作家データ 分類: 著者 作家名: 作家名読み: なつめ そうせき ローマ字表記: Natsume, Soseki 生年: 1867-02-09 没年: 1916-12-09 人物について: 慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。 本名は夏目金之助。 帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。 帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。 1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。 1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。 そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。 1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。 享年50歳であった。 「」 底本データ 底本: 夏目漱石全集4 出版社: ちくま文庫、筑摩書房 初版発行日: 1988(昭和63)年1月26日 入力に使用: 1988(昭和63)年1月26日第1刷 校正に使用: 1994(平成6)年4月10日第2刷 底本の親本: 筑摩全集類聚版夏目漱石全集 出版社: 筑摩書房 初版発行日: 1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月 工作員データ 入力: 柴田卓治 校正: 伊藤時也 ファイル種別 圧縮 ファイル名(リンク) 文字集合/符号化方式 サイズ 初登録日 最終更新日 テキストファイル ルビあり zip JIS X 0208/ShiftJIS 144779 1999-04-13 2004-02-26 エキスパンドブックファイル なし JIS X 0208/ShiftJIS 431840 1999-04-13 2000-06-21 XHTMLファイル なし JIS X 0208/ShiftJIS 549444 2004-02-26 2004-02-26.
次の坑夫の主要登場人物 僕(ぼく) 物語の語り手。 19歳になるまで親元で育ち就職経験はない。 長蔵(ちょうぞう) 街道沿いで周旋業を営む。 僕に鉱山の仕事を紹介する。 原駒吉(はらこまきち) 僕の上司。 労働者たちのまとめ役。 安(やす) 肉体労働を転々とする。 元は学生。 坑夫 の簡単なあらすじ 裕福な家庭で生まれ育った「僕」でしたが、ふたりの女性とのトラブルや父親への反発心から家を出てしまいます。 当て所なくさ迷い歩いていた時に声をかけてくれたのは、怪しげな仕事の手引きをする長蔵です。 長蔵に連れられてたどり着いた先は山奥にある鉱山の町で、ここで僕は坑夫として働く人たちの過酷な現場を目の当たりにするのでした。 何不自由なく恵まれた生活を送っていた僕でしたが、ある時に澄江と艶子という女性の両方から愛されてしました。 ふたりの両親ばかりではなく実の父親からも責め立てられた僕は、全てが嫌になって家出を決行します。 千住大橋を出発して北へ北へとひたすらに東京を離れたのは、ある5月の夕暮れ時のことです。 松原を抜けた先の街道沿いに茶屋を見つけた僕は、お茶と揚げ饅頭で休憩することにしました。 お店の中には女主人と、彼女の知り合いらしき長蔵という名前の男性がいるだけです。 長蔵から仕事をするつもりはないかと問いかけられた僕は、誘われるままに彼についていきます。 険しい山道を抜けて停留所で汽車に乗り込み、満員の車内に揺られた挙げ句にたどり着いた先は銅山です。 長蔵が紹介してくれたのは、 世の中で最も苦しくて最も蔑まれているという肉体労働者「坑夫」でした。 みんなと打ち解けられない僕 長蔵の正体は道行く人に手当たり次第に声をかけて、雇用や商品取引の仲立ちをして小銭を稼ぐ周旋屋です。 要求されるままに持ち金を財布ごと手渡した僕を、 独身の坑夫たちが共同生活をしている宿舎まで案内してくれました。 鉱山の敷地内は「シキ」と呼ばれていて、10000人以上が組に分けられて暮らしています。 僕が割り当てられた組を取り仕切り所属する作業員たちの世話をするのは、原駒吉という40歳前後かと思われる屈強な男性です。 小綺麗な身なりをして明らかに上品な階級の出身である僕と、無学で粗野な男たちがうまくいくはずはありません。 来て早々に手荒い歓迎を受けることになった僕を、原だけは何かにつけて心配してくれました。 困ったことがあったらいつでも相談に乗り東京へ戻る旅費も負担してくれるという原でしたが、当分の間は辞めるつもりはありません。 次の日の朝にはシキの中を案内人と一緒に見学するために、僕は早めに寝ることにします。 大工として雇われているシチョウ、坑夫の下働きをしている堀子、さらにその下で堀子の手伝いをする山市、男たちの相手をする芸者。 シチョウは請け負い業のために1日に換算すると1〜2円と高額の報酬をもらえますが、堀子は日当で30銭くらいにしかなりません。 給料のうちの5パーセントは、所属先の親方にピンはねされてしまいます。 布団のレンタル料が1枚3銭、食事代が1日14銭。 ケガをしたり急に病気にかかったりした場合にも手当金はなく、治療にかかる費用は全てが自己負担です。 国産のお米しか食べたことがなかった僕は、この宿場で生まれて初めて南京米という輸入米の味を知りました。 