空気人形のストーリー、こういう所が見どころ、こいうところが人気 古びたアパートで持ち主の秀雄と静かに暮らしていた空気人形。 ある日、空気人形は、持ってはいけない「心」を持ってしまいました。 秀雄が仕事に出かけていくと、部屋にある洋服を着て靴を履いて街へ出かけていた。 韓国の人気女優ぺ・ドゥナが、心をもってしまう空気人形を可憐に演じています。 上映日:2009年9月26日 出演者 (空気人形) ペ・ドゥナ (レンタルビデオ屋の従業員・純一) ARATA (空気人形の持ち主、ファミレス従業員・秀雄) 板尾創路 (元高校国語教師・敬一) 高橋昌也 (受付嬢) 余貴美子 (レンタルビデオ屋の店長・鮫洲) 岩松了 (OL・美希) 星野真里 (萌の父親・真治) 丸山智己 (小学生・萌) 奈良木未羽 (浪人中の受験生・透) 柄本佑 ネタバレ・あらすじや感想、制作裏話 ある川沿いの小さい町。 パッとしない独身の中年男性・秀雄。 秀雄は、昼間はファミレスの厨房で働き、夜は5,980円の空気人形・のぞみと恋人のようにして幸せに暮らしていました。 のぞみへの偏愛ぶりは相当なもので、一緒に寝るのはもちろん、一緒にお風呂に入って髪を洗うにしてもシャンプーを選んでいたり、車いすにのぞみを乗せて真夜中の公園に連れ出してお揃いのマフラーをしてデートをしたりと、楽しんでいました。 秀雄が仕事に出掛けている間、空気人形ののぞみは全裸でベッドに寝かされています。 しかし、のぞみ用のセーラー服や水着、メイド服などいろんな衣装がありました。 静かな雨が降る朝。 いつものように秀雄が出勤した後、のぞみは人間のように自由に動ける身体になっていることに気づきます。 窓を開け、外に振る雨に手を伸ばしながら、 「 き れ い 」 と呟きました。 空気人形ののぞみは、メイド服に着替えると、赤いカバンを持って外へ出かけました。 外の世界が初めてののぞみにとって、人間の日常はとても不思議なものでした。 どれも魅力的で新鮮で、ごみ収集所の観察、おしゃべりをする人形を持っている少女・萌との出会い、未亡人の後をつけたり、時には赤ちゃんに勝手に話しかけてしまったり砂場で子供たちと一緒に遊び不審者に思われてしまうこともありました。 それでも、派出所の警官・轟とは、新聞やニュースで仕入れた話題で声を掛ける未亡人の真似をしてみたりと、のぞみなりに人間とやり取りをしていきました。 やがてやることがなくなってしまったのぞみ。 帰り道に立ち寄ったDVDレンタルのお店「シネマサーカス」で、運命的な出会いをします。 「何かお探しでしょうか。 」 のぞみに声を掛けてきたのは、シネマサーカスの店員・純一。 のぞみは、純一に一目惚れしてしまいます。 それをきっかけに、DVDレンタル店でアルバイトとして働くことになったのぞみ。 シネマサーカスは、チェーン店ではなく、店長の鮫洲と純一の2人でお店を回している個人経営のレンタルショップでした。 店長は、のぞみが映画館に行ったことがないと聞いて、なんてこったいと嘆きます。 店長は「仁義なき戦い」、そして純一はミュージカル作品が好きなことを知るのぞみ。 楽しくアルバイトの時間を過ごすと、秀雄の部屋へ戻り服を脱いで全裸のままベッドに横になります。 その日、秀雄はいつもより高いシャンプーを買ってきて、のぞみの髪を洗ってくれました。 そして、のぞみのおへそについている空気穴から空気を吹き込み、 「お前はええな、歳取らんから・・・。 」 と言い、いつものようにのぞみにキスをしました。 心を持ったのぞみは、自分を性欲処理の代用品だと思うのでした。 いつものように街を歩くのぞみ。 メイクに興味を持ったのぞみは、以前から気になっていたビニールのつなぎ目を隠すためにファンデーションを購入し、それを隠せることに嬉しく思いました。 ある日、海を知らないというのぞみをバイクに乗せた純一は、海へと出掛けます。 2人の初めてのデートに浮かれるのぞみ。 