[管理番号:434] 性別:女性 年齢:44歳 はじめまして。 宜しくお願いします。 現在は放射線治療中です。 FEC4クールを終えた時に、中間判定のMRでしこりが全く写らなかったので 完全奏効すると思っていたら 術後の病理結果で唖然としました。 不安です。 完全奏効するとばかり思っていたので、とてもショックでした。 無治療になるのが不安で、毎日泣いています。 リンパ節に転移が無いというのは、予後にかなり影響があるものなのでしょうか? 術後 主治医に第一声『リンパ節に転移無かったですよ!』と言われた位 重要な事なのでしょうか。 恐れ入りますが、教えてください。 宜しくお願いします。 田澤先生からの回答 こんにちは。 田澤です。 「術前化学療法の評価」については注意が必要です。 質問者様から 【質問2 トリプルネガティブ】 田澤先生の皆さんの質問の回答を見させていただき、こんなに心がある先生っているんだと 感動しています。 くだらない内容だと思うのですが、又質問させてください。 トリプルネガティブは、健側の胸にもガンが出来やすいとネットで見ました。 あと、3年は再発転移する確率が高いのですか? 先生のご回答から、ステージ1と2は早期に入るとのことで 私も早期なのかもしれないと思い、すごく気持ちが前向きになれたのですが 不安材料があまりにも多くて、事実がわからなくなりました。 先生は、私の病理だったら、患者にどうお話しますか? お忙しいところすみませんが、お時間があるときにご回答頂けたら嬉しいです。 田澤先生から 【回答2】 こんにちは。 田澤です。 化学療法前の「腫瘍径が不明 2~5cmの筈」ですが、再発率は15%程度だと思います。 実際に「サブタイプ」別に「両側乳癌」比率の「質の高いデータ」は無い筈です。 逆にいうと、10年以上経ってから(晩期再発)の頻度は低くなります。 「やるべき事もやっているので」あとは定期フォローをしましょう。 質問者様から 【質問3 リンパ節が腫れていたが陰性。 】 田澤先生こんにちは。 先生のお陰で、乳ガンについて知識がつきました。 お忙しくされているなかで丁寧に解答されていらっしゃる事に 敬意を表します。 『マスコミ等』で取り上げられたりしている『著名な病院や医師』が ここまで、されているでしょうか。 横槍は気にせず、私達乳ガン患者のために是非このまま続けてくださることを 切に願います。 お身体だけは気を付けて下さい。 田澤先生の事を応援しています。 さて、すみませんが質問させて下さい。 術前抗がん剤の前に、リンパ節の腫れがあり、私自身も脇に何か挟まっているような感覚がありました。 エコーで診ながら針の様なものを刺して擦って組織検査をして陰性で 一応はリンパ節に転移無しだが、手術しないと何とも言えない、あくまでも『グレー』とのことでした。 因みにpetでも確認されませんでした。 そして、手術を迎えセンチネル生検で陰性でした。 温存なので、放射線をあてましたが、脇の下にはあてるのでしょうか。 何となく、脇の下の変色が無かったので不安に思っています。 もしかしたら、リンパ節転移していたのが、術前抗がん剤で消えて陰性判断とされたんではないかと、不安に思っています。 リンパ節に再発するかもしれないと。 書き忘れていましたが、抗がん剤前のしこりは2. 5センチ、グレードは3でした。 分かりにくい文章ですが、もしお時間頂けたら嬉しいです。 後回しで結構です。 田澤先生から 【回答3】 こんにちは。 田澤です。 このポイントは「術前抗がん剤」をしてしまうと、その後に「センチネルリンパ節転移陰性」であっても『最初から転移が無かったのか、抗がん剤が効いて消失したのか不明である』という点です。 まさに、ここに「質問者が不安」になっているのです。 私がこのメールを見ての「最大の問題点」は 「化学療法前リンパ節細胞診の精度」です。 『一応はリンパ節に転移無しだが、手術しないと何とも言えない、あくまでも「グレー」』という担当医のコメントです。 