表現 の 不 自由 展 問題 点。 表現の不自由展中止:朝日と読売の扱いが違いすぎてワロタ

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」問題 あえて「前向き」に考えてみる(THE PAGE)

表現 の 不 自由 展 問題 点

芸術祭の実行委員会(会長・大村秀章愛知県知事)は、混乱を回避するため抽選方式を導入して入場者を制限。 会場には朝から鑑賞を希望する多くの人が詰めかけ、午後2時10分からと午後4時20分からの計2回の抽選に、延べ約1350人が並んだ。 いずれの回も抽選倍率は20倍超となり、選ばれた30人ずつがガイドとともに鑑賞した。 実行委は安全確保のため、金属探知機による検査や手荷物の預かりを実施。 展示物の動画撮影を禁止し、SNS(交流サイト)への拡散防止も求めた。 会場の前では「公金の不正使用を認めるな」などと書かれたプラカードを掲げて抗議する人の姿があったが、実行委は「会場では特に大きな混乱はなかった」としている。 9日以降は公開回数を増やす方向で検討する。 会期末の14日までの公開となる見通しだ。 鑑賞した千葉県船橋市の女性会社員(25)は「展示を中止するほど問題がある作品とは思わなかった。 他の美術展でも同様の表現はある」と冷静に受け止めた。 愛知県岡崎市の男性会社員(39)は「芸術祭が、不自由展の話題ばかりで注目されてしまったのは残念だ」と語った。 一方、萩生田光一文部科学相は8日の記者会見で不自由展が再開されても補助金不交付の判断は変わらないとの認識を改めて示した。 芸術祭実行委の会長代行を務める名古屋市の河村たかし市長は再開について「とんでもないこと。 暴力そのもので(市に)相談もなかった」と批判し、会場前で約10分間座り込むなどした。 県や実行委に8日寄せられた抗議電話は約200件だったという。 芸術祭と不自由展の両実行委は9月30日、中止前の展示内容を維持したうえで再開することで合意し、協議を開始。 事前予約の整理券方式にするなどの条件付きで、10月6~8日の再開を目指してきた。 展示方法や警備面などを巡って協議が難航したが、8日の再開にこぎ着けた。 再開にあたって脅迫に屈しないと明確にしたことは評価できるが、反対意見にも配慮し、市民の納得を得ることが大切だ。 十分な安全対策を施していることや表現の自由の重みについて主催者が説明を尽くしていくべきだ。 今後も執拗な脅迫が続く恐れはあり、警察とも協力しながら対策を徹底する必要がある。 安全上の理由で中止を決めたのだから、安全対策が整えば再開するのは当然だろう。 今回は実行委員会のトップを知事が務めていたため、「行政が展示の内容を支持しているのか」との批判を招くことになった。 実行委のトップは芸術家などの専門家に任せ、行政は予算を出すだけ、という枠組みをより明確にすべきだった。

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【あいちトリエンナーレ2019】の根本的問題点を指摘する

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令和元年8月1日から10月14日にかけ、芸術祭「あいち2019」が愛知県各所で開催されている。 このなかのプログラムの一つに、「表現の不自由展・その後」という企画展が8月3日まで開かれていた。 「表現の不自由展・その後」には、他の美術館などで展示不許可になったとされる作品?が20点ほど集められていた。 のが焼かれる映像、戦時売春婦()像、米国の国旗が下敷きにされている造形物など... 多くの抗議があり、開催3日で中止となった。 愛知県知事(左)と氏(右)、出典: 「あいち2019」の芸術監督は氏である。 によると、参加アーティスト約80組は津田氏が決めたという。 情報元: 主催は「あいち実行委員会」で、会長は愛知県知事である。 津田氏が芸術監督に就任する記者会見をした時、大村氏は「ちょっととんがった芸術祭にしたいと思い、色々な情報発信を続けている津田さんに芸術監督をお願いした」と述べている。 情報元: 「表現の不自由展・その後」で筆者が許せなかったのは、のがガスバーナーで燃やされ、その灰を靴で踏みつける映像だった。 