クリスチャン・ハリソンとの対戦が決まると、錦織圭は「(ドローの中では)数少ない、アカデミーで一緒に練習している仲(の選手)。 お互いよく知っているので、やりにくいところはある」と話した。 ハリソンは24歳。 錦織の5歳年下で、米国・IMGアカデミーの後輩だ。 2歳違いの兄ライアンと兄弟そろってプロツアーで活動している。 ライアンは10代の頃から注目され、錦織にとってはライバルの1人だったが、弟はライバルというより、かわいい後輩のような存在だったようだ。 錦織にとっては「頑張ってほしい」と思わせる選手の1人だという。 一緒に練習する機会も多かったから当然だとしても、特に応援するのは「小さい頃から頑張っている姿を見ている」からだ。 錦織によればハリソンは「むちゃくちゃ努力をするタイプ」。 兄が2010年の全豪で17歳にして4大大会初出場を果たしたのに対し、出世は遅かった。 2年前の16年に地元の全米オープンで4大大会初出場を果たしたが、これまでにシングルスでグランドスラムを戦ったのはそれが唯一だ。 「何回も、やめてもいいようなケガをしている」 長い足踏みの理由はケガと病気だった。 10代で骨の感染症を患い、治癒に2年を要した。 その後も左大腿骨、左右の手首、左右の臀部、右肩、左右の内転筋などありとあらゆる部位を負傷、さらに'13年には伝染性単核球症も患った。 度重なる故障と病気で、'14年8月から'16年4月まで世界ランキングが消滅していた。 錦織が対戦前に「今まで何回も、やめてもいいようなケガをして復帰している」と話したのは、これらを指している。 年下の親友との1回戦は、ウィンブルドンではめずらしい強風の影響もあって、難しいものになった。 第1セットを6-2で簡単に奪い、勢いに乗るかと思ったが、逆に第2セットを4-6で落とし、リズムが崩れた。 第24シードが予選勝者にワンセットオールに持ち込まれ、第3セットもタイブレークでなんとかものにするというのは、決して褒められた内容とは言えない。 サーブのトスアップが安定せず、グラウンドストロークでもミスヒットや当てただけの棒球、こすって回転をかけただけの勢いのないショットが目立った。 フットワークにもいつもの躍動感がなかった。 グラス(芝)コートは得意とは言えないが、それにしても、もたつきぶりが目立つ初戦となった。
次の、、卒業。 身長178cm、体重75kg。 右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。 が発表する世界ランキング自己最高位はシングルス4位(アジア男子歴代最高位)、ダブルス160位。 シングルスとしては日本男子史上初の世界ランキングトップ10入りを果たした。 の準優勝者であり、アジア男子史上初のシングルスファイナリスト。 また、シングルスとしてはアジア男子史上初の出場者。 グランドスラムに次ぐ格付けのでは4度の準優勝。 2008年に18歳の若さで、で優勝し、に次いで日本男子史上2人目のATPツアーシングルス優勝者となった。 これまでにATPツアーにおいてシングルスで日本人史上最多の12度の優勝、ダブルスでは準優勝を1度記録。 2016年には男子シングルス銅メダリストとなり、テニス競技では日本選手として96年ぶりのメダルを獲得した。 2019年、で約3年ぶりのツアー優勝を果たす。 3月には米スポーツ専門局のが発表したアスリート名声ランキング「」で28位にランクインした(東アジア男子最高位)。 ジュニア時代 [ ] 、に生まれる。 初めてラケットを手にしたのは5歳の時。 父と9歳になる姉と一緒にの公園でボールを打っていた。 2ヶ月後に同じく雲南市にある加茂町中央公園のテニスコートに通いだす。 小学生時代 [ ] テニスを始めてから約1年後、松江市内の「グリーンテニススクール」に入会する。 小学4年生の時、中国地方代表としてに出場する。 翌年も出場し2回戦で第8シードの選手を破る番狂わせを起こしベスト8の成績を残す。 2001年小学6年生の5月、千葉県柏市の吉田記念テニス研修センターで行われた全国24名のトップ選手が揃う全国選抜ジュニアテニス選手権大会(選抜ジュニア)12歳以下の部で優勝を果たす。 この大会の準決勝ではが錦織の試合を観戦していた。 松岡はリターンゲームでの圧倒的な才能に目を奪われると同時にサービスに悪い癖が付いてる短所も懸念していた。 選抜ジュニアから1週間後、河口湖湖畔で開催される「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」への招待状が届く。 6月のこの日は修学旅行と被っていたが錦織は喜々として参加した。 松岡は錦織の苦手とする"表現力のメンタルトレーニング"を敢えて強いた。 また、コーチとしてとが技術指導を行った。 7月末、全国小学生テニス選手権大会で5試合すべてストレート勝ちの優勝を果たす。 その約10日後全日本ジュニアテニス選手権大会 12歳以下の部 でも全試合ストレートの完全優勝を成し遂げ、全国大会三冠(史上5人目)を達成する。 2001年11月、錦織にとって二度目の修造チャレンジに参加する。 この時のキャンプには松岡の恩師である名コーチのが参加し、練習コートにはテレビ局の取材カメラも密着していた。 この衆人環境のプレッシャーの中で錦織は身長差約30cmもある高校1年生に勝利する。 年上で大柄な選手に勝ったことは錦織の大きな自信になった。 中学時代 [ ] 2002年10月スカウティングスタッフの推薦を得てが運営する「盛田正明テニス・ファンド(MMTF)」の選考会に参加する。 この時参加していたヘッドコーチのゲイブ・ハラミロの推薦により、翌年1月MMTFの候補生のひとりとしてIMGアカデミーに二週間の短期留学をする。 ここでの適応力・集中力・練習や試合に取り組む姿勢をコーチ陣に高く評価され、最終選考会を経て盛田正明テニス・ファンドの第4期特待生に選抜される。 2003年8月末に同じ選抜生2人とともに渡米。 渡米した翌月にはテキサス州のジュニア大会ベスト8、ダブルスは準優勝する。 12月の14歳以下の部で準優勝。 2004年6月にモロッコのG3ジュニア大会決勝でに勝利し優勝。 14歳での優勝は快挙と言ってよかった。 9月にはIMGの日本人メンバーとともに男子ジュニア国別対抗戦ので・らと共に日本代表として出場。 スペイン戦でに勝利し前年大会では11位であった日本を過去最高の5位入賞に押し上げた。 高校時代 [ ] 2005年にはジュニアG2の大会で立て続けにベスト4入り。 そしてこの頃IMGアカデミーのトップグループに昇格。 専任コーチを雇用する。 9月、全米オープンジュニアで3回戦進出。 10月、大阪市開催のでに敗れるものの準決勝まで進出。 この大会ではと組んで出場したダブルスでも準決勝まで進出し単複ベスト4の成績を収めた。 2006年1月の男子ジュニアではベスト8入り。 ダブルスではと組んで出場しベスト4進出の好成績を収める。 3月、京都市で開催される大会・にワイルドカードで出場。 錦織にとって初のツアー大会であった。 初戦でに敗れるものの初のを獲得する。 翌週のには予選から出場しベスト4入り。 6月にはと組んで出場した男子ジュニアダブルス部門で、日本男子史上初のジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。 なおこの大会では男子ジュニアシングルスでも8強に入っている。 また、前年この大会で優勝しこの年も男子シングルス決勝に進んだ世界ランキング2位のが、決勝前日の練習相手に仮想として錦織を指名し話題を呼んだ。 その翌日の決勝戦当日の朝にもヒッティングパートナーの依頼を受け再び練習相手を務める。 で着実に実績を積んでいき9月にはカリフォルニアの大会でベスト4、10月にはメキシコの大会で予選から出場し決勝で世界ランキング300位の選手を破りいきなり初優勝した。 この優勝によりATPランキングポイント12を獲得した錦織はの予選に出場できるまでにランキングを上げる。 