アシタカは村を出るとき、許嫁のカヤから黒曜石の小刀をもらいました。 その時こんな言葉を言っています。 「私はいつもカヤを思おう。 」 相思相愛なのが見て取れます。 しかし物語後半で、アシタカは黒曜石の小刀をサンにプレゼントしました。 アシタカはサンに「生きろ。 そなたは美しい。 」と言っているシーンがあります。 あまり感情を出さないアシタカのこのセリフは、好意を持っているということを表しているように思えます。 物語終盤サンは「アシタカは好きだ。 でも人間を許すことは出来ない。 」と言っています。 相思相愛なことが見て取れます。 以上のことからもののけ姫は、「アシタカが出張先で不倫する」物語であると言えます。
次の「 ジブリ」は映像制作会社について説明しているこの項目へされています。 その他の用法については「」をご覧ください。 株式会社スタジオジブリ STUDIO GHIBLI INC. 本社所在地 〒184-0002 一丁目4番25号 : 設立 4月 事業内容 アニメーション映画、、テレビ映画、等の企画・制作 代表者 代表取締役会長 代表取締役社長 代表取締役プロデューサー 資本金 1000万円(2020年3月31日現在) 純利益 6億8000万円(2020年3月期) 総資産 223億3800万円 (2020年3月31日現在) 従業員数 150人 決算期 関係する人物 の節を参照 外部リンク 特記事項:2005年4月に組織形態をから株式会社へ変更。 同一商号の前身法人は1985年6月15日創業、1997年6月にが吸収合併し解散。 株式会社スタジオジブリ(: STUDIO GHIBLI INC. )は、の。 準会員。 以下、「 ジブリ」と略記する場合あり(由来などについてはも参照)。 概要 [ ] 長編の制作を主力事業としているが、中期以降、短編作品の制作および実写作品の企画、日本国外のの公開や発売、『熱風』という小冊子の発行を行う出版事業や音楽事業、加えてへの展示物定期制作など、関連事業は多岐にわたる。 また他社テレビ作品の動画も請け負っている。 、『』を制作したをの出資によって発展的に解散・改組する形で設立、同社社長(当時)が初代代表取締役社長に就任した。 ただし実質的な経営財務責任者は旧トップクラフトを設立したであった(原は初代常務に就任)。 当時はジブリ関連書籍の大半が徳間書店から刊行され、同社の他メディア展開推進の中核的存在でもあった。 設立時からしばらくの期間は作品ごとにスタッフを集め、完成と共に解散する方式を採っており、他社同様アニメーターは業務委託契約による歩合制だった。 後に人材育成のためにアニメーターを正社員化・固定給制にするなど、高品質で安定した作品作りの拠点とした。 に(WDC)並びに日本法人の(WDCJ)の間で国内での(「」)発売および海外でのジブリ作品配給に関わる事業提携を締結したことに伴い、『もののけ姫』よりWDC(「ディズニー」表記)が長編アニメーション作品に出資・参画するようになった。 また、海外では基本的に(作品毎に地域が異なる)かWDC子会社のが配給し、がビデオ発売を担当する。 2008年にはWDCJ社長のがジブリ創業メンバーの指名により代表取締役社長に就任している(2017年11月に中島清文を後任として会長に就任)。 の思い込みから「ジブリ」となったが、「」の方が原語に近い発音である(イタリアの社の乗用車は日本でも1970年代から「ギブリ」と呼ばれている。 スタジオジブリのマークは、スタジオジブリの作品『』に登場するキャラクター、がデザインされている。 スタジオジブリの第2レーベルで実写作品部門の「スタジオカジノ」は、スタジオの所在地梶野町から命名された。 2005年の徳間書店傘下からの独立に際して、「ジブリ」の名称を徳間書店から買い取らなければならなくなった。 宮崎駿が買い取りに消極的な姿勢を示して鈴木敏夫もそれに同意し、新しい名称として宮崎が「」(これもサハラ砂漠に吹く風に由来)という案を出したが、社内の評判がよくなく、結局ジブリの名称を継続することとなった。 沿革 [ ] 2009年から2010年まで「西ジブリ」が開設されていた、• 1985年6月15日 - 株式会社スタジオジブリ(初代)設立。 最初の場所は近くの第2井野ビル。 - 宮崎駿の新スタジオ建設案で経営方針の対立が勃発。 原徹が常務を辞任し退社。 後任に鈴木敏夫が就任。 - 梶野町(近く)の新社屋に移転。 6月 - 経営悪化した徳間書店の収益確保の一環で徳間書店に吸収合併。 株式会社スタジオジブリを解散。 徳間書店の「 株式会社徳間書店 スタジオジブリ・カンパニー」となる。 同年『』完成後、宮崎駿が退社。 - 徳間書店がを導入。 「 株式会社徳間書店 スタジオジブリ事業本部」となる。 同年に宮崎駿がスタジオジブリ所長として復帰。 - 株式会社徳間書店 スタジオジブリ事業本部を有限会社スタジオジブリに分割。 4月 - 徳間書店からの分離・独立により 、組織形態をからへ変更。 株式会社スタジオジブリ(2代)がスタジオジブリ事業本部の業務すべてを継承。 鈴木敏夫が代表取締役社長に、宮崎駿とスティーブン・アルパートがそれぞれ取締役に就任。 2月 - 鈴木敏夫が代表取締役社長を退任し、後任に(元会長)が就任。 4月 - 本社内に新スタジオとして「西ジブリ」を開設。 8月 - 西ジブリを閉鎖。 8月 - 制作部門の休止が発表。 社内では年内をもって制作部門の社員全員の退職が発表される。 10月 - 第20回で「アジア映画人賞」が授与される。 5月19日 - 宮崎の新作長編アニメーション映画の本格的な始動に伴う、制作部門の活動再開、及び新人スタッフの募集開始を発表。 11月28日 - 代表取締役社長に中島清文(旧ジブリの森美術館 館長)が就任。 先代社長・星野は代表取締役会長に就任。 また、現在、宮崎駿の新作長編アニメ映画『』と、のCG長編アニメ映画を2本同時で制作していることを発表。 鈴木敏夫は、『君たちはどう生きるか』は同名小説とは異なり、ファンタジー作品となることを明かしている。 レーベル [ ] 映画 [ ] スタジオジブリ 1985年の株式会社スタジオジブリの設立とともに発足したレーベル。 自社で制作した長編アニメーションを手がけており、同社を代表するレーベルの一つである。 『』(・・)、『』(宮崎駿原作・脚本・監督)、『』(脚本・監督)など。 スタジオカジノ 株式会社スタジオジブリの第二レーベルとして設立された。 設立当初はスタジオジブリが従来手がけてこなかった実写分野を中心に活動していたが、のちにアニメーション分野にも進出している。 『』(監督)、『』(監督)、『』(監督)、『』(百瀬ヨシユキ監督)、『』(百瀬ヨシユキ監督)など。 スタジオギブリ スタジオギブリ ジブリ の作品『』及び『』に登場する架空のアニメ制作会社で、スタジオギブリのマークはスタジオジブリのマークとほぼ同様のデザインだが、同作に登場するキャラクター「野中くん」が描かれている。 また、同作のエンドロールでは「製作 スタジオギブリ」と表記されている。 『』(監督)など。 三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー 2007年に株式会社スタジオジブリとにより設立されたレーベル。 徳間記念アニメーション文化財団傘下のにより運営されており、他社が制作した映画の公開、および、DVDの販売を行っている。 主に日本国外のアニメーションを担当しており、高畑勲や宮崎駿の推薦などに基づき、三鷹の森ジブリ美術館が作品を選定している。 『』(脚本・監督)、『』(原作・脚本・監督)、『』(監督)など。 ビデオ [ ] ジブリがいっぱいCOLLECTION [ ] 1996年に(WDC)並びに日本法人の(WDCJ)の間で国内でのスタジオジブリ制作作品の発売および海外でのジブリ作品配給に関わる事業提携を締結した。 これに伴い、「 ジブリがいっぱいCOLLECTION」(ジブリがいっぱいコレクション)のシリーズが創設され、1997年6月27日の「となりのトトロ」よりVHSビデオソフトの販売をのビデオソフト門の「ブエナビスタ・ホームエンタテインメント ジャパン」が行うようになった。 また、2001年からは版、2009年からはビデオ版のパッケージ展開も開始している。 発売時のテレビCMなどの宣伝についてもWDCJが行う。 なお、販売・レンタル店向け営業はWDCと提携関係にあるが行っている。 これ以前に発売された『』までのVHSソフトは「TOKUMA VIDEO」のレーベルでが発売元、販売元はが担っていた。 徳間によって発売されたジブリの旧作品についても「ジブリがいっぱいCOLLECTION」シリーズとしてVHSおよびDVDビデオで順次発売されている。 DVDビデオ・Blu-ray Discビデオについては、本編以外に絵コンテ集などの特典映像が収録されたディスクを含んだで発売されるタイトルがある(仕様は本編ディスクのみ)。 なお、ソフトにおいては徳間との関係が継続されたため、1998年発売の「もののけ姫」については徳間からの発売・販売となった。 「ジブリ」の名を冠したレーベルではあるが、『』や『』等のジブリ以外の宮崎・高畑作品もラインナップに組み込まれている。 ジブリライブラリー [ ] ジブリ学術ライブラリー 過去に放送されたドキュメンタリー番組や過去に公開されたノンフィクション映画のビデオを販売するレーベル。 他社が制作した作品が中心である。 『』(制作)、『』(高畑勲監督)、『堀田善衞 時代と人間』(日本放送協会制作)など。 ジブリCINEMAライブラリー 他社が制作した映画のビデオを販売するレーベル。 「三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー」に移管された作品もある。 『』(監督)、『』(ミッシェル・オスロ原作・脚本・監督)など。 音楽 [ ] スタジオジブリレコーズ と提携して設立したレーベル。 主にスタジオジブリ作品のサウンドトラックと主題歌を含んだCDをリリース。 以前は「アニメージュレコード」レーベルで事業を行っていた。 2006年の「ゲド戦記」より主題歌制作とシングルCD発売については(販売元:)に移管された(2013年の「」主題歌の「」は)。 出版 [ ] 文春ジブリ文庫 、2013年4月創刊で毎月刊。 宮崎駿・高畑勲自身の著作の再刊や、新装版(過去に徳間書店のシネマ・コミックや同〈文庫〉などで出版された書目)に加え、作品論「ジブリの教科書」などオリジナル出版も行っている。 服飾 [ ] 仕立屋スタジオジブリ プライムゲート社がスタジオジブリとGHIBLIブランドの洋服および服飾小物の企画・製造・販売のライセンス契約を締結し、秋冬から販売開始したメンズ・ブランド。 イメージモデルは、『』の主人公、ポルコ・ロッソ。 本物志向の40歳代以上の男性がターゲットである。 