初めて見たのはパトリック・ビエラがフランスのニースの監督になって、当時はバロテッリもいたので「どんなサッカーをしているのかな?」と試合を見てみたんです。 そしたら、ドレッドヘアのすごいのがいるなと(笑)。 もちろん髪型の派手さもそうなんですが、それ以上にプレーですね。 今時珍しいドリブラーで、ボールを持ったら必ず仕掛ける。 相手が1人、2人、3人でも行きますからね。 『DAZN』のニースのハイライトシーンには常に登場してきますし、1対1の突出した能力を持っていて見ていてワクワクする選手です。 今回は彼の「ドリブル」を取り上げますが、基本現代サッカーはスペースがなくなってきているので、昔いた(元ブラジル代表の)デニウソンみたいな正真正銘のドリブラーは減ってきています。 そんな中でこれだけ仕掛けられるのは強烈な自信がないとできません。 個で打開できる選手はチームとしても重要で、そこで1枚はがせたら大きなチャンスになります。 FWの立場で言わせてもらっても、ペナのサイド深くまで侵入して折り返してもらうと、DFがボールとFWを同一視野に収められなくなるのでマークの逆を取りやすくなるんですよね。 だから「角を取れる選手」はFWとしてもやりやすいです。 ニースの公式Youtubeチャンネルで18年に公開されたサンマクシマンのプレー集。 特徴であるドリブル突破のシーンが数多く出てくる ドリブルの技術にも何パターンかあって、サンマクシマンは両足、足裏、シザース全部やりますね。 自分がスピードに乗っているとDFの想定よりもワンテンポ、ツーテンポ早いタイミングでボールをスペースに蹴って、そのままスピードで振り切るパターンがよく見られます。 ボールを離すタイミングが普通の選手よりも早いので、DFが自分の間合いに持ち込めずに後ろに走らされてぶっちぎられるケースが多いですね。 単純なスピードだけでなく、止まっている場合はボディフェイントやシザースで相手のバランスを崩してから抜く技も持っています。 あと今風だなと思うのは、ゴリゴリ体をぶつけながら抜けるんですよね。 つまりどういうことかと言うと、スペースがない密集でも強引に突破できるんです。 体の強さがあって、瞬発力もずば抜けているから、急なスピードアップとストップができる。 だから、DFが切り返しやキックフェイントにすごく引っかかるんですね。 緩急の使い分けもうまいです。 2015-16シーズン、酒井宏樹(左)、清武弘嗣 、山口蛍らとともにハノーファーでプレーしたサンマクシマン ドリブラー特有の弱点 課題はドリブラーにありがちですが、ボールを持ち過ぎること。 相手のレベルも上がっていく中で抜きに行く時と離す時のバランスですね。 あとは周りとの関係ですよね。 グアルディオラのシティみたいにウイングが効果的に1対1の状況を作ってくれるチームに行けばすごい力を発揮すると思います。 ただ、チームにハマらないと危ういです。 今のニースは[4-3-3]や[4-4-2]などのフォーメーションを使っているんですが、サンマクシマンは両足を遜色なく操れるので左右両サイドで起用されています。 ニースでは彼がボールを持ったら周りがあえてサポートに行かずにスペースを空けてあげるなど理解が進んでいますが、間のスペースでパスを受けるのはあまり得意ではないですし、守備意識も低く、粗削りであるのは間違いないです。 ただ、ボールを持った後の1対1を打開する力、そしてラストパス、クロスも中の状況を見てきちんと合わすことができます。 チャンスメイカーとしての力はすでに傑出しています。 ドリブル成功数とかチャンスクリエイト数とか、データ面でもリーグで1、2の数値を叩き出していますからね。 欲を言えば、フィニッシュですね。 けっこうGKとの1対1を外すんです。 サイドで幅を取ったところから仕掛けていく選手なのでチャンスメイクの比重が大きいのは確かなんですが、点が決められるようになればさらに怖い選手になれるはずです。 もう1つ言うと、彼のゴールセレブレーションも必見で、ダンスのキレがすごいです。 あれは(海外サッカー選手のマニアックなゴールセレブレーションの再現に定評がある林選手でも)真似できませんね(笑)。 <プロフィール> Ryohei HAYASHI 林 陵平(東京ヴェルディ) 1986. 東京ヴェルディのアカデミーでジュニアからユースまで過ごした。 05年に明治大へ進学して頭角を現し、07年関東大学サッカーリーグで43年ぶりの優勝に貢献した。 大学卒業後、09年に古巣の東京ヴェルディに加入したが、翌年に柏へ移籍する。 その柏でJ2、J1優勝、クラブW杯に出場。 12年7月からはモンテディオ山形にレンタル移籍、翌13年シーズンより完全移籍した。 17年に水戸へ活躍の場を移し、チーム最多の14得点を記録。 プロ10年目の18年、東京ヴェルディへ復帰を果たした。 2019年もマニアックなゴールセレブレーションに期待。 Twitter: Instagram:.