海で拾った空のラムネの瓶を気に入ったのぞみは、そのまま持ち帰りました。 純一と食事をしているとき、レストランの隣のテーブルに座っていた、おしゃべりをする人形を持っていた女の子・萌。 その日は萌の誕生日で、父親が萌のお祝いをしていました。 それを見たのぞみは、自分に誕生日がないことに気づきます。 公園のベンチにのんびりと座って日向ぼっこをしている老人・敬一。 のぞみは、敬一から「吉野弘」の詩を教わります。 のぞみはそれを朗読しました。 この映画では、この朗読が大きなキーにもなっています。 吉野弘の詩の内容のように、のぞみの周りにいる人たちは、それぞれ悩みを抱えて暮らしていました。 秀雄の家の近所に住む萌は、父親にとても可愛がられているものの母親は家を出ていってしまったまま戻ってきません。 萌が持っているおしゃべりをする人形は、以前母親が萌に買い与えたもの。 のぞみがいつも後をつけていく未亡人は、話し相手がおらず、ニュースで話題を仕入れると毎日派出所の警官・轟に話しかけて孤独を紛らわせていたのでした。 のぞみに詩を教えてくれた老人・敬一は、日々老いて死に近づいていく現実を受け入れたくありません。 レンタルDVD店の前を通る佳子は、年増で独身の受付嬢。 会社の24歳の受付嬢・みさとの若さに嫉妬しては色んなアンチエイジング化粧品を使う日々。 レンタルショップに訪れる浪人生・透は、メイド服を着て仕事をしているのぞみのパンチラを覗いては、家に帰ってパソコンで似たような画像を見つけてイメージを膨らませながら自慰行為をしていたり、OLの美希は、青森の実家の母親が結婚しないのかなどうるさく電話をかけてくることにストレスを感じ、過食症に苦しんでいます。 これらの「人間の苦しみ」は、のぞみは何も知りません。 しかし、生きて心を持つということが切ないことであることを知ります。 そんなある日、いつものように純一と仕事をしていると、店内の飾りつけをしていたのぞみは脚立から落下してしまいます。 その際、右手首を釘にひっかけてしまったため、その部分が破けて空気が抜けてしまいます。 空気が漏れて徐々にしぼんでいく自分を見られたくないのぞみは、力ない声で純一に、 「見ないで・・・」 と言いますが、純一は急いでセロハンテープを持ってきて破れてしまったのぞみの手首に貼り付けると、へその部分から空気を吹き込んでくれました。 元に戻ったのぞみに純一は、 「もう大丈夫だから。 」 と優しく声をかけます。 純一は、のぞみの正体を知っても変わらず優しく接してくれることに喜びを感じます。 その言葉を聞いたのぞみは、純一も同じ空気人形なのだと思い込んでしまいます。 それからというもの、純一への想いが益々強くなっていくのぞみは、秀雄との生活が段々と嫌になってしまいます。 それからは、秀雄が眠りについてからシャワーを浴びて執拗に身体を洗うようになりました。 純一の部屋へ訪れたのぞみ。 部屋の中で、純一と元カノの写真を見つけます。 純一はのぞみをバイクの後ろに乗せてくれますが、その時にのぞみが被っているヘルメットは元カノが被っていたものだと知ると、少し嫉妬心が芽生えました。 そんなある日、のぞみが働いているレンタルショップに秀雄が訪れました。 焦るのぞみでしたが、秀雄はのぞみに気づくことなく帰っていきホッとするのぞみ。 そこへ店長がスススッと近寄ってくると、店長はのぞみに、 「君たち・・・もうヤった?」 などとセクハラまがいの質問をのぞみにしました。 そして、 「今の彼氏?」 と。 実は店長は、秀雄が真夜中の公園でのぞみを車いすに乗せてデートしていたのを知っていたのです。 弱みを握られてしまったのぞみは、店長に言われるまま店の裏でセックスをします。 いつものように家に帰るのぞみ。 空気入れを捨てると押し入れに隠れました。 秀雄は、実家の母親に電話して「家の中のものを勝手に捨てたか?」と怒っています。 そして秀雄は、新しい「のぞみ」を手に入れます。 