自宅の本棚の一部 そろそろ収納の余裕もなくなってきました。 背丈ほどある木製の書棚4台には辞書がみっちり詰まっており、コンパネで補強している床もわずかに沈んでいる気がします。 何とか整理もしたいとは思っているのですが、気づけばまた一冊、また一冊と辞書が増えているのですから埒 (らち)が明きません。 何を隠そう、 私は辞書のコレクションを趣味としているのです。 外国語の辞書や専門用語の辞典なども収集対象ですが、 主に国語辞書に狙いを定めています。 同じ趣味を持つ人の中には数千冊という単位のコレクションをお持ちの方もおり、本格的な収集を始めて5年ほどの私はまだまだ駆け出しのひよっこです。 5年で600冊ということは年に100冊以上は購入している計算になりますが、最近はペースが上がっており、記録によると ここ半年で100冊近い辞書を購入しています。 2018年からは、同じように 辞書の置き場に困っているコレクターの仲間たちと共同で部屋を借り、コレクションの保管場所として、また辞書ファン同士の交流の場として使うという試みも始めました。 この部屋のことを、仲間内で 「辞書部屋」と呼んでいます。 生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。 強烈です。 以前から『新明国』のユニークさに注目している識者はいましたが、この事実を広く世に知らしめたのは、ベストセラーになった赤瀬川原平の『新解さんの謎』 (文春文庫)でした。 『新明国』に人格を見いだして「新解さん」と呼び、その世界観をユーモラスに読み解いてみせます。 自宅にも運良く『新明国』があり、私も『新解さんの謎』やネットの記述を読んでは自分でもそれらの語を引いて確かめるという楽しみをするうち、ある当たり前の事実に気づきます。 辞書は「版」によって内容が違っているのです。 自宅にあった『新明国』は1997年に出た「第5版」だったのに対して、『新解さんの謎』で主に扱われていたのは1989年の「第4版」。 手元の辞書と『新解さんの謎』で引用されている語釈が違っているということが何度もありました。 現に、「動物園」の語釈は第5版では以下のように変更されています。 面白いのは『新明国』だけじゃない! 辞書を読む楽しみを知ったものの、『新明国』だけが特別ユニークな存在であり、他の辞書はどれも似たり寄ったりなのだろうという漠然とした思い込みもありました。 というか、他にどんな辞書があるのかもよく分かっていませんでした。 そんな私の認識をがらっと変えた一冊の辞書があります。 小学館の『 現代国語例解辞典』(以下、『現国例』)です。 ある語が『新明国』に収録されていないことが気に掛かり、「他の辞書ではどうだろう?」と図書館に足を運んで、そこにあった国語辞書を片っ端から引いてみた時のことです。 『現国例』に掲載されている独特の表組みが、鮮烈な印象を放って目に飛び込んできました。 『現代国語例解辞典』第5版 p. 341 これは「類語対比表」と名付けられており、その名の通り、似た意味のことばがどのように使い分けられているかについて表の形で分かりやすく示したものです。 類語の違いの説明に、こんなにも分かりやすい方法があるのかと、膝を打ちました。 一方、紙面がシンプルで語釈も短く、一見すると味気なく思える『 三省堂国語辞典』 (三省堂)もありました。 その辞書には帯が付いており、他の辞書に先んじてさまざまな新語を収録したとうたっています。 なるほど、ことばの説明だけでなく、見出し語の範囲も辞書によって違っているわけです。 この辞書は、新語や他の辞書が見落としていることばを的確に立項していることで有名です。 それぞれの辞書の特徴の違いを知りたくなった私は書店に走り、目についた国語辞書を何冊か購入しました。 日常的に引き比べたり、ちょっとした時間に流し読みするだけで、 あちらの辞書には載っている情報がこちらの辞書には載っておらず、また あちらの辞書ではAとされていることがこちらの辞書ではBと説明されているというようなことに次から次へと直面しました。 せっかく買い物に関するメディアの記事ですので、試しに 「買い物」の語をいくつかの辞書で引き比べてみましょう。 一 物を買うこと。 買った物。 かいどく。 また、載っている情報も辞書によって違っていることが一目瞭然です。 『 集英社国語辞典』では「買い物」に「ショッピング」という類義語があることが分かります。 