まんびきかぞかく家族構成。 『万引き家族』地上波初放送!フジテレビで人気映画が続々オンエア

映画『万引き家族』あらすじと感想レビュー。事件は実話?元ネタを調査

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映画「万引き家族」は、リリー・フランキー主演、是枝裕和監督の2018年の作品です。 第71回カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルム・ドールを受賞しています。 そんな、映画「万引き家族」のネタバレ、あらすじや最後ラスト、結末はどうなるか? 家族それぞれの秘密とは? 純粋に映画「万引き家族」を楽しみたい方は、以下スルーしてください。 「万引き家族」あらすじ 東京の下町に5人の家族が暮らしていました。 父・柴田治(リリー・フランキー)、母・信代(安藤サクラ)、息子・祥太(城桧吏)、風俗店で働く信代の妹・亜紀(松岡茉優)そして家主である祖母・初枝(樹木希林) この家族の収入源は初枝の年金と、万引きでした。 ある日、幼い女の子を見つけ、見かねた治が連れて帰ります。 その子の体にはいたるところに傷跡があり・・・ その「ゆり」(佐々木みゆ)を治は6人目の家族として一緒に暮らす事にしました。 しかし、この柴田家にある事件が起こり、そこから家族はバラバラになっていきます・・・ 柴田家はどうなってしまうのか? 「万引き家族」ネタバレ スーパーを訪れた父の柴田治(リリー・フランキー)と子供の祥太(城桧吏) 二人は買い物をしているフリをしながら万引きを繰り返していました。 この日は、治が店員の目を遮って立ち、その間に祥太がリュックの中にカップ麺などを入れて店外へ…というやり方。 今日の収穫を持って、祖母の初枝(樹木希林)の家への帰路に着きましたが、治はアパートの1階の角部屋のバルコニーに少女がいるのに気付きます。 季節は冬、寒い夜空の下にもかかわらず、少女はなぜ外にいたのか分かりませんでしたが、治はかわいそうに思って連れて帰るのでした。 一軒家には祖母の初枝(樹木希林)の他に、妻の信代(安藤サクラ)と亜紀(松岡茉優)も暮らしています。 初枝が少女(佐々木みゆ)に名を尋ねると「ゆり」と言い、腕には火傷と他にも傷があったことに気付きました。 信代は「返しに行くべきだ」と言いいます。 治がユリを背負ってその家に向かいましたが、部屋からはユリの両親と思われる男女の声がします。 ケンカだと分かりましたが、治はそのスキにバルコニーにユリを戻そうとすると、その時、女性の「産みたくて産んだんじゃない」という声が聞こえたのです。 信代は連れて帰ろうと言いました。 「万引き家族」柴田家の日常生活 翌朝、治は建物の工事現場に向かい、信代はいつも通りクリーニング店へ。 信代は衣服のアイロンがけの業務中、ポケットに入れっぱなしのアクセサリーなどをくすねていました。 祥太はユリを連れて近所の駄菓子屋に行き、高齢な店主の目を盗んで食べ物と亜紀に頼まれていたシャンプーを盗みます。 初枝は亡き夫の年金を降ろす日だったので銀行へ行き、亜紀も同行して口座の暗証番号を口に出さないようにと言いつつフォローするのでした。 その後、亜紀は同じ年代の女性たちが働くお店で下着姿になったり、ポーズをしたりするお店へ… マジックミラーで客と仕切られており、定期的に訪れてくれる顔も知らない「4番さん」(池松壮亮)を接客するのでした。 これがこの家族のいつもの生活でした。 ユリは帰りたがらず、そのまま一緒に暮らし始め、家族はそれぞれいつも通りに過ごしていました。 ある日、治が松葉杖をついて仕事から帰ってきました。 驚く家族・・・ 「事故だから、労災保険が降りる。 お金の心配は無い」 と治は言いましたが、結局保険金は得られませんでした… 1か月間は仕事のできない中、初枝の年金が主な頼りとなってしまいます。 Sponsored Links 「万引き家族」凛 ある日、少女が行方不明であり、両親は届け出を出していなかったというニュースが流れます。 治たちはそこで初めて、ユリではなく「じゅり」という名前だったと気付きます。 家族は、バレない様にユリの長い髪を短く切って「凛」と呼ぶようにしました。 信代と初枝は「普通は子供は親を選べないからね」と言って、自分たちが凛に選ばれたのだろうかと喜ぶのです。 季節は夏になり、治は祥太と凛と共に釣具屋で万引きをします。 治が店員に釣り具の質問をしている間に、凛は入り口の防犯装置のコンセントを抜いて、祥太が釣竿を盗むという手口でした。 「売れば5万は稼げるから今月は仕事をしなくても良いかな」と治は喜びつつも押し入れにしまっておきました。 一方で信代はクリーニング店の不況のあおりを受けてクビに… ベテランだったもう一人と信代のどちらかが辞めねばならぬ中、その女性に「ニュースで報道されていた女の子と一緒にいたよね?」と脅されます。 信代は「その事は秘密にしなければ殺す」と言って自ら辞めていったのです。 初枝(樹木希林)はパチンコ店で隣席の玉を盗んだり、元夫の命日に彼の息子の家に行って供養をしに行ったり… そして、亜紀(松岡茉優)の親族でもある、その家族から定期的に3万円をもらっていたのです。 亜紀が初枝と暮らしていることは、その家族は知りませんでした。 「万引き家族」初枝の死と家族の秘密 ある日、凛の洋服を選びに来た信代と初枝は、試着室に水着なども持ち込みつつ、そのまま盗んで帰ります。 そして家族で海に行き、治は祥太と泳いだり、皆で波際でジャンプしたりして楽しみました。 初枝(樹木希林)は、楽しそうな家族を砂浜で見守って、こういいます。 「ありがとうございました」・・・ そんな楽しいひと時を過ごした家族に大きな変化が訪れます。 家に帰って寝ていた初枝が目を覚まさないのです。 激しく動揺する亜紀(松岡茉優)・・・ 初枝は亡くなっていました。 「初枝は一人暮らしをしている」という事になっていますし、凛のこともあって葬式をするわけにもいかず、治は家の下に埋めて埋葬することにしたのです。 一方で祥太は、駄菓子屋で凛に万引きをさせた際に店主に呼び止められます。 「妹にはさせるなよ?」と店主に言われ、ゼリーのお菓子を2つもらいました。 この件で祥太は万引き行為に対して疑問を持ち始めます。 そして、祥太は治が車上荒らしをしている時に疑問を投げかけます。 治は答えることなく、そのまま車から鞄を盗んで逃げました。 その数日後、祥太が凛を連れてスーパーに訪れた際にある出来事がおこります。 