概説 [ ] 定義• は、1条の1で「人種、、又は的出身に基づくあらゆる区別、、制限又は優先であって、的、的、的、的その他のあらゆる公的生活の分野におけるの立場での及びを認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する又は効果を有するもの」と定義している。 ただし、1条の2には「この条約は、締約国が と市民でない者との間に設ける区別、排除、制限又は優先については、適用しない」とあり、国籍の有無による区別は人種差別にはあたらないとしている。 ただし参政権などのように「公権力の行使又は国家の意思の形成に影響を与えるから」などの合理的な根拠がある場合に限られるとしている。 社会学者は、レイシズムを以下のように定義した。 肌の色など恣意的に選び出された特徴を重要な基準として選択し(segregation)、この特徴により人間集団をカテゴライズし(racialization)、否定的/肯定的な評価を付与し、 一定の人間集団を排除/包摂(exclusion/inclusion)していく。 ステレオタイプな「他者」像(representation of the Other)をともなう。 分類の基準となる特徴は、一般に形質的なもの(例 肌の色、頭部()の形、、、等々)だが、見て直ぐに分からない生まれつきの現象(例:血統)も重要な特徴として選ばれることがある。 国際規約による禁止 (UNESCO)は、に「人種の優劣には根拠がない」、「人種混交が生物学的に不利な結果をもたらすという証拠もない」という内容の、「人種と人種差別の本質に関する声明」を出している。 それらをふまえて、は、第20条第2項で、「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的の唱道は、法律で禁止する。 」と明記しており、つまりこれによって、国籍の違い、人種の違い、宗教()の違いなどを根拠にしての感情を人々に言い広めることは 差別や敵意や暴力を扇動することになる、という事実を指摘しつつ、人種差別的憎悪を唱導すること(言い広めること)も禁止する、と明示したわけである。 人種差別というのは、人種の違い、国籍の違い、信仰(宗教)の違い などを、(自分にとっては都合の良いように)恣意的に選んで人間をカテゴライズ(分類)しておいて、(自分の属するカテゴリーではない、と恣意的に位置づけてしまった人々に対して)憎悪の感情を抱いておいて、その感情に駆られて差別をしたり、敵意を抱いたり、暴力をふるったりすることである。 人種差別をしている人は、憎悪の感情に駆られた言動、いわゆる「」をしがちで、この言動がさらに、それを聞いた人々の心に その恣意的で誤った認識に基づく感情(人種差別の感情)を伝染させ、さらなる差別や敵意や暴力を作り出す結果を生んでいる。 歴史と事例 [ ] 以下、人種差別の歴史と現在の動向について概説する。 ヨーロッパ [ ] 「」、「」、および「」も参照 ギリシア・ローマ時代を古代欧州と定義するかは、欧州懐疑論者からしばしば聞かれる疑問である。 仮に含めた場合、北アフリカの属州に居住する住民を通じて一定の異人種間の交流が見られたが、属州アフリカの大多数の住民はコーカソイド系のであって、中南部の黒人種との交流はごく限定的なものであった。 古代ローマ時代のガリアやゲルマンは文明の中心地であった地中海世界や中東から離れた未開地であり、ローマ人にとって後年にはと定義された風貌は蛮族の象徴のように書かれた。 しかしながらいわゆる人種差別という概念は、古代ギリシア・ローマには存在しなかった。 では黒人のが美女として描写されていたし、ローマの時代には皇帝候補として擁立されたアフリカ系住民もいた。 封建的無秩序といえる中世時代においては身近な貴族同士の対立が一番の関心事で、次に宗教的対立がより重要な課題であり、次いで民族対立が垣間見えるといった程度であった。 なお肌の白さが優位性の印と考えられるようになったのは後世の話である。 以後のがの、以南のを差別したことは歴史上では顕著である。 また、同じ西欧人であっても人など差別を受けた歴史をもつ民族も多い。 などにより、一方の人種が生物学的に原始的であるとしたり、知能が劣る・野蛮であるとして、野生動物のように考えていた時代もある。 