万太郎の脳裏に焼き付いたのは、『三人吉三』のお嬢吉三であり『妲妃のお百』『蟒お由』の毒婦だった。 『三人吉三』をのぞいては今日見る機会の少ない演目なので、説明を加えておく。 『三人吉三』は、安政七年に書かれた河竹黙阿弥の代表的な狂言で、今日でもときおり上演される。 明治三十二年一月(万太郎九歳)と明治三十八年十二月(万太郎十六歳)、宮戸座で源之助はお嬢吉三を演じている。 本外題は『三人吉三廓初買(巴白浪)』。 序幕として演じられる庚申塚の場「月も朧に白魚の かがりもさすむ春の空……」ではじまる七五調の名ぜいふは、何度聞いても人をとろかせる。 万太郎は、大正四年二月に「三田文学」に発表した解説の中で、このせりふとともに、「駕にゆられてとろとろと一杯機嫌の初夢に……」などをあげて、「……春の夜の幽婉な叙情詩である。 」としている。 江戸本町の木屋文蔵の手代十三郎は、向柳原で夜鷹のおせいと逢い、店の金百両を落とす。 おとせは、大川端で、「八百屋お七」まがいに美しく女に装ったお嬢吉三に襲われ、金を奪われる。 見とがめたお坊吉三と争いになるが、和尚吉三が仲裁に入り、三人は義兄弟の盃をかわす。 女の姿をした若い盗賊、お嬢吉三の倒錯した色気が見物の芝居である。 現在の演出では、あからさまにされないが、女装したお嬢吉三とお坊吉三は、ホモセクシュアルの関係にある。 多賀之丞は芸談のなかで、「寺で『会いたかったな』とかじりついて、なにするところあるでしょう。 あれが田圃(くにがまえ、トル)の、クルッとケツまくって長襦袢一枚で『会いたかったな』とふたりでかじるついて坐るところ、これで客がウェーッっていったからね。 」と語っている。 この型ひとつとってみても、源之助は取り澄ました上品さとは無縁だった。 強烈な悪の魅力が発散される舞台だったろう。 次に、『妲妃のお百』(善悪両面児手柏 ぜんあくりょうめんてのこがしわ)がある。 三代目澤村田之助のために、河竹黙阿弥が書いた狂言である。 慶應二年五月、市村座で田之助が演じるはずであったが、病のため痛みがひどく、五代目菊五郎(当時家橘)がかわった。 源之助は、明治三十三年(万太郎十歳)一月、大正二年五月(万太郎万太郎二十四歳)に、宮戸座でお百を勤めている。 おおまかな筋はこうである。 廻船問屋で人に知られた徳兵衛は、召使いのお百と情を通じ、罪もない妊娠中の女房小高を、間男をしたと難じて土蔵に押し込め、ふたりで折檻して殺す。 しかし、お百は、徳兵衛の留守中に悪人重兵衛と通じてしまった。
次の万太郎の脳裏に焼き付いたのは、『三人吉三』のお嬢吉三であり『妲妃のお百』『蟒お由』の毒婦だった。 『三人吉三』をのぞいては今日見る機会の少ない演目なので、説明を加えておく。 『三人吉三』は、安政七年に書かれた河竹黙阿弥の代表的な狂言で、今日でもときおり上演される。 明治三十二年一月(万太郎九歳)と明治三十八年十二月(万太郎十六歳)、宮戸座で源之助はお嬢吉三を演じている。 本外題は『三人吉三廓初買(巴白浪)』。 序幕として演じられる庚申塚の場「月も朧に白魚の かがりもさすむ春の空……」ではじまる七五調の名ぜいふは、何度聞いても人をとろかせる。 万太郎は、大正四年二月に「三田文学」に発表した解説の中で、このせりふとともに、「駕にゆられてとろとろと一杯機嫌の初夢に……」などをあげて、「……春の夜の幽婉な叙情詩である。 」としている。 江戸本町の木屋文蔵の手代十三郎は、向柳原で夜鷹のおせいと逢い、店の金百両を落とす。 おとせは、大川端で、「八百屋お七」まがいに美しく女に装ったお嬢吉三に襲われ、金を奪われる。 見とがめたお坊吉三と争いになるが、和尚吉三が仲裁に入り、三人は義兄弟の盃をかわす。 女の姿をした若い盗賊、お嬢吉三の倒錯した色気が見物の芝居である。 現在の演出では、あからさまにされないが、女装したお嬢吉三とお坊吉三は、ホモセクシュアルの関係にある。 多賀之丞は芸談のなかで、「寺で『会いたかったな』とかじりついて、なにするところあるでしょう。 あれが田圃(くにがまえ、トル)の、クルッとケツまくって長襦袢一枚で『会いたかったな』とふたりでかじるついて坐るところ、これで客がウェーッっていったからね。 」と語っている。 この型ひとつとってみても、源之助は取り澄ました上品さとは無縁だった。 強烈な悪の魅力が発散される舞台だったろう。 次に、『妲妃のお百』(善悪両面児手柏 ぜんあくりょうめんてのこがしわ)がある。 三代目澤村田之助のために、河竹黙阿弥が書いた狂言である。 慶應二年五月、市村座で田之助が演じるはずであったが、病のため痛みがひどく、五代目菊五郎(当時家橘)がかわった。 源之助は、明治三十三年(万太郎十歳)一月、大正二年五月(万太郎万太郎二十四歳)に、宮戸座でお百を勤めている。 おおまかな筋はこうである。 廻船問屋で人に知られた徳兵衛は、召使いのお百と情を通じ、罪もない妊娠中の女房小高を、間男をしたと難じて土蔵に押し込め、ふたりで折檻して殺す。 しかし、お百は、徳兵衛の留守中に悪人重兵衛と通じてしまった。
次の「一杯」は、通常飲み物やご飯等を器に適量入れたものを、一杯 二杯 三杯と数える時に使われる。 それから、「一杯」がいろいろな意味に使われ始める。 「どうです、一杯やりませんか?」というのは、酒場で酒を飲みませんか?という誘いの意味である。 「一杯飲屋」酒や焼酎やビール等のアルコール飲料を提供するあまり高級ではない店を意味する。 「一杯機嫌」は酒を飲んでいい気分になることで、一杯に限らないが酒の量は多くはない。 一定の容器の他に、広場や道路や公園やホールに人が多く集まった状態にも使われる。 「広場いっぱいの人」「道路は人や車でいっぱいである」これらの「いっぱい」は、「多くの」という意味になる。 「精一杯頑張ったけれど・・・・」「扉をいっぱい開く」「腹いっぱい」も限度まで、たくさん、という意味である。 「わがままいっぱい」は、思う存分。 したいだけ。 「太陽がいっぱい」も、一つの事柄の多さを強調している。 「一杯一杯」は、「いっぱい」を強調してもうこれ以上は無理で、ぎりぎりの限度に達しているさま。 「わが家の家計は、一杯一杯である」 「今週いっぱい」は、時間や期間の限度を表す。 この他、意味の範囲が広がって、「一杯食う」は、だまされる。 「一杯食わす」は、だますという意味である。
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