シーズン終盤ではチャレンジャーの2大会で本戦に出場し、本戦初勝利も手に入れた。 2006年シーズン終了時点で世界ランキング603位につけておりこの時点で日本人選手10位につけており、既に日本トップ選手の一人となっていた。 プロでの経歴 [ ] 2007年 プロ転向 [ ] 3月ののダブルスに、主催者推薦で元シングルス世界ランク1位のと組んでツアー初出場。 また、同大会のジュニア部門として開催されているに第4シードで出場し、決勝でを6-7 2 , 6-4, 6-1で破り優勝、またこのマイアミの直前と期間中の約1週間、の練習相手を務めた。 4月にはシングルス予選でツアーシングルス予選初出場。 ここでは予選1回戦でに3-6, 5-7のストレートで敗れた。 5月にはノーシードで出場したシングルスで自身初のチャレンジャー大会決勝進出を果たし準優勝。 予選から出場した7月第2週のシングルスでは予選を勝ち上がり自身初のツアーシングルス本選出場。 ここでは1回戦でと対戦し、3-6, 2-6のストレートで敗れた。 更に翌週シングルスでも予選勝ち上がりで本戦出場を果たし、1回戦でを6-4, 6-3で、2回戦でを6-3, 3-6, 6-1のフルセットで下し、日本人男子史上最年少のツアーシングルスベスト8を決める。 続く準々決勝では世界ランク27位、第3シードのと対戦し、1-6, 4-6のストレートで敗れた。 この活躍により翌7月第4週のではシングルス本戦スペシャル・エグザンプションを与えられ本戦出場。 2回戦の戦まで進出した。 8月にはでグランドスラム予選に初挑戦。 ここでは予選2回戦でに2-6, 4-6のストレートで敗退。 9月のシングルスでも予選を勝ち上がり本戦出場。 1回戦で世界ランク12位で第4シードのに3-6, 4-6のストレートで敗れた。 同月29日に日本に帰国し記者会見を行い、翌10月1日付でのプロ転向を発表し、17歳9ヶ月でプロ転向。 翌10月のでプロデビューを果たすが、この大会はシングルス、と組んだダブルス共に1回戦で敗退した。 2008年 初ATPタイトル [ ] 2008年全米オープンにて 2月17日、錦織はで予選から勝ち上がると、初進出の決勝で世界ランク12位、第1シードのを3-6, 6-1, 6-4で破り、ツアー 初優勝を達成した。 日本人男子選手のATPツアー制覇は、1992年4月に韓国オープンを制覇した以来16年ぶり2人目の快挙となった。 4月に男子国別対抗戦「アジア・オセアニアゾーン」の「グループ1」2回戦で、日本はと対戦し、日本男子のトップに立った錦織が初めて日本代表に選出された。 4月28日、錦織は世界ランキングで99位に浮上し、日本男子としては1996年8月まで2桁順位であった松岡以来の世界ランキング100位以内に入った。 では予選2回戦で敗退するが、前哨戦のでは3回戦まで進出し、世界ランク2位のと対戦、4-6, 6-3, 3-6と負けはしたものの、ナダル相手に1セットを奪う健闘を見せる(試合後、ナダルは「彼は数年後には世界ランク10位、いや5位に食い込んでくるだろう。 で初のグランドスラム本戦ストレートイン(予選免除)を果たす。 との1回戦では、1セット・オールから腹筋の痛みを訴え、途中棄権による敗退となった。 6月末にはが申請していた推薦枠での出場が認められ、オリンピック初出場を決めた。 男子シングルスの日本人出場は、の松岡以来12年ぶりとなる。 オリンピックでは、1回戦でに、4-6, 7-6, 3-6で敗退した。 しかしこのとき、第2セットを一時0-5とされながらもセットを取る、という驚異の粘りを見せた。 のちに錦織はこの試合を「初めてのオリンピックで今までで一番緊張した」と語っている では世界ランク32位、第29シードのを途中インジャリータイムをとりながらも6-2, 6-2, 5-7, 6-2で破り、の以来の日本人4大大会1回戦突破となった。 続く2回戦はを相手に2セット先取の後にカラヌシッチの棄権で突破、日本人では以来の男子シングルスでの3回戦進出となった。 3回戦では世界ランク4位のを相手に6-4, 6-4で2セット先取、その後4-6, 2-6と2セットを挽回されるが、第5セットを7-5で奪い、勝利を挙げた(錦織は、試合後に「自分の体力を考慮し第4セットは捨てた」と語っている)。 日本人では1937年の・以来(当時は全米プロとアマチュア用の全米オープンで分かれていたので完全にオープン化してからは日本人初)の男子シングルスでの4回戦進出となった。 しかしベスト8をかけて戦った4回戦では、の新鋭、19歳のに3-6, 4-6, 3-6とストレートで敗北し、95年の以来となるグランドスラムベスト8入りを逃した。 その後、日本に凱旋した錦織は、に出場、1回戦で世界ランク102位のを 7-6 3 , 6-7 5 , 6-2のフルセットで、2回戦で世界ランク60位のを6-4, 6-4のストレートで破り、今大会2回目の出場にして初めて3回戦に進出。 3回戦ではの世界ランク13位と対戦。 試合後のインタビューで「(相手を)尊敬し過ぎていた」と語るほど 終始相手に圧倒される展開となり、1-6, 2-6と大敗を喫した。 翌週に出場したでは棄権を考えたほどの連戦の疲労から1~2回戦共に不安定な試合運びを余儀なくされたものの、3回戦では対戦相手のが試合前に棄権する幸運にも助けられベスト4に進出。 2009年 怪我 [ ] は1回戦で第31シードに5-7, 2-6, 1-6で敗退したが、大会後に発表された2月2日付のランキングでは自己最高となる56位を記録した。 2008年度の Newcomer of the Year を受賞。 5月、右ひじの疲労骨折が判明し、6月開幕の、8月開幕のと連続して欠場した。 また同8月には右肘の手術を受け、残りのツアーを欠場。 リハビリパートナーを杉山芙沙子(の母)が務めた。 2010年 復帰 [ ] 前年の怪我が長引き年初を棒に振り一時はランキングを失ったが、復帰後は下部大会で好成績を収め順調にランキングを回復。 4大大会では、プロテクトランキングを使用してに繰り上げでストレートインを果たし初出場。 初戦でを2セットダウンからの逆転で下したあと、2回戦でにストレートで敗れた。 全仏後はに出場したが、初戦でに敗れた。 には主催者推薦で出場。 優勝したに初戦でストレート負けした。 その後に予選から出場し2年ぶりの本戦出場を果たし、2回戦で第11シードのを5-7, 7-6, 3-6, 7-6, 6-1で4時間59分の激闘の末破った。 東京で行われた楽天オープンでは初戦でに敗北した。 この年で4回優勝。 2011年 日本人男子歴代最高ランクに [ ] 2011年全豪オープンにて をトラベリング・コーチに迎え、15トーナメントに帯同する。 1月3日にと契約。 から使用。 1月17日からに出場。 初戦で世界ランク58位のを6-1, 6-4, 6-7 4 , 6-4で下し、同大会初勝利をあげた。 続く2回戦で世界ランク36位を6-4, 6-3, 0-6, 6-3で破り、日本男子では46年ぶりの3回戦進出を果たしたが、3回戦で第9シードのに2-6, 4-6, 3-6のストレートで敗れた。 2月に行われたでは第8シードで出場し、1回戦でをストレートで下した。 2月14日付の世界ランキングが発表され68位に浮上。 にも出場し、2回戦で2008年決勝の相手であると対戦し6-3, 6-4のストレートで下した。 準々決勝でに6-7, 6-2, 6-4で勝ち、2008年以来の準決勝進出をしたがに4-6, 4-6で敗れ、決勝進出は逃した。 3月のでは1回戦でに7-6 5 , 6-2 で勝利し、大会の初勝利を挙げた。 2回戦では3度目の対戦となったに4-6, 4-6で敗れた。 4月のでは世界ランク11位のを6-3, 6-2のストレートで、準決勝では第7シードのを6-3, 7-5のストレートで下し決勝進出したが、に4-6, 6-7 3 で惜敗し、準優勝。 ATPツアー2勝目は逃したが、自己最高ランクの48位に浮上した。 