大航海時代以後の西欧人は近代的な軍隊により世界の大半を侵略、植民地化していった。 を正当化するため西欧人の優勢が主張され「白人が、非白人に文明を与えるのは義務である」とされた。 この考え方は次第に肥大し、学術分野においても各人種間に特徴的な差異を「一方の人種が劣っている証拠」とする説が発表され、の名で正当化された。 この中にあっては大いに捻じ曲げられ、後の発達を大きく妨げたと考えられる。 ドイツ [ ] を掲げたは、「セム人種」や「ユダヤ人種」という生物学的分類を主張し、主に民族的・宗教的な分類であるを生物学的にも区別しようとした。 ギリシャ [ ] では人種差別的な攻撃に関して有罪判決が下ることはほとんどなく、人種差別が横行しているとされる。 危機があってから、彼ら移民はギリシャ人の不満のはけ口にされており、特に攻撃にさらされている。 アフリカ [ ] 以南のアフリカに集中的に居住していたは古代においてやの奴隷として扱われた時期があり、人種差別の対象であった。 イスラム圏の偉大な哲学者であるでさえも黒人を差別の対象としている。 ただし、預言者の時代以前、アラブ人諸部族が、アラビア半島で統一の国家を持つことなく、部族間の争いに明け暮れていたころ、対岸のアフリカ大陸にはという黒人の大帝国が存在していた。 エチオピアからアラブ諸族が侵略を受ける事もあれば、逆にエチオピアに保護を求める事もあった。 そのためアラブ人には、黒人は文化程度の劣った人種というより、自分たちより文化水準の高い畏怖すべき人種という概念が持たれていた時代もあった。 確かにアラブ諸族には黒人奴隷を所有する者もいたが、黒人はあくまで奴隷の一部であり、奴隷の大半は同じアラブ諸部族の戦争捕虜や、海賊に拉致されたり奴隷商人に買われたヨーロッパ系住民であり、いわゆる白人が奴隷にされる事も普通であった。 時代には南の大規模農業で使役していたが過酷な労働環境に不満を抱き反乱を起こしている()。 なおヨーロッパからアフリカを見た用語としてがある。 大航海時代以降は「新大陸」を発見したヨーロッパ人が、そこにおける労働力として黒人奴隷を使役した。 ヨーロッパ人は主に西〜中央アフリカに住む黒人を奴隷として使役してきた。 これは「新大陸」での極度に集約的な大量生産のために奴隷が好都合だった事。 「新大陸」における先住民がヨーロッパ人が持ちこんだ伝染病によって多くが死んだため、代わりの労働力を必要とした事。 その際に黒人は伝染病への耐性を持っていると信じられ、適任であると考えられた事。 外見的な特徴から非奴隷との区別がしやすかった。 などの理由があげられる。 ヨーロッパ列強がアフリカの大半を植民地支配するのは19世紀末以降の事であり、それまではアフリカ現地の国家や有力部族長が、敵対部族の者を捕らえ、ヨーロッパ人に対して奴隷として売却して利益をあげていた。 ヨーロッパ人に購入された黒人は奴隷船の船倉に積み込まれ、新大陸等の市場へ輸送された。 奴隷船船倉の条件は過酷であったので市場に着く前に命を落とす黒人もかなりの割合にのぼった。 では商品として台の上に陳列され、売買された。 彼ら黒人奴隷はを否定され、家畜と同様の扱いであった。 軽い家内労働に従事できる者や奴隷身分から解放される者はごく少数だった。 こうしたヨーロッパ人による奴隷制度は、1888年にが奴隷制度を廃止するまで続いた。 こうして奴隷労働に支えられて成り立った世界的な商品がサトウキビと綿花であった。 「」、「」、「」、および「」も参照 アメリカのは、奴隷解放戦争としての性格を性格の一つとして帯びていた。 多くの黒人奴隷に経済基盤を支えられ、奴隷解放に反対していた南部の各州が敗れると、制度としてのアメリカの奴隷は、撤廃・解放されたが、実質的な差別は、根強く残った。 後のでは、のに関連して牧師によるが、多数のアメリカ市民に影響を残した。 インディアンへの差別 [ ] アメリカ合衆国は領土拡大の際の「邪魔者」として、(ネイティブ・アメリカン)を徹底的に排除する政策を実施した。 はインディアンの(Reservation)への囲い込みを推し進め、第7代米国大統領は「インディアンは滅ぼされるべき劣等民族である」とで演説した。 