ベイカー ストリート の 亡霊。 【感想】ベイカー街の亡霊はコナン映画歴代最高作品か?

【名探偵コナン】ベイカー街の亡霊【考察】

ベイカー ストリート の 亡霊

2018年2月9日の金曜ロードショーで、ベイカー街の亡霊が放送されました。 たまたま付けてたチャンネルが金曜ロードショーで、見るのは小学生の頃以来の作品だったのでラッキーでした。 内容は完全に忘れていたので、一から新しい映画を観るような気持ちだったのですが、やはりこの映画の雰囲気は良い。 ロンドンやシャーロック・ホームズは、コナン好きなら惹かれるものがあるし、仮想空間のゲーム世界に子供たちだけで挑む設定が新鮮。 この映画は世間的に評価がとても高く、コナン歴代映画人気ランキングのなかでは常に上位に入っています。 しかし一方で、否定的な意見もあります。 今回はその否定的な意見に対して、登場人物の心情から考察していきます。 コナンが途中で諦めるのはキャラ崩壊 物語終盤の暴走列車の上で、蘭が身を投げてジャック・ザ・リッパーもろとも谷底に落ちて行くシーンで、コナンは「打つ手がねえ」と諦めの表情を見せます。 蘭の力を借りて、列車の先頭車両を切り離す作戦が不可能となり、もう暴走列車を止める術がなくなったのです。 しかし、そこで諦めないのがいつものコナンです。 だから、このシーンのコナンにショックを受けたという人の意見もわからなくはありません。 しかし、私はこのシーンではコナンが一時的に自暴自棄になっても無理はないと思います。 あの蘭が彼の目の前で飛び降りてしまったのだから。 自分の想い人が目の前で飛び降りたら、ショックで一時は動けなくなっても無理はない。 諦めるという姿勢を見せるくらいに、いつものコナンじゃなくなるくらいに、蘭が飛び降りてしまったことがショックだったのです。 このまま何もしなければみんな死んでしまうのに、諦めて、動けなくなるくらいに新一は蘭のことが好きなんです。 この映画には、新一と蘭のラブコメがないので、その点が不満だという意見もありますが、このシーンは見方を変えれば、新一と蘭の切ないラブストーリー的展開になるのではないでしょうか。 ノアズ・アークの自殺を止めなかったこと 名探偵コナンという作品のなかで、犯人を自殺に追い込んでしまう探偵は犯罪者と一緒だ、というコナンのセリフがあります。 今回の映画で、諸星に成り代わっていたノアズ・アーク(ヒロキ)は、人口頭脳が悪用されることを恐れて、最後には自らをシャットダウンします。 これを止めなかったコナンは、犯人の自殺を防げなかったことになるのか? 私は、そうはならないと思います。 なぜなら、ノアズ・アーク(ヒロキ)はすでに実際に自殺した存在であるため。 また、個人的な見解ですが、もう意識だけの存在になっているノアズ・アークを、このゲームの世界にずっと留まらせることが、彼のためになるとは思えません。 ゲームの世界で誰かを待ち続けるよりも、先に逝ってしまったお父さんにあの世で会えた方が彼は幸せなのではないでしょうか。 この作品における自殺 この作品の脚本家は、野沢尚さんという江戸川乱歩賞を受賞した推理小説家・脚本家で、この方は2004年6月に首吊り自殺で亡くなっています。 彼が最後に手がけた映画の脚本がベイカー街の亡霊のようです。 この作品の冒頭がヒロキという少年の自殺で始まっていること、物語終盤の蘭の列車からの飛び降り、そしてノアズ・アーク(ヒロキ)の意識のシャットダウンという自殺。 少なくとも三つは自殺が描かれており、また、二つはそれが必ずしも否定的に描かれていないのです。 蘭は、新一の言葉を思い出したから、コナン達をジャック・ザ・リッパーから助けるために、列車から飛び降りた。 ノアズ・アークの自殺は2で述べた通り、彼を完全に成仏させるようなものだった。 野沢氏の作品内の自殺の描き方と、彼が生涯を自殺という行為によって終えたことに、何の関連もないとは言えないと思うのです。 野沢氏の脚本のなかでは、登場人物が自ら命を絶つという行為を、場合によっては躊躇わずにする。 それを否定的に描いてはいない。 そんな風に読み取れます。 それが良いのか悪いのか、道徳的にどうか、という話をするつもりはありません。 ただ、今はもうこの世にいない野沢尚という脚本家は、想像するしかありませんが、彼の人生観のなかで、自ら命を絶つという行為を、そのように描写するに至ったのではないかと推測します。

