中国や東アフリカで猛威を奮ってる『バッタの大発生』から【カビが日本を守った】という事例を知って、ちょっとジメジメに感謝した。 極めて多数のバッタ類が群れをなして飛来し、あらゆる植物を食い尽くしながら(蝗害)移動する飛蝗(ひこう)という現象は、世界各地で見られる。 日本でもかつて見られたことがある。 往々にしてイナゴと呼ばれることがあるが、分類学上はイナゴ類ではなく、トノサマバッタなどに近いバッタ類である。 日本ではトノサマバッタがこのような相変異をもつことが知られており、過去には小規模ながらも飛蝗が見られた記録がある。 近年では、2007年に関西国際空港拡幅のための二期島工事中に、飛蝗が発生した。 大阪府立環境農林水産総合研究所・食の安全研究部防除グループによると、2007年6月には、二期島内に3884万匹のトノサマバッタが生息していた。 飛蝗による視界妨害や、大量の幼虫を轢くことによるスリップなどの事故防止のため、薬剤散布で防除(駆除)し、100万匹を割ったところで防除を打ち切った。 最終的に、エントモフトラ属(ハエカビ属・ハエカビ目)のカビ感染により、トノサマバッタの大発生は終息した。 日本ではエントモフトラ属を始めとする天敵が存在するため、平常時はトノサマバッタが大量に生育するような環境は存在しないという。 飛蝗の発生が見られるのは、造成地や山火事跡地など、一時的に天敵が存在しない環境である。 2007年のバッタの大発生は薬剤駆除もあったのでは? A. 日本では平時からカビがバッタの大発生を防いでいるらしいです。 中国で大発生してるのは、黄脊竹蝗 Ceracris kiangsu。 東アフリカで大発生してるのは、サバクトビバッタ Schistocerca gregaria。 日本で2007年に発生したのは、トノサマバッタ Locusta migratoria。
次の概要 [ ] 蝗害を起こすバッタを 飛蝗、 トビバッタ、 (英語では「」)という。 また、飛蝗の群生行動を 飛蝗現象と呼ぶ。 飛蝗現象下にあるワタリバッタの群れがの飛行を妨げる場合すらある。 群生行動をしているバッタは、や畑作作物などに限らず、全ての(やなどの植物由来の製品にまで被害が及ぶ)を短時間のうちに食べ尽くしてしまう。 当然、被害地域の食糧生産はできなくなるため、住民の間に食糧不足やをもたらす事が多い。 また、大発生したバッタは大量の卵を産むため、数年連続して発生するのが特徴である。 を含む大抵の国では、の普及により過去のものとなっているが、諸国など国土が広大で組織的な駆虫が難しい地域では、現在も局地的に発生し大きな被害を出している。 日本での発生は稀なため、の「蝗」に誤って「」の訓があてられたが、などに生息するイナゴ類が蝗害を起こすことはない。 特徴 [ ] 蝗害(飛蝗現象)は上重要であるとともに生態学的にも興味深いため、多くの研究が積み重ねられている。 群生相 [ ] サバクトビバッタの幼虫。 高密度の集団中で世代交代を繰り返すと群生相の個体が生まれてくる。 (上)孤独相 (下)群生相 バッタは蝗害を起こす前に、普段の「孤独相」と呼ばれる体から「群生相」と呼ばれる移動に適した体に変化する。 これをと呼ぶ。 群生相の孤独相に対する外見上の特徴は、• 孤独相に比べて暗色になる。 翅が長くなる。 足が短くなる。 頭幅が大きくなる。 胸部の上が孤独相は膨らんでいるのに対し、群生相はへこんでいる。 (電子顕微鏡で見ると)触角の感覚子の数が減少している。 などが挙げられる。 行動上の特徴は、• 群生相の個体は互いに近づこうとする(孤独相の個体は互いに離れようとする。 ただし、孤独相のバッタも群れに入れると群生行動を共にする )。 産卵前期間が増加し、羽化後生存日数が減少し、産卵回数、産卵数が減少する。 孤独相の時には食べなかった植物まで食べるようになる。 などが挙げられる。 群生相、孤独相はそれぞれ生まれつきのものである。 ただし両親の遺伝子の組み合わせによるものではなく、親が暮らした集団の密度によるものであり、それも親がのような分泌液の刺激を受けたわけではなく、別の個体との接触が主な原因と言われている。 また、はっきりと2型に区別できるものではなく、程度の差がある。 集団生活をしている親からは、集団の密度が高いほど、より群生相が強い子が産まれる。 逆に集団密度が低くなると孤独相に近い子が生まれる。 この特徴は世代を超えて累積的に遺伝する。 相変異の原因物質は、の一種で、11種類のアミノ酸からなる[His 7]コラゾニン ()というである。 H コラゾニンだけで群生相になるかどうかはよく分かっていないが、少なくとも体色の黒化、前翅長、後脚腿筋、胸部の変化、触覚の感覚子の減少といった、外見上の変化があることが実験的に確かめられている。 ただし、行動上の影響についてはむしろ否定的な実験結果が出ており、相変異の原因についてまだ十分には解明されていない。 生態 [ ] 砂地に産卵するサバクトビバッタ バッタ科の雌は、を使って土や砂地の地下数センチメートルに産卵する。 背の高い草が密集している場所での産卵は苦手であり、近年北米で蝗害が減った原因のひとつは、が減少して草の背丈が伸びすぎたためとも言われている。 大量に産卵が行われるには草原や河原の砂地などが必要であり、蝗害は草原と耕作地が隣接しているような場所で発生しやすい。 また、群れを維持するためには大量の植物が必要であり、日本のように狭い土地では蝗害はほとんど発生しない。 一般に、これらの地帯でたまたま高気温、高降水量となった時に大発生する。 これは土地が湿って一時的な草場ができることで、バッタが集中的に発生して群生相が生まれるためである。 一方でによって河川の底だった砂地が草地となることも群生相が出現する要因となり、歴史上の中国などで見られる。 産卵は主に秋に行われ、卵は越冬して春に孵化する。 孵化直後は体が小さいので被害は少ない。 