『レディ・バード』で青春ドラマの流れを変えたグレタ・ガーウィグ監督が、シアーシャ・ローナン、エマ・ワトソン、フローレンス・ピュー、エリザ・スカンレン、ティモシー・シャラメといった旬のキャストを迎え、「今の感覚」で紡ぎあげたヒューマンドラマ。 米南北戦争時代、女性の立場が決して高かったとは言えない社会で「自分らしい生き方」と「思いやり」を胸に気高く生きた四姉妹の人生をつづる。 父親が従軍牧師として出征し、母(ローラ・ダーン)と4人の娘となったマーチ家。 勝気な性格の次女ジョー(ローナン)、堅実な長女メグ(ワトソン)、心優しい三女(スカンレン)、お転婆で奔放な四女エイミー(ピュー)はそれぞれ「作家になる」「愛ある結婚をする」「音楽を志す」「裕福になる」といった夢を持っていた。 物語は、四姉妹それぞれに訪れる人生の転機を描きつつ、彼女たちの「選択」を慈愛に満ちたまなざしで見つめていく。 「幸福」がキーワードになっており、ジョーは「夢のために独りになる」、メグは「愛のために貧乏を受け入れる」、ベスは「人助けのために病にかかる」、エイミーは「地位のために自分を捨てる」と、ままならない現実にさらされながらも、目の前の限りある幸福を享受する四者の姿が、切なさを呼び起こす。 彼女たちに待つ運命は、すべからくほろ苦い。 それでも四姉妹は自分の人生に対して真摯に向き合い、時には家族のために犠牲となり、幸せが照らす方へ手を伸ばすのだ。 長女メグ(エマ・ワトソン)、四女エイミー(フローレンス・ピュー)、次女ジョー(シアーシャ・ローナン)、三女ベス(エリザ・スカンレン) 『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、第92回アカデミー賞では6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞。 アメリカの批評サイト「Rotten Tomatoes」では、95%の高得点を記録している(6月11日現在)。 時代を超えて響く「普遍性」に、現代味を注入 「若草物語」は、現在までに十数回にわたって映像化されており、観る人によって思い入れが全く異なる作品かと思う。 原作とともに人生を歩んできた人もいれば、映画に出会った日が、青春の記憶に刻まれている人もいるはずだ。 そのため、まず記しておきたいのだが、筆者は本作が「若草物語」デビューだった。 よって、今から書くのは「若草物語」を知らなかった人間が、感動した記録になる。 フライングしてしまったが、本作を鑑賞した日、「優しさと温かさで人は泣くのだ」と感慨を覚えた。 それはガーウィグ監督の手腕もあれば、ローナンをはじめとする若手実力派の名演も大きいのだろうが、やはりこの「若草物語」という作品自体が持つ、不変の魅力に心打たれたように感じる。 ローリー(ティモシー・シャラメ)、次女ジョー(シアーシャ・ローナン) 分かちがたい絆で結ばれた姉妹を描いた家族ドラマであり、生きたいように生きられないつらさを描く時代劇であり、すれ違う愛の行方を描くラブストーリーでもある。 そして何より、「生き方」を模索する人々のヒューマンドラマである。 この作品の中にある感情は、どれをとっても私たちに響き、悠久の時を超えてまっすぐに届く。 ボーダレスであり、タイムレスであるからこそ、幾度も映画化されてきたのだろう。 我々が流した涙は、「若草物語」の物語としての強度を改めて示す証拠でもあるのだ。 3月27日に日本公開される予定だった『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、新型コロナウイルスの蔓延により、公開延期を余儀なくされた。 しかし、試練を乗り越えてようやく、日本の観客の前に戻ってきた。 本作が、数ヶ月ぶりの劇場での映画鑑賞になる方も多いだろう。 先ほど、「若草物語」は思い出と結びついていると書いたが、「コロナ」や「誹謗中傷」にさらされ続けた私たちにとって、この作品は特別な輝きと温もりを与えてくれるはずだ。 女性が表現者として生きる難しさを、より克明に描写 本作には、大きく分けて3つの軸がある。 「家族」「恋愛」「自分」だ。 ここからは、それぞれの要素を鑑みながら、紹介していきたい。 次女ジョー(シアーシャ・ローナン) まずは「自分」について。 