祥太は凛に待っているように言ったのにも関わらず、彼女は店内でお菓子を盗もうとしたため、祥太は囮となってミカンを盗んで店外へ。 追って来た従業員に捕まりそうになったため、高所から飛び降りてそのまま病院に運ばれます。 警察に呼び出された治は、信代と共に一度家に帰らせてもらいました。 そして、すべてがバレる前に夜逃げをしようと試みましたが、結局捕まってしまいました。 警察の事情聴取により、亜紀や凛だけでなく祥太も治たちの息子では無かったことが分かります。 なんと信代は、昔に元夫を埋めたことも判明します。 「殺されそうになったから仕方なかった」と警察に語る信代は、全ての罪は自分にあると言って刑に処されるのでした。 Sponsored Links 「万引き家族」ラスト最後の結末 収容された信代の願いもあって、治は祥太を面会に連れてきます。 そして祥太を拾ったパチンコ店の場所や車のナンバーを伝えて、その気になれば両親を探せると伝えるのでした。 祥太はその後、施設で暮らして学校に通っていましたが、その日は1人暮らしを始めた治の家に泊まることに… 治は祥太を置いて逃げようとしたことを話し、父親ではなく「おじさんに戻るよ」と伝えるのです。 祥太は了承してバスに乗って帰路に着きます。 そのバスを走って追いかける治・・・ 血は繋がっていなかったけど、やっぱり父なのです。 亜紀は常連だった「4番さん」とトークルームで対面した際に、自身を殴ったことがあるなどの共通点を知って思わず抱きしめます。 そして、事情聴取の際には初枝が亜紀の家族からお金をもらっていたと知り、「一緒にくらしてたのはお金のためだったのだろうか…」と疑問を持つのでした。 凛は両親の元に返されますが、母親は凛が話しかけても「あっちにいってて」と言います。 凛は一人でバルコニーに出ました。 そして、踏み台に乗って外を見ているシーンで、物語は幕を閉じました。 それはまるで、また誰かが来たような・・・ また迎えに来てくれないかな?という表情にも見えました・・・ 「万引き家族」それぞれの家族の秘密 この柴田家は初枝(樹木希林)を中心とした疑似家族です。 治(リリー・フランキー)の「治」は、初枝の実の息子の名前です。 信代(安藤サクラ)の名前は、初枝の実の息子のお嫁さんの名前です。 亜紀(松岡茉優)は、初枝の亡くなった夫と後妻との間の子です。 祥太(城桧吏)は、治の本名「榎勝太」の「しょうた」です。 凛(佐々木みゆ)は、信代の小さい頃の親友の名前です。 初枝は元々息子と嫁の3人暮らしでした。 夫とは離婚し、その元夫はすでに亡くなっています。 嫁との仲が悪くなり、息子の転勤と同時に関係がほぼなくなってしまったのです。 そんな初枝の為の名前だともいえますね。 そしてこの偽りの家族が、終盤で本当の家族になっていくさまは感動します。 是枝監督お得意の、感情の説明が少なく、見てる側の心理を色々試すタイプの映画でした。 それゆえに見る側の方で、いろいろな解釈ができる映画とも言えますね。

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万引き家族

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本日公開の映画 「万引き家族」を映画館で見てきました。 この映画は是枝裕和監督の最新作で、カンヌ映画祭の最高賞パルムドールを21年ぶりに受賞した邦画でもあるので、平日の朝にもかかわらず劇場はほぼ満席でした。 私は映画上映中はスクリーンに釘付けになっていたため、泣いたり笑ったりといった感情の変化は起こりませんでした。 しかし、映画上映後に自宅に帰る途中で映画を思い返した途端目頭が熱くなって、「うわー」と叫びたくなりました。 なんだか凄い映画を見てしまった気分です。 以下の文章は、ネタバレありの映画を既に見た人向けの 映画「万引き家族」の私個人の感想です。 まだ映画を見てない人は他人のレビューを見る前に映画館で作品を鑑賞することをおすすめします。 Contents• 映画「万引き家族」感想・レビュー 映画「万引き家族」予告 映画の内容は予告映像からも分かる通り、娯楽作品でもエンタメ作品でもありません。 映画概要 作品の中心となる疑似家族(万引き家族)は都会の高層マンションの狭間に建てられた古臭い平屋に住んでいます。 彼らは足りない生活用品を万引きで補い、血縁関係も無いのにまるで家族のように、親子のように暮らしています。 そこに住んでいる大人は誰一人も世間で言う真っ当な職についていません。 怪我をしても労災が出ず、前触れもなく突然首を宣告されるような場所で働く 「吹けば飛ぶ」ような存在として描かれてます。 万引き家族の子供は学校にも通っていません。 彼らは住んでいる場所と同じで、時代から取り残され、かろうじて社会に存在を保っている不安定で弱々しい人間です。 いわば 社会から無視され、置き去りにされた人たちです。 そんな疑似家族(万引き家族)が、体中が傷だらけで寒い冬の夜に家の外に放置された女の子「ゆり」を家に連れ帰るところから物語は始まります。 作品のリアリティが半端じゃない 万引き家族の作中で疑似家族に保護される虐待児の女の子。 なんの因果か、この映画が全国的に上映される数日前に、が全国を駆け巡っていたため、私には 作品内で起こっていることが現実の日本とダブって見えました。 映画を見ているというよりも、終始 「映画を通して現実を見ている」と感じざるを得ませんでした。 現実で映画と似た事が起こっているので、 作品自体がこの国の写し鏡のように見えます。 今の日本とダブる描写として印象的なのは、映画中盤にある万引き家族の母親役が「女の子を匿っていること」が同僚にバレてしまったがゆえに職場を退職に追い込まれるシーンです。 あのシーンには現在の日本で蔓延している 「無関心」「自己責任論」「貧困」が凝縮されていました。 映画であれ現実であれ、弱い人間は自分を守るだけで精一杯。 不利な状況に陥っても、「万引き家族」のような弱い人たちを守ってくれる存在は外部にはありません。 結局、 万引き家族は女の子を保護したがゆえに崩壊を始めてしまいます。 言い換えるれば、万引き家族は 世間に置き去りにされた「弱くて不都合な存在」を受け入れてしまったがゆえに、それを支えきれず崩壊してしまうのです。 実際に 今の日本社会で起こっていることは万引き家族で描かれている事とは逆に見えます。 国が、企業が、学校が、家族が、世間という共同体が 『不都合や問題』を外部に切り離すことで維持されてます。 問題の外部化、責任の外部化です。 