この間、魔境について、書きました。 統合失調症の陽性症状はおそらくチャクラが開いてしまったからではないかと思います。 というのはサンスクリット語で車輪を表す言葉で、人体の頭部、胸部、腹部などにあるとされる中枢を指す言葉として用いられます。 統合失調症 チャクラ で検索すると結構なサイトがヒットします。 僕も3年前、家でコーヒーを飲んでパソコンをしているだけなのに、幻聴が聞こえてきました。 幻聴はこれはコミュニケーションなんだと言ってました。 夜もそんなに、眠れなくなって、入院となりました。 良くなったのはどうしてか、自分でも分からないです。 薬を増やされましたが。 家にいるとき、家の中が自分の家でない感じがしました。 幻聴がひどかったときは、たくさんの粒子が自分になりたがっているという変な妄想を抱きました。 チャクラが開いていたかは分からないですが。 でも、ネットで検索したら、霊能者と統合失調症の患者は紙一重と書いてあるサイトもありました。 僕には霊能力は無いです。 でも3年前に入院した時の原因は分からないです。 最近の投稿• 最近のコメント• に masa より• に より• に deds より• に deds より• に masa より アーカイブ• カテゴリー• ブログ村 ランキング.
次のこの間、魔境について、書きました。 統合失調症の陽性症状はおそらくチャクラが開いてしまったからではないかと思います。 というのはサンスクリット語で車輪を表す言葉で、人体の頭部、胸部、腹部などにあるとされる中枢を指す言葉として用いられます。 統合失調症 チャクラ で検索すると結構なサイトがヒットします。 僕も3年前、家でコーヒーを飲んでパソコンをしているだけなのに、幻聴が聞こえてきました。 幻聴はこれはコミュニケーションなんだと言ってました。 夜もそんなに、眠れなくなって、入院となりました。 良くなったのはどうしてか、自分でも分からないです。 薬を増やされましたが。 家にいるとき、家の中が自分の家でない感じがしました。 幻聴がひどかったときは、たくさんの粒子が自分になりたがっているという変な妄想を抱きました。 チャクラが開いていたかは分からないですが。 でも、ネットで検索したら、霊能者と統合失調症の患者は紙一重と書いてあるサイトもありました。 僕には霊能力は無いです。 でも3年前に入院した時の原因は分からないです。 最近の投稿• 最近のコメント• に masa より• に より• に deds より• に deds より• に masa より アーカイブ• カテゴリー• ブログ村 ランキング.
次の急性期の症状を的にまとめている最中でしたが、近況があるので報告します。 2018年10月にを発症し、その後2018年12月〜2019年2月にかけて休暇をいただいていました。 2019年3月には復職し、その後2019年4月には出向元に戻り勤務をしていました。 その後8ヶ月ほど勤務した2019年12月、のといえるやる気の欠如が顕著になり、有給休暇を取得して2週間お休みをいただきました。 2週間のお休みをいただいた時に私の仕事は全て他の人に割り当てられ、2019年12月半ばに復帰した後もそのまま継続して私の仕事はないまま1ヶ月半過ごしました。 その後私の主治医より3ヶ月の療養が必要という診断が下り、この度2回目の長期休暇をいただくことになりました。 診断の経緯をもう少し詳しく書くと、まず上司がに私について連絡し、その連絡を受け取ったが私の主治医にレターを書き、その内容をもとに私の主治医が診断を下しました。 どのような連絡やレターのやりとりがなされたのかは分かりませんが、察するに私の勤務態度について上司がに連絡したことが発端となっているのだと思います。 薬の副作用とので日中眠気がとれない時があったり、仕事に集中できないことがありましたので。 のと長い付き合いが必要であるならば、上司の連絡を発端に休ませられると言うのは後々困ります。 病気休暇は1事由につき1回までと言う決まりがありますので、今回は大丈夫ですが今後休ませられると生活の糧にかかわります。 仕事に集中できないのはのせいということで、の方と同様に配慮していただきたいと思ってしまいます。 一方で、1回目の長期休暇の時は早く復職したいという気持ちが強くあせりがありましたが、今回はどうせならゆっくりしてやろうという気持ちが強く、リラックスした毎日を送っています。 よく寝て、起きている時間は趣味に当てています。 