二子 玉川 堤防。 *ブラタモリ、「二子玉川に堤防がない理由が川の景観を売りにする店などからの反対により。。」

二子玉川地区水辺地域づくりワーキングについて

二子 玉川 堤防

大型で強い台風19号で首都圏でも複数の川が氾濫。 東京都と神奈川県の間を流れる多摩川でも氾濫が起きた。 多摩川で広範囲の氾濫が起こった場所のひとつが、東急田園都市線二子玉川駅周辺の世田谷区エリア。 この場所には、気になるマンションがある。 それは、二子玉川駅から徒歩2分に建ち、同駅のホームからもよく見える大型マンション。 タワー形状ではなく、板状の建物のため、タワマンとはいいにくいが、超高層の基準(地上60メートル以上)を満たすマンションである。 その大規模超高層マンションが気になった理由は、堤防の内側(多摩川側)に位置しているから。 04年から05年にかけての分譲当時、「あんなところに住んで、多摩川の氾濫が起きたらどうするんだ」という声があった。 しかし、そのマンションは爆発的な人気で、約200戸が一度の販売であっさり売り切れてしまった。 大人気だったが、不安要素があった超高層マンション……台風一過の10月13日午前中、電車の運行が回復しはじめたところで「実際に氾濫が起きたら、どうなったか」を確認しに向かった。 「風光明媚」を守るため、目の前に堤防を築かせなかった場所 二子玉川駅周辺には、多摩川と並行して多摩堤通りという道路がある。 この道路の脇にあるのが、およそ100年前に築かれた堤防である。 多摩堤通りとその横に築かれている堤防。 写真左手側が多摩川となり、堤防と多摩川の間にマンションが建っている。 筆者撮影 二子玉川駅近くには、大正時代まで「二子の渡し」という船着き場があり、風光明媚な場所として料亭や宿屋が集まっていた。 その人々が、目の前に堤防が築かれるのを嫌い、堤防の位置を内陸側にずらした。 その結果、堤防の内側(多摩川側)に位置する街区が生じてしまった。 これは、地元でよく知られている話だ。 堤防の内側に残っていた旧「富士観会館」が、21世紀に入ってから超高層マンションに生まれ変わった。 そのマンションが、「あんなところに住んで、氾濫が起きたらどうするんだ」といわれてしまったのである。 堤防に守られていないマンションは、今回の氾濫で…… 堤防の内側(多摩川側)といっても、二子玉川駅を中心に上流側と下流側では事情が異なる。 下流側は、多摩堤通り沿いの堤防に加え、内側にもうひとつの堤防が500メートルほど築かれており、その範囲内では、今回の氾濫は軽微だった。 道路や庭に水が少し流れてきただけで、床下浸水した家は見当たらなかった。 これに対して無防備なのが上流側、二子橋から新二子橋までのおおよそ200メートルのエリアだ。 この区間には、多摩堤通りと多摩川の間にもうひとつの堤防はなく、マンションが複数建っている。 川と住宅エリアが直結している場所に「富士観会館」跡地のマンションも建っており、12日深夜に多摩川から氾濫した濁流が押し寄せた。 複数のマンションのなかには、大きな被害を被った建物があった。 たとえば、建物の地下にあるクリニックには、濁流が流れ込んでしまった。 では、「富士観会館」跡地の超高層マンションはどうなっていたのか。 結論を先に申し上げると、氾濫による被害はなかった。 まず、建物は多摩堤通り側に寄せて建設されており、多摩川から緩やかに上った先に位置している。 ほんのわずかな距離であり、わずかな上りだが、川からあふれた水は建物まで到達することがなかった。 そのことを示すように、同マンションの敷地内車道をみると、緩やかな上りの途中まで川から運ばれた泥が残り、その先はきれいなままだった。 氾濫の規模がもっと大きければ、マンションの建物に到達しただろう。 しかし、その場合も心配はない。 同マンションは、1階に住戸はないからだ。 通常のマンションでいえば、3階相当の高さから住戸を配置しており、その位置は多摩堤通りの堤防よりはるかに高い。 堤防の後ろに、超高層マンションが建っている。 3階以上に配置される住戸は堤防より高い位置となる。 筆者撮影 「多摩川の氾濫が起きたらどうするんだ」といわれたマンションは、しっかり対策が考えられていたわけだ。 