新しいのぞみは、新型のラブドール。 同棲記念と称して新しいのぞみとお祝いをする秀雄に詰め寄る旧のぞみ。 秀雄は、のぞみが心を持ってしまったことを知ると、 「元の人形に戻ってくれへんか?」 と頼むのでした。 この「のぞみ」という名前も、秀雄の昔の彼女の名前でした。 秀雄は、人間関係が面倒くさいから(空気人形の)お前にしたのにと言うと、のぞみはそのまま家を飛び出してしまいました。 「(空っぽだ・・・)」 そう思ったのぞみは、いつも公園にいた老人・敬一の家を訪れます。 敬一は、布団の中に横になりながら、自分も高校の代用教員だったこと、ずっと空っぽの代用品であると言い、ちょっと触ってみてもらえるかな・・・とのぞみに言いました。 勘違いしたのぞみは、敬一の下半身を触りますが、敬一は静かにその手を自分のおでこに乗せると、のぞみの手の冷たさを気持ちいいと言い、 「手の冷たい人は、心が温かいっていうんだよ。 」 と言いました。 のぞみは、敬一の優しい言葉にとても励まされました。 そして自分を作った「ツチヤ商会」の人形師に会いに行きます。 そこには、のぞみと同じ顔をした大量の人形が置かれていて、訪れたのぞみを見た人形師は驚く様子もなく、 「おかえり。 」 と静かに微笑みました。 なぜ自分は心を持ってしまったのか・・・そう問いかけるのぞみに対して、人形師の答えは、 「僕にもわからない」 でした。 人形師は、工場の天井裏にある、これから廃棄処分にされてしまう人形を見せました。 「みんな違う顔をしている。 ちゃんと愛されたかが表情に刻まれる。 」 「人形は燃えないゴミ、人間は燃えるゴミ。 」 とのぞみに言いうと、続けて、 「君が見た世界は、汚いものばかりだったかい?美しい・・・綺麗なものはなかった?」 と問いかけます。 のぞみは人形師に生んでくれたことへの感謝を伝えると、人形師に綺麗にしてもらい、ツチヤ商会を後にしました。 のぞみが向かった先は、純一のところ。 純一が望むことなら何でもするというのぞみに対して純一は、 「空気を抜きたい。 」 と言いました。 純一は優しい青年である反面、残酷なことをしたいという願望があるのか、花を千切ったりと少し残虐性を覗かせます。 「大丈夫。 僕がまた吹き込んであげるから。 」 と言われたのぞみは、純一に言われるままに身体を預けます。 純一は、何度ものぞみのへそから空気を抜いては吹き込むを繰り返しました。 それが終わり眠る純一。 のぞみは、純一にお礼をしたいと考え、ナイフを使って純一のへそ部分にナイフで穴をあけるとそこへ息を吹き込みました。 しかし、純一は空気人形ではなく人間であるため、ナイフで切られたところから出血し、いくら息を吹きこもうが意味がありません。 のぞみは、純一がしてくれたように傷口をセロハンテープで塞ごうとしますが、出血が止まらないまま純一は死んでしまいました。 のぞみは、純一は燃えるゴミの袋に入れると、ゴミ捨て場に出しました。 そして「自分もゴミになる」ことを選んだのぞみ。 なぜなら、自分に息を吹き込んでくれる人は、もういないからです。 純一は人間なので燃えるゴミ、自分は空気人形だから燃えないゴミ。 のぞみは、燃えないゴミのところに、お気に入りの空き瓶、りんごなどを並べると、自分もそこに横たわりました。 やがてやってきた少女・萌が、のぞみの指にはまっていた安物の指輪を取ると、それと交換に、壊れたアリエル人形を置いていきました。 のぞみは、夢を見ていました。 これまでのぞみに関わった人たちがのぞみの誕生日を祝ってくれている優しい夢。 のぞみが泣きながら、ろうそくの炎を吹き消すようにたんぽぽの綿毛を飛ばすと、のぞみに関わった人たちの元へ届き、その人たちは、これまでより少し前向きになりました。 自分の老いを受け入れることが出来ない敬一は、話し相手のいなかった未亡人と仲良くなり、公園のベンチで楽しそうにおしゃべりをしていたり、拒食症の美希は、これまで締め切っていた窓を開け、のぞみと空き瓶を眺めながら、のぞみが初めて心を持った時と同じように、 「きれい」 と呟くのでした。 空気人形の動画が視聴可能なオンデマンド配信サービス Hulu U-NEXT 配信中 auビデオパス dTV 配信中 フジテレビオンデマンド WOWOW TSUTAYA TV 配信中 楽天TV Amazonプライムビデオ 配信中.