毎日体重と同じぐらいの量の草を食べるといわれている。 のロッキートビバッタの例では、5月にで孵化し、孵化直後は飛べないので歩いて周辺の草を食べつくし、6月始めに成虫となり、北や北西に飛び立っている。 向かう方位はさまざまであるが、方向は一定しており、追い風の時に移動し、向かい風の時には地面で休憩する様子が観察されている。 群れが次世代の群れを生むため、被害の年は連続することが多い。 一方で、何かのきっかけで群れが一度消滅すると、次に群生相が生まれるほど個体の密度が上がるまでは数十年と大発生が見られないこともある。 もっとも、バッタの大発生は周期的なものであり、連続して起こることはないとする文献もある。 大規模な移動を行うのは、一般的には食を求めてとする説が多いが、繁殖に関連する現象とする説もある。 あるいは、天敵からの逃避が目的とする説もある。 サバクトビバッタに関する研究によると、群生相の方が産卵数は少ないが、外敵に襲われにくいことから個体群増加(群の全重量増加)は速い。 群れの大きさ [ ] にを襲ったロッキートビバッタの群れの大きさは、幅160キロメートル、長さ500キロメートルである(この面積は日本の全面積の3分の1ほどである)。 平均高さ800メートル、場所によっては1600メートルであったと報告されている。 また、同じ場所では6時間以上にわたって観察された。 この群れが移動するため、被害面積はこれよりもはるかに大きくなる。 ただしこれは観察された最大級のサイズの群れであり、通常はここまで大きな群れになることはない。 群れの個体数に関して確からしい値としては、に写真を使ったサバクトビバッタの観察結果で、1立方メートル当たり17匹、個体数500億匹、重さ11万5000トンという値が報告されている。 サバクトビバッタは比較的大形のため、他のバッタではもっと密度が高い可能性がある。 ただし、近年であっても目視による観察ではかなり過剰に報告されることが多い。 種類 [ ] 蝗害を与えるバッタの種類としては、 ()のうち相変異をするものである。 被害が大きいことで有名なのは次の通りである。 北アフリカ全域〜インド・希にヨーロッパの主に砂漠地帯 Dociostaurus maroccanus アフリカ北西部からアジア Melanoplus spretus 20-35mm。 沿岸部を除く Nomadacris septemfasciata アフリカ東部 Locustana pardalina Brown Locust アフリカ南部 Nomadacris succincta ボンベイトビバッタ Bombay locust 西南〜東南アジア Anacridium属のバッタ Tree Locusts アフリカ、地中海沿岸、近東 蝗害の歴史と特色 [ ] 中国 [ ] 中国に被害を与えてきたトノサマバッタ 中国では、大規模な大雨や旱魃が起こると必ずといっていいほどの群生相が発生し、大規模な農被害を与えてきた。 そのため蝗害(蝗災)が天災の一つに数えられている。 そして、天災は皇帝の不徳によるものとされてきたため、各時代の政府はこの対策に取り組み、発生した天災の記録を残した。 そのためもあり、中国には蝗害の記録が非常に多い。 歴史 [ ] 古くはのにも蝗害の記録が見られる。 また、の詩篇『』にもバッタ駆除の様子が書かれている。 代になると記録が増え、(6年) を始めとして、、には20回以上もの蝗害の記録があり、の思想家 や官僚の も自書の中で蝗害について述べている。 頃から政府の取り組みについての記録も増え、にはのの時代に官庫を開いて窮民を救済した旨の記述がある。 代になって儒者から「祭礼を怠るから蝗害が起こるのだ」との意見が出たり(『』五行志三)、政治の要諦を説いた『』にはの皇帝が蝗を飲み込んで蝗害を止めたと言う伝説が書かれている。 に流域で発生した蝗害に対して、当時の宰相が対策を命じている。 記録も詳細になり、被害の様子や群れの移動の様子も書かれるようになった。 代になると本格的な対策が考えられるようになり、にはが晩に火を焚いて飛蝗を誘い込む方法を提案している。 代に書かれた『』には蝗害予防の方法が記されており、村(当時は社と記した)単位での管理や予防が共同体約定と言う形式で事実上義務化されていたことがわかる。 ただし蝗害は依然として重大な被害を与えており、元崩壊の原因のひとつになっている。 代になった、は著書『屯塩疏』の第3編を『除蝗疏』として対策を記し、後に『』に編入された。 代の、が『』を著している。 清代には記録も増えており、正史以外の書物にも記録が見られるようになる。 この清末のにはが『』を、同じ清代に『捕蝗要訣』と言う防除法を記した書物が作られている。 現代でも蝗害は無くなったわけではなく、夏にはを飛蝗が襲っており、1平方メートルあたり350-500匹、飛来面積は220万畝に上っている。 また、2020年にアフリカで発生したサバクトビバッタによる被害も中国まで到達している。 朝鮮 [ ] 『』に蝗害の記述を多く見ることが出来る。 「高句麗本紀 太祖大王」に「秋八月 國南蝗害穀、秋八月、東獵得白鹿、國南飛蝗害穀」。 「百済本紀 肖古王」に「四十六年秋八月、國南、蝗害、民饑」。 「新羅本紀第十 元聖王」に「秋七月 蝗害穀…(中略)…秋九月、國東蝗害穀。 …(中略)…五年秋七月、國西蝗害穀」。 これらの記述は日食、地震、冷害などと並んで記されており、当時の朝鮮でも蝗害が天変地異として扱われていた様子がわかる。 ヨーロッパ、地中海 [ ] 地中海から中東にかけて被害を与えているサバクトビバッタ のでは、モロッコトビバッタが猛威を揮っており、酷い所では16,000が被害を受け、と重なって深刻な飢餓を引き起こした。 (FAO)はができたからバッタ対策を開始し、5月頃の一掃作戦ではバッタの発生時期に合わせた幼虫の駆除に成功している。 南部のでは、サバクトビバッタの大発生の可能性が出てきた。 