一方の『現国例』では、「買い物」の対義語が「売り物」であると示されているほか、公用文や法令では「買物」と表記するという情報もあります。 『 新潮現代国語辞典』は近代文学などから用例を拾っているのが特徴で、この項目では二葉亭四迷の「浮雲」と森鴎外の「仮面」から例が引かれています。 また、『 旺文社国語辞典』第11版 (旺文社)には、小型の辞書には珍しく、「買い物」の子見出しとして、 「買い物弱者」(身近な場所に商品がなかったり、交通手段が乏しかったりして、食料品や日用品など日常の買い物をすることが困難な者) という項目が立項されていました。 周辺的な情報で得られるものも、辞書によってかなり違います。 こうして、一つのことばについて知りたいときに一冊の辞書を引くだけで満足することは決してできないと悟り、一冊、また一冊と新刊書店で辞書を購入していくことになったのです。 同時に、辞書編纂 (へんさん)にはさまざまな逸話があることも知りました。 辞書の編纂者や編集者が自身の編んだ辞書について述べたものや、インタビューを受けて当事者が編纂の背景を語ったものなど多くの書籍が刊行されており、辞書に込められた哲学を知ることができます。 辞書そのものだけでなく、その裏側を知ることで、さらに辞書にはまってゆきました。 古い版・古い刷にも触手が伸びる 新刊書店で購入できる辞書をあらかた手に入れると、今度は それぞれの辞書の古い版が欲しくなるのは必然です。 すでに『新明国』が版によって大きく内容が異なっていることは知っていましたし、辞書編纂にまつわるエピソードの中にも、改訂によって見出しや語釈を改めたという話が無数に出てきます。 どこがどう変わっているのか、この目で確かめたくなったのです。 比較的新しいものは、古本を扱っているネット書店などでわりあい安く手に入れることができましたが、大部分はそう簡単にはいきませんでした。 さらに、古い版のみならず、「違う刷」にも触手が伸びます。 大まかに言うと、 内容の大きな修正を伴う改訂を「版」で、同じ版のまま新たに印刷を行う場合を「刷」で数えるのですが、増刷の際にごく一部の内容を改めるということも普通に行われていました。 先に『新明国』における「動物園」の語釈が4版と5版で異なっていると説明しましたが、実はこれはやや不正確なのです。 より正確に述べると、この訂正は4版の7刷ですでに行われていたものでした。 古い辞書、いったいどこで買えるのか では、これらの古い辞書たちはどのようにしたら手に入るのでしょうか。 大別すると、 古書店で買う方法と、 ネットで個人から買う方法に分けることができます。 古書店にもいろいろあります。 多くの人にとってより身近なのはブックオフに代表される新古書店だと思いますが、新古書店で買える辞書は通販サイトでも買えてしまうことが多く、古い辞書の在庫はあまり期待できません。 ただし、値付けが相場より安い場合もあり、出先にブックオフがあればフラフラ吸い込まれて辞書の棚を眺めているなんてことは日常茶飯事です。 本命はやはり、ちんまりと店を構える昔ながらの古本屋です。 目的の辞書がはっきりしていれば、全国の古書店が参加する通販サイトの「」も活用できますが、実店舗に足を運んでまだ見ぬ辞書との偶然の出会いを求めるのもオツなものです。 辞書を集め始めた当初からずっと欲しかったものの、なかなか手に入れられなかった『 例解国語辞典』という辞書があります。 中教出版から1956年に刊行されたこの辞書は、当時としては秀逸な語釈と豊富な用例が高く評価され、後発の辞書に与えた影響は決して小さくありませんでした。 ところが、一般にはあまり日の目を見ることがなく、書店から姿を消してしまいます。 辞書ファンには知名度が高いものの、点数が多くなく、入手困難な辞書として知られています。 この辞書との邂逅 (かいこう)も偶然に近いものでした。 よく通っていた神保町の古書店で、いつものように何冊か辞書を見繕ってレジに運び、会計を待っているタイミングでした。 店員の背後の棚に、『例解国語辞典』が並んでいるではありませんか。 取り出してもらい、習慣として状態や奥付を確認するものの、はなから買うと決めているのでほとんど上の空です。 値段は1万2000円。 長らく探し求めていた私にとってはタダみたいなものです。 こういう出会いがあるので、古書店巡りはやめられません。 