長寿のお祝いにはそれぞれ 年齢によってテーマ色が異なります 有名なお祝いカラーは還暦の赤色。 では還暦以降の長寿のお祝いではどのような色でお祝いをするのでしょうか。 下記の一覧をまずはご覧ください。 還暦(60歳) 赤 還暦のお祝いは「赤ちゃんに還る」「厄除け」の意味合いから、赤いちゃんちゃんこを着てお祝いをします。 古希(70歳) 紫 基本的に「紫色」のものを贈ってお祝いします。 紫は高位を表す色とされたところが由来です。 喜寿(77歳) 紫 基本的に「紫色」のものを贈ってお祝いします。 古希同様、気品や風格を備えた色として紫色がテーマカラーです。 傘寿(80歳) 黄 基本的に「金茶色」「黄色」のものを贈ってお祝いします。 地域によっては「紫色」で祝う場合もあります。 米寿(88歳) 黄 基本的に「金茶色」「黄色」のものを贈ってお祝いします。 米の字の由来、実る稲穂からの連想と言われています。 卒寿(90歳) 紫 基本的に「紫色」のものを贈ってお祝いします。 長寿祝いでもっとも多く使用されているのが紫色になります。 白寿(99歳) 白 百の字から「一」を引くことで白となる白寿。 100-1=99。 文字のごとく、白色がお祝いの色となります。 百寿(100歳) 桃 百寿は「ひゃくじゅ」「ももじゅ」とも読め、桃色・ピンク色で祝う場合もあります。 古希・・・70歳 中国の唐の詩人、杜甫(とほ)の詩にある「人生七十古来稀なり」が由来。 「70年生きる人は古くから稀」の訳から。 喜寿・・・77歳 「喜」の文字が「草書体」で書くと(七十七)と読めるところから来たものです。 喜寿以降は日本が発祥といわれています。 傘寿・・・80歳 「傘」の文字の略字を分解すると「八十」となることから。 米寿・・・88歳 「米」の字を分解すると「八十八」となることから。 卒寿・・・90歳 「卒」の字の略字「卆」は「九十」と読めることから。 白寿・・・99歳 「百」の字から一を引くと「白」の字になり、100歳のひとつ手前の99歳の意味から。 百寿・・・100歳 百寿は「ひゃくじゅ」「ももじゅ」ともいう。 他に一世紀を表す「紀寿」ともいう。 どうしてゾロ目の年にもお祝いをするの? それには、 日本と中国の数字の捉え方が関係してくるのです。 皆様ご存知の五節句である、3月3日の桃の節句、、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕など、奇数を重ねた月日を節日としたのは元々は中国で、それらが日本に伝わったのが節句のはじまりで、江戸時代には五節句は正式に祝日となっていました。 中国では偶数は縁起が良いとされ、奇数はあまり好まれません。 逆に日本では奇数が縁起良いとされ「七五三」のように奇数には祝い事の観点からみると縁起が良いとされます。 しかし元々は「厄払い」の観点が由来なのです。 中国に伝わる故事では、奇数を重ねた日には不吉なものが多く、奇数が重なる数字は忌数、つまり縁起が悪いとされています。 そこで、縁起が良くない日にお祝いごとをすることで邪気を払う「厄払い」をしようと考えたのが始まりと言われています。 本来、奇数の同じ数字が重なる「五節句」から始まったこの数字に、喜寿の「七+七」と読める言葉遊びが加わり、還暦同様に厄払いも兼ねたことがゾロ目の始まりだったようです。 この77歳の祝い事に続き、88歳も99歳も祝い事の習慣になっていったのであります。 まだまだある、長寿祝いの種類 時代とともに長寿祝いも種類が増えており、 一番新しいものは2002年に作られました 前述の他にも、81歳の「半寿」、108歳の「茶寿」、111歳の「皇寿」、120歳の「大還暦」なんて言う長寿祝いもあり、一番新しいものでは、2002年に日本百貨店協会によって提唱された66歳の「緑寿」(読み方は「ろくじゅ」というものもあります。 108歳の茶寿は、「茶」の草冠を「十十」とし、下の部分は「八」「十」「八」、それを全部を足すと108になることからになります。 111歳の皇寿は、「皇」の字の「白」と「百」、そこから「一」を引いて99。 