では3回戦でに敗れたが世界ランキングを自己最高の47位に浮上し、松岡修造が持つ日本人最高ランクの更新まで2と迫った。 では1回戦で世界ランク56位のを6-1, 6-3, 6-4のストレートで勝利し、2年連続で2回戦へ駒を進めた。 2回戦で第31シードのに1-6, 6-3, 3-6, 6-7 3 で敗れた。 の戦に2年ぶり出場。 初日のシングルスは格下相手に1セットを落とすが勝利。 そして3日目のシングルスもエースのイノヤトフに6-7, 7-5, 6-4, 6-3で勝利し、入れ替え戦進出に大きく貢献した。 入れ替え戦の戦でも招集され、シングルスの2試合に出場してともに勝ち日本のワールドグループ昇格に大きく貢献した。 10月に行われたでは2回戦で世界ランク8位のと対戦し6-7, 6-4, 6-4で勝利。 3回戦では同48位と対戦。 6-4, 6-3で勝利し、初のベスト4に進出。 の持つ日本人最高ランクである46位を超えることが確実となると、10月17日に発表された世界ランキングでは30位にランクアップ、日本人男子選手最高を更新した。 11月のでは、1回戦で世界ランク7位のを、3-6, 6-3, 6-2の逆転で下し、先の上海マスターズに続き世界トップ10選手に再び勝利。 さらに準決勝では同1位のを2-6, 7-6 4 , 6-0で破る大金星を挙げ、ATPツアー3度目となる決勝進出。 日本の男子選手がシングルスで世界ランキング1位の選手に勝利したのは史上初である。 決勝では地元スイスの英雄にして、兼ねてより熱望していたとの対戦が実現するも、1-6, 3-6で敗れ、準優勝となる。 11月に2008年4月から所属契約を結んでいたとの契約が終了した。 2012年 4大大会ベスト8 2つ目のタイトル [ ] ソニー・エリクソン・オープンにて 年度最初のでは2回戦で敗れたが、では現行ランキング制度導入の1973年以降の4大大会で、日本人男子シングルス選手として初めて上位32名に与えられるを得て、第24シードとして大会に挑むこととなった。 前哨戦では世界ランク6位のと同16位のといった強豪相手に勝利。 本大会では2回戦で地元オーストラリアの同94位のを3-6, 1-6, 6-4, 6-1, 6-1のフルセットで破った。 2セットダウンからの大逆転であった。 3回戦では同39位のに4-6, 7-6, 7-6, 6-3で勝利、続く4回戦でツォンガを2-6, 6-2, 6-1, 3-6, 6-3のフルセットで破り、 ベスト8に進出した。 全豪で日本男子がベスト8入りしたのは、、以来80年ぶり、4大大会での日本男子のベスト8入りは、の松岡修造のベスト8以来17年ぶりである。 このベスト8入りはオーストラリアの地元紙のトップで報じられた。 準々決勝では世界ランク4位のに、3-6, 3-6, 1-6のストレートで敗れ、ベスト4入りは逃した。 1回戦の戦では世界ランク43位のや同55位のと対戦。 ドディグには7-5, 7-6, 6-3のストレートで勝利をしたが、カロビッチには身長208cmから繰り出されるサーブに苦しみ、4-6, 4-6, 3-6のストレートで敗れた。 なお、日本はクロアチアに2-3で敗戦。 では一回戦負けであったが、では日本男子初のベスト16入りを果たした。 しかし、4回戦で世界ランク2位のに4-6, 4-6で敗れた。 では準々決勝まで進出。 世界ランク20位のとの対戦中、腹筋を痛め途中棄権。 回復に1ヶ月ほどかかると診断され、その後のの欠場を余儀なくされた。 その後エキシビションマッチで復帰。 やとの対戦で手応えを掴んだ後、に第19シードとして出場。 1、2回戦ともにストレートで勝利し、以来17年ぶりに日本人として3回戦に進出するも、世界ランク9位のに3-6, 6-7, 1-6のストレートで敗れた。 アトランタ選手権では3回戦でとの日本人対決が実現し、2-6, 1-6で敗れた。 ロンドン五輪にて 第15シードとして挑んだ1回戦でを7-6, 7-6で下して、日本の男子シングルス選手としてはベスト8の以来88年ぶりとなるオリンピックでの勝利をあげた。 2回戦ではに4-6, 6-4, 6-1で勝利し、3回戦では世界ランク5位のに対し6-0, 3-6, 6-4で勝利しベスト8に進出。 準々決勝では先月のウィンブルドン選手権の3回戦で対戦した同9位のに4-6, 6-7のストレートでまたしても敗退した。 では第17シードとして出場。 1,2回戦ともにストレートで快勝したが、3回戦で世界ランク13位のに3-6, 4-6, 7-6, 3-6で敗れた。 ・ワールドグループ・プレーオフの戦ではシングルス2試合に出場予定であったが、初日は肩の痛みを訴え欠場。 最終日には復活し、世界ランク98位のと対戦。 途中左脹脛が痙攣しつつも、6-3, 3-6, 4-6, 6-4, 7-5のフルセットで勝利した。 この錦織の勝利で両チーム2勝2敗となったが、最後に添田豪が敗れ、日本はイスラエルに2-3で敗戦。 日本はワールドグループからアジア・オセアニアゾーン1部に降格した。 では、1回戦ではを4-6, 6-2, 6-3で、準々決勝で世界ランク6位のをストレートで下し、決勝で同15位のを7-6, 3-6, 6-0で破り、ツアー2勝目を飾った。 ツアー優勝は2008年以来4年ぶりで、この優勝により大会後のランキングで自己最高の15位を記録した。 2012年最後の出場大会となったではとの3回戦を右足首痛のため棄権した。 2013年 3つ目のタイトル [ ] 、1回戦(マシュー・エブデンとの対戦) に第5シードで出場し単複ベスト4初進出。 日本男子で同時に単複ベスト4に進んだのは、1974年フィリピン選手権の九鬼潤以来。 シングルス準決勝の戦で左膝を悪化、4-6, 0-2時点で途中棄権。 同じくと組んでいたダブルス準決勝も棄権。 では日本人初の2年連続ベスト16に進出。 しかし、4回戦で世界ランキング5位のに2-6, 1-6, 4-6で完敗。 2月に開催されたでは、準々決勝で昨年ので敗れた第1シードのに勝利し、決勝でを6-2, 6-3で下し全試合ストレート勝ちでツアー3勝目を挙げた。 その後のでは1回戦で棄権。 、はそれぞれ3回戦と4回戦で敗退した。 欧州クレーコートシーズンでは、5月初旬に開催された3回戦で、第2シードで前年度チャンピオンのを6-4, 1-6, 6-2で破る大金星を挙げ、では2011年以来2年ぶりのベスト8進出を果たす。 では日本人選手として75年ぶりにベスト16に進出するも、4回戦で第3シードのに4-6, 1-6, 3-6のストレートで敗退。 前年欠場していた全仏オープンで4回戦進出しポイントを獲得したため、大会後のランキングでは8ヶ月ぶりに自己最高ランクを更新し13位に上昇。 翌週開催のに第4シードで出場するも、初戦で準優勝者に惜敗。 しかし、昨年度の優勝者が準決勝で敗退するなどして、シングルス自己最高ランキングを2週連続で更新し11位に浮上した。 では3回戦でのとのフルセットの試合の末敗れた。 では1回戦でにストレート負けを喫した。 前年優勝のでは準々決勝でに敗れた。 12月、コーチ陣にを迎えると発表。 2014年 グランドスラム準優勝 マスターズ1000準優勝 世界ランキング5位 ATPファイナルズベスト4 [ ] では、、を破り3年連続の16強入り。 4回戦では第1シードのと対戦してストレート負けであったが、スコアは6-7, 5-7, 6-7と3セットとも接戦を演じた。 2月、と対戦したの1回戦ではシングルスで2勝、ダブルス(とペア)で1勝して、日本初の準々決勝進出に貢献した。 では、を破って優勝し、前年からの2連覇を達成し、ツアー通算4勝目。 3月、に出場。 3回戦で、4回戦でといった世界ランキング上位者に勝利。 準々決勝ではと対戦し、3-6, 7-5, 6-4で2度目の勝利を挙げ、マイアミ初・では2011年以来3年ぶりのベスト4進出。 準決勝ではと対戦する予定であったが、左股関節の痛みにより棄権している。 4月、に出場。 決勝でと対戦し、6-2, 6-2で今大会初、ツアー通算5勝目、今季2度目の優勝を果たした。 