まるで、「細胞診で陰性だけど、(細胞診検査で失敗しただけで)実は転移があるかもしれない」と担当医自身が感じているかのようなコメントです。 おそらく、そこに質問者は不安に思っているのではないでしょうか? 本来、「細胞診で陰性だったから、転移はありません。 安心して抗がん剤治療を受けましょう。 」でなくてはいけないと思います。 「術前抗がん剤」をするからには、抗がん剤前の時点で『リンパ節転移陽性か陰性かを明確にする』必要があるのです。 それは何故かというと 「術前化学療法前にN0(リンパ節転移無)である症例に対してはセンチネルリンパ節生検による郭清省略を行うことを考慮してもよい」:推奨グレードC1 に対し、 「術前化学療法前にN1(リンパ節転移有)である症例においては、センチネルリンパ節生検による郭清省略は基本的に勧められない」:推奨グレードC2 となっているのです。 (その点は私には判断困難なところです。 「センチネルリンパ節生検で転移無と出た以上」通常は「腋窩照射」はしません。 通常は心配ありません。 (リンパ節細胞診の精度は別にしても)「センチネルリンパ節生検で陰性」であった事実からは、(万が一、もともと転移があったと仮定しても)「最低限、そのリンパ節は摘出している」し、 それより先のリンパ節については、「術前の画像診断で所見が無かった筈」なので(もしも微小転移が存在していたとしても)術前抗がん剤により「消失してしまっている」可能性が高いです。 質問者を『応援しています!』 / 田澤先生の回答が『参考になりました!』 という方はクリックしてください。
次のもくじ• はじめに 基本的には、ヒトは歯を一本も持たずに生まれてきます。 成長するにつれて、まず乳歯とよばれる子供の歯が生えてきます。 乳歯は、全部が同時に生えてくるわけではありません。 成長とともに順番に少しずつ生えてきます。 乳歯 ヒトの乳歯は、永久歯と同じく前歯と奥歯にわけられます。 前歯を乳前歯、奥歯を乳臼歯とよびます。 乳歯は、全て生え揃うと乳前歯が12本、乳臼歯が8本で、合計で20本になります。 ちなみに、永久歯は、前歯が12本、臼歯(奥歯)が親知らずを含めれば20本の合計32本、含めなければ16本の28本です。 永久歯と比べると、前歯の数は同じですが、臼歯(奥歯)の数が永久歯の半分以下しかありません。 歯の大きさも違いますが、数も違うのです。 乳歯の名前 永久歯と同じく、乳歯にもそれぞれ名前が付けられており、中心から「乳中切歯」「乳側切歯」「乳犬歯」「第一乳臼歯」「第二乳臼歯」とよばれます。 前から順番にアルファベットで表記し、「A」「B」「C」「D」「E」としています。 たとえば、左側下顎第一乳臼歯は、「左下D」といった具合です。 ところで、むし歯の略号は、むし歯の英語表記であるDental Cariesからとった「C」です。 「D」じゃないですね。 たとえば右側下顎乳犬歯「右下C」がむし歯の時、Cを繰り返すことになり「右下C、C」となります。 書けば何となくわかることでも、声にだしてみると「みぎしたしーしー」となり、わかりにくくなってしまいますが、そこは専門家、ちゃんと理解しています。 乳歯の生える年齢 ヒトの歯は、乳歯と永久歯と2種類あるのが特徴です。 生まれた時には歯は生えておらず、しばらくしてから生えてきます。 乳歯は、個人差があり多少の前後はありますが、おおむね生後8ヶ月前後から生え始めます。 最後の乳歯である第二乳臼歯は2歳3〜6ヶ月頃から生えてきます。 そして、3歳までには全ての乳歯が生え揃い、乳歯の噛み合わせが完成します。 したがって、乳歯の噛み合わせが完成するのに2年あまりの期間が必要であるといえます。 乳歯の生える年齢 生後12ヶ月までに生えてくる乳歯は、下顎の「A(乳中切歯)」と上顎の「B(乳中切歯)」、「C(乳側切歯)」の3種で、これが左右両側に生えてくるので、あわせて6本だけです。 