作品一覧 [ ] 劇場アニメーション長編 [ ] 公開日 タイトル 共同製作 (配給) 原作 脚本 監督 絵コンテ 作画監督 時間 備考 1 1984年3月11日 () 116分 2 1986年8月2日 徳間書店 (東映) 124分 同時上映 『』 『』 3 1988年4月16日 徳間書店 () 86分 2本立て 4 (東宝) 作: 保田夏代 88分 5 1989年7月29日 徳間書店 (東映) 作: 画: 宮崎駿 宮崎駿 近藤喜文 近藤喜文 102分 6 1991年7月20日 徳間書店 日テレ 博報堂 (東宝) 作: 画: 高畑勲 高畑勲 百瀬義行 近藤勝也 近藤喜文 佐藤好春 119分 7 1992年7月18日 徳間書店 日テレ (東宝) 宮崎駿 93分 8 1994年7月16日 徳間書店 日テレ 博報堂 (東宝) 高畑勲 高畑勲 百瀬義行 大塚伸治 賀川愛 河口俊夫 箕輪博子 119分 9 1995年7月15日 宮崎駿 近藤喜文 宮崎駿 近藤喜文 111分 同時上映 『』 10 1997年7月12日 徳間書店 日テレ (東宝) 宮崎駿 高坂希太郎 近藤喜文 133分 11 1999年7月17日 徳間書店 日テレ 博報堂 () 高畑勲 百瀬義行 104分 12 2001年7月20日 徳間書店 ディズニー 日テレ 電通 (東宝) 宮崎駿 安藤雅司 高坂希太郎 賀川愛 125分 13 2002年7月20日 徳間書店 ディズニー 日テレ 博報堂 三菱商事 (東宝) 柊あおい 井上鋭 山森英司 田村篤 75分 同時上映 『』 14 2004年11月20日 徳間書店 ディズニー 日テレ 電通 三菱商事 (東宝) 宮崎駿 稲村武志 高坂希太郎 山下明彦 119分 15 2006年7月29日 日テレ 電通 ディズニー ディーライツ (東宝) 作: 案:宮崎駿 宮崎吾朗 宮崎吾朗 山下明彦 稲村武志 山形厚史 115分 16 2008年7月19日 宮崎駿 近藤勝也 高坂希太郎 賀川愛 稲村武志 山下明彦 101分 17 2010年7月17日 ディズニー 日テレ 電通 博報堂DYMP 三菱商事 ワイルドバンチ (東宝) 宮崎駿 丹羽圭子 米林宏昌 賀川愛 山下明彦 中村勝利 小野田和由 横田匡史 廣田俊輔 山形厚史 94分 18 2011年7月16日 ディズニー 日テレ 電通 博報堂DYMP 三菱商事 (東宝) 作: 画: 宮崎吾朗 稲村武志 高坂希太郎 山下明彦 山形厚史 廣田俊輔 91分 19 2013年7月20日 ディズニー 日テレ 電通 博報堂DYMP 三菱商事 (東宝) 宮崎駿 高坂希太郎 126分 20 2013年11月23日 作:「」 案:高畑勲 高畑勲 高畑勲 高畑勲 田辺修 百瀬義行 佐藤雅子 小西賢一 137分 21 2014年7月19日 丹羽圭子 安藤雅司 米林宏昌 米林宏昌 安藤雅司 103分 22 2016年9月17日 ワイルドバンチ ホワイノット・プロダクションズ アルテフランス・シネマ CN4プロダクションズ 日テレ 電通 博報堂DYMP ディズニー 三菱商事 (東宝) マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット 81分 23 未定 2023年頃予定 宮崎駿 テレビアニメ [ ] 放映日 タイトル 原作 脚本 監督 絵コンテ 作画監督 時間 放映局 備考 1993年5月5日 丹羽圭子 近藤勝也 73分 日本テレビ系列 1993年12月25日からにて上映 2000年4月8日 百瀬義行 不明 15分 2020年冬 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 不明 宮崎吾朗 不明 不明 不明 アニメーション短編 [ ] タイトル 監督 公開年 備考 同時上映『』 2002年 百瀬義行 同時上映『』 同時上映『』 同時上映『』 宮崎駿 百瀬ヨシユキ 同時上映『』 宮崎駿 (不在) 2011年 宮崎駿 2018年 劇場実写長編 [ ] タイトル 監督 公開日 時間 配給 2000年12月7日 120分 2001年3月17日 130分 実写短編 [ ] タイトル 監督 公開年 時間 備考 9分 10分 同時上映『』 テレビCM [ ]• 開局40年記念スポット(1992年。 『ジブリがいっぱいSPECIAL ショートショート』に収録)• 「旨茶」(2001年)• (2003年)• 「おうちで食べよう。 」シリーズ(2004年。 『ジブリがいっぱいSPECIAL ショートショート』に収録)• 企業CM• 企業CM(2010年 - )• 新電力「 出会い篇/つれあい篇/そして旅はつづく篇」(2016年)• 「となりのおにぎり君」(2016年) その他 [ ]• 『』オープニング映像(1997年4月4日 - 2009年3月20日、『ジブリがいっぱいSPECIAL ショートショート』に収録)• 『』オープニング映像(2003年)• 『』のTシャツのデザイン(2006年、2010年)• 『展 スタジオジブリが描く乱世。 』(2008年。 堀田の作品をモチーフとしたアニメ作品『と』『路上の人』を「もし作るとしたら」という仮定のもとの設定画を、宮崎吾朗、武重洋二、田中直哉等が描いた)• キュッキュの大冒険(2011年、ニコニコ動画5周年記念新サービス発表会の生放送内で放送された) 制作協力 [ ] スタジオジブリも一アニメ制作会社であり、常に映画を制作しているわけではない。 そのため、様々なアニメの下請けとしてクレジットされることもある。 テレビシリーズ [ ]• (制作元請:、仕上協力、1995年-1996年)• (制作元請:・、各話協力、1995年-1996年)• (制作元請:葦プロダクション(現:)、各話制作協力、1996年-1997年)• (制作元請:、制作協力、2014年-2015年) 劇場アニメ [ ]• (制作元請:、原画協力、1995年)• (制作元請:、制作協力、1995年)• (制作元請:東映アニメーション、制作協力、1996年)• (制作元請:、特殊効果協力、2000年)• (制作元請:、制作協力、2004年) 劇場実写長編 [ ]• (製作:、協力、2013年)• (制作:、協力、2016年) ゲーム [ ]• (製作:、アニメーション制作元受:Production I. (製作:、アニメーション作画、2010年12月9日発売)• (製作:、アニメーション作画、2011年11月17日発売) ラジオ番組 [ ]• (系列・系全国38局ネット) 他社作品のビデオ化など [ ]• (監督、VHS 2003年)• (ミッシェル・オスロ監督、公開2003年、DVD発売2007年)• 時代と人間(NHK他、DVD 2004年)• 漫画映画論(、書籍 2005年)• 日本 その心とかたち 7巻(、NHK制作番組、DVD 2005年)• 日本その心とかたち(加藤周一、書籍 2005年)• 映画のどこをどう読むか(、書籍 2006年)• (監督、2005年公開、DVD発売2007年)• (監督、2006年公開、DVD発売2007年)• 春のめざめ(監督、公開およびDVD発売 2007年)• キリクと魔女2 4つのちっちゃな大冒険(ミッシェル・オスロ監督、DVD 2007年)• アズールとアスマール(ミッシェル・オスロ監督、公開およびDVD発売 2007年)• アズールとアスマール(ミッシェル・オスロ、書籍 2007年)• 〈新訳版〉(レフ・アタマーノフ監督、2007年公開、DVD発売2008年)• (宮崎駿脚本、高畑勲監督、公開およびDVD発売2008年)• 全4話完全<デジタルリマスター>版(監督、公開およびDVD発売 2008年)• (ジョン・ハラス、ジョイ・バッチェラー監督、公開2008年)• ドキュメント「」とその時代(公開2009年)• 『』(シルヴァン・ショメ監督、2010年公開、DVD発売2011年) 日本国内 歴代ジブリ作品収入ランキング [ ] によるデータ。 順位 作品 配給会社 公開年度 配給収入 興行収入 観客動員 1 3040304億円 23502350万人 2 東宝 1960196億円 15001500万人 3 東宝 1130113億円 1930193億円 14201420万人 4 東宝 1550155億円 12001200万人 5 東宝 0925120. 2億円 0750810万人 6 東宝 092592. 5億円 0750750万人 7 東宝 076576. 5億円 0588588万人 8 / 東宝 064664. 6億円 0550550万人 9 東宝 028028億円 047647. 6億円 0304304万人 10 東宝 026526. 5億円 044744. 7億円 0325325万人 11 東宝 044644. 6億円 0355355万人 12 東宝 035335. 3億円 13 東宝 024724. 7億円 14 021521. 5億円 0264264万人 15 東宝 018718. 7億円 0216216万人 16 / 東宝 018518. 5億円 0208208万人 17 00797. 9億円 0115115万人 18 / 東宝 00595. 9億円 008080万人 19 東映 00585. 8億円 007777万人 20 東宝 94009400万円• …17. 評価 [ ] 日本国内での評価 [ ] コンサルティングが2001年から毎年実施している「ブランド・ジャパン」のコンシューマー市場調査結果によると、スタジオジブリは2002年から2006年まで「消費者から最も評価されているブランド」の上位5位以内に毎年ランクされていた。 「共感するブランド」部門では、2002年から5年連続で第1位に選ばれている。 2002年 第3位• 2003年 第4位• 2004年 第5位• 2005年 第2位• 2006年 第1位• 2007年 第12位• 2008年 第2位• 2009年 第4位• 2010年 第3位• 2011年 第8位• 2012年 第12位• 2013年 第5位• 2014年 第3位• 2015年 第4位• 2016年 第12位• 2017年 第1位• 2018年 第2位• 2019年 第15位• 2020年 第11位 が、2007年6-7月期に実施したブランドに関する世界最大の消費者調査「ブランド・エナジー」パワーランキングにおいて、スタジオジブリは第2位に選ばれた。 日本国外での作品公開と評価 [ ] の金熊賞、アニメーション部門(『千と千尋の神隠し』)やの金のオゼッラ賞(スタジオジブリの技術に対する評価)で受賞するなど、国際的にも高い評価を受けているジブリ映画であるが、そこに至る道のりは平坦ではなく、現在もその評価は一様ではない。 ジブリ作品は早くから日本国外の映画祭に何度も出品したが、一般大衆レベルでジブリのアニメ映画が早くから受容されていたのはである。 1987年6月に『天空の城ラピュタ』が『天空之城』の題で公開され、興行収入はその年の香港における外国語映画2位となる1300万香港ドルのヒットとなった。 1988年2月には『風の谷のナウシカ』が『風之谷』の題で興行収入1070万香港ドル、1988年7月に『となりのトトロ』が『龍猫』として1100万香港ドルの興行収入を挙げた。 いずれも1997年時点で香港における日本映画の上位に食い込む好成績だった。 以後も『魔女宅急便』が1990年に公開されるなど、スタジオジブリ作品は香港で上映されていった。 