同大会のシングルスは、2003年から2013年まで、開催国のスペインの選手が優勝し続けていた。 5月、に出場。 準々決勝でに6-4, 6-4で勝利し、念願の世界ランキングトップ10入りを果たした。 準決勝ではに7-6, 5-7, 6-3で勝利し、日本人初のマスターズ決勝に進出。 決勝では第1シードのと対戦し第1セットを奪うも、第2セット途中で負傷し6-2, 4-6, 0-3(途中棄権)で敗れる。 ナダル戦初勝利、マスターズ初優勝、初の2大会連続優勝の3つを同時に達成するという快挙はならなかった。 大会後のランキングで自己最高位を更新し、アジア出身男子最高位に並ぶ9位となった。 ランキングを10位に落とし第9シードとして出場したでは、マドリード・マスターズで負った怪我の影響もあり、1回戦でに6-7 4 , 1-6, 2-6で敗退した。 6月、に出場。 今大会初の準決勝に進出し、と対決する。 錦織はフェデラーに2度のブレークを許し、3-6, 6-7 4 のストレートで敗れ、フェデラーとの対戦結果を2勝2敗とした。 2014年ウィンブルドン選手にて 第10シードとして出場したでは、3回戦でと対戦。 第5セットを3-3にしたところで日没順延となり、翌週の月曜日に再開された試合で第10ゲームをブレークして自身初となるウィンブルドンでの3回戦突破を決めた。 しかし続く4回戦で第8シードのに6-4, 1-6, 6-7, 3-6で敗れ、以来19年ぶりのベスト8とはならなかった。 7月29日よりの前哨戦であるに第4シードで出場。 初戦の2回戦で世界ランク63位のと対戦し6-4, 5-7, 6-4で勝利をおさめた。 3回戦の戦も6-2, 2-6, 6-3で勝利してベスト8に進出したが、大会初のベスト4をかけた準々決勝では第6シードで世界ランク14位のに1-6, 4-6で敗れ、またもガスケに対し初勝利とならなかった。 シティ・オープン終了後、右足親指の故障のため、同じく全米前哨戦のロジャーズ・カップとウエスタン・アンド・サザン・オープンを欠場して親指の嚢胞手術をし治療に専念した。 治療明けで出場したでは、1回戦でに6-2, 6-4, 6-2で勝利、2回戦でに6-4, 6-1(第3セットは相手が棄権)で勝利した時点で4大大会通算33勝となり、が持っていた日本人男子記録を更新した。 3回戦は第23シードのに6-4, 6-2, 6-3でストレート勝ちし、初出場であった2008年大会以来6年ぶり2度目のベスト16進出が決定。 4回戦では第5シードのを4-6, 7-6 4 , 6-7 6 , 7-5, 6-4のフルセットの末に下し、全米オープンでは自身初、日本人男子選手ではの以来92年ぶりのベスト8進出を決めた。 ナイトセッションで行われたこの試合の試合時間は4時間19分に渡り、終了時刻は全米オープン史上最も遅い午前2時26分であった。 準々決勝も試合時間4時間15分の2試合連続フルセットの末に第3シードのを3-6, 7-5, 7-6 7 , 6-7 5 , 6-4で下し、4大大会では自身初、日本人男子選手としてはの以来96年ぶり、4大大会でもの以来81年ぶりとなるベスト4進出を決めた。 準決勝では世界ランク1位のを相手に、6-4, 1-6, 7-6 4 , 6-3で勝利し、シングルスでは男女通じて日本人初、男子に限ればアジア出身選手初の 決勝進出を果たす。 (なお、アジア系外国人という解釈まで広げれば、冒頭の記載の通り、台湾系米国人のが、グランドスラムの優勝(史上最年少)、準優勝、準優勝と、グランドスラムのうち3大会での初の決勝進出と、うちの優勝を果たしている)。 その決勝は第14シードのと対戦したが3-6, 3-6, 3-6のストレートで敗退。 優勝は逃したものの、自身が同年5月に記録したアジア出身男子選手の世界ランク最高位記録9位を超え8位以上となることが確定した。 全米オープン後、初のツアー大会となったでは第1シードで出場。 順当に決勝まで勝ち進み、決勝では第4シードの相手に7-6 4 , 6-4で勝利、大会初優勝またシーズン3勝目、ツアー通算6勝目を達成し、翌週に発表されたランキングでは自己最高位を更新する7位に浮上した。 そして、初の2週連続優勝がかかった母国開催のでは初戦からシード勢が次々と敗退していくなか、第4シードの錦織は1セットも落とさず準決勝に進出。 その準決勝ではに4-6, 6-0, 7-6 2 で勝利し決勝に進出。 決勝では第3シードのと今季4度目の対戦。 7-6 5 , 4-6, 6-4で勝って2年ぶり2度目の優勝を果たした。 これによりから2週連続の大会制覇となり日本男女を含めても初の快挙となり10月6日発表の自己の世界ランキングを再び更新する6位となった。 10月、の怪我と連日の疲れからも欠場し、迎えた準々決勝では第4シードのと対戦し、3-6, 7-6 5 , 6-4で勝利して大会初のベスト4進出。 そして、2014年ATPレース・ランキングにおいて、準優勝、準優勝とベスト4が2回、優勝2回に優勝2回など合計4625ポイント獲得し、世界第5位の成績で アジア出身男子初の出場が決まった。 11月のはが欠場したため第4シードで出場。 ラウンドロビンB組第1戦では、過去の対戦で1度も勝利がなかったに6-4, 6-4で初勝利。 第2戦ではに3-6, 2-6で敗れたものの、(第8シードのの棄権による代替出場)に4-6, 6-4, 6-1で勝利し、B組2位で準決勝に進出。 準決勝ではA組を3戦全勝で1位通過した世界ランキング1位と対戦。 この大会全試合ストレート勝ちしていたから1セットをとり健闘したが、1-6, 6-3, 0-6で敗れファイナルズ初出場での決勝進出とはならなかった。 の年間最終ランキングは、、、に次ぐ自己最高の 5位。 この結果、シーズン通算54勝14敗(勝率. 794)で年内の世界ランキング5位が確定。 2014年の獲得賞金額は443万9218ドルで世界6位となる。 また、2014年シーズンのセカンドサーブリターンポイント獲得率53%、リターンゲーム勝率28%がツアー6位にランクインされた。 2015年 世界ランキング4位 アジア人初の生涯獲得賞金1,000万ドル突破 [ ] 2015年全豪オープンにて 1月、ではとダブルスに出場し、ダブルスでは初の決勝進出を果たした。 結果は準優勝 第2シードで出場したシングルスではベスト4に進出。 は第5シードで臨み、、、、を倒し全豪では3年ぶり2度目、4大大会では3度目のベスト8に進出。 落としたセットを2つに抑えた好調な試合を続けていたが、昨年全豪覇者のに3-6, 4-6, 6-7 6 でストレート負けを喫し、自身初の全豪オープンベスト4入りはならなかった。 2月、では決勝までの全ての試合を逆転勝ちしたが、決勝ではを6-4, 6-4のストレートで下して自身初 大会としても初めて の3連覇を果たした。 では1回戦でに勝利し、ATPツアー通算200勝を挙げた。 準決勝では世界ランク15位で第4シードのに勝利し決勝進出。 この時点で3月2日発表の世界ランキングで自己最高の 4位になることが確定した。 決勝戦では大会前から発症していたインフルエンザの影響もあり第2シードのに3-6, 5-7のストレートで負け、フェレールへの連勝記録も5で止まる形になってしまった。 3月、戦はシングルス2試合に出場し、に勝利するも、日本チームは2勝3敗で敗退した。 3月18日、では自己大会記録の4回戦に進出するもに敗れた。 3月24日から始まるではが欠場のためでは自身初となる第4シードでの出場となった。 準々決勝まで進出するもに敗れた。 4月、前回優勝したでは第1シードで出場。 決勝でに勝利し2連覇。 また、ATPツアー優勝9回はを抜き日本人最多記録。 5月、前回準優勝のではらを破りベスト4に進出するもに敗れた。 では初の準々決勝に進出するが第1シードに3-6, 6-3, 1-6で敗れた。 2015年全仏オープンにて は第5シードで出場。 