軍人のの「よいインディアンとは死んだインディアンの事だ」という発言や、の「インディアンを今年殺せるだけ殺せば、来年は殺す分が少なくて済む」といった発言は、合衆国のの姿勢をよく表すものである。 「」の違法をが認め、「インディアンは人間である」と判決文に添付したのはになってようやくのことである。 それ以後もインディアンは「(色つき)」としてまで「」の対象とされたのである。 アジア系住民に対する差別 [ ] 「」および「」も参照 黄色人種(系)は白人社会から、勤勉さや教育熱心な文化が評価され、確実に白人社会に食い込んでいったこともあり、後半以降は一方的な搾取を受ける事態には至っていない。 やなどにおける系移民のや生活水準は白人以外の人種の中にあって高く、平均して白人を凌ぐことすら多い。 その現れとして、アメリカの大学選考においてによる優遇は無く、むしろ不利に設定されている。 一方、20世紀前半のアメリカやでのやの境遇をみると、などの奴隷的境遇に落とされたり、また苦労して経済的地位を築いた後も「」を背景とした排斥の動きに遭遇したという歴史がある。 特に日系人は中は市民権を停止され強制収容所に収容されるに至った。 同じように米国と交戦していた他の、といった出身者やその子孫はほぼ制限を受けることはなかったため、白人以外の人種のに対する人種差別とみなされている。 ラテンアメリカ [ ] 「インディアンとがチノ(混血)を生む」という1770年の絵画 人侵入後の南米は、、などの征服地で彼らの国家を武力で滅ぼし、・大量によって植民地支配し、、を差別の中に置いた。 スペイン領では、らキリスト教伝道師がインディアン保護に奔走するが、これは、結果的に労働力の代替としての黒人奴隷導入につながる。 近代以降も白人、、インディアン(インディオ)で社会階層が分かれている国家が少なくない。 日本 [ ] 後の日本は、非ヨーロッパ系の有色人種国家として唯一のであり、欧米から自分たちの存続権利を守るため「人種差別反対」の立場をとることが多かった。 の一員として参加した日本代表が後ので、を提案するも、イギリス代表・アメリカ代表などの議長拒否権行使や全会不一致により不成立に終わっている。 は、国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初であると述べている。 では人種差別を国是とすると()を締結したが、欧州人でも白人でもでもない日本人はの迫害には非協力的だった。 むしろ、に自治州を建設するが存在し、成立後もにてユダヤ人を迫害をしない旨をとりきめ、他の・占領地域のようにユダヤ人迫害に協力することはなかった。 ただし、にあるように、外交的な配慮からユダヤ人の保護に積極的に関与することは無くなっていく。 当時日本のとしてに勤務していたは数千のユダヤ人にを発給してその生命を救出することに尽力したが、これはあくまでも彼の個人的な判断によるものである。 近年の日本においては「に入って過激化したへの差別的言動・街宣活動」が問題視され 、「 2016年6月3日施行 」 や、大阪市のへの対処に関する条例 2016年7月1日施行 などの対策法が成立した。 民間ではが黒人の表現について抗議活動を行っている。 韓国 [ ] 「」を参照 はの勧告を受理せず、出入国管理法を改悪しの権利を制限し、また移住労働者に対して偏見から暴言や暴行・労働搾取などをおこなっている。 2012年に韓国国家人権委員会が発行した「漁業移住労働者人権状況実態調査」によれば、93. 5%もの船員移住者は悪態や暴行を経験し、うち42. 6%は暴行を経験していたと公表された。 2012年、系韓国人のが国会議員に就任した際には上では人種差別的なが起こった。 には人の船員が韓国人同僚から暴行され死亡する事件が発生している。 国連人種差別撤廃委員会は2012年に韓国政府に対して差別撤廃禁止法などの制定を勧告したものの、韓国政府は履行しておらず「移住労働者は事業場も自由に変われない」「現代版の奴隷をつくりだして今も人種差別政策を施行している」(韓国・外国人移住労働運動協議会、イ・ジェサン運営委員長)とされる。 2013年6月、プロ野球選手のが黒人投手に対して「黒い顔のせいで、彼がマウンドで笑うと白い歯とボールが重なり、ボールが打ちにくい」と発言し、国家人権委員会から警告を受けた。 