ねんがんのデスをてにいれたぞ! これをやるためにを買ったと言っても過言ではない。 そしてわたしの購買理由のおよそ100%がである。 ドラマ版が大好きでものだが、今回のマッツはではない。 いやわたしはまだ 6時間くらいあの世界で迷子になっているだけなので、マッツがこの作品の中でどういうポジションのキャラなのかきちんと把握できていないのだが、たぶん違う。 まだよくわからないが、チラチラと登場するのを見るたびにワクワクしている。 そんなわけで今日は、あの世界で6時間くらい迷子になったり崖から落ちたりトイレにこもったり鏡を見つめたりしたプレイヤーの、あんまり重要でもなさそうなネタバレを若干含む感想を書いてみる。 【200114更新】 クリア後感想はこちら! には序盤から会える わたしと同じくマッツ目当てでこのゲームを買う人は少なからずいると思うので先に書いておくと、マッツには序盤からお目にかかることができる。 難易度が不安で 「せめてマッツが登場するシーンまではプレイしたい」という低い志で始めたのだが、序盤ですんなり顔を拝むことができて目標をあっさり達成した。 なお難易度については、今のところイーモードで楽しく遊べている。 ベリーイーモードもあるので、不安な人はそっちで遊ぶといいと思う。 難易度は途中でも変更可能なのもありがたい。 最初に登場したときはぼんやりとしかお顔が見えなかったのだが、何度かイベントで目にしているうちに映像がだんだん鮮明になってきた。 うっめがね(死亡) 現在ここまで鮮明になってきたところ。 この人がいったいどういうキャラで、主人公のサムとどうかかわってくるのかはまだわからない。 物語的にとても重要そうなポジションではあるのだが。 マッツを操作できる日はくるのだろうか。 しかしわたしが操作すると、マッツが崖から転がり落ちることになり、自分の操作と解釈違いを起こしそうだ。 のファンにならざるをえない ゲーム開始後およそ6時間、ほとんどずっと彼を操作しているのだが、わたしはもうすっかりのファンである。 俺……デスストをクリアしたらノーマンの出演作をあさるんだ……。 とにかく彼の一挙手一投足が愛らしい。 普段の深刻そうな表情と、鏡を覗いたときに見せるお茶目な表情のギャップがたまらん。 を飲むときの仕草もかわいくて何度でも見たくなる。 なんだかやたらとヌードシーンが多いのはどぎまぎする。 なんでトイレシーンまでがっつり作ってあるんだ。 どう反応したらいいんだ。 彼を愛らしく思ってしまう理由のひとつが、あの操作性にあることは間違いない。 ノーマン演じるサムくんは、プレイヤーが何度も手を貸してあげないとすぐに転んでしまう。 いや、サムが悪いんじゃない。 サムに100kg近い荷物を背負わせて岩だらけの山道を歩かせるプレイヤー(とシナリオと世界観)のせいだ。 わたしなら最初の100mで崖から落ちて死ぬ。 ともかく、サムを歩かせるのは手間がかかる。 右によたよた左によたよた、場合によっては川に流されかかり、うまく立ち止まることができず岩壁に顔面からつっこむ。 文字通り手取り足取り、彼を導かなくてはならない。 これがなんというか、ほどよくサムに愛着を持たせることにつながっている気がする。 手がかかる子ほどかわいいのだ。 わたしがついてなくちゃ! と思わせてくれるのだ。 ゲームシステム上、サムは赤ちゃん(BBのこと)をあやす必要が出てくるのだが、はっきり言ってプレイヤーにとってはサムもBBも手がかかる子ほどかわいいという意味では似たような存在である。 脱いだときに見える、体じゅうに残る痣や痕は痛々しい。 そりゃ連日100kg近い荷物を背負ってたら痣もできるよな。 でもあの手形みたいなのは、もしかしてBTに触れられた痕なんだろうか。 怖すぎる。 こんな表情を見せられたらファンになるしかない って何なのとか帰還者ってどういうことなのとか過去に何があったのとか、サムに関して疑問は尽きないのだが、そのへんはメインストーリーを進めていけば明らかになると期待している。 フリー配達が楽しくてまだあまり進められていないのだが。 ニコラス・レフン監督!! デスストにはニコラス・レフン監督も出演している。 わたしにとってレフン監督といえば Drive の人である。 わたしはもちろんこの映画も見た。 監督ご本人の姿を見るのは今作が初めてなのだが、この方は演技もするのか。 