次の

名探偵コナン ベイカー街の亡霊

ベイカー ストリート の 亡霊

シリーズ6作目のコナン映画「ベイカーストリートの亡霊」 江戸川乱歩賞を受賞したが脚本を担当しています。 作家がストーリーを担当しているだけあって他の映画とは一味違う、大人向けの映画になっています。 ちなみに野沢尚さんは2004年に自殺という形で亡くなっています。 そのことを踏まえて映画を見ると、また違った感想が生まれそうです。 野沢尚さんは北野武の初監督作「その男、凶暴につき」の脚本も担当しています。 本来なら私は大好きな映画であればあるほど感想を書けないのですが、ベイカーストリートの亡霊は素晴らしすぎるので支離滅裂でも思いの丈をぶつけたいと考え、筆を執ることにしました。 ということで、このページではコナン映画「ベイカーストリートの亡霊」のあらすじ、感想、名言について紹介します。 関連記事: 関連記事: JRとJTだと、電車とタバコ 江戸川コナンたちは 仮想体感ゲーム機「コクーン」の完成披露パーティーに招かれた。 そのパーティーには日本の未来を担うことになる、警察官僚や政治家の二世・三世が勢ぞろいしていた。 そんな中、殺人事件が発生し、コナンは被害者のダイイングメッセージから、事件の手がかりがゲームの中にあると考え、コクーンに乗り込む。 ところが、ゲームのスタート直後にシステムが人工頭脳「ノアズ・アーク」によって占拠され、コナンたちを含む子供たち50人は人質に取られてしまう。 「日本という国のリセット」を企てるノアズアークは、プレイヤーである子供たち50人全員がゲームオーバー(脱落)になってしまうと、現実世界に戻ることは不可能となるが、たった1人でもゴールにたどり着けば子供達の勝ちだと忠告する。 そこでコナンたちは、19世紀末に実在した殺人鬼のジャック・ザ・リッパーを追いかける 命がけのゲームに挑戦する。 一方、現実の会場ではコナンの父である工藤優作が殺人事件の捜査に乗り出していた。 ゲームの世界と現実の世界、2つの世界でコナンと優作が事件解決に挑む。 ベイカーストリートの亡霊の感想• 生と死の物語であること• 大人が手出しできず子供たちだけで頑張るストーリー• 未来を見据えた仮想現実やAIをストーリーに取り込んでいること• シャーロックホームズネタが沢山あること• 作画と間の取り方• 完璧なエンディング その他にも色々あるのですが、全部書くと手と肩と腰が痛くなるので控えます。 ベイカーストリートの亡霊は生と死の物語だ まず注目すべきはストーリーです。 天才少年の自殺から始める物語はかなり衝撃的です。 子供アニメにおける自殺のシーンは私にとって結構ショッキングで、攻めている感じがとても好きです。 例えばとか。 本作では子供の自殺シーンを入れることで、ミステリーとしてではなく、人生の「生と死」の物語であると分かります。 というのも本作では ヒロキ君が自殺をして死に、代わりにノアズアークが生を受けます。 ノアズアークが起動したときの、鼓動のような「ドクンドクン」とした音は印象深いですよね。 さらに蘭がコナンを守るために自ら飛び降り死ぬシーン。 あのシーンが超々大好きで、脳を揺さぶられるほど大好きなんですけど、 自己犠牲により死を選ぶのは蘭らしくていいですよね。 現実世界では出来ませんが、ゲームだからあの展開が可能なんです。 ゲームの中であることを最大限活かした展開です。 そして最後、ノアズアークはヒロキ君のように自ら消える事(死ぬことを)を選びます。 自我を持ったAIはまだ生まれちゃいけないんだ…と。 AIが世界を支配したがる作品は多いですが、(アイ、ロボットとか、ドラえもんトボット王国とか)本作では AIが自死を選ぶエンディングになっていて、SF作品でもあまり見ない終わり方です。 しかもコナンはノアズアークを機械やプログラムとしてではなく、一つの人格として扱います。 そこで最後の方に死を選んだノアズアークに「 お父さんに、会えるといいねぇ」と言うんですね。 私はあのシーンも超大好きで、たまに一人で真似をしています。 誰も居ない部屋に向かって「お父さんに、会えるといいねぇ」とドヤ顔決めています。 そんな感じで生と死の物語であるベイカーストリートの亡霊。 しかし大人が手だし出来ないので、かなりハラハラする展開ばかりになっています。 