もちろん、今回以上の氾濫が起きた場合、建物1階まで濁流が押し寄せることによる被害はあるだろう。 しかし、その場合も3階以上に配置された住戸への被害は生じにくい。 高い堤防を築けば、エリアのムードは一変する マンションが建つ一帯では、以前から新たな堤防を築くべきではないか、という議論があった。 しかし、100年前と同様、景色のよさから堤防設置に反対する声が強かった。 実際、川の近くに住む気持ちよさがある。 二子玉川駅に近い便利な場所で、この心地よさは得がたいものがある。 もし、多摩川沿いに背の高いコンクリート製の堤防を築けば、氾濫の不安は減るだろうが、風情は大きく変わってしまう。 こういうケースでは、「風情」よりも「安全」が優先されることが多い。 しかし、二子玉川駅近くでは、100年ほど前から「安全よりも風情」という意見が強いわけだ。 その場所で、今回、氾濫が起きた。 写真左手側が川となる。 右手側には複数のマンションが建っている。 私が気になっていたマンションは、この位置よりも奥に位置し、写真には写っていない。 筆者撮影 では、この後、「数10年に一度の氾濫に備えて、なんとしてでも堤防を築け」という方向に進むのだろうか。 背の高い堤防はうっとうしいと感じるかもしれないが、「3階以上に住戸を配置」というマンションが主体であれば、住戸からの眺めに変化はないだろう。 とはいっても、堤防を新設すると、街区のムードが変わるし、道路が狭くなってマンション駐車場に車を入れにくくなるといった問題も生じそうだ。 そもそも、マンション購入者は、氾濫を止める堤防がないことを分かって、マンション購入を決めている。 単純に、「氾濫が起きたから、なんとしても堤防をつくろう」とはならない可能性がある。 今回の氾濫から得た教訓をどう活かすか。 それは、むずかしいものになりそうだ。 今回から、不動産関係者や投資家といったプロ向けの住宅レポートを有料記事として展開。 デベロッパーや販売会社への直接取材で聞き出した開発秘話や販売の工夫などを紹介することにした。 マンションや一戸建て住宅を取材してまわっていると、工夫のほどに感心して、賞賛したくなることがある。 ただし、その工夫はプロにとって「偉大な一歩」であっても、興味の薄い人にとっては、どうでもいいことだったりする。 なかなか、記事にしにくいのだ。 そこで、プロ向けの有料記事であれば、書きたいことを思い切り書くことができると考えた。 大学を出て編集の仕事に就いてから40年以上、不特定多数の人を念頭に記事を書き続けてきた私にとって、有料記事は新しい世界に踏み出す気持ちにさせてくれる。 記事をつくる私も、新たな分野を楽しみにしている。 なお、第1回の記事は下の「サンプル記事」のリンクから全文を読むことができる。 そして、一般的な住宅関連記事は今までどおり無料記事として書いてゆく。 湾岸居住者が認める、建物の質の高さ 地上48階建て、総戸数1152戸の「ブランズタワー豊洲」(東急不動産、NIPPO、大成有楽不動産、JR西日本プロパティーズ)は、東京メトロ有楽町線の豊洲駅から徒歩4分に建設される超高層マンションだ。 豊洲エリアでも、駅に近いマンションとなるのだが、その特徴は「駅近」だけではない。 今、湾岸エリアで新規分譲マンションが出ると、真っ先に関心を示すのは、じつは、すでに湾岸に住んでいる人たち。 「新しいマンションは、どんなだろう」「良質で、価格が折り合えば、購入してもよい」とモデルルームを見に来る。 所有している湾岸のマンションを中古で売れば、購入時よりも高く売れる。 賃貸に出したときの家賃設定も高い。 だったら、買い替えても、もしくは買い足してもよいかな、と考える人が多いためだろう。 そして、湾岸在住の知り合いと、見学してきた感想で盛り上がる。 その湾外在住者の間で、すこぶる評価が高いマンションが「ブランズタワー豊洲」だ。 理由は、建物と専有部のつくりがよいと評価されているから。 まず、免震の効果が大きいとされる「中間免震構造」を採用し、非常用電源は72時間分を備える。 そして、約43平米の1LDKから約219平米の3LDKまでバリエーション豊富な住戸は、開放感が大きいことも高評価の理由だ。 