臭いものには蓋を、都合の悪いものはなかったことにすることで、あらゆるコミュニティが維持されています。 そして、その切り離された存在にはセーフティネットは用意されておらず、今の日本社会から隔絶されています。 まさに 「万引き家族」そのものです。 この映画を「リアルじゃない」「こんなの日本じゃない」という人は、間違いなく 今の日本の「不都合」「問題」を切り離し、目を背けていると言えます。 助けを求めても無視されている人なんて今の日本にはそこら中にいます。 この映画で描かれているのは間違いなく『 現代の日本』です。 映画「万引き家族」は 今の日本社会から「なかった事にされている人たち」の物語なのです。 普通とはなにか 映画「万引き家族」の作中でリリー・フランキー演じる父親が言うセリフの中に含まれていたフレーズ 「俺たちは普通じゃない」が、映画終了後も私の頭から離れませんでした。 今、この日本で 「普通」とは何なんでしょうか? 日本が一億総中流と言えた時代は、普通の家庭に生まれ、普通に大学に行き、普通の企業に就職し、普通に結婚し家庭を持つことが 「普通の幸せ」と言えたかも知れません。 翻って現代の日本を見てみると、核家族化が進み、晩婚化が進み、少子化が進み、非正規雇用が増え、借金漬けで大学を出ても就職は保証されない。 かつての 「普通の幸せ」を享受することが非常に困難な社会になっています。 それどころか、政府が国民に嘘をつき続けるのが普通になり、役所の公文書管理がまともにされないのが普通になり、大企業が法律を守らないのが普通になり、学校が生徒を犠牲にするのが普通になっています。 今の日本は、 かつての「普通」が壊れていると言えます。 正直言って、 「万引き家族」と「今の日本社会」に何か違いがあるのか? と人に聞かれても、私には明確に答えられません。 どちらも 「罪を重ねること、人の道から外れることで存続している」点では同じだからです。 つまり、万引き家族は 日本社会の縮図とも言えます。 正論では人を救えない 劇中で万引き家族は最終的に警察に虐待されている女の子を匿っていることがばれて、警察に逮捕され「誘拐」だと非難されます。 万引き家族たちは警察に正論を言われ続けます。 作中で社会や警察が発し続ける正論は、普段私達が聞く正論と大差ありません。 「親が子供を見るべき」「子供に万引きを教えるなんておかしい」「子供はちゃんと学校に通わせるべき」「死体遺棄だ」どれも正しい意見です。 しかし、映画「万引き家族」の安藤サクラ演じる母親は 「捨てたんじゃないんです、拾ったんです。 誰かが捨てたのを、拾ったんです。 捨てた人ってのは、ほかにいるんじゃないですか?」と反論します。 これは現在の日本で広まっている 自己責任論へのカウンターです。 『人を助けないことで、 社会にある問題の原因は全て自分の外部にあると思っている人』を皮肉っています。 今の日本には映画と同様に正論が蔓延っています。 けれど正論によって世の中が正されている、生きやすくなっているとは思えません。 正論は言うが、手は貸さない。 責任を取らない。 弱い存在に一方的に正論を吐き続ける。 そうすることで、その人は ずっと落ち度のないキレイな存在でいられます。 結局、正論で助かっているのは正論を言った者の心。 自尊心です。 問題は解決していません。 正論は社会が真っ当に機能している時なら有効です。 しかし、現実はそうじゃない。 労働基準監督署がいい例です。 嘘や不正が蔓延すると正論は機能しなくなります。 今の日本で人を救うには正論ではなく 「人としての正しさ」が重要になります。 『困っている人を助ける』『大人が子供を守る』『強いものが弱いものの配慮をする』、正論ではなくそういった アタリマエの正しさが必要なんです。 そして、万引き家族の人たち正論ではなく、女の子を助けることを選んだ。 つまり 責任を引き受け、自ら汚れることを選んだんです。 目の前にある「虐待されている女の子」という問題を解決するために。 正論を言い、手を差し伸べないことは 現実や相手を無視していることと同じです。 弱い者の側に立っていません。 綺麗事だけ言って自らは汚れないことを選ぶよりも、当事者として関わることでしか人を助けることは出来ない。 言葉なんかなくても寄り添うことで人は救われるかも知れない。 この映画ではそういった事が描かれているように私は感じました。 「普通の幸せ」から「個々の幸せ」へ 映画の中で描かれる万引き家族は、最後にはバラバラになります。 それぞれが異なる人生を歩んでいくことになります。 バラバラになった「元万引き家族」は、誰もが世間一般で言う「普通の人生」を歩んでいません。 しかし映画「万引き家族」では、登場人物が獄中であっても幸せになれるかもしれない可能性を示唆していました。 「普通」を失いつつある日本では、これから 「普通の幸せ」を享受することが、ますます難しくなります。 普通の家庭に生まれないかもしれない、普通に大学を卒業できないかもしれない、普通に就職できないかもしれない、普通に結婚できないかもしれない、普通に死ぬことも出来ないかもしれない。 これからの日本社会で「普通の幸せ」を目指すことが難しいなら、 「個々の幸せ」を目指すしかありません。 世間の普通から外れても、「幸せ」を掴むことを諦めてはいけない。 「自分の幸せ」を諦めるべきじゃない。 万引き家族は、登場人物の足掻きを通して、 今後の日本で幸せを模索する方法を提示していたように思います。 この映画は現実と地続き この映画はバラバラになった万引き家族がその後、どのような人生を歩むのか明確に描かれないまま突然終わります。 映画の子供たちがどうなってしまうのか全く分かりません。 しかし、現実で同じように苦しんでいる子供たちに対して私達は手を差し伸べる事ができます。 これまで社会から無視されてきた人たちの話を聞くことも出来ます。 この映画の続きや結末は映画の観客に委ねられているのかも知れません。 貧困が広がっている日本は、これからどんどん「普通」を失っていきます。 しかし、「困っている人を助ける」「大人が子供の面倒をみる」といった 『アタリマエ』なら、まだ失う前に取り戻せるかも知れません。 日本という国が『無慈悲で一方的な正論』で万引き家族のようにバラバラになってしまう前に、お互いを助けあう『アタリマエ』の社会を取り戻せるかどうかは、今の日本の大人達の行動にかかっています。

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是枝裕和監督作『万引き家族』が世界の映画祭で評価を得たわけとは?

