2020. 26 7月11日 土 東京・後楽園ホール「Krush. あの試合のあとはどのように過ごしていましたか? 「練習は変わらずずっとやっていて、遊びにも行けなかったので、ひたすら練習して、過去一練習できたかもしれないです。 対人練習もガッチリできているし、何も問題ありません。 「そうですね、負けてからすぐに気持ちを切り替えて練習を再開したのでそんな感じです。 いろいろな練習をして、総合的にレベルが上がっていると感じています。 「率直に強いなと思います。 いま振り返っていかがですか? 「あの時の自分はど素人だったと思っています。 FUMIYA選手も力をつけて強くなっていると思うんですけど、今は正直力の差があるんじゃないかって思います。 「はい。 今回のテーマはそれですね。 しっかり力の差を見せつけてまた次のステップへ進みます。 僕はあれから左ミドルに磨きをかけて、総合的にも色々なところを高めています。 「佐々木選手は本当に上手い選手でした。 やっぱりあのレベルに行くと、ただ左ミドルを蹴ってるだけじゃ当たらないなと勉強になりました。 「自分はここで終わるつもりはないし、K-1のベルトも獲るつもりです。 注目していてほしいです」.
次のこの記事は占星術で社会全体の流れを読むことを通して、個人の方向性も合わせて示す話なので、とっても俯瞰視点です。 じゃあお前自身はどうなんだ、という話はしていません、ほとんど。 でも、やっぱり、俯瞰することで改めて自分自身の執着に気付かされました。 文章を書きながら浮かんできた言葉があります。 「弱いからって誰かに守られるだけの人生(人間)なんてありえない、許せない」 と。 弱い自分を受け入れ、みっともない姿を安心してさらけ出す。 と書きながら、「そうあれたらいい、そういう社会にきっとなっていく」と祈りを込め、理想を思い描く前向きな自分がいました。 しかしその裏側でこんなことを考えてもいました。 そんなの、ほんとにできるの? 守ってもらわなきゃ生きていけない人なんて、この世に必要なの? じゃあ逆に、弱さを認めて真の強さへ、って書いてるけど、強くならなきゃいけないの? 別に全員が強くなりたいわけじゃなくない? 強くなりたいって思ってるのお前だけじゃない? そう自分に問いかけるって、つまるところ私が「弱く、守られるだけの存在」を許せてなくて、多分多くの人が「依存のあとにきちんと自立できる」って可能性を、信じてないんだろうなってまざまざと感じてしまったんですよね……。 改めて、私は人に頼ったり甘えたりすることが苦手なんだなあと。 頼っていいんだよって人に言いながら、自分は本当に心を開いた相手にしか甘えない。 ……いや、甘えない相手に心を開いていないかと言われると、厳密には違うんだけど、心の扉が何重にもあって、甘えを解禁するのはかなり奥の奥。 (ちなみにこの心の扉、以前は一枚だけな上に、閉じるか開くかしかなかったので、枚数が増えたのは自我が成長した証拠、褒めてほしいくらい。 笑) そして、普段甘えることを抑えているぶん、ベタ甘えしてしまうというか、実は結構な依存体質なんです。 そして、そういう自分を認めるのは辛かったし、今でも完全には許せていない。 自分の弱さもろくでもなさも、昔に比べたらかなりいろんなことを受け入れられてはきていますが、まだまだ心の底に染み付いているなあ、と改めて感じます。 弱い自分を許せないから、弱いままの他人も許せない もうずっとずっと、いつからかわかんないんですけど、「強くなりたい」「強くあらねばならない」という強迫観念があるんです。 「一人で生きられるように」みたいな。 それが誰かを守るための強さなのか、孤独に耐えるためのものなのか、ちょっと目的がもうよくわかんないんですが。 多分、弱いままでいることを許してもらえなかったんでしょうね。 甘えて拒絶されたのかもしれないし、その傷の痛みがずっと疼いている。 病気を治そうと必死になるのも、多分それに通じています。 不健康に酔っていては周囲に迷惑をかけ、人がいなくなるばかりだったから。 