次のこの記事は最終更新日から1年以上が経過しています。 この記事は約8分で読めます。 2009年に公開された是枝裕和監督作 ラブドール、ダッチワイフが心を持ってしまうR-15指定作品 「人の形をした人でないもの」に心が宿り、そこから話が広がっていく物語。 全年齢向けには『ピノッキオ』や『鉄腕アトム』、「それ」に恋慕するというところでは「ピグマリオン」、自由に動けるオモチャのお話も類例とするなら、『トイ・ストーリー』や(毎回こっそり帰ってくる)『ぼくブルン』など。 「人の代わり」や「人形」に軸足を置いたパターンはちょっぴり物悲しい終わり方をするパターンが多いように思うけど、そこは今作も例に漏れずといったところ。 原作は、『ゴーダ哲学堂 空気人形』(業田良家著 小学館刊)。 脚本、監督は是枝裕和。 出演は、ペ・ドゥナ、ARATA(現:井浦新)、板尾創路他。 ロケ地はどうやら、東京の月島らしい。 板尾創路演じる中年男(秀雄)が、自らの性欲を満たすために購入し、ともに家族ごっこをしていた「型遅れの安物」であるラブドール「のぞみ」(演:ぺ・ドゥナ)に、ある日突然心が芽生え、心と自由に動く体を得た空気人形は家を抜け出す。 周囲を取り巻く社会に触れながら、とあるレンタルビデオショップに辿り着き、そこの店員である青年、純一(演:ARATA)と恋に落ちる。 夜はご主人である秀雄の部屋に帰り、不本意な性欲処理、恋人ごっこに付き合い、昼は人間のふりをしてビデオショップで働くようになる。 ビデオショップにやってくる近隣住民、純一とともに出歩く先で出会う地元の人たちっぽい描写も挟みながら、やがて無邪気さゆえの悲劇、危うさにたどり着いて、元の空気人形、燃えるゴミへと帰っていく……。 あらすじというにはエピソードのピックアップやまとめ方が今ひとつだろうけど、ざっくりいえば、そういうお話。 「程よさ」が生々しくてエロい がっかりもしないし、是枝氏ならではのフェチも盛り込まれている エロさを求めて見るタイプの映画でもないし、エロいから良い悪いという話もされたくないファンもいらっしゃるかもしれないが、ラブドール(=空気嫁)が主役になるお話なら、「エロ」の全回避はかえって不自然。 もっとも、そこはR-15なのでど直球なエロ、キツいエロはそんなにない。 エロさという点では、キャスティングがやっぱり秀逸。 「のぞみ」のぺ・ドゥナは、スレンダーでもグラマーでもなく十分な肉感。 物語の後半、製造現場にも赴くが、そこにはもっと男の欲望を詰め込んだようなボンキュッボンなタイプや、金髪のチャンネー、激烈に可愛いタイプやらロリロリしてるのもありそうだったけど、「型遅れの安物」だと「こんなもんかな」と思える部分に着地している。 そして、ここで日本人じゃなくて韓国人女優を持ってくるところが、程よいファンタジーさを足しているというか、物語を通じて言葉や社会を学んでいくだけの「差」をナチュラルに持ち込んでいる。 これが実にいい。 金髪ボインでもなく、壇蜜っぽい人を持ってくるでもなく、でもバックショットの尻や胸にはフッと引き込まれそうになる具合が、作品やキャラクターに非常にマッチしてる。 板尾創路も良い味出してるんだけど、やっぱりARATA。 最近だとミドルのおじさんっぽい感じになってるけど、この時は「どこにでもいそうな青年」で、その上で演技や色気がまぁ、ちょうど良い。 もっとイケメンとか、少年っぽさがある俳優を連れて来ても良かったんだろうけど、今でいう松坂桃李的な人を入れてしまうと、この作品の空気感、バランスは着実に崩れる。 