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【2018年6月19日最終更新】 かるび( です。 6月8日に公開された是枝裕和監督の 新作映画「万引き家族」を見てきました。 すでにネット上には、熱心なブロガーさん達によって先行上映が始まった6月2日頃から最速レビューがじゃんじゃん上がっていて、正直出遅れ感満載です(笑) でも、行ってみて本当に良かった。 毎回、違う設定・新しい切り口で「家族の肖像」を描き続ける是枝監督。 前作「三度目の殺人」で日本アカデミー賞作品賞を獲ったと思ったら、今作はカンヌ国際映画祭で最高賞「パルムドール」まで獲得するなど、その活躍は留まるところを知りません。 早速ですが、感想・考察等を織り交ぜた映画レビューを書いてみたいと思います。 できれば、映画鑑賞後にご覧頂ければ幸いです。 1.映画「万引き家族」の予告動画・基本情報 【監督】是枝裕和( 「海よりもまだ深く」「海街diary」他) 【脚本】是枝裕和 【配給】ギャガ 【時間】120分 これだけ騒がれ、ストーリーにかなり複雑な設定があるにもかかわらず、本作は予告編のバリエーションが極端に少ないのが特徴。 ショートバージョンも含め、ネット用に制作された国内向けプロモーション動画はたった2本だけです。 予告編なんか見てないで、とにかく映画館に見に来い!ってことでしょうか(笑) ということで、海外版の公式予告も探してみたら、 1本だけ収録シーンが日本版予告と大幅に違う海外版公式予告を見つけました。 今年のシドニー映画祭(Sidney Film Festival/略称:SFF のために製作された限定版公式予告です。 英語版の字幕が入っていますが、吹替ではありませんので日本人なら誰でも違和感なく見れます。 事前に映画の雰囲気をより知っておきたいのであれば、こちらのSFF版も是非チェックしてみてくださいね。 さて、本作でメガホンを取ったのは、今や世界の 「Kore-Eda」となった、是枝裕和監督です。 引用:Wikipediaより 本作で原案・脚本・編集を担当した是枝監督は、第71回カンヌ国際映画祭で最高賞となるパルムドールを見事受賞。 日本人監督作品としては、1997年の 今村昌平監督「うなぎ」以来21年ぶりの受賞となりました。 パルムドール受賞で、世界の「Kore-Eda」に! 引用: 是枝監督といえば、その2ヶ月前、2018年3月には前作「三度目の殺人」にて、日本アカデミー賞作品賞を見事受賞したばかりでした。 こちらは、是枝監督の新境地となった「法廷もの」。 ラストの解釈は鑑賞者に委ねられ、様々な謎や心理の読み合い、映画ならではの映像的な仕掛けもたっぷり入った社会派サスペンス・ドラマでした。 今や飛ぶ鳥を落とす勢いである是枝監督が、「万引き家族」にて取り上げたテーマは、監督が長年取り組んできた「家族」です。 これまで、是枝監督は過去作 「海よりも深い場所」「そして父になる」「海街Diary」など、作品ごとに「家族の肖像」を、それぞれ全く違った切り口やテーマ、ロケ地で味わい深く描いてきました。 前作の法廷ミステリーを経て、今作は再び原点である「家族」を描いた作品へと回帰した是枝監督。 果たしてどんな作品に仕上がっているのでしょうか? 2.映画「万引き家族」主要登場人物・キャスト 是枝監督は、どの作品でも「是枝組」常連メンバーを核に、必ず水準以上の演技力を持つ役者を選びます。 また、選ばれたキャスト陣は、しばしば「是枝マジック」にかかり、自身のポテンシャルを全開させるような迫真の演技で新境地を開拓することも多々あります。 今回、「柴田家」のメンバーに選ばれた6人も、子役2名の選定を含め、大納得のキャスティングでした。 柴田治(リリー・フランキー) 是枝組常連メンバーの筆頭格。 大根仁監督、白石和彌監督なども自身の映画作品で常連として重用しており、2018年度は現在待機作も含め、9作品に出演中(!)出過ぎでしょ(笑)それなのに俳優業だけでなく、小説もイラストもデザインもできて・・・ってどんだけマルチタレントなんでしょうかこの人は! 柴田信代(安藤サクラ) 引用: 第1子出産後、復帰第1作となった作品。 映画「百円の恋」で日本アカデミー賞主演女優賞を獲得し、実力派女優として知名度は全国区に。 ヌードや役作りのための体型変化も厭わないプロ意識と、どんな役柄でも器用にこなす卓越した演技力は誰もが認めるところ。 この人がキャストに名を連ねるだけで、「ちょっと見てみようかな」という気にさせられます。 そう言えば映画「追憶」に続いて、お義父さん(=柄本明)との共演となりましたね(笑) 柴田初枝(樹木希林) 引用: ご自身は「死ぬ死ぬ詐欺」と自嘲的に語りますが、全身に癌が転移して久しく、75歳にして実は満身創痍の身。 毎回映画作品で見るたびに、命を削って作品に打ち込む姿勢が垣間見え、迫真の演技は冴え渡るばかりです。 先日公開された 映画「モリのいる場所」でも抜群の安定感でしたし、今作でも要所要所で素晴らしい存在感を発揮していました。 1作見るたびに、次もまたスクリーンで見ることができるのだろうかとハラハラさせられます。 柴田亜紀(松岡茉優) NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」でのご当地アイドルリーダー役や 映画「桐島、部活やめるってよ。 」出演あたりからブレイクし、近年では TVドラマ「水族館ガール」、映画「勝手にふるえてろ」など主演作も相次いでゲット。 TVドラマ、映画、舞台、CM等で超多忙な日々を送る、若手実力派女優の代表格になった感があります。 あまちゃん見てる時は、ここまで成長・出世するとは思わなかったな~。 柴田祥太(城桧吏) 引用: 撮影初期と後期で、明らかに顔つきや身長などが違って見えるなど、長期に渡る撮影がちょうど思春期の伸び盛りにあたった子役。 内に秘めた憂いある表情が味わい深かった演技力と監督好みの(?)整った顔立ちは、今後一気に伸びてきそうな気配を予感させます。 