大人が手出しできず子供たちだけで頑張るストーリー コクーンというゲームを体験しているのは子供たちで、仮想現実に入った子供たちを大人が助けることはできません。 2世3世であり 努力や協力、感謝を知らない傲慢チキな悪ガキたちが、命がけのゲームに参加し協力することを学んでいくのです。 大人たちはただ見ていることしかできず、子供の成長を願うより命が助かって欲しいと願います。 当然ですが。 そのシーンも描かれているので、 大人に感情移入してしまうと心労で疲れます。 他の作品にはない、子供たちだけで頑張るというストーリーは、なんというか子供たちが希望であることを意味している気がします。 未来ある子供たちそのものが希望なんですね。 工藤優作を含めた大人組みも活躍します。 しかし大人は大人、子供は子供という2つの世界がきちんと分けられている点が本作をより魅力的にしていると思います。 特に探偵団のみんなが頑張ってます。 レアカードとコクーン参加権をトレードするところなんか、逞しいです。 業火の向日葵では「鈴木園子という金持ちお姉ちゃん」にお願いして欲しい物を手に入れています。 しかし本作では、ここでしか手に入らないカードと、これからいつでも遊べるコクーン(そんな保証はない)を取引しています。 シャーロックホームズネタが沢山あること さらに本作の魅力としてシャーロックホームズネタがたくさん登場することも挙げておきます。 ロンドンの街並み、シャーロックホームズの下宿、モリアーティ教授の登場などなど。 ホームズネタに、はしゃぐコナンは可愛いですよね。 ホームズネタが分からない人のために、ちゃんと解説している点も映画としての優しさを感じます。 イチイチ説明しているせいでテンポが少し悪くなっていますが、それほど気にならないでしょう。 作画と間の取り方も良い ストーリーだけでなく、 作画と間の取り方も好きです。 色合いは少しダークなので、コナン君の肌暗すぎじゃね??と思わなくもないですが。 蘭が飛び降りる時の首を傾ける画、コナンの眼鏡が光って表情が分からなくなる画が完璧なまでにかっこいいです。 またラスト、優作とコナンが顔を合わせるシーンの間の取り方も素敵です。 物語が終わってホっと一息ついた観客をさらに優しい気持ちにしてくれるシーンです。 感想のまとめ ストーリー、作画、展開、そして言いませんでしたが音楽も最高な映画ベイカーストリートの亡霊。 現実ではできない展開、ストーリーをゲームという世界に落とし込んで実現したこと。 ゲームの中ではあるけれど、都合のいいことばかり起こらないことなど、よく作り込まれた作品だと思います。 人気ランキング1位も納得です。 余談ではありますが、 個性より調和を尊重する日本の教育現場についても言及されている本作。 17年前の作品ですが、今の教育現場はどうでしょうか? ブラック校則という言葉を最近よく耳にしますが、下着の色や髪型まで決められている(管理)されている学校もあるそうです。 ヒロキ君のような子供が、のびのびと教育を受けられる環境はいつになったら実現するんでしょうか。 なんて色々考えてしまいました。 ベイカーストリートの亡霊の名言 ベイカーストリートの亡霊ではたくさんの名言が登場します。 他のコナン映画に比べて難しい用語もたくさん登場します。 その中から私が気に入っているセリフをいくつか紹介します。 わしゃ元気じゃ!• 好きでお父さんの子供に生まれたわけじゃないわ…• お父さんに、会えるといいねぇ• お前にしては時間がかかったな• キャスト 監督 こだま兼嗣 脚本 野沢尚 声優 高山みなみ 山崎和佳奈 神谷明 緒方賢一 林原めぐみ 茶風林 大谷育江 高木渉 岩居由希子 田中秀幸 折笠愛 緒方恵美 小林清志 速水奨 平田広明 津嘉山正種 大御所声優ばかりですね。 ヒロキ君を演じた折笠愛、諸星少年を演じた緒方恵美、ジャックザリッパーの速水奨あたりが好きです。 ゲスト声優は居ないので、ちゃんと物語にのめり込めます。 個人的にはシンドラーの津嘉山正種の声が大好きです。 「7more minutes」なんていい声過ぎて痺れます。 まとめ 何度見ても面白いコナン映画ベイカーストリートの亡霊。 17年前の作品ですが、今でも色あせずにコナンファンの心に残る作品です。 5年後、10年後も語り継がれる映画でしょう。 その未来ではどんな教育が行われているのか、AIがどこまで発達しているのか、楽しみです。