余った時間は今後の人生についてぼんやり考えていたりします。 (転職など含めて) 後は、友達に会ったりしています。 今年の頭にブログを親しい友達に対してに公開したこともあり、ブログを読んだ友達がたくさん気にかけてくれました。 だんだんとのことをオープンにしているのですが、オープンにするたびに励ましの言葉などを頂き、気が楽になります。 思考を巡らせたり友達に会う中で今後の人生についてなにかプラスになる考えがまとまればと思っています。 TAKE-san からの続きです。 急性期に主として占めていた妄想に警察の監視があります。 きっかけは自分が書いたレポートを読んでからでした。 私が出向元に提出した出向先での業務をまとめたレポートの中で、「利害が対立した異なるセクターを両方所掌する役割を持つポストを置くことで、利害対立が解消しやすい」という趣旨の文章を書いていました。 ここで私は精神が崩壊していた時に、以前のブログでは触れませんでしたが、上司に電話で「自殺しようかと思いましたよ」と発言していました。 また、以前のブログで記した通り相談していた違反の証拠をプライベートアドレスに転送していたことが、犯罪行為にあたるのではないかと妄想していました。 この「自殺」と「犯罪」異なる二つのセクターを両方所掌する警察が役割を担ってくるわけか!とよくわからない論理展開をし、警察が自分を監視しているという妄想に囚われました。 本当によく訳のわからない論理展開なので笑って読んでください。 このような支離滅裂な論理展開について、この記事では「まとまりのない会話」と記しています。 警察に監視されていると妄想する「根拠」はもう一つあり、の前兆期の最中の10月6日に地元の交番の警察官の方が緊急連絡先を聞きに自宅を訪ねてきたということがあります。 職場のメールを転送したのは10月5日のことでしたので、職場が私の「違反」行為を告発して警察官が自宅に派遣されたのだと妄想しました。 また、普段車の通ることが少ない自宅前の通りをパトカーが通過したりするなどし、警察に監視されているという妄想はどんどん確信的なものになっていきました。 警察に監視されていると妄想している間は、自宅を訪れる宅配業者の方を私服警官が変装していると思い込んだり、街を歩いていて辺りにいる人が私服警官だと思い込んだりしていました。 警察官に監視されているという妄想は精神が崩壊してから1週間ほどたった10月16日ごろから出始め、急性期が終わる11月頭まで続きました。 見張られているという妄想はの代表的な被害妄想らしく、この記事 でもまとめられています。 精神が崩壊したため友達との約束をドタキャンすることになったのですが、そこでのニュース欄に芸能人のドタキャン騒動の記事(が表示され、がのっとられて誰かによって揶揄されているかのように感じました。 が盗聴されている・のっとられていると思った原因の一つに自宅が社宅だということも挙げられます。 社宅のため、通信ケーブルが途中で職場によって傍受されているものと思い込みました。 それゆえに上でを切って4G回線を使用するようになったのですが、それまでに IDが抜き取られておりが遠隔操作されていると思い込むようになりました。 私はすぐさま ID のパスワードを変更し、を初期状態に設定し直しました。 その行為に意味があるかはさておき、その行動をとってもが盗聴されている・のっとられているという妄想は止まりませんでした。 例えば、なぜか上で「法の裁き」というワードが検索されており、に法の裁きを受けろと責められているように錯覚しました。 また、次回以降のブログに記載しますが誰かに尾行されているという妄想に囚われていたのですが、そんな中なぜか地図アプリ上で「抜いて」という文字が入力されており、「尾行してる奴を抜せ」というメッセージを送られているものと妄想しました。 身に覚えのない単語が上で入力されていた原因は不明ですが、とにかく妄想が止まりませんでした。 実際に勝手に私の声が上で入力されているような幻覚も見えました。 (見たときは本当に入力していると思い込んでいましたが、今から思えばありえないことなので幻覚としか説明がつきません。 迎えた週末には心配した両親が家に来てくれました。 仕事で大失敗したと絶望していた私は、の通り出向元にも連絡したことでいたずらに騒ぎを大きくしていると思いさらに絶望しました。 食事もろくに喉を通りませんでした。 