脇を固めるキャストも、程よく「そこらへんにいそうな人」たちで、美男美女すぎることもない。 芝居が極端に引っかかるレベルの人もおらず、「ありそうな日常」を作り出しているのが非常に良い。 もちろん映画だから「作りもん」、フィクションなんだけど、そこの段差を大きくしすぎず、でも程よくオシャレ、ちょっと小綺麗なラインで現実からは少し浮いてる感じを総合的に演出できていて、この画面作り、キャスティングは簡単に真似できるレベルではないと思う。 肝心の絡みのシーンも、露骨なシチュエーションはあっても、露骨な撮り方はしてない。 とはいえ、15歳以上なら察するのは容易なレベル。 とはいえ、そういう用途に使えるかというと微妙だろう。 むしろ、是枝監督流のエロス、フェチはARATAが空気を吹き込むシーン。 中盤と終盤にそれぞれあるんだけど、ここの方が官能的。 アーティスティックでもあるし、単純にエロさを感じるところでもあるし、そこらへんの変態さ加減を確かめたいなら、ぜひ映像でご覧いただきたい。 「代用品」問題と「低層っぽい」キャラクターたち 「綾波レイ」的な「のぞみ」と、代わりはいくらでもいそうな周辺人物 心を持った空気人形、「のぞみ」自体はいわゆる「付喪神」みたいなもので、日本人にはそれほど訝しがるテーマでもないでしょう。 手で触れる人形、フィギュアを可愛がるというのもよくある話。 一方で愛欲の対象にもなる、都合のいい代用品としての人形、「代わりはいくらでもいる」タイプのフィクション、キャラクターというのも、日本では珍しくもなんともない。 「代わりはいくらでもいる」、「自分は代用品」と自覚しながらも、自我を持っている、主人に逆らう心を持っているという点では、徐々に人間らしさを獲得していく「綾波レイ」的な部分も「のぞみ」は担っている。 一方で、周囲を取り巻く登場人物も「代わりはいくらでも」いそうなタイプ。 決して高くはないアパートに住む秀雄、ビデオショップの店員、純一。 店長もそこらへんにいそうな人物だし、近所に住む父子家庭っぽい親子も、決して収入のいい仕事や生活を送っているようには思えない。 ビデオショップにやってくる客、交番のお巡りや変なおばあちゃん、「のぞみ」に「自分は空っぽ」と教える元国語教師のおじいさんも、恵まれた日々を送っていたとはとても思えない。 どちらかというと負け組っぽい人たち、コストカットの波に煽られればすぐに職や生活を失いそうな面々。 豊かとは言えなさそうな見せ方に、どこか「上から目線」で、多少安全な位置から箱庭を眺めるような気分で鑑賞してしまっている自分がいつつも、その自分も「何かの代用品」や「空っぽ」でないとは言い切れないところもある。 自分の中に詰まっているのは空気なのか。 それとも、誰かに吹き込まれた息なのか。 はたまた本当に中身が入っているのか。 自分自身を生きているのか、ただ生かされているだけの中身が無い奴なんじゃないのか。 なんとなく、そういうメッセージも込められているような気もするけど、きっと何のメッセージも込めずに作ってくれたんだろうなぁ、とも思う。 是枝監督は、これぐらいのさじ加減が向いているのでは? 演出に集中して、フェチも盛り込んで、何も成し遂げない話の方が良さそう そんなに沢山、是枝作品を見た訳じゃないけど、どうもこの人も原作ありの作品、自分で「おはなし」を考えないタイプの作品の方が、いい映画になるような気がする。 自分も割とやりがちだし、向こうは商業的に成功している人だから同じ立場でものは言えないんだけど、メッセージ性や成し遂げて欲しいことを盛り込み過ぎちゃうと、演出的な余力、見せ方や味わい方に力を割くのが、どうしても難しくなってくる。 かといって、自分がやりたいことを好き放題にやってしまうと、それはそれで「同じ感性の人」にしか受けないし、そのボリュームゾーンは濃度を上げれば上げるほど小さくなっていくから、作家性むき出し、メッセージ性むき出しのものが出来上がったとしても、商業的にはまずハネない。 