さらに「王」という字は中央の「十」と、残った「二」に分解できることからになるそうです。 難解パズルなみですね。 111歳(「川」の文字が111に見えることから)川寿(せんじゅ)とも言う業界もあります。 人生2回目の還暦という意味から大が付いて大還暦となります。 ちなみに戸籍や教会記録など信頼される記録が残っているもので、ギネス世界記録に公認された事例においては、大還暦を迎えた人は一人のみです。 ちなみに、日本百貨店協会様が提案されている「長寿お祝いの色」は下記とされています。 古希70歳=藍色• 喜寿77歳=黄色• 傘寿80歳=オレンジ• 米寿88歳=ベージュ• 卒寿90歳=紫• 白寿99歳=白 これは、あくまで日本百貨店協会様が提案の色なので、色はその土地から伝わる伝統や、お好みで変えられても問題ありません。 長寿祝いのテーマ色もその時代や言葉遊びで変化したり、新しいものが作られたりしています。 当店「六〇屋」では、一般的に認知が高い色をご提案しておりますが、プレゼント品で色味を加える場合はそのご本人の好みで考えても良さそうですね。 (還暦の祝い品だけど包むリボンは紫にしよう等、好みがあって問題ないのです) 長寿のお祝いの仕方は?作法やマナーはあるの? 形に残るものは避け、 旅行、食事、お酒などを贈る方が多くいらっしゃいます 現代では世界で1、2を争う長寿国家の日本でも、昔は40歳、50歳が終年の時代でした。 平均寿命が延びた現在では、60歳を迎えてもまだまだ現役で働き、健康でお若い方も多くなっています。 そのため、還暦祝いは長寿の祝いというよりも、人生の区切りとしてお祝いするという意味合いが濃くなってきています。 贈られるプレゼントやギフトの傾向も、お年寄り向けではなく、スポーツウェアやお酒、趣味に関したものなどが人気を保つ中、旅行や食事会など特別な体験をプレゼントする場合も多いようです。 干支が60年で一巡する「還暦」か「古希」にかけては、親へのお祝いの場合ですとちょうどお子さんたちも結婚やお孫さんが産まれる年代と重なります。 「これまでの感謝の気持ち」や「これからもずっと長生きでいてほしい」という思いがより一層強くなる頃ですので、傾向として贈られているギフトにもメッセージを付けられるものが人気です。 プレゼントを贈るときは自分の趣味を押しつけるものや、好みが分かれるものを贈るのは避けましょう。 このことから形に残るものは避け、旅行、食事、お酒などを贈る方も多くいらっしゃいます。 贈り物は相手の趣味や好みに合ったものを贈るようにしましょう。
次の数え年61歳の称。 華甲 かこう 、本卦 ほんけ 返りともいう。 華甲というのは、華の字が十の字六つと一の字からなっており、甲は甲子 きのえね の甲で歳の意である。 還暦、本卦返りというのは、干支 えと によって年齢を数えるとき、数え年61年目に、生まれ年と同じ干支に返るからである。 古くは40歳から10年目ごとに年祝いをしたので60歳を祝ったが、室町時代の末ごろから61歳の還暦を祝う風がみられるようになった。 親戚 しんせき 知友が祝宴を開き、贈り物をするなど全国を通じておおむね同様な習俗がみられる。 香川県では、61歳の祝いは子が祝ってあげるものといい、二つの大餅 もち を配る所と、紅白の餅に、大豆を入れた三日月形の豆餅を添えて配る所があるという。 神奈川県では、昔は頭巾 ずきん 、着物、羽織、帯、足袋 たび など赤い衣装で宮参りした。 期日は11月15日の七五三の日などにした。 最近は男女とも平均寿命が延びたので、還暦の祝いは以前ほど盛大にしなくなった。 [大藤時彦] 出典 小学館 日本大百科全書 ニッポニカ 日本大百科全書 ニッポニカ について の解説 【老人】より …これらの特性は,中国の老隠者のイメージにも重なるが,東アフリカの年齢階梯制に典型的にみられるように,アフリカなど多くの社会では,すべての人間が世代によってまったく異なり対立する理想を順次みずからの特性として体現しており,老人の特性も他の世代の特性と対立しながら,ある人間性の理想を象徴しているのだといえよう。 【小田 亮】 [民俗] 60歳以上の高齢者を一般に老人と呼ぶがこれは民俗学的にみれば61歳還暦の年祝いを契機としているといってよい。 しかし労働力としての人間の世代区分からいえば,労働から引退する傾向が著しい65歳以上を老人とし,60代後半を老年初期,70代前半を老年中期,70代後半以降を老年後期とする区分もある。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.