には、抱川アフリカ博物館の移住労働者労働搾取事件が発覚した。 この事件では、アフリカ人の芸術家が法定最低賃金の半分ほどの賃金しか受け取れず、労働者がのような労働を抗議すると「アフリカなら大金じゃないか」と博物館側は答えた。 9月、国連人権高等弁務官事務所の人種差別等特別報告官が韓国で実態調査を行った。 韓国のテレビ番組で芸能人がのマスクをかぶったり、「ディス・アフリカ」という広告でを登場させるなどの事例が報道されており、AFP通信は「韓国人は無意識に人種差別をしている」と報じた。 撤廃への国際的な試み [ ] 「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する。 」と定める第20条の第2項については「」を参照 の講和会議であるでは、の一員であった日本側代表団が「」を行なった。 代表や代表が強硬に反対する中で採決が行われ、結果11対5で賛成多数となったが、議長のアメリカ大統領・が例外的に全会一致を要求した為、否決された。 1963年、が「」を採択。 に国際連合が「」を採択、1969年に同条約が発効した。 1996年に日本で同条約が 1976年に「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する。 」と定める第20条の第2項を含む(国際人権規約)が成立した。 2001年、ので開催された「」(WCAR)では、の国家代表たちによる人種差別、、横断の売買、およびに対する人種差別非難が相次いだ。 会議は、人の権利保護要求、シオニズムに対する満場一致の非難を決議した。 米国、の代表団は、これに猛反発し、決議をボイコットした。 2009年4月20日からので開催されたWCARでは、米国、イスラエルに加え、・・・・・・・の各国代表がボイコットした。 レイシャルハラスメント [ ] 人種、出自、国籍をもとに、相手を攻撃したり不安にすることをレイシャルハラスメントと呼ぶ。 出自に関する侮蔑的発言や特定の民族しかいないことを前提とした会話や事業、ミスや考え方を特定のルーツに結びつけた評価なども含み、あらゆる関係性で起こりうる。 特定の民族の優位性をうたう表現や、外国人排斥に関する発言などがレイシャルハラスメントに該当する。 脚注 [ ] []• 大辞泉「人種差別」• 「市民」は先進国で国家と人との関係を理解する鍵となる概念。 日本は、いまだに やや的で、この「市民」の概念が十分理解されておらず「」と表現されがち。 ロイター. 2014年8月23日閲覧。 人種差別の撤廃を国際会議で初めて訴えたのは日本だった• 渡部昇一『本当のことがわかる昭和史』PHP研究所、2015年7月16日発行(292-293ページ)• 渡辺勝正 『真相・杉原ビザ』 大正出版、2000年 [ ]• 毎日新聞「開かれた新聞 委員会から ヘイトスピーチ報道」毎日新聞 東京朝刊 2016. 「大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例」について 2016. International Convention on the Elimination of All Forms of Racial Discrimination• 沖縄の民意尊重を 国連人種差別撤廃委が日本に勧告 2014. 中央日報2013年6月11日• ハンギョレ2014. 1「」• XINHUA「」 参考文献 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2010年2月)• 岡本雅享 監修『日本の民族差別』人種差別撤廃条約からみた課題 明石書店 2005年6月• 金静美『水平運動史研究』民族差別批判 現代企画室 1994年1月• 『』 日本語. GNV 2019年3月 関連書籍 [ ]• 著『太平洋戦争における人種問題』市川洋一訳、草思社, 1991年• 著『容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別』斎藤元一訳、平凡社ライブラリー、2001年 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - -•