その後、ジブリ映画は(MoMA)などで回顧展が開かれたり 、『千と千尋の神隠し』が映画批評を集計するサイト、 )でほぼパーフェクトに近い点を記録したり、アカデミー賞(アニメーション部門)を受賞したり、国際的なフランス人漫画家が自分の娘に「ナウシカ」と命名したり と高い評価を受ける一方、『』の原作者で小説家でもあるアーシュラ・K・ル・グウィンは、本作の原作改変部分やディティールの弱い絵などに強い違和感を示した。 フランスでも宮崎アニメの正式な紹介は遅れ、1993年のアヌシー国際アニメーション映画祭では『紅の豚』が長編部門の作品賞を受けるものの、1995年の劇場公開では興行的に惨敗した。 アメリカにも『風の谷のナウシカ』が輸出されているが、配給権を得たのは低予算C級映画で知られる配下の会社であった。 116分の本編は95分にカット、ストーリーも大幅に改竄されて『風の戦士たち Warriors of the Wind 』と題して、アメリカ国内で短い期間劇場公開された後にビデオで販売され、更にはヨーロッパ各国にも転売された(『風の谷のナウシカ』の「」も参照のこと)。 この『風の戦士たち』は宮崎アニメファンたちの間では悪評が高い。 このアメリカ向け短縮版は宮崎駿に無断で作成されたものだったが、この一件で宮崎駿とスタジオジブリは自社作品の輸出に当たってはノーカット公開を要求するようになった。 その後のアメリカでは、1989年に『天空の城ラピュタ』が小規模な劇場公開があったが 、欧米では本格的な劇場公開は行われず、正規ルートでのビデオ発売も遅れたため、不法コピーの海賊版が出回っていた。 アメリカでの興行収入は、スタジオジブリ作品では『』が1920万2743ドルで1位 、が1509万399ドルで2位 、『』が1005万5859ドルで3位 となっている。 これは公開館数の違い(『アリエッティ』1522スクリーン、『ポニョ』927スクリーン、『千尋』714スクリーン)もあるが、『借りぐらしのアリエッティ』のやは旧来のジブリ作品に比べて色が強くなっている。 『ポニョ』公開からやが、英語吹替版のを務めるようになった。 後述のGKIDSとジブリの新たな結びつきが生まれる中、『風立ちぬ』はそれまで公開された宮崎作品や『アリエッティ』と同様、がの配給権を取得している。 2018年12月14日より『となりのトトロ』が、北京や上海など中国の50都市で劇場公開。 中国本土で6000館に及ぶ、ジブリ作品初の大規模な上映となった。 翌2019年には、およそ9000館で『千と千尋の神隠し』が初公開された。 GKIDSとの関係 [ ] アメリカで独立系の配給会社(ジー・キッズ)とジブリの関わりは、2011年に ()で開催された特集上映に始まり 、2012年から『コクリコ坂から』の劇場公開と、翌年にはビデオ販売が行われた(興行収入は100万ドル)。 北米でGKIDSは過去のジブリ作品全ての配給権を保有して 、上映を実施。 2016年から翌年にかけて『もののけ姫』や 、2日間に400館以上で『千と千尋の神隠し』のリバイバル公開が行われ 、それまで一般の劇場では上映されていなかった『おもひでぽろぽろ』や『海がきこえる』が初公開された。 『魔女の宅急便』は2日間におよそ600館で 、『天空の城ラピュタ』は3日間の上映期間中に648館で公開されるなど 、吹替と字幕版の両方が上映されている。 2017年よりGKIDSは北米で、それまでディズニーによってビデオが販売されていた作品の再発売を開始した。 アメリカ国外ではフランスなどで、ディズニーが引き続きジブリ作品の流通を担っている。 動画配信 [ ] 2019年までスタジオジブリはインターネットでの配信に消極的だったが、の爆発的な普及を受けて、配信サービス会社と組むことで今までDVD購入または海賊版での鑑賞手段しかなかった海外におけるジブリ作品の認知度向上にもつながると判断した。 2019年10月17日、はアメリカにおいて、のとジブリ作品の配信における独占契約 を締結したと発表した。 サービスが開始される2020年5月から21作品が配信される。 GKIDSは2019年12月17日から北米で、HBO Maxと同じ21タイトルのダウンロード販売を開始した。 販売されるプラットフォームは、、、、、Vudu、FandangoNOW。 2020年1月には、フランスの・インターナショナルより、アメリカと日本を除く世界約191カ国での配信権を獲得。 2月から4月にかけて21作品を順次配信すると発表した。 なお、ジブリ作品のうち、『火垂るの墓』は著作権の権利をと原作者のが保有しており、スタジオジブリは原作の出版権を保有していない事情からインターネット配信の対象外となっている。 声優の配役の特徴 [ ] までは脇に俳優が起用されることもありつつ(など)、主役級には主に声優事務所に所属する専業声優が起用されていたが、以降の作品では、主役や主要人物の声は、等で有名なが多く起用されており 、これらは往々にしてジブリ作品の特徴として語られるが、舘野仁美によれば「俳優さんの仕事の中で声の仕事だけが専門化していったのは、70年代くらいから」であり、高畑や宮崎は「昔ながらのやり方で役に合う俳優さんを選んでいるだけ」であったという。 また宮崎は特に高畑のキャスティングのセンスには全幅の信頼を置いていたという。 しかし名前が売れている俳優を起用すればテレビ番組などで勝手に映画のをしてくれるため宣伝費、費が必然的に浮くからとも鈴木は発言している。 声優の選考に関して、『』の完成報告記者会見で宮崎駿は、自分の中のイメージが出来上がった後、プロデューサーが次々に持ってくる声から選んでいると答えている。 外国メディアからのインタビューの中では「日本の女性声優はで男性の気を引きたがっているかのような声の持ち主しかいないので、(『ハウルの動く城』の荒地の魔女役には)我々は全く必要としていなかった」と述べている。 『「もののけ姫」はこうして生まれた。 』には、ナウシカ役等を演じたが、「職業上の仮面」を引き剥がせずに宮﨑の要求する演技に応えられない様子が収録されている。 『もののけ姫』以後も役名がクレジットされないキャラクターに所属の俳優 が多く起用される傾向にある。 後継者の育成 [ ] 元々、スタジオジブリは、映画『風の谷のナウシカ』の商業的な成功をきっかけに設立されたプロダクションであり、当初は同作制作の中心人物であった宮崎駿・高畑勲が監督する劇場アニメーション長編の制作を中心業務としていた。 そのため社内は常に宮崎と高畑を頂点にして回っている一面があった。 しかし、1990年代の時点で宮崎・高畑両監督ともすでにベテランであり、とりわけ国民的映像作家としての地位を固めていた宮崎の後継者の確保はジブリの経営にとっては大きな長期的課題の1つであり、比較的早い段階から様々な試みがなされていた。 スタッフの正社員登用の開始に併せて、育成を制度化。 らを輩出した。 1995年7月15日、監督作品『耳をすませば』が公開。 近藤はジブリの設立以前から数多くの宮崎・高畑作品を支え、また当時のジブリ作画陣の代表格ともいえる敏腕アニメーター・キャラクターデザイナーとして、同作の成功により宮崎・高畑の最良の後継者と認知されジブリの内外から大きな期待を集める存在になった。 しかし、その近藤は1998年1月に47歳で病死してしまう。 その後のジブリでは、長編作品で宮崎と高畑の後釜を担える力量を認められた監督候補推として近藤に代わるだけの人材が決定的に不足しており、組織内の人材育成も難航を極めていた。 また、それまでも含めて、育成だけではなく、外部からも今までに主に若手・中堅世代で注目したクリエイターを何名か監督候補として招いて制作作業に携わらせているものの、ジブリの社風に馴染めず降板したケースが少なくなかったという。 過去には『ラピュタ』の次作に企画されていた『アンカー』の 、『魔女の宅急便』で、『ハウルの動く城』ではから 出向していたの降板などが伝えられている。 劇場実写映画では『式日』のと『サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS』のを製作しこちらは公開している。 このような状況を指して、は1996年の時点で既に「宮さん(宮崎)におんぶにだっこのジブリの環境では、後継者は育ちませんよ」 と指摘しており、後には当のジブリ経営陣であるはずの鈴木敏夫をして、ジブリは宮崎と高畑の2人のためのスタジオであり、人材が育つわけがないと発言している。 鈴木はジブリの若手・中堅世代のアニメーター育成のためにからベテランアニメーターのを招聘したが、その大塚の主なアドバイスは「宮さんの言うことは、右から聞いたら左へ流しなさい。 自分の好きなように描け」というものであったといい、前述の近藤はその発言を受け入れたことで頭角を現した1人だったという。 近藤没後の、『』の作画監督をしたもまた「ある意味、ジブリを壊していかなくてはいけない」と、ジブリの方法論に従うだけの現状を疎んでおり、実際に製作中ジブリの外からアニメーターを積極的に受け入れるなどしていた。 鈴木は2006年、『』の制作にあたって、当時の館長で、それまでアニメーション制作の仕事は実質未経験であった宮崎の息子のを監督に起用する人事を行った。 これは鈴木が「前提としてジブリの今後を考え、当の鈴木を含め宮崎や高畑勲が高齢であるため」と発表当初のインタビューで述べており、つまりは事実上の「後継者育成」の一策として起用したものであると認めている。 しかしこの吾朗の監督起用については、宮崎と鈴木の意見が真っ向から対立しており、2010年末にも鈴木は質疑応答の中で「(宮崎は)いまだに『ゲド戦記』を吾朗くんに撮らせたことについて、僕のことを許していないんですよ」と明かしている。 2009年頃からは、宮崎の主導による「スタジオジブリ経営5カ年計画」がスタート。 最初の3年間は若手の起用(企画と脚本だけは宮崎が用意)、最後の2年間は超大作の制作に充てるというプランで、この計画の第1弾としてジブリ生え抜きの米林宏昌の『借りぐらしのアリエッティ』が、第2弾として宮崎吾郎の『コクリコ坂から』が制作された。 超大作として『風立ちぬ』が制作され、宮崎駿は長編映画からの引退を発表(ただし後に撤回)。 2014年には『思い出のマーニー』制作終了後に制作部門が解体され 、以降の長編作品は、他のアニメ制作会社と同じようにフリーのアニメーターを作品ごとに集め制作するスタイルに変わり、その最初の作品である『レッドタートル ある島の物語』は、海外のアニメーターであるを監督に抜擢している。 『借りぐらしのアリエッティ』を試写室で観た宮崎駿の第一声は、「ジブリ育ちの演出がはじめて誕生した。 」 とコメントを寄せている。 宮崎駿・高畑勲は出身、他の監督達も他社からの移籍であり純粋なジブリ出身の監督としてはが初となった。 他方で、鈴木は、経営再建中だった徳間書店の傘下から2005年にジブリが独立した際の資本金が1000万円であったのは、それが宮崎、高畑、鈴木の3人で拠出できる金額であったからで、宮崎と高畑の2人が引退したらジブリも終わるのが基本という旨のことも述べている。 2016年にジブリ初の公開師弟対談を行う。 対談は鈴木敏夫と鈴木の下で仕事を学んだで行われた。 歴代社長・経営者 [ ] 期間 社長 経営者 1985年6月 1991年7月 1991年7月 2000年9月 2000年9月 2001年1月 2001年1月 2005年3月 2005年4月 2008年1月 2008年2月 2017年11月 2017年11月 現職• スタジオジブリは1997年に徳間書店に吸収合併された。 