伊勢市女性記者行方不明事件(いせしじょせいきしゃゆくえふめいじけん)は、にで発生したである。 1998年11月24日深夜、伊勢市の出版社「」に勤務する編集者兼記者の辻出紀子が消息を絶った。 は辻出に最後に接触したとみられる取材相手の男性Xに容疑を向け、容疑によるも駆使してXを追及した。 しかし、逮捕監禁事件についてはでXのがし、反対にそので提出された取調べの録画テープにより、が偽計や威圧を駆使した違法な取調べを行っていたことが判明した。 無罪判決後、Xはに対して人権救済を申立て、その結果として日弁連人権擁護委員会も、三重県警およびには行為を伴う取調べについて強い警告を発する事態に至った。 しかし、Xはその後提起していた複数の賠償請求訴訟を自ら取り下げ、また「無罪が確定すればすべてを話す」と辻出家に述べていたにもかかわらず、辻出家に対して沈黙を貫き続けた。 以上の経緯から、Xは未だ辻出の失踪に関係しているとではと疑問視されてはいるが、など、信頼性に欠ける多くの巷説も流布され続けており、辻出の失踪は未解決のままである。 失踪 [ ] 11月24日23時頃、当時24歳の編集者、 辻出紀子(つじで のりこ)は、勤務先であるの出版社、を出たのを最後に、信頼に足る情報が得られないまま消息不明となった。 辻出は同日の日中、カメラ屋に写真の現像を頼んだままであり、また深夜に会社を出た際も、寒気のなかを会社に置いたままであった。 そして、辻出は同日の昼間に、過去の取材から接点のあった男性 Xから幾度か電話を受けており、また会社を出る直前にも、このXから電話を受けていた。 翌25日になっても辻出は出社しなかったが、同僚は昨夜の残業もあって不審には思わなかった。 辻出は同月23日に旅行から帰ったたばかりであったため、休暇中に仕事が溜まっていたのであろうと判断した家族も、彼女が帰宅しなかったことを心配しなかった。 辻出の失踪を家族と会社が知ったのは、市内の保険会社駐車場に放置されていた彼女の自動車を動かすよう、が辻出家に連絡してからであった。 初動捜査 [ ] 伊勢文化舎から数百メートル離れた駐車場で発見された辻出の車は、彼女の几帳面な性格に反して、駐車場の白線を無視して斜めに停められていた。 ドアはロックされた状態で車内に荒らされた形跡はなかったが 、財布や手帳、携帯電話などが入ったはなくなっていた。 また、辻出は非喫煙者であったにもかかわらず、車内からはタバコの吸殻が1本発見されている。 運転席の座席も普段より下げられた位置にあり、普段はエンジンをかけると流れるも切られた状態にあった。 その一方で、辻出の銀行口座から預金が下ろされた形跡はなかった。 これらの異状にもかかわらず、は家族に車を移動させた後も辻出を「」として扱い、捜査を求める両親の言葉にも応じなかった。 辻出の父は伝手を頼って副署長にも面会したが、副署長も笑って宥めるのみであった。 1か月後に 非公開での捜査が始まってからも、伊勢署は家族と同僚のを別々に行い、また辻出の家庭問題を疑ったため、会社側の情報を家族には伝えようとしなかった。 被疑者X [ ] 辻出との関係 [ ] 辻出に最後に接触したとされるXは、そもそも役所が彼女に引き合わせた男性であった。 当時の三重県では「体験プロジェクト」などの大型イベントによる振興が図られており、『伊勢志摩』誌の編集者兼記者であった辻出は、東紀州に顔が広い取材協力者を探していた。 そこで尾鷲市役所が辻出に紹介したのが、隣接するで熱帯魚販売店を営み、地元ので副理事長も務めていたXであった。 子供向け自然ふれあいイベントで講師を務めたり、女性に紳士的に接したりするXに対し、辻出は信頼を寄せるようになり、Xの顔写真を同僚に見せて「かっこええやろ」と言ったりもしていた。 Xを取材・特集した号の『伊勢志摩』編集後記には、「〔 X〕さんの、自然の中での表情ときたら。 実に嬉しそうなのだ。 自然は人を笑顔にさせる力があると思う」とも書いている。 私生活 [ ] 一方で、下記のでXと離婚することになるXの最初の妻や、その関係者からは、Xが「に行って帰ってくると薬物の匂いが体からぷんぷんしたり、全然寝ない日があったりした」「包丁を持って部屋に閉じこもり『死んだる』とわめき散らしてみたり、すぐカッとなって物を投げつけたり、食卓をひっくり返したりした。 性的にも普通ではなく、医学本に載っている女性の陰部をなめ回すほどに見たり、椅子の下にを敷き詰めたり、を狂ったようにし続けたりし」た、との証言も得られていた。 希少動物の輸入による違反によって、40万円のに処せられたこともあったという。 「任意」取調べ [ ] このXを辻出の失踪に関与していると見た伊勢署は、翌1月26日にXをさせ、2月3日まで取調べた。 聴取は朝8時頃にパトカーがX宅まで赴き、そのまま署で23時から深夜0時頃まで取調べ、1時から2時頃に帰宅させるという、任意という名目からはかけ離れたものであった。 警察はXに対し、辻出をして遺体をどこにしたのかとを迫った。 Xは当初の調べに対しては「辻出とは夏以来会っていない」と話していたが 、供述を変転させた末、11月24日23時頃に辻出と会ったことは認めた。 また、Xは辻出失踪の直後に、・関連の専門書を数冊購入していた。 しかし、警察はXの周辺人物に聞き込みを行い、も実施したが、Xが辻出の失踪に関与しているとの確たるは挙がらなかった。 Xは女性の使用済みを所持しており、そのは辻出のものと同じB型であった。 しかしXの交際相手の血液型もまたB型であり、さらに生理用品はその後Xに返却されたため、による再鑑定は不可能となっている。 別件逮捕 [ ] 辻出の失踪には無関係であると主張し続けるXに対し、警察はXを翌2月10日に容疑でし、身柄をへと移送した。 