次の2020年06月17日 14時06分 「人種差別」について子どもに教える上で押さえるべき重要な9つのポイントとは? アメリカで起きた抗議活動をきっかけに、世界各地で黒人に対する人種差別の撤廃を訴える 運動が活発化しています。 人種に対する偏見をなくすには適切な学校教育が必要不可欠だとのことで、「教師が生徒に『人種差別』について教える際に重要な9つのヒント」について、オーストラリアの や の講師らが解説しています。 オーストラリアのスコット・モリソン首相はラジオのインタビューで「オーストラリアに奴隷制はなかった」と をしましたが、実際にあった歴史的事実を否定し、なかったことにすると、「過去の人種差別が現代の人々にまで影響を与えていること」を理解する上での妨げになります。 教師は生徒たちに人種差別的な過去を伝えるため、記念館や博物館に連れて行ったり、付近の地名について調べさせたりすることが必要だと研究者らは指摘。 地名の中に人種差別の名残があるケースも少なくないそうで、たとえばオーストラリアで時折見られる「Boundary Road 境界道路 」という地名は、オーストラリアの先住民が「ここから先へは立ち入ってはならない」と決められていた境界線に由来する場合があるとのこと。 意識的・無意識的な優越感に基づき、特定のグループが持つ文化や主張、専門知識こそが「標準」であり、それ以外のものは劣ったものだと見なされてしまいます。 近年では人種差別の形態がより無意識的になっているそうで、「人種差別は『悪い人』が行うものだ」という考えを持ってしまうと、「善良な人々」が自らの日常に潜んだ無意識的な差別を見落とし、社会の人種差別的な構造を見直す機会が得られないとのこと。 そのため、教師は「人種差別はたとえ善良な人々でも、無意識のうちに行っているものだ」と教える必要があるそうです。 しかし、たとえ人種差別を行う意図を持たない人の行動であっても、結果として人種差別的な行いになってしまった場合、被害を受けた人に及ぶ影響が軽減されることはありません。 うっかり誰かに熱いコーヒーをかけてしまった場合、「そんなつもりじゃなかったのに、なぜあなたは怒っているの?」と反論するよりも「ごめんなさい」と謝罪する方が適切なように、意図しない人種差別においても自分の間違いを認めて謝罪し、今後の行動をより慎重にすることが重要です。 そのため教師は生徒たちに、人種差別を目にした場合に建設的なフィードバックを与える方法を教えると同時に、誰かから人種差別だと指摘された場合に相手の主張を受け入れる「柔軟性」を与えるサポートを行う必要があるとのこと。 そのため、「黒人の男性」と「黒人の女性」では経験してきた差別の内容が大きく異なる場合があるほか、「ある面では抑圧されているけれど、別の面では特権的な階層に位置している」というケースもあることを生徒たちに教えなくてはなりません。 教師は「生徒たちも人種差別のトラウマを抱えているかもしれない」と考え、人種差別を煽る人々に抵抗する方法を教えるだけでなく、トラウマを負った人々を支援する必要があるとのこと。 教室で人種差別に関するデリケートなトピックについて話す場合、教師は事前に生徒たちに警告し、心の準備をさせることができます。 また、クラスの中にどのような人種的背景を持った生徒がいるのかをチェックし、心を傷付ける可能性がある事例や画像、ムービーの使用を避けることも検討するべきです。 「他の子が持っている文化や人種的な背景について不適切なことを言ってはならない」「特定の文化が他の文化より優れているという考えはよくない」といった風に、生徒たちに教えるのも教師の役目です。 そのため、別の文化が持つ知識や読み物、映像といった資料をカリキュラムに組み込むことで、カリキュラムの多様性を確保するべきだとのこと。 教師は生徒たちに正しい歴史を教えると同時に、無意識のうちに根付いた不正確な歴史や他人種へのステレオタイプについてもスポットを当て、自分自身の考えに疑問を投げかけて、変化を促す必要があります。