強い自分じゃないと・病気を治して健康な自分じゃないと、周囲に受け入れてもらえない、そういう思い込みがあります。 あと、誰かのために尽くしたり、誰かを守るために矢面に立ったり無理をしたりすることがあります。 それ自体は、性に合っていることではあるんですが、あまりにやりすぎると時折苦しくなって「じゃあ誰が私のこと守ってくれるの?」という言葉が浮かんできたことがあったり。 「私が一人でも平気で立っていられることを目指したために、私が弱っていても誰も気付かないんじゃないか」という恐怖がある。 「ちゃんと助けを求めないと、誰も助けてくれないらしい。 けど、助けを求めて拒絶されるのはもっと怖いしマジ絶望しかない」みたいな虚無に落ちることがある。 でもこの執着を手放さないと多分、子供にきつくあたってしまうんだろうなとか。 ただ他人の力に依存して生きていくだけの人間とか本当に許せないもん。 そのせいで、どうでもいい人に対して嫉妬したり、素直になれなかったり。 私は性自認は女で肉体と一致していますが、メンタルのジェンダーに葛藤があり、自らの女性的な部分を受け入れられないのも、ここと深く関わっている気がします。 でも、そこのブロック外れたら、もっと人に適度に甘えて、人を愛せて、心を通わせることができるんだろうな、とも思います。 何故なら他人は自分の投影であり、他人は自分と表裏一体、究極を言えば全てはつながってるので。 私にこそ「誰かに守ってもらわないと生きられない」弱さがあった 以前は本気で「一人で生きられるようにならなくちゃいけないし、突き詰めればそうなれる」と思い込んでいました。 けれどある時、あるきっかけで、 どうあがいても私は物理的に一人で生きていくのが難しいということに気付かされました。 詳細は語れないのですが、体質的(霊的な方)の問題です。 それに気付いたとき、旦那に 「私はどうあがいても一人で生きられないし、一人になったらまずいタイプ?」と聞いたら 「えっ今更……?」って3回くらい言われました。 どんだけ驚いとるん。 もう本当に嫌すぎて嫌すぎて。 だって自分が一番許せない「誰かに守ってもらわないとまともに立っていられない人間」が、自分自身で、それは一生変えられない性質なんだと。 今までその事実から目を背けて、自分一人の力を過信して、周囲に頼ろうとせず、無茶をしようとしていたんですが、そういうときって決まって、何もかも上手くいかなくなるんです。 このときも、そういう出来事があって、死ぬほど痛い目を見てようやくその事実に気付きました。 もう、あらゆる物事が「周りに頼らず生きるとか無理だから諦めろ」ってめっちゃ言われてる気持ちになる。 ていうか言われてる。 むしろ守ってくれてる人がちゃんといることに目を向けなさいと。 (私の人生、一番受け入れたくない自分自身を強制的に受け入れさせられること本当に多くて、これでよく心折れてないなって思いますね。 折れてるんですけど立ち直ってるっていうか……) そういうわけで今は「頼るときは人に頼る」「人は誰一人として一人では生きられない」という考え方にシフトしています。 とはいえ「誰にも頼らず生きる」というこの執着、とても根強くてですね、未だに見失いがちになりますし、誰かに頼るのは今でも怖いです。 私自身、かなりアンバランスな人間なので、もしかしたら「そんなことも一人でできないの?」と思われるようなことすら頼らなきゃいけないっぽい感じなんですけど……その代わりに自分が他人にできることを磨いて増やせばいいんですかね……? 「人からしっかりした人間に見られたい」「ちゃんとした自分」っていう呪いが、ものすごく重いです。 できれば「弱いままでも大丈夫」って思いたい つまるところ不安なんだと思います。 不安で当たり前ですよ。 怖いもん、弱いところを人に見せるのって。 でも私かなり厄介なところがあって、弱いところを気付いてもらえないのも、それはそれで癪なんです。 「私は人より気付くのに、なんでお前らはそんなに鈍感でいられるの?」と、心のどこかで思ってしまっているんですよね、なんて傲慢なんだろう。 