その詳細は、12月16日13時頃から翌17日17時頃まで、Xが上京するたびに会っていた馴染みの Aを、その手を縛って彼女の自宅マンションに閉じ込めた、というものであった。 しかし、この逮捕監禁事件でが出されたのは発生から1年以上が経過した1999年2月5日のことであり、これは辻出失踪事件を本命とする明らかなであった。 翌3月4日にXは逮捕監禁事件でへとされたものの、その身柄はに移監される7月22日まで 、たる津署へ留め置かれた。 Xはこの4か月半以上の間も、辻出失踪事件について追及を受け続けたが、2月11日にに選任された は、彼に対し完全を指示した。 裁判 [ ] 証言 [ ] 東京での逮捕監禁事件についてはその後、とされるAのもに提出された。 しかしその内容は、「Xに退去を求めたところ暴行・されたが、にもかかわらずその後自らやを服用して眠ってしまったので、詳細はよく覚えていない」という不可解なものであった(はこれに対し、Aの証言は明確・詳細かつ変遷がなく、またその内容の一部はAの友人やXの元妻の供述からも裏付けられている、と反論している)。 写真 [ ] さらには弁護側のとして、犯行があったとされる時間帯にXがAの部屋を撮影した写真や、Aとの会話を録音したも提出されていた。 写真が撮影された時間帯は、それに写り込んだテレビの画面から明らかであったが、それらの写真にはAの姿も彼女のハンドバッグなどもなく、携帯電話の充電器にAの携帯は差し込まれておらず、玄関にもAの靴は写っていなかった。 これらの写真は、逮捕監禁事件があったとされる1997年12月17日朝3時から10時2分まで、Aは現場にいなかったことを強く疑わせるものであった。 また、Xは自身が写っているものを含めたこれら写真の入ったを、現像もせず逮捕時まで手許に置き続けていたのであって、捏造の可能性も考え難かった(津地検はこれに対し、写真は撮影の状況・目的がまったく不明であり証拠価値は低い、と反論している)。 録音テープ [ ] テープに録音されたXとAの会話は、AがXに対し「やだぁー、ここで話して」「仕事だったら、余り好きでないやつでもしてもいい。 〔 X〕君とは仕事じゃない。 だから……」などと甘えた様子で話しているものであった。 さらに、A宅にXがいることやXにAの交際相手の電話番号を教えたことを秘密にして欲しい、とAがXに頼んだり、AがXからの求めもなしに自由に交際相手に電話を掛けている状況も録音されていた(津地検はこれに対し、テープの録音状態は極めて不鮮明であり、録音のタイミングもXが縛っていたAの手をほどいた後の、緊張が弛緩した状況であったと反論している)。 Aの手帳 [ ] これに加えて、Aが仕事の売上を記録していた手帳には、1997年12月16日夜から翌17日朝、すなわち逮捕監禁事件があったとされる時間には働きに出ていたことを推定させる記述がある。 にもかかわらず、検察側にはこの手帳の正確性やAの勤務状況について、何ら裏付け捜査を行った形跡が見られない(津地検はこれについて、Aは普段売上記録を手帳に数日分まとめ書きしており、そもそも犯行日の特定はAがXに借金を返済した際のの日付によるため、手帳に証拠価値はない、と反論している)。 さらに、検察側はXのを推定させるこれらのカセットテープおよび手帳を入手していたにもかかわらず、その存在は弁護側が独自に調査するまで秘匿されたままであった。 判決 [ ] 結局、津地裁はこれら弁護側提出の証拠に基づいてAの証言の信用性を否定し、1999年10月5日、Xに対しを言い渡した。 検察側もこの判決に対してせず、逮捕監禁事件に関するXの無罪はした。 ポリグラフ検査の強要 [ ] 他方、別件逮捕後も辻出失踪事件に関する追及は続き、津署は1999年4月29日にXを検査にかけようとした。 しかし、が検査機器をXに装着させようとした際に、Xの両腕を強く握って揺さぶったため、Xは右肘内側に剥離の障害を受けたという。 翌30日に室木が室でこの傷を写真撮影し、その後逮捕監禁事件でので、別件逮捕の違法性と刑事による暴行を訴えた。 すると検察側はこれに対し、ポリグラフ検査の際に刑事の暴行があったことを否定するため、津署でのポリグラフ検査の状況を撮影したビデオテープを提出した。 ところがそのビデオには、後にXから人権救済申立てを受けた が強く問題視するほどの、多数の問題行為が含まれていた。 その取調べ内容とは、• Xに対する暴行として、• 検査を実施しようとした際の、Xの右太腿内側への右平手での殴打1回• Xの組んだ脚の左側を、大声で「〔 X〕、なんでや、お前。 ちゃんとはずせ、足ちゃんとせい」と言いながらの左手での払い• 両手でXの両腕を掴み、「なにが拒否じゃぁ! 出てるんやないか、こらぁ!〔 中略〕拒否もクソもあるかぁ! 能書きたれとんなよ、お前、いつまでも 」などと怒鳴りながら、幾度もXの身体を揺する• 弁護人との接見妨害として、• ポリグラフ検査を拒否できるか室木に確認したいと求めるXに対し、「〔 X〕、お前、弁護士っちゅうのはな。 関係ないわ」「後で聞きゃ、えぇやないか」「弁護士はオールマイティーと違うんやで」「法的にはできないんだよ。 もう」との発言• 黙秘権に関する虚偽の説明について、• 「黙秘っちゅうのは、私が犯人ですと認めてるわけやぞ。 〔 中略〕都合の悪いことだけは黙秘してもよろしいよっちゅう規定やぞ。 それを黙秘しますっちゅうことは、都合の悪いことだらけですっちゅうことやぞ」「自分がしゃべりたないことしゃべらんて、そんな黙秘権はないわさ」 などとの、黙秘権の行使によってXが犯人であると認定されるかのような偽計を伴う威圧• ポリグラフ検査に関する虚偽の説明について、• 「今ここに、白か黒かはっきりしてもらえる機械与えてもろとんやないか。 