恋しく思う気持ちを書いた恋文。 直接ではうまく伝えられないことも、文章であれば自分の気持ちを素直に表現できるもの。 ですが、うまく書こうと思えば思うほど、何を書いたらいいのかわからなくなる……そんなことってありますよね。 しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道 土方歳三 新撰組の土方歳三はこのような句を残していますが、恋は迷うことをわかってても迷ってしまうもの!(ですよね?)今回は誰もが一度は迷ってしまう恋文にまつわる歴史をご紹介します! 意外と代筆も多かった? 恋文は、古くは懸想文(けそうぶみ)といわれ、相手への恋心を和歌に詠んで紙にしたため、人づてに渡されていました。 その際和歌に関する草木も添えられていたそうです。 ここから派生して、京の都では梅の小枝に懸想文を結んで売り歩く「懸想文売り」が現れるようになりました。 これは文字を書くことができなかった庶民の代筆を、貧しい公家が素性を知られないよう顔を隠して引き受けたものだと伝えられています。 赤い着物を身に纏い、顔半分を白い布で覆い、頭には烏帽子を被った懸想文売り。 「三十六佳撰 懸想文 元禄頃婦人」 年方 出典: しかし厳密に言うと、この懸想文は恋文に似せたものでした。 人に知られずに鏡台や箪笥の引き出しに入れておくと、顔貌が美しくなり、着物が増え、良縁に恵まれるなどと信じられている縁起物だったのです。 この噂がたちまち広まったため、女性たちはよく買い求めたのだとか。 識字率の低かった時代では、このような懸想文売り以外にも恋文を代筆する文化があったようです。 そんな中、代筆された恋文によって、人妻を口説こうとする下世話な例もありました。 例えば、足利尊氏の右腕で無類の女好き、高師直(こうのもろなお)は、美人と評判だった塩冶高貞(えんやたかさだ)の妻へ恋文を送りました。 その代筆を引き受けたのは、あの『徒然草』で有名な吉田兼好。 師直は、紅葉を重ねた薄紙に、手に取ると匂いが移るほどの香を焚いて、兼好に恋文を書かせました。 これだけ聞くとなんだかものすごく気合いの入った恋文ですよね……。 このときの兼好の気持ちが気になります。 が、兼好はむしろ師直の不倫にノリノリだったのかも? と、次の記事を読んで思ってしまいした。 あんなに拘ったのに全くなびかなかったんですね。 江戸時代に恋文のマニュアルがあった! 江戸時代後期には、『女用文忍草(おんなようぶんしのぶぐさ)』という恋文の手引書がありました。 作者は不明ですが、その内容の豊富さがすごいのです。 「初て送る恋の文」「文のみにて未逢ざるに送る文」「妾に送る文の事」「後家に送る文の事」など、場面や相手別に文例や表現方法が記されています。 さらには、相性占いも。 ここで面白いのが、「男性が初めて送った恋文に、女性がすぐに返事をするのは軽はずみでよくない」といった恋愛に関する心得のようなものまで記されているのです。 現代でいうと雑誌の最終ページの方にある恋愛相談やコラムなどを見る感覚でしょうか。 そう考えるとちょっと親近感が湧いてきます。 また 『遊女案文(ゆうじょあんもん)』という遊女の恋文マニュアルもあったようです。 目録には「二度の客へ遣る文」「馴染の客へ遣る文」「しばしこぬ客へ遣る文」などが並び、客の来訪を懇願するような表現が見られます。 長松軒 『遊女案文』出典: 偉人たちの恋文をご紹介! では、歴史に名を残した偉人たちは一体どんな恋文を書いていたのでしょうか。 時代を創った彼らの隠れた素顔が見えてくるかもしれません。 ツンデレなところがたまらない!夏目漱石 まずは「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという逸話のある夏目漱石。 彼はロンドン留学中に妻・夏目鏡子さんへこんな手紙を送っています。 御前の手紙は二本来た許(ばか)りだ。 其後の消息は分からない。 多分無事だろうと思って居る。 御前でも子供でも死んだら電報位は来るだろうと思って居る。 夫(そ)れだから便りのないのは左程心配にはならない。 然し甚だ淋い。 おれの様な不人情なものでも頻りにお前が恋しい。 これだけは奇特といって褒めてもらわなければならぬ。 つまり、「手紙が届かないということは無事であるだろうから心配はしていないが、甚だ淋しい」。 「不人情な私でも、『お前が恋しい』と言っている。 これは良いことだといって褒めてもらわなければいけない」。 神経質で亭主関白、気難しい性格であった漱石。 それなのに、こんなにツンデレな恋文を書くなんて第三者から見てもキュンとしてしまいます。 脅しもテクニックのひとつ!?柳原白蓮 「大正三美人」と呼ばれるほどの美貌をもつ柳原白蓮。 