明らかに病的な反応を示す私を見て、両親には仕事をしばらく休むよう勧められ、10月13日、14日の土日で休んだ後、15日には出社してしばらく休みたい旨を上司に伝えました。 この頃からの陽性症状である妄想が始まります。 まず、家にある本棚の中身が入れ替わって私を責めているような妄想に囚われました。 具体的には例えば妻が持っていた「騙されてたまるか」という新書のタイトルを見て、私が病気のせいで妄言を吐いていると責められているような錯覚に陥りました。 また、下の名前が「やすみ」という著者の本を見て、「妄言を吐くような病気なんだからやすめ」と責められている錯覚に陥りました。 次に、家族が訴訟のためにケータイを使って私の発言を録音しているという錯覚に陥りました。 その録音が訴訟のために役に立つかどうかはさておき、監視されている・盗聴されていると感じるのはの妄想によくあるものらしく、それに類するものと思われます。 また、10月16日には、内科がメインの病院に親の付き添いの元行ったのですが、その病院で訴訟のために弁護士に落ち合うものとすっかり信じ込んでいました。 16日の時点においては妄想は少ししか出ておらず、不眠や食欲減退などが顕著な症状であったためか、その時点では「で2ヶ月の休養を有する」と診断され、やを処方されました。 しかし私は自分が病気であることを受け入れることができずにその診断には納得がいかず、がメインのに予約を取っていくこととなりました。 予約が取れたのは10月22日で、その際には「不眠が続いているがの効果で眠れつつあり、の効果も出てきているため、休養が必要との診断がでているが会社に出勤したい」と説明を先生にしました。 先生は、「(と診断されるに至った原因とも言える 職場の環境が改善されるならば、出勤は妨げない」という診断を下しました。 こうして、私はとを服薬しながら、10月23日以降会社に復帰することとなりました。 しかしながら、妄想は止まらず悪化の一途をたどっていきます。 次回以降のブログの中で代表的な妄想について述べていきたいと思います。 10月9日に精神が崩壊した私は、なんとか翌日・翌々日の10月10日・11日は出勤することができましたが、ガタガタの精神状態での出勤となりました。 この日の記憶はほとんどありません。 上司Cに呼ばれて私が違反だと相談した業務についてなにか言われたという記憶がありますが、その内容を理解するほど頭が働いていませんでした。 ただ一つ記憶(記録 に残っているのは、私が違反だと相談した業務をなかったことにするメールが上司Cからに送られていたことです。 私の主張が通った形になっていましたが、違反を指摘することで上司Cから逃れられると思っていた私はそれだけでは満足することができず、精神が崩壊したままでした。 午前中ずっとぼーっとしていた私は異変を察知され、午前中で家に帰らされました。 ここで私は10月9日、精神が崩壊する直前テンションが高かった時、2通のメールをそれぞれ上司A、上司Dに送っていました。 10月11日、このメールが大変失礼なメールであると急に心配になり、職場で孤立するのではないかと錯覚し、絶望しました。 また、連休中に違反を説明する資料を作るために証拠資料をプライベートアドレスに転送していたため、その行為が違反としてられるのではないのかと思い絶望しました。 私は自分の親と妻の両親に電話をして、「仕事で大失敗した、申し訳ない」と謝りました。 その日の夜は十分に寝ることができませんでした。 10月10日の朝、睡眠が足りていない状態で目覚めた朝、私はを起こしました。 前日の親への電話で「出向先で孤立しているのであれば出向元に相談した方が良い」とアドをもらっていた私は出向元に電話をし、職場で大失敗をしたこと、を起こしたことを電話で伝えました。 そしてその日の午後、職場に出勤して上司Aと面談をしました。 その日何を相談したのかは記憶が曖昧ですが、上司Cのから逃げたかった私は今の業務が辛いということを説明したと記憶しています。 こうして私のの前兆期は過ぎて行きました。 次回は、の陽性症状である妄想が発現する急性期について記したいと思います。 TAKE-san でも触れた通り、は前兆期・急性期・回復期・安定期の4段階のフェーズを経るとされています。 前兆期の症状としては、焦りと不安感・感覚過敏・集中困難・気力の減退などがあります。 急性期は、幻覚や妄想などの、に特徴的な症状が出現する時期です。 参考: 自分の前兆期は2018年6月ごろから始まっていたと思います。 若手職員の1人が産休に入り、若手で回していた業務に対し不安感が募っていた時期でした。 