『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、四姉妹の中で最も現代的なジョーを主人公に据えており(原作者自身がモデルともいわれている)、さらにそこにガーウィグ監督による新たなアイディアが盛り込まれている。 具体的に言うと、ジョーのクリエイターとしての側面が、克明に描かれているのだ。 半自伝的な監督作『レディ・バード』では、何者かになろうと痛々しくも愛らしくもがく田舎暮らしの女子高生を描き、マイク・ミルズ監督作『20センチュリー・ウーマン』では、活動的なカメラマンを演じたガーウィグ。 自立した女性像を持つ彼女は、ジョーの中に「現代性」と「時代性」を混在させた。 「時代に合った」価値観を押し付ける編集者に反発し、「女性の幸せが結婚だけなんておかしい」とメグの選択に異を唱えるジョー。 彼女の主張は、現代の私たちの感覚に合致する。 グレタ・ガーウィグ監督、シアーシャ・ローナン(次女ジョー役) ただ同時に、ジョーにはマイノリティとして生きる試練がのしかかる。 現代であれば珍しい生き方ではないが、当時は異端の存在。 一人で生きるマーチ叔母(メリル・ストリープ)はいるが、思想は全く別物だ。 つまり、ジョーの感覚は現代的であっても、時代は過去。 彼女のDNAには、これまで人々が受け入れてきた慣習が刷り込まれているため「どうしようもなく孤独なの」と不安にさいなまれることになる。 ガーウィグ監督は、不朽の名作に挑むにあたり、「時間軸を再構成」し、ジョーが過去を回想するつくりに変更している。 ガーウィグ監督は「私はこの原作が本当に伝えたいことは何か、はっきりとわかっていた。 アーティストとしての女性、そして女性と経済力。 (原作者の)ルイーザ・メイ・オルコットの文章にはその全てが詰まっている。 でも、この物語が持つその側面はまだ映画として探求されたことがなかった。 私にとって、この作品は今まで作ったどの映画よりも自伝的なものだと感じている」(より)と語っており、女性が冷遇された時代にアーティストやクリエイターとして生きる難しさを、丹念に描いた。 この「自分」を主軸に、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』では「家族」と「恋愛」が真逆の役割を担っている。 ジョーに視座を与える「家族」、迷いを及ぼす「恋愛」 ジョーを主軸に考えたとき、家族は「救い」、恋愛は「迷い」として描かれる。 前者は護ってくれるもの、後者は破壊しようとするものだ。 夫の不在をものともせず、一家を切り盛りする母は「あなたらしく生きればいいのよ」とジョーの生き方を肯定する庇護者の代表として、彼女の心の支えとなる。 美しく、演技の才能があるが愛の道を選び、経済的に苦しむメグは、ジョーと鏡写しの存在だ。 ジョーは姉の生きざまから、「他者に依存する不安定さ」「家族を持つ喜びと行動の制限」「時代に沿った暮らし」など、多くのことを学ぶ。 自分が時代に迎合した場合の「if」を姉からくみ取ったジョーは、メグを愛しつつも「違う道を行く」という気持ちを強めていく。 三女ベス(エリザ・スカンレン)、次女ジョー(シアーシャ・ローナン) そしてエイミーは、ジョーに近しい野心を持ちながら、時代に合わせることで宿願を果たさんとする対局の存在であり、ある種の敵として描かれる。 幼いころから衝突しあう2人は、互いに愛情は持ちつつも、相容れない関係性を保持していく。 人の懐に入るのがうまく、おいしいところをさらっていくエイミーは、結果的に叔母の信頼も、ジョーを好きだったはずのローリー(シャラメ)の心も勝ち得ていく。 ジョーに残されたのは、夢だけだ。 独善的に見せかけたエイミーが、実は家族を養い、支えたいという気持ちが人一倍強いという要素も、非常に重要だ。 彼女は異国に旅立つ選択をするが、そこにあるのは我欲ではない。 ローリー(ティモシー・シャラメ)、四女エイミー(フローレンス・ピュー) 一方、ジョーの夢は、家族を幸せにすることにはつながらない。 小説を売って収入は得られるが、わずかな助けにしかならず、彼女は大切にしていた髪を売ってお金に換えるのだ。 芸術を標榜する者がぶつかる経済的な自立の難しさも、ガーウィグ監督は容赦なく描き切る。 