福岡の炭鉱王・伊藤伝右衛門を夫にもちながら、7つ歳下の男性と駆け落ち。 マスコミなども巻き込み、大正時代最大のスキャンダルとして世間を揺るがせました。 その駆け落ちの相手、宮崎龍介との手紙のやりとりは年間700通にも及んだそうです。 そのうちの1通がこちら。 あなた決して、他の女の唇には手もふれては下さるなよ。 女の肉を思っては下さるなよ。 あなたはしっかりと、私の魂を抱いていて下さるのよ。 きっとよ (中略) こんな怖ろしい女もういや、いやですか。 いやならいやと早く仰しゃい。 さあ何とです。 お返事は? まるで脅しのような内容に一瞬ゾッとしてしまいましたが、白蓮の龍介に対する愛がいかに激しく熱いものであったかがうかがい知れます。 きっと命懸けの駆け落ちだったのでしょう。 どストレートかつ超純粋!芥川龍之介 歴史に残る数多くの作品を世に送った芥川龍之介。 『羅生門』を発表した翌年、26歳の彼は恋人であった塚本文さんへこんな手紙を送りました。 僕のやってゐる商売は、今の日本で、一番金にならない商売です。 その上、僕自身も、碌(ろく)に金はありません。 ですから、生活の程度から云へば、何時までたっても知れたものです。 それから、僕は、からだも、あたまもあまり上等に出来上がってゐません(あたまの方は、それでも、まだ少しは自信があります)。 うちには 父、母、叔母と、としよりが三人ゐます。 それでよければ来て下さい。 僕には、文ちゃん自身の口から、かざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。 繰返して書きますが、理由は一つしかありません。 僕は文ちゃんが好きです。 それでよければ来て下さい。 芥川龍之介書簡(恋文全文) より引用 まさに一世一代のプロポーズ。 東大の大学院に通い、収入面が不安定かつ将来も不透明であった龍之介。 飾り気がなくとても純粋な気持ちで書かれた恋文には強い愛情が感じられます。 これは流石に恥ずかしいかも……?斎藤茂吉 最後にとんでもない(?)恋文をご紹介。 書いたのは斎藤茂吉、近代短歌を確立した歌人です。 彼にはふさ子さんという不倫相手がいました。 彼女がその関係を終わらせ別の男性(M氏)と婚約すると、茂吉は最後のわがままとしてこの1通を送りました。 僕との間ですから、M氏と最初のキスの時と場所をおっしゃってくださいませんか。 岡山でなさった時、あるいは松山、あるいは御旅行、又は海浜というように場面もちょっと御書き下さいませんか。 これを最初に見たとき思わずポカーンとしてしまいました。 そんなの集めて一体どうする気?! クセがすごいんじゃ……という感想です。 「愛」の伝え方は千差万別 現代ではメールやSNSで頻繁にメッセージを送り合うことができますが、携帯電話がなかった時代、手紙1通1通の重みは今と比べてかなりあったように感じます。 一風変わった恋文もありましたが、何をどう伝えようと愛の伝え方は千差万別。 マニュアルはあっても正解はないですよね。 でもまずは、相手に読んでもらえるような関係を築くことが大事な気もします。 そもそも師直は読まれなかったし……。 もしもこの記事を読んで恋が叶った!という方がいたらご連絡ください。 今後の恋文作成のために参考にさせていただきます! アイキャッチ画像:より.
次の恋しく思う気持ちを書いた恋文。 直接ではうまく伝えられないことも、文章であれば自分の気持ちを素直に表現できるもの。 ですが、うまく書こうと思えば思うほど、何を書いたらいいのかわからなくなる……そんなことってありますよね。 しれば迷い しなければ迷わぬ 恋の道 土方歳三 新撰組の土方歳三はこのような句を残していますが、恋は迷うことをわかってても迷ってしまうもの!(ですよね?)今回は誰もが一度は迷ってしまう恋文にまつわる歴史をご紹介します! 意外と代筆も多かった? 恋文は、古くは懸想文(けそうぶみ)といわれ、相手への恋心を和歌に詠んで紙にしたため、人づてに渡されていました。 その際和歌に関する草木も添えられていたそうです。 ここから派生して、京の都では梅の小枝に懸想文を結んで売り歩く「懸想文売り」が現れるようになりました。 これは文字を書くことができなかった庶民の代筆を、貧しい公家が素性を知られないよう顔を隠して引き受けたものだと伝えられています。 赤い着物を身に纏い、顔半分を白い布で覆い、頭には烏帽子を被った懸想文売り。 「三十六佳撰 懸想文 元禄頃婦人」 年方 出典: しかし厳密に言うと、この懸想文は恋文に似せたものでした。 人に知られずに鏡台や箪笥の引き出しに入れておくと、顔貌が美しくなり、着物が増え、良縁に恵まれるなどと信じられている縁起物だったのです。 