4回戦でに勝利し、全仏男子シングルスで日本人としてはの以来82年ぶりの準々決勝進出を果たした。 準々決勝では第4シードのを倒して勝ち上がってきた第14シードのに1-6, 4-6, 6-4, 6-3, 3-6の4時間に及ぶフルセットで敗れ、自身初の全仏ベスト4とはならなかった。 6月10日、が発表する「世界で最も稼ぐスポーツ選手」2015年版ランキングで92位にランクインした(1950万ドル, 約23億円)。 日本人では(58位)に次ぐ2位。 6月22日、獲得賞金ランキングが発表され1,914,692ドル(約2億3千万円)で前回と同じく7位となった。 全仏オープン後の初戦となったではに次ぐ第2シードとして出場。 準々決勝での戦でフルセットの末勝ち上がりはしたものの、左ふくらはぎの筋膜炎を試合後に発症させ、準決勝での戦で第1セット1-4となったところで棄権を申し入れた。 そして、体調を不安視されて迎えたでは日本男子、そして自身最高位の第5シードで出場し、初戦のを3時間超のフルセットで下した。 この勝利により、の持つウィンブルドン選手権での通算7勝を更新して日本人歴代最多記録とし、同時に生涯獲得賞金としてもアジア選手初の1,000万ドル 約12億円 突破を果たした。 同大会2回戦はとの対戦であったが、負傷箇所が悪化して棄権を申し入れた。 なお、アジアの国出身ではないものの、アジア系外国人の選手の間では、アジア系(台湾系)米国人のが、初の生涯獲得賞金1,000万ドル突破を果たした。 怪我明けのでは第2シードとして出場、準決勝での決勝で敗れたに3-6, 6—1, 6-4で勝利し、雪辱を果たした。 また決勝では、同年の準々決勝で敗れたに4-6, 6-4, 6-4で勝利し、雪辱を果たし、シティ・オープン初優勝を飾った。 この勝利により8月10日発表の世界ランキングで自己最高タイの4位に復帰した。 では第4シードで出場し、準々決勝で過去0勝7敗のに6-2, 6-4のストレートで初勝利を飾る。 しかし準決勝でには連戦の疲労蓄積で左臀部を痛めた影響もあり3-6, 0-6で敗れ、そのため翌週のはを見越し体力回復を努めるため欠場した。 そのウエスタン・アンド・サザン・オープンでがに敗れたため、全米オープンでグランドスラムでは日本人初となる 第4シードが確定した。 しかしながら自身も好調と語り臨んだでは、初戦でに対して、2度のマッチポイントを握りながらも4-6, 6-3, 6-4, 6-7 6 , 4-6とまさかの敗戦。 前年度に準優勝した大会で、初日に初戦敗退という結果となってしまった。 9月、の戦に自身初の最年長として選出された。 18日のシングルス第2戦ではに7-6, 7-6, 7-5で勝利。 19日に行われたダブルスを落として後がなくなった日本であったが、20日のシングルスで錦織とが勝利してワールドグループ残留を果たした。 連覇を目指したでは準決勝に進出するも、再びに敗れた。 では3回戦でに敗れた。 は肩の怪我のため欠場したが、同大会でレースランキング9位のがに敗れ、ポイントで錦織を上回れなくなったため、2年連続の出場が決まった。 翌週のでは3回戦で過去5戦全敗のと対戦。 6-7 3 , 1-4の第2セット第6ゲーム途中で棄権。 対ガスケ初勝利はまたしてもならなかった。 11月、2年連続出場のでは、初戦でに1-6, 1-6で完敗した。 第2戦ではに7-5, 3-6, 6-3で2時間23分の激戦を制した。 最終戦ではから第2セットで1-4から5ゲーム連取して第2セットを取るなど、2時間10分の大接戦を繰り広げるも5-7, 6-4, 4-6で敗れ、準決勝進出はならず今シーズンが終了した。 年間最終ランキングは8位。 シーズン終了後にATPの公式サイトで行われた投票によって、8月のロジャース・カップ3回戦の戦でのゴファンの頭上を抜いた股抜きロブが2015年のベストプレーに選出された。 2016年 リオデジャネイロ五輪銅メダル獲得、全米オープンベスト4、年間勝利数世界3位 [ ] ウィキニュースに関連記事があります。 2016年8月15日 年初のでは単複両方に出場。 シングルスでは第2シードで出場し、準々決勝でに3-6, 6-1, 3-6で敗れた。 タブルスでは同大会で3年ぶりにと組んで参戦。 には第7シードで出場。 4回戦でに6-4, 6-2, 6-4で初めてのストレート勝ちで快勝し2年連続の準々決勝進出。 この試合で全豪通算20勝目をあげ、日本人男女通じて最多となった。 準々決勝ではに3-6, 2-6, 4-6で敗れた。 2月のでは決勝で18歳の若手のを6-4, 6-4で破り大会初の4連覇を達成。 2週間後のでは2回戦でに4-6, 3-6で敗れた。 では1回戦で前年優勝国のと対戦。 第2戦でに6-3, 7-5, 7-6 3 で勝利。 第4戦ではと対戦し、第1,2セットを連取されるも、第3,4セットを取り返しフルセットへ持ち込んだ。 しかし、第5セットを取られ、5-7, 6-7 6 , 6-3, 6-4, 3-6の4時間54分で敗れた。 3月のでは4回戦で地元のを1-6, 7-6 2 , 7-6 5 で破り、初の準々決勝進出。 準々決勝でと対戦し、4-6, 3-6で敗れた。 続くでは準々決勝でに5度のマッチポイントを握られながら、4-6, 6-3, 7-6 3 の接戦を制し、2年ぶりのベスト4進出。 準決勝でに6-3, 7-5で勝利し、自身2度目のマスターズ決勝に進出。 決勝でと対戦し3-6, 3-6で敗れ、マスターズ初優勝はならなかった。 4月のでは準決勝で、で連敗していたに6-3, 6-2で勝利し、3年連続の決勝進出を果たす。 決勝ではに4-6, 5-7で敗れ、3連覇はならなかった。 5月のでは過去6戦全敗のに苦戦しながらも6-4, 7-5で初勝利を挙げ、同大会4年連続のベスト8入りを果たす。 準々決勝ではとの6-7 6 , 7-6 1 , 6-3の2時間38分の激戦に勝利し、3年連続のベスト4進出を果たす。 準決勝でに3-6, 6-7 4 で敗れた。 翌週のでは3回戦で再びに6-1, 6-4で連勝すると、準々決勝でに6-3, 7-5で勝利し、イタリア国際では初めてベスト4進出を果たす。 準決勝でから1年ぶりにセットを取るも、6-2, 4-6, 6-7 5 で惜敗した。 では3回戦でに6-3, 6-4, 3-6, 2-6, 6-4のフルセットで勝利したが、4回戦でに4-6, 2-6, 6-4, 4-6で敗れ、ベスト8を逃した。 にて 6月、芝シーズンに入ってのでは初戦に勝利するも2回戦は脇腹の痛みのため試合前に棄権した。 翌週エキジビジョンでに6-2, 6-1で勝利。 では1回戦で脇腹についてメディカル・タイムアウトを取るも、その後は順調に勝ち上がり、2年ぶりに4回戦進出。 4回戦ではと対戦したが、脇腹の痛みが悪化し第2セット途中で棄権した。 7月、怪我明けのでは、準決勝でを7-6 6 , 6-1で破り、当シーズン2度目のマスターズの決勝進出を果たした。 決勝ではに3-6, 5-7で敗れた。 8月、ではでロンドンオリンピックに続きベスト8入りすると、準々決勝でとの2時間53分の死闘を7-6 4 , 4-6, 7-6 6 で制しベスト4に進出。 続く準決勝ではに1-6, 4-6で敗れたものの、3位決定戦でと対戦し、フルセットの末6-2, 6-7 1 , 6-3で制して を獲得した。 オリンピックテニス競技での日本人によるメダルは、1920年のでがを単・複で2つ(ダブルスはと)獲得して以来、実に96年ぶりの快挙となる。 翌週のでは3回戦でに6-7 1 , 6-7 5 で敗れた。 とでの成績によって、で85ポイント獲得し、初優勝を果たした。 9月、では2年ぶりにベスト8に進出。 準々決勝ではと3時間57分の激戦の末、1-6, 6-4, 4-6, 6-1, 7-5で勝利し、グランドスラムで2年ぶりのベスト4進出を果たす。 準決勝ではに6-4, 5-7, 4-6, 2-6で敗れ、決勝進出はならなかった。 大会後のランキングで1年ぶりに5位に復帰する。 の戦では第3試合のダブルスにと組んで出場。 