そして、ジョーとエイミーをより対比させるのが、恋愛だ。 ローリーの求愛を拒み続けたジョーは、孤独に耐えきれなくなり彼と生きようと考えるが、時はすでに遅く、健気にローリーのそばに居続けたエイミーが、伴侶となることに。 夢追い人に覆いかぶさる「犠牲」が、ドラマティックに描かれる。 ただ、これを悲劇としてしか提示しないのではなく、最終的にジョーが文の道を突き進むための「必要な試練」として味付けするのが、ガーウィグ監督の優しさといえよう。 この部分に象徴されるように、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』には、女性クリエイターであるガーウィグからの「愛と激励」が込められているように感じ取られる。 共感よりもっと強い「共生」のメッセージは、「独りではない」と呼びかける。 過去も、今も、未来も、同じように戦う人たちがいると知ること。 それがゆえに、本作は「救済の物語」であるのだ。 == 『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(原題:Little Women) 19世紀、アメリカ、マサチューセッツ州ボストン。 マーチ家の四姉妹メグ、ジョー、ベス、エイミー。 情熱家で、自分を曲げられないため周りとぶつかってばかりの次女ジョー(シアーシャ・ローナン)は、小説家を目指し、執筆に励む日々。 自分とは正反対の控えめで美しい姉メグ(エマ・ワトソン)が大好きで、病弱な妹ベス(エリザ・スカレン)を我が子のように溺愛するが、オシャレにしか興味がない美人の妹エイミー(フローレンス・ピュー)とはケンカが絶えない。 この個性豊かな姉妹の中で、ジョーは小説家としての成功を夢見ている。 ある日ジョーは、資産家のローレンス家の一人息子であるローリー(ティモシー・シャラメ)にダンスパーティーで出会う。 ローリーの飾らない性格に、徐々に心惹かれていくジョー。 しかしローリーからプロポーズされるも、結婚をして家に入ることで小説家になる夢が消えてしまうと信じるジョーは、「私は結婚できない。 あなたはいつかきっと、もっと素敵な人と出会う」とローリーに告げる。 監督・脚本/グレタ・ガーウィグ 原作/ルイーザ・メイ・オルコット 出演/シアーシャ・ローナン、ティモシー・シャラメ、フローレンス・ピュー、エリザ・スカンレン、エマ・ワトソン、ローラ・ダーン、メリル・ストリープ 全米公開/2019年12月25日 日本公開/2020年6月12日(金)全国順次ロードショー 配給/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント.
次の『レディ・バード』で青春ドラマの流れを変えたグレタ・ガーウィグ監督が、シアーシャ・ローナン、エマ・ワトソン、フローレンス・ピュー、エリザ・スカンレン、ティモシー・シャラメといった旬のキャストを迎え、「今の感覚」で紡ぎあげたヒューマンドラマ。 米南北戦争時代、女性の立場が決して高かったとは言えない社会で「自分らしい生き方」と「思いやり」を胸に気高く生きた四姉妹の人生をつづる。 父親が従軍牧師として出征し、母(ローラ・ダーン)と4人の娘となったマーチ家。 勝気な性格の次女ジョー(ローナン)、堅実な長女メグ(ワトソン)、心優しい三女(スカンレン)、お転婆で奔放な四女エイミー(ピュー)はそれぞれ「作家になる」「愛ある結婚をする」「音楽を志す」「裕福になる」といった夢を持っていた。 物語は、四姉妹それぞれに訪れる人生の転機を描きつつ、彼女たちの「選択」を慈愛に満ちたまなざしで見つめていく。 「幸福」がキーワードになっており、ジョーは「夢のために独りになる」、メグは「愛のために貧乏を受け入れる」、ベスは「人助けのために病にかかる」、エイミーは「地位のために自分を捨てる」と、ままならない現実にさらされながらも、目の前の限りある幸福を享受する四者の姿が、切なさを呼び起こす。 彼女たちに待つ運命は、すべからくほろ苦い。 それでも四姉妹は自分の人生に対して真摯に向き合い、時には家族のために犠牲となり、幸せが照らす方へ手を伸ばすのだ。 