この噂がたちまち広まったため、女性たちはよく買い求めたのだとか。 識字率の低かった時代では、このような懸想文売り以外にも恋文を代筆する文化があったようです。 そんな中、代筆された恋文によって、人妻を口説こうとする下世話な例もありました。 例えば、足利尊氏の右腕で無類の女好き、高師直(こうのもろなお)は、美人と評判だった塩冶高貞(えんやたかさだ)の妻へ恋文を送りました。 その代筆を引き受けたのは、あの『徒然草』で有名な吉田兼好。 師直は、紅葉を重ねた薄紙に、手に取ると匂いが移るほどの香を焚いて、兼好に恋文を書かせました。 これだけ聞くとなんだかものすごく気合いの入った恋文ですよね……。 このときの兼好の気持ちが気になります。 が、兼好はむしろ師直の不倫にノリノリだったのかも? と、次の記事を読んで思ってしまいした。 あんなに拘ったのに全くなびかなかったんですね。 江戸時代に恋文のマニュアルがあった! 江戸時代後期には、『女用文忍草(おんなようぶんしのぶぐさ)』という恋文の手引書がありました。 作者は不明ですが、その内容の豊富さがすごいのです。 「初て送る恋の文」「文のみにて未逢ざるに送る文」「妾に送る文の事」「後家に送る文の事」など、場面や相手別に文例や表現方法が記されています。 さらには、相性占いも。 ここで面白いのが、「男性が初めて送った恋文に、女性がすぐに返事をするのは軽はずみでよくない」といった恋愛に関する心得のようなものまで記されているのです。 現代でいうと雑誌の最終ページの方にある恋愛相談やコラムなどを見る感覚でしょうか。 そう考えるとちょっと親近感が湧いてきます。 また 『遊女案文(ゆうじょあんもん)』という遊女の恋文マニュアルもあったようです。 目録には「二度の客へ遣る文」「馴染の客へ遣る文」「しばしこぬ客へ遣る文」などが並び、客の来訪を懇願するような表現が見られます。 長松軒 『遊女案文』出典: 偉人たちの恋文をご紹介! では、歴史に名を残した偉人たちは一体どんな恋文を書いていたのでしょうか。 時代を創った彼らの隠れた素顔が見えてくるかもしれません。 ツンデレなところがたまらない!夏目漱石 まずは「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという逸話のある夏目漱石。 彼はロンドン留学中に妻・夏目鏡子さんへこんな手紙を送っています。 御前の手紙は二本来た許(ばか)りだ。 其後の消息は分からない。 多分無事だろうと思って居る。 御前でも子供でも死んだら電報位は来るだろうと思って居る。 夫(そ)れだから便りのないのは左程心配にはならない。 然し甚だ淋い。 おれの様な不人情なものでも頻りにお前が恋しい。 これだけは奇特といって褒めてもらわなければならぬ。 つまり、「手紙が届かないということは無事であるだろうから心配はしていないが、甚だ淋しい」。 「不人情な私でも、『お前が恋しい』と言っている。 これは良いことだといって褒めてもらわなければいけない」。 神経質で亭主関白、気難しい性格であった漱石。 それなのに、こんなにツンデレな恋文を書くなんて第三者から見てもキュンとしてしまいます。 脅しもテクニックのひとつ!?柳原白蓮 「大正三美人」と呼ばれるほどの美貌をもつ柳原白蓮。 福岡の炭鉱王・伊藤伝右衛門を夫にもちながら、7つ歳下の男性と駆け落ち。 マスコミなども巻き込み、大正時代最大のスキャンダルとして世間を揺るがせました。 その駆け落ちの相手、宮崎龍介との手紙のやりとりは年間700通にも及んだそうです。 そのうちの1通がこちら。 あなた決して、他の女の唇には手もふれては下さるなよ。 女の肉を思っては下さるなよ。 あなたはしっかりと、私の魂を抱いていて下さるのよ。 きっとよ (中略) こんな怖ろしい女もういや、いやですか。 いやならいやと早く仰しゃい。 さあ何とです。 お返事は? まるで脅しのような内容に一瞬ゾッとしてしまいましたが、白蓮の龍介に対する愛がいかに激しく熱いものであったかがうかがい知れます。 きっと命懸けの駆け落ちだったのでしょう。 どストレートかつ超純粋!芥川龍之介 歴史に残る数多くの作品を世に送った芥川龍之介。 『羅生門』を発表した翌年、26歳の彼は恋人であった塚本文さんへこんな手紙を送りました。 僕のやってゐる商売は、今の日本で、一番金にならない商売です。 その上、僕自身も、碌(ろく)に金はありません。 ですから、生活の程度から云へば、何時までたっても知れたものです。 それから、僕は、からだも、あたまもあまり上等に出来上がってゐません(あたまの方は、それでも、まだ少しは自信があります)。 うちには 父、母、叔母と、としよりが三人ゐます。 