ちょうどその頃、直属の上司(上司Cとします の業務量が増えていき、彼のストレスがピークに達してきていました。 その私はそのはけ口とされたのか、私に対する彼の言動は理不尽かつ威圧的なものとなっていきました。 (も参照してください このころから、頭がボーっとして働いていないような感覚が始まりました。 加えて、上司Cの威圧的な態度が自宅でもフラッシュバックし、そのたびに「クソ!」「馬鹿野郎!」「ぶっ殺してやる!」などと物騒なことを叫ぶようになっていました。 7月に生まれることとなる子供がお腹の中で聞いているからやめてくれと妻に度々言われていたのを覚えています。 そんな中、私から言わせれば違反の業務監理が上司Cによってなされていき、ついにその業務を上司Cから私が引き継ぐよう別の上司Bに命ぜられました。 10月1日のことでした。 10月2日。 違反の「被害者」となっていたと打ち合わせをしました。 契約は6月に切れていたのでそのころに打ち合わせをセットしているのも違反です。 その場で上司Bは追加の作業の指示をしました。 の目は空を見つめており、メモすら取っていない無気力な様子でした。 10月3日。 耐えかねた私はにより詳細な指示メールをおくりつつも、「業務の範囲外と思うならその旨伝えてください」とメールしました。 に指示する権限を持つ上司Bが指示しているので、業務の範囲外という認識をは示さないという自信はありましたが、それをccで見た上司Cは「なんでそんなことするんだ」と威圧的な態度で迫ってきました。 私は「甲乙の関係を利用して業務の範囲と言えないことを指示するのはである、だからあのようなメールを送った」と若干震えながら答えました。 上司Cはすこぶる不満そうに「上司Bと相談だな」とつぶやきました。 10月4日。 経験がずっと豊富な上司Bと上司Cに違反の認識がない現状、私が送ったメールは不適切とみなされると考えた私は、者でもある上司Aに相談をすることにしました。 その日は、上司Cのやってきたことがいかにに違反しているかを説明する資料作成に費やしました。 結果は良好でした。 上司Aは契約期間終了後にまだ作業指示を出していることを問題視してくれ、この日休んでいた上司Bに一言言ってくれるように約束してくれました。 10月5日。 私はその場にいなかったのですが、上司Aが上司Bに一言苦言を呈してくれました。 すると10月3日のメールを見た上司Bは「作業指示は業務の範囲内と納得してくれたんだよね?」と焦ったそぶりで私に聞いてきました。 私は「あなたは業務の範囲内といっているが、(契約内容を示す 特記仕様書には業務の範囲と読み取れる記述はない」という趣旨のことを上司Aや上司Cに聞こえるように大きな声で言いました。 上司Cは困った様子で「はいはい、その話は終わり!終わり!」とつぶやいていました。 10月6日〜8日の3連休を挟んで10月9日。 この日私のテンションは最高に高まっていました。 上司Aは別件で忙しいと言っていたので、「上司Bの意識を変えるのは自分の仕事だ!」と息巻いていました。 まず、朝早く出勤して、上司Cのやってきたことがいかに違反かを示す書類のコピーをとりました。 そして業務時間開始直後に上司Bと別の上司Dに対して「上司Cには秘密でメールを読んでください」というタイトルでいかに上司Cがに違反しているかを説明したメールを送りつけ、「私を会議室に呼び出してください」と依頼しました。 会議室に呼ばれた私はテンションMAXで上司Cがに違反していること、訴えられでもしたら大変だということを上司Bと上司Dに説明しました。 上司Bは落ち着いた様子で「これくらいで訴えられることはない」と説明しつつ、「今の若い人にはわかってもらえないかもしれないがこれくらい私の時代では普通」「我々はを指導する立場にある(から許される 」「契約期間終了後に成果が上がってきたとしても差し替えれば問題ない」と反論しました。 反論されつつも、私は上司Bに上司Cの違反を説明できたことに非常に満足しました。 同席してくれた上司Dは私のいうことが理にかなってると言ってくれれたこともおり、その日の業務時間中は非常に満ち足りた時間を過ごしました。 そしてその日の業務時間後、感情の高まりが最高潮に達した私は、当初から理解を示してくれた上司Aを会議室に呼び出し、会議室で座った瞬間、張り詰めていた何かが爆発して、泣き出してしまいました。 全く理由は分かりませんが、ただただ号泣しました。 