かつてないほどの怒りがこみ上げてきた。 半月ほど経ち、やっと冷静に判断できるようになってきた。 「表現の不自由展・その後」に関しては3つの問題点があると思う。 いや、3者に問題があるというべきか。 1つ目は、芸術祭というよりの性格が強いという点だ。 作品?を見れば、日本人ならそう感じる方が多いだろう。 津田氏も認める発言を無意識のうちにしている。 4月8日、氏と出演した「」で以下のような発言をしている。 (上の 動画に実際の声あり) 公立美術館で撤去されたものを、『表現の不自由展』という 展覧会を持ってくる体にして全部展示してやろうっていうそういう企画で。 おそらく、みんな全然気づいてないけど、これが 一番やばい企画なんですよ。 おそらく、 政治的に。 「 展覧会を持ってくる体にして」と発言している。 「体にして」とは、「実際には違うが、一時的にそういう事にして」という意味である。 更に、 政治的に一番やばい企画とも発言している。 これらの発言からも、純粋な芸術祭ではなく、政治的な意図があるのは明らかだ。 愛知県知事、出典: 2つめは、公金を使ったイベントとして相応しくないという点だ。 公金とは、一般的に国家、又はがその目的を達成するための作用を行うにあたって用いる金銭のことである。 基本的に政治活動に使うことはできない。 「あいち2019」には10億円を超える公金が使われており、大半は愛知県が負担している。 大村氏は6月に「表現の不自由展・その後」の説明を受けた際、芸術監督の津田氏に対し、戦時売春婦像について、「本当にやるのか。 展示はやめてもらえないか」「実物ではなく、パネルにしてはどうか」などと伝えたという。 企画展の運営メンバーからは「それなら、この企画展を全てやめる」などの話もあり、最終的に、来場者に写真撮影やSNS投稿を控えてもらうことで、展示することになったという。 情報元: 大村氏は8月5日の記者会見で、戦時売春婦像の撤去を求めたの市長に対し、「(を保障する)21条に違反している疑いが非常に濃厚」などと批判している。 自らも戦時売春婦像の展示をやめるよう、企画展の運営メンバーに言っているのに。 芸術祭は政治活動を行う場ではない。 公金を使っている以上、使用目的に合っているかの検証は必要だ。 そもそも、そんな事を言い出したら、「という体で」公金を自由に使えるようになってしまう。 更に8月13日の記者会見では、「芸術の中身などについては、芸術監督(=津田氏)が全責任をもってやっておられる」「芸術監督を決めた以上はそこで作品の中身、芸術の中身などはお任せする、基本的には芸術監督の責任で仕切ってもらう」と述べている。 情報元: 責任全てを津田氏のせいにするつもりである。 大村氏のには批判が殺到している。 そして、8月1日以前のツイートを一部削除している。 なぜ、そのようなことをする必要があるのだろうか? 自分が正しいなら堂々としているべきだ。 筆者は愛知県知事の責任は大きいと思う。 芸術祭「あいち2019」には、のが焼かれる映像、戦時売春婦像などの作品?が展示されていました。 「表現の不自由展・その後」の最大の問題点は を侮辱していることである。 「のが焼かれる映像」は、大部分のオールドメディアで報道されていない。 戦時売春婦像ばかりが焦点にされ、本質が報道されていない。 や、は「表現の不自由展・その後」が中止になったことを批判する社説を書いている。 ・ ・ ・ やなどを主張しているが、「のを焼く映像」を公金を使って展示するのも自由なのか? 彼らは在日韓国・に都合の悪いことをいうと、ヘイトスピートだと言って批判する。 過去の記事を調べればわかる。 これこそ、ではないのか? つまり、なのだ。 自分達の都合により、『言論や』と『人権』を使い分けているのだ。 また、「あいち2019」のホームページの「協賛・協力」のページは、8月10日、「協賛・協力」した組織がわからないように変えられてしまった。 なぜ、そんなことをする必要があるのか? ちなみに、との関係団体も協賛・協力を行っている。 「表現の不自由展・その後」のような美術展をやりたいというなら、少なくとも公金は使うべきではない。 やの本社で存分にやったらいい。 newspaper-ama.