でも、『空気人形』はその辺りが上手く噛み合ってたんじゃないかな。 子役に何か成し遂げさせようとするでもなく、メッセージ性を盛り込み過ぎようとするのでもなく。 その一方で、R-15をつけながらも自分の変態さを少し露出してみて、着眼点の変態さと演出面での変態さをしっかり出せていて。 抑制を効かせながら、分かる人には分かるライン、刺さる人には刺さるラインにしっかり持って行ってる。 メジャーになるとやりにくい部分を、今作では結構やり遂げたのかなと感じる。 是枝監督も、原作ありで見せ方や画面作り、演出や仕上がりに集中できるタイプの作風の方が、不本意かもしれないけど向いてるんじゃないかな……。 『空気人形』という作品は、劇中で何かをやろうとしたタイプの作品でもないし、劇的な何かが起こるタイプの作品でもないし、強烈なメッセージ性があるような作品でもない。 まるっきりメッセージがないように見えて、どこかに少し盛り込まれていそうな気もするけど、そこら辺は見る人次第、なんでしょう。 作品自体も、「のぞみ」とはそこまで直接関わらない過食症の女性、星野真里が「綺麗」とつぶやいて終わる。 そこに一縷の希望、次へ繋がる明るい展開があるのかなと匂わせつつ、結局何も進展させてない、解決させてない雰囲気もあって、鼻息荒く「映画を見たい」という人にはお勧めできない感じの作品なんじゃないかな。 でも、これがいい。 ここで星野真里を絡ませるところが、なんかすごくいい。 逆に言えば、いい映画、いい物語ってこういう感じのパターンなんだろうね。 重くない感じ、何かも果たしていない感じ、時間や空気だけそこにあって、解釈したければどうぞ、ぐらいの。 これが自分が原作だとそうそう簡単じゃないというか、一人だと変にやり過ぎて失敗するところよね。 代用品の幅も種類も質も変わってきた、今日この頃 2009年にはフィクションだった「おはなし」も、近々リアルになりそうだ 年増の受付嬢や、近所のお年寄りの話を聞くだけの巡査、レンタルビデオの店員だったりオーナーだったり。 肉感の欲しいラブドール、性欲処理の部分も、着実に置き換えやすくなってきているし、代用品、代替手段がかなり豊富、お手頃なものになってきている。 「AIに仕事を奪われる」ってことでもないけれど、機械学習で「自分の代わり」を作ることはできるだろうし、「もっと安く」とか「面倒くさくない手段がいい」となると、生身の人間じゃなくてもいい、ってことにはなってくる。 顔を突き合わせなくてもいいのなら、すでに雇用や働き方は自由化が進んでいる。 「バ美肉」と言われるVチューバーやVR、各種ガジェット等も用いてしまえば、デジタルやアナログを問わない人形愛というか、存在しない人と本物っぽい愛欲のやりとり、性欲の処理だって可能だろう。 いわゆるパッケージ詐欺も、詐欺じゃなくなる可能性もあるし、生まれた時の性別だって、そのうち問われなくなる。 「代わりはいる」し、「中身のない人間」も量産できるし、「空気しか詰まってなさそう」な人がそこら中にいる社会も、案外近くにある気もするし。 本当に生きていると言えるのか、心を持っていると言えるのか、ビジネスのみならず、プライベートでも代わりがきかない人、大切な関係を結べているかどうか。 そういうところを、今後より一層見ていかなきゃいけないんだろうなぁ、とか。 『ブレードランナー』的な要素も出てくるだろうし、『鋼鉄都市』的な要素もあるだろうし、『ソラリス』的なのも一部現実にはなってくるんだろうけど、そういう諸々も含めた上での『空気人形』、アンドロイドやロボット、人工知能との共有や共存、交流みたいなのも、考えてしまった。 とりあえず、「反知性」や「知らなかった」は取り返しのつかないことになる可能性もあるので、そこだけは本当に気をつけたい。