そんなに集めてどうするの 辞書はそれぞれ内容が異なっており、ひとつのことばについても、複数のものを引き比べるとより深い知見が得られます。 皆さんも辞書を集めてみてね! ……それじゃあ、600冊も必要なのかと問われると…… まあ、普通は必要ないですね。 おとなしく認めます。 正直なところ、数を集めること自体が目的化している面がないでもありません。 コレクターとはそういうものです。 とは言うものの、やはり 手元に数多くの辞書を置いておくと、役に立つことがそれなりにあるのです。 まず、どうしても手元に置いておかねばならない理由として、 収集している辞書のほとんどが図書館に収められていないという事情があります。 ときどき「図書館に行けば、そんなに買わなくてもいいでしょう」と言われることがありますが、本当にそうだったらどんなによかったでしょうか。 地域の公共図書館が辞書の旧版を取りそろえているなんてことはまずありません。 国内のあらゆる出版物を保管することを使命とする国立国会図書館でさえも、同じ版の異なる刷まで収蔵しているわけではなく、そもそも所蔵されていない辞書すらあるのです。 古い辞書から新しい辞書まで版や刷を追って持っておくことで、一体どんないいことがあるのか。 それは、辞書でことばについて調べたとき、 単に「辞書にはこう書いてある」と知る段階から、さらに深く「どうして辞書にこう書いてあるのか」というところまで考えるステップへ進めるということだと考えています。 「まつる」という語を例にとって考えてみます。 『 岩波国語辞典』 (岩波書店)の最新版である第7版新版で「まつる」を引くと、 着物のすそなどがほつれないように、布の端を二折りか三折りして、その折り山と、向こうの布とを交互にぬいつける 古い版に比べて異様に詳しく、『新選国語辞典』における変化とも似ています。 異なる辞書の修正でこうも足並みがそろっていると、何もないと考える方が不自然です。 実は、この変化を引き起こした理由ははっきりしているのです。 雑誌「暮しの手帖」第10号(1971年)に掲載された「国語の辞書をテストする」という特集で、各社の辞書が軒並み「まつる」など多数のことばの語釈で誤りを犯していると指摘したのです。 同誌では、複数の辞書が同じ過ちを犯している理由を、辞書を作る際に参考にした先行辞書の間違いをそのまま引き写してしまったためだと推測しています。 この指摘を受け、それぞれの辞書は「まつる」などの語釈を再検討し、書き改めたようです。 通時的な比較が「タテに比べる」、共時的な比較が「ヨコに比べる」ということです。 辞書の世界を縦横無尽に余すところなく楽しむため、私は今日もまた辞書を買い漁るのです。
次の「神々しい」を使った例文1 「アメリカのアンテロープキャニオンは本当に神々しい場所です」 アンテロープキャニオンと言えば、誰でも1度はその写真や動画を見たことがあるのではないでしょうか。 長年の風や鉄砲雨が侵食したことで、奇妙な峡谷が作られました。 渦を巻くようななめらかな模様が岸壁に刻まれており、そこから差し込む太陽光によって峡谷の中は鮮やかなオレンジ色で染まります。 運が良ければスポットライトのように差し込む太陽光が見られるかもしれません。 タイミングによって景色が異なるため、毎回同じ 「神々しい」景色が見られるとも限らず、タイミングが合わなければ美しい景色が見られない場合もあります。 ツアーになっていますので、関心がある人は訪れてみてはいかがでしょうか。 アンテロープキャニオンを訪れる人の中にはグランドキャニオンなども同時に訪れる人がたくさんいます。 「神々しい」を使った例文2 「アメリカで見たイエローストーンは本当に神々しい場所でした」 イエローストーンというのは世界で初めて国立公園として認められた場所です。 グランドプリズマティックスプリングは七色に輝く熱水泉であり、この美しい七色はバクテリアによって生み出されていると考えられています。 その中心部は高熱すぎてバクテリアさえ住めないと言われていますが、内側に行くほど赤色から青色に変化し、その美しい色の変化が楽しめます。 死ぬ前に1度は見てみたい場所などとも言われていますので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。 イエローストーンはワイオミング州に属していますが、モンタナ州とアイダホ州にも及んでいます。 これだけではなく、迫力のある渓谷や美しい森林、標高の高い川など、様々な景色が楽しめます。 これ以外にもアメリカには様々な国立公園がありますので、ぜひ訪ねてみると良いでしょう。