次のこれを書くと理解しようとしない人が誤読して炎上してしまう可能性が高いが、しかし今回はあえて書いてみる。 それでも、なるべく分かりやすく書いてみたい。 差別をなくす運動というのは、なかなか上手くいかない。 その根本的な理由は、差別をなくそうとする人そのものが、差別心があるからである。 というより、差別をしている。 誰を差別しているかというと、彼らは「差別をする人」を差別している。 差別を糾弾する人こそ、実は最も差別的である 例えば、国籍差別をする人がいたとする。 中国人や韓国人を心から蔑む日本人だ。 それに異を唱える人は、ほとんどの場合で国籍差別をする人を蔑んでいる。 だから、国籍差別をしている人の心に響かない。 おかげで、国籍差別はなくなるどころか、ますます増えるのである。 男女差別もこれと一緒だ。 まず、女性を蔑む男性がいたとする。 すると女性は、その男性を蔑む。 そうして、蔑みの連鎖が生まれる。 そんなふうにお互いに蔑み合っているから、いつまで経っても問題が解決しない。 この問題を解決する方法は、まずは蔑まれている方が、蔑んだ人を蔑むのをやめることだ。 分かりにくいかもしれないから、もう一度噛み砕いて言う。 この問題を解決する唯一の方法は、誰かを差別している人がいたら、その人を糾弾するのではなく、むしろその人の心に寄り添うことである。 どうしてその人が差別するのか、その人の気持ちになって考えることだ。 それしかない。 例えば、国籍差別をする人がいたとする。 そして、それを嫌だなと思ったら、まずは「なぜこの人は国籍差別をするのか?」と考える。 そして、とことん考える。 最後には、「なるほど、この人の立場に立ったなら、国籍差別するのも無理はない!」というところまで、その人の気持ちに寄り添う。 理解する。 そうすることで初めて、この問題は解決する。 ただ、たいていの人は、「そんな国籍差別する人の気持ちなんかに寄り添いたくない! 理解する必要などない!」と考えて、ぼくの提案は即座にはねのける。 そうして、ちっとも差別する人の心に寄り添わない。 しかし、そういった他者の心に寄り添わないその態度こそが、差別を生み出すのである。 そもそも、中国人や韓国人を悪く言う日本人は、中国人や韓国人の心に寄り添わないから、差別をしている。 もしそういう人たちが中国人や韓国人の心に寄り添えたなら、そこで差別は終わる。 そして、そういう差別する人を悪く言う人たちも、差別する人たちの心に寄り添わない。 そうして、差別する人たちを差別する。 だから、差別がなくならない。 むしろ、その人たちもが立派な差別者へと成長していく。 そうやって、差別は逆に増えていってしまっているのだ。 実は、差別を糾弾する人こそ、実は最も差別的であるという場合も少なくない。 だから、差別をなくすという運動はなかなか進まないのである。 なぜ人は差別をしてしまうのか ところで、なぜ人は差別をしてしまうのか? なぜ差別は、戦争や食糧問題が過去に比べて大きく改善した現代においても、なかなか解決されないのか? それは、差別するということが人間の本質の一つだからだ。 というより、生き物としての本質の一つだからだ。 人間は、そもそも差別する生き物である。 もちろん、人間だけではなく、他のあらゆる生き物が差別をする。 人間が特殊なのは、むしろ差別をなくそうと努力しているところだ。 差別するという生き物の本質に強く抗っているところである。 それはむしろ、人間の特殊性だろう。 人間というのは、そういうふうに生き物としての本質に抗いながら生きている。 それもまた人間の本質である。 つまり、様相は矛盾しているのだ。 差別するのも人間の本質なら、それに抗うのもまた人間の本質というわけである。 そういう矛盾した様相こそが本質で、逆にいえばその矛盾を解決しようとする行為——つまり差別をなくそうとする行為は、本質から外れているのである。 そっちの方が、むしろ無理が大きいのだ。 誰の心にも差別心はある 何が言いたいかというと、我々が取り組まなければならないのは、まずは「誰の心にも差別心はある」というのを認めることだ。 そして、差別をするのはある種仕方ないと、一旦開き直ることである。 その上で、差別する人たちの心に寄り添い、彼らを理解することだ。 そうすることで、まず自分自身の差別心が減っていく。 自分の本質のところにある差別心を、可能な限り小さくさせておくことができるようになる。 