自分が以前の恋人たちと交わっていた時も、あんなふうに見えたのだろうかと菜緒は思う。 それはテレビや映画で見るものよりも、もっといじましく小動物的だ。 男は性急に女の子宮を突き、眉根を寄せた丸顔の女は、時々うっすらと目を開いて、男の様子を確かめている。 … 坂東眞砂子『夢の封印』 より引用• そのへんのところが、犬嫌いの人に言わせると、いじましくてイヤらしいのかもしれない。 しかし、私にはそれは、いじましいのではなくて、いじらしいのである。 しかも、抱いて家の中を見せてやると、両眼をぱっちりあけて、文字通り別世界を覗いたように、驚いた顔をする。 … 安岡章太郎『犬と歩けば』 より引用• 僕はいじましく手拭いで前を隠し、湯の中で妙な格好をして逃げ回る。 さすがにこんな追いかけっこはアホらしいと思いはじめたときだった。 … 五百香ノエル『骸谷温泉殺人事件』 より引用• 人が電車ン中でいじましくもこんな袋抱えてる所を、僕は見られてしまったんだろうか? 橋本治『桃尻娘』 より引用• それは、私が十八歳という若さで生活というもののきびしさを知らなかったからなのだろう。 その男がいじましく、そんなに物にこだわる男はやりきれないと思った。 イタリア映画に「自転車泥棒」と題する映画があったが、観ていて終戦後の日本を見る思いで重苦しく、不快ですらあった。 … 吉村昭『東京の戦争』 より引用• 八十一回も「円・銭」のことに触れた田中の履歴書だが、いじましさがない。 むしろ金にまつわる苦労や喜びを臆面もなく語る文章は明るくユーモラスですらある。 … 水木楊『田中角栄 その巨善と巨悪』 より引用• 恐縮して詫びたが、その様子から、出がけに、多分彼女がここへやって来ることで夫との間に何かあったのがわかった。 彼女を出すまいとしたに違いない彼女の夫は、今になるといじましいものにしか感じられない。 それは多分、彼が初めて塩見に対して持った個人的な感情だった。 … 石原慎太郎『化石の森』 より引用• 同じことなら、できるだけ遠方まで乗り回したい。 チケットをもらった人間には、そんないじましい思いがのぞくものなのだ。 … 難波利三『小説吉本興業』 より引用• 中年のイヤラシサなんて紋切り型の非難を避けるために小型黒白テレビ内蔵のジャッカル300を買って、家族の眼のとどかないところにかくれて、彼女を観てたもんです。 私のいじましい行為をだれが批判できるというのですか? … 小林信彦『神野推理氏の華麗な冒険』 より引用• だってサ、授業さぼってまで予備校飛んでく迫力のある子、この子だけだもん。 そりゃいじましく予備校行く子はいるわよ、でもこの子違うんだもん。 予備校にはサ、いる訳、彼の愛人が。 … 橋本治『桃尻娘』 より引用• 我々は百円玉一つか二つで一攫千金を夢見ているのではない。 セブンスター七つか八つほどの小市民的ないじましさを求めているのである。 それだからこそむきになって「タマが出ないよ〓」とパチンコ台をたたき、受け皿からこぼれ床にころがった玉を便所のわきまで追いかけることができたのである。 … つかこうへい『傷つくことだけ上手になって』 より引用• 裏切られ、絶望し、誇りを傷つけられ、疲れきって道ばたに身を投げたのである。 それにしても、ビールはビンから缶に変わってすべてがいじましくなった。 ビンの時代は豪快であった。 … 東海林さだお『キャベツの丸かじり』 より引用• 美しい身なりの彼女たちを見て、芙美子は遠慮しつつ期待していた。 そんな彼女の気持ちは、いじらしいようでもあり、いじましくもある。 そしてまたお嬢さんたちは、他人の気持ちをくみ取れない、きれいななりはしているが、優しさも思いやりもない、愚かな女だったのだ。 … 群ようこ『飢え』 より引用• いじましい話だが、家族持ちのサラリーマンは遊びの資金にそう恵まれていない。 旅の直前に白田武臣氏から送られて来た現金は、文字通り天の恵みだった。 … 阿刀田高『響灘 そして十二の短篇』 より引用• 恥ずかしいのである。 一枚百円のくじを買ったということ自体、なんといじましい 奴 やつと思われはすまいかと、心配なのであった。 山岡に打ちあけるなら、その一千万円の使い道について、具体的な考えがまとまってからにしたかった。 … 半村良『邪神世界』 より引用• 現場の第一線に立つのも悪くない。 北野は、無理にそう考えようとしている自分をいじましく思った。 ふと久山の包み込むような温容が目に浮かんだ。 … 高杉良『呪縛 金融腐蝕列島II(下)』 より引用• 麻也子はパンティとネットに入れたストッキングを、洗たく機の中に放り込んだ。 