マーク・ボランというロック・アイドルをご存じだろうか。 マーク・ボランもまた、自ら「 30歳になる前に血まみれになって死ぬ」と予言したように、30歳の誕生日を2週間後に控えた1977年9月16日に、愛人のグロリア・ジョーンズが運転する車の助手席に乗車中に事故に遭い亡くなった。 1971年にリリースされた《電気の武者》は、デヴィッド・ボウイとともにグラム・ロックの旗手といわれるボランがフロントにたつバンドの6枚目、T-レックスに改名後としては2枚目の作品で、グラム・ロックの最初の全英チャートで1位を獲得したアルバムである(ちなみにデヴィッドの全英1位は、73年の《 アラジン・セイン》になる)。 (《 ジギー・スターダスト》は全英5位どまり) 預言者であり魔術師であり近代を否定する存在 同じグラム・ロックの牽引者と言われるマーク・ボランとデヴィッドのアルバムを聴き比べてもらえると、音楽的な共通点を多く見つけることはできない。 パーカッションを多用して、西洋音楽のすり足のような水平に動くリズムではなく、黒人音楽などを消化して、飛び跳ねるように縦方向のリズムを使っていて、メロディ自体もデヴィッドのように洗練されたものではないし、プリミティブな印象を与える。 そこに、ストリングスやブラスが重なり、ゴージャスな要素も見えてくる。 ビジュアルも、チリチリのソバージュヘアで、どぎついメイク、きらびやかな衣装で、セクシャルというよりは、預言者や魔術師といった社会の外側にいる反近代的な存在に映る。 自らバイセクシャル宣言をしたデヴィッドとはかなり対局にあるように感じる。 アコースティックギターと、手数の多いスネアがパーカッシブに進んでいく。 低音のストリングスから徐々に浮遊していくとうなメロディーにかわっていく部分はドラマティックとして言いようがない。 そして、アルバムの最後の曲《 リップ・オフ》。 この曲は、T-レックスのなかでも、僕が一番好きな曲。 ギターとブラスとストリングスがユニゾンでリフを繰り返す。 この分厚い音の塊が迫ってくるような狂乱な感じでがたまらなくかっこいい。 そしてマーク・ボランのヴォーカルがどんどん乱れてまわりが真っ白くなっていくような、そんな場面が想像できる。 アイドルとしてのマーク・ボラン T-レックスは、バンド自体は、スタジオミュージシャンが集まって最高の演奏をするけど、マーク・ボラン自体の演奏は、はっきり言ってテクニカルではない。 ギターソロもたまに弾くけど、メロディーとニュアンス重視。 ミュージシャンから見えれば、「 あんなの誰でも弾ける」と言えるだろう。 しかし、テクニックを超えたマーク・ボランという人間の存在感は、「 あんなの」と笑う人たちの比ではない。 それを人はスターだったり、アイドルと人は呼び崇め、そして同様にプロパーな存在が陰でののしる。 マーク・ボランは、デヴィッドと同じように、セルフプロデュース能力に優れているといえばそうだし、1971年といえば、レッド・ツェッペリンといったハードロックバンド、技巧派バンドが新しいジャンルとして広がったなかで、その逆張りともいえる、演奏スタイルを狙って支持されたのも、市場の原理としては理解できる。 ビートルズという巨大なロックマーケットの次にどう表現者は頭を使ったのかというポスト・ビートルズ、ポスト消費ロックの一つの回答のようにも見える。 むしろもっと大きな、エルヴィス・プレスリーによって誕生したロックン・ロールというアイドル産業の原点回帰であることも、おそらく指摘できるだろう。 これは、T-レックスだけでなく、グラム・ロックの最盛期といえる1972年のライヴ映像だ。 映像に映る失神しそうな目で踊る人たちを見ていると、エルヴィス・プレスリーのコンサートの映像を思い返さざるを得ない。 そういえば、マーク・ボランが事故死する1カ月前に、ルーツ・オブ・ロックンローラーのエルヴィス・プレスリーが処方薬の大量摂取が原因で亡くなっている。 享年44。 寝室のバスルームで倒れていたのを発見された。 奇妙な巡り合わせは、マーク・ボランという存在をさらにミステリアスにしている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【明日の予告】 明日のnoteのテーマは、自分自身の生き方や、それに影響を与えた出来事、これから生きるうえで考えることなどをまとめる「 Life」です。 「ニューノーマル」について、自分なりに考えてみようと思います。
次の本日、9月16日はマーク・ボランの命日である。 妖しいフォーク・デュオ、ティラノサウルス・レックスがロック化したT-レックスは事件だった。 それまで英米のロックではユニセックスなアーティストはほとんどいなかったからだ。 化粧が好きなミック・ジャガーがオカマっぽくふるまう場面もあったが、マーク・ボランの甘く震えながらささやく鼻にかかった声は、男にとって「男もイイな」と性の概念をトロけさせるヤバいものがあった。 女子はみんなマークに夢中だったが、日本の男子ロック・ファンにも性的に多様な道を選ぶ可能性を与えたのがマーク・ボランだ。 化粧はバンドに流行りだした。 それが遠くビジュアル系まで繋がる。 ラメも流行った。 マークのまとう肩幅の広いラメのジャケットは、売れに売れ、重度のファンだった僕の千葉の中学のクラスメイトはジャケットだけを買い、完全に持ち腐れた。 着ていける場所など千葉にはどこにもなかったからだ。 