で大発生したバッタが南下し、国境付近で産卵したため、この2世代目が大被害を与える可能性が高くなっている。 そのため、国連中央緊急対応基金 ()は240万ドル、日本政府は200万ドルをイエメン政府に援助し、重機材や農薬、専門家雇用のために使われている。 、アラビア半島にが2度上陸し、恵みの雨で植物が増えたことから、にサバクトビバッタが大発生した。 で対策は後手に回り、サウジアラビア、オマーン、イラン、パキスタン、インドにまで被害は拡大。 後述する、2020年の東アフリカでのサバクトビバッタ大発生にも影響を与えた。 、のでバッタの大量発生が見られ、農作物に大きな被害が出た。 による駆除が行われたが、地域にはなどの金属を打ち鳴らしてバッタを追い払う風習が残されており、古くから大きな被害に悩まされてきたことが伺われる。 アフリカ [ ] ではにブガルラ、キルイ(Kiryi)、ルワザ(Rwaza)での蝗害が報告されており、以後も度々綿花などに被害を与えている。 - には約3,000kmものトノサマバッタ(ローカスト)の群れが西アフリカのを襲っており、その密度は1平方km当たり5,000万匹であった。 にはをも襲っている。 には付近の、、を襲ったサバクトビバッタの発生に対してFAOが援助を行い、日本政府も2004年度予算で供与限度額3. 3億円での無償資金援助を行っている ()。 一方、で発生したサバクトビバッタが北経由でを飛び越え、、にまで到達したことが報告されている。 にはでトノサマバッタが国土の半分以上に被害を与えた()。 には東アフリカで、2月2日はサバクトビバッタが大量発生して非常事態宣言するなどアフリカ東部で被害が拡大して食糧危機になる恐れが出てきた。 では過去70年で最悪の規模になり2400平方キロメートルの広範囲に及ぶ群れもいたという。 (FAO)報告によると、、ソマリア、ケニアで繁殖が続いており、ウガンダ北東部、南スーダン南東部、タンザニアでも小規模な飛蝗の発生を警告した。 北アメリカ [ ] 蝗害となっていたかどうかは不明だが、のベアトゥース山脈()のグラスホッパー氷河()には、に風に飛ばされてきたと見られるのおびただしい死骸が残されている。 にはを襲っており、地面に10センチ以上ものバッタが積もったことが記録されている。 にはをロッキートビバッタが襲っており、その数は当時の計算によると1,240億匹以上である(ただし、現在の研究では600億匹と見られる )。 には最悪の被害をもたらしている。 を最後に大規模な群れは観察されていない。 頃にロッキートビバッタ自体はしたと考えられている。 日本 [ ] 手稲山口バッタ塚 日本の古文献でも蝗害について報告されているが、そのほとんどがいわゆる飛蝗(バッタ科)によるものではなく、(イナゴ科)の他、などによるものと考えられている。 狭く平原の少ない日本の土地では、バッタ科(等)が数世代にわたって集団生活をする条件が整いにくいため、限られた地域でしか発生していない。 また、エントモフトラ属(ハエカビ属・)のを始めとしたの存在も、結果として蝗害を抑えていると考えられている。 トノサマバッタによる蝗害 [ ] 古文献から、などでトノサマバッタによる蝗害が発生したことが推察されている。 近代では、初期にで蝗害が発生したことが知られている。 (明治8年)、道東の沿岸をが直撃し、未曾有の大を引き起こした。 とが合流するあたりでは膨大な樹木が流失した結果、広い範囲でが露出し、ここにやなどの植物が生い茂るが出現した。 さらに、その後の数年間好天が続いたため、トノサマバッタの大繁殖に適した環境が整った。 (明治12年)からトノサマバッタ発生の兆し はあったが、本格的な大発生となったのは(明治13年)8月のことである。 このときは、発生したバッタの大群はを越え、を襲った。 蝗害はさらにを経てやへ至り、また別の群れはへ達した。 はバッタの群れにを撃ちこむなどして駆除に務めたが、者の家屋の紙まで食い尽くし、各地で壊滅的な被害をもたらした。 翌(明治14年)にも再び大発生し、この年はまでバッタが進出した。 当時の記録では、駆除のため捕獲した数だけで360億匹を超えたという。 しかし、まだ入植が始まっていなかったでは耕地が少なく、目立った被害は出なかった。 蝗害がを渡って本州へ波及することを懸念した中央政府 はトノサマバッタの発生源の調査を命じた。 14名の係官が派遣され、蝗害の被災地を辿ってバッタの群れがどこからやってきたのか現地調査を行った結果、冒頭に述べた十勝川流域の広大な草原に至った。 これが日本で三番目に広いの「発見」である。 この報告を耳にしたは十勝平野への入植を決め 、これが十勝内陸への初めての本格的な入植 となった。 蝗害はその後も続き、(明治16年)にはの側まで達した。 晩成社でもバッタの繁殖地の調査を行い 、十勝川上流ので大繁殖地を発見している。 ではも動員して繁殖地の駆除を行い 、1884年(明治17年)には延べ3万人のアイヌが動員された。 それでも蝗害は止まらず、では翌年の予算に180億匹のバッタ幼虫の駆除費用を計上するはめになった。 しかし、1884年(明治17年)9月の長雨によって多くのバッタが繁殖に失敗して死滅し、蝗害はようやく終息した。 しかし、以降もの初めまで断続的に観察された。 北海道の開拓地では、被災地への金銭的な補助の意味合いも兼ね、バッタの卵を買い取る制度があった。 のは、住民から買い集めたバッタの卵を砂地に埋めたところに建てられたものであるが、十勝地方にもバッタ塚が残されており、根絶を願った当時の住民の状況を今に伝えている。 (昭和46年) - (昭和49年)、のでもトノサマバッタ群生相による蝗害が発生している。 また、(昭和61年) - (昭和62年)にはのでも3,000万匹のトノサマバッタが発生している。 