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「表現の不自由展」中止と「ヤジ排除」不寛容な日本社会の深刻な状況(阪口 正二郎)

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「あいちトリエンナーレ2019」で企画展「表現の不自由展・その後」が中止となった問題を受けた、愛知県の検証委員会(座長=山梨俊夫・国立国際美術館館長)の2回目の会合が9月17日に行われた。 会合は、これまでの調査でわかったことを各委員が報告し、それぞれが担当パートについて議論を踏まえた意見を述べる形で進められた。 日本中の芸術祭・美術展に及ぼす影響を懸念 今回の問題では、海外の作家から強い反発が起きている。 全体の18%にあたる12作家が、作品の展示を取りやめたり、展示内容を変更したりした。 中止となった企画展への連帯のメッセージも出された。 検証委の最大の関心は、このような影響が広がるのを食い止めることにあるようだ。 太下義之委員(国立美術館理事)は次のように危機感を表明した。 「この件にきちんと対応しないと、愛知県での美術展だけでなく、日本で行われる様々なビエンナーレ、トリエンナーレ、海外作家を招聘する展覧会に対して悪い影響を与える。 端的に言うと、海外の作家が日本での展示をボイコットする、という懸念がある」 作品には何ら問題はないが…… 中止になった企画展では、慰安婦を象徴する《平和の少女像》や、昭和天皇の写真を使ったコラージュ作品が燃えるシーンを含む20分ほどの映像作品(大浦信行《遠近を抱えて》)など3点に対して、非難が集中した。 検証委員会は作者にインタビューを行うほか、専門家に事情を聞くなどして、各展示について詳しく検討した。 そのうえでの結論は、副座長の上山信一・慶応大教授の次の言葉に凝縮されている。 「専門家によるキュレーションや丁寧な解説、適切な展示方法など、条件が整えば、展示してなんら問題ない作品だった」 つまり、作品に問題があるわけではないが、説明や展示の仕方などに難があった、というのが、現時点での検証委員会の認識のようだ。 たとえば、大浦作品について、作者の聞き取りやこれまでの作歴などから、「私たちは、天皇像の扱いに問題があるとは思わないと、今のところ結論づけている」(上山副座長)とした。 大浦さんの作品(今回の問題を考える集会の会場に映し出された映像より) 展示方法に様々な指摘 そのうえで美術史が専門の金井直委員(信州大教授)が、作品の展示方法に以下のような疑問符をつけた。 この企画展は、会場の一番奥まった部屋で行われ、見たくない人の目に触れたりしないような「ゾーニング」はなされていた。 ただ、入り口の解説パネルは小さく、「その趣旨を観客がどの程度汲み取れたか疑問だ」。 入り口のカーテンを過ぎると、通路状になっている両側に作品がいくつも展示されており、最初に目に飛び込んでくるのは大浦作品だった。 企画展が行われた部屋の見取図(赤い部分が大浦作品の展示場所) 「窮屈すぎる。 いかにも狭い。 これでは(観客が)1つひとつ(作品から)物語を読み取るのは極めて困難」 金井委員は、観客の理解を得るため、パネルによる解説だけではなく、討論などのイベントを併催する、ガイドツアーによる鑑賞をするなどの工夫をすべきだったとも指摘した。 キュレーターチームが関与せず では、なぜこのような展示になってしまったのだろうか。 検証委員会は、この企画展が、キュレーターのチームが関与していない「かなり特殊」な状況で準備が進められた点を指摘している。 キュレーターとは、展覧会の企画などを行う専門職。 金井委員によれば、「作品と鑑賞者をつなぐ」存在で、展覧会のコンセプトを決め、それに合わせた作品を選択し、展示会という「場」を作ると同時に、展示を歴史の軸の中に組み込んで「文脈化」し、後世にもつなげていく役割という。 今回の企画展では、津田芸術監督と「表現の不自由展」実行委員会によって展示作品が決められた。 大浦作品の動画は、事務局もキュレーターチームも直前まで知らされていなかった。 