ちなみに、「しかかたん」と読む。 生ビールが好きなサラリーマンは、「生ビールしか勝たん!」と言えば若者から一目置かれる事間違いなし。 だがここで一つ疑問が生じた。 なぜ、「佐藤景瑚が好き」ではいけないのか。 語呂も見栄えも言い回しも、上手いとは思えないが なぜ流行っているのか? 「しか勝たん」が流行っている理由 ちなみに、最も多い使用例は 「推ししか勝たん」らしい。 2016年くらいに、誰が言い出したかははっきりと判明していないが アイドル好き界隈の一部で使われ出したのが発祥と言われている。 「推し」とは、「好きな人」である。 グループアイドルの個メンバーを強調する為に使用されるケースが多い。 そして、自分がどれほど「推し」を好きか。 推しに対しての愛情がいかに大きいか。 それを理解してもらいたいと思うのがオタクの性だそうだ。 裏を返せば、それを示す事は 「私がこんなに愛する程、推しの魅力は凄い」アピールにもなる。 ゆえに、「佐藤景瑚が好き」では足りない。 「佐藤景瑚が大好き」や「佐藤景瑚を愛してる」なんて陳腐な表現では表せない。 そんな理由で、好きの度合いを表現する大喜利大会が頻繁に開かれる。 しか勝たんの使用例 そんなオタクたちの熱意も虚しく シンプルに 「好き」の意味合いで、とりあえず使われる事が多くなった模様。 酒と可愛いと音楽しか勝たん。 流行している言葉の宿命。 「気持ち悪い」と思う層もいるみたいだが 嫌いな物や人の悪口なんかを呟くより遥かに健全である。 そんな使い勝手の良さから「しか勝たん」は広く普及した。
次の語源… 一番スタンダードな言い方は推しメンを称賛する「推ししか勝たん」というフレーズで、もともと女性アイドルを好む若者の間で使われていたのがはじまり。 今では用途が拡大し、自分が好きなものを全般的に褒め称える言葉となった。 最近になって外でも使われるほど用語として浸透してきましたね。 と同じ意味でいいと思います。 元々、アイドルヲタク界隈では、DD 誰でも大好き というのがありました。 広い目を持ってて良い意味で使う場合もあるんだけど、熱狂的なオタク文化という中では、何か一つのことに集中的に愛情を注いでる人間が尊敬されるって一派がいる。 さらに発展して、「勝利」「優勝」が使われています。 高まる時や嬉しい時にも。 「大勝利」は、別の意味でのネットスラングで使われるケースも多いです。 こっちは勝たんより古くから使われていて、選挙などから派生していったノリ言葉。 我が軍の大勝利とか。 素直に肯定的な意味で使うこともあれば、小バカにしたような使い方をすることもあります。
次のスポーツ・イラストレイテッド()という、米タイム・ワーナーが発行するスポーツ雑誌がある。 この雑誌の表紙を飾ることはスポーツ選手にとっての名誉であるとと同時に、「表紙に載ったらおしまい」とも言われているらしい。 表紙を飾るときがNo. 1スポーツ選手としてのピークであり、あとは下るしかないからだろう。 雑誌やテレビなどのメディアでもてはやされる企業や人は、なんらかの分野でNo. 1であるかオンリーワンである場合がほとんどである。 それはそれで素晴らしいことだが、No. 1になるということは、同時にメディアからは「使い捨ての消費の対象として扱われる」ことを意味する。 「勝つ」ということは、必然的にそのような状態を包含していることが多い。 多くの零細企業やこれから起業しようとする中年にとって重要なのは、No. 1になることや「勝つ」ことではなく、土俵際まで追い込まれても踏ん張ることであり、ゲームが行われている場所から退場しないこと、すなわち「負けていない=倒産していない」ことだ。 「負けていないだけのただの零細企業」はメディアが取り扱うネタとしては面白みに欠ける(=際立った特徴がない)が、当の経営者にしても、「勝つ」ことを評価するメディアから「消費の対象」として扱われることには、何のメリットも感じないだろう。 簡単に言えば「有名になってもあんまりいいことはない」ことを知っている人たちでもある。 「プライバシー」は、財産として膨らますことや徹底的に隠蔽することが重要なのではなく、自分自身のコントロール下にある、つまりプライバシー量を自分の意志で自在に増減させることができる、という状態にこそ価値がある。 徒然草の第百十段に下記のような一節がある。 「双六の上手といひし人に、そのてだてを問ひ侍りしかば、『勝たんと打つべからず。 負けじと打つべきなり。 いづれの手かとく負けぬべきと案じて、その手をつかはずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし』といふ」 ざっくりと現代語訳してみると「スゴロク(=盤双六を指すと思われる)の名人に『なんで上手なの?』と聞いてみたら『勝とうとせずに負けないようにしようとしているだけだ。 負けるのをなるべく遅くすることが重要なのだ』と答えました」ということのようである。 零細企業を経営している人は、この言葉にまさに「我が意を得たり」と感じるのではないか。 また、超一流企業の社長として一世を風靡したような人(=勝った人)であっても、その職を解かれた後につづくであろう20年以上の時間を過ごすにあたって、勝とうとするのではなく「負けない人」に自分自身を転換させるメンタリティが残っているか、ということが重要になるはずである。 ともあれ、中年起業に必要なのは「勝つこと」ではなく「負けないこと」なのだ。
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