それでよければ来て下さい。 僕には、文ちゃん自身の口から、かざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。 繰返して書きますが、理由は一つしかありません。 僕は文ちゃんが好きです。 それでよければ来て下さい。 芥川龍之介書簡(恋文全文) より引用 まさに一世一代のプロポーズ。 東大の大学院に通い、収入面が不安定かつ将来も不透明であった龍之介。 飾り気がなくとても純粋な気持ちで書かれた恋文には強い愛情が感じられます。 これは流石に恥ずかしいかも……?斎藤茂吉 最後にとんでもない(?)恋文をご紹介。 書いたのは斎藤茂吉、近代短歌を確立した歌人です。 彼にはふさ子さんという不倫相手がいました。 彼女がその関係を終わらせ別の男性(M氏)と婚約すると、茂吉は最後のわがままとしてこの1通を送りました。 僕との間ですから、M氏と最初のキスの時と場所をおっしゃってくださいませんか。 岡山でなさった時、あるいは松山、あるいは御旅行、又は海浜というように場面もちょっと御書き下さいませんか。 これを最初に見たとき思わずポカーンとしてしまいました。 そんなの集めて一体どうする気?! クセがすごいんじゃ……という感想です。 「愛」の伝え方は千差万別 現代ではメールやSNSで頻繁にメッセージを送り合うことができますが、携帯電話がなかった時代、手紙1通1通の重みは今と比べてかなりあったように感じます。 一風変わった恋文もありましたが、何をどう伝えようと愛の伝え方は千差万別。 マニュアルはあっても正解はないですよね。 でもまずは、相手に読んでもらえるような関係を築くことが大事な気もします。 そもそも師直は読まれなかったし……。 もしもこの記事を読んで恋が叶った!という方がいたらご連絡ください。 今後の恋文作成のために参考にさせていただきます! アイキャッチ画像:より.
次のドイツのエッセンにて2014年10月16日から19日まで開催された。 その前夜祭として開かれた,ドイツゲーム賞(Deutschen Spielepreises)の授賞式では,2014年を代表するボードゲームデザイナー達が次々と姿を見せ,晴れの舞台で満面の笑みを見せた()。 その中に,日本人として初の受賞者となったゲームデザイナー・ カナイセイジ氏がいた。 で4位入賞を果たし,日本を代表する ボードゲームデザイナーとしてその名を世界に知らしめたカナイ氏。 その彼は,今何を思い,これから何を目指そうとしているのか。 授賞式後のエッセンにて,話を聞いてみた。 ルールやコンポーネント(内容物)も少ない場合が多い。 海外での経験から生まれた「ラブレター」 4Gamer: ドイツゲーム賞の4位入賞,おめでとうございます。 カナイセイジ氏(以下,カナイ氏): ありがとうございます,実に光栄なことです。 4Gamer: 受賞作となった「ラブレター」ですが,海外版も評判は上々ですね。 カナイ氏: 自分としては,これだけ支持していただけたのは幸運に恵まれた部分も大きかったと思っています。 ミニマルなゲームは相撲に例えるなら「猫だまし」のようなもので……タイミングが良かったですね。 おかげさまで,新作を作るにあたってのハードルが上がってしまって,胃が痛いです(笑)。 4Gamer: そういいつつも,今年は 「Secret Moon」と新作を立て続けに発表されましたし, 「舞星」の海外版 「Adventure Tours」も発売されました。 カナイ氏: 「ラブレター」がヒットしたおかげで,色々声をかけていただけるようになりました。 この機会を逃さずに,どんどん出していきたいと思っています。 4Gamer: 「ラブレター」で大きな注目を集めるようになったカナイさんですが,なぜアナログゲームを制作にするようになったのか,その原点を伺いたいと思います。 以前はこのSPIELでの経験がゲームデザインに大きく影響したとおっしゃっていたように思いますが,これは間違いないですか。 ドイツゲーム賞授賞式でのカナイ氏 カナイ氏: ええ。 JAPON BRAND経由でSPIELに初出展したのが2008年だったので……今から6年前になります。 日本のゲームが海外に紹介される現場を,自分自身が体験できたというのが大きかった。 ゲーム時間やインストラクションが短いゲームの方が,多くのお客さんの目に触れるのではないかと考えたんです。 4Gamer: なるほど。 それでカードが16枚しかない「ラブレター」が生まれたわけですね。 カナイ氏: はい。 僕自身,それほど英語が堪能なわけでもありませんし,ドイツ語となるとさっぱりですから。 説明が簡単なゲームのほうが,海外ではずっと有利だと思ったんです。 