ハートマンさんはちょこちょこ出てきてはいろいろアドをくれる、サポート役の方。 デス現象についていろいろ研究をしているらしい。 ドキュメントから彼の書いたレポートをいろいろ読んでいるが、まだちんぷんかんぷんである。 「ビーチ」を介して大容量高速通信を可能にするのが「カイラル通信」なんだな、なるほどね完全に理解した(全然わかってない)。 世界観 ポストアポカリプス的な世界観なんだなということ以外まだ何もわかっていない。 わたしはゲームを買うと決めたら公式トレイラーも含めて情報を一切遮断するので、最初に世界観を理解するまでに結構な時間を要した。 というかまだちゃんとわかっているとはいいがたい。 開始数分後のわたしは「荷物を配達していいねをもらうゲームなんだね、みたいなものかな」と思っていたが、そのさらに数分後、死体が爆発して都市が吹き飛んだのを見て全然違ったということがわかった。 いやしかし、というかプレイヤーを前に進ませる動機づけみたいなのは、と似ていなくもないと今も思う。 他人のために何かをして、それで喜んでもらえたら嬉しいという根本思想は素敵だ。 なお今のところのような借金地獄システムはないのでこちらの方が良心的かもしれない。 で、世界観についてだが、デス現象によって人類の大半が滅び、それまで存在していた技術も失われた世界で、人類の再建のために立ち上がった組織と、その世界で生まれた特殊能力持ちの主人公が活躍する話ってことでいいのかな。 そんな世界で主人公がするのが、モンスターを倒すとかではなく荷物の配達というところが面白い。 彼は単に物資を運ぶということではなく、 人と人をつなぐという大切な使命を担っている。 人間は孤立して存在することはできない。 つながらなくては存続できない生き物だというのが、再建チームの主張である。 作中でのその理念と、世界中のプレイヤーと荷物や施設建築を通してつながることができるというはとてもマッチしている。 ここがこのゲームのいちばんいいところかな、と遊びながら思った。 「人とのつながり」をいろいろな形で感じることで、サムを通じて自分自身の世界が広がっていくのをなんとなく感じる。 「人とのつながり」は時にわずらわしいこともあるが、このゲームにはそのわずらわしさは感じない。 みんなが好意で荷物を運び、荷物を託し、梯子をかけ、施設を建築し、それに感謝して使わせてもらう。 わたしはほかのプレイヤーの足跡をたどり、誰かが自分の足跡をたどる。 そんなふうに、あの世界の「ほかのポーターさん」の存在を感じながら、わたしは今日も荷物を背負って走るのだ。 崖下に大量の荷物が落ちていたのを見たときは笑ってしまったが、あれを落としたポーターさんは大丈夫だったのかな……。 ssayu.
次の『デス・ストランディング』感想(ネタバレなし) 「小島秀夫」とは何者か?このブログは主に映画の感想をダラダラと書いています。 「小島秀夫? 誰それ?」という人のために、なぜゆえに映画と絡めて語られるのかを含めて、私なりにゼロから説明していきましょう。 彼の特徴は明快で 「ゲームに映画のような手法を取り入れる」ということでした。 具体的にはカメラワークやストーリーテリングなどです。 この時代のゲームといえばゲーム独自の演出ルールがありました。 キャラの会話だったら、吹き出しなどのテキスト形式だとか。 これは当時は挑戦的でした。 なぜなら ゲームと映画は全然別モノだと思われていましたから。 1988年の『スナッチャー』、1994年の『ポリスノーツ』と映画的なゲーム制作のノウハウを高めていき、ついにそのひとつの集大成となったのが1998年の 『メタルギアソリッド』でした。 この『メタルギアソリッド』はとくに海外で非常に高く評価され、「シネマティックでクラシック」という絶賛もあるように、その ゲームに映画性を融合するという革新に世界が驚きました。 その映画愛はゲーム内でも随所に光っており、自分の好きな映画の要素もオマージュしまくっています。 普段から自身のSNSでは映画の話題を頻繁にし、映画に推薦コメントを送ることもしばしば。 もともと映画監督になりたかったようですが、諸事情でその道には進めず、だったらゲームで挑んでやるというチャレンジ。 結果、前人未踏のことを成し遂げたわけですから、本当に凄いものです。 すでに本人の自己満足ではなく、海外の映画業界でもその功績が認められており、監督を名乗るのにじゅうぶんすぎるクリエイターです。 