21世紀には、(平成19年)、オープン直前の2期空港島でトノサマバッタが大量発生し、蝗害発生の条件となる群生相と見られる個体も見つかっている。 環境農林水産研究所・食の安全研究部防除グループによると、には3,884万匹のトノサマバッタが確認された。 大発生の原因は、のいない孤立した島のためと考えられている。 関西国際空港側は、薬剤散布で防除(駆除)し、100万匹を割ったところで防除を打ち切った。 最終的に、エントモフトラ属のカビ感染により、トノサマバッタの大発生は終息した。 対策 [ ] 活動機関 [ ] 世界で発生するバッタ対策は FAO などが行っている。 イタリア・ローマにあるFAO本部 現在、蝗害が大きな問題となっているのはアフリカ中部・北部、アラビア半島、中近東、アフガニスタンなどである。 これらの地域で発生するバッタ対策は、にあるFAOの機関、サバクバッタ情報サービス Desert Locust Information Service, DLIS を中心に行われている。 DLISではに搭載されたの降水情報などを利用して、天候、環境、分布状況を日々モニターすることで、6週間先までのバッタの分布を予想している。 これらの予想は、1970年代から発行されている月刊の locust bulletins誌上で報告されている。 1990年代以降の情報はFAOの公式サイト[www. fao. FAOは蝗害が予想される国に対して情報と対策技術の教育を実施し、関係機関に資金援助を要請している。 日本政府も被害国に対して度々無償資金援助を行っている。 バッタの活動範囲は1,600万から3,000万平方キロメートルと非常に広く、多数の人員が必要となる。 アフリカではのように国立の研究所が設立された国もあるが、多くは発展途上国であったり内政が混乱している国であるため、政府がバッタの監視や対策をすることが非常に困難である。 方法 [ ] バッタ対策としては、小規模な発生が起こった次の世代の発生を防ぐことが重要である。 バッタが卵の時期には殺虫剤の効果が薄く、一方、成虫となって飛翔できるようになってからの駆除は困難なので、幼虫の内の駆除が必要である。 そのため、まずは産卵地データの収集から始まる。 幼虫の駆除に対して、FAOは機械的な除去、農薬を使っての除去の2つを併用して対策している。 例えばで2005年5月に行われた作戦では、21,000ヘクタールは機械で除去、81,000ヘクタールは合成を使っての化学的駆除を行っている。 FAOの8月の報告によると、バッタの発生時期と上手く重なったこともあってこの作戦は成功し、産卵が減ったために2006年には大幅に対策地域を減らすことに成功したという。 また、2006年からは昆虫に対する接触毒である diflubenzuron の併用も始めている。 では散布した殺虫剤による環境汚染度を測定するモデル生物としてを利用している。 メタリジウム菌に感染死したアカトビバッタ () 殺虫剤は広範囲に撒かれるため、人体や環境への影響も十分に考慮する必要がある。 これらへの影響を完全にゼロにすることは困難で、通常はバッタの被害と比較しての実施がなされる。 ただし、やなど、 WHO によりきわめて危険(クラス1a)、かなり危険(クラス1b)とされたもの は使用されない。 現在主に使われているのは、超低量散布 ()という技術である。 車両搭載された空中噴霧器を使ってバッタの移動予想地点に濃厚な殺虫剤が少量散布され、バッタが殺虫剤の付いた餌を食べたり上を歩いたりすることで死亡する。 この技術は各国の政府機関の要請を受けた東アフリカ移動性バッタ防除機構 Desert Locust Control Organisation for East Africa, DLCO-EA などによって実施される。 殺虫剤には前述したピレスロイド、ジフルベンズロンのほか、生物農薬であるの使用も検討されている。 ただしメタリジウム菌は即効性が期待できない。 トノサマバッタ以外による蝗害 [ ] 日本ではバッタ科のバッタによる蝗害がほとんど起こらなかったため、中国渡来の文献に書かれている「蝗害」を、昆虫による大規模な農被害全般を指す語だと誤解した。 日本の古文献に書かれている「蝗害」のほとんどは、(イナゴ科)、、によるものである。 被害の様相はバッタによる真の蝗害とは著しく異なるが、やはり真の蝗害の実体験に乏しい日本では、このウンカによる被害に対しても、蝗害の漢語が当てられることとなった。 今日ではウンカも群生相を示すことが知られているが 、被害は飛蝗に比べればはるかに小さい。 日本でできないやの被害が発生するのは、に沿った気流によって中国南部(東南アジア説もある)から移動してきて一時的に大発生するためである。 このトビイロウンカやセジロウンカは昭和前期には越冬していると考えられていたのであるが、1967年(昭和42年)に、岸本良一がジェット気流に乗って梅雨の時期に中国大陸から飛来するとする研究を発表し、1987年(昭和62年)に清野豁が飛来経路を解明した。 このため、現在では飛来型ウンカには飛来予報を発表するページが存在する。 古文献には、『』巻二元年(701年)八月辛酉の条に、を始めとする17ヶ国に蝗の被害があったと記されており、以後数年おきに害が報告されている。 よって夫々にす」と関東地方でも蝗害があったとする記述がある。 この後の『』巻22、812年(弘仁3年)の条にも、で蝗が発生し、稻五千束の税が免除されたとの記録があるが 、これはによる被害と見られる。 神話・伝説のレベルの話だが、807年(大同2年)に成立した『』には、大地主神(おおところぬしのかみ)が御年神(みとしのかみ)から蝗害防止の祭事を教わった話が載る。 桑原和男は『古語拾遺』804年(延暦23年)の条から銅鐸にある絵柄の一つは蝗害防止の祭事ではないかと仮説を立てている。 874年(貞観16年)にはで「其頭赤如丹。 背青黒。 腹斑駮。 大者一寸五分。 