4Gamer: よく分かるお話です。 しかし一方で,重たいゲームを好んで遊ぶ層も少なくはないですよね。 例えば,今回のドイツゲーム賞で大賞をとった 「RUSSIAN RAILROADS」は,かなり重たいゲームです。 カナイさんご自身は,そういったゲームを作りたいと考えることはないのですか。 カナイ氏: アイデアはありますが,それを構成するコンポーネント(内容物)のことを考えると,二の足を踏んでしまいますね。 例えば,カードが200枚あるゲームを作ろうとしたら……まずイラストレーターが何人必要なんだ? って,どうしても考えてしまいます。 もちろん1セットあたりの値段も上がってしまうわけで。 4Gamer: 確かに。 インディーズがベースになっている日本のボードゲーム業界では,今のスタイルが最適だと。 カナイ氏: いや,そうではありません。 同人でも重たいゲームを作っているサークルはたくさんありますから,出来ないわけではないんです。 そういう意味では,さんやさん,さんなんかは,素直に凄いなって思います。 4Gamer: 今回のSPIELでも紹介されていた,OKAZU Brandさんの 「漁火」,Baka Fire Partyさんの 「Aristo・Maze」「終わった世界と紺碧の追憶」,Manifest Destinyさんの 「Ars Alchimia」などは,比較的重たいゲームといえるかもしれません。 カナイ氏: あれをそのまま海外まで持ってこようというパワーがすごいですよ。 よくぞ,成し遂げたなと。 4Gamer: でも,カナイさんの 「成敗」(海外版:Say Bye to the Villains! )も,カードゲームとしては重たい部類なのでは? カナイ氏: 海外での評判を見ると,「成敗」の評価は横ばいなんですよね。 恐らくですが,今の自分に求められているのは,そういったタイトルではないんだと思います。 やっぱりミニマムな中に,ストラテジックなゲーム性を突っ込んだようなもの。 そういったものが求められているんじゃないかと。 4Gamer: まさに「ラブレター」のような。 カナイ氏: ええ。 ワーカープレイスメントみたいな重たいゲームは個人的には作ってみたいし,アイデアもあるんです。 でも,それが実現できるのは,もう少し後になりそうです。 「ラブレター」(アークライト版) 「ラブレター」とは カナイ製作所より2012年に発売された,わずか16枚のカードを使って遊ぶ対戦型のカードゲーム。 プレイ人数は2〜4人で,1プレイあたりの時間は5分足らずと,とても気軽に遊ぶことができる。 ルールはとても簡単で,各プレイヤーが常に1枚の手札を持ち,手番が来たら山札から1枚補充したのち,1枚のカードを捨てるだけ。 これを繰り返していって,最後に一番数字の大きなカードを持っていた人が勝ちとなる。 しかしカードを捨てる時には,かならずそのカードに書かれたカード効果をプレイしなければならず,それによってさまざまな駆け引きが発生する。 単純でありながら,深い戦略があり,またカードセットを入れ替えることでも,また違った楽しさが生まれるなど,繰り返し遊べるゲームになっている。 「ラブレター」は発売以来,日本のミニマリズムを代表する作品としてさまざまな賞を受賞し,また優れたゲームシステムが評価され,さまざまな派生作品が生み出されることになった。 日本国内では,ワンドローの 木皿儀隼一氏とカナイ氏の共同制作により,「ロストレガシー」シリーズが生まれたほか,海外でもさまざまなコラボレーション作品が作られている。 Love Letter 2012年に発売されたオリジナルバージョン。 ラブレター(アークライト版) アークライトによって製品化された一般流通バージョン。 Amazonなどでも購入可能。 Love Letter限定版 カナイ製作所制作による限定版。 ケン・ニイムラ氏によるイラストが可愛らしい。 Love Letter限定版• ロストレガシー ワンドロー・木皿儀隼一氏とのコラボタイトル。 Love Letterのルールを元にしながら,勝利条件が変わり,遺産カードの場所を探す推理要素が加えられている。 ロストレガシー:百年戦争と竜の巫女 ロストレガシーの拡張セット第1弾。 これ単体でも遊ぶ事ができる。 ロストレガシー:貧乏探偵と陰謀の城 ロストレガシーの拡張セット第2弾。 これ単体でも遊ぶ事ができる。 ロストレガシーレジェンド 8名のゲームデザイナーによるアンソロジー。 Love Letter Tempest Edition(英語版) 海外の老舗メーカー・AEGによる英語版。 Love Letter Kanai Factory Edition(英語版) オリジナル版と同じ絵柄による英語版。 