次の現在の中高年世代にとって、ちゃんちゃんこは子供のころに着ていた懐かしいアイテムですよね。 冬の寒い日、セーターの上にちゃんちゃんこを羽織り、こたつに入ってみかんを食べたり夜中まで受験勉強に励んだりといった思い出をお持ちの方もいるでしょう。 今でもお年寄りには愛用者が多いですよね。 しかし若いかたにとっては、「ちゃんちゃんこ?何それ?」という方も少なくないでしょう。 そこで今回は、 ちゃんちゃんことは何なのか、半纏やどてらなど他のよく似た間違えやすい和服と併せ、その違いや歴史を徹底解説いたします。 また、ちゃんちゃんこという名前の由来や、地域による呼び名の違いなどを探り、昭和世代には懐かしい、平成世代にはレトロで新鮮なちゃんちゃんこの魅力をたっぷりとご紹介いたします。 ちゃんちゃんことは? ちゃんちゃんことは袖なしの羽織のことで、ほとんどの場合、綿入れの防寒着を指しています。 子供や老人が着用することが多く、袖がないため着脱がラクで、 家事や作業がしやすいというメリットがあります。 襟が裾まで続き、前に付いた胸紐を結んで着ますが、前身頃の布は重なり合わないため、下にセーターなど衣類を着込む必要があります。 しかし、綿が入っているため布団をしょっているかのように温かく、いったん羽織るとなかなか脱ぐ気になれません。 昔はエアコンがなかったため、冬場は室内でも冷えており、ちゃんちゃんこが大きな役割を果たしていました。 今でもちゃんちゃんこを羽織ると 暖房を必要としないほど温かく感じるため、着出すと手放せなくなるようです。 ちゃんちゃんこという名の由来 なぜ、ちゃんちゃんこと呼ばれるのかは諸説ありますが、最も有力なのは 飴売りが着ている衣装から来たというもの。 江戸時代、袖なしの羽織を着た清国の子どもが、鉦をチャンチャンと叩きながら飴を売り歩いていたことから、子供の着る袖なしの羽織をちゃんちゃんこというようになったといいます。 また農作業などの仕事が、 袖なしのためチャンチャンできる(=テキパキできる、ちゃんとちゃんとできる)ことから、ちゃんちゃんこと呼ばれるようになった、という説もあります。 いずれにせよ「ちゃんちゃん」という言葉の響きがかわいらしく、印象に残るネーミングですよね。 ちゃんちゃんこと似た和服、それぞれの違いと歴史 ちゃんちゃんこは袖なしの羽織、とご紹介しましたが、「羽織って何?」というかたもいらっしゃることでしょう。 また、 ちゃんちゃんこは半纏(はんてん)やどてらと同じなのか、など似た和服と混同されることが多いため、それぞれの特徴について由来とともに解説いたします。 そもそも羽織って何? 一般的に着物といったら丈がくるぶしまであるもの、と思いますよね? これは正確には長着といい、 羽織とは長着の上に羽織る和風のカーディガンと思えばいいでしょう。 羽織だけでは体全体をくるめないため、まずは長着でしっかりと体を包み込み、その上から着用します。 ちゃんちゃんこがセーターなどを着込んだ上で、さらに羽織るのと一緒です。 羽織は戦国時代、鎧の上から羽織る防寒用の陣羽織として登場して以来、日常着として定着し、江戸時代には広く町人にまで伝わりました。 しかし脇に襠(まち)があって袖が長く、胸紐があり、 襟を返して着る袷(あわせ。 表地と裏地が合わさったもの)である羽織は格式が高いとされ、着用できるのはせいぜい大店の番頭クラスまでで、一般庶民は着用できないという暗黙のルールがありました。 現在でも 羽織を身に着けるのは、男性の場合、和服の正装とされるほど格が高く、フォーマルな装いです。 