それを、拒否するちゅうんは黒としかないやねんからな」「お前は自分で蹴ったんやぞ。 最後の道を。 だから今から、白っちゅうよな言葉使うなよ、お前。 証拠はないけれども、真っ黒んなったんや、今の時点から。 よう覚えとけよ。 俺自身のも。 わかった。 真っ黒なんやで。 前よりいっそう黒なったんやで。 もう限りなく黒に近い黒や」 などとの、ポリグラフ検査によってXの犯人性が確定するわけでも、検査を拒否したとしても犯人と見做されるわけでもないのに、それが事実であるかのような偽計を伴う威圧• その他の虚偽の説明について、• 「君は、義務があるやないか。 逮捕されとんのやで」「逮捕された被疑者はどんなことがあっても取り調べ拒否できひんやないか。 弁護士にそのぐらい聞いとるやろが、え。 応じる義務があるて、書いてあるやろが」「被せられてる容疑が殺人やねんから」との、Xが辻出失踪事件で逮捕されているかのような偽計を伴う威圧• 「どって証明するん。 どこで証明するんにゃ。 伊勢の事件をどって無実証明するんや。 どって証明するんにゃ。 アホみたいなことばっか言うなよ。 どこで証明するの 」との、Xの側に無罪の立証責任があるかのような偽計を伴う威圧• 「一〇年勝負してって、警察と一〇年勝負して負けんのお前に決まっとるやネいか、ほんなもん。 勝った奴おらへんぞ、ほなもん。 ヤクザでも尻尾巻いて逃げて行くんやないか、警察と勝負して。 一〇年つきまとわれて見ろ。 どんなにヤなもんか、お前、わからへんやないか 」などとの威圧• 「令状出とんのやで何してもええんやで、鑑定処分やて。 必要があったら切り刻んでもええんやで。 の中へ棒突っ込むこともできるんやないか。 え」との、鑑定処分が無制限に行えるかのような偽計を伴う威圧 というものであった (室木は、検察側が「適正な取調べが行われた証拠」としてこのビデオテープを提出してきたことに恐怖を覚えた、と述べている )。 また、日弁連人権擁護委員会は4月29日のビデオテープ内容のみならず、• 2月17日の調べにおける、「弁護士が余り黙秘権を使えと被疑者に言うと、〔 中略〕から追放になる」などとの、偽計を伴う威圧• 翌18日の調べにおける、Xが室木から説明された黙秘権の意味について「弁護士が黙秘権についてそんなことを言うと、弁護士も大変なことになる」などとの、偽計を伴う威圧• 同18日の調べにおける、捜査過程で入手したXの裸の写真を提示しての、「この写真を証拠に出せば、裁判官はお前が変態だというを持つぞ」との威圧 という捜査手法も問題視している(しかし三重県警本部はこれらについて、取調べ内容はいずれも通常の説得行為、または事実の告知の範疇にある、として違法性を否認している)。 日弁連による警告 [ ] 以上の事実を踏まえ、最終的な調査結果として日弁連人権擁護委員会は、2月7日に三重県警・・・津地検へ宛てて、それぞれ警告と要望を発している。 三重県警本部長宛ての警告について人権擁護委員会は、津署がXに対して行った行為は「違法な行為である。 今後、の取調べに当たっては違法な捜査を厳に慎み、被疑者の黙秘権や弁護人との接見交通権などの権利を最大限に尊重されるように警告する」とした。 そして警察庁長官及び三重県公安委員長に対し、所轄する警察署において今後同様の人権侵害が発生しないよう、指導・監督を強化するよう要望を発した。 また津地検検事正宛ての警告について同委員会は、当時得られていた証拠を考慮すれば逮捕監禁事件については、少なくとも「」の判断を行うのが正当であったのは明らかであり、「〔 X〕は本件起訴後も四ヶ月半にわたり代用監獄に勾留され、その間〔 辻出〕失踪事件についての執拗な取調を受け続けたこと等の起訴前後の事情を考慮すると、貴庁は、〔 辻出〕失踪事件についての取調べ機会を確保する目的で恣意的に起訴相当の判断を行ったとの疑いを払拭できない」と述べた (これについては起訴担当自身も後に、辻出失踪事件の調べを続けるための、無理筋の起訴であったと認めている )。 そして、「当然にとすべきであるのに敢えて起訴したこと及び無罪の重要な根拠となるべき証拠(カセットテープと手帳)の存在を明らかにしようとしなかった対応は、検察の職責に悖るものであるとともに被疑者・の権利を侵害する違法な人権侵害行為であると評価せざるを得ない」と警告している。 無罪判決後のX [ ] 勾留中にXは辻出家に対し、「逮捕監禁事件で無罪を勝ち取った暁にはすべてを話す」という内容の書面を、室木の署名入りで提出していた。 しかし、無罪判決後の釈放翌日に辻出の両親が面会を求めると、Xは義兄を通して「私たちは報道に我慢がならない」「やるだけ無駄だという結論になった」「いくら灰色といわれても放っておく。 もちろん、人権を侵害するような報道には法的な処置をとる」「伊勢文化舎の代表が怪しい」などと述べて面会を断った。 そして、「今後もし話をする気になったら、内容をマスコミに漏らさない、回答をあげつらうような質問をしない、などの条件付きの上で、弁護士を通じてあなた方に連絡する。 それまであなた方からの連絡は拒否する」との旨を一方的に宣告した。 さらにXは、日弁連への人権救済申立てに加え、逮捕監禁事件でのAおよび2人のに対して連帯で3000万円を求める請求訴訟を 、国と三重県に対して同じく3000万円を求める請求訴訟を提起した。 結果的にXは賠償請求訴訟を取り下げたが、マスコミに対しても同様の訴訟を起こす構えも見せていたため、その後は警察もメディアもXを追及することに及び腰になった (三重県警の元捜査員によれば、無罪判決の後、今後一切Xには手出しをしないように、との通達があったという )。 