小者一寸」と描写される「蝗」に1日数が食害されており(『』)、これはイナゴの被害と見られている。 また、1017年(寛仁元年)には越前・摂津・近江など蝗害のため、蝗虫御祈諸社奉幣使を使わした記録がある(『』)。 年間、特に1732年(享保17年)前後に起きた蝗害が大きい。 防長両国の蝗害高は29万2740石余、では収穫は7割程落ち込んだとされ、伊予和気郡では3400人の死者が出たとされる。 なお、『』にはこの蝗害のために餓死した人間を96万9900人と書き記しており、46藩合計で236万石の所、収穫は62万8000余石足らずであったと言う。 またには1750年(寛延3年)、同1753年(宝暦3年)に蝗害発生による祈祷を行った記録が残っているほか、1749年(寛延2年)には冷害と蝗害により東北地方が大飢饉となり、肥前では1768年(明和5年)に蝗害が起きた記録が、1740年(元文5年)には伊勢国領で108村が蝗害のための減免を強訴した記録があり、1770年(明和7年)に関東各地で、1780年(安永9年)に出雲で蝗害の記録が、1819年(文政2年)11月には大里郡佐谷田村(現埼玉県)にて蝗害駆除の祈願が行われた旨がそれぞれの町史や市史、県史に見る事ができる。 の1826年(文政9年)の農業書である『除蝗録』はウンカについての記述と見られる。 なお、記録が多い筑紫国の蝗害は、1627年(寛永4年)から1868年(慶応4年)の間に33回も蝗害の記述がある。 蝗害を扱った作品 [ ]• 『』「」 - 「」の一つとして出てくる。 『』 - 作家の小説。 映画『』 - 1977年公開、「悪魔の象徴」として描かれる。 映画『』 - 1985年のアメリカ映画。 映画『』- 2001年のドイツ映画。 ケニアでの蝗害が物語で重要な役割を果たす。 『』- の小説。 続編となる『インガルス一家の物語3:プラム・クリークの土手で』で蝗害が物語の転機となる。 『』の原作。 『』- の小説。 東北を襲った蝗害をきっかけに東北6県が日本国から独立する。 『』- 漫画版で人工的に蝗害を起こし、敵対国をにする戦術が登場する。 『』 - 十勝地方における農業の歴史を語る時に、蝗害が度々引き合いに出される。 (蝗害に巻き込まれた経験のある筆者の祖母曰く、蝗害発生時には藁や紙や着ている着物まで植物性のものはなんでも食われた、とのこと。 『山猫の夏』 - の小説。 40億匹の蝗害を起死回生のゲリラ戦に利用する。 『彩雲国物語』 - 原作のライトノベル。 作中で起こる天変地異の一つとして蝗害が発生する。 『』 - の漫画。 蝗の大群で航空基地が覆われ、戦闘機の離陸に支障をきたす話がある。 『輝ける碧き空の下で』 - の小説。 ブラジルに入植した日系移民の農場で蝗害が発生した様子が描かれる。 『』 - の漫画。 主人公らが北海道東部を襲った蝗害で足止めされる他、集落が被害を受け出稼ぎに出るアイヌが登場する。 『』 - の漫画。 人間の蝗害に対する恐れが顕現して生まれたバッタの・蝗GUYが、主人公・虎杖悠仁と交戦する。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 農業情報研究所 WAPIC• 中筋房夫編『個体群動態と害虫駆除』、1989年、冬樹社、• 写真あり。 彭邦炯 、1983年、農業考古、1983年第2期• 中國哲學書電子化計劃• (ウィキソース中国語版)。 李純然• 《贞观政要》卷8《务农》、上海古籍出版社1978年版、第237頁。 『』(ウィキソース中国語版)。 陳芳生『捕蝗考』()• 人民報• 外務省• - 『』• AFP 2019年12月26日. 2020年2月26日閲覧。 武内進一編 PDF 2. 外務省• 京都新聞2020年2月5日朝刊• - FAO (英語)• Alexandra M. Wagner Winter 2008. 89 4 : 154—167. 『帯広市史(平成15年編)』、2003年、p123• ヌップクかわら版 、• 『新十勝史』p182,十勝毎日新聞社刊,1991• 『帯広市史(平成十五年編)』p123• 『音更町史』、1980年、p48• 『音更町史』、1980年、p51• 160• 弘前学園• 田中寛, 保田淑郎, 柴尾学、「」 『関西病虫害研究会報』 2015年 57巻 p. 1-9, :• 、(平成19年)• 著 バッタを倒しにアフリカへ 2017年• 『歴史地理学 37 近畿地方における享保17年の蝗害と取箇の分布』(池内長良)、中央公論社『日本の歴史17』、『』、『続日本王代一覧』 参考文献 [ ]• 著 『バッタを倒しにアフリカへ』 2017年• 、編著、『飛ぶ昆虫、飛ばない昆虫の謎』東海大学出版社 2004年• (中国語版) 倪根金、《历代蝗灾及治蝗述要》(《历史教学》1998年第6期)• (中国語版) 陆人骥、《中国历代蝗灾的初步研究——开明版〈二十五史〉中蝗灾记录的分析》(《农业考古》1986年第1期)• (中国語版) 袁林著、《西北灾荒史》(甘肃人民出版社、1994年) 外部リンク [ ]• (英語):2004年のアフリカ大陸西部〜北部の蝗害のビデオ• バッタに関する文献登録サイト(英語)• (英語)• 国際連合食糧農業機関の蝗害情報サイト (英語).