大好評だった『メタルギアソリッド』はシリーズ化され、2015年の『メタルギアソリッドV ファントムペイン』まで続く一大サーガが創出され、世界中で絶大なファンを獲得しました。 『メタルギアソリッド』は映画化計画も進行中の様子。 そして、これは 普段から映画を観ている人間にとっても無視できない一作です。 その理由は、ひとつ。 さらにゲームと映画の境界を破壊しているから。 例えば本作に登場する主要キャラクターたちはほとんどが実在の俳優を含むリアルの人物の顔をキャプチャーして作られています。 なので ゲームですけど、俳優をキャスティングして演技させる映画とベースは何も変わりません。 ゲームならではの遊び心ですね。 他にもゲームと映画の境界の消失を思わせる要素はたっぷりあります。 ただ、明確に言っておくべきは、もう「映画は映画」「ドラマはドラマ」「ゲームはゲーム」…そういう 区分けが通用する時代ではなくなってきているということ。 今は「Netflixなどのネット配信作品は映画と認めるか」という議論がシネフィルの間で盛んですが、そんな議題もすぐに過去のものになるでしょう。 エンタメ業界もガラパゴス化が著しい日本という小さな島で、こんな素晴らしい才能が生まれたことはDNAの突然変異か何かなのか…。 とにかく嬉しいですね。 長々語りましたが 「ゲームなんて全然触ったことがない…」という人ほど最高の体験ができます。 だって全てが新鮮なのですから。 気になる難易度も「Very Eazy Mode」があるのでゲーム初心者も安心。 エンターテインメントの未来に想いを馳せながらプレイしてみてください。 『メタルギアソリッド』シリーズは、冷戦などの歴史&政治というリアルと地続きの中に、クローンやAIなどの近未来的に起こり得るSFテーマを混ぜ合わせて展開していました。 『デス・ストランディング』も「ポリティカル」と「SF」のミックスは相変わらず同じです。 しかし、世界観の雰囲気は『メタルギアソリッド』シリーズとはガラッと変わりました。 舞台は 「デス・ストランディング」という謎の大規模現象によってそれまでの文明も経済も崩壊したアメリカ大陸です。 一見すると自然が広がる雄大な原生の大地に見えますが、その地には 「BT」と呼ばれる幽霊的な存在が徘徊しており、人間を引きずりこもうとします。 この「BT」は特異体質の一部の人間(DOOMS)にしか目視できませんが、 「BB(ブリッジ・ベイビー)」という容器に入った特殊な赤ん坊を装備することで、視覚的な認識がしやすくなります。 他にも設定があれこれありますが割愛。 つまり、世界観的には アポカリプティック・フィクション(終末モノ)なんですね。 そこに得体のしれない化物が絡んできて科学的に探究することになる展開といえば、最近だと『アナイアレイション 全滅領域』を連想します。 また、資源の乏しい世界で血液などを意外なかたちで利用する展開は『マッドマックス 怒りのデスロード』を思いだします。 詳細を語るとネタバレになるので控えますが、 死生観も重要なポイントで、プレイしているとわかりますが、いろいろな国や文化の死生観を匂わす要素が盛り込まれており、特定の宗教に偏らない、かなりカオスな世界が存在しています。 ゆえにプレイヤーはこの世界の全貌が掴めず、ハラハラドキドキすることになるわけです。 一方で 衰退したアメリカのナショナリズムやイデオロギーの残骸を感じさせるものもあり、決してファンタジー一辺倒ではありません。 このバランスが絶妙ですね。 この「ポリティカル」を遠慮なく的確に入れられるクリエイターがあまり日本にはいないのですよね(国内市場がそういうのをタブー視しがちというのもありますが)。 とにかく世の中には「終末モノSF」がそれこそピンからキリまで無数にあるのに、『デス・ストランディング』は こんな世界観は観たことがない!と驚嘆できる…これだけでもじゅうぶん特筆に値します。 加えてその世界を自分で操作して歩けるんですからね…。 「分断の時代」に求められる主人公 『デス・ストランディング』の世界では政治や国という概念が消失しかけている状況であり、そこで「ポリティカル」の要素として登場するのが 「分断」というテーマです。 無論、これは移民・性・宗教などへの排外主義やヘイトが渦巻く現代社会の喫緊の姿をトレースしたものです。 