2015. 23(金) フリラを発行する岡田真理教 昨日の生放送は凄かった。 泉美木蘭さんの取材力により、麻原彰晃の ミニチュアみたいな岡田斗司夫の活動が暴露され、 驚きと爆笑の 1時間半だった。 岡田斗司夫の「性奴隷」の話題と、月 1万円払って 岡田の信者になれる「 FREEex」というカルト団体と、 そこで発行される「フリラ」というニセ通貨の話題は あまりにも衝撃的だった。 岡田のセックス用の女たちは、 「愛人」と呼べるものではない。 「愛」はゼロである。 あれは人格を否定された「性奴隷」であって、 恋愛のひとかけらもないのだ。 岡田は自分の動画で「ゴー宣道場」を 宗教などと言って、笑っていたらしいが、 岡田と、その取り巻きこそ、まさにカルト団体である! 「フリラ」や「トシオ」をもらって喜ぶ完全な馬鹿など、 「ゴー宣道場」にはいない。 当然だが、「ゴー宣道場」に「お布施」はない! わしは一円たりとも、「ゴー宣道場」で 儲かるつもりはない! そもそもわしは岡田斗司夫のように単行本出して 100万円しか印税が入らない作家ではないのだ。 今までの出版物でとっくに 1000万部を優に 超えているのだから、カネに困ってカルト団体を 作って、お布施を集める必要などない! しかし、オウム真理教のときも思ったが、 いつになってもペテンに騙される 馬鹿がいるのが情けない。 岡田は入院したと聞いたが、昨日の生放送中に、 「吉祥寺に現れた」と書き込む者がいた。 本当に入院か? ニセ入院か? 嘘だらけの奴だから、何一つ信じるわけには いかない。
次のでも都会に行ったら、喫茶店のウエイトレスは美人ばかり この記事のポイント• 「貧乏」を楽しめない人々。 美人が一人もいない中国の工場• 今は映画に、貧乏なイケメンと美女なんて登場しない• これを記念して、公式ブログ『岡田斗司夫なう』では、小林しよりのし特集を開催します。 動画で対談の雰囲気を楽しんだあと、テキストで論旨を把握して頂ける構成です。 岡田 うーん。 たぶん、貧乏と貧困は違うんでしょうね。 今は「貧乏」がひどいんじゃなくて、「貧困」がひどいんですよ。 小林 どういう意味? 岡田 貧乏を楽しむ余裕がない、精神的な貧しさというのかな。 人に頼ったら最後の負けだ、というへんなプライドがあって、それに固執している。 明治時代の侍みたいなものです。 お金は冷酷に削られてきているにもかかわらず、誰かに頼らず生きていくというプライドだけは捨てられない。 要するに、失敗恐怖型社会。 承認欲求が大きくなったあまり、承認を失う「失敗」を極端に恐れているし、失敗してしまった場合にはそのことを隠そうと必死になる。 子どものころから選択の自由はあるんだけど、失敗とみんなに言われてしまう選択肢があって、それが自分にもわかってしまう。 成功しなくてもいいから、失敗だけはしないでおきたいと大勢の人が思うようになっています。 貧乏はみっともないことでしかないんだ。 昔の映画だと、吉永小百合や浜田光夫とかが出てきて、貧乏ながらキラキラした青春を送っているようなものも多かったけど、そういうフィクションもないのかな。 岡田 今、貧乏なイケメンと美女っていないですからね。 小林 昔はけっこういたけど、今はいないの? 岡田 たぶん。 今は、顔がいいと上の層に行っちゃうんですよ。 親も投資するし、本人も上昇志向を持つから。 