Love Letter Legend of the Five Rings(英語版) TCG「Legend of the Five Rings」とのコラボタイトル。 Love Letter Wedding Edition(英語版)• Munchkin Loot Letter(英語版) Steve Jackson Gamesの人気シリーズ「マンチキン」とのコラボタイトル。 Letters to Santa(英語版) 子供向けのクリスマスバージョン。 Love Letter: The Hobbit - The Battle of the Five Armies(英語版) 映画「ホビットの冒険」とのコラボ作品。 2015年発売予定。 Love Letter: Batman(英語版) バットマンとのコラボ作品。 2015年発売予定。 ネトゲ廃人からゲームデザイナーへ 4Gamer: では,ちょっと切り口を変えて,そもそも,ボードゲームを作りはじめたきっかけは? カナイ氏: 元々はテーブルトークRPGが好きで,高校・大学時代はよくそれで遊んでいたんです。 なので,最初はテーブルトークRPGを作ろうと思ったんですが……いざ作ろうとすると,これが大変なんですよ。 膨大なデータを作らなくちゃなりませんから。 4Gamer: モンスターとか,武器のデータですね。 カナイ氏: そうそう。 普通の人は,ロングソードとドラゴンのデータを作った時点で力尽きます。 僕もそうでした。 それで次に目を付けたのがトレーディングカードゲーム(以下,TCG)なんですけど……これも挫折しました。 レアカードを10枚くらい作った時点で(笑)。 4Gamer: (以下,M:tG)が日本に上陸したあたりですか? カナイ氏: コミックマーケット(以下,コミケ)に初参加したのが2000年なので,もう少し後ですね。 4Gamer: あの頃は,M:tGの二次創作カードが溢れていましたよね。 カナイ氏: ああ,ちょうどそんな風景でしたね。 テーブルトークRPGもTCGもダメってことで,これはいかんぞと奮起しまして。 オリジナルのカードゲームを作ってコミケに持っていったのが2002年なんです。 4Gamer: それが処女作ですか? Dragon Rush! カナイ氏: ええ。 で公開しているので見てもらえば分かると思いますが,ドラゴンに乗って1週間のレースを競う, 「Dragon Rush! 」というタイトルでした。 ……実はこれには恥ずかしい話がありまして,初版はゲームになっていなかったんですよ。 4Gamer: というと? カナイ氏: ルールブックの書き方が悪くて,ゲームが終わらないんです。 というか,最終ラウンドの処理方法が分からない(笑)。 当時はコミケでオリジナルのボードゲームを出している人なんてほとんどいなかったので,そんなゲームでも出していれば声をかけて応援してもらえました。 おかげで続けていくことができたんです。 4Gamer: 今だとものすごいクレームが来そうですけど(笑)。 でも,ゲームマーケットの第1回が2000年ですから,その萌芽こそあれ,ボードゲームが流行になるにはまだまだ時間が必要だった。 まだのんびりとした時代だったわけですね。 カナイ氏: ボードゲームがブレイクしたのって, 「アグリコラ」や 「レース・フォー・ザ・ギャラクシー」が出た2007年以降ですから。 当時はまだ,ボードゲームに対応してくれる印刷所もなくて,自分で印刷して組み立てて,という感じでやっていました。 用意した数も20とか30とかでしたし。 4Gamer: が2008年ですし,あの前後の名作ラッシュは凄かった。 「カタンの開拓者たち」に代わるスタンダードが登場したことで,一気に火が点いたんですね。 カナイ氏: あとは近年の 「人狼」ブームでしょうね。 あのお陰で,プレイヤーも制作者も人口がぐっと広がったように思います。 4Gamer: カナイさんは人狼ゲームはよくプレイされるんですか。 カナイ氏: 最近は,参加しているゲーム会でそういう流れになったときくらいですね。 自分が最初にプレイしたのは,ネット人狼なんです。 2004年ぐらいですけど,あれは面白かった。 テキスト量で時間が経過するタイプで,1プレイに1〜2週間かかるんですが,完全に身内で遊んでいたせいか,色んな戦術が生まれたんですよね。 最後の15分に重要な推理を詰め込んだりとか,無駄な発言で時間を浪費させたりとか。 4Gamer: ああ,なるほど。 リアルの人狼ゲームは,あれでかなりヘビーなゲームなので,人を選ぶところがあります。 カナイ氏: そうですね。 自分もあまり得意ではありません(笑)。 