夜0時を過ぎていた。 署内であれば、近い為、部屋に一度帰ることも考えたが、現場が遠かった所為で、現場近くのホテルで張り込み三交代状態だったのだ。 部屋の鍵を開け、扉を開くと玄関の電気が自動でつくようになっている。 これも自分で電気をつけたり消したりするのが面倒なので、この部屋は何処も全て自動で電気がつくようになっている。 玄関に入り扉を閉めた時点で、背後に視線を感じて廊下の方を振り向くとそこにはどぎついピンク色の象のマスコットが待っていた。 つぶらな瞳をこちらに向けて両手を広げてまるで銃兎を出迎えているようだ。 「ハァ?」 それを視界に入れた瞬間、銃兎の額にビシリと青筋が浮かび上がる。 本来一人暮らしのはずなのに、奥のリビングの電気が煌々とついていた。 明らかに誰かが、この場合は該当する男が一人しか心当たりはないのだが、リビングにいる。 疲れて帰ってきて、これからようやくシャワーを浴びて駆けつけ一杯ビールを飲んでベッドにダイブした後は、翌日、仕事がオフだから昼過ぎまで惰眠を貪る予定だったのに、その予定が全てぶっ飛んだ瞬間だ。 靴を脱いで揃えて、ふと隣を見れば、見慣れたブーツが脱ぎ捨てられている。 またその脱ぎ捨てられたブーツに苛立って、綺麗に玄関扉を向くようブーツを並べなおして、舌打ちしつつピンクの象を蹴飛ばしてから廊下を歩く。 大股で歩けば八歩程度で奥のリビングの前にたどり着く。 ガラスがはめ込まれた扉から中を覗いてその惨状に、また大きく舌打ちをしつつ、扉を開けた。 「ゴルァ! 左馬刻、てめぇ、いつもいつも変なモンうちに持ち込むんじゃねぇぞ!」 確か昨日の昼にハウスキーパーが入っていたはずで、本来ならばチリ一つほとんどないはずの部屋はビールの空き缶やゴミが至るところに散らばり、とにかく汚い。 冷蔵庫の中には三十本以上のビールが詰まっていたはずだが、見渡す限りフローリングの床の上には飲み干した後の缶が十本以上転がっている。 他、リビングの中央に置いてある黒の革張りソファに座っている男が脱ぎ捨てたらしい服や靴下、コンビニのビニール、弁当の空き箱、勝手に使われていたタオル等々が散らばっていた。 「おー、遅せぇじゃねぇか、銃兎ォ。 俺様をいつまで待たせやがんだ? ああ?」 果たしてそこには想像通りの男が缶ビールを持った手を上げて銃兎を出迎えてくれた。 白とも銀ともつかない白銀の髪、梳けるような白い肌、そして血のように赤い瞳。 口さえ開かなければ息を飲むほど端正な顔立ちをしているのだが、アルコールが入っているため、顔や首の辺りがかなり赤くなっていて、酔っ払っているのが手に取るように分かる。 碧棺左馬刻。 その男の名は割りと有名だ。 伝説のラップグループ【The Dirty Dawg】の元メンバーの一人だった。 圧倒的なカリスマ性と強烈なライムを刻みフローで他者を圧倒することで一躍有名だった男だ。 現在はそのグループが解散、ヨコハマディビジョン界隈一帯を取り仕切っているヤクザの頭である。 ヨコハマで日々ヤクザやチンピラごろつき、ついでに一般人ともトラブルを起こしては警官である銃兎に世話になっている懲りない男だ。 マスコット人形なのだからボーっと立っているのは当然である。 むしろ動いたり踊っていたら気持ちが悪い。 銃兎はきっちり着込んでいたスーツの上着を脱ぎ、左馬刻が座っているソファの背もたれに投げ、ついでにネクタイも取り去る。 「可哀想とかそういう問題じゃねぇだろうが、女だったら誰でもいいってのかよ。 それにどーするんだアレ、この酔っ払いがっ」 左馬刻が飲みかけていた缶ビールを分捕り、半分くらいしか残っていなかったが一気に飲み干した。 冷たく冷えたビールが喉越しを爽やかに流れ落ちて行き、微炭酸が頭を刺激して少しだけ眠気が覚めた。 とはいえ、三交代とは言えほぼ休みなしでの四徹目だ、重い鈍痛が頭の中に響いている。 「あ? 別に今日返さなくてもいいだろうが」 左馬刻は面倒臭そうに背中を押して来る銃兎を振り返ろうとして失敗し、そのままリビングの外に追い出された。 目の前で銃兎が扉を閉める。 ガラス扉なので、左馬刻の姿は見えるし、薄い扉だから声も普通に聞こえるが、バンと扉を叩かれてこちらからバンと蹴り返してやった。 いつかきっとこの扉はガラスが割れるか破壊されるだろう。 