一方、女性は打掛(うちかけ)といって、現在では結婚式でしか見かけない 美しい長着を羽織るのが正装とされ、羽織が広まったのは明治期以降です。 花柳界から伝わり、明治から大正にかけて膝下丈の羽織が大流行しました。 今でもレトロなアンティーク着物で見つけられますよ。 女性の羽織がフォーマルな衣装とみなされるようになったのは、既婚女性が羽織る黒紋付が登場してからです。 黒紋付、色紋付、絵柄の入った絵羽織の3種類あり、これさえ羽織ってしまえば格式の高い礼装となることから、昭和50年代くらいまでは主婦に大変重宝されていました。 今の中高年の中には、入学式の付き添いに母親が羽織を羽織った和服姿だったという方も多いのではないでしょうか。 現在は成人式以外、和服をほとんど見かけません。 同時に冬のねんねこ半纏やかいまき、どてらといった和の防寒着も姿を消しつつあるようです。 どてら 冬に着る綿入りの長着がどてら(褞袍)です。 関西では丹前と呼ばれることが多く、室内で着る布団のような和風ガウンと思えばいいでしょう。 実際、どてらは布団にもなります。 かいまき布団といって、どてらの前後を逆にして袖を通し、掛布団として使用すると首周りや肩先がすっぽりと覆われるため、とても温かく眠れます。 今の中高年の中には子供の頃、かいまき布団で寝ていた方も多いことでしょう。 寒さの厳しい東北や北海道では特に愛用されており、 かいまきを丹前と呼んでいたようです。 どてら(=丹前)はまた、 湯上りに着る防寒衣類でもありました。 昔の旅館では冬場、浴衣の上に羽織る丹前が提供されており、今の中高年世代には懐かしく思い出されるのではないでしょうか。 もともと丹前とは、江戸の有名な湯女が着ていた衣装をいい、その風呂屋(今でいうソープランドのようなところ)に通い詰めていた旗本の使用人たちがこぞって真似たことから広まったといいます。 半纏(はんてん) 半纏・袢纏・半天・伴天と漢字は何種類もありますが、すべて「はんてん」と読みます。 羽織のように丈が腰くらいまでの短い上着ですが、羽織と違って胸紐がなく、脇に襠(まち)もありません。 襟も折り返さず着用します。 江戸時代、羽織を着られなかった庶民が羽織の代わりとして着出したのが半纏といいます。 そのため羽織が礼装なのに対し、半纏は作業着です。 大工などの職人や火消しなどが着るユニホームのようなものでした。 特に屋号や紋などが入っているものを印半纏(しるしばんてん)と呼び、戦後も広く着用されています。 消防の出初式やお祭り、応援団、セール時に着用する店員の衣装などはすべて印半纏の一種です。 一方で 半纏には綿が入っているものがあり、綿入れ半纏と呼ばれ、冬の室内用防寒着となっています。 表地と裏地の間に綿が詰め込まれているため保温性が高く、襟が黒繻子であるのが特徴です。 この綿入れ半纏のことをちゃんちゃんこだと思っている方が多いのですが、 正しくは袖のない綿入れ半纏がちゃんちゃんこです。 この綿入れ半纏を大きくしたのが、ねんねこ半纏で、おんぶした赤ちゃんの上から羽織れる便利なガウンコートとして母親たちに大変重宝されました。 今の中高年世代には懐かしい光景として思い出されるのではないでしょうか。 法被(はっぴ) 前述したように現在では印半纏が法被(はっぴ)と同義語になっています。 しかし、もとは法被と半纏には違いがありました。 法被は羽織同様、丈がお尻まであり、脇に襠(まち)があって袖が長く、胸紐があり、襟を返して着る、能や武家の装束から生まれた上着です。 ほとんど羽織と同じですが、違いは羽織が袷なのに対し、 法被は単衣(ひとえ。 表地だけ)であること。 一方半纏は、丈がお尻の上と法被より短く、脇に襠がない、袖が短く袖口が小さい、胸紐がない、襟を返さないといった特徴があり、江戸の庶民が羽織代わりに着ていました。 半纏は羽織と同じく袷で単衣の法被とは異なりましたが、江戸時代末期になるとその区別はなくなり、半纏と法被の違いはなくなってきました。 しかし格式の点では法被のほうが上で、半纏のほうが下だったと考えられています。 また、江戸は半纏、上方は法被だったともいれています。 