数年後、スイーツ映画の主演級で登場してくるかも?! ゆり/りん(佐々木みゆ) 引用: オーディションで、部屋の隅でポテトチップスを食べるシーンを演じてもらった時、食べ方が気に入ったから起用したとのこと。 公開後の舞台挨拶でも、沢山の観衆を前にマイペースで物怖じしない振る舞いが話題になっていました。 映画内でもセリフは少ないながら、自然でスムーズな演技ができていたと思います。 3.途中までの簡単なあらすじ 東京の下町、隅田川のほど近くに住む柴田家は、特殊な「家族」だった。 それぞれが人には言えない事情を抱え、お互いが寄り添うように依存しあって古くて狭い家に集まってきた結果、擬似的な「大家族」のようになっていたのだった。 2月のある寒い夜、治と祥太はいつものようにスーパーで見事な連携プレーを決めて、万引きを済ませて帰宅する途中、団地の廊下で震えている小さな女の子を見かけた。 不憫に感じた治は女の子を家に連れ帰り、女の子から事情を聞いた。 女の子はゆりと名乗った。 信代はゆりの手足や体に、日常的に両親から虐待を受けている痕跡を見つけたが、信代と治は一旦はゆりを両親の元へと返しに行った。 しかし、ゆりの家の中から聞こえてくる凄まじい夫婦喧嘩の様子を聞いて、そのままゆりを柴田家で引き取ることに決めた。 彼ら家族にはお金がなかった。 主な収入源は、初江が定期的に受給する老齢年金と初江のクリーニング工場でのパート代、そしてたまに治がこなす危険な日雇い建設業の仕事だけだった。 収入が足りない分は、治と祥太が必要最低限な分、日々万引きを繰り返し、なんとか生活を成り立たせていたのだった。 家族の中で、亜紀は初江から許され、生活費を入れていなかったが、亜紀は近場のJKリフレでのアルバイトにて遊ぶ金を稼いでいた。 ゆりはすぐに柴田家になじんだ。 唯一警戒心を顕にしていたのが祥太だったが、ゆりに「おにいちゃん」と慕われ、いつしか本当の兄妹のようになっていた。 ゆりが来て2ヶ月後、季節は春になっていた。 ワイドショーで「荒川区にて5歳の女の子が行方不明」というニュースが飛び込んできた。 ゆりだった。 ゆりの両親の言動に不審なものを感じた児童相談所が警察に通報したことで発覚したのだ。 しかしゆりは両親の元へ帰ろうとせず、柴田家の一員であることを選んだ。 彼らは、ゆりを「りん」と名付け直した。 夏になると、治は工事現場で怪我をして、働けなくなった。 労災も下りず、万引きすら満足にできない体になった。 信代もまた、クリーニング工場を解雇された。 いよいよ経済的に困窮した彼らだったが、縁側で花火大会を楽しんだり、ささやかな日帰り小旅行で海水浴を楽しんだり、彼らには貧しい中でも笑顔が絶えなかった。 微妙なバランスの上に成り立っていた柴田家のささやかな幸せが崩れるきっかけとなったのが、 日帰り小旅行の翌日朝、初江が亡くなっていたことだった。 本来、初江とは何の法的な関係もなかった彼らは、経済的な理由もあって死体を自宅地下に埋めるしかなかった。 初江が亡くなったあと、嬉々として初江が残したへそくりを家探しし、年金を不正受給し続ける治と信代。 それを見た亜紀は、この家族のあり方に疑問を抱くようになっていた。 一方、祥太も駄菓子屋で万引きを咎められて以来、少しずつ無自覚に軽犯罪を重ねる治の姿勢に疑念を持つようになっていた。 そんなある日、祥太とりんが地元のスーパーで日用品の万引きを行おうとしたところ、祥太が店員に追いかけられて右足に大怪我を負ってしまう。 病院に駆けつけた治と信代は、事情聴取に病院へ来ていた警官に住所・名前をうっかり伝えてしまう。 祥太への事情聴取から柴田家の秘密や過去の不正・軽犯罪が露見することを恐れた治たちは、急いで家を出ようとしたが、自宅の門の前には警察が張り込んでいた。 彼ら5人は、警察へ勾留されてしまったのだった。 果たして治や信代たち、柴田家の5人はどうなるのか?犯罪でしかつながれなかった家族に訪れた結末とはーーー? スポンサーリンク 4.映画内容の簡単なレビュー!(感想・評価含め) だれがどう見ても上質な映画作品。 ごてごてした状況説明的なセリフは一切なく、時系列に沿って小出しに提示されていく状況描写やわずかな映像的な手がかりから、家族のつながりやストーリーの全体像を読み解いていかなければならないという、映画的な醍醐味に溢れています。 また、作品自体も様々な観点から重層的に解釈できるように作られており、着眼点を変えて、様々な視点から何度も映画を楽しんで解釈できるように脚本・演出に至るまで細心の工夫が重ねられていました。 以下、個人的に感じた本作の見どころを紹介します。 見どころ1:丁寧に描かれた家族6人の心情描写 引用: まず、本当に素晴らしかったのが彼ら「万引き家族」6名の揺れ動く心情描写です。 それぞれの心の内に打算や思惑を秘めながらも一つ屋根の下に集まり、身を寄せ合うように暮らす彼らの間には、血縁関係は一切なく、格式張った親子関係もありません。 大人たちは日常生活の中で気軽に万引きや不正に手を染めるなど、適度に人間として問題がありますし、お互いの存在に対して打算的な思惑を隠そうともしません。 そんな中でも、この奇妙な共同生活の中で、彼ら家族ひとりひとりが本当は家族のぬくもりを切実に求めていることが伝わってきました。 擬似的な家族ごっこに過ぎなかったのかもしれませんが、でも、6人でいた短い夏の間、縁側から花火を全員で味わった夜や、海水浴場へ全員で小旅行へ出かけた日、そこには確かに幸せな家族の空間が広がっていました。 引用: 海辺で見せた彼らのくつろいだ表情を見ていると、「貧困」への強烈な問題提起がなされている映画でありながら、「幸せであること」と「お金があること」の間には厳密な関係性がないのかもしれない、とも思わされます。 彼らに訪れた一時的な多幸感。 いつまでも見ていたい、と思うような名シーンでした。 しかし、ストーリー後半では無理に無理を重ねてかろうじて維持されていた「万引き家族」は、初江の死と共に「砂上の楼閣」のように一気に崩れ去ってしまいます。 その過程で、残された5人が見せる様々な表情もまた味わい深いです。 家族だった他の4人の幸せを願い、獄中で強さと知性を見せる信江。 短絡的で頭が悪く、小狡いところもあるけれど、最後まで家族の復活を望んでいた純粋な治。 