徳間書店は社内カンパニー制を導入していたため、スタジオジブリは徳間書店の一カンパニーとなった。 徳間書店は1999年に事業本部制を導入したため、スタジオジブリは徳間書店の一事業本部となった。 徳間書店から分離・独立した2005年からは、再び株式会社となった。 関連人物 [ ] アニメーター・演出家 [ ] 美術・彩色等 [ ]• 撮影 [ ]• 音響・録音等 [ ]• 製作・制作 [ ]• - 2002年(平成14年)から2014年(平成26年)まで在籍。 2015年(平成27年)に「」を設立。 その他 [ ]• ドワンゴに所属しながらジブリにて見習い。 関連展覧会 [ ] ジブリがいっぱい スタジオジブリ原画展 、新宿三越美術館(同年 - )を皮切りに日本全国の三越百貨店で開催された。 『風の谷のナウシカ』から『もののけ姫』までの原画が展示された。 徳間書店ととの業務提携およびジブリ作品の世界進出のニュースが大きな話題となった。 また - には、日本橋高島屋で開催された。 こちらでは『ホーホケキョ となりの山田くん』までの原画の展示となった。 ジブリがいっぱい スタジオジブリ立体造型物展 - 、で開催された。 『ハウルの動く城』までの世界を立体造型物として再現、公開当時の新聞記事と一体化したディスプレイが展示された。 この展覧会では、22万人以上の動員があった。 - 、東京都現代美術館や など計9ヶ所で開催された。 東京展では30万人に迫る入場者数を記録した。 - 、東京都現代美術館やなど計9ヶ所で開催された。 東京都現代美術館では12万5000人以上の動員があった。 『崖の上のポニョ』(頃の会場からは『借りぐらしのアリエッティ』も)までの原画・レイアウト約1300点が展示された。 2011年には愛媛県美術館など3ヶ所で開催。 70万人を動員した。 - 、にて開催された。 新潟が生んだジブリの動画家 近藤喜文展 2014年7月4日 - 8月31日、で開催された。 この男がジブリを支えた。 近藤喜文展 2015年8月4日 - 9月27日、特別展示室で開催。 ジブリの立体建造物展 2014年7月10日 - 12月14日、で開催されている。 建築家が解説している。 スタジオジブリ『思い出のマーニー』監督 米林宏昌原画展 2014年7月18日 - 7月28日、別館2階、西武ギャラリーで開催された。 2014年8月5日 - 8月11日、8階特設会場で開催された。 2015年3月7日 - 5月10日、で開催された。 ジブリの大博覧会 2015年9月12日 - 11月8日、で開催された。 2016年3月5日 - 5月15日、で開催された。 2016年7月7日 - 9月11日、展望台、東京シティビュー内スカイギャラリーで開催された。 2017年4月15日 - 6月25日、で開催された。 2017年7月7日 - 9月3日、で開催された。 イベント [ ] スタジオジブリ総選挙 『レッドタートル ある島の物語』の公開を記念した「スタジオジブリ総選挙」が行われた。 イベントは、2016年8月13日午前0時〜8月28日午後12時59分までの期間内に同作の公式サイト内・特設ページにて投票を募集し、『風の谷のナウシカ』から『思い出のマーニー』までのスタジオジブリ長編劇場アニメーション全21作品の中で最も得票数が多かった一作品を全国5都市5劇場(、、、、)で上映するという内容である。 8月22日の中間発表では上位5作品が『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『魔女の宅急便』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』であることが発表された。 この5作品は全て宮崎駿監督作品である。 そして9月6日には最終結果が発表され、1位に輝いた『千と千尋の神隠し』が9月10日〜9月16日までの1週間限定で全国5劇場で再上映された。 なお2位以下の作品の順位は未発表である。 ロケーション・ハンティング [ ] スタジオジブリでは、制作にあたって多くの作品で ロケハン を行って来た。 ただし、それらはあくまで架空世界のイメージを得るためであり、客観的現実世界をなぞった設定を作るためではない。 実在の風景もまた、原作に向き合う態度と同様に、インスピレーションを得るための素材に過ぎない。 宮崎はロケハン中に写真を撮る習慣がないとも言われている。 あくまで自己の両眼で確認した情報・印象を主観的に記憶する思考パターンであるという。 オープン。 スタジオジブリの世界を展示している。 毎年内容が変わる企画展も好評で、2006年の『展』に続き、2007年には『3びきのこぐま展』を開催している。 - 会場跡地 竣工。 『となりのトトロ』の草壁家を忠実に再現している。 6月、愛・地球博記念公園にて、を建設することが正式に発表された。 店舗 [ ] 日本各地にジブリクッズを販売する専門店は多数ある。 八重洲口地下の内にある「どんぐりガーデン」、にある「めっせ」、にある「むさしや」(スタジオジブリ認定ショップ) 、にある「あみゅの森」、にある「どんぐり共和国」などである。 またでジブリ作品を独占的に放映するのグッズを扱うでもジブリグッズが発売されている。 一方で、やではほとんどジブリグッズが売られていない(アニメイトではグループ企業のが関わるグッズのみ販売)。 株式会社スタジオジブリ. 2018年7月10日閲覧。 1997年(平成9年)4月22日『官報』第2122号26ページ「合併並びに資本減少公告」• 鈴木敏夫『仕事道楽』岩波書店《岩波新書》、2008年、pp. 184 - 185。 鈴木は「『ジブリ』という名前を捨てるのは、もう全然気にならない」と記している。 アニメ! アニメ! 2005年2月11日. 2019年4月29日閲覧。 株式会社スタジオジブリ 2017年10月. 2019年4月29日閲覧。 舘野仁美『エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ』(中央公論新社)p186• 2015-10-01. 2015年10月2日閲覧。 2017-11-28. 2017年11月29日閲覧。 2017-11-28. 2018年3月29日閲覧。 」『』。 スタジオジブリが設立される以前にが制作した作品であるが、スタジオジブリ作品として取り扱われることが多い。 監督は存在しないが宮崎が構成を、稲村武志が演出アニメーターをそれぞれ担当している。 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、p67、p105、p128、p148。 animeland. asahi. asahi. html• 『朝日新聞』1985年10月7日の記事によれば、ロサンゼルス国際アニメーション映画祭の長編部門1位になるなどオリジナル版の評価はされていた• 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、p105• BBC News(2020年1月21日作成). 2020年1月24日閲覧。 Box Office Mojo. 2013年6月27日閲覧。 Box Office Mojo. 2013年6月27日閲覧。 Box Office Mojo. 2013年6月27日閲覧。 Disney. 2013年6月27日閲覧。 ORICON NEWS. 2012年2月21日. 2018年8月29日閲覧。 株式会社シネマトゥデイ 2012年6月6日. 2018年11月28日閲覧。 株式会社エイガ・ドット・コム 2014年7月16日. 2018年8月29日閲覧。 株式会社シネマトゥデイ 2013年9月2日. 2018年8月29日閲覧。 com. 株式会社エイガ・ドット・コム 2013年8月28日. 2018年8月29日閲覧。 2018年12月10日. 2018年12月11日閲覧。 株式会社. 2018年12月10日. 2018年12月18日閲覧。 上海=宮嶋加菜子 2018年12月10日. 2018年12月18日閲覧。 2018年12月14日. 2018年12月18日閲覧。 株式会社時事通信社. 2018年12月15日. 2018年12月18日閲覧。 ミン・イヒョウ 謙 2018年11月29日. 2018年12月18日閲覧。 BB News. 2019年7月8日. 2019年8月16日閲覧。 角山奈保子 2019年7月26日. ニュース. 2019年8月16日閲覧。 株式会社エイガ・ドット・コム 2019年8月4日. 2019年8月16日閲覧。 AU YEUNG YU 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KAI-YOU. net. 2020年1月21日閲覧。 株式会社スタジオジブリ. 2020年1月24日閲覧。 『』『』の、『』のは現在は専業声優だが出演当時はだった。 舘野仁美『エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ』(中央公論新社)p184• 宮崎駿『折り返し点』岩波書店、2008年、247-248頁• guardian. 2010年9月3日閲覧。 『もののけ姫』から『ポニョ』まで5作に出演 、、、、、、など(複数作出演者のみ)、洋画 - 韓国ドラマの吹き替えで活躍している顔ぶれが並ぶ。 宮崎駿は1987年公開『紅い眼鏡』のパンフレットに自分が脚本で押井が監督するはずだったアニメ映画がつぶれてスケジュールが空いたときに二人で知床まで自動車旅行をした話、「押井さんについて」を寄稿している。 脚本は宮崎駿。 宮崎の構想によると舞台は当時の東京、お姫様のような不思議な女の子が何者かに追われて、偶然に出会った男の子がその子を逃がすためにある場所まで送り届けると、また違う人間が別の場所まで送り届けるという恋愛要素を含んだ冒険もの。 「ダカーポ 第496号」• 高畑勲、宮崎駿も東映動画からキャリアをスタートしており後輩にあたる。 これ以前にジブリと合併したで製作:宮崎駿、監督:高畑勲で1987年実写映画『柳川堀割物語』を製作している• 『Quick Japan』、1996年Vol. 編集『庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン』太田出版、1997年に再録。 『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』 p75-82• yomiuri. 2008年10月5日閲覧。 eiga. com 2010年12月16日. 2011年2月12日閲覧。 舘野仁美『エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ』(中央公論新社)p186• 借りぐらしのアリエッテイ劇場用色紙• 「ザ・要注意人物 鈴木敏夫」『』インフォバーン、2006年6月号• 2001年7月31日発行『別冊 COMIC BOX vol. (2017年6月)• にもあったが、閉店した。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (第2日本テレビ、現在は閉鎖。 ジブリ公式サイトにリダイレクトされる)• このサイトを利用する場合、別途の会員登録が必要となる。