ついでに使ったバスタオルも入れたのは、主婦のいじましさというものかもしれない。 洗たく機がまわり出したのを確かめて、ざぶんと湯船の中に入った。 … 林真理子『不機嫌な果実』 より引用• 結局、買ってもらえなかったんですが、その刀はよく覚えています。 そのくらいいじましいところがあったんですよ。 このばあやは本名は忘れましたが、家でははなやと言いました。 … 尾上松緑『松緑芸話』 より引用• 這入りたいのに、じっとがまんして、両前肢をすり合せるように足踏みしている。 そのへんのところが、犬嫌いの人に言わせると、いじましくてイヤらしいのかもしれない。 しかし、私にはそれは、いじましいのではなくて、いじらしいのである。 … 安岡章太郎『犬と歩けば』 より引用• 小糠 こぬか三合あったら、養子に行くな、などといういじましい格言が日本にはある。 平岩弓枝『風祭』 より引用•
次の東京に住む者たちは、当然のように雪のない冬を過ごしており、北海道では、これまた当然のごとく雪と寒さに耐えて暮らしております。 ぼくは何だか北海道の人たちが、いじらしいような気がしてなりません。 こちらでは、寒さのきびしいことを、凍れたと言います。 … 三浦綾子『塩狩峠』 より引用• 彼らもまた、目の見えない楽人のように、月が何回も満ちたり欠けたりするのを頭上に見ながらここまでやってきたのだろうか。 もともと詩心などない彼も、そのいじらしさに胸が熱くなる思いである。 するとそんな感傷を引き裂くように、包の中から甲高い叫び声が聞こえてきた。 … 仁木英之『僕僕先生』 より引用• 今もふたりは実らぬ恋を耐え忍んでいるわけだ。 いじらしい話だが、わしの目には時間を無駄にしているように見える。 … エディングス『ベルガリアード物語2 蛇神の女王』 より引用• 根は善人ばかりで、城自体を支配する力はなく、幽霊たちは城の魔法の一部を構成しているにすぎない。 できることはなんでも手伝ってくれ、いじらしいほど喜びを求めていた。 カメレオン娘には新しい食料のありかを教え、ビンクには偉大なる黄金時代の暮らしぶりを語ってくれた。 … ピアズ・アンソニイ『魔法の国ザンス01~カメレオンの呪文~』 より引用• 生き残っているこの兵隊にしても、泥や垢まみれになっていながらも、やはり兵隊としての稚さを感じるのだ。 久木大尉は、子供にさし向かっているような、いじらしさを覚えてきた。 … 伊藤桂一『遥かなインパール』 より引用• 女房は、あれは、道具にちがいないけれど、でも、女房にとって、私は道具でなかったのかも知れぬ。 もっと、いじらしい、懸命な思いで私の傍にいてくれたのかも知れない。 女房は私を、だましていなかった。 … 太宰治『女の決闘』 より引用• 東京は可愛いわ。 あんな東京で必死に生きている人々は、いじらしいいとしいと思います。 … 宮本百合子『獄中への手紙』 より引用• 大駒の派手さに飽きると、小駒の小さな動きがいじらしく見えたりする。 森信雄『あっと驚く三手詰』 より引用• そのいじらしい様子を男の兄君さえ見て居ることが出来なかった。 母君は言葉もかけないですぐ女達にたすけられながら西の対へかえってしまわれた。 … 宮本百合子『錦木』 より引用• うすく霜の降りた、ある寒い朝、からたちの枝の先のところにしがみついて、金色の日の光を、ありがたそうに待っている青虫がありました。 いじらしくも、そのからだには、わずかに 羽 はねが 生 はえかかっているのでした。 … 小川未明『冬のちょう』 より引用• 勝姫誕生から半年ばかりで、再び、懐妊したことを、千姫は恥じらっている。 そんな妻をいじらしく思いながら、忠刻は心の奥に痛みを感じていた。 山の湯から戻って来た三帆も、間もなく、千姫の懐妊を知る。 … 平岩弓枝『千姫様』 より引用• 北の方はすすめた。 止めても無駄だと思っているらしいのが、大将にはいじらしかった。 … 田辺聖子『新源氏物語』 より引用• 自分の母を見舞いに来ていながら人の前を憚ったり、知られまいとしたりせねばならないのは、何と悲しいことであろう。 私は寧ろ少年のそういう姿が何とも云えない程いじらしいものに思えた。 … 金史良『光の中に』 より引用• 私に会えるかもしれないという一縷ののぞみのためには、彼女はいかなる暗闇も、いかなる底なしの洞窟も、物の数とは思わぬらしい。 私はなんともいえぬいじらしさに胸がしめつけられるような感じであった。 … 横溝正史『金田一耕助ファイル01 八つ墓村』 より引用• いつもは朝から晩まで、近所合壁、口ぐちにののしりあったり、喧嘩しあったりしている連中が、あるとき長屋が火事になったら、たちまち水をはこぶやら、梯子をかけるやら、めざましい一致協力で火を消してしまうんだね。 