再びDV家族の元へと戻り、孤独な毎日を送るりん。 物語が暗転してから、各キャラクターの心情を読みといていくだけでも非常に充実した鑑賞となりました。 見どころ2:是枝監督が作品内に込めた現代社会への強烈な問題意識 また、作品内に込められた社会批判や問題意識に目を向けるのも面白いです。 是枝監督が 「10年分の問題意識をこの作品に全て打ち込んだ」という通り、作品中では社会の底辺で生きる弱者がリアルに描かれると共に、 年金不正受給問題、死因不明社会、高齢者お一人様問題、学校にも通えない子供家庭内暴力、育児放棄、ギャンブル依存症、雇い止め、労災事故、貧富の格差、現代日本社会が抱える、負の側面に思いっきり焦点をあてています。 (ネットではあまりに詰め込みすぎて、かえってリアリティがないという意見もちらほら見かけました) 中でも特に注目したいのが、「万引き家族」6名の中でも、祥太とりんの子供二人の置かれた過酷な状況です。 引用: りんは、両親が家庭内で常に言い争い、母親が父親から絶え間ないDVを受ける中、精神的に追い詰められた母親から育児放棄された挙げ句、虐待を受けていました。 そんな生死にかかわるギリギリのタイミングで、治と信代に拾われたのです。 また、物語後半で明らかになる、祥太と治の出会いについての秘密もインパクトがありました。 パチンコ屋の駐車場で閉め切った車の中、放置されて死にそうになっていたところを、たまたま車上荒らしをしていた治に拾われたという衝撃のエピソード。 しかし、もっと問題なのは、たとえりんと祥太が「万引き家族」に拾われたとしても、それは長期的に見て何の解決にもなっていなかったという点です。 もちろん、家族らしいぬくもりやを知ったことや、治・信代たちと過ごした時間も、彼らにとって大切な思い出になったことでしょう。 引用: 「他に教えてやれることがなにもないんです」と警察の取調中に治が告白した通り、11歳になるまでに祥太が身につけたスキルは、治から教わった万引きの技術だけでした。 戸籍がないから学校にも行けず、自宅の押入れの中で愛読しているのは小学校2年生の国語の教科書(スイミー)。 同じく、6歳で拾われてきたりんも、読み書きさえ危うく、数字も1~10までしか数えられない有様です。 信代や治がいかに善意を持って、彼らを父親、母親代わりに育てようとしていたとしても、子供たちの発育状況を鑑みると、信代と治がやっていたことは、ゆるやかな虐待でしかないわけです。 極度の貧困が子供から教育の機会を奪い、子供の将来を潰していくというインパクトの大きさに衝撃を受けてしまいました。 見どころ3:映画ならではの細やかな映像表現・演出 もちろん、映画ならではの見応えたっぷりの映像表現も秀逸でした。 まず何と言っても見どころは、柴田家の生活空間です。 家の中はカオス寸前まで汚され、乱雑にモノが折り重なり、汚部屋寸前。 引用: 不要不急なモノは家の中にあふれているのに、本当に必要なものは家の中にないのです。 しかもこれだけ散らかり放題なのに、1度も掃除や洗濯など、家事をするシーンが出てきません。 映画「家族はつらいよ」シリーズで、映画中一度は必ず史枝さんが疲れた顔して掃除機をかけたり洗濯物を干すシーンが出てくるのとは対照的です。 さらに、「MOVIE WATCHMEN」で宇多丸さんも言ってましたが、 何ですかあの汚いお風呂は! また、 家の中を映し出すカメラは、必ず子供二人か足の不自由な初江の目線に固定されているのも印象的でした。 小津安二郎監督の名作「東京物語」の低い固定カメラをほうふつとさせます。 低いカメラ位置のほうが、よりカオスな室内が際立つ効果がありますね。 もう一つ感心したのが、都心の下町で聞こえてくるリアルな生活の雑音。 僕も都心の築30年のアパートで生活しているのでわかるのですが、 東京都心って、静かな朝でさえ、通奏低音のように「ゴーーーーッ」というまとわりつくような低周波音がどこからともなく聞こえているんですよね。 さらに、狭い部屋の中で動き回る、柴田家の生活から漏れ聞こえてくる雑多な音。 劇伴音楽をできるだけシンプルに抑え、都心特有の生活雑音をリアルに反映させようと工夫した作り込みには舌を巻きました。 さらに、治と祥太の関係性を表す仕草や演出もひねりが効いていて面白かったです。 「万引き」仕事に取り掛かる前の儀式やサイン、仕事の前後に交わすグータッチなど。 後半、治に不信感を持った祥太が治の出した拳にグータッチを返さなくなる描写ひとつで、二人の間に広がった微妙な距離感や不信感をスマートに表現する巧さが光ります。 一方、治と祥太が同じ体の部位を怪我してしまうのは、彼らの切っても切れない縁を暗喩するようで味わい深いです。 治は工事現場で、祥太は万引きから逃げる途中、右足を「労災」で骨折するのです。 (信代とりんも、腕の同じ場所をアイロンでやけどした痕を見せ合うなど、同じような演出がありましたね) 他にも、髪を切って家族の一員となったりんが、「赤い服」を捨て、それ意向は「青い服」しか着なくなる演出(母親のもとへ戻ったら、また「赤い服」に戻っていた)や、 最後まで治のことを「父ちゃん」と呼ばなかった祥太が、バスの中で声にならない声で「父ちゃん」とつぶやくシーンなど、味わい深い演出が本当に多数ちりばめられていました! このように、本作は、登場人物それぞれの心情描写の妙や、それを支える俳優の確かな演技力、映画ならではの細心の注意が払われた各種演出、監督が本作に込めた強烈なテーマ性、これらが絶妙にブレンドされたハイレベルな作品だったと思います。 内容上、映画を1度見終わった人向けのコンテンツとなりますので、ここからはネタバレ要素が強めに入ります。 予めご了承下さい。 疑問点1:タイトル「万引き家族」の意味とは?当初の原題は別のタイトルだった? 海外版のタイトルは「SHOPLIFTERS」 このタイトルには、2つの意味が含まれていますね。 治と祥太はもちろん、信江はクリーニング屋で衣類のポケットから出てきたアイテムを持ち帰っていますし、初江はパチンコ屋で他人のドル箱を大胆にネコババしています。 もう1つは、家族そのものを万引き=盗んだという意味合いです。 