「強く在りたい、誰かを守れる自分でありたい」という思いはずっとありますし、その感情は自分の原動力なのですが、過度な強さへの執着はときに強迫観念として自身を苦しめますし、他者への侮り、傲慢さを呼び、感謝を見失います。 でも、原動力として信じてきたもの手放すのって、めちゃめちゃ怖い。 弱さをさらけ出しても、培われた強さはなくならない、のかな。 弱くてみっともない自分でも、こんな自分もありじゃん、って思えるようになりたいです。 強くなければ生きられなかった過去の傷は、いつか、どこかで癒やされる日が来るのかな。 ……なんかもっと、安心して生きていたいです。 きっと本当は、強いだけの人間なんていないし、弱いだけの人間もいないんだと思います。 それに見る角度を変えたら強い人が弱くて、弱い人が強いのかもしれない。 自分が/相手が持っているものがどんな種類の強さ・弱さなのかをもっと噛み砕いていきたい、とも思いました。 ドグ子は、死ぬほど弱かったからある時から強いフリをしだして、それが最初は空回りするんだけど、ある時から 演じていた自分に本当になってしまうという体験を、何度か繰り返してがさつな性格を手に入れたんだドグ。 相手の気持ちを考えすぎて、声も出せない状態から「結局、最終的に伝えてしまうんなら相手に負担をかけさせないように自然に振る舞う」という仕草を覚え、 気づいたら思ってた以上にがさつになってたんだドグ。 繊細さって、コミュニケーションに時間がかかるけど、そういう人がいても悪くない。 というか、あまりいない分、味があるし、性質が優しいじゃないドグか。 多分、弱さって優しさのことなんだと思うドグよ。 そのお話を聞いて、獅子座は「自分を演出する」という性質があるのを思い出しました。 私は真逆で、演じれば演じるほど、ごまかせない本心に反撃される人生です。 笑 弱さは優しさ、私もそう思います。 実は、私の繊細でデリケートな部分は、私にとって当たり前でも周囲にとっては温かさや優しさと受け取ってもらえることが最近は多いです。 疲れるでしょ?と言われることもありますし実際疲れます。 なので、好きな人にしかやらないようにしています。 笑 心がギスギスする人が多い社会だからといって、自分まで一緒になってになってするのは勿体ないと思うからです。 強さも弱さも両方活かして柔軟に生きたいです。 逸見さん、こんにちは。 またコメント失礼します。 弱い自分を自分も周囲も認めてくれたらとても幸せですよね。 私も親しい人以外、なかなか弱い自分は出せません。 多分自分も弱い自分を認めたくないからなのかなって思います。 自分の性格上、他人の気付かないことによく気付いてしまいます。 〇〇した方が良いだろうな…って思うと、それを出来ない自分を責めてしまう。 それをやるのもストレスだし、やらないのもストレス。 「義を見てせざるは勇なきなり」って言葉が自分に突き刺さります。 ダメだな自分、弱いだけじゃないか、と。 でも勇気を持って行動した結果、周囲から出来るならやってと言われることも多く、後々の自分も苦しめることにもなる…と最近知りました。 自分も他人も大事にするのは難しい。 でもどっかでバランスを取らないと自分 が疲弊してしまう。 ほんとは困ってるひとを助けたりしたいだけなんですけどね…難しい。 今は他人との心地よい距離と、自分自身のバランスを探しています。
次の一般的に「女は機械に弱い」とされているらしいです。 当然のことながら、世の中には「機械に弱い男」も「機械に強い女」もいるわけですが、わたし個人に限っていえば、自他ともに認める「機械に弱い女」です。 子供の頃からメカものが苦手で、カメラもビデオデッキもまともに扱えませんでした。 いったい何が悪いのかと考えてみたんですけど、いちいちパニくるのがよくないと思うんですよ。 子供の頃からメカものに対する成功体験がほとんどないので、ちょっとしたことであわてふためいて、こわがって、あげくに「こんなもの扱えなくても生活できるしっ!」