次の「 ジブリ」は映像制作会社について説明しているこの項目へされています。 その他の用法については「」をご覧ください。 株式会社スタジオジブリ STUDIO GHIBLI INC. 本社所在地 〒184-0002 一丁目4番25号 : 設立 4月 事業内容 アニメーション映画、、テレビ映画、等の企画・制作 代表者 代表取締役会長 代表取締役社長 代表取締役プロデューサー 資本金 1000万円(2020年3月31日現在) 純利益 6億8000万円(2020年3月期) 総資産 223億3800万円 (2020年3月31日現在) 従業員数 150人 決算期 関係する人物 の節を参照 外部リンク 特記事項:2005年4月に組織形態をから株式会社へ変更。 同一商号の前身法人は1985年6月15日創業、1997年6月にが吸収合併し解散。 株式会社スタジオジブリ(: STUDIO GHIBLI INC. )は、の。 準会員。 以下、「 ジブリ」と略記する場合あり(由来などについてはも参照)。 概要 [ ] 長編の制作を主力事業としているが、中期以降、短編作品の制作および実写作品の企画、日本国外のの公開や発売、『熱風』という小冊子の発行を行う出版事業や音楽事業、加えてへの展示物定期制作など、関連事業は多岐にわたる。 また他社テレビ作品の動画も請け負っている。 、『』を制作したをの出資によって発展的に解散・改組する形で設立、同社社長(当時)が初代代表取締役社長に就任した。 ただし実質的な経営財務責任者は旧トップクラフトを設立したであった(原は初代常務に就任)。 当時はジブリ関連書籍の大半が徳間書店から刊行され、同社の他メディア展開推進の中核的存在でもあった。 設立時からしばらくの期間は作品ごとにスタッフを集め、完成と共に解散する方式を採っており、他社同様アニメーターは業務委託契約による歩合制だった。 後に人材育成のためにアニメーターを正社員化・固定給制にするなど、高品質で安定した作品作りの拠点とした。 に(WDC)並びに日本法人の(WDCJ)の間で国内での(「」)発売および海外でのジブリ作品配給に関わる事業提携を締結したことに伴い、『もののけ姫』よりWDC(「ディズニー」表記)が長編アニメーション作品に出資・参画するようになった。 また、海外では基本的に(作品毎に地域が異なる)かWDC子会社のが配給し、がビデオ発売を担当する。 2008年にはWDCJ社長のがジブリ創業メンバーの指名により代表取締役社長に就任している(2017年11月に中島清文を後任として会長に就任)。 の思い込みから「ジブリ」となったが、「」の方が原語に近い発音である(イタリアの社の乗用車は日本でも1970年代から「ギブリ」と呼ばれている。 スタジオジブリのマークは、スタジオジブリの作品『』に登場するキャラクター、がデザインされている。 スタジオジブリの第2レーベルで実写作品部門の「スタジオカジノ」は、スタジオの所在地梶野町から命名された。 2005年の徳間書店傘下からの独立に際して、「ジブリ」の名称を徳間書店から買い取らなければならなくなった。 宮崎駿が買い取りに消極的な姿勢を示して鈴木敏夫もそれに同意し、新しい名称として宮崎が「」(これもサハラ砂漠に吹く風に由来)という案を出したが、社内の評判がよくなく、結局ジブリの名称を継続することとなった。 沿革 [ ] 2009年から2010年まで「西ジブリ」が開設されていた、• 1985年6月15日 - 株式会社スタジオジブリ(初代)設立。 最初の場所は近くの第2井野ビル。 - 宮崎駿の新スタジオ建設案で経営方針の対立が勃発。 原徹が常務を辞任し退社。 後任に鈴木敏夫が就任。 - 梶野町(近く)の新社屋に移転。 6月 - 経営悪化した徳間書店の収益確保の一環で徳間書店に吸収合併。 株式会社スタジオジブリを解散。 徳間書店の「 株式会社徳間書店 スタジオジブリ・カンパニー」となる。 同年『』完成後、宮崎駿が退社。 - 徳間書店がを導入。 「 株式会社徳間書店 スタジオジブリ事業本部」となる。 同年に宮崎駿がスタジオジブリ所長として復帰。 - 株式会社徳間書店 スタジオジブリ事業本部を有限会社スタジオジブリに分割。 4月 - 徳間書店からの分離・独立により 、組織形態をからへ変更。 株式会社スタジオジブリ(2代)がスタジオジブリ事業本部の業務すべてを継承。 鈴木敏夫が代表取締役社長に、宮崎駿とスティーブン・アルパートがそれぞれ取締役に就任。 2月 - 鈴木敏夫が代表取締役社長を退任し、後任に(元会長)が就任。 4月 - 本社内に新スタジオとして「西ジブリ」を開設。 8月 - 西ジブリを閉鎖。 8月 - 制作部門の休止が発表。 社内では年内をもって制作部門の社員全員の退職が発表される。 10月 - 第20回で「アジア映画人賞」が授与される。 5月19日 - 宮崎の新作長編アニメーション映画の本格的な始動に伴う、制作部門の活動再開、及び新人スタッフの募集開始を発表。 11月28日 - 代表取締役社長に中島清文(旧ジブリの森美術館 館長)が就任。 先代社長・星野は代表取締役会長に就任。 また、現在、宮崎駿の新作長編アニメ映画『』と、のCG長編アニメ映画を2本同時で制作していることを発表。 鈴木敏夫は、『君たちはどう生きるか』は同名小説とは異なり、ファンタジー作品となることを明かしている。 レーベル [ ] 映画 [ ] スタジオジブリ 1985年の株式会社スタジオジブリの設立とともに発足したレーベル。 自社で制作した長編アニメーションを手がけており、同社を代表するレーベルの一つである。 『』(・・)、『』(宮崎駿原作・脚本・監督)、『』(脚本・監督)など。 スタジオカジノ 株式会社スタジオジブリの第二レーベルとして設立された。 設立当初はスタジオジブリが従来手がけてこなかった実写分野を中心に活動していたが、のちにアニメーション分野にも進出している。 『』(監督)、『』(監督)、『』(監督)、『』(百瀬ヨシユキ監督)、『』(百瀬ヨシユキ監督)など。 スタジオギブリ スタジオギブリ ジブリ の作品『』及び『』に登場する架空のアニメ制作会社で、スタジオギブリのマークはスタジオジブリのマークとほぼ同様のデザインだが、同作に登場するキャラクター「野中くん」が描かれている。 また、同作のエンドロールでは「製作 スタジオギブリ」と表記されている。 『』(監督)など。 三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー 2007年に株式会社スタジオジブリとにより設立されたレーベル。 徳間記念アニメーション文化財団傘下のにより運営されており、他社が制作した映画の公開、および、DVDの販売を行っている。 主に日本国外のアニメーションを担当しており、高畑勲や宮崎駿の推薦などに基づき、三鷹の森ジブリ美術館が作品を選定している。 『』(脚本・監督)、『』(原作・脚本・監督)、『』(監督)など。 ビデオ [ ] ジブリがいっぱいCOLLECTION [ ] 1996年に(WDC)並びに日本法人の(WDCJ)の間で国内でのスタジオジブリ制作作品の発売および海外でのジブリ作品配給に関わる事業提携を締結した。 これに伴い、「 ジブリがいっぱいCOLLECTION」(ジブリがいっぱいコレクション)のシリーズが創設され、1997年6月27日の「となりのトトロ」よりVHSビデオソフトの販売をのビデオソフト門の「ブエナビスタ・ホームエンタテインメント ジャパン」が行うようになった。 また、2001年からは版、2009年からはビデオ版のパッケージ展開も開始している。 発売時のテレビCMなどの宣伝についてもWDCJが行う。 なお、販売・レンタル店向け営業はWDCと提携関係にあるが行っている。 これ以前に発売された『』までのVHSソフトは「TOKUMA VIDEO」のレーベルでが発売元、販売元はが担っていた。 徳間によって発売されたジブリの旧作品についても「ジブリがいっぱいCOLLECTION」シリーズとしてVHSおよびDVDビデオで順次発売されている。 DVDビデオ・Blu-ray Discビデオについては、本編以外に絵コンテ集などの特典映像が収録されたディスクを含んだで発売されるタイトルがある(仕様は本編ディスクのみ)。 なお、ソフトにおいては徳間との関係が継続されたため、1998年発売の「もののけ姫」については徳間からの発売・販売となった。 「ジブリ」の名を冠したレーベルではあるが、『』や『』等のジブリ以外の宮崎・高畑作品もラインナップに組み込まれている。 ジブリライブラリー [ ] ジブリ学術ライブラリー 過去に放送されたドキュメンタリー番組や過去に公開されたノンフィクション映画のビデオを販売するレーベル。 他社が制作した作品が中心である。 『』(制作)、『』(高畑勲監督)、『堀田善衞 時代と人間』(日本放送協会制作)など。 ジブリCINEMAライブラリー 他社が制作した映画のビデオを販売するレーベル。 「三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー」に移管された作品もある。 『』(監督)、『』(ミッシェル・オスロ原作・脚本・監督)など。 音楽 [ ] スタジオジブリレコーズ と提携して設立したレーベル。 主にスタジオジブリ作品のサウンドトラックと主題歌を含んだCDをリリース。 以前は「アニメージュレコード」レーベルで事業を行っていた。 2006年の「ゲド戦記」より主題歌制作とシングルCD発売については(販売元:)に移管された(2013年の「」主題歌の「」は)。 出版 [ ] 文春ジブリ文庫 、2013年4月創刊で毎月刊。 宮崎駿・高畑勲自身の著作の再刊や、新装版(過去に徳間書店のシネマ・コミックや同〈文庫〉などで出版された書目)に加え、作品論「ジブリの教科書」などオリジナル出版も行っている。 服飾 [ ] 仕立屋スタジオジブリ プライムゲート社がスタジオジブリとGHIBLIブランドの洋服および服飾小物の企画・製造・販売のライセンス契約を締結し、秋冬から販売開始したメンズ・ブランド。 イメージモデルは、『』の主人公、ポルコ・ロッソ。 本物志向の40歳代以上の男性がターゲットである。 