10月のでは2回戦で臀部の負傷で棄権し、翌週のも欠場した。 なお、同月には3年連続のへの出場決定。 で復帰すると、準々決勝で過去4戦全敗のに7-5, 6-4で初勝利を挙げた。 その後決勝に進出するもに1-6, 6-7 5 で敗れ、準優勝となったが世界ランキングで自己最高の4位に復帰を果たした。 では2回戦でに勝利しツアー通算300勝を達成。 3回戦でに2度のマッチポイントを握るも、6-0, 3-6, 6-7 3 で惜敗した。 3度目の出場となるには第5シードで出場。 初戦はに6-2, 6-3で快勝。 2戦目の戦では7-6, 4-6, 4-6の3時間20分の接戦の末敗れた。 第3戦を前に準決勝進出が確定。 第3戦ではに6-3, 2-6, 3-6で敗れた。 2年ぶりの準決勝ではジョコビッチに1-6, 1-6で敗れた。 年間最終ランキングは5位。 また、年間勝利数においてはの69勝、ジョコビッチの63勝に次ぐ、3位の58勝という位置につけて同シーズンを終えた。 2017年 不調と怪我・トップ10陥落・ツアーからの離脱 [ ] 年初のでは単複両方に出場した。 シングルスでは準決勝でを7-6 3 , 6-3で破り決勝に進出。 決勝ではに2-6, 6-2, 3-6で敗れ、準優勝となった。 には第5シードで出場。 4回戦でとで初めて対戦。 フルセットの末7-6 4 , 4-6, 1-6, 6-4, 3-6で敗れた。 では決勝でに6-7 4 , 4-6で敗れ準優勝。 翌週のでは初戦で世界ランキング76位のに4-6, 3-6のストレートで敗れた。 第2シードとして出場したではに、ではにどちらも準々決勝で敗れベスト8で終わった。 では3回戦でに勝利。 しかし次の戦を前に手首の痛みを理由に棄権した。 では2回戦でまたもフェレールを破るが、3回戦でに6-7, 3-6で敗退した。 では3回戦でとの第4セットの途中で雨で試合中断となり次の日に持ち越しとなった。 この試合はフルセットで勝利している。 続く4回戦はに第1セットを0-6で奪われるもののその後逆転、最終ゲームは6-0で勝利した。 2年ぶりの準々決勝では世界ランキング1位のに6-2, 1-6, 6-7, 1-6で敗れてベスト8敗退となった。 の前哨戦にあたるでは2回戦で腰に違和感を訴えて途中棄権し体調が心配されたが、ウィンブルドン選手権では1回戦をストレート勝ちした。 しかし、3回戦で対戦成績5戦5勝のに4-6, 7-6, 6-3, 3-6で敗れ、2年連続の4回戦進出はならなかった。 では2回戦でデルポトロに6-4, 7-5で2度目の勝利、リベンジを果たす。 しかし準決勝では第5シードの若手に初めての敗退を喫した。 では2回戦でこれまで全勝のに敗退。 この試合は後にATPが2017年の大逆転勝利ベスト5マッチの第2位として選定した。 その後再び手首の痛みを訴え、を欠場。 検査の結果尺側手根伸筋腱の部分断裂と診断され、を含めた今後の2017年シーズン全休を発表。 これはジョコビッチ、ワウリンカに次ぎTOP10のうち3人目の全休発表であった。 年最終ランキングは22位に後退。 2018年 4度目のマスターズ1000準優勝 ウィンブルドンベスト8、全米ベスト4 トップ10復帰 [ ] 前年からの怪我の影響でエントリーしていた、の欠場を発表。 更に1月4日、について、公式アプリで「リハビリは順調だが、5セットマッチを戦い抜く準備はまだ100%はできていない」とのコメントを発表し、欠場の意向を明らかにした。 1月23日、のニューポートビーチで第1シードとして出場し復帰戦に挑む。 しかし1回戦で世界ランキング238位のにフルセットの末敗退し、黒星での復帰戦となった。 翌週、再びチャレンジャーツアーのRBCテニスチャンピオンシップス・オブ・ダラスに出場し1回戦でノビコフに対しストレート勝利でリベンジに成功。 決勝では、との初対戦をストレートで制し7年ぶりのATPチャレンジャーツアー優勝となった。 2月、で第5シードとしてATPツアーに半年ぶりの復帰。 ベスト4に入ったものの準決勝で第1シードのに1-6, 6-3, 6-7で敗れた。 では初戦でとの初対戦に敗れた。 では初戦の前に風邪による棄権を発表した。 では第5シードとの3回戦にストレートで敗退した。 2018年「」準優勝 6年ぶりのではノーシードでの出場となったが、1回戦で第12シード・世界ランキング18位に勝利し1年3ヶ月ぶりの対トップ20勝利を成し遂げ、そのまま準々決勝に進出。 準々決勝では第2シード、準決勝では第3シードといった強豪をフルセットで倒し、2016年以来となるマスターズ1000決勝進出。 決勝では第1シードに3-6, 2-6で敗れたが、復活を印象付ける大会となった。 しかしでは初戦でと対戦し敗北、対ジョコビッチ11連敗を喫することとなった。 では2回戦で第3シードのをフルセットの末破ったが、準々決勝でまたしてもジョコビッチに敗れた。 では2回戦でに先に2セットを奪われるも、フルセットで勝利。 3回戦でに6-3, 6-1, 6-3で完勝した。 4回戦で第7シードのに2-6, 0-6, 7-5, 4-6で敗れた。 では、第24シードで出場し、3回戦で第15シードにストレートで圧勝。 さらに4回戦で元世界10位のを4-6, 7-6 5 , 7-6 10 , 6-1で破り、自身初のウィンブルドンベスト8、これで全ての四大大会でのベスト8を達成。 しかし準々決勝ではジョコビッチに3-6, 6-3, 2-6, 2-6で敗れた。 では準々決勝でA・ズベレフに敗れた。 では初戦でにペースを崩され敗れ、続くでは復帰して間もない元世界3位のに敗れた。 それでも2年ぶりとなるでは、準々決勝で第7シードのを2-6, 6-4, 7-6 5 , 4-6, 6-4のフルセットで破りベスト4入りした。 準決勝ではジョコビッチに3-6, 4-6, 2-6で敗れた。 その後は第1シードでに出場。 準決勝で予選から勝ち上がってきたドイツのに6-2, 4-6, 5-7で敗れた。 2年ぶりの出場となった楽天ジャパンオープンの準々決勝では世界ランキング15位のとの初対戦となったが、6-3, 6-3のストレートで勝利。 準決勝はハードコートでは全敗であったガスケに7-6 2 , 6-1とこちらもストレート勝ちして、1セットも落とさずに決勝へ進出したが、決勝ではに2-6, 4-6で敗れ、2016年以来となるATPツアーの優勝はならなかった。 続くでは準々決勝へ進出。 準々決勝で大会連覇を狙う世界ランキング2位ロジャー・フェデラーとの対戦になったが、4-6, 6-7 4 で敗れ、2011年以来の上海でのベスト4入りはならなかった またこの試合で、錦織の全仏オープンから続いていたタイブレークでの連勝が12で止まった。 では準々決勝で第1シード・世界ランク7位のティームに6-3, 6-1で圧勝するなど好調な勝ち上がりで決勝に進出するが第2シードのアンダーソンに敗れ準優勝となった。 ではアンダーソンをストレートで下しベスト8に入り、翌週の世界ランク9位を決定させ、 1年以上ぶりのトップ10に復帰した。 さらに、デルポトロの怪我による棄権で、繰り上げでに4度目の出場を決めた。 しかしこの大会では不調が続き、初戦でから4年半ぶりの勝利を掴んだものの第二戦、第三戦はそれぞれアンダーソン、ティームに完敗し、準決勝進出はならなかった。 年間最終ランキングは9位。 12月には、エキシビションマッチであるハワイ・オープンに出場し、とを破って優勝した。 2019年 3年ぶりのタイトル獲得 全豪・全仏・ウィンブルドンベスト8 [ ] 1月のでは、第2シードとして出場し、決勝で第4シードのに6-4, 3-6, 6-2で勝利し、2016年の以来3年ぶりにATPツアーでタイトルを掴んだ。 では、2回戦戦、4回戦戦と2度、今大会から導入された最終セットの10点先取のを制し、3年ぶり4度目のベスト8進出を果たした。 4回戦の試合時間5時間5分は自己最長であり、今大会の最長試合となった。 準々決勝ではに対して第2セット途中棄権で敗退となった。 