新作の「Secret Moon」は,そんな正体隠匿系ゲームに対する僕なりの回答のつもりでもあるんです。 1プレイ10分くらいで終わるので,人狼ゲームが苦手な方に試していただきたいですね。 4Gamer: おお,それは楽しみです。 話を戻しますが,ではゲーム遍歴としては,テーブルトークRPGからTCG,そしてボードゲームとアナログ一筋なわけですか。 カナイ氏: いや,もちろんデジタルゲームも遊びますよ。 最近ではPlayStation Vitaのをずっとプレイしてましたし。 一時期は(以下,FF11)にどっぷりとハマって,廃人一歩手前までいってました。 4Gamer: えっ。 ちなみにFF11はどれくらいプレイされたんですか? カナイ氏: くらいまではかなりやってましたね。 一時期は週35時間くらいログインしてました。 といっても,上には上がいるので威張れたものではないですけど(笑)。 4Gamer: すでにゲーム制作を始めていた頃ですね。 いやいや,立派な(?)廃人プレイだと思いますよ。 カナイ氏: FF11の合間にバイトして,コミケが近づくとゲームを作って……みたいな生活でした。 親がよく何も言わずに見守ってくれたものだと思います。 4Gamer: デジタルゲームのデザイナーを目指そうという気持ちにはなりませんでしたか。 カナイ氏: もちろんデジタルにも興味があって,実際に入社試験を受けたこともあります。 でも,受からなかったんですよね。 そうこうしているうちに,ボードゲーム制作の方が評価されはじめて。 単純にタイミングの問題だったと思います。 4Gamer: なるほど。 しかしネトゲ廃人から日本を代表するボードゲームデザイナーとは,夢のあるお話です(笑)。 カナイ氏: 親も最初は色々思うところもあったみたいですが,途中でゲームを作って暮らすことを認めてくれたみたいです。 「こいつはしょうがない奴だ」とあきらめた節もありますけど。 優しい両親ですよ。 4Gamer: ところで,これは少し聞きにくいのですが……ボードゲームデザイナーって儲かるんですか? カナイ氏: 儲からないです(笑)。 ラブレターのおかげでしばらくは食べていけそう,というくらいで。 むしろ最近は,周りからもっとしっかり稼ぐことを考えないとダメだよ! って言われます。 カナイくんが食べれないなら,誰が食べれるんだって。 4Gamer: 成功すれば大儲けできるくらいじゃないと,続く人が出てきませんものね。 カナイ氏: ええ。 それで最近は,値段とかについてもちゃんと色々考えるようになったというね(笑)。 「また,ここに帰ってくる」 4Gamer: カナイさんの今後の目標を聞かせてください。 カナイ氏: まず,2年後くらいには,あのSPIELの壇上に帰ってきたいですね。 「ラブレター」は世界的に評価いただいたタイトルですが,大賞はきれいに逃しているんです。 その理由は自分でもなんとなく分かっていて,そういう意味でも重たいゲームは作ってみたいんですけど。 4Gamer: 重たいゲームのほうが賞は取りやすいのでしょうか。 それらと並べられたときに,「ラブレター」は自分でも「ちょっと届いていないかな」と感じました。 「RUSSIAN RAILROADS」もそうですが,「しっかり遊んだ感」があることも大切だと思います。 4Gamer: しかし先ほどの話だと,重たいゲームを作るのはもう少し後になるのでは? カナイ氏: ええ。 だから目標としては「また,ここに帰ってくる」。 大賞はそもそも運とタイミングが大きく絡むものですから,狙って何とかなるとは考えていません。 実際「ラブレター」が評価されたのも,運が良かったのだ思っていますし。 でも,そのクオリティを維持していきたいです。 4Gamer: その運をつかむために,ずっとゲームを作り続けてきたわけですしね。 カナイ氏: そうですね。 JAPON BRANDだって最初から順風満帆だった訳ではありません。 毎年続けることで,色んな人が助けてくれて,少しずついい形になってきた。 継続は力なんです。 4Gamer: カナイさんが目標とするゲームデザイナーというと,誰になりますか。 カナイ氏: 特定のゲームデザイナーに傾倒するというよりは,好きなゲームがあるという感じなんですけど。 テーマとメカニクスが綺麗にかみ合っているゲームが好きで,一番影響を受けたゲームは 「Dragon's Gold」です。 「あやつり人形」の Bruno Faidutti(ブルーノ・ファイドゥッティ)氏が作ったゲームなんですが,交渉という要素がゲームのテーマと綺麗に結びついている。 4Gamer: どんなゲームなんですか? カナイ氏: ダンジョンに入ってドラゴンを倒すゲームなんですけど,一番の肝はドラゴンのお宝を分配するところで。 