実際、「ブランズタワー豊洲」のモデルルームでは大きな開放感を感じる。 それを感じさせるために、いくつかの工夫が凝らされている。 たとえば、角住戸には床面から立ち上がるコーナーサッシを配置。 このコーナーサッシは背が高いにもかかわらず、横桟を入れず、縦桟だけで構成される。 高い風圧が想定される超高層でハイサッシの横桟を無くすのは、たいへんだったろう。 一般的なハイサッシよりも高く、縦桟のみで構成されるコーナーサッシ。 モデルルームにて筆者撮影 また、万が一、ガラスにキズが入ったなどの理由でガラス交換をするとき、交換用ガラスをエレベーターで運びやすくするためには、横桟と縦桟でガラス1枚のサイズを小さくしたほうがよい。 そういった設計上の困難さ、管理上の都合を押し切って、縦桟のみのコーナーサッシをつくった努力に脱帽したい。 一方、バルコニーに設置されるガラスの手すりには、一般的な縦桟に加えて横桟が2本入れられている。 これは、手すりの高さを150センチにしているため、風圧に耐えるための補強である。 バルコニーの手すりは縦桟と横桟入り。 それでも、デザインがよいので、桟が邪魔にならない。 モデルルームにて筆者撮影 バルコニーに出たときの恐怖心を軽減させるために、手すりを高くしたのだが、高くするための補強も行ったわけだ。 ガラスの桟に関して、場所に応じた最善の方策がとられている。 「ブランズタワー豊洲」で最も注目すべき特徴は、しかしながら、ガラスの桟ではない。 私が注目するのは、以下の2点。 「隣接する小学校の校舎増築」と「1戸に1つずつ配置される大型の防災倉庫」だ。 居住者が隣接する小学校に通うことができるように ブランズタワー豊洲の敷地配置図。 住宅棟の南側に小学校の増築予定地がある。 筆者撮影 上の写真は、2019年2月、「ブランズタワー豊洲」の販売開始に先立って行われた記者発表で公開された敷地配置図。 「ブランズタワー豊洲」の住宅棟予定地の南側に「小学校増築予定地」とある。 これは、隣接する豊洲西小学校の校舎を増やす工事が行われることを示している。 校舎が増えるおかげで、「ブランズタワー豊洲」に住む児童は、豊洲西小学校に通うことができる。 校舎が増えなければ、定員一杯を理由に、入学はできなかった。 都合よく小学校が増築してくれてよかったねえ、と思う人は、まずいないだろう。 ご明察のとおり、「ブランズタワー豊洲」は、敷地の一部を使って校舎を建設し、小学校に無償譲渡するのである。 既存の豊洲西小学校。 その手前に、新しい校舎がつくられる予定だ。 筆者撮影 新たな校舎とその用地を無償譲渡することは、「ブランズタワー豊洲」の分譲価格に影響を及ぼす。 1戸あたりの価格は多少とも上昇することになる。 価格が上がるが、「隣接する小学校に子どもを通わせることができる」という長所が生まれる。 これが、もし「隣接する小学校には通えません」となったら、どうなるか。 子育てをしているファミリー世帯はガッカリして、それを理由に購入を見合わせる可能性が出てくる。 その場合、「小学校は遠くなりますが、その分、分譲価格は安くなっています」といっても、納得してくれるかどうか。 そして、「価格の安さ」でいえば、ほぼ同時期に販売を開始した「晴海フラッグ」の分譲住宅にかなわない。 「晴海フラッグ」と「ブランズタワー豊洲」では、駅からの距離、既存の商業施設への近さなど立地条件が大きく異なり、地下鉄駅と「ららぽーと豊洲」に近い「ブランズタワー豊洲」のほうが、高い価格設定となる。 だったら、価格に見合う「長所」を多くしようとする姿勢は正しい。 「長所」のひとつが、隣接する小学校に通うことができることとなる。 隣接する小学校に子どもを通わせることができれば、親の安心感は大きい。 そして、中古で売るとき、賃貸で貸し出すときの大きなアピールポイントにもなる。 大きな防災備蓄倉庫が付くという長所も 「ブランズタワー豊洲」には、1戸にひとつずつ防災備蓄倉庫が付く、という長所もある。 その防災倉庫は、サイズが大きく、玄関錠と同じキーで施錠・解錠ができるので、各住戸ごとに管理される。 各住戸に設置される防災備蓄倉庫の例。 住戸によって大きさに差があるが、かなりの大型になる。 