翌週、世界ランクは7位まで上昇。 2月、初参戦となったでは準決勝まで進出したが、準決勝ではに2-6, 6-4, 4-6のフルセットで敗れた。 しかし、翌週発表の世界ランクはを抜き6位に浮上。 続いてこちらも初参戦となったでは、2回戦でに、5-7, 7-5, 2-6のフルセットで敗れた。 3月、でも3回戦で再びフルカチュに6-4, 4-6, 3-6で敗退。 その後出場したは2回戦でに6-2, 2-6, 3-6で敗れた。 4月、昨年準優勝のでも初戦でエルベール相手に初戦敗退。 ここまで4大会連続早期敗退となった錦織だったが、過去2度の優勝を誇るでは、5大会ぶりに準決勝へ駒を進めた。 準決勝では、に4-6, 6-3, 5-7のフルセットで敗れた。 5月、では3回戦でに3-6, 6-7 3 で敗戦。 続くでは、準々決勝でに2-6, 4-6で敗戦。 では、3回戦戦を4時間26分の6-4, 6-7, 6-3, 4-6, 8-6、4回戦戦では、前の試合が長引いたことも影響し2日がかりの試合となったが、これを6-2, 6-7, 6-2, ここでサスペンデッド , 6-7, 7-5で勝利し、グランドスラムでは去年のから4大会連続のベスト8進出となった。 しかし準々決勝ではに1-6, 1-6, 3-6で敗退。 自身初の全仏ベスト4はならなかった。 6月、全仏オープンが終了し芝シーズンに突入するも、出場を予定していたを右上腕部の痛みを理由に欠場した。 前哨戦となったエキシビジョンのアスポール・テニス・クラシックでを7-5, 7-6 4 で破った。 7月、では3回戦でに勝利しツアー通算400勝を達成。 4回戦の戦で今大会初めてセットを失うものの、6-3, 3-6, 6-3, 6-4で勝利。 ウィンブルドンで2年連続のベスト8進出でありグランドスラム5大会連続ベスト8以上という快挙を成し遂げた。 準々決勝では芝の王者へ挑み、1セットを奪う健闘を見せるも6-4, 1-6, 4-6, 4-6で敗退しウィンブルドン初のベスト4はならなかった。 月末の出場を予定していたは欠場の判断をした。 の戦以降常にテーピングをしていた右上腕部の大事をとってのためだった。 8月、を第5シードで迎えたが、初戦となった2回戦で天敵であるに7-6 6 , 2-6, 6-7 4 で敗れ、この大会は3年連続初戦敗退となった。 さらに続くでも初戦の2回戦で、との日本人対決に6-7 2 , 4-6で敗退。 大本番となる全米オープンを、前哨戦で勝利を挙げられずに挑むことになった。 では鬼門の奇数年で、自身初めて勝利を挙げたものの 、3回戦で20歳の新星との初対戦で2-6, 4-6, 6-2, 3-6と苦杯を喫した。 これでシンシナティに続いて、初対戦で対TOP10初勝利を献上する形となった。 9月、右上腕の違和感を取り除くため、を含むアジアシーズンの欠場を発表。 また、10月には約9年続いたダンテ・ボッティーニとのコーチ関係を解消。 さらに右肘の手術を受けることを発表し、2019年の残りシーズンを全休することになった。 10月28日発表の最新ランキングでは11位に後退し、約1年ぶりにTOP10から陥落した。 年間最終ランキングでは13位まで後退。 術後はリハビリを経て11月に初めてラケットを握った様子を公開、そしてその月末に新コーチとしてを迎えることを発表した。 プレースタイル [ ] 世界屈指と言われるリターン、足の速さ、スイングスピードを持つオフェンシブ・ベースライナー。 最終セットの勝率に関しては、2014年は87. 5%(21勝3敗、うち5セットでは4勝0敗)、キャリアを通しても79. 8%で、歴代選手トップの記録を誇る。 バリエーション豊かなショットと相手との間合いを詰めた速い返球で、相手の考える時間、予備動作の時間、スイングの準備時間をどんどん奪っていく。 ストロークを重ねるごとに有利な形を作り出し、後手に回った相手を精神的に追い詰めていく。 ライジングなどの早いタイミングのショットを多用する速攻、様子の探り合いを省略したスピード決戦で浅いボールを見逃さず前に出て打ち込んでいく。 また、ほとんどベースラインから下がらず、多くのボールを早いタイミングで処理することで、自分の守備エリアを狭めると同時に相手の時間を奪い、攻撃的にプレーしている。 フットワークと予測力を活かしたコートカバーリングにも優れており、遠くのボールに追いつき、カウンターショットを決めることができる。 正確で多彩なバックハンドショットも大きな武器となっている。 2014年『ニューヨークタイムズ』誌に掲載された「識者たちが選ぶショット別ベストプレイヤー」では、「ベスト・ダブルバックハンド」部門で4位に食い込んだ。 新たなウイニングショットとも言える、バックスピンをかけたドロップショットも武器。 サービスリターンではベースライン上から鋭く一歩前に踏み出し、強烈なダウンザラインでリターンエースやウィナーを奪う。 他の選手と比べ、身長が低い弱点を補うため、フォアハンドでチャンスボールをジャンプして打つ強打を得意としている。 このショットは「エア・ケイ」と呼ばれ、錦織の代名詞となっている。 2014年の全米では4時間以上のフルセットマッチを2度続けて戦うなど体力面も進化している。 長年サービスの迫力不足を指摘されてきたが、2015年に入ってスピードが出やすいラケットを採用、フォームも指導のもと改良した。 ライバル [ ] ミロシュ・ラオニッチ [ ] 錦織とはしばしばライバル関係にあるとされる。 によると、錦織は「判断力とスピード」を強みとし、ラオニッチは「体格とサーブ」を強みとしており 、タイプや得意なサーフェスはまるで異なる。 しかし同じ2008年にプロ転向し、どちらもそれぞれの国で初めてトップ10にランクインした。 グランドスラムとマスターズの最高成績はともに準優勝である。 対戦成績は錦織が5勝2敗とリードしているものの、7試合中5試合でフルセットまでもつれており 、プレイした25セットのうち、10セットはタイブレークに突入している。 2014年の4回戦は、試合時間4時間19分で試合終了時刻は午前2時26分となり、大会史上最も遅い時間まで戦われた試合の一つになった。 マリン・チリッチ [ ] とは16回対戦し、成績は錦織が10勝6敗とリードしている。 しかしキャリアを通じて最も重要な試合といえるの決勝では敗れている。 チリッチはの指導を長らく受けており、ブレッドは錦織の指導者の一人であるの恩師でもある。 ダビド・フェレール [ ] とは14回対戦し、成績は錦織の10勝4敗。 で初対戦し、錦織が初めて5セットマッチでトップ10の選手に勝利した試合になった。 その後、2011年から2013年の間の対戦ではフェレールが3度ストレート勝ちを収めた。 では錦織が勝利した。 続く2014年には錦織が4連勝し、でも錦織が勝利した。 同年のの決勝ではフェレールが勝利し、連敗を止めた。 以降は錦織が連勝している。 錦織はフェレールについて「自分のライバルであり、模範であり、小さい頃から目指すべき選手だった。 」と発言している。 大会最高成績 [ ] 大会 成績 年 SF , QF 2016,2017 F F 2018 F SF 2016 F 3R 2012,2016 SF 2011 SF 2014 B QF 2014 受賞歴 [ ]• ATP年間最優秀新人賞(2008年)• (2014年)• 全米オープン・スポーツマンシップ賞(2016年) コーチ [ ]• (2007年12月-2010年)• (2011年-2019年10月)• (2011年)• (2013年12月-)• (2020年-) ラケット [ ] 10歳の時からのラケットを使い始め、11歳の時にこの年齢では異例の用具提供契約を交わす。 以降もウィルソンを使い続けている。 