長女メグ(エマ・ワトソン)、四女エイミー(フローレンス・ピュー)、次女ジョー(シアーシャ・ローナン)、三女ベス(エリザ・スカンレン) 『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、第92回アカデミー賞では6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞。 アメリカの批評サイト「Rotten Tomatoes」では、95%の高得点を記録している(6月11日現在)。 時代を超えて響く「普遍性」に、現代味を注入 「若草物語」は、現在までに十数回にわたって映像化されており、観る人によって思い入れが全く異なる作品かと思う。 原作とともに人生を歩んできた人もいれば、映画に出会った日が、青春の記憶に刻まれている人もいるはずだ。 そのため、まず記しておきたいのだが、筆者は本作が「若草物語」デビューだった。 よって、今から書くのは「若草物語」を知らなかった人間が、感動した記録になる。 フライングしてしまったが、本作を鑑賞した日、「優しさと温かさで人は泣くのだ」と感慨を覚えた。 それはガーウィグ監督の手腕もあれば、ローナンをはじめとする若手実力派の名演も大きいのだろうが、やはりこの「若草物語」という作品自体が持つ、不変の魅力に心打たれたように感じる。 ローリー(ティモシー・シャラメ)、次女ジョー(シアーシャ・ローナン) 分かちがたい絆で結ばれた姉妹を描いた家族ドラマであり、生きたいように生きられないつらさを描く時代劇であり、すれ違う愛の行方を描くラブストーリーでもある。 そして何より、「生き方」を模索する人々のヒューマンドラマである。 この作品の中にある感情は、どれをとっても私たちに響き、悠久の時を超えてまっすぐに届く。 ボーダレスであり、タイムレスであるからこそ、幾度も映画化されてきたのだろう。 我々が流した涙は、「若草物語」の物語としての強度を改めて示す証拠でもあるのだ。 3月27日に日本公開される予定だった『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、新型コロナウイルスの蔓延により、公開延期を余儀なくされた。 しかし、試練を乗り越えてようやく、日本の観客の前に戻ってきた。 本作が、数ヶ月ぶりの劇場での映画鑑賞になる方も多いだろう。 先ほど、「若草物語」は思い出と結びついていると書いたが、「コロナ」や「誹謗中傷」にさらされ続けた私たちにとって、この作品は特別な輝きと温もりを与えてくれるはずだ。 女性が表現者として生きる難しさを、より克明に描写 本作には、大きく分けて3つの軸がある。 「家族」「恋愛」「自分」だ。 ここからは、それぞれの要素を鑑みながら、紹介していきたい。 次女ジョー(シアーシャ・ローナン) まずは「自分」について。 『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、四姉妹の中で最も現代的なジョーを主人公に据えており(原作者自身がモデルともいわれている)、さらにそこにガーウィグ監督による新たなアイディアが盛り込まれている。 具体的に言うと、ジョーのクリエイターとしての側面が、克明に描かれているのだ。 半自伝的な監督作『レディ・バード』では、何者かになろうと痛々しくも愛らしくもがく田舎暮らしの女子高生を描き、マイク・ミルズ監督作『20センチュリー・ウーマン』では、活動的なカメラマンを演じたガーウィグ。 自立した女性像を持つ彼女は、ジョーの中に「現代性」と「時代性」を混在させた。 「時代に合った」価値観を押し付ける編集者に反発し、「女性の幸せが結婚だけなんておかしい」とメグの選択に異を唱えるジョー。 彼女の主張は、現代の私たちの感覚に合致する。 グレタ・ガーウィグ監督、シアーシャ・ローナン(次女ジョー役) ただ同時に、ジョーにはマイノリティとして生きる試練がのしかかる。 現代であれば珍しい生き方ではないが、当時は異端の存在。 一人で生きるマーチ叔母(メリル・ストリープ)はいるが、思想は全く別物だ。 つまり、ジョーの感覚は現代的であっても、時代は過去。 彼女のDNAには、これまで人々が受け入れてきた慣習が刷り込まれているため「どうしようもなく孤独なの」と不安にさいなまれることになる。 ガーウィグ監督は、不朽の名作に挑むにあたり、「時間軸を再構成」し、ジョーが過去を回想するつくりに変更している。 