喉の痛みが減っていく。 「この調子ならあと2日もあれば勝利のが飲めるな」 そう確信した日であった。 一日中、うがい薬を片手に暇さえあればつばを吐く。 とにかく喉を守るため、それだけだ。 また、白血球が上がり始めるとなんとなく胸がムカついてきて、吐きそうな感覚に陥ることがある。 HLA抗体が一緒だからとはいえ、一応は他人の細胞が増えてきているため少なからず身体の中で喧嘩が生じているのだろうか? しかし、それも「どんどん健康になっていっているんだ、ありがとう」と感じることが出来る。 久しぶりの超熟睡 人間、辿り着くべきゴールが見えてくると一気に力が湧き上がるものだ。 最後のひと踏ん張り、 たっぷりの睡眠である。 たっぷりと寝ることが身体を正常にしてくれる一番の近道ではあるが、この10日間まともに眠れなかった。 しかし昨夜は定期的につばを吐くため起きるものの、深い眠りを何セットか行うことが出来た。 そして、起きる度にあれだけ口から出ていた血が痰のような液体に変化してきている!! 「よし、もうすぐだ!もう少し白血球が増えれば喉の痛みやとも戦える」 勇気を出してinゼリー いつものようにヘンテコな夢に笑わされながら気がつけば8:30を過ぎている。 ゆっく〜り、ちょびっとずつ。 ゴクン…… 最強にうますぎる!!!!! ありがとうございます。 ありがとうございます。 ありがとうございます。 「いつもどおり」「当たり前」がどれほどの奇跡なのかを改めて感じる。 当たり前のように呼吸が出来ること• 当たり前のように歩けること• 当たり前のように味わえること• 当たり前のように過ごすこと• ありのままでいられること すでにたくさんの奇跡の中にいるのにね。 その奇跡に感謝もせずに、それ以上何を求めるというのだ。 またまた奇跡が起きた お昼を少し回った頃、担当の先生が来て下さった。 いかがですか?の質問に「やっと口から摂取できました、錠剤も飲めました」と伝えると素晴らしいニュースを頂くことが出来た。 移植から生着までの長い期間を様々な症状で苦しむ方も多い中、本当に「有り難し」ことが起きている。 本当にありがとうございます。 dadapi.
次のもともとインドア派な私。 家におこもりするのだと決めてしまえば、それはそれでごきげんに過ごせます。 多分気圧の影響でしょう、軽い頭痛はここ数日ふとしたときに感じますし、動悸がする時間帯もあったりします。 喉が詰まった感じがすることもあります。 それでも、『まぁこんな日もあるよね』とあっさり割り切れるようになってきたのは、全体として体調が上向きなのか、少しは受け入れ方が進歩したのか…? 《外出自粛の今、家の中の片付けをしましょう》《普段できない家事をしましょう》など、建設的な意見も散見しますけれど、私はそういうタイプではなく。 生協さんの注文をした• ジムでやっている運動のうち、道具なしでできることをした• 次男の指導の下、軽い筋トレをした• クロスステッチをした• 刺し子をした• でも、できれば日々こなしておきたいと考えていることをほとんど全部できたのですから、私としては充実の1日だったとも言えます。 クロスステッチと刺し子の進み具合については、また別記事で書きますけれど、クロスステッチは前回のこの状態が…。 ちゃんと説明されないとわからない変化でしょう? これでも結構な時間がかかっているのです。 刺し子は、この状態だったのが…。 こうなりました。 こちらはまだわかりやすいですね。 クロスステッチと刺し子の両方を進めることができるのは、あまりないことなのです。 そういう意味では、特別なことはあったのかも!? 日中は、テレビもネットニュースもほとんど見ずに過ごしました。 夕食後にようやくニュースをつけたくらいです。 ですから、外出自粛要請が出ている都内の様子もほとんど知らず、のんびりと過ごしました。 コロナウイルスのことを考えずにいれば、本当にいつもの1日なのですけれどね。 必要な情報は得ておかなくては…ですから、なかなかそうもいきません。 明日も続くおこもりの日。 クロスステッチ(プチポワン)がはかどるといいな~。
次の父の日っていつだっけ?覚えてる? 何故か忘れがち。 あることも知らなかった? 母の日は忘れないのにね。 父の日は6月の第3日曜日 このブログ見た人はもう忘れないね!! 父の日って忘れちゃうし、特に何かやるわけでもなく・・・ 思い返せば子供のころ、 学校で、父の日にあげる手紙を 書かされて、 父に渡したのが一度だけある。 父の日に何かしたのは、後にも先にもその時の手紙だけである。 父の日は関係ないのだけど、 全国の お父さんに、この曲でエールを送りたい。 🎵ヒーロー FUNKY MONKEY BABY 最寄り駅の改札抜ければ いつよりちょっと勇敢な父さん Hero! 人込みにも紛れない サンシャインデイ 続きはとかで聞いてね。 この歌詞の部分 改札を通り抜けてくるお父さんが 夕日に照らされて眩しそうに 颯爽と歩いてくる。 駅から出てくる大勢の人の中から 父さんはすぐに見つけられる。 オーラが出てるから・・・ と、そんな風に想像してこの曲を聞いている。 断っておくけど、私の父は全然そんなんじゃない。 なんか、顔、怖いから なので、この曲を聞いても私の父を思い出すわけではなく・・・ お父さんってこういうイメージ? 自分の子供たちがまだ小さかった頃は お父さんって、こういうイメージだったんじゃないかなって 勝手にそう思う。 私は違うけど 普通の子供にとって、お父さんはヒーローなのだ。 今は、子供たちもだいぶ大きくなっちゃって、 お父さんも年取ったし、ヒーロー?? ってこともないだろうけど。 と、ここで話は戻って、父の日だ。 父の日というのはカで始まったようだ。 母の日があるのに、父の日がないのはおかしい。 そう考えるようになったきっかけは1900年代のはじめころ 母親を亡くし、6人の子供を育てたある父親を讃えたことだ。 そこから何十年たって 正式に記念日になったのは1972年。 意外と最近の話? というか、そんなんに昔じゃなかったんだ。 それなら余計に覚えてないよね。 だって、自分の親とか、おじいちゃんおばあちゃんが子供の頃には 父の日は無かったというか、浸透していなかったんだから。 カでは父の日にはバラを送るらしい。 日本でも、 母の日は 父の日はバラ などと統一して欲しい。 結局、世の中にあまり浸透していない父の日だけど 今後はもう少し盛り上げようじゃありませんか・・・ そうは言っても 今年の父の日、 父親に?何か?私はやらないけど・・・ 結局ね。 なんか、今更、どうする?.
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