『枕草子』の現代語訳:101 『枕草子』の現代語訳:101 清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた 『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。 『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。 このウェブページでは、『枕草子』の『雪のいと高うはあらで、薄らかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。 参考文献 石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫) スポンサーリンク [古文・原文] 176段 雪のいと高うはあらで、薄らかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。 また、雪のいと高う降り積りたる夕暮より、端近う、同じ心なる人、二、三人ばかり、火桶(ひおけ)を中に据ゑて物語などするほどに、暗うなりぬれど、こなたには火もともさぬに、大かたの雪の光いと白う見えたるに、火箸(ひばし)して灰など掻きすさみて、あはれなるもをかしきも言ひあはせたるこそ、をかしけれ。 宵もや過ぎぬらむと思ふほどに、沓(くつ)の音近う聞ゆれば、怪しと、見出したるに、時々、かやうの折におぼえなく見ゆる人なりけり。 「今日の雪を、いかにと思ひやりきこえながら、なでふ事に障りて、その所に暮しつる」など言ふ。 「今日来む」などやうの筋をぞ言ふらむかし。 昼ありつる事どもなどうちはじめて、よろづの事を言ふ。 円座(わらふだ)ばかりさし出でたれど、片つ方の足は下ながらあるに、鐘の音なども聞ゆるまで、内にも外にも、この言ふ事は、飽かずぞおぼゆる。 明暮のほどに帰るとて、「雪、何の山に満てり」と誦(ず)じたるは、いとをかしきものなり。 女の限りしては、さも、え居明さざらまし(あかさざらまし)を、ただなるよりは、をかしう好きたる有様など言ひあはせたり。 楽天AD [現代語訳] 176段 雪がそんなに高くはなくて、うっすらと降った様子などは、とても風情があるものだ。 また、雪がとても高く降り積もった夕暮れから、部屋の端に近いところで、気の合う人、2~3人ほどで、火桶を中において雑談などしているうちに、暗くなったけれど、こちらには火もともさないのに、おおむね雪の光でとても白く明るく見えている、火箸で灰をいたずらに掻いて、しみじみとした話や面白い話を何でも話し合っていたのが、趣深い感じだった。 宵も過ぎたかと思う頃に、靴の音が近く聞こえるので、あやしいと思って外を見ると、時々、こうした晩に連絡もなくひょっこりと姿を見せる人であった。 「今日の大雪を、どうしておられるかとご心配申し上げながら、何ということもない用事の障りがあって、どこそこで一日を過ごしていました。 」などと言う。 「今日来む」というあの歌の筋を踏まえた言葉であるらしい。 昼間にあったことなどから始めて、色々な話をする。 円座(ざぶとん)を差し出したけれど、一方の足を地面に下ろしたままで、鐘の音などが聞こえる頃まで、部屋の中でも外でも、こうして話し合っている事には、飽きるということがないように思われた。 明け方になって帰りがけに、「雪、何とかいう山に満てり」と詩を吟詠したのは、とても風流なことである。 女だけの集まりでは、そんなに、一晩中雑談で明かすことなどできないだろうが、男性が加わると、女性も風流で情趣のある様子などを語り合うようになるものだ。 スポンサーリンク [古文・原文] 177段 村上の先帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器(ようき)に盛らせ給ひて、梅の花をさして、月いと明きに、「これに、歌詠め。 いかが言ふべき」と、兵衛の蔵人に賜はせたりければ、「雪月花(せつげつか)の時」と奏したりけるをこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。 「歌など詠むは、世の常なり。 かく、折にあひたる事なむ、言ひ難き」とぞ、仰せられける。 同じ人を御供にて、殿上に人侍はざりけるほど、佇ませ給ひけるに、火櫃(ひびつ)に煙の立ちければ、「かれは何ぞと、見よ」と、仰せられければ、見て、帰りまゐりて、 わたつ海の沖にこがるる物見ればあまの釣してかへるなりけり と奏しけるこそ、をかしけれ。 蛙の飛び入りて焼くるなりけり。 楽天AD [現代語訳] 177段 村上の先帝の御代に、雪がとても多く降ったのを、様器(うつわ)にお盛りになられて、梅の花を挿して、月がとても明るい時だったが、「これについて歌を詠め。 どんな風に詠みますか。 」と、兵衛の蔵人にお題を下されたところ、「雪月花の時」と申し上げたのを、とてもお褒めになられた。 「(綺麗な雪景色を見て)歌などを詠むのは、世の中で当たり前のことである。 このように、その時にぴったりと合っている事は、なかなか言えないものだぞ。 」と、帝はおっしゃられた。 同じ兵衛の蔵人をお供にして、殿上の間に人が誰も参上していなかった時、ぶらぶらとされていたところ、火櫃(ひびつ)に煙が立っていたので、「あれは何なのか、見てこい。 」とおっしゃられたので、見てきて、帰ってきて、 わたつ海の沖にこがるる物見ればあまの釣してかへるなりけり と申し上げたのは、機知が効いていて面白い。 蛙が飛び込んで焼けていたのだった。