ガーウィグ監督は「私はこの原作が本当に伝えたいことは何か、はっきりとわかっていた。 アーティストとしての女性、そして女性と経済力。 (原作者の)ルイーザ・メイ・オルコットの文章にはその全てが詰まっている。 でも、この物語が持つその側面はまだ映画として探求されたことがなかった。 私にとって、この作品は今まで作ったどの映画よりも自伝的なものだと感じている」(より)と語っており、女性が冷遇された時代にアーティストやクリエイターとして生きる難しさを、丹念に描いた。 この「自分」を主軸に、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』では「家族」と「恋愛」が真逆の役割を担っている。 ジョーに視座を与える「家族」、迷いを及ぼす「恋愛」 ジョーを主軸に考えたとき、家族は「救い」、恋愛は「迷い」として描かれる。 前者は護ってくれるもの、後者は破壊しようとするものだ。 夫の不在をものともせず、一家を切り盛りする母は「あなたらしく生きればいいのよ」とジョーの生き方を肯定する庇護者の代表として、彼女の心の支えとなる。 美しく、演技の才能があるが愛の道を選び、経済的に苦しむメグは、ジョーと鏡写しの存在だ。 ジョーは姉の生きざまから、「他者に依存する不安定さ」「家族を持つ喜びと行動の制限」「時代に沿った暮らし」など、多くのことを学ぶ。 自分が時代に迎合した場合の「if」を姉からくみ取ったジョーは、メグを愛しつつも「違う道を行く」という気持ちを強めていく。 三女ベス(エリザ・スカンレン)、次女ジョー(シアーシャ・ローナン) そしてエイミーは、ジョーに近しい野心を持ちながら、時代に合わせることで宿願を果たさんとする対局の存在であり、ある種の敵として描かれる。 幼いころから衝突しあう2人は、互いに愛情は持ちつつも、相容れない関係性を保持していく。 人の懐に入るのがうまく、おいしいところをさらっていくエイミーは、結果的に叔母の信頼も、ジョーを好きだったはずのローリー(シャラメ)の心も勝ち得ていく。 ジョーに残されたのは、夢だけだ。 独善的に見せかけたエイミーが、実は家族を養い、支えたいという気持ちが人一倍強いという要素も、非常に重要だ。 彼女は異国に旅立つ選択をするが、そこにあるのは我欲ではない。 ローリー(ティモシー・シャラメ)、四女エイミー(フローレンス・ピュー) 一方、ジョーの夢は、家族を幸せにすることにはつながらない。 小説を売って収入は得られるが、わずかな助けにしかならず、彼女は大切にしていた髪を売ってお金に換えるのだ。 芸術を標榜する者がぶつかる経済的な自立の難しさも、ガーウィグ監督は容赦なく描き切る。 そして、ジョーとエイミーをより対比させるのが、恋愛だ。 ローリーの求愛を拒み続けたジョーは、孤独に耐えきれなくなり彼と生きようと考えるが、時はすでに遅く、健気にローリーのそばに居続けたエイミーが、伴侶となることに。 夢追い人に覆いかぶさる「犠牲」が、ドラマティックに描かれる。 ただ、これを悲劇としてしか提示しないのではなく、最終的にジョーが文の道を突き進むための「必要な試練」として味付けするのが、ガーウィグ監督の優しさといえよう。 この部分に象徴されるように、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』には、女性クリエイターであるガーウィグからの「愛と激励」が込められているように感じ取られる。 共感よりもっと強い「共生」のメッセージは、「独りではない」と呼びかける。 過去も、今も、未来も、同じように戦う人たちがいると知ること。 それがゆえに、本作は「救済の物語」であるのだ。 == 『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(原題:Little Women) 19世紀、アメリカ、マサチューセッツ州ボストン。 マーチ家の四姉妹メグ、ジョー、ベス、エイミー。 情熱家で、自分を曲げられないため周りとぶつかってばかりの次女ジョー(シアーシャ・ローナン)は、小説家を目指し、執筆に励む日々。 自分とは正反対の控えめで美しい姉メグ(エマ・ワトソン)が大好きで、病弱な妹ベス(エリザ・スカレン)を我が子のように溺愛するが、オシャレにしか興味がない美人の妹エイミー(フローレンス・ピュー)とはケンカが絶えない。 