混乱は予測可能だったのでは、との指摘 会場にも展示されたミニチュアの少女像 また、少女像の展示や観客による写真撮影については、大村知事から津田芸術監督を通じて何度も意見が出されたが、「不自由展」実行委はそれを受け入れなかった。 ようやく、写真撮影は禁止しないがSNSの投稿は禁止、ということで折り合ったが、今度は作家の中から「この条件は飲めない」という意見が出た。 津田氏が「作家初のアクションなら可」と妥協すると、一部作家の作品の説明パネルに「SNS推奨」の表示が出されるなど、観客にとって分かりにくい状況になった。 検証委員会は、こうした対応によって、天皇の写真が燃える場面だけがSNSに投稿される事態を招いたとして、「混乱は不測のものではなく、予見可能だったのではないか」との疑念を呈した。 時間も金も足りなかった企画展 加えて、同企画展は「時間も金も足りない」(上山副座長)状態だった。 企画展に向けられた予算は、総事業費の0. 専門のキュレーターが質の高い企画をするとすれば、今回の4~5倍の予算、8倍の面積を要する、そうでなければ作品1つひとつの意図が正しく伝わらない、という。 そうなった背景として、準備が遅れたために予算確保が遅れたことなどが指摘された。 準備が遅れた原因の1つには、「不自由展」実行委との契約書を巡る協議が長引いたことがあげられた。 この企画展では、トリエンナーレ実行委員会が個々の作家と契約を結ぶのではなく、「不自由点」実行委を「一作家」とみなして契約している。 この契約協議が長引き、終わったのは開幕の3日前の7月29日。 一方で、作品の移送は6月23日に始まっており、契約時には内容を見直すこともできない状況だった。 芸術監督自らの企画にできなかったのか、という疑問 私(江川)が、今月2日に津田芸術監督に聞いたところでは、契約書については、たとえば日付が和暦となっていることに「不自由展」実行委が難色を示し、これを認めるか西暦に改めるのかを巡って、実行委の合議がまとまって結論が出るまで待たなければならかった。 それがいくつもの点で行われるために協議に時間がかかった、とのことだった。 津田芸術監督 また、津田氏によれば、作品選定の権限は実質的には「不自由展」実行委にあり、自身の意見も退けられた、という(同実行委員会は「話し合って決めた」としており、津田氏の説明に納得していない)。 それならば、「不自由展」実行委に委ねるのではなく、津田氏自らが、「表現の不自由」をテーマにした企画展を作り、作品を選び、作家1人ひとりと直接契約を結ぶ形で行えばよかったのではないか? しかし、私のこの問いに、津田氏は2015年に「不自由展」実行委員会が東京で開いた企画展を見た時の感動があり、それが原点となって今回の企画を行うことにした経緯から、同員会を「リスペクトした」とのことだった。 熱意は理解できるが…… 再び検証委の報告に戻る。 実は、検証委も私と同じような疑問を抱いたようだ。 作品の選定では、結局2015年の不自由展に出品されていない作品が過半を占め、規模も大がかりなものとなった。 そのため、検証委は「『不自由展』実行委に展示の全体を委ねる必要性があったのか疑問」としたうえで、こう指摘した。 「芸術監督は、表現の自由をテーマとする展覧会を自ら企画し、担当キュレーターを指名して、個々の作家と交渉する方法によって展覧会を成立させる方法も考えられ、いろいろな形があったのではないか」 しかし、津田監督は同実行委に対するこだわりは強かった。 そのために自腹を切ることも厭わなかった。 トリエンナーレから支払いが行われるまでの間、「不自由展」実行委に津田氏個人が必要経費を立て替え、同実行委が個々の作家から訴訟を起こされた時には、津田氏が紛争解決に必要な経費を負担するなどの覚書にも応じている。 津田氏の会社が、「不自由展」実行委のウェブサイトを作成するなどの負担にも応じた。 これについて、検証委はこう指摘する。 「予算不足の中、不自由展を何とか実現したかったという芸術監督の熱意は理解できる。 悪意があったとは思わない。 しかし、公のプロジェクトのあり方としては不適切な行為である。 事務局がこれを黙認していたのも問題」 さらに、『不自由展』実行委と個々の作家との間の連絡も、必ずしも円滑ではなかったと指摘している。 