とかいう逃避行動にはしってしまい、結果、スキルがまったく向上しないわけです。 そのうえ、それをどうにか克服したい、という気持ちがまるっきり起きないものだから、事態はまったく好転しません。 SNSやゲームサイトのアップデートが行われた際に、「どうすればいいのかわかんない」「どうにかして~」「いや~、もう元に戻して~」という発言が、あちこちから噴出し、ネット界隈でバカにされるという現象をたまにみますが、プログラマとして「いやいや、ちょっと落ち着こうよ、きみたち。 落ち着いてやればそんなむずかしいことじゃないよ。 多分」とか思うわたしも、家電相手には似たような行動をとっているわけです。 我ながら情けないです。 しかし、そんなわたしはコンピュータという名の機械に囲まれて仕事をしています。 業種的にハード的な問題にぶち当たることがあまりないので、周囲にはなかなか気づかれないんですが、ふとしたことでそういうメカおんちっぷりがバレてしまい、「だって、機械は苦手なんだよ~!」と叫ぶと、ほぼ100%の確率で驚かれます。 「テレビドラマのシナリオライターがテレビの構造について詳しくなくちゃいけないってことありませんよね!」という反論をこころみたこともありましたが、「それとこれとは話が違う!」と言われて、まったくそのとおりなので「ごめんなさい」と謝ってみたり。 ちなみにこの言いわけ、業界外の人は「へえ、そういうものなの」と素直に納得してくれるので、いつも便利に使ってます。 世間一般的には、プログラマはみんな機械に強いと思われているらしく、わたしの職業を知られると「わたしは機械が苦手だから絶対になれないわ」とか言われたりするんですけど、ケータイすら満足に使えない人が20年以上も生き延びていられたりするので、メカオンチはプログラマになれない、ということもないと思います。 とかわたしが言っても、言いわけにしかならないんですけどね(苦笑)。 確かに「機械に強い」と思われていますが、最近はめったに相談はされません。 これは、相談の本題そっちのけで、対象物のUIに文句をつけるのが理由かも しれません。 この様にけむったいやつなのは体質です 言い切りっ。 犬でも三度ぶたれるとよってきませんので、まぁしかたありません。 自分はメカオンチを自認したことはありませんが、やられちまった事は 何度かあります。 例えばレンタ車では・・・ ・ヘッドランプをつけようとしたら消えた・・・・Autoモードだった orz. ・車の給油口を開けるレバーが見つからない・・・停車中なら押せば開く orz. ・キーを入れる穴がない・・・・・・・・・・・・無線だった orz. いわゆる「機械に弱い」って自分で言う人って、まずマニュアルを読まないような気がするんですが、どうでしょうか。 マニュアル読めって言っても「読んでもわからん!」って言って読んでくれないし 泣。 こんばんわです。 ひでみです。 仲澤@失業者さん。 パニクるっていうのは、やっぱり単純に知識不足なんですかねえ。 ケータイ相手にびびってる私も、スマフォならなんの苦もなく使いこなせます。 ビデオデッキもVHS時代はまったく使えなかったのに、ハードディスクタイプになった途端に、使えるようになりました。 どうやら「これはコンピュータ」と認識できればパニックを起こさないようです。 私の中では、「コンピュータ」=理解できるもの、で、「機械」=こわいもの、なんですよね。 われながら不思議です。 ちけんちさん。 マニュアルは一応、読みます。 活字好きなので、目の前に活字があるととりあえず読む習性があります(笑)。 仕事柄、マニュアルを読むのも苦になりませんし。 自分でも何をどう読み誤ったのかがわかりません。 仕様書の読解力には自信があるつもりなんですけど……。 もしかして、根本的なところを間違って認識してしまっていて、根本的すぎてどこにも書いていないとかいうことがあるのかなあ、とか疑っているところです。
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