治は、祥太をパチンコ屋で拾い、りんを団地の廊下で拾いました。 また、考えようによっては、初江は信代、治、亜紀を拾ってきたとも解釈できます。 ちなみに、現在の邦題「万引き家族」に最終的に決定する以前に、本作に付けられていた当初の仮タイトルは、 「声に出して呼んで」です。 確かに、作品のハイライトとなるような重要シーンで、各登場人物が声にならない思いを伝えようとした場面がいくつかありました。 マグロに仲間を食い殺された小魚であるスイミーが、失意から立ち上がり、再び仲間を集めて、今度は沢山の仲間で大きな魚の形をしてマグロを追い払うという話です。 是枝監督は、 映画の準備中に児童虐待の保護施設を取材で訪問した際、一人の児童がずっとスイミーを是枝監督へ読み聞かせてくれたことが印象に残ったことがきっかけで、劇中で祥太に「スイミー」を朗読させるシーンを作ったのだそうです。 祥太がスイミーを朗読するシーンには、複数の読み解きができそうです。 まず、1つ目は、極度の貧困は、子供から最低限の教育を受ける機会をも奪うということです。 祥太は学校に通っていません。 かつて初江の息子が使っていた古い教科書を押入れから取り出して、自分で勉強しているのです。 本来、11歳になる祥太は、小学校4年生または5年生でなければならない年齢ですが、未だ小学校2年生程度の学力しか持ち得ていないのです。 スイミーは小学校2年生用のテキストなのです。 祥太は元々地頭の良い子です。 駄菓子屋の店主に一言注意されただけで世の中の善悪を正しく把握する力がありますし、読み書きも、治が教えてくれるわけではなく自分で勝手に習得しているのですよね。 実際、柴田家が解散した後、児童養護施設から小学校に通うようになった祥太は、めきめき学力をつけて賢くなっていました。 (釣りの知識を治に披露したり、学校のテストで8番を取ったり・・・) そんな地頭の良い祥太でさえ、正規の学校教育を受けられなければ、同年代の子供たちに追いつくこともままならないのです。 もう1つは、スイミーのストーリー自体が、柴田家の構造の暗喩になっているということです。 家族を失ったスイミーは、再び仲間を集めて、一つの大きな大家族を形成します。 この大家族が力を合わせてマグロをやっつけるのです。 (この場合マグロは苦難の象徴) これは、家族との絆を失った柴田家の各メンバーが、一つ屋根の下お互いが支え合って生きていくことで、幸せな生活を取り戻したい・・・という彼らの「希望」をメタファーとして表した映画的な表現だったと解釈することもできますね。 疑問点3:初江が亜紀の実家を訪問していた理由とは? 引用:映画パンフレットより 初江が訪問していたのは、初江と離婚した元夫が別の女性と結婚して、その間にできた息子夫婦が住む家でした。 息子夫婦には、二人の娘がいます。 長女が亜紀、次女がさやかです。 (ちょうど映画ではちらっと部活バッグを抱えたさやかが学校に行くところが写りましたね) 初江は、すでに亡くなった元夫へお線香を上げに行くという名目で、亜紀の父から慰謝料・迷惑料に相当するお金を定期的に受け取っていたのです。 だからこそ、初江は自らの家に転がり込んできた亜紀からは生活費を取ろうとしなかったのでしょう。 (もうもらってるから)でも、死後、手付かずのまま数回分のお金が残されていたあたり、まとまったところで亜紀に還元するつもりだったのかもしれませんね。 疑問点4:なぜ亜紀は家を出て柴田家へ転がり込んだのか 引用: 亜紀は、何をやっても自分より才能のある妹、さやかに両親の愛情を一手に奪われ(たと少なくとも本人はそう感じていて)、実家に居場所がなくなったため、初江を頼って初江の家に転がり込んだのでした。 さやか自身はどう思っているかどうかわかりませんが、少なくとも亜紀自身は、妹に対して深いコンプレックスを抱いていたのでした。 疑問点5:祥太はどのようにして柴田家の一員となったのか? 引用: 治は万引きの他に、パチンコ屋での車上荒らしをなりわいとしていました。 数年前、治がいつものように車上荒らしをしていた頃、偶然にパチンコ屋の駐車場で直射日光の刺す中、置き去りにされてぐったりしていた祥太を見かけて、そのまま拾ってきてしまったのでした。 物語のラストで、祥太は警察の斡旋した児童養護施設へと入居しますが、その後収監された信江と面会した時 、信江から本当の父母を探す手がかりとして、彼が乗っていた車の車種とナンバーを告げられます。 その後、祥太が両親を探したのかどうかは、鑑賞者の想像に任せられています。 疑問点6:亡くなる前日、初枝は海辺で5人を見ながら何と言ったのか? 引用: 物語前半のクライマックスとなる、柴田家6人で海水浴へ行った日。 初江は、彼女を除く5人が海岸で仲良く波と戯れる様子を見て、聞こえない声で何かをつぶやいていましたが、何と言っていたのでしょうか。 これは、おそらく 「ありがとうございました」という感謝の言葉です。 (小説版でははっきりセリフとして言っている) つかの間の刹那的な一瞬のきらめきであることは自覚していたにせよ、自らが「選んだ」家族達に囲まれて、家族であることの幸せを人生の最後で噛みしめるように味わった初江が、思いがけず口にした言葉だったのでしょう。 疑問点7:治と信代は過去にどんな殺人を犯したのか? 信代(本名:田辺由布子)は、治(本名:榎勝太)と付き合い出す前に別の男性と結婚していました。 しかし、結婚後、この男性から日常的な家庭内暴力(DV)を受け、どうにもならないところまで精神的に追い詰められていたのです。 その時、ちょうど信代が経営していた店の常連だった治は、信代と謀って信代の夫を殺害し、その死体を埋めたのでした。 裁判では、治が「正当防衛」の結果、信代の夫の旨に包丁が刺さったという言い分が認められ、執行猶予が付いたのでした。 疑問点8:なぜ治と信代は初枝の死体を自宅の床下に埋めたのか? 引用: これにはいくつかの理由が考えられます。 まず、単純に葬式費用を拠出することが難しかったこと。 結果的に死んだ初江のへそくりが数十万円戸棚から出てきましたが、彼らは基本的にその日暮らし。 葬式すら出せる金はなかったはずです。 