写真は、東急不動産提供 まるでトランクルームのようだが、防災備蓄の目的でしか使えないことになっている。 これは、防災備蓄倉庫であることを理由に容積算入外となっているため、仕方のないことだろう。 それでも、これだけ大きな「各戸の防災倉庫」を容積に入れずに済んでいるとは、おそれ入る。 小学校の校舎にしろ、各戸の防災倉庫にしろ、実現させるには、行政との交渉が必要だ。 大規模マンションの場合、この「交渉力」が物件の魅力を左右する。 「ブランズタワー豊洲」は、高い交渉力で勝ち取った長所が多い。 それは、同マンションの大きな魅力になっている。

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二子玉川駅周辺堤防未整備地区のための「第3回二子玉川地区水辺地域づくりワーキング」開催のお知らせ

二子 玉川 堤防

二子玉川ライズ・ショッピングセンター中央吹抜通路。 写真中央奥が駅東口。 世田谷区の南西に位置し、北に緩やかな丘陵があり、南にが流れる。 比較的緑が多く自然環境が残されている。 そこにを中心とした街が形成され、二子玉川駅近辺は玉川S・Cをはじめとした商業施設が建ち並んでいる。 さらに近年では駅の東側を中心にが進められ、には大型商業施設であるショッピングセンターが開業。 さらにには映画館「二子玉川」などがオープンするなど、賑わいを見せている。 「ニコタマ」「フタコ」という愛称で呼ばれることもある。 歴史 [ ] にはのに参拝する人々が通るの宿場があり、多摩川のの船着き場付近にはが集まっていた。 明治以後、茶屋街は料亭街に変わり東京からの行楽客で賑わった。 が開通すると住宅地として開発が進み人口が急増した。 という遊園地も開園した。 戦後は大山街道と路面電車の輸送力が限界に達したため、道路の拡幅や鉄道の地下移設など大規模な交通インフラの整備が行われた。 現在では、と並び、世田谷区の「広域生活拠点」に位置づけられている。 なお、毎年8月に開催される大規模花火大会(通称「」)も、この地域では夏のの一つとなっている。 二子玉川の名の由来 [ ] 「二子玉川」の名は、かつて多摩川を挟んで川崎市側に存在した「二子村」と世田谷区側の「玉川村」に由来すると、二子玉川郷土史会は説明している ()。 また同地付近にあった「」にも深い関連がある。 なお現在も、多摩川の対岸にあたるには「」(ふたご)という町名が存在するが、一般的に「二子玉川」と呼ばれる区域の対象には含まれない。 駅名は当時同地にあったにちなみ、大井町線(現:)開業時にが名付けた。 郊外SCの先駆・玉川高島屋S・C [ ] この節には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 がまったく示されていないか不十分です。 内容に関するが必要です。 ( 2019年5月)• が含まれているおそれがあります。 ( 2019年5月) 駅西口前に大型(SC)である 玉川S・Cが存在する。 同店は1969年、日本初の本格的な型SC としてオープンした。 通称「タマタカ」。 当時高島屋は出店地の選定にあたり、東京の城南方面を商圏としてカバーしたいと考えていた。 城南方面からの各路線が集中するへの出店を検討したが、競合店で埋め尽くされており出店の余地がなく、ほかの街を探すことになる。 しかしあくまで都内にこだわり、神奈川県内への出店は全く考えていなかったという。 これはを一歩渡っただけで店舗価値・ブランド力が大きく下がると高島屋は考えたらしい。 そこでと二子玉川が候補になったが、多摩川の眺望の良さや当時の地価がそれほど高くなかったこと、また当時はがあり城南方面の家族連れで賑わっていたことなどが決め手となり、二子玉川への出店が決定された。 なお、ににが開業するまで、高島屋系列で城南方面をカバーする店舗は当S・Cのみであった。 日本でを早くから採用した同店は郊外SCの先駆となり、昭和50年代に入ると同店を参考にした郊外SCが爆発的に増え始めた。 現在では駅西口周辺はこの高島屋S・Cを中心として街が形成されている。 