その後も沈黙を守り続けるXに対し、業を煮やした辻出の父は室木のもとを訪ねたこともあったが、その際に室木から半笑いで「あなた方、人の揚げ足取るようなことばかり言って、何にもならなかったな」と言われたという。 その後の捜査・支援活動 [ ] 辻出失踪直後の1999年1月には、辻出の学生時代の友人たちや、、(室木の友人であり、室木の依頼でXのを訴える番組を構想していたが、その後断念)、(元行政改革担当部長)などの報道関係者により、「辻出紀子写真展」が開催されている。 同様の写真展は、2001年11月に東京と伊勢市でも開催されている。 三重県警は、辻出の失踪から10か月が経過した1999年9月から情報提供を求める公開捜査に踏み切り、までに、捜査には約3万1900人が投入された。 情報提供者への謝礼金上限額は300万円に設定され、寄せられた情報は88件に上ったが、有力な手掛かりは得られなかった。 事件以来、辻出の両親は毎年11月24日に情報提供を求めるビラを配り続け、警察に重機で怪しい場所を掘り起こしてもらったこともあった。 もすべて巡り、テレビ番組のや専門家にまで頼ったが、何ら成果は得られなかった。 両親は辻出の生存をほぼ諦めているが、それでもなお情報提供を呼び掛け続けている。 北朝鮮による拉致説 [ ] 9月、は「事情に詳しい中朝関係筋から」の情報として、「〔 日本側は〕辻出さんの『つ』の字も出さなかったのに、先方から辻出さんの名前をフルネームで言った」と報じた。 を調査している日本の大学教員が、辻出を知っているとで出会った、とも報じられた。 はこの報道当日、辻出の両親とともに記者会見を行い、辻出が同調査会の「不明者リスト」に追加されていると述べた。 また同調査会の一関係者は、失踪前の辻出がに「北朝鮮に行ってにインタビューしたい」と書き込んでいたことを根拠に、「辻出が自ら海路で北朝鮮に入り、よど号グループへのインタビューに成功した後で消息を絶った」と断言している。 さらに3月には三重県警が辻出家に申し入れたことにより、辻出の名が警察庁による「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者」リストに加えられている。 しかし、辻出が自ら北へ入った根拠とされるメーリングリストには具体的な内容は一切なく 、辻出を知る脱北者と会ったと主張していた大学教員も、数年後には「人違いだった」と発言を撤回している。 また、2014年9月によど号グループのリーダーに直接インタビューしたジャーナリストのによれば、辻出に会ったこともなければ名前も知らない、と小西は驚いたように回答したという。 同年7月にが「北朝鮮で存命の日本人リスト」についてスクープした際には、辻出家にも取材陣が詰めかけたが、辻出の母は「拉致の可能性はないんでね、記者の皆さんにはお帰りいただいたんです」と取材を拒否するなど、家族ももはや北朝鮮による拉致説には信を置かなくなっている。 その他の説 [ ] 辻出はかつてで栄え、「売春島」とも俗称されたのについて取材を試み、何らかのトラブルに巻き込まれ失踪した、との噂がネット上では流布している。 しかし、辻出の周辺人物は彼女が渡鹿野島の性産業に関心を抱いていたことを一様に否定している。 また、渡鹿野島は極めて小さいうえ常時対岸に渡し船が出ており、事件の存在を隠し通せる可能性は極めて低い。 別の説として、辻出は1998年11月19日から失踪前日の23日まで、近郊のを取材していた。 取材に同行していた友人によれば、辻出はキャンプで難民の男性に「私と結婚したらここから出られるのにね」と冗談半分で励ましたところ、男性はそれを本気にしてしまったという。 辻出はその難民の求婚を断り切れず、彼とともに逃避行に出たとの噂もあるが 、辻出のパスポートには事件当日の出国記録は存在しない。 その他にも、辻出は東紀州の密漁者とのトラブルに巻き込まれたという説もあるが 、いずれにせよ辻出の両親はその後も、Xに対する疑念を捨ててはいない。 脚注 [ ]• 222頁、226頁• 68頁、75頁• 131頁• News. 2020年2月17日閲覧。 TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 890頁、907頁• 891頁、907頁• 891頁、907-908頁• 892頁、908頁• 897頁• 108頁• 111頁、119頁• 110頁• 111頁• 886-887頁、899-906頁• 882頁、888頁• 882頁• 888頁• 西牟田靖 2015年1月29日. TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 889頁• 西牟田靖 2015年2月9日. TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 234-235頁• 228頁、230頁、235頁• 辻出紀子写真展 -旅のあしあと-. 辻出紀子写真展実行委員会. 2020年2月17日閲覧。 平壌日記 PYONGYANG DIARY フォトジャーナリスト・伊藤孝司の朝鮮最新情報. 2020年2月17日閲覧。 TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 平壌日記 PYONGYANG DIARY フォトジャーナリスト・伊藤孝司の朝鮮最新情報. 2020年2月17日閲覧。 