実は一度派手に割って壊したので、耐久ガラスには変えてあるのだが、こう、乱暴に扱っていれば耐久ガラスでも耐えられなくなる日は近い気がしてならない。 大人しく返してくる気になったらしい。 見事な惨状である。 コンビニ弁当等が二つ以上散らかっているのを見て、昨日も左馬刻はここに来ていたのかもしれない。 そういえばプライベートのスマホの方は全く開いていなかったなと、今更ながらに思い出し、ポケットの奥からスマホを取り出すと、既に電源が切れていて、余り意味がなかった。 とりあえずそれを寝室の充電器に刺してから、バスルームへと移動する。 服を脱ぎ捨てランドリーボックスに入れ、シャワーを浴びてしまうことにした。 一応、現場近くのホテルでもシャワーを使ってはいたが、あそこはあくまで仕事モードの気を張った状態で使っていたので、リラックスできるような場所ではなかった。 左馬刻がどこからあの象の置物を連れてきたのかは知らないが、戻ってくるにしても二十分はかかるだろう。 ちゃんと返しに行けば、だが。 とりあえずシャワーを浴びて一服するくらいの時間はあるはずだ。 シャワーコックを捻れば、熱めの湯が出てくる。 ファミリー用のマンションなので、バスルームも広い。 百八十一センチの銃兎がバスタブの中で、足を伸ばして湯に浸かれるほどの広さがあるのだが、残念ながらずぼらな銃兎が率先してバスタブに湯を張ることが少ない為あまり使用されることはない。 使用されていないからと言って汚いワケではなく、ハウスキーパーが掃除も担ってくれているのでピカピカではあるが、やはりこれも宝の持ち腐れというのかもしれない。 時折勝手にこの部屋に出入りしている左馬刻がバスタブに湯を張って使うことがあるので、まったく使ったことがないわけではないのだが。 シャンプーやボディーソープの補充も基本ハウスキーパー任せで、ブランドを指定しておけばある程度減ったら注ぎ足してくれている。 便利な世の中だ。 金さえあればなんでも叶う。 本来ならば結婚でもして嫁を貰えば嫁にやってもらえるのかもしれないが、こんなずぼらな銃兎の嫁になりたがるような女性はそんなにいない。 過去に何度か女性と付き合ったことはあったが、大体見てくれだけに引き寄せられてホイホイついてきて、最終的にずぼらな性格が仇となって、「こんな人だとは思わなかった」とさめざめ泣かれ、一方的にフラれることのほうが多かった。 女性優位の社会で、全てを女性に押し付けるのはおこがましいことなのかもしれないと銃兎は思うが、だったら独り身の方が楽だったし、今は柔らかくいい匂いのするような女性とはかけ離れた恋人がいるので、別に結婚したいわけではない。 髪を洗い、顔を洗い、首からスポンジを泡立てて丁寧に洗っていく。 本来ならこの作業さえも面倒で、早く自動人間洗い機もできればいいのにと思ってはいるが、なかなか実現しないので、仕方なく流石にこればかりは人に任せられないので、自分でやるしかない。 仕事となると、上司の弱みやご機嫌取りの為の細やかな気配りや部下のミスのフォローまで、自分に常に隙なくぬかりないように立ち動いているというのに、銃兎は自分のこととなると何処までもずぼらで面倒臭がりなのだ。 外面だけは大変良いので、恐らくほとんどの人が銃兎のことを家の中でもきっちりした人だという認識ではあるが、蓋を開けてみれば無趣味の面倒臭がりでずぼらな男なのである。 それでもずぼらであっても、こんなつまらない男がいいというのだから、銃兎の恋人は大概趣味が悪い。 あまりに男の趣味が悪すぎて鼻で笑ってしまう。 とは言え、銃兎だってあんなのを恋人にしているのだ、趣味は余り良いとは言えない。 アレの良いのは顔だけだ。 シャワーを止め、脱衣所に戻ってからタオルで軽く水気を拭き取った後、それをランドリーボックスに投げ入れて、肩にタオルをもう一枚出して掛け、下着だけ身に着けてリビングに戻る。 左馬刻は流石にまだ戻ってきていないだろうと思ったが、既に平然とリビングでビールを飲んでいて、眉根を顰めた。 気になるなら玄関前見てこいや」 やけに自信満々に答えるので、玄関前にはないのだろうと銃兎は判断して、冷蔵庫を開ける。 中にはずらりと並んでいたはずの缶ビールが、上段は残すところ四本しか残っておらず、他もちらほらと隙間が見えた。 適当に左馬刻が飲んだのだと容易に推測できる。 現に床に転がっている空き缶がそれだからだ。 