もう一つは、彼ら自身の身分がバレるわけには行かなかったからです。 彼らは初江の家に転がり込んでいただけで、戸籍上は家族でもなんでもありません。 あかの他人です。 彼らが家族であることの、法律的な裏付けはまるでないわけです。 となると、初江の葬式とともに、彼らの関係性が公の下にさらされるわけにはいきませんよね。 さらに、もう一つは劇中でも描かれましたが、初江の死亡届を出さない限り、約11万円の年金受給が続くわけです。 だから、実際は亡くなっていても、定期的に口座に入ってくるのであればこれを利用しない手はありません。 もちろん、不正受給にあたるのですが、彼らにとっては背に腹は代えられないところだったでしょう。 疑問点9:なぜ柴田家のメンバーは警察に捕まってしまったのか 引用: 万引きを見つかった祥太が、店員から逃げる途中、右足を捻挫・骨折して気を失い、病院に搬送されます。 そこで、警察が祥太から事情聴取を行う一方、りんは祥太のピンチを伝えに、家族の元へ戻りました。 病院へ駆けつけた治と信代は、動転して、つい名前と住所を警察に伝えてしまったのです。 不審に感じた警察は、柴田家の住所へ先回りし、治たちが逃げようとしているところを取り押さえた、というのが逮捕に至る簡単な経緯でした。 疑問点10:ラストシーン・結末の考察 引用: 警察で勾留され、取り調べを受けた結果、亜紀がこれまでの経緯をすべて話し、柴田家の秘密は警察に全て把握されてしまいます。 りんの誘拐、死んだ初江の年金不正受給、死体遺棄など主な罪状は、信代が一身に引き受け、亜紀と治は解放されました。 映画では描写がありませんが、亜紀は恐らく実家へ戻ったのでしょう。 治は、一人暮らしを始めていました。 対照的な結末を迎えたのは、二人の子供たちです。 祥太は児童保護施設に入居し、小学校に通い始めました。 友達も出来て、学校で正規の教育を受けた結果、普通の子供らしい生活を手に入れていました。 対照的に、りんの生活は悲惨でした。 母親からの虐待や育児放棄が復活し、団地の廊下で一人寂しく遊ぶ毎日でした。 エンディングでは保育園・幼稚園には通えず、未だに10までしか数えられない様子が映し出され、寂しげに団地の廊下から外をじっと見つめるシーンで終わりました。 初江の死後、「万引き家族」は解体され、一人ずつその後が丁寧にフォローされましたが、 「家族」の元へ帰れたことで、本来は幸せな生活を取り戻せるはずだったりんが、一番悲惨な状況へと落ちていったのです。 そんな彼女の 後日譚を敢えてラストに持ってきて、寂しげなりんの表情でラストを締めたところに、是枝監督の並々ならぬ問題意識の強さが感じられました。 ただのヒューマンドラマで感動して終わり、ではなくて、 鑑賞者一人ひとりの潜在意識下に「あなたならこの問題、どう考える?」と重い課題が突きつけられたような、そんなラストシーンでした。 6.まとめ 素晴らしい映画作品は、何度見返しても新たな発見や楽しみが見つかるものですが、本作もまさにこれにあてはまります。 家族となった6人のそれぞれの心情の動きにフォーカスして愉しむのもよし、映画に込められた社会批判、問題提起に思いを馳せるのもよし、様々な映画独自の映像表現やメタファー、脚本の構造をじっくり味わうもよし。 様々なレベルで何度も何度も楽しめる大傑作だと思います。 素晴らしい作品でした。 是非映画館で楽しんでみてくださいね! それではまた。 かるび 7.映画をより楽しむためのおすすめ関連映画・書籍など 映画パンフレットが本当に素晴らしい 本作をもっとより深く楽しみたい人には、まず映画パンフレットがおすすめ。 是枝監督へのロングインタビューを始め、 主要キャスト全員に1ページずつ割かれたインタビュー系コンテンツが非常に充実しています。 特に、内田樹氏のコラムは必読。 「万引き家族」の住居空間の「狭さ」に着目し、狭さ故に逆説的に生じた「豊かさ」の理由や、なぜ「万引き家族」が崩壊するに至ったのか、本質を突いた分析が本当に素晴らしかった。 調べてみたら、 Amazon等で買えるようになっているみたいなので、リンクを置いておきますね。 映画では「監督・脚本・編集」まで全部一人でやってしまうスーパーな才能を持っている是枝監督。 もちろんノベライズ版だって人に任せたりはしません(笑)自分でちゃんと書くのです! この小説版は、映画版とストーリーは全て同じですが、映画を気に入った人なら、読んで絶対損がない優れたノベライズです。 なぜなら、 一度映画を見ただけではわかりづらかったストーリーの全貌や、各シーンで是枝監督が表現したかった内容を、手に取るように把握することができるからです。 外注のノベライズ作家がやっつけ仕事で書いたものとはワケが違います!僕は映画の前後に2回読み返してしまいました! 自著エッセイ集「映画を撮りながら考えたこと」 映画だけでなく、文筆業の方でも、かなりの健筆な是枝監督。 ここ数作、新作映画が公開されるたびに何らかの関連書籍が出版されていますが。 このミシマ社のエッセイ集は本当にオススメ! 是枝監督の日常生活で考えたこと・感じたことから、社会時事問題への鋭い問題提起、さらには過去に製作した作品の振り返りなど、様々なテーマで書かれたエッセイは、一流文化人なんだなと唸らされます。 また、 是枝監督が何をどのように考えて、映画制作に取り組んできたのかがよくわかる重要資料でもあるのです。 分厚い本ですが、読みやすいので是枝作品をもっともっと深掘りしたい人は是非!! 是枝監督作品は、まとめてU-NEXTで! 本作を見て、もう少し是枝作品の過去作を見てみたいなと思った人は、1つずつDVDを買うよりも、まずは ビデオ・オンデマンドで時間とお金を節約してみてはいかがでしょうか。 是枝監督作品では、 が一番おすすめ。 過去作は全部で 12作品と、品揃えは配信サービス中No1です。 見放題以外の有料作品も、初月付与される600ポイントを使えば、2本まで無料で見れます。 さらに、 毎月自動的に1200ポイント付与されるため、月額料金も、実質上業界最安クラスの800円なのですよね。

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