草の花は 草の花は撫子 なでしこ。 唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。 女郎花 をみなへし。 桔梗 ききやう。 刈萱 かるかや。 壺すみれ。 竜胆は、枝さしなどもむつかしけれど、こと花どもの、みな霜がれたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。 また、わざと取りたてて人めかすべくもあらぬさまなれど、かまつかの花、らうたげなり。 名もうたてあなる。 雁の来る花とぞ文字には書きたる。 かにひの花、色はこからねど藤の花といとよく似て、春秋と咲くがをかしきなり。 萩、いと色ふかう、枝たをやかに咲きたるが、朝露にぬれて、なよなよとひろごり伏したる。 さ牡鹿の、わきて立ちならすらむも、心ことなり。 八重山吹。 夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、言ひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に、実のありさまこそいとくちをしけれ。 などさ、はた生ひいでけむ。 ぬかづきといふものの、やうにだにあれかし。 されどなを、夕顔といふ名ばかりはおかし。 しもつけの花。 蘆 あし の花。 これに薄 すすき を入れぬ、いみじうあやしと人いふめり。 秋の野のおしなべたるをかしさは、薄こそあれ。 穂さきの蘇枋 すはう にいとこきが、朝露にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。 秋のはてぞ、いと見所なき。 色々に乱れ咲きたりし花の、かたもなく散りたるに、冬の末まで、頭 かしら のいとしろくおほどれたるも知らず、むかし思ひで顔に、風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。 よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。
次の草の花は 草の花は撫子 なでしこ。 唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。 女郎花 をみなへし。 桔梗 ききやう。 刈萱 かるかや。 壺すみれ。 竜胆は、枝さしなどもむつかしけれど、こと花どもの、みな霜がれたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。 また、わざと取りたてて人めかすべくもあらぬさまなれど、かまつかの花、らうたげなり。 名もうたてあなる。 雁の来る花とぞ文字には書きたる。 かにひの花、色はこからねど藤の花といとよく似て、春秋と咲くがをかしきなり。 萩、いと色ふかう、枝たをやかに咲きたるが、朝露にぬれて、なよなよとひろごり伏したる。 さ牡鹿の、わきて立ちならすらむも、心ことなり。 八重山吹。 夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、言ひつづけたるに、いとをかしかりぬべき花の姿に、実のありさまこそいとくちをしけれ。 などさ、はた生ひいでけむ。 ぬかづきといふものの、やうにだにあれかし。 されどなを、夕顔といふ名ばかりはおかし。 しもつけの花。 蘆 あし の花。 これに薄 すすき を入れぬ、いみじうあやしと人いふめり。 秋の野のおしなべたるをかしさは、薄こそあれ。 穂さきの蘇枋 すはう にいとこきが、朝露にぬれてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。 秋のはてぞ、いと見所なき。 色々に乱れ咲きたりし花の、かたもなく散りたるに、冬の末まで、頭 かしら のいとしろくおほどれたるも知らず、むかし思ひで顔に、風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。 よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。
次の冬は、早朝(がいい)。 雪が降っている早朝は、言うまでもない。 また、雪や霜がなくてもとても寒い早朝に、火を急いで起こして、(いろいろな部屋へ)炭を持って行くのも、(冬の朝に)大変似つかわしい。 (しかし、)昼になって、(寒さが)だんだん薄らぎ暖かくなってゆくと、丸火桶の火も、(ついほったらかして)白い灰になって(しまっているのは)、よくない =似つかわしくない。 清少納言は、中宮(=皇后)である定子(藤原道隆の娘)に仕えていた女房(=宮中などに仕える女官)です。 約300余段から成り、次の3種類に分類されます。 しかし、『枕草子』の中の定子は、キラキラと輝いていて、辛い描写はありません。 いつまでも美しい主人の姿を残しておきたいという清少納言の気持ちが込められているのでしょう。 プラスは「すばらしい・かわいらしい」、マイナスは「滑稽だ・おかしい」など。 「ああ」と声が漏れ出るようなしみじみとした感情が原義。 どう「ああ」なのか、文脈で判断することが必要。 いかにもぴったりな「似つかわしい、ふさわしい」様子、と覚えておくとよい。 対義語「つきなし」。 よろし〔=悪くはない〕? わろし〔=よくない〕? あし〔=悪い]となる。 「いみじ」単独だと、プラスの意味か、マイナスか、文脈判断が必要。 もともとは、身内の幼少の者に対して「かわいい」と思う気持ち。 「はっと気づいた」ときに目が一瞬大きくなるし、「目が覚めた」ときも同様。 すぐれている 現代語とギャップがある【畏し・恐し】のほうが重要。 相手に土下座するほど敬って大切に育てること。 「実に(じつに)おもしろい」=「本当におもしろい」。 「憂し」は憂鬱の「憂」で、マイナスイメージ。 「うし」だけの場合もある。 「すさまじ」の「さま」が、芸人がよく使う「さむっ」に見えてくると覚えられる。 「大声で騒いでいれば、評判にもなる」と覚えておくとよい。 「こちらが恥ずかしくなるくらい、相手が立派だ」ということ。 「愛づ」は賞賛する、「甚し」は「程度がはなはだしい」の意味。 読みものとしても、とてもおもしろい『枕草子』。 清少納言が考えていたことだけでなく、平安時代の宮中の様子、生活ぶりが見えてくるから、「春は、あけぼの」で終わってしまわないで、じっくりと読んでみては? 原文と現代語訳を照らし合わせながら読むことで、古文の勉強にもなる。
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