こうした検証で、企画展を巡る経緯や問題点は概ね明らかになった。 電凸は「ソフト・テロ」 ただ、今回の問題は、会場で作品を見て、説明不足のために誤解をした人たちが騒いだ、というのとは異なる。 実際には作品を見ていない人たちの間で、批判や非難が広がり、それが大量の電凸に結びついた。 抗議の数は、電話3,936件、メール6,050件、FAX393件の合わせて10,379件に及び、今もダラダラ続いている状態だという。 会場で抗議電話が再生された この日の会合では、実際にかかってきた電話が4例、紹介された。 職員に説明の暇を与えないほどしゃべり続ける女性、巻き舌で「日本国民をなめてる」「お前らバカじゃないか」とまくし立てる男性などの声が再生された。 こうした電凸について、検証委は、SNSで断片的あるいは不正確な情報が流され、電凸マニュアルが拡散し、「抗議」が一種の「娯楽(祭り)」に転換することで起きた「ソフト・テロ」と位置づけた。 電凸対策についての検証の必要性 ただ、今の社会ではこうした抗議や妨害は予測できたのではないか。 それに対する備えは十分だったのか、あるいは、どうあるべきだったのだろうか。 さらに、脅迫的な攻撃があった場合、警察とどのようにして連携をとるべきか。 さらに、長々と喋る電話や職員の名前を聞き出そうとする者にどう対応すべきか。 危機管理の専門家への聞き取りも含めて、職員らをこうした電凸から守るための適切な対応を提言していくことも、今後の他の美術展などへの影響を懸念する検証委には、ぜひやってもらいたいところだ。 こうした電凸対策は、今回の検証でもっとも重要なポイントの1つではないか。 終了後に記者会見する山梨座長(左)と上山副座長 五輪や万博も電凸と脅迫でつぶせる環境 また、表現が押しつぶされるほどの攻撃がなぜ起きたのかは、検証委はもちろん、広く様々な議論が必要だろう。 それに関して、太下委員から、次のような意見が出された。 やや長くなるが、問題の本質に関わるコメントだと思うので丁寧に紹介したい。 「(こうした現象が起きる)背景の1つに、我々が情報や知識を、ポータルサイトを経て得るようになったことがあるのではないか。 ポータルサイトは、ユーザーにとって最適な検索結果を返そうとする。 仮に私がある政治的偏りを持っているとすると、検索結果はどんどんその偏りに沿うものになっていく。 そうすると、世界中が自分に近い考えで満ちているような気になり、閉じた体系の中で(偏った)知識だけが増えていく。 そういうことも、今回、電凸のようなことが起きた背景にはあるんじゃないか。 これも、考えて見れば、(異なる考えを排除していくという意味で)1つの『検閲』。 今日の先進国では絶対的権力者が『これをやめろ』という形の検閲は、そうそう起こりえない。 我々が意識しない形で起きている、こうした検閲の方がはるかに恐ろしい。 その点で、今回の企画展はレトロで20世紀的だった。 今後、アートで『表現の自由』というテーマを扱う時には、もっと今日的な、我々の社会に意味のある形でやってほしい」 そうした視点で見れば、今回の出来事は、美術展のあり方を巡るトラブルというに留まらず、知らず知らずのうちに一定の方向に誘導されたり駆り立てられたりしかねない、現代の情報環境の危うさを映し出す事件でもあったのではないか。 そうした視点での検証が、検証委をはじめ、様々な人たちによって行われて欲しいと思う。 なお、企画展の再開については、会合の後の記者会見で、「我々のミッションではない」(上山副座長)と検証委員会は関与しない意向を示している。 終了後、津田芸術監督がコメントを発表し、指摘された点のいくつかに釈明。 上山副座長の「キュレーションの不備。 ジャーナリスティックなテーマの表現の仕方という点でも、極めて稚拙」との発言に、「大変失礼な発言」と不快感を示した。 さらに「キュレーションの問題を過度にクローズアップするのは、この騒動の背後にある本質的な問題を覆い隠してしまうのではないか」と反論している。 () (写真はいずれも筆者による).

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