現在は印半纏=法被ですが、ただ 単に半纏とだけいう場合は、綿入り半纏のことを指し、それ以外は法被(=印半纏)と呼ぶことが多いようです。 改めてちゃんちゃんことは? 袖なしの羽織、袖なしの綿入り半纏といえます。 飴売りの衣装が起源とされていますが、寒い地方の綿入れ半纏を、作業のしやすいよう袖を切り落としたのかもしれません。 あるいは袖なしの羽織では寒いから、中に綿を詰め込んで保温性を高めたのかもしれません。 いずれにせよ衣類は庶民の暮らしの実情に応じて変遷していくもの。 ちゃんちゃんこも羽織や半纏などと同様、時代が移るにつれ様相を変えていったのでしょう。 現代ではちゃんちゃんこといえばたいていは綿入りタイプを指しますが、 地域によっては綿なしの袖なし羽織を指すところもあります。 ゲゲゲの鬼太郎が羽織っているタイプですね。 還暦の赤いちゃんちゃんこも同類です。 それでは地域によってちゃんちゃんこがどう呼ばれているか、方言を見てみましょう。 地方によるちゃんちゃんこの別名 時代の変遷をたどったちゃんちゃんこは、地域により呼び名がさまざまです。 一例をご紹介しましょう。 東北の「どんぶぐ」 寒さの厳しい東北地方では、ちゃんちゃんこやどてら、綿入れ半纏などを「どんぶぐ」と呼んでいます。 胴服がなまって「どんぶぐ」になったといわれ、宮城県、秋田県、山形県南部で話されているようです。 また、袖なしの綿入れ、つまりちゃんちゃんこに関しては、 「つんぬぎ」ともいわれ、 筒(袖のこと)がない、脱いだ、抜けた、から転じていると思われます。 冬の寒さをどこよりも痛感している地域ならではの呼び名には、親しみが込められていることがわかりますよね。 西日本の「でんち」 「でんち」は殿中羽織に由来しているとされ、岐阜、愛知の中京から京都、大阪の関西、そして四国一帯にかけて使われています。 同じく殿中羽織から派生したのか、「てんちこ」「てんこ」などと呼ばれている地域もあり、香川県の一部では「でんこ」と呼ばれています。 また、三重県の伊勢では「でんち」、伊賀では「てんちこ」、福井県の大野郡では「でんち」、大飯郡では「てんこ」といったように、 同じ県内でも地域により呼び名が変わるところがあります。 現在は同県内でも、かつては別々の藩であったがゆえに、習慣や料理、言葉などが全く異なる場合がありますよね。 西日本一帯は、たびたび歴史の表舞台に登場してきた地域であるからこそ、さまざまな呼び名が派生したと考えられ、豊かな文化を感じさせてくれます。 半纏は「はんこ」 綿の有る無しにかかわらず、半纏や法被を「はんこ」と呼ぶ地域は、岩手、福井、福島、栃木、茨城、千葉、静岡、愛知、長野、滋賀、三重、奈良、和歌山、岡山、広島、徳島、愛媛、高知と多岐にわたります。 半纏(または法被)は広い地域で庶民の生活になじんでいたことがわかりますよね。 階級が上の人しか着用できなかった羽織には、こういった愛称はなかったのではないでしょうか。 羽織と半纏は似ていても全く性質の異なるものであったことが、呼び名一つとってもわかります。 このようにざっと見ただけでも様々な呼び名があるちゃんちゃんこですが、 九州沖縄地方には固有の呼び名がなかったところを見ると、やはり暖かい地方では必要とされなかったからではないか、と推測できますよね。 その地方でどれだけ庶民の暮らしにかかわっていたか、呼び名を見るだけでもわかるといえます。 まとめ:伝統ある素朴な温かさをもう一度身にまとって 冬の室内用防寒着として着用されるちゃんちゃんこですが、その歴史は古く、江戸時代の飴売りに由来しています。 羽織、半纏、法被、どてらなど、ちゃんちゃんこと混同される似たようなタイプの和服とともにさまざまな変遷をたどった末、現在もしっかりと息づいています。 古き良き時代に思いをいたし、昔懐かしいちゃんちゃんこをこの冬、再び羽織ってみませんか? 若い世代にとっては、レトロで昭和の香り漂う魅力にハマることでしょう。 ほっこりとする温かさに、どうぞゆったり浸ってくださいね。
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