週末になると都内城南区域を中心とした地域からの来店客で賑わい、近隣の住宅地(特に隣接する、、、上野毛、、、、、、、、など)からの自家用車での来店が目立つ。 そのため高島屋周辺は週末になると慢性的な交通渋滞を引き起こしている。 かつて二子玉川駅東口周辺は、西口側の繁栄に比べると人通りも少なかった。 特にに二子玉川園が閉園してからは、「二子東急」(再開発事業の進捗により閉館 )などが残っていたものの、跡地にはアトラクション施設やなどが次々と開園と閉園を繰り返し、活気を失っていた。 こうした事態を打破するため、二子玉川園跡地を中心とした区域の再開発が計画された。 その後、経済停滞に伴う計画の見直しや、景観保存のための反対運動 などを経たが、にに架かるそばにあった結婚式場「富士観会館」が閉館した跡地にのプラウドタワー二子玉川の建設が始まると計画は一挙に加速し、3月に東京都より第1期事業施行地区の事業認可を得た。 名称は「二子玉川東地区第一種市街地再開発事業」で、東京都より認可されなどが主体となった組合「二子玉川東地区市街地再開発組合」が発足した。 再開発のテーマは「の豊かな緑を基とした自然と都市の調和」。 計画面積は11. 2ha(うち第1期は8. 1ha)で、民間再開発としては都内最大規模である。 対象区域は駅周辺から南東方向に多摩川に平行する形状で、東西の長さは約1kmとなっている。 総事業費は約1,500億円。 再開発計画では、駅ビルおよび駅ビルに隣接する3つの商業棟と1つのオフィス棟の合計4棟を軸としたI街区、超高層の商業棟とホテルを軸としたII街区、3棟の超高層マンション(最高150m)を軸としたIII街区とに分けられ、さらに南東側に区立公園の整備が計画された。 周辺道路の整理 [ ] 駅東口側ロータリーを含むこの一帯は、駅前から二子玉川園跡地までは歩道がほとんどない狭小道路にもかかわらず駅前となっており、人通りや東急グループのを含めた自動車交通量が多かった。 再開発を見越しての「玉川湯」は2003年7月に廃業し、はに移転。 計画が認可されてからは、と二子玉川店が6月に閉店し、一帯の街区整理に入り商店の一部は一時的に退去した。 の北側まで来ていたを拡幅の上延伸させるとともに、税務署の南側の道路も拡幅し、これを玉川高島屋前の玉川通りに直結させた。 そしてこの道路に面したI街区とII街区の間にバスターミナルを中心とした新たな駅前交通広場が整備された。 公道変更に伴ってのは路線を変更、「玉川高校前」「東急自動車学校前」の停留所を廃して「ライズ・プラザモール前」を新設した。 かつて玉川4丁目の跡の緑道に面した位置にあった二子玉川郵便局は、にロータリー前の大井町線付近に移転した。 二子玉川ライズの建設工事 [ ] 工事は二期に分かれて行われた。 第一期工事は、まずには立ち退きに同意した建物の解体工事が行われ、駅入口付近などに立ち退いた商店の仮設店舗が開業した。 同年末にはI-b街区の予定地にあった建物はほとんど解体され、翌年1月にIII街区の基礎工事が開始された。 同年6月ごろまでにはIII街区の基礎工事はほぼ完了し仮設バスターミナルや周辺道路の整理を行い、I-b街区の基礎工事を開始した。 その後7月にIII街区の高層棟が上棟。 5月にIII街区の高層棟の引渡しを開始、同年7月に低層棟も引渡された。 3月には、Ia街区、Ib街区の竣工を迎え、第一期工事を完了し 、東側再開発の対象地域全体は、 「」と命名された。 第二期工事は、まず2010年4月にはIIb街区が「二子玉川ライズ・バーズモール」として、およびIb街区の北棟が「二子玉川ライズ・オークモール」として先行オープンした。 そして2011年3月には、Ia街区が「ドッグウッドプラザ」として、およびIb街区が「二子玉川ライズ・ショッピングセンター」「二子玉川ライズ・オフィス」として、Ia街区とIb街区の間にあり二子玉川駅改札口の前の高架下に当たる場所の鉄道街区が「二子玉川ライズ・ステーションモール」としてオープンした。 2015年3月にも、最後に残るIIa街区が完成し、「二子玉川ライズ・テラスマーケット」、二子玉川、二子玉川がグランドオープンした。 再開発により誕生した高層マンション「二子玉川ライズ タワー&レジデンス」。 