ゴーリキーはそれを見て、人間は何ていじらしいんだろうと感動する。 ところが、火事が消えてしまうと、翌日からやっぱりいがみあい、ののしりあい、悪口雑言がはじまる。 … 開高健『ロマネ・コンティ・一九三五年 六つの短篇小説』 より引用• 一世代でそれを得ようとすることが、どんな意志の力を要するか。 私はミホを見ていて、いじらしいというより、悲しくなったほどである。 ミホは頑張った。 … 半村良『炎の陰画』 より引用• S君は僕にこう言いました。 が、僕の目にはいじらしいくらい、妙にてれ切った顔をしていました。 … 芥川竜之介『手紙』 より引用• 唯、同僚の悪戯が、高じすぎて、髷に紙切れをくつけたり、太刀の鞘に草履を結びつけたりすると、彼は笑うのか、泣くのか、わからないような笑顔をして、「いけぬのう、お身たちは」と云う。 その顔を見、その声を聞いた者は、誰でも一時或いじらしさに打たれてしまう。 … 芥川龍之介『羅生門・鼻』 より引用• そのへんのところが、犬嫌いの人に言わせると、いじましくてイヤらしいのかもしれない。 しかし、私にはそれは、いじましいのではなくて、いじらしいのである。 しかも、抱いて家の中を見せてやると、両眼をぱっちりあけて、文字通り別世界を覗いたように、驚いた顔をする。 … 安岡章太郎『犬と歩けば』 より引用• 経理をまかせていたのだが、兄弟では一番内気で新しい仕事を探すにもまごまごし通し、結局大田区の自動車修理工場で、帳簿を見ながら修理工としての技術も習おうということに落着いた。 末の子は大学を出たばかりだったが、これがいじらしい程の親想い。 さる商事会社から声がかかり、英語に堪能なところから、海外の支社へというところまで一時は話が進んだのだが、母親が患いつくとそれをあっさりあきらめて、両親の落着き先である東陽五丁目のアパートの近くで、鉄工場の住込み工員になってしまった。 … 半村良『下町探偵局PART2』 より引用•
次の愛おしいと愛してるの違い 愛おしいと愛してるの違いを分かりやすく言うと、 相手を気の毒だと思ったり、か弱いから大切にしたいと思ったりすることか、相手を大事に想い、慈しんで慕う感情を持つことかの違いです。 愛おしいというのは、本来は「厭う」(読み方:いとう)という漢字を使って「厭おしい」と書くものでした。 これは気の毒であることや、かわいそうなことを意味する言葉です。 本来の意味では、自分に対して「いとおしい」と使う場合には「つらい」「困ったことになった」といった意味を持ち、他者に対して使う場合には、幼い子供や弱い立場の人を同情して「気の毒だ」と思う気持ちを意味して使っていました。 しかし、近年では、子供や小さな動物などに対して、守ってあげたいという気持ちが募って「かわいらしい」と感じることを「愛おしい」と表現します。 愛してるという言葉よりも、柔らかい表現で好意を示す際に「愛おしい」と使われることが多いです。 愛おしいというのは、慈愛であったり、敬愛といった言葉で言い換えることが出来るものです。 愛らしいと言い換えることも出来ます。 老若男女を問わずに使える言葉であり、また人間だけでなく動物や、場合によっては無機物に対しても使える言葉です。 対する愛してるという言葉は、愛しているという言葉から母音である「い」が脱落した言葉です。 「~している」という表現は、継続の意味を示す動詞です。 つまり、愛しているというのは、相手を継続的に大切に思う気持ちのことを意味しています。 愛してるという言葉は、愛おしいという言葉よりも、情熱を含んだ言葉であるとも言えます。 相手を愛おしいと思って慕う心を持つことを愛していると言います。 一般的には異性に対して使われるものですが、状況によっては同性や動物などにも使われます。 例えば、家族を大切に思う気持ちや、ペットなどを大事にする気持ち、友達や親戚、または母国であったり、家や物に対しても「愛してる」という表現を使うことが出来ます。 愛というのは、自分と同じように、または自分以上に相手を大切に思う気持ちのことを意味しています。 そういった気持ちを向けられる対象であれば、何に対してでも愛してるという表現を使うことが出来るのだと覚えておくようにしましょう。 愛おしいという言葉も愛してるという言葉も、どちらもプラスの意味を持つ言葉ですが、前後の文脈であったり、どういった意味での愛であるのかをはっきりさせておかないと、相手の誤解を招く場合があります。 