次のアラビア半島、アフリカ東部、南西アジアでバッタの大群が襲来し、各国で深刻な食料危機を引き起こしている。 大量発生したバッタは大型で強力なあごを持つサバクトビバッタで、1000億匹をこす巨大な群れで押し寄せて地域一帯を埋め尽くし、農作物や家畜の餌となる牧草を片っ端から食い荒らすのが特徴だ。 群れの規模は、ケニアで「過去70年で最大」、エチオピアやソマリアでは「過去25年で最大」といわれ、国連も「対応が遅れれば食糧不足による人道危機をもたらす」と警鐘を鳴らす事態になっている。 内戦や新型コロナ感染による経済的打撃を受けている地域にバッタ襲来の被害が追い打ちをかけており、食料不足で飢餓人口が拡大する危機に直面している。 サバクトビバッタ 国連食糧農業機関(FAO)は3月、「再びバッタが大群を形成し始めた」と注意を促す報告を公表した。 「アフリカの角」地域に位置するケニア、ソマリア、エチオピアの状況が「特に危機的」と指摘し、スーダン、エリトリア、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、イラン、パキスタンにも甚大な被害をもたらす可能性に言及した。 バッタによる被害は日本ではあまり問題になっていないためイメージがわきにくい。 しかしアフリカでは何度もバッタが蝗害(こうがい、バッタがもたらす被害)を引き起こしており、FAOには上級蝗害予報官という役職まであるほどだ。 FAOが3月段階で発した警告も「第一波」の蝗害が制圧できず「第二波」の蝗害がさらに拡大するのを防ごうとする動きだった。 国連は1平方㌔㍍(100㌶)に及ぶバッタ4000万~8000万匹の大群がわずか1日で3万5000人分の食料を食いつくしてしまうこと、バッタは毎日150㌔㍍の距離を進むこと、などの特徴を挙げ早急な対応を各国に求めた。 ところが「第一波」以後も大きな勢力を保ち続けたバッタの大群は縮小するどころか、ますます規模を拡大させていった。 ケニアに出没した巨大な群れは2400平方㌔㍍(縦60㌔㍍、横40㌔㍍、24万㌶)の土地を1000億~2000億匹ものバッタが占拠し、農作物を食い荒らした。 この2400平方㌔㍍とは下関市の3倍以上、大阪市の10倍以上に匹敵する広大な面積である。 しかもこの広い面積にバッタが1平方㍍当りに4万~8万匹という密度で押し寄せることを意味する。 それはあたり一面をバッタが埋め尽くすという想像を絶する光景である。 ソマリアでは2月段階で「人々とその家畜の食料源が危険にさらされている」「サバクトビバッタの大群は異常なほど大規模で、膨大な量の穀物や飼料を食べ尽くしている」と指摘し、国家的規模で蝗害対策にとりくむため非常事態を宣言し対応してきた。 それでもバッタの駆除は追いついていない。 エチオピアでもバッタの大群が2000平方㌔㍍(20万㌶)に及ぶモロコシ、小麦、トウモロコシ等の農地を食い尽くした。 牛の牧草地も激減した。 その結果、約100万人が緊急食糧援助を必要とする事態になっている。 こうしたなか国連世界食糧計画(国連WFP)は4月、新型コロナ感染のパンデミックが飢餓人口を倍増させ、2020年末までに2億6500万人に増加する可能性があるという推計を発表した。 その調査結果では「2019年に急激な食料不安に苦しんでいる人々の大多数は、紛争(7700万人)、気候変動(3400万人)、経済危機(2400万人)の影響を受けた国々にいる」と指摘した。 そして「最悪の食糧危機」に陥っている国として10カ国(イエメン、コンゴ、アフガニスタン、ベネズエラ、エチオピア、南スーダン、シリア、スーダン、ナイジェリア、ハイチ)をあげ、新型コロナ対応の遅れがもたらす経済的打撃について言及した。 だがアフリカ地域では新型コロナ感染拡大と同時進行でバッタ襲来による被害も拡大していた。 外出禁止や人との接触禁止で農作業やバッタ駆除が十分にできなかったうえ、物流網が滞って殺虫剤がなかなか届かなかった。 そうした悪条件も重なり、サバクトビバッタの大群は、エチオピアをはじめ、ソマリア、ケニア、ジブチ、エリトリア、タンザニア、スーダン、南スーダン、ウガンダなど、アフリカ東部の大部分の農作物を食い荒らしながら群れを拡大している。 その群れが今ではインドやパキスタンにまで迫っている。 ケニアでのバッタ被害 バッタが大量発生したのは、近年の異常気象が東アフリカの砂漠に大量の降雨をもたらし、良好な繁殖環境をつくった影響が大きいという。 現在、バッタ大繁殖の要因の一つとされているのは、インド洋西部の海面温度が上昇する「インド洋ダイポールモード現象(IOD)」と呼ばれる気候変動現象である。 IODは数年間に一度、夏から秋にかけて発生する現象で正と負の二種類あるという。 正のIODが発生すると熱帯インド洋の南東部で海面水温が平年より冷たくなり、西部の海面水温が上がる。 この気候変動がもたらす対流活動の変化で東アフリカでは雨が多くなり、インドネシアでは雨が少なくなる。 他方、負のIODが発生するとインドネシアやオーストラリアで雨が多くなる。 こうした現象を踏まえて「温暖化でバッタの繁殖期間が長くなり、過去にない大被害につながった」と分析するFAO(国際連合食糧農業機関)専門官もいる。 今回のサバクトビバッタ大量発生は2018年にアラビア半島を襲ったサイクロン(温帯性低気圧)が直接的要因と見られている。 2018年には5月と10月にサウジアラビアとイエメン、オマーンにまたがるルブアルハリ砂漠にサイクロンが上陸し、異例の豪雨をもたらした。 本来は半砂漠地帯でなにも食べ物がないはずの土地に雨水が潤いを与えたため、広大な草原が現れた。 餌となる植物が増えたことでイエメンとオマーンの国境付近にサバクトビバッタが大量発生した。 さらにサバクトビバッタには「湿っている地中に産卵し、その卵が吸水する必要がある」「温度が高いほど発育が早まる」という特徴がある。 温暖化で気温が高くなったうえ、サイクロンによる大雨が降れば、こうしたバッタの孵化や発育に極めて有利な条件をつくり出す。 そうなるとバッタが産卵して以後の成長が早まるため、より短い期間で大きな群れが発生する頻度は高くなる。 こうしてバッタが大群をつくりやすい好条件のなかで移動を繰り返し、各地の農作物を食い荒らした。 そして翌2019年10月には、ソマリア北部やエチオピアで洪水が発生した。 さらに同年12月にアフリカ東部をサイクロンが直撃した。 この時期は通常バッタの餌となる植物が枯れている時期だが、またも大雨の到来で植物は枯れず、サバクトビバッタの繁殖が止まらない状態となった。 