面白いのは 具体的な問題例は提示しないんですね。 私たちのリアル社会に通じる要素は基本「アメリカ」という国だけ。 それ以上の踏み込んだ要素は出てきません。 でも『デス・ストランディング』はあえて具体的な問題例は提示しないことで 特定の主義や思想に肩入れすることなく、それでいて誰にでも普遍的にこの問題を考えさせる、上手い立ち回りをしています。 じゃあ、何を見せるのか? 漠然と「分断」を象徴する「非常に謎めいた世界観(デス・ストランディング)」をデンとプレイヤーの目の前に示して 「さあ、どうする?」と投げかけてきます。 そして主人公は 「配達人」という誰でも連想できる職業で、各所から各所で モノを運ぶことになります。 この「モノを運ぶ」という行為で「分断」への対抗を見せるというのは斬新なアイディアだと思います。 普通、「分断」への対抗を示す方法として真っ先に上がるのはエンパワーメントなのですが、これもやっぱり主義や思想の色が濃く出るもの。 人によってはこういうのに対して 過剰にアレルギーを示すことも多々あり(それを風刺したような要素もゲーム内にある)、「分断」への対抗を示したいのになかなか幅広く共感してもらえないという皮肉な結果になることだってあります。 でも「モノを運ぶ」のは 身近だし、抵抗感もない。 それ以上に現代のSNSの可視化(SNSは言葉を運ぶツール)であり、私たちが日々やっていることの延長であるものです。 ゲームというのは主人公とプレイヤーが極めて同一視しやすい特性があります。 だから感情移入は必須です。 それを妨げるものは極力排除しつつ、ストーリー上の必要な個性を主人公に与える…この配分が難しいです。 それ以外に関してあまりキャラクター性が与えられておらず、 比較的プレイヤーは自分と等価に重ねやすい存在です。 結果、「分断の時代」に求められる主人公としてベストな存在、ベストな世界観が用意されました。 「モノを運ぶ」ゲームですけど、 ゲーム自体がプレイヤーに届かないと意味ないですからね。 あちらは映画なので正直、映像を見ているだけであり、退屈に感じる人がいても無理はないです(私は大好きですが)。 しかし、『デス・ストランディング』は決定的に違います。 「モノを運ぶ」という要素を最大限に活かして、 インタラクティブな遊びを提供してくれます。 まさにゲームの本領発揮ですね。 プレイヤーは主人公を操作してモノを運びます。 荷物はいろいろです。 基本は背中に担いで運び、テクテクと歩いて野を越え、山を越え、運ぶのです。 ユニークなのがこの運ぶという作業が 妙にリアルだということ。 荷物の重みや重心が計算されていて、運んでいる最中にバランスを崩すと転んでしまいます。 地面の岩に躓いたりして無様に転倒することも(なんかリアルで転んだ時の恥ずかしい気持ちになるのは私だけ?)。 体力も低下しますし、怪我もする。 こんな仕様にしたらプレイヤーはイライラするだけなのでは?と最初は思ったのですが、これがやってみると 謎の中毒性があるんですね。 プレイ映像だけを見ても地味な絵です。 でもやっているプレイヤー自身は 言葉にしがたい充実感を感じているのです。 だんだんと荷物を運ぶだけでなく、梯子やロープをかけたり、橋や道路を作ったりもできるようになります。 しかも、他のプレイヤーともつながり、誰かの荷物を運んであげたり、誰かのために橋を用意してあげたりすると、なんでしょうか、 世界に貢献しているという満ち足りた気持ちになる。 この感覚はプレイしないとわからないでしょう。 「分断」を繋げるのは正しいんだと説教するでもなく、 そのやりがいをゲーム性で身をもって学ぶ。 ああ、人を分断するよりも繋げるほうが楽しいんだ、とわかる。 私は『デス・ストランディング』は SNSの不快要素を綺麗にデリートしているから面白いんだと思います。 本来、人を繋げることを期待して生まれたのがSNSだったのですが、今や逆に憎悪を拡散する道具になってしまい、うんざりしている人も多いです。 でも『デス・ストランディング』は 「繋げる」ことに純粋に身を捧げられる環境があるから、常に幸せでいられる…。 あるべきだったSNSの姿を見た気分です。 こういうインタラクティブはゲームの特権と言えます。 私もよく感想記事で書いていますが、ゲームを映画化した作品は そのゲームが本来持っていたインタラクティブやアクティブな楽しさが抜けてしまうので、なんか炭酸の抜けたコーラみたいになりがち。 やっぱりゲームだからこその役割があるなとあらためて痛感させられました。 他にも語りたい話題は山ほどありますが、いつまでも終わらないので、このへんで。 ストーリーをクリアしてからが本番ですよ。 また ゲーム以外の領域にも積極的に乗り出す意思も見せているので、今後、世界にどんな革新をもたらすのやら。 私はそんなあなたの生む作品をまだ知らぬ人に運び続けます。