西牟田靖 2014年10月24日. TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 西牟田靖 2014年12月4日. TABLO. Rakuten Infoseek News. 2020年2月17日閲覧。 参考文献 [ ] 書籍 [ ]• 「」編集部『迷宮探訪 - 時効なき未解決事件のプロファイリング』監修、写真、、2017年。 「三重・女性記者失踪事件 1998・11・24 誰に連れ去られたのか 突然消えた〝女性記者〟」『昭和・平成「未解決事件」100 - 衝撃の新説はこれだ!』編集部編、、2016年、130-131頁。 『日弁連 人権侵犯申立事件 警告・勧告・要望例集』4 1988〜2004年度 行政・制度、捜査機関、裁判所、刑務所・拘置所による侵害、人権擁護委員会編、、2005年。 雑誌 [ ]• 「警察はそこまでやるか - ポリグラフ検査強要事件」『』第23号(秋季号)、、2000年7月、 100-101頁、。 「伊勢雑誌記者失踪 辻出紀子さんの謎は『完全黙秘』男が知る」『』第42巻第17号(通巻第2077号)、、2000年5月、 57-58頁、。 「ポリグラフ検査ビデオ再現 -【一九九九年四月二九日 津警察署にて】」『季刊・刑事弁護』第23号(秋季号)、現代人文社、2000年7月、 106-119頁、 、。 外部リンク [ ]• - 三重県警察• - 特定失踪者問題調査会• - くまの天女座.
次の未だに目撃情報も無ければ、仮に誘拐されたとしても、犯人から身代金の要求も何も無い事件で、三重県警も頭を抱えている難事件である。 流石に20年も前なので、慨要が必要だろう。 」 と言い、彼女は退社した。 元々彼女の仕事は帰りが夜遅いので、両親はそれほど心配をしていなかったらしい。 翌日の25日になって、紀子さんの母の美代子さんは気には掛けていたものの、紀子さんは社内泊をすることは別段珍しいことではなかったので、この時点では特に伊勢文化舎に確認するようなことはしていない。 ラインを越えて斜めにぞんざいに停めている日産・マーチがある、このクルマはお宅の娘さんのものではないか、移動して頂きたいという電話が警察から掛かって来たのである。 紀子さんは几帳面で慎重な性格なので、今までそのようなことをしたことは無かったという。 ・・・このクルマには不自然な点が幾つかあった。 紀子さんは喫煙者ではないはずだが、なぜか煙草の吸殻が車内に残されていたのである。 まだある。 車内に置いていたはずの所持品が無い。 もうひとつある。 クルマの座席が下がっていたこと。 彼女の座高に合わない。 また几帳面な性格にしては、よくカーステレオをONのまま停める癖があったようだが、こちらはOFFにされている。 三重県警(以下、県警とする)は数々の不審な点があったのだが、「家出」として処理してしまう。 ご両親は困惑した。 紀子さんは家出など今までしたことなかったからだ。 しかし県警の態度は冷淡で、飽く迄家出人として処理しようとしたという。 漸く県警が重い腰を上げたのは暮れも押し詰まった12月のことだった。 それでも捜査自体は当初、非公開で行われることとなった。 この1か月の時間のロスは致命的ではないだろうか・・・。 失踪してから3日後の27日、辻出家の固定電話に一本の電話が掛かって来た。 先方はクロネコヤマトを名乗った。 「クロネコヤマトの宅急便です。 ご本人様に直接お渡ししたいのですが、ご住所がわかりません。 妹さんのご住所を教えてください。 」 という趣旨だった。 「ん?」 と思ったのは私だけではあるまい。 この電話、考えてみればちょっとおかしい。 相手は運送のプロである。 住所が分からないとはどういうことか?百歩譲って住所がよく分からないとしても、この時代はまだカーナビが普及した時代ではないとはいえ、行き方を訊いて来る程度だろう。 不審に思った美代子さん(紀子さんの母)は「今ちょっと取りこんでいるので、折り返しお電話したいので、ご連絡先をお教えください。 」と言うと、 「さようですか。 クロネコヤマトの総務部の山口と申します。 ではご連絡、お待ちしています。 」 この電話番号も不自然だ。 11ケタでなく、相手は12ケタの番号を言って来たのだ。 残念ながら、ナンバーディスプレイは辻出家の固定電話では設定されていなかった。 当然12ケタの携帯電話の番号など存在する訳がないので、夫妻は即日、県警に報告した。 夫妻には捜査の進捗状況の報告は何も無かったので、今となってはこの情報をどう扱ったのか、知る由も無かったのだが、夫妻は後日、「あのとき警察が迅速に動いてくれたら!」と惜しんでいるという。 東京で起きた監禁暴行容疑の容疑者を別件逮捕に踏み切ったというのだ。 何と、それは彼女が最後に会ったと目されるAさんだった。 彼女とAさんが初めて出会ったのは尾鷲市だった。 当時、北川三重県知事は東紀州地域の街おこしを推進する計画だった。 その一環で「東紀州フェスタ」などのビッグイベントが次々と計画されていたという。 紀子さんがそんな東紀州地域の記事に携わるようになったのも同時期である。 彼女は尾鷲市役所を訪れ、 土地勘のある協力者を求めていた。 市役所で紹介されたのがAさんだったのである。 Aさんは尾鷲市に隣接する海山町(現在の紀北町)生まれ。 近くで熱帯魚販売店を営む傍ら、青年会議所の副理事もしていたという。 紀子さんと彼が親しくなるのはそう時間は掛からなかった。 ところがAさんには付き合っている女性が1人いた。 東京都港区にいる女性、E子さんである。 この女性は彼が青年会議所関係で東京を平成8(1996)年の12月に訪れた時に知り合った。 彼女はホテル嬢だった。 E子はAさんが既婚者であることは承知していたが、遠距離だし、そうちょくちょく会う訳ではないので、それほど気にしなかったらしい。 