しかもこのときは、2018年のサイクロンで巨大化したサバクトビバッタの第一世代の群れに加えて、次世代の群れまで大繁殖を始めた。 サバクトビバッタの群れは「第二世代は第一世代より20倍のペースで増える」といわれている。 今年1月にFAOが「バッタの群れは6月に入ると500倍に増える可能性がある」と警鐘を鳴らしたのは、こうしたサバクトビバッタの急激な繁殖傾向を踏まえた試算である。 しかも今回、ケニアやエチオピアでバッタが大量発生した時期はちょうど作付けの季節で、農作物の苗が伸び始めた頃だった。 こうした農作物が苗の段階でみな食い尽くされてしまったため、アフリカ東部の農家は今後、農作物を収穫する望みも絶たれてしまった。 それはアフリカ各国の食料供給を脅かす危機的事態を招いている。 また、サバクトビバッタは農作物だけでなくヤギやラクダの餌まですべてを一瞬で食い尽くすため、生活できなくなった農家や遊牧民が都市に流入することを懸念する声も出ている。 だがそれ以前からこの地域では、内戦続きで物資供給網が安定していないという問題を抱えていた。 そのため各国政府の予算は治安対策や、国民生活に不可欠な道路などインフラ整備などが優先され、バッタ対策の予算は後回しにされてしまう傾向がある。 蝗害を防ぐには、バッタの行動範囲が限られる幼生の頃に駆除することが重要だが、巨大な群れが発生した後に慌てて対策をとろうとし、手遅れになってしまう場合も多いのが現実だ。 そして今回のバッタ被害に追い打ちをかけたのが、世界的な新型コロナウイルス感染症だった。 「パンデミックを防ぐ」という理由で実行されたロックダウン(都市封鎖)によって「旅行制限」がかかり、バッタの専門家が現地へ行くことも難しくなった。 専門家がバッタ大量発生の実態や原因・予防策を調べたり、地元住民に駆除対策の仕方を教えることもできない事態に直面している。 大量発生で攻撃的性格の群生相状態に 現在、東アフリカからインドにかけて大量発生しているのはサバクトビバッタである。 サバクトビバッタは日本国内でよく見かけるトノサマバッタのような風貌をしており、体長が約5~6㌢㍍ほどある大型のバッタ(寿命は3~5カ月程度)だ。 普段は「孤独相」という呼ばれる状態にあり、群れにならず単体で行動している。 性格はおとなしく、体の色も身を隠しやすいように、目立ちにくい茶色がかった緑色をしている。 ところが大量発生して群れをなすと「群生相」という状態に変化し、体つきも体の色も性格も激変してしまう。 同じサバクトビバッタなのに性格は攻撃的になり、体の色は非常に目立つ黄色と黒色のまだら模様になる。 そして大群をつくって行動し、植物や農作物を食べながら時速16~19㌔㍍の速さで、1日に5~150㌔㍍も移動するようになる。 しかもサバクトビバッタは1匹が1日約2㌘の食料を食べることができる。 2㌘といえばサバクトビバッタの体重とほぼ同じで、1000億匹の群れなら20万㌧もの食料を1日で食べ尽くしてしまうことになる。 この「孤独相」から「群生相」に変わる特殊能力は「相変異」と呼ばれ、「相変異」を示す種類がバッタ、「相変異」を示さない種類が蝗(イナゴ)と呼ばれている。 「孤独相」のバッタが「群生相」に変異し、群れをなして移動するようになる直接的なきっかけは雨だという。 サバクトビバッタは湿った砂地にのみ産卵する特徴がある。 乾いた砂地に産卵すると卵がみな熱で死んでしまうからだ。 そのため大雨が降ったあと、バッタは狂ったように産卵していく。 その数は1平方㍍当り1000個に及び、砂地は卵だらけになるという。 卵からかえった幼虫は、生え始めたばかりの草に溢れ、食べ物が豊富にある環境下で成長していく。 サバクトビバッタはその後、いくつかの段階を経ながら飛行可能な成虫になる。 なにも変化がなければ「孤独相」のおとなしいバッタとして成長していくが、いったん条件が整えばどの段階でも「群生相」に変化してしまう。 そして「群生相」へ変化し始めたバッタは群れをつくって草を食い尽くし、さらなる食料を求めて大群で移動するなかでより進化をとげていく。 体の割合に比べて翅(はね)が長くなり、後ろ脚は短くなるなど、遠くまで飛んでいくのに適した体つきに変わっていく。 また「群生相」に変わったバッタは、お互いを避けあう控えめな「孤独相」の性質が変わり、みなが同じ方向に向かって行進するようになる。 この行動は「マーチング」と呼ばれ、群れのなかでお互いに衝突して共食いすることを防ぐ動きだと考えられている。 あげくの果ては数千億匹もの大群をつくって農地を次々と丸裸にし、すでに内戦や新型コロナで経済的苦境に直面している貧困地域の食料を根こそぎ奪っていく事態になっている。 しかしこの「相変異」を示すバッタは、サバクトビバッタだけには限らない。 「群生相」に変化するバッタは世界に複数存在しており、日本でも蝗害が起きる可能性はある。 「群生相」に変わりうるバッタとしてはサバクトビバッタ以外にも、トノサマバッタ、モロッコトビバッタ、オーストラリアトビバッタ、ロッキートビバッタなどがいる。 日本にいるトノサマバッタも生息範囲は東アジアに広く分布しており、過去に深刻な蝗害をもたらしたこともある。 アフリカにいるトノサマバッタの亜種がマダガスカルなどで大量発生したり、中国でトノサマバッタが蝗害を引き起こした記録、江戸時代に関東平野で蝗害が発生した記録もある。 こうしたなかで、どうやってバッタを駆除するのか、どうすれば蝗害を防げるのか、その方向性を見いだすことが差し迫った課題になっている。 現在のバッタ駆除は主として殺虫剤で駆除する方法がとられている。 国際連合食糧農業機関(FAO)はバッタ対策専門チームを配置し、人工衛星によるGIS(地理情報システム)を使ってバッタの動向を調査している。 バッタが集合化する兆候を調べ群生相化しそうなバッタの集団を見つけると、FAO専門チームが今後の被害の予想をしながら、各国のバッタ対策組織と連携して殺虫剤を散布していく。 