この個性豊かな姉妹の中で、ジョーは小説家としての成功を夢見ている。 ある日ジョーは、資産家のローレンス家の一人息子であるローリー(ティモシー・シャラメ)にダンスパーティーで出会う。 ローリーの飾らない性格に、徐々に心惹かれていくジョー。 しかしローリーからプロポーズされるも、結婚をして家に入ることで小説家になる夢が消えてしまうと信じるジョーは、「私は結婚できない。 あなたはいつかきっと、もっと素敵な人と出会う」とローリーに告げる。 監督・脚本/グレタ・ガーウィグ 原作/ルイーザ・メイ・オルコット 出演/シアーシャ・ローナン、ティモシー・シャラメ、フローレンス・ピュー、エリザ・スカンレン、エマ・ワトソン、ローラ・ダーン、メリル・ストリープ 全米公開/2019年12月25日 日本公開/2020年6月12日(金)全国順次ロードショー 配給/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント.
次のコロナの自粛後にやっと公開された今作。 テンポが良い!! アメリカの南北戦争当時の話だけど そんなにタルい部分はなく トントン話が進んで行く。 女性の幸せは金持ちの男を見つけて 結婚することが一番であった時代に 結婚も有りだけど、 自分の力で生きようとするのもありよね。 要するに「みんな違ってみんな良い」的な〜〜 現代の女性にも通じるストーリー。 映像の美しさ、編集のテンポの良さ 脚本の良さ、シャラメ君の可愛さ?(笑) 全部、一押しです! で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては 原作の「若草物語」自体、 「ガラスの仮面」の劇中劇の部分しか知らない(笑) 「若草物語」にそんなにたくさん続編があったことも 知りませんでした。 (恥) 主演のシアーシャ・ローナン演じるジョーが 自作を出版社に持ち込むところから始まる。 女性であっても自力で生きようと 作家になるための第一歩を踏み出す。 つまりは男社会に踏み出す象徴的なシーン! アニメで放送された子供時代では無く もうちょっと大人になった時代から始まり、 回想の少女時代と行ったり来たりするため 時系列を追うのに最初少々戸惑いました。 何十年も間のある話では無いので 役者さんもそんなに老けてないし〜〜 ただ流石にアカデミーに ノミネートされた作品だけあって 多少戸惑っても最後はやっぱ楽しい!! 少女時代も大人になってからのシーンも 映画的な工夫にあふれていて 今日的なテーマ、「みんな違ってみんな良い」が 違和感無く伝わってくる。 女性の生き方と言う古くて新しい主題である限り 「若草物語」はその時代その時代の最新の 問題やら解決策を纏って 再解釈されてゆく作品なんでしょうね。 主役、ジョー役のシアーシャ・ローナンと 四女エイミー役のフローレンス・ピューに 次世代のメリルとキャシー(ベイツ)を 観たのは私だけ?? @もう一度観るなら? 「映像や衣装の美しさは映画館で!」 ネタバレ! クリックして本文を読む 古典的名作の実写版ということで、気になっていた作品です。 コロナ明けで、全国一斉に上映されたので鑑賞してきました。 原作は「若草物語」。 遠い昔に読んだ記憶はあります。 4姉妹のお話です。 … その程度の予備知識 まあいいか。 (間違いではないし) 19世紀中頃のアメリカ 人々の暮す街並み 日常の生活風景や パーティーでの衣装 などなど そういったものが緻密に再現された世界で 登場人物たちと一緒の時代を過ごしているかのような そんな気分になりました。 とても丁寧に作られた良質の作品です。 満足です。 「若草物語」って、こんなに内容の濃いお話だったのか と気になり、調べてみたところ 姉妹の結婚などは「続・若草物語」のお話なのですね。 (原作が4部作とは知りませんでした) ストーリーの密度が濃いのも納得。 ベスとエイミー 映画が始まってからしばらくの間、 この二人の見分けがつきませんでした。 とほほ 似てませんか? メグとジョーははっきり区別できるのに… (認知能力の低下ではない …と思いたい) ジョーとローリー 一方通行の想いが哀しいです。 