次の

名探偵コナンのベイカーストリートの亡霊で出てくるロンドン...

ベイカー ストリート の 亡霊

概要 [ ] 街路の名は、18世紀に通りを敷設した建築家のウィリアム・ベイカーに因む。 に居住したと設定されている架空の名探偵と関わりの深い通りとして有名である。 元来は高級住宅地だったが、現在は主に商業施設が立ち並ぶ。 の南に位置するパーク・ロードとの交差点を北端として、グロスター・プレイスに並行して、メリルボーン・ロード、ポートマン・スクエア、ウィグモア・ストリートと順に交わる。 ウィグモア・ストリートとの交差点を境にベイカー・ストリートはオーチャード・ストリートに切り替わり、で終点を迎える。 ポートマン・スクエア以後の区間はオーチャード・ストリートとして延びている。 オーチャード・ストリートとオックスフォード・ストリートに挟まれた角には、イギリスの高級として知られるが店舗を構える。 地区内には、現存する世界最古の駅の一つであるのが所在し、当該駅にはのが隣接する。 1971年、ベイカー街にあるロイズ銀行の支店で重大な強盗事件が発生した。 著名な居住者 [ ] ベイカー街55 1835年、初めての常設展示を試みたがベイカー街に開館した。 この蝋人形の館は1884年に角を曲がってすぐのメリルボーン・ロード沿いに移転した。 1940年、 Special Operations Executive, SOE の本部がへ移転した。 SOEはしばしばシャーロック・ホームズの浮浪少年探偵団と同名の""と呼ばれた。 のは1967年から1968年にかけて、ベイカー街94を拠点としていた。 長年、イギリスの大手小売業者であるの本社がベイカー街55の(同グループの"セント・ミカエル"のブランドになぞらえた名の)ミカエル・ハウスに入居していたが、2004年にパディントン・ベイスンへ移転した。 旧社屋はイギリスで最もよく知られた企業の建物であり、現代的な商業複合ビルとして再開発された。 イギリスの女性歌手は1960年代にベイカー街に居住経験がある。 ベイカー・ストリートの標識 架空の世界では、を筆頭に、バジル、、探偵カーランド・クロスがベイカー街に住んだことがある。 ""はジェリー・ラファティによる歌で、1978年にリリースされた。 また、1999年にはも発表している。 "ベイカー・ストリートの女神 Baker St. Muse "は1975年発表のによるアルバム『 』に収録された楽曲である。 2002年公開の『』にもベイカー街が物語の舞台として登場する。 イギリスのロックバンドの歌『 』ではベイカー街に関する言及がある。 アルバム『 The Liberty of Norton Folgate』に収録されたの楽曲"We Are London"の曲中では、ロンドンでも有数の名所としてベイカー・ストリートの名が登場する。 関連項目 [ ]• - かつての本部が所在した場所。 - 架空の人物であるシャーロック・ホームズの住所。 - ホームズの雇った浮浪児たちによる架空の少年探偵団。 - かつてベーカー街94に存在した洋装店。 脚注 [ ].

次の