次の『デススト』発売までの心持ち 次世代機となるPS5が来年の年末期に発売されることが既に公式にリリースされていますが、まだまだ大きな弾が残っています。 『デススト』はそのひとつに数えられ、PS4の期待作品として大きな注目を集めていました。 多くの人にとって、ステルスゲームの金字塔『メタルギアソリッド』シリーズの生みの親である小島秀夫が指揮を取るというのが、期待する最大の理由でしょう。 シリーズ最終作と銘打って世に出された『メタルギアソリッドV』を最後に、所属していたコナミを抜けて独立。 新生コジマプロダクション最初の作品となるというのですから、氏にとっても大きな意味合いを持つであろうことは側から見ても感じ取れます。 そこで目にした要素は、確かに面白いと思えるものではありました。 「ストランド」が持つ「繋がり」という意味をゲームシステムに落とし込み、他のプレイヤーの足跡を与えることで、孤独な旅路がそうではなくなるという一風変わったオンライン要素。 ただ、同時に疑いをかけている自分もいました。 「他のプレイヤーの情報がヒントとなる」という要素それ自体は、既にフロムソフトウェアの『ダークソウル』シリーズで見たものですし、単なるPvPではないマルチプレイアブルゲームを探せば他にもありそうです。 また、麻酔銃といった武器やCQCに代表される特殊技能を用いて映画に出てくるような特殊工作員になりきることができた『MGS』に対して、『デススト』の主人公サムは荷物を届ける運び屋 ポーター です。 要は配達業者であり、ゲームの題材にするほどの派手なイメージを持ちにくいでしょう。 東京ゲームショウのプレイ映像を観てみてもその印象が覆るようなことはなく、ただ「移動する」という地味な過程に重きを置いているために、刺激に満ちた体験を期待すると肩透かしをくらうかもしれない、と無意識にブレーキをかけてしまうこともありました。 そして、発売日に購入して、オープニング、チュートリアルをプレイしてみると、ある種でその心配事は的中していたとも思いました。 サムが踏みしめる北米大陸の大地はあまりに過酷で、道中では仲間からのサポートも得られない。 孤軍奮闘と言ってもいい状況です。 しかし、そうした孤独や辛さは、ゲームを進めれば進めるほどに、とてつもないスパイスになっていたのだと気づかされました。 そうなってくるともう『デススト』は、単に「移動する」だけのゲームではなくなります。 近すぎず、遠すぎず、けれども確実に他者と繋がっていることの頼もしさを体感できるソーシャルストランドゲームになるのです。 オープンワールドゲームとしてはひたすらキツイ 今作の舞台は、謎の災害「デス・ストランディング」に見舞われたアメリカ。 人々の繋がりが途絶え、社会インフラも政府も機能しなくなったことで、アメリカは荒廃の一途を辿っています。 触れたものの時間感覚を狂わせる時雨 タイムフォール の降水、生者を求めて彷徨う霊的な存在BT、配達症候群にかかり人の物資を奪う不法集団ミュール、人の死後に起こる対消滅 ヴォイドアウト による辺り一帯のクレーター化などの危険に溢れ、外の世界を歩くことはままなりません。 そんなポストアポカリプスのアメリカを移動し、荷物を運ぶのが、主人公サム・ポーター・ブリッジス。 伝説の運び屋と称される彼は、身ひとつと持てる限りの装備品で道なき道を進んでいきます。 プレイヤーはこのサムを操り、広大で危険な北米大陸を旅することになります。 まず、今作には従来のオープンワールドゲームらしい魅力がほぼないということを最初に述べておきたいです。 アメリカを舞台にした作品と言えば、すぐにロックスターゲームズの『グランド・セフト・オート』シリーズや『レッド・デッド・リデンプション』を連想してしまいますが、これらとは異なり、今作は人里には立ち入れません。 そもそもポストアポカリプスものなので、マップのほとんどが荒野であり、その中に廃墟や施設が点在しているという程度。 