平成10(1998)年の夏になると、E子さんは今後付き合いを続けるかどうか迷うようになる。 Aさんはセックスをしているか、寝ているだけで、別段面白い人間でもなさそうだったからだ。 E子さんによれば、その後、Aさんより 「銭払っても『やらせて』くれんのか!どうなんや!!」 と凄い剣幕で脅され、渋々会ったものの、怖くなって逃げようとすると、彼は刃物を取り出して、E子さんの頬っぺたを切りつけ、縛り付け、監禁したというのだ。 このことが警察の知るところとなり、E子さんを暴行・監禁した容疑で三重県警がAさんを逮捕した。 なぜ事件現場が東京23区だというのに、三重県警が逮捕しているのか?この点明らかに別件逮捕だ。 県警は少々急ぎ過ぎである。 県警は紀子さん失踪についても自白させる目論見で別件逮捕に踏み切った訳だが、簡単にはいかなかった。 県警が事情聴取を始めると、Aさんの供述はころころと変わった。 結局津地方裁判所は別件容疑の紀子さん失踪に関する証言は曖昧な点が多すぎるとして、無罪を言い渡した。 Aさんは三重県と国を相手取り、慰謝料3千万円の損害賠償を要求する訴えを起こした。 更にマスコミ、週刊誌などへも同様の訴訟をするぞ、と恫喝。 結局この訴えは取り下げるのだが・・・。 気になるのは彼が拘留中に紀子さんのご両親と面会した際に発した言の葉・・・。 「無罪になったら話をします。 」 という言の葉。 しかしながら、いざ釈放されると、態度を硬化させ、面会を断って来た。 それだけではない。 彼の義兄からこう返って来たという。 ========================================= 「私たちはマスコミの報道に我慢出来ない。 あなたたちがそんな態度を取る以上、何を話しても仕方が無い。 Aも当面何も話す気は無いと言っていた。 どうしてAに拘るのか私には分からない。 文化舎の社長の方こそ怪しいのではないか? 今後もしAが話す気になったとしても、その場合は弁護士を通じてあなた方に連絡する。 その際、条件をつけさせて頂きたい。 外部に漏らさないようにするとか、Aの答えを論うようなことをしないようにして欲しいと言ったことだ。 」 ============================================ だが、20年経った今でも連絡は一切ないらしい。 県警の最初の失敗がこの電話だろうが、二度目の失敗は別件逮捕だったと言えるかもしれない。 このため、さまざまな説が飛び交った・・・。 伊勢神宮側はこれについて全面的に否定している。 彼女は家出など一度もしたことがない。 しかも交際関係を幾ら洗ってもAさん以外怪しい人物が出て来ない。 ということは、この説も些か説得力を欠く。 なお、説自体は些か説得力を欠いているものの、1980年代後半〜92年くらいまでのバブル期の賑わいは最早望むべくもなかったが、この当時(98年)も渡鹿野島では確かに売春は横行していた。 麻薬、多重債務者の若い男女が返済のため送り込まれた。 好みのコンパニオンを買えたり、レズショーは盛んに行われていた。 連れ込まれた男性はゲイショーに駆りだされたという。 時には街中で言葉巧みにナンパされた若い女性が騙されて連れ込まれることもあったらしい。 このあたりの詳細は 高木瑞穂著、『売春島』彩図社 に詳しい。 2010年代になっても、ポンポン船で上陸すると、こんな注意書きが・・・。 「街頭での客引き、呼び込みの相手をしている人には、絶対に相手にしないようにして下さい。 」 (渡鹿野島観光組合) 但し、伊勢志摩サミットで警察の警戒が厳しくなり、ただでさえ嘗て娼婦たちと富裕層で賑わった島は廃れつつあるところに追いうちを掛けた。 私も愛知県にいた時は、噂でしか知らなかった。 確かに水商売と売春の島から観光の島に脱皮しようにも、資源が乏しい。 伊勢海老を食べたいのであれば、志摩に行けば良い。 温泉に行きたければ、青山高原にある榊原温泉に行けば良い(この温泉は実際に行った。 まあ信州や群馬ほど寛げなかったのが残念)。 世界的にも有名な松阪牛もある。 風光明媚な海水浴に向いた海岸は三重県内でも無数にある。 こうなると確かにわざわざそのような危険な島ではなく、もっと安全で良いところがありますよ、という話になって来る。 テレビでも紀子さん失踪の数年後、超能力調査で彼女を捜索している。 アメリカの超能力者・キャサリン・レイ女史が彼女の居場所を遠隔で透視。 彼女の痕跡を匂わせる建造物などはほぼ的中させ、周囲を唸らせたものの、彼女の持ち物など、それらしいものは何一つ出て来なかった。 行方不明事件を主に扱っていたテレビ番組の「TVのチカラ」では、夜中伊勢自動車道を走っていると、とある女性が、クルマのボンネットに黒髪の若い娘さん(勿論この世の人ではない)がへばりつき、戦いたという証言をしている。 この女性は後日自宅でも件の若い娘さんの幽霊を目撃し、「貴女はひょっとして、辻出紀子さんではないですか?」と訊くと、この美女の幽霊は俯いて、首を縦に振り、かぼそい声で「・・・寒いです。 わたしの身体は水浸しです。 捜してください。 」と哀願したらしい。 これを手掛かりに、別の超能力者に透視を依頼すると、殺されてため池に沈められている、だから遺体が出て来ないとのこと。 めぼしいため池の水を抜き、大捜索を行なったが、結局彼女の手がかりになるものは何一つ出て来なかった。 三重県は東海地方有数のため池王国であるゆえ、特定すること自体、困難を極めたからだろう。 オカルト的な話は幼少の頃霊感は強い方で、「あちらの人」も何度か見た。 だから理解は有ると自認している。 しかし話が上手過ぎる気がした。 