冷蔵庫を開けてビールを勝手に飲んだり、飲み干した缶を床に転がしておくのは、銃兎もたまにやるので、別に構わない。 片付けるのは銃兎じゃないのだ。 多少汚くても気にしない。 だが、冷蔵庫に空きが出来るのは甚だ頂けない。 すぐに補充できるように毎度三ケースは冷蔵庫の横のスペースに置いてあると言うのに、それすら補充できないとは。 冷蔵庫の扉を一旦締め振り返る。 「左馬刻ぃ、てめぇ、ビール飲んだら補充しろって言ってんだろうが!」 「あ? 忘れてた」 悪びれた様子もなく左馬刻は平然とした顔をしてビールをちびちびやっている。 しかし二日ほど一人で空けたにしては随分と数が多く、一部綺麗に床に並べられた空き缶があるのをみて、これは昨日は理鶯もこの部屋に居たのだろうと推測する。 毒島メイソン理鶯は最近MAD TRIGGER CREWのメンバーとなった新しい仲間だ。 TDDが解散し、その後、元々そのメンバーだった左馬刻を含む者達が、それぞれのディビジョンで自分と共にラップバトルを行う為のメンバーを集めだしたのは、半年ほど前の話だ。 ヨコハマディビジョン代表である左馬刻は元々既知だった銃兎をメンバーにするとすぐに決定した後は、全くメンバーを探そうというヤル気が見受けられなかったので、見かねた銃兎がメンバーに相応しい男を見繕ってきてやった。 それが理鶯だ。 警官としての仕事が忙しい銃兎に比べて、自由業のヤクザと元軍人でありながら今はサバイバル生活を謳歌し、定職についていない理鶯の二人は自由になる時間が多いらしく、左馬刻から誘ってよく二人で色々なところへ出かけているらしい。 左馬刻に理鶯を紹介したのが銃兎だったため、気分屋の左馬刻が理鶯を気に入るか、少し心配していたのだが、意外と二人とも仲良くなったようで良かったと思っている。 反面、たまには仲間に入れて欲しいと思いつつも忙しくて中々身体の空かない銃兎にとって少しだけ面白くないところでもある。 毎度一応誘われてはいるが、無碍に断っているのは自分自身であることも分かっている為、文句も言えないのだが。 その流れで理鶯も時折銃兎の住居に出入りするようになってはいたが、理鶯にはまだ合鍵は渡していない。 理鶯がこの部屋を訪れるのは左馬刻が連れてくるか、銃兎が理鶯を呼び出したときくらいだ。 だから理鶯が銃兎のルールを知らなくても仕方がない。 だが、左馬刻との付き合いは長い。 銃兎が如何にずぼらな性格をしているのかや、冷蔵庫のビールのルールだって熟知しているはずだ。 それなのに、こうして時折忘れる。 否、わざとやらないことの方が多い。 「毎度毎度、何度言ったら分かるんだ、この酔っ払いが! 冷蔵庫にちゃんと入れろやビールを!」 「冷蔵庫の中、全部飲み干したわけじゃねぇんだから、いいだろうがよ、ケツの穴の小せぇ男だな、てめぇは」 「は、その小さいケツの穴にちんぽ突っ込んでヨがってるてめぇは随分と粗チンのようだな」 「ンだとゴルァ! そのてめぇの言う粗チンがてめぇは好きで好きでたまらねぇくせに何言ってやがんだ? ああ?」 「てめぇがルール守らねぇからわざわざ言ってやってんだよ! てめぇが一言余計だからだろうが!」 売り言葉に買い言葉である。 左馬刻の性器が粗末なものでないことは銃兎が身をもって知っていることである。 何せ銃兎の恋人は左馬刻だったし、毎度それを育て上げ己の尻穴に誘いこむのは銃兎自身なのだから。 全く悪びれない左馬刻にハァと大きなため息を吐き出して冷蔵庫へと向き直り扉を開く。 無残な冷蔵庫の中身にもう一度ため息を吐き出してから、銃兎は上段の四本のビールを中段下段の空いているスペースに置きなおし、一番上には全部箱から取り出して並べていく。 このビール補充も自動販売機のように自動で補充されればいいのにとは思うものの、自動販売機だって誰かが毎度ちゃんと詰め替えているわけだし、そもそもこれだけは銃兎のこだわりなので、面倒くさがらずにやっている。 ふと、冷蔵庫の上段の横のポケットにビニール袋に入った何かがおいてあるのを見つけた。 とりあえず上段にビールを詰めてからそれを手に取って向き直る。 「左馬刻、なんだこれは」 「あ~? ああ、それ、理鶯からの手土産だと」 「は、手土産?」 続く.
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