誤解されることなく、正しい意味で言葉が伝わるように、わかりやすく表現することが大切です。 愛おしいの意味 愛おしいとは、 大切にしてかわいがりたくなる様子や健気でかわいい様子を意味しています。 愛おしいというのは、か弱いものに対して使われるものです。 弱くて守りたくなる様子から、それらを大事にしよう思い「愛おしい」という感情を沸き立たせます。 愛おしいという言葉の「愛」という字は常用漢字です。 しかし「愛おしい」と書いて「いとおしい」と読む読み方は常用漢字外の読み方です。 「いとおしい」という言葉の本来の漢字は「厭う」(読み方:いとう)という字を使って「厭おしい」と書くものでした。 意味としても、本来は「かわいい」という意味ではなく、つらいと思って疎ましく思うことや、苦痛で悩ましい様子、または他人に対して、気の毒であることや、かわいそうである様子を意味している言葉でした。 自分よりも力のないものが、気の毒な状況に置かれているのを見て、大事にしてやりたい、守ってやりたいという気持ちが湧きあがり、そこから転じて、「いじらしい」や「かわいらしい」という現在で使われるような意味合いを持つようになりました。 いじらしいというのは、健気でかわいそうな様子が何とも言えずに同情したくなる雰囲気であるという意味を持つ言葉です。 愛おしいという言葉も同じく、小さくてか弱いものに同情したくなる感情を持った時に使うものであると覚えておくようにしましょう。 しかし、現在では、愛おしいという言葉を「いじらしい」という意味で使うことも少なくなってきています。 現在で使われているところの愛おしいというのは、好意を表していることが多く、相手の存在を大事に想う気持ちを表現しています。 愛しているという言葉よりも、少し柔らかく広い意味を持つ言葉で、「慈愛」であったり「敬愛」であったりする意味を含むこともあります。 愛してるの意味 愛してるとは、 家族や友人、異性などに対して相手を大事に想い、慕う心を持つことを意味しています。 「愛してる」という言葉は、口語的な表現で、本来は「愛している」という継続の意味を持つ動詞として表現します。 日本語では母音が脱落しやすく、特にしゃべり言葉では「愛している」よりも「愛してる」という表現が使われることが多くあります。 このように「~ている」という表現は、しゃべり言葉では「~てる」と表現されることが多いものですが、これはあくまでしゃべり言葉、口語体でのことです。 書き言葉で表現する場合は、特別なこだわりがない限りは「愛している」と正しく表現するべきものだと覚えておきましょう。 愛してるという言葉は、ある物事を好んだり、誰かに対して大切だと自分の心が思うことを意味しています。 愛するという気持ちを持つ対象は人間だけに限らず、例えば故郷であったり、思想であったりすることもあります。 キリスト教では、神様が人類を大切に思って、幸福を与えることを「愛」と呼んでいます。 または、自分と同じように他者を大切に思うことを「愛」としています。 これは「アガペー」という言葉で表現されることもあるものです。 愛してるという言葉は、広い意味で使うことの出来る抽象的な言葉です。 愛の種類には、情愛や恋愛、敬愛や慈愛など、様々な形があるものです。 前後の文脈によって、この「愛してる」という言葉の持つ意味は変わってくるものです。 いずれの意味で使われているとしても、悪い意味の言葉ではありません。 しかし、伝えた相手に、どのような種類の愛情であるのかを誤解されないようにする必要があります。 広い意味で捉えられる言葉なので、前後の文脈で詳しい説明が必要です。 愛おしいの例文 5.小さい子が泣くまいと思って堪えている姿は愛おしい。 この言葉がよく使われる場面としては、小さくてか弱いものに対して、大事に守ってやりたくなるような気持ちになる時などが挙げられます。 本来の意味の「愛おしい」というのは、気の毒である様子や、かわいそうな様子を示す言葉でした。 愛おしいの本来の意味は、自分に対して使う場合には「困った」「つらい」という意味を持っていました。 他人に対して使う場合には「かわいそう」というような意味を持ちます。 しかし、現在では「大事にして守りたくなる様子」を示すことが多くあります。 愛おしいという言葉は、愛してるという表現とは違い、幼い子供や動物、動物の赤ちゃんなどに対して使われることの多い言葉です。 基本的には、自分よりも力の弱いものに対して使う言葉であると覚えておくようにしましょう。 愛してるの例文.
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