考えてみれば分かるが、1人の女性の証言だけである。 後は誰も見ていないのだ。 手詰まり感が漂う。 それから月日は流れた・・・。 紀子さん失踪事件は迷宮入り事件入りかと思われた。 そんな中、特定失踪問題評議会が紀子さんは北朝鮮に拉致された可能性が高い、と名乗りを上げたのである。 特定失踪問題とは簡単にいえば、北朝鮮の拉致が理由で失踪した人たちを扱う問題の事だ。 評議員達は独自に調査、脱北者数名から、 「紀子さんに極めて良く似た女性を平壌で見掛けた。 」 という有力証言を得たからである。 しかし考えてみれば分かることだが、24歳の若い娘さんがなぜ北朝鮮に拉致されなければならなかったのだろうか? これは90年代の北朝鮮の対日戦略を見ないと解けない。 90年代、北朝鮮は覚せい剤の密輸を日本海側で頻々と行なっていた。 この時代は今のように派手に核ミサイルで日本を恫喝する時代ではない。 金正日前総書記も小泉元首相との日朝首脳会談で存在を認めているように、工作機関が暗躍している(今もきっとそうだろう)。 評議会や脱北者の人たちの証言を元にすると、工作員の養成機関は驚愕の「卒業検定」を出していた。 その内容は何と麻薬の密輸船に乗り、日本人になりすまして日本人を拉致するというのが課題だった。 それゆえ90年代は日本海側と都市部の独り暮らしをしていた人たちを中心に失踪事件が多かった時代だ。 ご容赦いただきたい・・・。 書けば削除され、私が強制退会させられる程度ならば良い。 しかし私1人ならば兎も角、コメントをつけた方にも確実に被害が及ぶだろう。 確実に言えるのは、日朝首脳会談に臨んだ小泉元首相、当時官房長官でもあり、今の首相の安倍首相も名前はご存じの組織だ。 だから日朝首脳会談が開催された時、マスコミも「工作機関」としか書けなかったのだ。 その名は兎も角として、思い出して欲しい。 1990年、10月に佐久間 奈々さんも拉致された疑いが濃いことを。 これについては彼女も拉致された可能性が濃厚であることを別のブログで書いた。 では紀子さんがお住まいの伊勢市は当時どうだったのか? こちらは確かに太平洋側ではあったが、警視庁によれば、能登半島から名古屋、そしてお住まいの伊勢市を通り、紀伊半島、そして大阪に抜ける麻薬の密輸ルートがあったことを確認している。 紀子さんはこのルートを本人は自覚が無いとはいえ、触れてしまったのではないだろうか。 ましてや彼女は弱冠24歳とはいえ、編集者である。 先方(工作員)からすれば、ジャーナリストと同一視したとしてもおかしくあるまい。 こればかりは紀子さんの勤め先の伊勢文化舎の社長さんにでもお伺いしないと分からないだろうが、麻薬関係に触れる話か、そのハブとなる街が記事になりかかっていた可能性が濃厚だ。 それで先手を取って紀子さんを拉致したというのが現実的で、蓋然性の高い解釈ではないだろうか?今一度紀子さんが元気でいればアップ予定だった記事が無いかどうか、あるのならば、そこから手繰り寄せれば出て来そうな気がするがどうだろう? 彼女の母親は「北朝鮮に拉致されていたら、娘はまだ生きていることになります。 一縷の希望があるとも言えます。 」と評議員に答えたと聞く。 だがその一方で、A氏や初期に出て来た宅配便業者を名乗る人間が気になる。 A氏は貪欲でお調子者、ちゃっかり、女好きな肉食男子ではなく、爽やかで女性に優しく、働き者で家庭的、庶民的な、昔ならばどこにでもいた、一見「正統派草食男子」に見える。 一方、紀子さんは学生時代、母親から「毎回紹介される男の子が違う・・・」と困惑されたらしい。 よく言えばモテる女性だったともいえるが、異性関係は派手だったともいえよう。 但し、県警が男女関係を洗ったところではA氏以外問題になる男性はいなかった。 ということは、彼女の誠実な性格がA氏のような裏表の激しい人物を見抜けなかったといえよう。 彼女は誠実な一方、物事をハッキリ言う女性だったという。 A氏がE子さんにした行為を思うと、2人の間にどのようなやり取りをしたか定かではないものの、紀子さんが思ったことをズバッと言ったところ、A氏が本性をむき出しにして、紀子さんに危害を加えた可能性は無いとはいえない。 県警によれば、A氏は供述がコロコロと変わったらしい。 果たしてその中に真実があるのだろうか? だとしたら、そのあたりも当たってみる必要があるかもしれない。 初期で母・美代子さんが悔しがっていたように、宅配便業者の電話も気になる。 紀子さん失踪と本当に関係は無いのだろうか?それとも・・・。 このあたりも再捜査が待たれるところだ。 長いレポートを最後までご覧頂き、ありがとうございました。 mixiユーザー 2018年11月16日 04:05 毎年行方不明の人が多くいると聞いてます。 家出して別の土地で生活している人もいるでしょうが 事件に巻き込まれた人も多いことでしょう。 家族の思い考えると早く解決してほしいものです。 mixiユーザー 2018年11月17日 11:42 イイね、しか押せないので書くことにしました。 暗澹たる気持ちで読ませて頂きました。 日本は自尊独立国なのでしょうか。 哀しい現実です。 mixiユーザー 2018年11月17日 20:01 終盤のほうに、「北朝鮮に拉致された」可能性が書いてあると、 エッ?!と思いましたが、船を使えば簡単ですね。 伊勢神宮はイルミナティの総本山らしいです。 売買春の島や、覚醒剤が出て来て、かなり物騒な所のようですね。 紀子さんが連載した、雑誌の記事内容が、 A氏やイルミナティと関係ある(ヤバい)のでしょうか?• mixiユーザー 2018年11月17日 23:55 前にも北山結子さんの事件で書いた覚えがありますが、 実はわたしの母の実家も三重県です。 