そのあと、生後12ヶ月から1歳6ヶ月(18ヶ月)の間に、「E(第二乳臼歯)」以外の永久歯が生えてきます。 その後、しばらく乳歯が生えてくるのが停止します。 2歳過ぎから2歳6ヶ月ごろに最後の第二乳臼歯が生えてきます。 1歳6ヶ月健診までに、「A(乳中切歯)」から「D(第一乳臼歯)」までの合計16本、3歳健診までに、「A(乳中切歯)」から「E(第二乳臼歯)」までの合計20本生えていると覚えると、わかりやすいと思います。 乳歯の生える順序 一般的には、下顎のA(乳中切歯)が一番最初に生えてきます。 次に上顎のA(乳中切歯)、B(乳側切歯)、下顎B(乳側切歯)と続きます。 前歯の完成には、あとC(乳犬歯)が必要ですが、このあとはD(第一乳臼歯)が先に生えます。 D(第一乳臼歯)の生える順序は上顎、下顎の順です。 そして、C(乳犬歯)がまず上顎、そして下顎の順に生え、最後にE(第二乳臼歯)となります。 もちろん個人差がありますから、順序が多少前後することがあります。 けれども、最終的に生え揃えば問題ありません。 順序の違いはさほど心配しなくても大丈夫です。 不安なときは、歯科医院で相談してください。 乳歯が生え変わる理由 乳歯はやがて永久歯に生え変わります。 永久歯に生え変わる理由はいろいろ考えられていますが、最も有力なのは、歯の大きさと顎の骨の大きさのバランスをとるためという仮説です。 乳歯と永久歯を比べると、永久歯の方が一回り大きい上に、数も親知らずを含めれば32本、含めなくても28本ととても多いです。 乳幼児の小さな顎の骨に、永久歯と同じ大きさの歯が生えるとすると、ほとんど生えることが出来なくなります。 そこで、顎の骨の小さい幼少期には小さな歯を、成長して顎の骨が大きくなった後は大きな永久歯に交換するように進化したのではないかと考えられています。 乳歯が抜ける時 乳歯は、永久歯といずれ入れ替わっていきます。 永久歯と交代するとき、乳歯の歯根が吸収されて短くなっていきます。 そしてぐらぐらしはじめて抜け落ちます。 乳歯の歯根が吸収され始める年齢は、乳歯ごとに異なります。 A(乳中切歯):4歳ごろ B(乳側切歯):5歳ごろ C(乳犬歯):7〜8歳ごろ D(第一乳臼歯):8歳ごろ E(第二乳臼歯):8歳頃 歯根の吸収が始まったら直ちに乳歯が抜けるわけではありません。 その後、しばらくしてからグラグラし始め、そして抜ける日が来ます。 もし、後継の永久歯が残っている乳歯の横からはみ出して生えてきたりするようなら、歯科医院でその乳歯を抜いてもらった方がいいかもしれません。 乳歯の異常 先天性歯 一般的に、赤ちゃんは生まれた時は歯が生えていません。 ところが、稀に生まれたときから生えているときがあります。 それを「先天性歯(せんてんせいし)」または「先天歯(せんてんし)」といいます。 先天性歯が生えていると、授乳のときに乳首を噛んで傷つけてしまうことがあります。 授乳に障害が生じるようなら、歯科医院で相談することをお勧めします。 歯科医院では、先天性歯を抜歯したり、角を削って丸めてみたりと、先天性歯の状況に応じて処置を行ないます。 癒合歯 歯は、1本1本独立して生えているのが普通です。 ところが、稀に2本がくっついて生えてくることがあります。 これを「癒合歯(ゆごうし)」といい、下顎の前歯に多くみられます。 なお、3本がくっついて生えてくることはまずありません。 癒合歯になったとしても、その乳歯については特に何らかの治療をしなければならないことはありません。 経過観察となります。 ただ、永久歯に生え変わる時期になっても、なかなか抜けないようなときは抜歯した方がいいかもしれません。 そのような場合は、歯科医院で相談した方がいいでしょう。 エナメル質形成不全症 歯の色は白色のイメージがありますが、実際の永久歯の色は白というよりもむしろ乳白色です。 そして、乳歯の色は、永久歯より白く、まさしく白色といった色合いです。 