以前、海洋堂の食玩フィギュアのシリーズを企画したことがあるんですが、そのときに中国の工場に行ったら、働いている子が可愛くない子ばかりだったんですね。 小林 え? 工場って何千人も職員がいるでしょう。 本当に1人もいないの? 岡田 僕が見たかぎりではゼロでしたね。 でも、中国人って可愛くないんだなと思って都会 に行ったら、喫茶店には美人ばかり。 何でだろうと思ったら、「中抜き」のせいなんですよ。 小林 中抜き……? 岡田 業者が工場の労働力として、女の子を何千人と集めてきますよね。 その中でも顔のよい子たちは、都会でモデルやウエイトレスにするために選り分けられてしまう。 工場に残った中でもちょっと可愛い子は、工場長が「じゃあおれの嫁にしよう」「愛人にしよう」と抜いてしまう。 その結果、工場で働いているのは可愛くない子ばかりになるんです。 工場に行く前にこの話を聞いたときは半信半疑でしたけど、実際に見て納得しましたね。 小林 へええ、露骨だね。 自発的にしろ強制的にしろ、今は顔がよければ上にいける。 家が貧乏でも、個人としてはその階層にとどまらない。 だから映画でも、貧乏な美男美女を出すことができない。 リアリティがないですから。 小林 ふーん。 わしは、昔からそんなに美男美女はいなかったと思うけどなあ。 映画に出てくる貧乏夫婦が美男美女なのは、フィクションだから脚色されているわけでしょ。 岡田 じゃあ、どうして昔はフィクションが成り立っていて、今は成り立たないんでしょう? 小林 話をしてきて気づいたけど、それもやっぱり経済の問題じゃないかな。 現実に美男美女がいるかどうかより、貧乏人が結婚して普通の生活をしているという部分にリアリティがなくなっているのが原因。 昔は、町工場の本当に貧乏な青年たちでも、容姿にかかわらず恋愛も結婚もできたから、そういう映画が成り立った。 誰でも、結婚して子どもを産んで生活することができるということを確信していたよね。 貧乏でも幸せという価値観を持てないから、貧乏人が普通に家族を作って暮らしている映画には、リアリティがなくなってしまったんじゃないかな。 岡田 なるほど! 最近は貧乏な人が共同体を作らないという話をさっきしましたけど、貧乏な人は昔以上に家族を作れないんですよね。 今の生活様式が、集まって暮らすのに向かなくなっているから。 人が増えればその分生活費も増える。 たとえば、スマホを買うこと1つとっても、2人で暮らすからスマホは1個でいいよねとはならないじゃないですか。 休日も、1人暮らしだったら家でごろごろネットでもしていればいいんだけど、同棲した場合には、ディズニーランド行こうとかプレゼントあげようとかイベントが発生してしまう。 小林 そうそう。 岡田 今の子どもたちの恋愛観を聞いてみると、自分の彼氏や彼女を友達に見せられるかどうかが重要な基準になってます。 だから、余計に望みが高くなっちゃうんですね。 「自分に見合った」ではなくて、「自分の友達から承認を受けられる」彼氏・彼女を欲しがる。 当然その基準の中には、経済的に豊かかどうかという判断軸もあるわけです。 そうなると女の子は、上位20パーセントの男子しか相手にしなくなっちゃう。 女の子にしてみたら、恋愛できる男がどんどん狭くなってくる。 上位カーストの男もそうです。 昔は、貧乏で1人じゃ食えないから2人で食おうというプロポーズがあったけど、今そんなプロポーズをしても、誰もついてきてくれないですね(笑)。 ライター:構成 のぞき見のミホコ.