舗装されていない地面がどこまでも広がり、人の行く手を阻む急斜面や川もそこら中にあります。 外でNPC ノンプレイヤーキャラクター とのエンカウントして、イベントが…という定番の流れも皆無です。 出くわすのは決まってミュールやBTなどの敵です。 なので、配達依頼を受けたプレイヤーは、必然的に「寄り道をしてやろう」という思考は働きません。 せっせと最短ルートを辿るか最も効率的な手段で荷物を運ぶことになります。 そもそも寄り道をしたところで、荷物が壊れる危険性が高まるだけなので当然でしょう。 サムはDOOMS ドゥームス という特殊な能力を持った人物ではありますが、肉体的にはふつうの人間であり、自分の身の丈を越えるような跳躍力やどんな重さにも耐える膂力を持っているわけではありません。 これは、このゲームを遊んでいる上でプレイヤーに付き纏う制限であり、肝でもあります。 今作では、依頼された荷物からサム自身の仕事道具や武器に至るまで、全てに重量が存在しています。 設置して道を切り開く梯子や縄は比較的軽いですが、建設物の素材となる金属などは当然数十キロに及びます。 背負っている量が多すぎると、サムの移動速度が落ちてしまうばかりか、運んでいる最中にもバランスを崩しかける頻度が高まります。 また地面の凹凸や傾斜に応じてバランスを取らなければならなかったり、川に浸かった状態でも踏ん張りを効かせてスタミナを適切に管理しながら渡る必要があります。 これらのアクションはL2とR2ボタンで行いますが、ボタンをホールドする行為は自然と画面内のサムにリンクするようになっていて没入感が高いです。 コントローラーの振動をオンにしておくと、地面を歩く感覚をいっそう味わえます。 スポンサードリンク しかし、それは爽快感の欠如と引き換えに実現していることでもあります。 サム自身が転けないように気を使い続け、目的地まで誰とも会話せずに黙々と荷物を運ぶことを何十時間遊ぶに値するほど面白いとは口が裂けても言えません。 このゲームの「北米大陸を横断する」というコンセプトから想起される旅そのものは、BTや時雨などの様々な危険や過酷な自然が体現するように、あまりに辛いものなのです。 すぐにバランスを崩すわ、高所は飛び降りられないわ、荷物を持ちすぎているとダッシュできないわ、これら多くの制約事項はきっと多くのプレイヤーにリアルな辛さを与えるに違いありません。 このゲームを遊んでみると、およそ数時間程度で、限界が来ることでしょう。 地味で、制限だらけで、きつい、おまけに世界は途方もなく広い。 それは他でもないサム自身が感じていることなので、このゲームは楽しいはずがないし、寧ろ楽しくあってはならないのです。 しかし、めげずに北米大陸を繋げて歩いていくうちに、そうした孤独な旅に彩りがもたらされます。 サムは、身体がビーチに囚われたままのアメリを救い出すという目的と並行して、カイラル結晶という特殊な物質を利用した「カイラル通信」を各地の拠点に接続するという任務を遂行していきます。 カイラル通信は大容量のデータの送受信を行うことができ、3Dプリンターである「カイラルプリンター」によって物質を擬似的に転送することもできるため、これを繋げることは、アメリカ全土の交通網を復旧させることを意味します。 そして、これがゲームシステムとして再現されることによって、プレイヤーは着実に繋がることの楽しさを実感できるようになっています。 各地に置かれたブリッジズの拠点や、集落から離れて暮らしている人々 通称プレッパーズ の住まいを訪れることで周辺一帯にカイラル通信を繋げられます。 これ以降、エリア内にはオンライン上で繋がった他のサムの痕跡がフィールド上に出現し、プレイヤーはそれを活用して旅をすることが可能になります。 最初に未開拓地域に行く際にはカイラル通信は繋がっていない状態のため、ひたすら手持の限られた手段で進んでいくしかありませんが、カイラル通信を繋げた途端にフィールドに他のプレイヤーの反応や設置物が現れ出します。 そこで自分の苦労が他の人の苦労でもあったと気付けたり、他の人が置いてくれた設置物が帰路に役立ってくれることで、言いようのない安心感を得られます。 更に、自分がフィールドに何気なく設置した物も誰かの役に立っていることが画面上に表示されることで、ひとつひとつの行動に意味が付与される感覚もあります。 