ところが、稀に生えてきたとき乳歯の色が黄色かったり茶色みがかっていたりしたりするときがあります。 そんなときは、乳歯が「エナメル質形成不全症(えなめるしつけいせいふぜんしょう)」である可能性が考えられます。 エナメル質形成不全症であっても特に治療の必要性はないので経過観察となります。 まとめ 赤ちゃんは生まれたときは歯が生えていません。 一般的には生まれて8ヶ月前後から生え始め、3歳前に乳歯が20本すべて生え揃うとで乳歯の歯並びが完成します。 歯の生えてくる順序もおおむね共通ですが、個人差があり順番が前後することもありますが、最終的に全て生えてくれば問題ありません。 乳歯には、先天性歯や癒合歯、エナメル質形成不全症等の異常が生じることがあります。 こうした違いを伴う乳歯が生えてきたとしても、症状によっては特に何らかの治療が必要とならないこともあります。 乳歯に不安を感じたときは、自分で悩まずに、まずは歯科医院で相談することをお勧めします。
次の職掌 [ ] 典薬寮は宮廷官人への医療、医療関係者の養成および薬園等の管理を行った。 への医療を行うと対を成す。 (寛平8年)にを併合して朝廷の医療を掌握した。 長官は典薬頭で、、、、で構成されていた。 また、、、、、がおり、その下には学生である医得業生が学んでいた。 内薬司併合時には・・も移管された。 初期は呪術的色彩も強かったらしく、(天平4年)にはの開祖の弟子であるが典薬頭に就任している。 後期以降、とによる世襲となり、典薬頭は専らのが独占した。 小森家はを兼ねたため、典薬頭であっても実際の天皇の拝診や寮の実務には携わらない名誉職的存在となった。 また、典薬権助の地位はのであるが世襲したが、こちらは実際にを行い、天皇の拝診もする家系であった。 からにかけて、医師たちが剃髪し僧侶に擬制してを受ける例が続出すると、に出入りする医師も俗体としてのを持たない者が占めてゆく。 彼らは官位を持たないため、官としての典薬寮医師()ではなく、単に「御医」と呼ばれた。 この傾向は中期まで継続したが、治世の頃から朝廷の中で復興ブームが高まる中で典薬寮も再興の対象となり、期以降、「御医」たちは次々と蓄髪して官位を受け「」になっていった。 この時期は京都のみならず諸国の優秀な民間医が典医に登用されるケースが増え、伝統的なに加え、などオランダ医学の流れを汲む者もされるようになった。 再興期の典薬寮はの支配を受け、実質的な典医たちの統率は典薬権助の藤木家や典薬大允に任じられた者が行った。 また、典薬大允以下の役職は典医の中から技術の優劣や年功の長幼によって選ばれた。 (明治2年)、に伴う官制改革によって廃止されたが、律令制に基づく機関の中では、最後の段階で設置当初の職掌を名実ともに取り戻していた稀有の存在であった。 乳牛院 [ ] 乳牛院は典薬寮に付属した機関の一つ。 に設置された。 別当が総監し乳師長上に統轄されたの乳戸が乳牛の飼育、牛乳の採取を行ってに供御した。 牛乳や・は薬としても使われていた。 職員 [ ]• 頭()• 助() 権助• 大允() 少允()• 大属() 少属()• 史生 新設• 寮掌 新設• 医師() 医療• 針師() 鍼灸施療• 按摩師() 按摩施療• 呪禁師(正八位上) 呪文等によって治療・に職掌を奪われて消滅• 薬園師(正八位上) 薬園の管理• 医博士() の養成• 医生 学生• 医得業生 上級学生• 針博士() 針師の養成• 針生 学生• 按摩博士() 按摩師の養成• 按摩生 学生• 呪禁博士() に職掌を奪われて消滅• 呪禁生 陰陽寮に職掌を奪われて消滅• 女医博士(正七位下) 産科医養成・より移管• 侍医() の直属医・内薬司より移管• 薬生 薬の調合・内薬司より移管• 薬戸 品部・薬の栽培 乳牛院• 乳師長上• 乳戸 脚注 [ ]• 『』天平四年冬十月丁亥条 関連項目 [ ]• この項目は、に関連した です。
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