次のでも都会に行ったら、喫茶店のウエイトレスは美人ばかり この記事のポイント• 「貧乏」を楽しめない人々。 美人が一人もいない中国の工場• 今は映画に、貧乏なイケメンと美女なんて登場しない• これを記念して、公式ブログ『岡田斗司夫なう』では、小林しよりのし特集を開催します。 動画で対談の雰囲気を楽しんだあと、テキストで論旨を把握して頂ける構成です。 岡田 うーん。 たぶん、貧乏と貧困は違うんでしょうね。 今は「貧乏」がひどいんじゃなくて、「貧困」がひどいんですよ。 小林 どういう意味? 岡田 貧乏を楽しむ余裕がない、精神的な貧しさというのかな。 人に頼ったら最後の負けだ、というへんなプライドがあって、それに固執している。 明治時代の侍みたいなものです。 お金は冷酷に削られてきているにもかかわらず、誰かに頼らず生きていくというプライドだけは捨てられない。 要するに、失敗恐怖型社会。 承認欲求が大きくなったあまり、承認を失う「失敗」を極端に恐れているし、失敗してしまった場合にはそのことを隠そうと必死になる。 子どものころから選択の自由はあるんだけど、失敗とみんなに言われてしまう選択肢があって、それが自分にもわかってしまう。 成功しなくてもいいから、失敗だけはしないでおきたいと大勢の人が思うようになっています。 貧乏はみっともないことでしかないんだ。 昔の映画だと、吉永小百合や浜田光夫とかが出てきて、貧乏ながらキラキラした青春を送っているようなものも多かったけど、そういうフィクションもないのかな。 岡田 今、貧乏なイケメンと美女っていないですからね。 小林 昔はけっこういたけど、今はいないの? 岡田 たぶん。 今は、顔がいいと上の層に行っちゃうんですよ。 親も投資するし、本人も上昇志向を持つから。 以前、海洋堂の食玩フィギュアのシリーズを企画したことがあるんですが、そのときに中国の工場に行ったら、働いている子が可愛くない子ばかりだったんですね。 小林 え? 工場って何千人も職員がいるでしょう。 本当に1人もいないの? 岡田 僕が見たかぎりではゼロでしたね。 でも、中国人って可愛くないんだなと思って都会 に行ったら、喫茶店には美人ばかり。 何でだろうと思ったら、「中抜き」のせいなんですよ。 小林 中抜き……? 岡田 業者が工場の労働力として、女の子を何千人と集めてきますよね。 その中でも顔のよい子たちは、都会でモデルやウエイトレスにするために選り分けられてしまう。 工場に残った中でもちょっと可愛い子は、工場長が「じゃあおれの嫁にしよう」「愛人にしよう」と抜いてしまう。 その結果、工場で働いているのは可愛くない子ばかりになるんです。 工場に行く前にこの話を聞いたときは半信半疑でしたけど、実際に見て納得しましたね。 小林 へええ、露骨だね。 自発的にしろ強制的にしろ、今は顔がよければ上にいける。 家が貧乏でも、個人としてはその階層にとどまらない。 だから映画でも、貧乏な美男美女を出すことができない。 リアリティがないですから。 小林 ふーん。 わしは、昔からそんなに美男美女はいなかったと思うけどなあ。 映画に出てくる貧乏夫婦が美男美女なのは、フィクションだから脚色されているわけでしょ。 岡田 じゃあ、どうして昔はフィクションが成り立っていて、今は成り立たないんでしょう? 小林 話をしてきて気づいたけど、それもやっぱり経済の問題じゃないかな。 現実に美男美女がいるかどうかより、貧乏人が結婚して普通の生活をしているという部分にリアリティがなくなっているのが原因。 昔は、町工場の本当に貧乏な青年たちでも、容姿にかかわらず恋愛も結婚もできたから、そういう映画が成り立った。 誰でも、結婚して子どもを産んで生活することができるということを確信していたよね。 貧乏でも幸せという価値観を持てないから、貧乏人が普通に家族を作って暮らしている映画には、リアリティがなくなってしまったんじゃないかな。 岡田 なるほど! 最近は貧乏な人が共同体を作らないという話をさっきしましたけど、貧乏な人は昔以上に家族を作れないんですよね。 今の生活様式が、集まって暮らすのに向かなくなっているから。 人が増えればその分生活費も増える。 たとえば、スマホを買うこと1つとっても、2人で暮らすからスマホは1個でいいよねとはならないじゃないですか。 休日も、1人暮らしだったら家でごろごろネットでもしていればいいんだけど、同棲した場合には、ディズニーランド行こうとかプレゼントあげようとかイベントが発生してしまう。 小林 そうそう。 岡田 今の子どもたちの恋愛観を聞いてみると、自分の彼氏や彼女を友達に見せられるかどうかが重要な基準になってます。 だから、余計に望みが高くなっちゃうんですね。 「自分に見合った」ではなくて、「自分の友達から承認を受けられる」彼氏・彼女を欲しがる。 当然その基準の中には、経済的に豊かかどうかという判断軸もあるわけです。 そうなると女の子は、上位20パーセントの男子しか相手にしなくなっちゃう。 女の子にしてみたら、恋愛できる男がどんどん狭くなってくる。 上位カーストの男もそうです。 昔は、貧乏で1人じゃ食えないから2人で食おうというプロポーズがあったけど、今そんなプロポーズをしても、誰もついてきてくれないですね(笑)。 ライター:構成 のぞき見のミホコ.
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