作品一覧 [ ] 劇場アニメーション長編 [ ] 公開日 タイトル 共同製作 (配給) 原作 脚本 監督 絵コンテ 作画監督 時間 備考 1 1984年3月11日 () 116分 2 1986年8月2日 徳間書店 (東映) 124分 同時上映 『』 『』 3 1988年4月16日 徳間書店 () 86分 2本立て 4 (東宝) 作: 保田夏代 88分 5 1989年7月29日 徳間書店 (東映) 作: 画: 宮崎駿 宮崎駿 近藤喜文 近藤喜文 102分 6 1991年7月20日 徳間書店 日テレ 博報堂 (東宝) 作: 画: 高畑勲 高畑勲 百瀬義行 近藤勝也 近藤喜文 佐藤好春 119分 7 1992年7月18日 徳間書店 日テレ (東宝) 宮崎駿 93分 8 1994年7月16日 徳間書店 日テレ 博報堂 (東宝) 高畑勲 高畑勲 百瀬義行 大塚伸治 賀川愛 河口俊夫 箕輪博子 119分 9 1995年7月15日 宮崎駿 近藤喜文 宮崎駿 近藤喜文 111分 同時上映 『』 10 1997年7月12日 徳間書店 日テレ (東宝) 宮崎駿 高坂希太郎 近藤喜文 133分 11 1999年7月17日 徳間書店 日テレ 博報堂 () 高畑勲 百瀬義行 104分 12 2001年7月20日 徳間書店 ディズニー 日テレ 電通 (東宝) 宮崎駿 安藤雅司 高坂希太郎 賀川愛 125分 13 2002年7月20日 徳間書店 ディズニー 日テレ 博報堂 三菱商事 (東宝) 柊あおい 井上鋭 山森英司 田村篤 75分 同時上映 『』 14 2004年11月20日 徳間書店 ディズニー 日テレ 電通 三菱商事 (東宝) 宮崎駿 稲村武志 高坂希太郎 山下明彦 119分 15 2006年7月29日 日テレ 電通 ディズニー ディーライツ (東宝) 作: 案:宮崎駿 宮崎吾朗 宮崎吾朗 山下明彦 稲村武志 山形厚史 115分 16 2008年7月19日 宮崎駿 近藤勝也 高坂希太郎 賀川愛 稲村武志 山下明彦 101分 17 2010年7月17日 ディズニー 日テレ 電通 博報堂DYMP 三菱商事 ワイルドバンチ (東宝) 宮崎駿 丹羽圭子 米林宏昌 賀川愛 山下明彦 中村勝利 小野田和由 横田匡史 廣田俊輔 山形厚史 94分 18 2011年7月16日 ディズニー 日テレ 電通 博報堂DYMP 三菱商事 (東宝) 作: 画: 宮崎吾朗 稲村武志 高坂希太郎 山下明彦 山形厚史 廣田俊輔 91分 19 2013年7月20日 ディズニー 日テレ 電通 博報堂DYMP 三菱商事 (東宝) 宮崎駿 高坂希太郎 126分 20 2013年11月23日 作:「」 案:高畑勲 高畑勲 高畑勲 高畑勲 田辺修 百瀬義行 佐藤雅子 小西賢一 137分 21 2014年7月19日 丹羽圭子 安藤雅司 米林宏昌 米林宏昌 安藤雅司 103分 22 2016年9月17日 ワイルドバンチ ホワイノット・プロダクションズ アルテフランス・シネマ CN4プロダクションズ 日テレ 電通 博報堂DYMP ディズニー 三菱商事 (東宝) マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット 81分 23 未定 2023年頃予定 宮崎駿 テレビアニメ [ ] 放映日 タイトル 原作 脚本 監督 絵コンテ 作画監督 時間 放映局 備考 1993年5月5日 丹羽圭子 近藤勝也 73分 日本テレビ系列 1993年12月25日からにて上映 2000年4月8日 百瀬義行 不明 15分 2020年冬 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 不明 宮崎吾朗 不明 不明 不明 アニメーション短編 [ ] タイトル 監督 公開年 備考 同時上映『』 2002年 百瀬義行 同時上映『』 同時上映『』 同時上映『』 宮崎駿 百瀬ヨシユキ 同時上映『』 宮崎駿 (不在) 2011年 宮崎駿 2018年 劇場実写長編 [ ] タイトル 監督 公開日 時間 配給 2000年12月7日 120分 2001年3月17日 130分 実写短編 [ ] タイトル 監督 公開年 時間 備考 9分 10分 同時上映『』 テレビCM [ ]• 開局40年記念スポット(1992年。 『ジブリがいっぱいSPECIAL ショートショート』に収録)• 「旨茶」(2001年)• (2003年)• 「おうちで食べよう。 」シリーズ(2004年。 『ジブリがいっぱいSPECIAL ショートショート』に収録)• 企業CM• 企業CM(2010年 - )• 新電力「 出会い篇/つれあい篇/そして旅はつづく篇」(2016年)• 「となりのおにぎり君」(2016年) その他 [ ]• 『』オープニング映像(1997年4月4日 - 2009年3月20日、『ジブリがいっぱいSPECIAL ショートショート』に収録)• 『』オープニング映像(2003年)• 『』のTシャツのデザイン(2006年、2010年)• 『展 スタジオジブリが描く乱世。 』(2008年。 堀田の作品をモチーフとしたアニメ作品『と』『路上の人』を「もし作るとしたら」という仮定のもとの設定画を、宮崎吾朗、武重洋二、田中直哉等が描いた)• キュッキュの大冒険(2011年、ニコニコ動画5周年記念新サービス発表会の生放送内で放送された) 制作協力 [ ] スタジオジブリも一アニメ制作会社であり、常に映画を制作しているわけではない。 そのため、様々なアニメの下請けとしてクレジットされることもある。 テレビシリーズ [ ]• (制作元請:、仕上協力、1995年-1996年)• (制作元請:・、各話協力、1995年-1996年)• (制作元請:葦プロダクション(現:)、各話制作協力、1996年-1997年)• (制作元請:、制作協力、2014年-2015年) 劇場アニメ [ ]• (制作元請:、原画協力、1995年)• (制作元請:、制作協力、1995年)• (制作元請:東映アニメーション、制作協力、1996年)• (制作元請:、特殊効果協力、2000年)• (制作元請:、制作協力、2004年) 劇場実写長編 [ ]• (製作:、協力、2013年)• (制作:、協力、2016年) ゲーム [ ]• (製作:、アニメーション制作元受:Production I. (製作:、アニメーション作画、2010年12月9日発売)• (製作:、アニメーション作画、2011年11月17日発売) ラジオ番組 [ ]• (系列・系全国38局ネット) 他社作品のビデオ化など [ ]• (監督、VHS 2003年)• (ミッシェル・オスロ監督、公開2003年、DVD発売2007年)• 時代と人間(NHK他、DVD 2004年)• 漫画映画論(、書籍 2005年)• 日本 その心とかたち 7巻(、NHK制作番組、DVD 2005年)• 日本その心とかたち(加藤周一、書籍 2005年)• 映画のどこをどう読むか(、書籍 2006年)• (監督、2005年公開、DVD発売2007年)• (監督、2006年公開、DVD発売2007年)• 春のめざめ(監督、公開およびDVD発売 2007年)• キリクと魔女2 4つのちっちゃな大冒険(ミッシェル・オスロ監督、DVD 2007年)• アズールとアスマール(ミッシェル・オスロ監督、公開およびDVD発売 2007年)• アズールとアスマール(ミッシェル・オスロ、書籍 2007年)• 〈新訳版〉(レフ・アタマーノフ監督、2007年公開、DVD発売2008年)• (宮崎駿脚本、高畑勲監督、公開およびDVD発売2008年)• 全4話完全<デジタルリマスター>版(監督、公開およびDVD発売 2008年)• (ジョン・ハラス、ジョイ・バッチェラー監督、公開2008年)• ドキュメント「」とその時代(公開2009年)• 『』(シルヴァン・ショメ監督、2010年公開、DVD発売2011年) 日本国内 歴代ジブリ作品収入ランキング [ ] によるデータ。 順位 作品 配給会社 公開年度 配給収入 興行収入 観客動員 1 3040304億円 23502350万人 2 東宝 1960196億円 15001500万人 3 東宝 1130113億円 1930193億円 14201420万人 4 東宝 1550155億円 12001200万人 5 東宝 0925120. 2億円 0750810万人 6 東宝 092592. 5億円 0750750万人 7 東宝 076576. 5億円 0588588万人 8 / 東宝 064664. 6億円 0550550万人 9 東宝 028028億円 047647. 6億円 0304304万人 10 東宝 026526. 5億円 044744. 7億円 0325325万人 11 東宝 044644. 6億円 0355355万人 12 東宝 035335. 3億円 13 東宝 024724. 7億円 14 021521. 5億円 0264264万人 15 東宝 018718. 7億円 0216216万人 16 / 東宝 018518. 5億円 0208208万人 17 00797. 9億円 0115115万人 18 / 東宝 00595. 9億円 008080万人 19 東映 00585. 8億円 007777万人 20 東宝 94009400万円• …17. 評価 [ ] 日本国内での評価 [ ] コンサルティングが2001年から毎年実施している「ブランド・ジャパン」のコンシューマー市場調査結果によると、スタジオジブリは2002年から2006年まで「消費者から最も評価されているブランド」の上位5位以内に毎年ランクされていた。 「共感するブランド」部門では、2002年から5年連続で第1位に選ばれている。 2002年 第3位• 2003年 第4位• 2004年 第5位• 2005年 第2位• 2006年 第1位• 2007年 第12位• 2008年 第2位• 2009年 第4位• 2010年 第3位• 2011年 第8位• 2012年 第12位• 2013年 第5位• 2014年 第3位• 2015年 第4位• 2016年 第12位• 2017年 第1位• 2018年 第2位• 2019年 第15位• 2020年 第11位 が、2007年6-7月期に実施したブランドに関する世界最大の消費者調査「ブランド・エナジー」パワーランキングにおいて、スタジオジブリは第2位に選ばれた。 日本国外での作品公開と評価 [ ] の金熊賞、アニメーション部門(『千と千尋の神隠し』)やの金のオゼッラ賞(スタジオジブリの技術に対する評価)で受賞するなど、国際的にも高い評価を受けているジブリ映画であるが、そこに至る道のりは平坦ではなく、現在もその評価は一様ではない。 ジブリ作品は早くから日本国外の映画祭に何度も出品したが、一般大衆レベルでジブリのアニメ映画が早くから受容されていたのはである。 1987年6月に『天空の城ラピュタ』が『天空之城』の題で公開され、興行収入はその年の香港における外国語映画2位となる1300万香港ドルのヒットとなった。 1988年2月には『風の谷のナウシカ』が『風之谷』の題で興行収入1070万香港ドル、1988年7月に『となりのトトロ』が『龍猫』として1100万香港ドルの興行収入を挙げた。 いずれも1997年時点で香港における日本映画の上位に食い込む好成績だった。 以後も『魔女宅急便』が1990年に公開されるなど、スタジオジブリ作品は香港で上映されていった。 その後、ジブリ映画は(MoMA)などで回顧展が開かれたり 、『千と千尋の神隠し』が映画批評を集計するサイト、 )でほぼパーフェクトに近い点を記録したり、アカデミー賞(アニメーション部門)を受賞したり、国際的なフランス人漫画家が自分の娘に「ナウシカ」と命名したり と高い評価を受ける一方、『』の原作者で小説家でもあるアーシュラ・K・ル・グウィンは、本作の原作改変部分やディティールの弱い絵などに強い違和感を示した。 フランスでも宮崎アニメの正式な紹介は遅れ、1993年のアヌシー国際アニメーション映画祭では『紅の豚』が長編部門の作品賞を受けるものの、1995年の劇場公開では興行的に惨敗した。 