通常、こうしたシングルプレイでは、どれだけ試行錯誤しても跡は残らず、その場消費で消えてしまうものです。 しかし、『デススト』ではたくさんの人が歩いた道がマップ上に表示される、危ない場所に警告や設置物がある、誰かの落とし物を取得して再活用することもできる、置き去りにされた乗り物を使って移動することもできる。 装備品や乗り物の充電が切れそうな時に誰かが建てた発電機に駆け込んだ時の安心感も大きい。 こうした経験を積み重ねていると、自分が誰かと繋がっていることはもちろん、過去に起こした行動すらも今に繋がってくるという実に奇妙な感覚が沸き上がってきます。 立て看板は誰かを応援する、注意するといった使い方に限定されておらず、温泉付近に「排泄禁止の看板」を立てるなどして、ユーモアを効かせることもできる。 1人で黙々とプレイしているだけでは、この体験はなかなか味わえないでしょう。 しかし、貰うこと、あげることで、他のサムとの繋がりを感じることができます。 それでいて、結果としていいねが蓄積している設置物は、みんなの役に立っているという指標にもなり得ます。 SNSでいいねが蓄積している投稿も、何かしら有益であると判断されているから、そうなっているものです。 敢えてco-opやPvPという形式にせず、痕跡程度の緩い繋がりになっているのも巧みです。 プレイヤーはお互いに明確な利害を結ばないが故に、カジュアルな気持ちで見えない相手を思いやる あるいは思いやられる)ことができ、そしてそれが不特定多数に広まっていき、『デススト』の遊びを拡張することを可能にしています。 この「緩い縄」の集合が、ネットのポジティヴな側面を伝えてくれています。 オンライン上の運び屋と力を合わせてハイウェイ建設。 これはシングルにない連帯した達成感。 — ワタリドリ wataridley wataridley 「カイラル通信を繋げてくれ」とストーリーで一方的に頼まれたことを、ゲームプレイの中でかくも得心のいく形でメリットを示す手腕には舌を巻く他ありません。 サムにとっての主たる目的は当初はアメリを救い出すことだったはずなのですが、プレイしているうちに自然とカイラル通信を接続することに熱中してしまいます。 オーディエンスがただ映像を追うだけの映画やドラマとは異なり、こうしたインタラクティヴな手法を用いてメッセージを届けているという点において、これは紛れもない「A Hideo Kojima Game」なのだと思いました。 振り返れば、経済の発展は交通の発展と不可分でした。 初めは村の中やその周辺地域という小さな範囲でしかなしえなかった取引は、馬車の登場により距離の問題を克服。 広大な大陸の中を繋げる鉄道の登場により更にアクセスは拡大し、別の大陸を繋げる船によって世界中が繋がってきました。 そして、20世紀では車の普及により個人の経済活動圏が広まり、飛行機により異国へ出向くことが大幅に容易化。 極め付けはネットの登場によって猛烈な勢いで新たなビジネスが芽生えてきました。 点と点が繋がることが人と人との出会いを促進し、多様な情報のやり取りが文明の発展を支えてきた歴史があるのです。 『デス・ストランディング』は、そうした縄と縄が重なった網 ネット を題材に、その楽しさを孤独との対称性の中で浮き彫りにする試みがなされているのではないか、と思います。 単にオンライン上で複数のプレイヤーとやり取りをするゲームーーその多くが持ち寄った棒を振るって相手を倒すものーーはいくらでもあります。 しかし、人類が発展してきた「縄」の歴史を再認識させるシステムとして組み込み、「分断から復交へ」というストーリーとオーバーラップさせる発明をしたという点においては、今作がパイオニアでしょう。 他の映画やゲームのクリエイターがなし得なかった偉業を小島秀夫が実現したと言ってもいいと思います。 まだ序盤ですが、社会の繋がりの重要性を伝えたゲームとして、将来的に今作はターニングポイントとして語られるのではないかという予感が生じました。 そんなわけで、まだ序盤ではあるのですが、『デス・ストランディング』の革新的な楽しさは、是非とも広めたいと思い、一旦感想をまとめてみました。 まだ概要程度しか触れていませんが、クリアした後には、全体を総括する感想を再び書こうと思います。
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