HYPER HAMMER 5. HYPER HAMMER 6. HYPER HAMMER 5. H TOUR• n TOUR プロ転向後• n TOUR II• [K] TOUR• STeam PRO• STeam 95• BURN 95• BURN 95 COUNTERVAIL• ULTRA TOUR 95 COUNTERVAIL スポンサー [ ]• (所属契約)• (ウェア)• (ラケット)• (建築建材設備)• (シューズ)• (トレーニング・栄養)• (クレジットカード)• (日本航空)• アサヒビール• エアウィーヴ• ジャガー(自動車)• WOWOW• NTT• IMG その他・エピソード [ ]• 錦織の姓の読みは全国的には、歌手の(ただし、本名は「にしこおり」)、「」のリーダーのなど「にしきおり」が多いが、島根県では、映画監督のなど「にしこおり」と、錦織圭など「にしこり」が多い。 なお、錦織圭はに日本代表として出場したが、同大会にはとして島根県出身の錦織えみ(にしこおり えみ)が出場しており、島根県知事が知事定例会見において2人のリオ出場のお祝いコメントで読みを間違える一幕もあった。 母方筋の親戚にの・兄弟がいる。 また、TBS社員の渡瀬暁彦(渡瀬恒彦の長男)は三従兄弟にあたる。 テニス以外でやっていたスポーツはで小学校の1年生から6年生までは本格的にやっていた。 今でもサッカーが好きででをするのが得意である。 両親とも趣味がテニスで、4歳年上の姉も高校時代にの選手として全国大会に出場している。 漫画『』を愛読していたという。 小学2、3年生の頃には『』や『』をしておりめっぽう強かった。 2014年の準優勝後、の自動車メーカー、日本法人の(大使)に任命された。 2014年11月20日、錦織選手をイメージした『 KEI NISHIKORI EDITION』を発表。 発売記念イベントに於いて、上記『テニスの王子様』の作者・が描きおろしたイラスト『ジャガーの王子様』(KEI NISHIKORI EDITIONをバックに錦織選手がショットを決めているイラスト)を贈呈された。 また許斐自身もサプライズ登場し錦織を喜ばせた。 準優勝の凱旋帰国時、食べたいものに「」を告げた。 その後、のの中で、のどぐろを食すシーンが撮影され、のどぐろが一般にも広く再認知された。 フィットネス意識調査では、男性の理想の体型の1位に選ばれた。 は2017年5月、を発表し、錦織は20位にランクインした。 では唯一トップ100に入った。 6月、アメリカの経済誌は2019年版のを発表した。 錦織の年収は3730万ドルであり、世界のスポーツ選手で35位、テニス選手では、に次ぐ3位にランクインした。 脚注 [ ]• なお、アジア系の外国籍の選手では、アジア系米国人のが、シングルス世界ランキングでアジア系男子歴代最高の2位、またアジア系男子選手唯一のグランドスラム優勝(グランドスラム史上最年少での優勝)や、準優勝、準優勝など、アジア系男子選手初のグランドスラムファイナリストである。 AFPBB News 2019年1月7日. 2019年4月21日閲覧。 The Tennis Daily 2019年3月15日. 2019年4月21日閲覧。 テニスジャパン 2006年6月11日. 2010年5月11日閲覧。 [ ]• 2007年9月29日. 2010年5月11日閲覧。 Reuters 2008年6月12日. 2009年8月4日閲覧。 AFPBB News 2008年6月24日. 2008年10月4日閲覧。 ロイター 2008年6月29日. 2008年10月4日閲覧。 www. youtube. com. 2020年1月6日閲覧。 日経ネット 2008年8月30日. 2008年10月4日閲覧。 [ ]• AIGオープンニュース 2008年10月2日. 2008年12月11日閲覧。 [ ]• スポーツニッポン 2011年10月18日閲覧• [ ] スポーツ報知 2011年11月7日閲覧• [ ]• [ ] 読売新聞 2012年1月23日閲覧• [ ]• スポーツニッポン2012年7月30日• [ ]• スポーツナビ2014年1月21日• tennis365. net 2014年2月2日• tennis365. net 2014年4月28日• tennis365. net 2014年5月12日• 日本経済新聞2014年8月4日• スポーツニッポン2014年8月29日• tennis365. net2014年9月2日• [ ]スポーツ報知2014年9月3日• [ ] - 稲垣康介、朝日新聞デジタル、2014年9月4日• - CNN Japan、2014年9月4日• Fubic Corporation 2014年9月7日. 2014年9月8日閲覧。 アジア人女子選手では中国のが2014年2月に2位にランキングされている• 2015年8月23日閲覧。 2015年9月1日閲覧。 [ ]• 2016年1月3日閲覧。 2016年1月24日閲覧。 2016年7月3日閲覧。 2016年9月2日閲覧。 2017年2月19日閲覧。 2018年1月5日閲覧。 2018年1月4日閲覧。 [ ]• 2019年8月28日閲覧。 tennis365. net. 2019年10月27日閲覧。 thetennisdaily. 2019年10月22日閲覧。 2019年11月30日閲覧。 山口奈緒美. 2014年11月18日閲覧。 2015年4月25日閲覧。 坂井利彰. 2014年11月18日閲覧。 [ ]• [ ]• [ ] web Sportiva 2015年3月30日• 坂井利彰. 2014年11月18日閲覧。 [ ]• web. archive. org. 2019年2月21日閲覧。 web. archive. org. 2019年2月21日閲覧。 web. archive. org. 2019年2月21日閲覧。 www. thetennisdaily. 2019年2月21日閲覧。 松岡修造オフィシャルサイト. 2019年2月21日閲覧。 news. tennis365. net. 2019年2月21日閲覧。 2015年全仏3回戦(不戦勝)、2015年ウィンブルドン2回戦(不戦敗)• 日刊スポーツ 2008年8月10日閲覧• [ ]• [ ]• oriconofficial動画ニュース• 公式チャンネル. 2015年3月23日. 2015年3月23日閲覧。 レスパス(2016年7月21日)2016年10月27日閲覧• ESPN. com 2017年6月10日閲覧。 Forbes 2019年6月13日閲覧。 外部リンク [ ]• keinishikori -• - のプロフィール (英語)• - のプロフィール (英語)• - のプロフィール (英語)• - のプロフィール• - バイオグラフィーとオリンピックでの成績 (英語)• ウィキメディア・コモンズには、 に関するカテゴリがあります。 タイトル 先代: 2016年 次代: 受賞 先代: 2008 次代: 先代: 2014 次代:.
次の読者のみんなからたくさんたくさんメッセージ頂いています。 なんとかしてくださいーって コメント欄をクローズすることも考えたけれど、 その前に、 投稿者名を固定することを再度お願いしようかな。 1話題につき1名前。 コメント数:• な事件の記事だよ! 某「錦織圭」ファンの掲示板で、プライベートの会食の情報、画像をリークしたハンドルネーム「aco」さんが、後に週刊誌に撮られた無名モデル(もどき)と同一人物ではないのか?! 「いやまさか!」 「あざといの?」 「ハングリーなの?」 「めちゃめちゃ腹ぺこやん!」 「そんな安っぽいことするの?」 「でもこんな偶然ないよね?」 「本人だとしたらホラーだよね?.... (ザワザワ)」 当時、一部のファンの間で噂になっていたみたい。 「あれ?本人、来ちゃってる?」(失笑)ってね。 「同席していたMの……」 ずいぶん詳しいですね。 (彼女が半裸でモデルをつとめた、Tシャツのデザイナー=M氏) 宣伝?(後にテニス関係者にそのTシャツを配り歩くことになる...
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