そういうニュートラルに近い状態で、例えば国籍差別をする人と接すると、彼らもその人の言葉に耳を傾けるようになる。 実は彼らも人間である以上、本質的には「差別する心」と同時に、「差別に抗う心」も持っている。 彼らも本心では、差別をしたくないと思っている。 いやむしろ、この世から差別をなくしたいとすら思っている。 国籍差別をする人たちは、実際のところ、自分の行為が差別に当たるとは認識していない。 もし差別だと認識していたら、とてもではないがヘイトスピーチなどできないだろう。 差別だと認識していないからこそ、ヘイトスピーチができるのである。 彼らは、他のあらゆる人と同様に、差別を心から唾棄する気持ちも持ち合わせているのだ。 そういうことが理解できれば、どんな人でも差別者の心に寄り添えるはずだ。 そして、彼らの心の奥底にある「差別に抗う気持ち」に火をつけ、彼らの差別的行為を可能な限り抑えることができるようになるのである。 差別というのは、そういう形でしかなくしていくことができない。 しかし残念ながら、ぼくのこうした考えは、ほとんどの人に届かないだろう。 それどころか、きっと多くの人が、こう考えるぼくを「何を訳の分からないことを言っているのだ」と馬鹿にする。 そうしてぼくを蔑むようになり、この記事は少なからず炎上するだろう。 あるいは、炎上しないまでも、無視されるだろう。 そうして、やがて多くの人が、ぼくを「馬鹿なやつだ」と叩き、最後には差別するようになるだろう。 しかしながら、そこでぼくがみなさんに言いたいのは、みなさんがいくらぼくを差別しようとも、みなさんがぼくを差別するという気持ちは、よく理解できる——ということだ。 確かに、ぼくのこの文章を読んでいたら、差別もしたくなるだろう。 それはよく分かる。 だから、どうぞ自由に差別してください。 なぜならぼくは、おそらく差別されるくらいでちょうど良い人間だからだ。 差別されるために生まれてきた——というと少し大げさかもしれないが、しかしこれほど差別されることが相応しい人間も、なかなかいないかもしれない。 差別されるということが、おそらくぼくという人間の、あるいはぼくのような人間の、社会における役割なのである。 だから、ぼくはそれを理解し、差別する人の心に寄り添いたいし、寄り添う。 そうすることでしか、逆にいえば、ぼくはこの状況を打開できないのだ。 webライターとしてネット界の現状に鬱々としている人、 オウンドメディアのライティング担当となったが何を書いたらよいのかさっぱりの人、 SEOライティングでそこそこ稼いでるんだけど本当にこんなんでいいの?と思っている人、 悩めるwebライター及びwebメディア編集担当の方に向けて、本当に役に立つ愛のある(添削つき!)ライティング講座です。 オウンドメディアの役割とは?(30分) ・オウンドメディアの成果とは何か? 2. オウンドメディアに求められるコンテンツとは(90分) ・成果の出るコンテンツとは? ・Webで多くのユーザーが集まる記事とは? ・バズ記事の事例 3. 添削課題の講評(60分) ・事前に課題を出してもらい添削したものを講評 ・事前に課題を出してもらい添削したものを講評 ・ライティングやってしまいがちな初心者が気を付ける8箇条 ・読まれる文章を書くための5step 5. 【著者プロフィール】 岩崎夏海 作家。 1968年生まれ。 東京都日野市出身。 東京芸術大学建築科卒。 大学卒業後、作詞家の秋元康氏に師事。 放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』等、テレビ番組の制作に参加。 その後、アイドルグループAKB48のプロデュースにも携わる。 2009年、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』を著す。 2015年、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら』。 2018年、『ぼくは泣かないー甲子園だけが高校野球ではない』他、著作多数。 現在は、有料メルマガ「ハックルベリーに会いに行く」()にてコラムを連載中。 (Photo:).
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