明らかに病的な症状が出た瞬間でした。 上司Bに違反だと説得しきれなかったことがこのタイミングで心につきささりました。 実は違反じゃないことを自分は違反だと騒いだのではないかと急に自信がなくなっていきました。 上司Aになだめられ、落ち着いた私は顔を洗ってから帰宅しました。 帰宅した時にはもう妻も子供も寝静まっていました。 私は1人で冷めた夕飯を食べ、放心状態ですっかり冷え切った湯船に長いことつかりました。 しかし、上司Bに上司Cがやっていることは許容されると反論されてしまい、私はこのロジックでは上司Cのから逃れられないという絶望感につつまれていました。 という言葉が頭の中でぐるぐると反芻され、「ああこうやって人は鬱になるんだ」と思ったのを記憶しています。 長くなりましたが、今回書き綴ったこの10月9日が、明確に精神が崩壊した日となりました。 TAKE-san 自分がになった原因は複合的ですが、きっかけを端的に表すと「職場内の違反を指摘・相談したら、切り捨てられたと錯覚した」ことにあります。 職場では、ある事業が進められていたのですが、その事業のための設計を行うための業者がいない状態が続いていました。 そのような中、全く別の仕事を受注していたにその事業のための設計を行うように仕事をむりやり依頼していました。 そのは別の分野の専門家を擁しておりノウハウがないのにも関わらず、また「工期延伸は不可」と明言していたのにも関わらず、残り少ない工期の中で次々と業務を依頼しており、その成果の水準が職員の要求に満たさないと罵声を浴びせるといったことが繰り返されていました。 結果、契約期間が終了した後も業務が終わる気配がなく、ずるずると業務の依頼が継続していました。 その中で、誰もが出来ないと口を揃える工事を出来るように設計させるという無理難題の指示を契約期間が終了したのにもかかわらず追加で出していました。 さらに問題なことに、業務の指示に必要な契約上の手続きを経ることなく口約束のみで業者に業務を依頼しており、明らかに違反であったと認識しています。 そのような中、そのの監理を主に担当していた上司からその仕事を引き継ぐことを命ぜられ、このようなむちゃくちゃな業務監理をしていた業務は引き取れない、と勤怠管理者である別の上司に相談していくうちに、「(出向者という立場もあり その上司も味方になってくれないのではないか」と疑心暗鬼になり、メンタル不調を起こしました。 (出向先の名誉のために記しますが、病気休暇取得に当たっては勤怠管理者である上司並びに人事当局には大変お気遣いいただきました。 不当に短い工期の設定を禁止する建設業法の改正案が議論される中、現在(あるいは近い将来)の倫理規範に照らし合わせると、契約上強い立場にある発注者の立場で業者に不当に業務を依頼するのは明らかにでありました。 時代錯誤の倫理観を持つ上司の元で働くのは大変苦痛で、だけでなく私自身も理不尽な罵声を浴びせられていた(上必要な手続きを提案すると「そんなものはいらない」と罵声を浴びせられる、未指示事項の不履行について罵声を浴びせられる、他の上司の指示のもとやった作業について「なんでそんなことやったんだ」と詰問される、飲み会で手配した居酒屋について難癖つけられる、血液型を根拠とした差別的な発言をされるなど ため、精神的にまいってしまいました。 (このようなむちゃくちゃな業務監理をしていた業務は引き取れない、と別の上司に相談したのは、今から思えば上司から解放されたいというSOSだったのかもしれません。 参考: 特にメンタル不調を起こした直後は家族に大変心配をかけました。 父に相談した時には「そのために内部通報という仕組みがある」と勇気づけてくれました。 振り返ってみれば、メンタル不調を起こすくらいなら正式なルートで違反を通報してやればよかったと少し後悔しています。 「発注者」という契約上比較的強い立場にいる自分でもメンタル不調を起こしたというのは、読者のみなさんにもよく考えていただきたいと思っています。 今は出向元に戻り、ストレスから解放されて仕事をしていますが、悔しいことに、あまり元気がない状態が続いています。 これまでの人生で一番の挫折。 これを読んだ皆さんには是非元気付けてもらいたいと思ったいます。 みなさんどうぞよろしくお願いします・・・! では、の前兆期について記述したいと思います。 TAKE-san.
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