二子玉川公園の新設 [ ] III街区のさらに南東側は、かつて(自動車教習所)や東急ゴルフガーデン(ゴルフ練習場)、東急スポーツガーデン(テニスコート等)があった場所である。 これらも相次いで移転もしくは営業を中止、隣接していたも3月で閉校し(建物は現在が仮入居中)、これらの中央を横切っていた公道を撤去。 南側を多摩川の堤防部分と一体化させ、をトンネル化(10月完成)した。 これらの跡地には地域住民の憩いを目的とした6. 3haの規模を持つ公園事業の「」としてに一部完成(拡張部はに完成)、2015年3月の「二子玉川ライズ・テラスマーケット」の完成でI街区からIII街区の先である二子玉川公園まで1本の陸橋「リボンストリート」で結ばれた。 二子玉川の自然 [ ]• 『産経新聞』朝刊2018年11月11日(東京面)。 世田谷区役所ホームページ(2018年11月28日閲覧)。 『東急社史』などの説明より。 当地はの渡船場跡地でもあった。 、1989年11月1日、2020年2月17日閲覧。 東急株式会社 公式、2015年9月29日、2020年2月17日閲覧。 住民が中心となった「」 [ ]など。 公式ウェブサイト内、ページ下部参照。 関連項目 [ ]• - 閉園。 - 二子玉川園閉園後、再開発計画地に暫定的に建設された施設。 - 再開発により二子玉川園跡地に建設された新しい街。 - 毎年8月に二子玉川で開催される花火大会。 俗に「二子玉川花火大会」とも。 - 武蔵野台地の一部。 - 『二子玉』というを発表した。 - 二子玉川が舞台となっている漫画。 外部リンク [ ] 大規模施設・再開発全体概要関連 [ ]• 地域情報サイト・その他 [ ]• - エリアガイド• - 地域飲食店店舗情報• - (再開発地区の定点観測写真を掲載)• - 二子玉川ウェブマガジン.

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多摩川が氾濫 東京・二子玉川、堤防ない場所 :日本経済新聞

二子 玉川 堤防

もくじ• 堤防に通り道を開けると、陸閘 どう見ても人工堤防。 (自然堤防じゃなさそうってことね。 ) そこを切通してるよね。 調べてみると『陸閘』なるキーワードが出てきた。 「りっこう」とか「りくこう」と読む。 河川等の堤防を通常時は生活のため通行出来るよう途切れさせてあり、増水時にはそれをゲート等により塞いで暫定的に堤防の役割を果たす目的で設置された施設。 ふだんは堤防を開けておいて、増水したらゲートで閉じるってことね。 見たまんま。 変換しても出てこないし、世の中には知らないことがたくさんあるね。 もちろん、ここ以外にもある。 漢字見ると、 「閘門」の陸上版てことだよね。 水位差が前提の施設のことだから、イメージは湧く。 この堤防は何? 大正から昭和初期にかけての話なんだけど。 一級河川の多摩川だから、二子玉川駅のあたりにも堤防を造ることになりました。 このあたりはかつて、ことから、宿場町としても栄えてたのね。 さて堤防を造ろうとなったら、景観が悪くなるからやめろと。 しかたがないから、お宿とか料亭とかの後ろに築堤しましたってことで。 そうすると、小山(堤防)が生活導線の邪魔になるわけで、切通し(陸閘)を設けましたとさ。 めでたしめでたし。 現状では、川辺にしっかりと堤防が出来上がってるから、この陸閘がある小山は『旧堤防』てことになる。 赤レンガ積み! 大正から昭和なんてキーワードが出てくると、ちょっとワクワクする。 昭和初期なんて、半世紀以上前。 遺跡だよ~ 陸閘は赤レンガで固められてて、多摩川の増水時には門を閉めたのであろう溝が残ってる。 イギリス積み! 長手と小口が一段ずつ。 きれいに整ってる。 一部、擁壁化されてるところもあったけど、レンガ積み、いいねっ!! 落書きされちゃってたみたいで、上塗りで消されてる。 残念なこと。。 貴重な赤レンガ施設なんだから。 大事にしよう! 二子玉川は無堤防エリアだった なんでも、二子玉川駅の辺りは最近まで堤防がなかったんだとか。 マジか。

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