次の『枕草子』の「雪のいと高う降りたるを」の段で、 中宮定子の「少納言よ、香炉峰の雪、いかならむ。 」という問いに対して、 清少納言が「御簾を高く上げ」とあるんですが、なぜ清少納言はそうしたのか説明できる方いますか? 『白氏文集』がヒントみたいなのですが、 漢文が読めずにわかりませんでした。 わかる方、お願いします。 私の説明不足で質問が理解できなかったら言ってください、すみません 補足「香炉峯下新卜山居草堂初成偶題東壁」 には何か意味があるのでしょうか? できれば現代語訳をお願いしたいです。 これと清少納言が行った行動は どこが関係しているのでしょうか?? ただ清少納言を試しただけですか? よろしければ教えてください。 もし関係していないのなら、 大丈夫です! 再び言葉足らずですみません 白居易(白楽天ともいわれます)の、 「香炉峯下新卜山居草堂初成偶題東壁(香炉峰下(こうろほうか)、新たに山居を卜(ぼく)し、草堂(そうどう)初めて成り、偶々(たまたま)東壁(とうへき)に題す)」という詩の中の一節です。 この詩は、『白氏文集』の中に出てきます。 (「はくしもんじゅう」という言い方が今では一般的ですが、 昔は「ブンシュウ」という言い方が主流だったようなので、 そちらの読み方を提唱する方もおられます。 ) この七言律詩の四句目に、 「香鑪峯雪撥簾看」(香鑪峯の雪は簾(すだれ)を撥(かかげ)て看(み)る) とあります。 『白氏文集』は、平安時代の日本で大流行しました。 なので、教養ある人なら暗記しているような知識でした。 定子様も、それを知っていて、 「外の雪景色が見たいわ」と直接言うのではなく、 暗に自分の意志を伝えたのです。 だって、雪が高く積もっていたこの日、御格子が下ろされていたのは、 定子様が寒く思われないようにと、女房たちが配慮したことだったかもしれません。 なので、定子様も直接自分の気持ちを伝えて 女房たちを叱責するような感じになるのではなく、 白居易を引用することで、言葉遊びのようにして自分の気持ちを伝えたのでしょう。 それにより、女房を慮る優しい定子様像も伺えます。 他の女房も白居易は知っていましたが、 それを行動で表すという対応は思いつきませんでした。 その中で、清少納言は、機転をきかせて定子様の意図を汲み取り、 御簾を巻き上げて、雪景色をみせたのです。 定子様は、宮仕えの慣れない清少納言が、自分の近くで仕える人物として ふさわしいことを、他の女房にも認めさせる機会を作ったともいえます。
次の徒然草「木登り名人」の現代語訳 徒然草「木登り名人」の 原文です 高名の木登りといひしをのこ、人を掟てて、高き木に登せて梢を切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに、軒たけばかりになりて、「過ちすな。 心して降りよ。 」と言葉をかけはべりしを、「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。 いかにかく言ふぞ。 」と申しはべりしかば、「そのことに候ふ。 目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れはべれば申さず。 過ちは、やすき所になりて、必ずつかまつることに候ふ。 」と言ふ。 あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。 鞠も、難きところを蹴いだして後、やすく思へば、必ず落つとはべるやらん。 「木登り名人」の 現代語訳です。 有名な木登り名人と世間の人が言った男が人を指図して、高い木に登らせて梢を切らせた時にたいへんあぶなそうに見えた間は、何も言わないで降りててくるときに軒の高さくらいになって「間違いをするな。 気をつけて降りろ」と言葉をかけましたので、 私は、「これくらいの高さになってからでは、飛び降りても、きっと降りることができるだろう。 どうしてそのように言うのか。 」と申しましたところ、 木登り名人が「そのことでございます。 目が回り、枝が危ない間は、自分が恐れておりますから申しません。 間違いは易しい所になって、必ず起こすことでございます」という。 この木登り名人は身分の低いものではあるが、中国の聖人教えにかなっている。 蹴鞠も難しところをうまく切り出し後、易しい思うと必ず鞠を落とすと申すようです。 一口解説です。 この章段は一道に携わっているものはたとえ身分が低くても、自分の体験から身につけた素晴らしい知恵を持っているものであるという驚きの気持ちや感嘆の気持ちが込められている。 ということであります。 徒然草においては、しばしば一つの道に邁進している人の素晴らしさを称えることがしばしば書かれています。 それもこれもその一つであります。 また、ここに出てくる教訓というのは、失敗というのは、油断するときに生まれるので気をつけたいというこがとであります。 四字熟語で「油断大敵」です。
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