生前母親から言わせると 「あすこは封建的だから、現場の人がどんなホンボシを挙げても、上が注目しなければそれでおしまいなのよ。 」 とのことです。 確かにこの事件の捜査、最初は若者の家出で全然注目していなかったのに、県知事の街おこしが絡んでいると分かったからでしょう、別件逮捕という勇み足で相手から法的に反撃される始末。 バランスを欠いた捜査が目立ちます。 わたしも現状から考えて、ここまで全国的に騒ぎになっているのに、未だに杳として分からないのであれば、拉致疑惑は当然出て来ておかしくないと考えています。 彼女の家系も調査した方が良いかもしれません。 北朝鮮の金王朝は出鱈目に拉致している訳ではないですから。 コメントありがとうございます。 20年は余りにも長いです。 ご両親もご高齢になっているはずで、早くご両親の元に帰って来て欲しいと思います。 コメントありがとうございます。 特に外国人が絡んでいる可能性が高いとなると、物的証拠がかなりの数が挙がっていても、日本の警察も及び腰です。 日本人の身の安全、財産を守る為、諜報機関の設立と起動が待たれるところです。 コメントとイイネ をありがとうございます。 江戸以前からこの地は台風などを避けるべく、船舶が何日も停泊することがあったそうです。 船乗りの男ども達のために売春などの商売が生まれたのでしょう。 後に知ったのですが、元警視庁刑事の北芝 健氏も拉致の可能性を述べておりました。 彼女はどこかで虎の尾を踏んだか、踏まされたかその可能性もあります。 コメントありがとうございます。 北朝鮮は出鱈目に拉致している訳ではありません。 例えば横田めぐみさんの母方のご先祖は皇室・方子様です。 金王朝としては王朝内に日本の天皇家の御親戚がいることは箔が付きます。 中国の習近平も国家主席になる前、天皇陛下に謁見したことで、一躍国家主席候補トップに躍り出た経緯があります。 おおっぴらには兎も角、本音では北朝鮮も中国も日本の天皇家の権威に与ろうとしているようです。 2020年• 07月• 08月• 09月• 10月• 11月• 12月 2019年• 2018年• 2017年• 2016年• 2015年• 2014年• 2013年• 2012年• 01月• 02月• 03月• 04月• 05月• 06月• 07月• 08月• 09月• 10月• 11月•
次の今から22年前、ひとりの女性記者が忽然と姿を消した。 「売春島に関わる取材をしていたから消された」「北朝鮮に拉致された」などの噂がネットを中心に出回ったが、いずれも憶測にすぎなかった。 最後に会った男 3月半ばの黄昏(たそがれ)時だった。 外階段を伝ってその建物の2階へ上がり、ドアをノックした。 するとぱっちり目の、小柄な中年女性がガラス越しに現れた。 髪は明るく、ボブぐらいの長さ。 妻だろうか。 「Aさんはいますか?」 そう尋ねると、女性は奥へと呼びにいった。 間もなく、グレーのパーカを着た中年男性が、何事かという顔をして玄関へやって来た。 少しふっくらとした体躯で、肌つやはよく、整った顔立ちをしている。 私を見るなり、訝しそうな表情を浮かべ、ドアを少しだけ開けた。 このA氏こそが、雑誌記者の辻出紀子さん(当時24)が22年前、三重県伊勢市で行方不明になる直前に会っていた男だった。 以来、警察の捜査も実を結ばず、あの日から忽然(こつぜん)と姿を消した辻出さんは、現在に至るまで見つかっていない。 一時は北朝鮮に拉致されたという説や、「売春島」として知られる志摩市渡鹿野島(わたかのじま)の暗部に切り込んで不明になった、といった説が飛び交ったが、いずれも根拠は薄かった。 消去法で最後に残ったのが、この目の前にいるA氏が事件について何らかの事情を知っている可能性だった。 辻出さんの母、美千代さん(71)は今も毎年、夫の泰晴さん(72)とともに、伊勢市内で有力情報の提供を求めてビラ配りを続けている。 「毎日夕方ごろになると、あの子のことを考えます。 忘れたことはない。 どこかで元気でいてくれたらいいなと。 この思いは、ずっと死ぬまでひきずっていくんでしょうね」 津市内にある辻出さんの実家の部屋には、彼女が立命館大学時代に訪れたアジア各地での写真の数々が、壁一面の大きな額縁に飾られている。 バングラデシュで、ミャンマーで、中国で……。 辻出さんは、旅先で出会った現地の人々や田園風景に一眼レフのレンズを向け、また親切にしてくれた人々と一緒に写真に収まった。 当時を美千代さんが振り返る。 「出発前日にいきなり『明日から海外行ってくる』と言うような子でした。 京都から三重まで原付バイクで帰ってきたり、親からすると『危なっかしい』ところがありましたね」 今ではそんな母と子のやりとりも微笑(ほほえ)ましい思い出だ。 辻出さんは将来、ジャーナリストを志望し、大学卒業後は地元の出版社、伊勢文化舎に就職した。 働き始めて1年半が経過した1998年11月24日。 前夜に旅先のタイから帰国したばかりだったが、この日もいつもどおり、午前9時に出社した。 取材や写真のチェックなどの業務をこなし、午後11時過ぎに退社した。 しかし、辻出さんが自宅に帰って来ることはなかった。 翌日、会社から約1キロ離れた損保会社の駐車場で、辻出さんが乗っていた紺の日産マーチが見つかった。 ドアはロックされたままで、車内は人影がなく、荒らされた形跡もない。 ところが車は枠線をはみだし、斜めに止まっていたのが不自然だとして、損保会社が伊勢警察署に通報した。 同日朝、辻出さんは出勤していなかったため、何らかの事件に巻き込まれた可能性も視野に同署は捜査を始めた。
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