1971年秋「電気の武者」の発売直後は、加藤和彦のように耳の早い人が話題にしている感じだったが、72年初頭のシングル「テレグラム・サム」のヒットで日本のシーンには完全に火がついた。 ビートルズ不在の穴を埋めた感があった。 当時はレッド・ツェッペリンが王者だったが、ツェッペリンにはない性的アイドルの匂いがあったのだ。 歌舞伎の女形の伝統を持つ日本は、欧米よりもこうした存在に敏感だ。 60年代末のグループサウンズでは、沢田研二やオックスの赤松愛が女性的オーラを発し、世界でも特異なジェンダー的状況を作りだしていた。 しかしマーク・ボランがGSをぶっ飛ばすようなインパクトがあったのは、その麻薬的音像である。 それは薬物体験を持たない青少年も官能させる「ドラッギー」な響きに充ち満ちていた。 60年代のサイケデリック・ロックはハッピーでアッパーな輝きはあったのだが、T-レックスは、精神のインナーワールドに直接響く、ダウナーな感触を持ち合わせていたことが画期的だった。 アチラの世界はアッパーだけでは語れない。 日本少年少女はマークから「心のアンダーグランド」を学んだのではないだろうか? 必殺のギターリフにストリングスのからむミディアムなグルーヴも特別だった。 グラムロックは、スピード感やハードロック的ドタスタ感のインパクトに頼らない、ミドル・テンポの渋いブギーだ。 まだまだグルーヴ音痴だった日本のロック・ファンをハイ・テンポにならずイケイケにさせた、さりげなく凄い功績。 日本の少年少女をロックのグルーヴに入門させたのもマークではないだろうか? そしてなんといっても、鼻声を「アイドルの声」という響きに昇格させた意義が大きい。 一般的2枚目的な美声ではない、グニュっと低い声の印象がスターのテイストに塗りかえられた。 72年8月1日に、郷ひろみがデビューするのだが、マーク・ボランのヒットは影響はしていないだろうか?声の妖しさには共通性がある。 出典未確認だが、近田春夫が当時、郷ひろみを「和製マーク・ボラン」と評したという話しもある。 1972年はマークと郷ひろみの当たり年なのだ。 ギターボーカル&パーカッションという編成については、ティラノサウルス・レックス時代からPANTA率いる頭脳警察が向こうを張っていた。 ピックアップをとりつけたアコースティック・ギターとコンガという編成、PANTAとマーク、カーリーヘアの見た目が似ていた。 頭脳警察の音楽は主張もビートも、T-レックスより激しかったが。 T-レックスとなった頃、頭脳警察のステージもドラムを入れたバンド編成が増えた。 マークとPANTAはロックのセックスシンボルという意味でも良き時代のライバルであった。
次の1971年10月9日の全英チャートでは、が「Maggie May」と『Every Picture Tells A Story』で、シングル・チャートとアルバム・チャートをともに独占していた。 しかし、その同じチャートで歴史的に重要な出来事がもうひとつ起こっていた。 それはT. レックスのアルバム『Electric Warrior(邦題:電気の武者)』が全英チャートに初登場2位で登場していたことだった。 前年にティラノサウルス・レックスから改名して初めて発売したシングル「Ride With A Swan」でブレイクしたマーク・ボランのバンド、T. レックスにとって1971年は記念すべき年となった。 新たなグラム・ポップ・サウンドのスタイルに落ち着き、マーク・ボランがイギリスで最も人気なポップ・スターになるにつれ、「Hot Love」で初の全英シングル1位を獲得、続く「Get It On」でも全英シングル1位を記録。 改名後初のアルバム『T. Rex』もその年の初めにチャート入りし、全英最高位7位を記録した。 そのわずか9か月後の1971年9月にリリースされた『Electric Warrior』は、さらに一段上のレベルへと駆け上がっていった。 前作同様にトニー・ヴィスコンティがプロデュースし、「Get It On」(T. レックス最大の全米ヒット。 アメリカでは「Bang A Gong」と題され、イギリスのタイトルは括弧で表記された)と全英2位のヒットとなる「Jeepster」が収録されていた。 『Electric Warrior』ではマーク・ボランが妖精的な詩人から、10代の若者やアルバムを購入した人たちすべてにとっての憧れの存在へと変わっていった。 そして彼は、テレビに出るチャンスが増えて明らかに喜んでいたようだった。 「俺はずっとクネクネしてるタイプだよ。 ただ踊るのが好きなんだ」とアルバムがチャート入りを果たした週にレコード・ミラー誌にマークは語っている。 「ただペレグリン(ティラノサウルス・レックスでのパートナーのスティーヴ・ペレグリン・トゥック)がステージであぐらをかいて座っていると踊りにくかったね」。 「なんていうか、自分自身が俺にとってはファンタジーなんだ。 かっこ良くないからってテレビで600万人の前で踊るのが怖いなんて思わないよ。 家だったらこうしてるんだから」。 マーク・ボランのファンは賛同した。 最初に2ヶ月間トップ5入りを記録してから、ちょうど1971年のクリスマスの前に1位に浮上して6週間トップを記録し、1972年の2月に再び2週間トップの座についたのだ。 Written by Paul Sexton• レックス『Electric Warrior』.
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