壁の土のような味には一向に慣れませんが、食べない限りはここで生き抜くことは不可能なために無理やり口の中に流し込みます。 加えて僕を悩ますのは、不衛生な環境から布団に発生する蚤や虱です。 寝不足と空腹を抱えているうちに、 僕は次第に実家の快適な暮らしが恋しくなってしまいました。 鉱山に打ち捨てられた人たち シキの中には料理屋や遊び場の他にも、銀行や郵便局まで用意されていました。 作業に入る前に健康診断を受けることが義務づけられているために、僕は宿舎を出た2丁(約200メートル)ほど先にある診療所に向かいます。 医師の検査により気管支炎が見つかった僕は、現場に出ることができません。 代わりに宿舎の帳簿をつける仕事を、月に4円で引き受けることにします。 今まで僕を軽蔑していたはずの同僚たちも、 会計係になった途端にお世辞を並べ立てる始末です。 ある時に「スノコ」と名付けられた鉱石のクズ捨て場で迷子になってしまった僕は、安という作業員と親しくなりました。 所属しているのは山中組で原組の僕とは接点がありませんが、その会話からは高い教育を受けていることが分かります。 順風満帆だった安の人生に転落が訪れたのは、とある女性に深入りして罪を犯してしまった23歳の時です。 「ここは人間のクズが放り込まれる所」という安の言葉を聞いた僕は、東京へ帰ることを決意するのでした。 坑夫 を読んだ読書感想 「もう少しで地獄の三丁目へ来る」という、 案内人が主人公に投げ掛けるセリフが印象深かったです。 搾取や暴力がまかり通り、ひとりひとりの人間性が押し潰されていく鉱山の非情さには胸が傷みます。 明治時代の危険な労働環境を描いた本作品には、昭和の時代にプロレタリア文学によって資本主義を告発をした小林多喜二や葉山嘉樹にも通じるものがありました。 21世紀のブラック企業に苦しめられている、 現代人にとっても決して無関係ではないでしょう。 次第に無感動になっていた主人公を、ラストで外の世界へと導いていくインテリ坑夫・安の言葉が心に残ります。
次のどうだ此処 ここ が地獄の入り口だ。 漱石宅に押しかけてきた青年の告白をもとに綴る異色作。 新聞連載の「空白」を埋めるために……。 その成立事情については本書「解説」参照。 恋愛事件のために家を出奔した主人公は、周旋屋に誘われるまま坑夫になる決心をし、赤毛布や小僧の飛び入りする奇妙な道中を続けた末銅山に辿り着く。 飯場にひとり放り出された彼は異様な風体の坑夫たちに嚇かされたり嘲弄されたりしながらも、地獄の坑内深く降りて行く……。 漱石の許を訪れた未知の青年の告白をもとに、小説らしい構成を意識的に排して描いたルポルタージュ的異色作。 明治41年、『虞美人草』に次いで「朝日新聞」に連載された。 用語、時代背景などについての詳細な注解、解説を付す。 その報酬を頂いて実は信州へ行きたいのですと云う〉 漱石自身の談話「『坑夫』の作意と自然派伝奇派の交渉」。 この青年、荒井なにがしはその後しばらく漱石の家に書生として住みこんだ時期もあったらしいが、〈材料〉というのは坑夫になる以前の屈曲が中心で、漱石はそうした〈個人の事情 パーソナル・アフェア は書きたくない〉、それはむしろ君自身が小説化した方がいいと勧めた。 帝国大学英文科卒。 松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。 留学中は極度の神経症に悩まされたという。 帰国後、一高、東大で教鞭をとる。 1905 明治38 年、『吾輩は猫である』を発表し大評判となる。 翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。 1907年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。 『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。 最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。 享年50。 インフルエンザB型で出勤停止中の寝床で、久しぶりに1つの小説を読了したが、途中からずいぶんかけていたのを一気に残りを読んだ。 50歳も後半になってしまったが、50歳のうちに、あと2冊読めば、漱石の全ての小説に目を通した事になるかも知れない。 この機会に集中すべきだろうか。 私はそれほど感じないでしまったのだが、新潮文庫の解説で三好行雄が、この小説にも、『虞美人草』に描かれたような、どちらの女性をとるかという煩悶が継続しているのだという。 この小説の主人公が出奔したのは、そんな二人の女性への板挟みからの懊悩も関係していたとの事である。 ある意味、宛てのない家出やきつい仕事に誘われるまでの経緯やその仕事の体験を通じて、苦行のように、精神をまとまらせていく効果はあったのだろうか。 しかし文中の主人公は素直であり人格者ではなく、正直な喜怒哀楽を述べている。 私は漱石の三角関係のような面や貞操観のような面に注目しているので、この作品はそれは弱いのだが、どんなきついところにも人情家がいて救われるような面も描かれていて、それは関連がある所かも知れない。 連載された朝日新聞のこの作品の前後は藤村と二葉亭らしい。 漱石は朝日新聞社の社員であり、編集面も携わったのかも知れないが、藤村や二葉亭らとの関係は一体どういう状況だったのだろうか。 それにも興味がある。
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