分配の仕方は幾つかのルール(運で決めてはいけない,など)のほかはプレイヤー達の自由なんですけど,砂時計による制限時間があるんです。 それで時間内に分配できないと,ダンジョンが崩落して全滅(笑)。 4Gamer: ああ,MMORPGなんかでも一番困るやつですね。 ダイスロールが使えないとなると,揉めるのは必至です(笑)。 カナイ氏: そうそう(笑)。 そのほかに影響を受けたタイトルだと,やっぱり「マジック:ザ・ギャザリング」は大きいです。 カードの使い方を極めた作品なので,販売方法も含めてエポックメイキングでした。 しかもそれが現在まで続いていて,そのために最大限の企業努力を重ねている。 これは本当にスゴイと思います。 4Gamer: 今回のエッセンでは,なにか掘り出し物は見つかりましたか? カナイ氏: 自分のタイトルをアピールするのに急がしくて,あまり見て回る時間が取れないんですが,できるだけアンテナを伸ばしてチェックするようにしています。 今日買ったのは, 「Fleet Commander」っていう宇宙艦隊戦ゲームですね。 フランスのデベロッパ,Capsicum Gamesの作品 4Gamer: おお。 これはフィギュアが良くできてますね。 1vs. 1の対戦ものなんですね。 カナイ氏: 宇宙艦隊もの,好きなんですよ。 「ヤマト」や「銀河英雄伝説」もいいですけど,自分の根っこはだと思います。 浪漫がありますよね。 4Gamer: では,次回作は宇宙艦隊ものとか? カナイ氏: いいですね。 ただ勉強が足りてないので,「オレ宇宙」設定になってしまいそうですけど。 4Gamer: カナイさんの作品は「ラブレター」にせよ最新作の「Secret Moon」にせよ,独特の世界観があるじゃないですか。 そこに対するこだわりはあまりないのですか。 カナイ氏: 世界観については,そこまでこだわりはないですね。 重視しているのは,ゲームとテーマを乖離させないことです。 あと,まずは継続していくことが大事なので。 作品を出さないと,あっという間に忘れ去られてしまいますから。 ゲームマーケットでも,いい作品を作っていたサークルがぱっと消えてしまって,すごく残念に思うことがあります。 4Gamer: まさに「継続は力なり」だと。 分かりました。 最後にファンに向けたメッセージを簡単にお願いできますか。 カナイ氏: そうですね……ここれからも良いゲームを出せるよう精進しますので,引き続き応援してくれると嬉しいです。 アイデアはまだまだ尽きないですし,出番を待っているものだけで8つくらいあるのでお楽しみに。 ただ,ゲームが面白くなるかは詰めの部分で決まるので,いくつ世に出せるかはそこ次第ですね。 同時に腕の見せどころだとも思っているので,ぜひご期待いただければと。 4Gamer: 2015年のカナイセイジにも期待させていただきます。 本日はありがとうございました。 ゲームマーケットに参加する常連デザイナーの一人が,カナイ氏をこう評価していた。 「カナイセイジがスゴイのは,『500円ゲームズ企画』の後も,500円ゲームを作り続けたこと。 それが『ラブレター』を生み出した」。 500円ゲームズとは,2011年頃にインディーズのボードゲームデザイナー達の間で持ち上がったゲーム制作の試みのことで,「500円で販売できる」というのがその条件となっていた()。 企画としては期間限定のものではあったが,数多くの500円ゲームが生まれ,幾人かのデザイナーは,その後も500円ゲームズ作品を作り続けた。 カナイ氏がまさにその一人で,「ラブレター」はこの500円ゲームズに連なる作品の一つなのだ。 ゲームが好きで,オリジナルにこだわり続け,その結果として多くの出会いに恵まれ,世界に辿り着いたと語ったカナイ氏。 自身で分析するように,それが日本を代表するゲームデザイナーという今の立ち位置に結びついたのは,幸運ではあったのだろう。 しかし自分が好きなテーマをひたすら突き詰めるという地道な作業は,なかなかどうして誰にでもできるわけではない。 それと同時に,自分に今何が求められているか,何をすべきなのかをを冷静に見つめられる目を持っているのも,その幸運を呼び込む希有な才能の一つと行って良いのではないだろうか。 「また,ここに帰ってくる」とにこやかに語り,尽きないアイデアの片鱗まで覗かせた今回のインタビュー。 次は一体どんなタイトルで世界を驚かせてくれるのか,今から楽しみだ。 そして,また再び日本人デザイナーがあの壇上に立つ瞬間を心待ちにしたいと思う。 来年もまた,カナイ氏を始めとした日本人デザイナー達の活躍から目の離せない年になりそうだ。
次の