次のもくじ• 世界への愛情 ダッチワイフが、心を持ってしまう。 産まれたばかりの純真な心を持つ「空気人形」は、街へ出て、人々と出会う。 世界を知らない「空気人形」にとっては、目にするもの全てが新鮮で、驚くことばかりだ。 出会った人との心の交歓が産まれる。 まっさらな感性で、雨だれだの、ラムネ瓶だのを慈しむ。 是枝監督は、きっと、こよなくこの世界を愛しているのだろう。 人々の思いが積み重なっている、この国を慈しんでいるのだろう。 人の思いは、必ずしも建設的で効果的なものばかりではない。 人は、哀しみを抱えて生きている。 その哀しみは、街の隅々に潜んでいて、時折ひっそりと顔を覗かせる。 哀しみだけではない。 世界には喜びもたくさん存在するが、これもまた、至る所に満ち溢れている訳ではない。 哀しみも喜びも、あまり露わにはしないのが、人々の慎みであり、そんな慎みや恥じらいこそ、愛すべきことなのかもしれない。 慎み深い映画監督も観客も、「空気人形」の眼を通してであれば、素直に世界の素晴らしさを共有することができるのかもしれない。 空気人形の愛らしさ 「空気人形」を演じるペ・ドゥナが素晴らしい。 彼女の表情や言葉は、本当にたった今人間の心を持ったばかりとしか思えない。 この存在感にリアリティがあるからこそ、彼女の好奇心が様々な東京と出会うときに、観客は微笑ましく見守りたい気持ちになる。 と同時に、よく知っている筈の東京が、彼女の眼にはどう映っているのか、気になったりもする。 例えば井浦新は、彼女をお台場海浜公園へ連れていき、「こんな海でも」と言う。 井浦も観客も、お台場の海は人口の砂浜だと知っているが、彼女は知らない。 初めて海を見たのだ。 ここで、観客は海を初めて見たときのことを想い出す。 見た海はそれぞれ違うにせよ、誰しも幼い感性に何かを与えられたはずだ。 監督も観客も、「空気人形」の「初体験」を通して、世界の美しさを追体験する。 彼女がいったい何を感じとっているのか、本当のところはわからないのだが。 ディスコミニケーションを前提としたラブストーリー 「空気人形」は、井浦の働くビデオショップでバイトするようになり、彼とデートを重ねる。 やがて井浦は彼女がダッチワイフであることに気づくが、自らも内部に空白を抱えている彼は、彼女へのシンパシーを深める。 二人の恋愛は、奇妙な様相を呈している。 彼女はとにかく世の中のことを何も知らないので、井浦は優しく、一つずつ教えていく。 しかし彼女がそれらを本当に理解しているようには見えない。 昼間は井浦と楽しい時間を過ごす彼女だが、夜は元からの持ち主である板尾創路の性欲に奉仕しなければならない。 板尾は5,980円を支払ってダッチワイフを購入したのだから、当然その権利を有している。 しかし、「空気人形」には、心を持っていなかった頃は苦痛ではなかった性行為や、その他諸々の疑似恋愛行為が、今となっては疎ましい。 板尾はファミレスで働く、うだつの上がらない中年男で、中央区湊あたりの古いアパートに住んでいる。 彼は職場でも客や上司に面罵されるような男で、「空気人形」との疑似恋愛だけを心のよりどころにしている。 心を持ったのならば、板尾など棄てて、井浦のもとへ行けばいいような気もするが、実際はそうでもない。 「空気人形」を紛失したと思った板尾は新しい「空気人形」を購入するのだが、彼女はその前に立ちはだかり、前任である自分との待遇の違いを詰問する。 そのトーンには嫉妬が含まれている。 純真な心は、少し複雑化しつつあるのだ。 現代を体現する俳優 「空気人形」を巡って三角関係となる井浦新と板尾創路。 それぞれ異色の出自ながら、現在の日本映画を代表する俳優が、ここでも、圧倒的な存在感を示している。 井浦新は、ファッションモデルとして活躍した後、「ARATA」という芸名で俳優デビューした。 長身でモデル体型の青年だが、その表情には屈折した内向性が窺えるタイプで、どちらかというとアート志向の映画に出演してきた。 