それは飛行機やヘリコプターを使って低空からまく場合もあれば、タンクを背負った人が地上で直接散布するケースもある。 サバクトビバッタは今のところ殺虫剤抵抗性が低いため、薬剤がバッタの表面に触れると6~7時間以内に死んでしまうという。 しかし群生相の成虫が国境をまたいで移動をくり返す段階になると、一都市を丸ごと覆うような大群になるため、相当大規模な駆除対策チームを投入しても対応できない。 火炎放射器で焼き殺すという案もあるが、火のついたバッタの大群が各地で飛びまわり始めたら大火事を引き起こすことにもつながりかねない。 アヒルの大群でバッタを退治する話もあるが、アヒルのバッタを食べる量は1日に約200匹という。 仮に10万羽のアヒルを派遣しても数千億匹にのぼるバッタに太刀打ちできるかわからない。 しかもバッタが発生した農地に何万羽ものアヒルを投入すれば農作物自体が踏み荒らされてだめになる。 そのため、アフリカ各国は羽が小さく移動能力の低い幼虫のバッタを殺虫剤で退治する「初期防除」に力を入れている。 しかしバッタの幼虫を対象にした殺虫剤散布でも散布範囲は広く、人手が多数必要になる。 薬剤が人体に付着すれば体調異変につながり、土地全体に異変をもたらす危険もある。 そのため薬剤の知識と散布技術の習得が必要で、だれでもすぐ散布要員になれるわけではない。 しかも殺虫剤は液状の薬剤をULV(ウルトラ・ロー・ボリューム)という特殊な方法で微粒子化し、少量で高い殺虫効果をあげる工夫が施されており、大量散布の前には地元住民を迅速に退去させることも必要になる。 さらにサバクトビバッタの生態を利用した駆除法も研究されている。 サバクトビバッタの幼虫の群れは昼間、草を食べながら地面を歩いて移動するが、夕暮れ時に大きい植物に登り、夜間はそこで過ごす。 通常、砂漠の動物たちは温度が下がった夜間に動きが活発化するが、バッタは気温が下がると動きが鈍くなる。 こうしたバッタの習性から移動場所を探り出し、殺虫剤で一網打尽にする方法も模索されている。 こうしてアフリカ東部や中東各国のバッタ対策関係者は、移動し続けるバッタの群れの位置を追い続けながら、住民生活に支障を来さないように駆除作業を続けているが、駆除要員も物資も資金も不足しており、国際的なバックアップ体制の拡充が急務になっている。 バッタの大発生を防ぐ対策は、早期対処とともにバッタが大量発生しやすい環境を改善していくことも不可欠である。 気候変動がバッタ大量発生の一因といわれるが、世界各地で拍車がかかってきた大規模農地を確保するための森林伐採なども無関係とはいえない。 森林を切り開いて新たな草原を増やしたり、大企業を呼び込んで広大な面積に単一の作物を作付けするプランテーション農業の拡大も、バッタの大量発生を助長する人為的な要因の一つである。 また「サバクトビバッタの群れが中国に向かっている」「バッタ専門家はサバクトビバッタは低温に弱くパキスタンの東にあるヒマラヤ山脈は越えられないといっている」などの情報もある。 だが、もっとも現実的な脅威は、その地域にもともと生息しているバッタが群生相に変化し、大量発生することである。 規模に違いはあるが、バッタの大量発生はこれまで、アメリカ大陸やオセアニア、フィリピン、日本でも起きている。 日本では2007年6月に開港前の関西国際空港二期島の草原でトノサマバッタが大量発生した事例もある。 そして今後必要なことは、大規模な蝗害が世界各地で起こりうることも想定し、食料自給率を世界的規模で高めておくことである。 農水省が公表している「諸外国の穀物自給率(2013年)試算」によれば、日本の穀物自給率は173の国・地域中124位である。 現在、蝗害を受けている主な国の穀物自給率はエチオピア=112%、ケニア=67%、タンザニア=104%、パキスタン=114%、インド=111%、で自給率100%超えの国も複数ある。 しかし日本の穀物自給率(飼料用含む)は28%である。 穀物自給率100%以上でも蝗害で食料危機に直面しており、日本がいかに危機的な状況にあるかが浮き彫りになっている。 関連する記事• 新型コロナウイルスの研究が進むなかで、医学生物学分野での研究論文が爆発的な勢いで増えている。 2月から6月までの間に、少なくとも1万8000件 […]• 新型コロナ危機が始まってからの約3カ月間、米国の富裕層が資産を約5650億㌦(62兆円)増やしていたことがわかった。 米国の進歩的な政策研究所 […]• ドイツのバイエル社は24日、除草剤ラウンドアップ(主成分グリホサート)の発がん性をめぐって起こされた訴訟で和解し、最大109億㌦(約1兆 […]• アメリカのミネソタ州ミネアポリスで5月25日、白人警官が武器を持たない黒人男性を死亡させる事件が起き、これをきっかけに全米各地で黒人差別への […]• 新型コロナウイルス治療薬として、国産のアビガンの承認については厳格な慎重さが求められるなかで、厚労省がアメリカの医薬大手ギリアド社の要請を受 […] 著者:古川豊子 発行:長周新聞社 B5判変形 40項 上製 帯付き ISBN 978-4-9909603-0-8 価格:1,600円+税• 長周新聞の定期購読とカンパの訴え 長周新聞は、いかなる権威に対しても書けない記事は一行もない人民の言論機関として1955年に創刊されました。 すっかり行き詰まった戦後社会の打開を求める幾千万大衆の願いを結びつけて力にしていくために、全国的な読者網、通信網を広げる努力を強めています。 また真実の報道を貫くうえでは、経営の面で特定の企業や組織などのスポンサーに頼るわけにはいかず、一人一人の読者・支持者の皆さまの購読料とカンパに依拠して経営を成り立たせるほかはありません。 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