アメリカにも『風の谷のナウシカ』が輸出されているが、配給権を得たのは低予算C級映画で知られる配下の会社であった。 116分の本編は95分にカット、ストーリーも大幅に改竄されて『風の戦士たち Warriors of the Wind 』と題して、アメリカ国内で短い期間劇場公開された後にビデオで販売され、更にはヨーロッパ各国にも転売された(『風の谷のナウシカ』の「」も参照のこと)。 この『風の戦士たち』は宮崎アニメファンたちの間では悪評が高い。 このアメリカ向け短縮版は宮崎駿に無断で作成されたものだったが、この一件で宮崎駿とスタジオジブリは自社作品の輸出に当たってはノーカット公開を要求するようになった。 その後のアメリカでは、1989年に『天空の城ラピュタ』が小規模な劇場公開があったが 、欧米では本格的な劇場公開は行われず、正規ルートでのビデオ発売も遅れたため、不法コピーの海賊版が出回っていた。 アメリカでの興行収入は、スタジオジブリ作品では『』が1920万2743ドルで1位 、が1509万399ドルで2位 、『』が1005万5859ドルで3位 となっている。 これは公開館数の違い(『アリエッティ』1522スクリーン、『ポニョ』927スクリーン、『千尋』714スクリーン)もあるが、『借りぐらしのアリエッティ』のやは旧来のジブリ作品に比べて色が強くなっている。 『ポニョ』公開からやが、英語吹替版のを務めるようになった。 後述のGKIDSとジブリの新たな結びつきが生まれる中、『風立ちぬ』はそれまで公開された宮崎作品や『アリエッティ』と同様、がの配給権を取得している。 2018年12月14日より『となりのトトロ』が、北京や上海など中国の50都市で劇場公開。 中国本土で6000館に及ぶ、ジブリ作品初の大規模な上映となった。 翌2019年には、およそ9000館で『千と千尋の神隠し』が初公開された。 GKIDSとの関係 [ ] アメリカで独立系の配給会社(ジー・キッズ)とジブリの関わりは、2011年に ()で開催された特集上映に始まり 、2012年から『コクリコ坂から』の劇場公開と、翌年にはビデオ販売が行われた(興行収入は100万ドル)。 北米でGKIDSは過去のジブリ作品全ての配給権を保有して 、上映を実施。 2016年から翌年にかけて『もののけ姫』や 、2日間に400館以上で『千と千尋の神隠し』のリバイバル公開が行われ 、それまで一般の劇場では上映されていなかった『おもひでぽろぽろ』や『海がきこえる』が初公開された。 『魔女の宅急便』は2日間におよそ600館で 、『天空の城ラピュタ』は3日間の上映期間中に648館で公開されるなど 、吹替と字幕版の両方が上映されている。 2017年よりGKIDSは北米で、それまでディズニーによってビデオが販売されていた作品の再発売を開始した。 アメリカ国外ではフランスなどで、ディズニーが引き続きジブリ作品の流通を担っている。 動画配信 [ ] 2019年までスタジオジブリはインターネットでの配信に消極的だったが、の爆発的な普及を受けて、配信サービス会社と組むことで今までDVD購入または海賊版での鑑賞手段しかなかった海外におけるジブリ作品の認知度向上にもつながると判断した。 2019年10月17日、はアメリカにおいて、のとジブリ作品の配信における独占契約 を締結したと発表した。 サービスが開始される2020年5月から21作品が配信される。 GKIDSは2019年12月17日から北米で、HBO Maxと同じ21タイトルのダウンロード販売を開始した。 販売されるプラットフォームは、、、、、Vudu、FandangoNOW。 2020年1月には、フランスの・インターナショナルより、アメリカと日本を除く世界約191カ国での配信権を獲得。 2月から4月にかけて21作品を順次配信すると発表した。 なお、ジブリ作品のうち、『火垂るの墓』は著作権の権利をと原作者のが保有しており、スタジオジブリは原作の出版権を保有していない事情からインターネット配信の対象外となっている。 声優の配役の特徴 [ ] までは脇に俳優が起用されることもありつつ(など)、主役級には主に声優事務所に所属する専業声優が起用されていたが、以降の作品では、主役や主要人物の声は、等で有名なが多く起用されており 、これらは往々にしてジブリ作品の特徴として語られるが、舘野仁美によれば「俳優さんの仕事の中で声の仕事だけが専門化していったのは、70年代くらいから」であり、高畑や宮崎は「昔ながらのやり方で役に合う俳優さんを選んでいるだけ」であったという。 また宮崎は特に高畑のキャスティングのセンスには全幅の信頼を置いていたという。 しかし名前が売れている俳優を起用すればテレビ番組などで勝手に映画のをしてくれるため宣伝費、費が必然的に浮くからとも鈴木は発言している。 声優の選考に関して、『』の完成報告記者会見で宮崎駿は、自分の中のイメージが出来上がった後、プロデューサーが次々に持ってくる声から選んでいると答えている。 外国メディアからのインタビューの中では「日本の女性声優はで男性の気を引きたがっているかのような声の持ち主しかいないので、(『ハウルの動く城』の荒地の魔女役には)我々は全く必要としていなかった」と述べている。 『「もののけ姫」はこうして生まれた。 』には、ナウシカ役等を演じたが、「職業上の仮面」を引き剥がせずに宮﨑の要求する演技に応えられない様子が収録されている。 『もののけ姫』以後も役名がクレジットされないキャラクターに所属の俳優 が多く起用される傾向にある。 後継者の育成 [ ] 元々、スタジオジブリは、映画『風の谷のナウシカ』の商業的な成功をきっかけに設立されたプロダクションであり、当初は同作制作の中心人物であった宮崎駿・高畑勲が監督する劇場アニメーション長編の制作を中心業務としていた。 そのため社内は常に宮崎と高畑を頂点にして回っている一面があった。 しかし、1990年代の時点で宮崎・高畑両監督ともすでにベテランであり、とりわけ国民的映像作家としての地位を固めていた宮崎の後継者の確保はジブリの経営にとっては大きな長期的課題の1つであり、比較的早い段階から様々な試みがなされていた。 スタッフの正社員登用の開始に併せて、育成を制度化。 らを輩出した。 1995年7月15日、監督作品『耳をすませば』が公開。 近藤はジブリの設立以前から数多くの宮崎・高畑作品を支え、また当時のジブリ作画陣の代表格ともいえる敏腕アニメーター・キャラクターデザイナーとして、同作の成功により宮崎・高畑の最良の後継者と認知されジブリの内外から大きな期待を集める存在になった。 しかし、その近藤は1998年1月に47歳で病死してしまう。 その後のジブリでは、長編作品で宮崎と高畑の後釜を担える力量を認められた監督候補推として近藤に代わるだけの人材が決定的に不足しており、組織内の人材育成も難航を極めていた。 また、それまでも含めて、育成だけではなく、外部からも今までに主に若手・中堅世代で注目したクリエイターを何名か監督候補として招いて制作作業に携わらせているものの、ジブリの社風に馴染めず降板したケースが少なくなかったという。 過去には『ラピュタ』の次作に企画されていた『アンカー』の 、『魔女の宅急便』で、『ハウルの動く城』ではから 出向していたの降板などが伝えられている。 劇場実写映画では『式日』のと『サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS』のを製作しこちらは公開している。 このような状況を指して、は1996年の時点で既に「宮さん(宮崎)におんぶにだっこのジブリの環境では、後継者は育ちませんよ」 と指摘しており、後には当のジブリ経営陣であるはずの鈴木敏夫をして、ジブリは宮崎と高畑の2人のためのスタジオであり、人材が育つわけがないと発言している。 鈴木はジブリの若手・中堅世代のアニメーター育成のためにからベテランアニメーターのを招聘したが、その大塚の主なアドバイスは「宮さんの言うことは、右から聞いたら左へ流しなさい。 自分の好きなように描け」というものであったといい、前述の近藤はその発言を受け入れたことで頭角を現した1人だったという。 近藤没後の、『』の作画監督をしたもまた「ある意味、ジブリを壊していかなくてはいけない」と、ジブリの方法論に従うだけの現状を疎んでおり、実際に製作中ジブリの外からアニメーターを積極的に受け入れるなどしていた。 鈴木は2006年、『』の制作にあたって、当時の館長で、それまでアニメーション制作の仕事は実質未経験であった宮崎の息子のを監督に起用する人事を行った。 これは鈴木が「前提としてジブリの今後を考え、当の鈴木を含め宮崎や高畑勲が高齢であるため」と発表当初のインタビューで述べており、つまりは事実上の「後継者育成」の一策として起用したものであると認めている。 しかしこの吾朗の監督起用については、宮崎と鈴木の意見が真っ向から対立しており、2010年末にも鈴木は質疑応答の中で「(宮崎は)いまだに『ゲド戦記』を吾朗くんに撮らせたことについて、僕のことを許していないんですよ」と明かしている。 2009年頃からは、宮崎の主導による「スタジオジブリ経営5カ年計画」がスタート。 最初の3年間は若手の起用(企画と脚本だけは宮崎が用意)、最後の2年間は超大作の制作に充てるというプランで、この計画の第1弾としてジブリ生え抜きの米林宏昌の『借りぐらしのアリエッティ』が、第2弾として宮崎吾郎の『コクリコ坂から』が制作された。 超大作として『風立ちぬ』が制作され、宮崎駿は長編映画からの引退を発表(ただし後に撤回)。 2014年には『思い出のマーニー』制作終了後に制作部門が解体され 、以降の長編作品は、他のアニメ制作会社と同じようにフリーのアニメーターを作品ごとに集め制作するスタイルに変わり、その最初の作品である『レッドタートル ある島の物語』は、海外のアニメーターであるを監督に抜擢している。 『借りぐらしのアリエッティ』を試写室で観た宮崎駿の第一声は、「ジブリ育ちの演出がはじめて誕生した。 」 とコメントを寄せている。 宮崎駿・高畑勲は出身、他の監督達も他社からの移籍であり純粋なジブリ出身の監督としてはが初となった。 他方で、鈴木は、経営再建中だった徳間書店の傘下から2005年にジブリが独立した際の資本金が1000万円であったのは、それが宮崎、高畑、鈴木の3人で拠出できる金額であったからで、宮崎と高畑の2人が引退したらジブリも終わるのが基本という旨のことも述べている。 2016年にジブリ初の公開師弟対談を行う。 対談は鈴木敏夫と鈴木の下で仕事を学んだで行われた。 歴代社長・経営者 [ ] 期間 社長 経営者 1985年6月 1991年7月 1991年7月 2000年9月 2000年9月 2001年1月 2001年1月 2005年3月 2005年4月 2008年1月 2008年2月 2017年11月 2017年11月 現職• スタジオジブリは1997年に徳間書店に吸収合併された。 徳間書店は社内カンパニー制を導入していたため、スタジオジブリは徳間書店の一カンパニーとなった。 徳間書店は1999年に事業本部制を導入したため、スタジオジブリは徳間書店の一事業本部となった。 徳間書店から分離・独立した2005年からは、再び株式会社となった。 