気持ちに応えようと振り向いたとき 相手はもう、こちらを向いてはいなかった なんかこう…切ない 人生とは、まさにタイミングなんですよね と、しみじみ。 もう一回観に行こうかな と、思案中です。 ちなみに原作小説は、子供の頃に読んでいるが、どちらかと云うと、アニメや映画で、ストーリーに馴染んでいるので、今回の映画化が、どこまで原作に忠実なのかは、不明だが、古典的名作「若草物語」を、現在の女性に向けた意味合いで、ブラッシュアップされて制作されていると感じる。 四姉妹の次女、ジョーの20代の今と10代の過去が、交差する手法を駆使していながら、テンポ良く活写して、原作前半の10代の時の有名エピソードも無理なく盛り込み、現在と対比させてながら、各キャラクターに見せ場を与えて、ダイジェストにした感じもなくて、とても卓越した構成だと思う。 頻繁に現在と過去の時系列が交差する構成だが、場面ごとに、画面の色調を変えていて、現在は若干青味の忠実色で、過去は暖色系の色調と区分して統一されているので、観客も混乱し難いと思う。 シアーシャ・ローナンのジョーは、とてもハマり役で、チャミーングで行動的な面も、更に強調され映画に、躍動感をもたらしいる。 個人的には、セオドア・ローレンス役の美青年ティモシー・シャラメが、絡む中盤までは、彼が画面に居るだけで、視線を奪い魅せる。 特にエイミーのアトリエで、ただソファに座って会話している場面なのに、カメラがカット毎に寄って徐々にアップなるところは、仰け反るほどに、美しく優美なシズルを感じる。 多分監督のグレタ・ガーウィグも彼に魅せらたのだろうと思う。 本作は、4月に公開予定だったが、コロナの影響で延期になって、映画館に客足が遠のき、不本意な形で公開されているが、足を運ぶ価値のある傑作です。 当方、60代の爺さんですが、姉妹や従妹が多かったおかげで、子供のころにこの原作や続編、また同じ著者の「八人のいとこ」シリーズなどだいたい読んでいます。 まず弁護しておきたいのですが、全体にニューイングランドの白人中流家庭のいやらしい道徳観がプンプンしているからと言って顔をしかめてはいけません。 また勉強はできるが不細工でもてない女子学級委員長の白日夢だと軽蔑してはいけません。 キャラクター設定が類型的だと嗤ってはいけません。 ご都合主義的なストーリーから逃げ出してはいけません(さすがに主人公の取ってつけたような結婚には、楽屋落ち的な言い訳があったが)。 このドラマの時代は、日本でいえば幕末からせいぜい明治維新で、オルコットは江戸時代の生まれですよ。 現代ではばかばかしく思えても、その時代では輝いていたはずですね。 むしろ、現代では退屈で凡庸なお話をこれだけ面白くできた、脚本・演出・演技(特にシアーシャ・ローナンとフローレンス・ピュー)を称賛すべきだと思います。 映画芸術という表現形式の偉大さを強く感じられた作品でした。 作中でジョーが編集者に言われてやむなく主人公を結婚させたように、現実にはオルコットは生涯独身だったようだ。 19世紀の四姉妹の話なんて本来なら食指が動かないのだが、役者としてのグレタ・ガーウィグのファンなので。 時間があちこち飛んで混乱する箇所もあるが、編集のリズムは小気味いい。 原作未読なので、わかりやすいものはないかと思って、ウィノナ・ライダー版の「若草物語」も見てみたが、オーソドックスではあるものの、凡庸な作品だった 役者陣は豪華。 同じジョー役でも、ウィノナとシアーシャ・ローナンでは、受けるイメージがかなり異なる。 後者の方が思索的で作家っぽく見える ウィノナは好きだが。 南北戦争は国を二分し数十万の死者を出したはずだが、彼らの町ではダンスパーティを開いたりして結構のんびりしていたんだなぁと。 マサチューセッツ州まで戦乱は及んでいなかったのだろうか。 原題とまるで違うカタカナの邦題をつけるのはいい加減やめてほしい。 既に巷間に流布している「若草物語」で十分。 ストーリーは期待してなかったけど、良い意味で期待を裏切られました 笑 これぞ「映画」と言う感じ。 女性陣のドレスが豪華で綺麗。 作品で流れる曲も良かった。 何気ないストーリーなんだけど、随所に起こるさりげないイベントが良い感じ。 お目当てのエマ・ワトソンさん。 控え目な感じだったけど美しい 笑 子役の頃に人気だった魔法使いの役のイメージか無かったのは残念なところ。 小顔過ぎるだろ 笑 メインのシアーシャ・ノーランさん。 