年を重ねて俳優としての滋味が出てきたころから、晩年の若松孝二監督に寵愛され、「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち(12)」への三島役での出演を機に、芸名を本名の「井浦新」に改めた。 「空気人形」でのビデオショップ店員も、平凡で大人しそうな青年が、実は内部に空洞や闇を抱えていることを、少しずつ露見していくさまを、巧みに表現している。 板尾創路は、お笑い芸人出身で、自身の映画監督作品も3本ある。 パブリックイメージとしては、決して社会的に成功していない、うらぶれた中年男。 情けない人生を送っているが、性的嗜好はかなりエキセントリック。 本作の忘れられないセリフの一つは、板尾の「もとの人形に戻ってくれへん?」だ。 心を持った「空気人形」と新しいダッチワイフとの間で、妙な三角関係に陥った板尾が言い放つ。 「こういうのがめんどくさいねん。 」生身の女性との精神的葛藤が面倒だから、ダッチワイフで済ましているというのは、ある意味合理的とも言える。 しかし、板尾の性的嗜好の変態性は、そんな単純なものではないような気もするが。 井浦も板尾も、現代的な病巣に蝕まれている男なのだが、その病状がこれ以上赤裸々に描かれることはない。 彼らもまた、「空気人形」の新鮮な眼で観察された、世界の一部にしか過ぎないのだ。 東京の辺境たる水辺 板尾のアパートやビデオショップは、中央区湊あたりで撮影されている。 高橋昌也演じる元代用教員と出会う川沿いのベンチや、高架下の公園も湊周辺だ。 銀座や築地にもほど近いこの辺りは、エアポケットのように開発が進んでいない地域で、低層の住宅や古い商店が混在している。 隣接している隅田川もほぼ海に近づいてきているあたりで、川や海や運河などの水辺に囲まれている地帯だ。 井浦と「空気人形」がデートするのは、お台場のレストランや海浜公園だ。 板尾も通勤にゆりかもめを利用している。 東京ビッグサイトが展示会場として定着し、ZEPP TOKYOで海外アーティストのライブが行われても、このあたりが臨海「副都心」と呼ばれることはない。 ゆりかもめやりんかい線などの交通機関が整って20年以上たつが、このあたりは未だに「埋め立て地」という名の辺境だ。 古い水辺である中央区湊も、新しい水辺であるお台場も、人の活躍する気配の少ない、東京の辺境だ。 生命力の強くない「空気人形」には、水辺の優しさが環境的に必要であり、新宿や渋谷のような、猥雑な人間の活力にじかに触れさせるのは、少しかわいそうだということなのだろうか。 是枝監督のスタンス 是枝監督のフィルモグラフィーには、家族をテーマに描いた作品が多い。 家族というコミュニティーが崩壊しつつあるさまを描きながら、その再生を希求する真摯さが、観客の共感を呼んできた。 「そして父になる(13)」では、出生時に病院で子供を取り違えられた二組の夫婦が、子供を再交換する話だ。 福山雅治はその一方の父親だが、一見どちらの子供にも冷淡な彼が、実は大きくとまどい、自分自身の存在まで揺さぶられながら、再度父に「なって」いくさまが素晴らしかった。 「奇跡(11)」では両親の離婚により離れて暮らすことになった兄弟が、明るい活力でその境遇を乗り越える様を描いている。 これらの家族映画とは対照的に、「空気人形」の登場人物は、みな孤独に一人で暮らしている。 中央区湊にもお台場にも、地域のコミュニテイーなどない。 住人が出会うのは、通勤時に、ゴミ集積場にゴミを捨てるときだけだ。 しかし、こんな孤独も是枝は決して否定していない。 孤独な水辺の街を描くカメラは、それほど深い愛情に満ちている。 もしかすると是枝は、家族の再生よりも、この孤独のほうを、より慈しんでいるのかもしれない。
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