関連人物 [ ] アニメーター・演出家 [ ] 美術・彩色等 [ ]• 撮影 [ ]• 音響・録音等 [ ]• 製作・制作 [ ]• - 2002年(平成14年)から2014年(平成26年)まで在籍。 2015年(平成27年)に「」を設立。 その他 [ ]• ドワンゴに所属しながらジブリにて見習い。 関連展覧会 [ ] ジブリがいっぱい スタジオジブリ原画展 、新宿三越美術館(同年 - )を皮切りに日本全国の三越百貨店で開催された。 『風の谷のナウシカ』から『もののけ姫』までの原画が展示された。 徳間書店ととの業務提携およびジブリ作品の世界進出のニュースが大きな話題となった。 また - には、日本橋高島屋で開催された。 こちらでは『ホーホケキョ となりの山田くん』までの原画の展示となった。 ジブリがいっぱい スタジオジブリ立体造型物展 - 、で開催された。 『ハウルの動く城』までの世界を立体造型物として再現、公開当時の新聞記事と一体化したディスプレイが展示された。 この展覧会では、22万人以上の動員があった。 - 、東京都現代美術館や など計9ヶ所で開催された。 東京展では30万人に迫る入場者数を記録した。 - 、東京都現代美術館やなど計9ヶ所で開催された。 東京都現代美術館では12万5000人以上の動員があった。 『崖の上のポニョ』(頃の会場からは『借りぐらしのアリエッティ』も)までの原画・レイアウト約1300点が展示された。 2011年には愛媛県美術館など3ヶ所で開催。 70万人を動員した。 - 、にて開催された。 新潟が生んだジブリの動画家 近藤喜文展 2014年7月4日 - 8月31日、で開催された。 この男がジブリを支えた。 近藤喜文展 2015年8月4日 - 9月27日、特別展示室で開催。 ジブリの立体建造物展 2014年7月10日 - 12月14日、で開催されている。 建築家が解説している。 スタジオジブリ『思い出のマーニー』監督 米林宏昌原画展 2014年7月18日 - 7月28日、別館2階、西武ギャラリーで開催された。 2014年8月5日 - 8月11日、8階特設会場で開催された。 2015年3月7日 - 5月10日、で開催された。 ジブリの大博覧会 2015年9月12日 - 11月8日、で開催された。 2016年3月5日 - 5月15日、で開催された。 2016年7月7日 - 9月11日、展望台、東京シティビュー内スカイギャラリーで開催された。 2017年4月15日 - 6月25日、で開催された。 2017年7月7日 - 9月3日、で開催された。 イベント [ ] スタジオジブリ総選挙 『レッドタートル ある島の物語』の公開を記念した「スタジオジブリ総選挙」が行われた。 イベントは、2016年8月13日午前0時〜8月28日午後12時59分までの期間内に同作の公式サイト内・特設ページにて投票を募集し、『風の谷のナウシカ』から『思い出のマーニー』までのスタジオジブリ長編劇場アニメーション全21作品の中で最も得票数が多かった一作品を全国5都市5劇場(、、、、)で上映するという内容である。 8月22日の中間発表では上位5作品が『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『魔女の宅急便』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』であることが発表された。 この5作品は全て宮崎駿監督作品である。 そして9月6日には最終結果が発表され、1位に輝いた『千と千尋の神隠し』が9月10日〜9月16日までの1週間限定で全国5劇場で再上映された。 なお2位以下の作品の順位は未発表である。 ロケーション・ハンティング [ ] スタジオジブリでは、制作にあたって多くの作品で ロケハン を行って来た。 ただし、それらはあくまで架空世界のイメージを得るためであり、客観的現実世界をなぞった設定を作るためではない。 実在の風景もまた、原作に向き合う態度と同様に、インスピレーションを得るための素材に過ぎない。 宮崎はロケハン中に写真を撮る習慣がないとも言われている。 あくまで自己の両眼で確認した情報・印象を主観的に記憶する思考パターンであるという。 オープン。 スタジオジブリの世界を展示している。 毎年内容が変わる企画展も好評で、2006年の『展』に続き、2007年には『3びきのこぐま展』を開催している。 - 会場跡地 竣工。 『となりのトトロ』の草壁家を忠実に再現している。 6月、愛・地球博記念公園にて、を建設することが正式に発表された。 店舗 [ ] 日本各地にジブリクッズを販売する専門店は多数ある。 八重洲口地下の内にある「どんぐりガーデン」、にある「めっせ」、にある「むさしや」(スタジオジブリ認定ショップ) 、にある「あみゅの森」、にある「どんぐり共和国」などである。 またでジブリ作品を独占的に放映するのグッズを扱うでもジブリグッズが発売されている。 一方で、やではほとんどジブリグッズが売られていない(アニメイトではグループ企業のが関わるグッズのみ販売)。 株式会社スタジオジブリ. 2018年7月10日閲覧。 1997年(平成9年)4月22日『官報』第2122号26ページ「合併並びに資本減少公告」• 鈴木敏夫『仕事道楽』岩波書店《岩波新書》、2008年、pp. 184 - 185。 鈴木は「『ジブリ』という名前を捨てるのは、もう全然気にならない」と記している。 アニメ! アニメ! 2005年2月11日. 2019年4月29日閲覧。 株式会社スタジオジブリ 2017年10月. 2019年4月29日閲覧。 舘野仁美『エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ』(中央公論新社)p186• 2015-10-01. 2015年10月2日閲覧。 2017-11-28. 2017年11月29日閲覧。 2017-11-28. 2018年3月29日閲覧。 」『』。 スタジオジブリが設立される以前にが制作した作品であるが、スタジオジブリ作品として取り扱われることが多い。 監督は存在しないが宮崎が構成を、稲村武志が演出アニメーターをそれぞれ担当している。 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、p67、p105、p128、p148。 animeland. asahi. asahi. html• 『朝日新聞』1985年10月7日の記事によれば、ロサンゼルス国際アニメーション映画祭の長編部門1位になるなどオリジナル版の評価はされていた• 叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006年、p105• BBC News(2020年1月21日作成). 2020年1月24日閲覧。 Box Office Mojo. 2013年6月27日閲覧。 Box Office Mojo. 2013年6月27日閲覧。 Box Office Mojo. 2013年6月27日閲覧。 Disney. 2013年6月27日閲覧。 ORICON NEWS. 2012年2月21日. 2018年8月29日閲覧。 株式会社シネマトゥデイ 2012年6月6日. 2018年11月28日閲覧。 株式会社エイガ・ドット・コム 2014年7月16日. 2018年8月29日閲覧。 株式会社シネマトゥデイ 2013年9月2日. 2018年8月29日閲覧。 com. 株式会社エイガ・ドット・コム 2013年8月28日. 2018年8月29日閲覧。 2018年12月10日. 2018年12月11日閲覧。 株式会社. 2018年12月10日. 2018年12月18日閲覧。 上海=宮嶋加菜子 2018年12月10日. 2018年12月18日閲覧。 2018年12月14日. 2018年12月18日閲覧。 株式会社時事通信社. 2018年12月15日. 2018年12月18日閲覧。 ミン・イヒョウ 謙 2018年11月29日. 2018年12月18日閲覧。 BB News. 2019年7月8日. 2019年8月16日閲覧。 角山奈保子 2019年7月26日. ニュース. 2019年8月16日閲覧。 株式会社エイガ・ドット・コム 2019年8月4日. 2019年8月16日閲覧。 AU YEUNG YU 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KAI-YOU. net. 2020年1月21日閲覧。 株式会社スタジオジブリ. 2020年1月24日閲覧。 『』『』の、『』のは現在は専業声優だが出演当時はだった。 舘野仁美『エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ』(中央公論新社)p184• 宮崎駿『折り返し点』岩波書店、2008年、247-248頁• guardian. 2010年9月3日閲覧。 『もののけ姫』から『ポニョ』まで5作に出演 、、、、、、など(複数作出演者のみ)、洋画 - 韓国ドラマの吹き替えで活躍している顔ぶれが並ぶ。 宮崎駿は1987年公開『紅い眼鏡』のパンフレットに自分が脚本で押井が監督するはずだったアニメ映画がつぶれてスケジュールが空いたときに二人で知床まで自動車旅行をした話、「押井さんについて」を寄稿している。 脚本は宮崎駿。 宮崎の構想によると舞台は当時の東京、お姫様のような不思議な女の子が何者かに追われて、偶然に出会った男の子がその子を逃がすためにある場所まで送り届けると、また違う人間が別の場所まで送り届けるという恋愛要素を含んだ冒険もの。 「ダカーポ 第496号」• 高畑勲、宮崎駿も東映動画からキャリアをスタートしており後輩にあたる。 これ以前にジブリと合併したで製作:宮崎駿、監督:高畑勲で1987年実写映画『柳川堀割物語』を製作している• 『Quick Japan』、1996年Vol. 編集『庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン』太田出版、1997年に再録。 『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』 p75-82• yomiuri. 2008年10月5日閲覧。 eiga. com 2010年12月16日. 2011年2月12日閲覧。 舘野仁美『エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ』(中央公論新社)p186• 借りぐらしのアリエッテイ劇場用色紙• 「ザ・要注意人物 鈴木敏夫」『』インフォバーン、2006年6月号• 2001年7月31日発行『別冊 COMIC BOX vol. (2017年6月)• にもあったが、閉店した。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (第2日本テレビ、現在は閉鎖。 ジブリ公式サイトにリダイレクトされる)• このサイトを利用する場合、別途の会員登録が必要となる。
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