次の「願わくば」の使い方の1番目は、「願望を表したい時」です。 このような「願わくば」の使い方は、比較的身近で、実現の可能性を望むことができる物事に対しての願望を表す際に使われると言われています。 ちなみに願いが叶う時には前触れが存在すると考える人も少なくありません。 そういった人は、願いが叶う前触れを心の支えにして頑張ることで願いを叶える人もいると言われています。 以下の記事では、潜在意識で引き寄せる願いが叶う際の前兆について詳しくお伝えしているので、ぜひ合わせてご覧ください。 潜在意識を使った願いが叶う方法や願いが叶う予兆を学べるおすすめの書籍などについても詳しく紹介していますので、今後の人生に役立てていただける情報となっています。 「願わくば」の使い方の2番目は、「祈りや奇跡を願う時」です。 このような「願わくば」の使い方は、神社やお寺などで神頼みをする場合や、自分ではどうすることもできない状況において奇跡を願う際に使われます。 特に神社やお寺などに行くと、神聖な雰囲気がすることも多いので、人間の理解を越えた神秘的な力で願望の成就を望む人は少なくないと言われています。 ちなみに以下の記事では、神社に行った際に書く絵馬について詳しく紹介していますので、ぜひ合わせてご覧ください。 願い事を叶えたい時の絵馬の正しい書き方や、安産祈願、合格祈願などの願う項目別の絵馬の書き方についてお伝えしていますので、ぜひ参考にして、今後の人生に役立ててください。 「願わくば」を使った例文の1番目は、「願わくば志望校に一発合格したい」という使い方です。 入学試験を直前に控えた受験生にとっては、目の前に立ちはだかるテストは大きな壁であり、これまでに積み上げてきた力を試す、とても大切なものです。 また、入学試験の結果によって、その後の人生が大きく変わることをわかっていることから、志望校に一回で合格をしたいと望む受験生は多いと言われています。 一回で合格することができなければ、浪人生活を送るか、第一志望を諦めるなどの選択を余儀なくされるので、何とかして志望校に一発合格したいと願います。 このように強い願いや理想などを表現する際に「願わくば」という言葉が使われます。 この時、願望が成就する可能性は、状況や話し手の実力などによって異なることから、現実味のある願望であることもありますし、ほとんど実現を望むことができない奇跡を待ち望んでいるといった表現になることもあり得ます。 「私が心から望むことは、彼と結婚することです」といった願望を表す表現です。 女性の多くは、好きな人と人生を歩んでいきたいと思っていますが、現実はそう甘くはなく、些細なことやお互いが抱える事情によって、別れを余儀なくされる事例も多く見られます。 そういった現実を知っている女性が、意中の男性と人生を共に歩みたい時に使う際に「願わくば」といった表現が使われます。 その他にも、話す人の心情や状況によって「あわよくば彼と生きていきたい」といったニュアンスで使われる場合もあり、「奇跡が起こるなら」といった実現の可能性が低いことを意味しています。 「あわよくば」は「願わくば」の類語であると認識されるケースが多いことから、後ほど類語の項目で詳しく紹介します。 この英語表現は、主に仏教などの話題で「慈悲」といった表現をする際の言葉で、仏などの偉大なる存在が人々に幸運や良いことなどを分け与えるといった意味合いがあります。 「mercy」は「Have mercy」といった表現で、「どうかご慈悲をお与えください」、「どうか願いを叶えてください」といった意味合いになることから、「願わくば」の英語表現として挙げられます。 願わくばの意味や使い方を知って正しい表現力を身につけましょう 願わくばという言葉は、何かを願う気持ちや望む心情を表す言葉であり、状況に応じてニュアンスが異なる言葉です。 このように日本語は状況や話し手の意図によって意味合いが異なることから、難しい言語と言われています。 だからこそ、日本語独特のニュアンスや奥深さを正しく表わすことできると、周囲の人から魅力的だと思われることも増え、立派な社会人であることをアピールすることにもつながりますので、願わくばの意味や使い方を知って正しい表現力を身につけましょう。
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