ぶっちゃけ彼女の出演した作品は観たこと無いと思うけど今後に注目したい女優さん。 素敵な女優さんとイケメン俳優のオンパレード。 それに加えストーリーも良くて期待以上の作品。 心が洗われる様な感じでいろんな事を改めて考える事の大事さを教えてくれる様な感じ。 「若草物語」はなんとなく知ってるぐらいの知識ですが、知らなくて全然大丈夫。 新たな視点で若草物語を描いているらしいので、むしろ知らない方が良いのかもです。 極端に幼い日の思い出にプレイバックする訳ではないし、服装もそんなに変わらない感じなので、その辺りに認識が追い付かないと置いてけぼりにされる感じです。 また、主人公は次女のジョーなんですが、絶対的な主人公の立ち回りではないので、その辺りもややこしい。 四姉妹を均等に出そうとしている分、前情報が無いとやっぱり分かり難いかな? ベスはストーリー的にはキーパーソンな感じなんですが、ちょっと割りを食った感じ。 マーチ四姉妹の恋の相手となる男性人が…区別がつき難いんですよねw なんか皆おんなじ感じだし、エマ・ワトソンがいるからか「ファンタスティック・ビースト」のニュートみたいに見えるしw エマ・ワトソンが主人公かな?と思いきや、シアーシャ・ローナン演じるジョーが主人公なのは良いんですが、メグが長女でジョーが次女。 ベスが三女でエイミーが四女だったと言うのにちょっとビックリ。 観る限り、長女=ジョー、次女=メグ、三女=エイミー、四女=ベスかと思ったw キャストがなかなか豪華なんですよね。 ハーマイオニーのエマ・ワトソンに「レディ・バード」のシアーシャ・ローナン。 名優、メリル・ストリープ。 個人的にはあの「ミッドサマー」のフローレンス・ピューがツボw メグの結婚式で花輪を頭に飾り、楽しそうに宴をしているとどうにもミッドサマーのあのシーンを思い出してしまいますw 今よりも女性の人権や自立が認めてられない時代にそれぞれの夢を叶えるのは困難で、そこに葛藤がある訳ですが、殆どの女性が自分の心を押し殺している。 その分活発で自立心の強いジョーは幾分ワガママに見えなくもないんですが、まぁ現実はこんなもんですよねw 結婚だけが全てではないにしても、結婚をし、家族を作る事で得られる幸せはやっぱり尊いモノなんですよね。 今の時代と比べると些か無理が生じるにしても、家族の団らんや絆。 四姉妹の絆はやっぱり美しいし素晴らしいし、なんか羨ましい。 かと思いきやジョーの作家としての自立や葛藤、成功はやはり好きな事を仕事にする活力を与えてくれます。 どっちに転んでもどっちも大事でどっちも大切にしなければならないモノ。 成立させる事に難しさを感じ、その辺りのジレンマを感じますが、作品としては愛に溢れた作品です。 いろんな刺激物な作品を結構観賞しているので結構新鮮だしw、また日常の中にも様々なドラマがあって、それに人は一喜一憂する。 別に世界を救えなくても、自分の世界はちょっとした事で崩れそうになったりしても、変えられたりする事が出来る。 それを気付かせてくれる様な作品です。 爽快だ、いい予感。 私のお目当てティモシー・シャラメくん、小鹿のように細くてチャーミングだ。 お互い結婚しても幸せにはなれない、好きなんだけどね!、と、職業婦人目指すジョーことシアーシャ・ローナンと眺めのいい丘を舞台に滑舌とってもよろしく言い合うシーンは白眉ですね。 直後に見える彼のお尻はとてもちっちゃくて片手でつかめそう!あ、もちろんズボンの上からです。 最終的に選んだ妻・エイミーの尻に敷かれることを予想させる。 これは飛ばしすぎだ。 彼女は助演女優賞候補の貫禄ありあり。 体型も貫禄十分。 役作りなのだろうか。 ところで、19世紀後半南北戦争の頃って、あんなだったんですね。 アメリカの女子の地位。 でもって、あんなに人手のある家族なのに、アフリカンアメリカンの女中さん、必要なんでしょうか。 お父さんは北軍に加わってるのに。 家族が一番だと思っていた!と向こう見ずなジョーは言ってたけど、奴隷として連れてこられたもう一人の家族を支える奴隷制度の末裔の女中さんの家族のことには思い馳せてなかったのかなあ、、、BLMの今だからこそつい気になってしまう。
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