次のサン=マクシマン=ラ=サント=ボームのバシリカ 小さなガロ=ローマ時代の村Villa-Lattaは、大司教マクシマンの死去後、彼の名を地名とした。 その名声は、13世紀以降に聖マクシマンの墓と聖の墓の発見に負うところが大きい。 伝承によると、マリア・マグダレナはサント=ボームの洞窟で何年も苦行を行い、聖マクシマンの墓の下に埋葬された。 ボームとはプロヴァンサル語で「洞窟」を意味する。 サラセン人が一帯を荒らし回った710年12月6日、聖人の聖遺物は隠され、1279年に地下納骨堂にてによって発見された。 彼は聖人を祭る、そして修道院を建てた。 墓の番人としての修道士が置かれた。 1564年から1566年にかけ国内を行幸していたは、宮廷と王国の大臣を引き連れていた。 また彼の弟や、、もいた。 が起きるとドミニコ会修道士たちは追放されたが、バシリカと修道院はの実弟が宿泊するという幸運を得た。 彼は1794年に宿屋の娘と結婚している。 話の上手なリュシアンはブリュテュス(Brutus)と自称し、地元のジャコバン・クラブの代表となった。 彼はバシリカの中に食料庫を置き、大オルガンを「」を演奏させることで救った。 1790年から1795年までまちは郡庁所在地だった。 革命時代には改名させられ、にちなんでMarathonと呼ばれた。 史跡 [ ]• バシリカ() - 1532年完成。 の大聖堂建築としては、プロヴァンス最大である。 経済 [ ] 指定されているオリーブオイル、ユイル・ドリーヴ・ド・プロヴァンスAOC()の産地である。 人口統計 [ ] 1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2755 3180 4083 5511 9594 12402 14183 参照元:Ehess et 姉妹都市 [ ]• 、 脚注 [ ]• , sur www. habitants. Pierre Miquel, Les Guerres de religion, Paris, Club France Loisirs, 1980 , p 254•
次の昨シーズンのリーグ・アンで主役級の活躍を示し、今夏にプレミアリーグへとステップアップの移籍を実現した二コラ・ペペ、タンギ・ヌドンベレ、アラン・サンマクシマンの3選手は、どんなバックグラウンドの持ち主か。 それぞれルーツに迫るこの企画の3回目は、ニースから渡ったニューカッスルで10番を託された逸材、アラン・サンマクシマンだ。 一口に郊外と言っても環境や階層はさまざまで、アラン・サンマクシマンは南のムドンという比較的裕福で静かな町の出身。 パリ大学行政部門の運転手を務める父、ムドン公立幼稚園の園長として働く母の下、中産階級の家庭で育った。 少年時代のアランは、あらゆる分野で神童と崇められる存在だった。 母によれば、IQは145だったという。 優れていたのは知能だけではない。 クロスカントリー、デカスロン(十種競技)などでパリ地方のチャンピオンに輝く一流のアスリートだった。 フットボールのピッチに立てば、誰よりも速く、誰よりも長く走り、誰よりもインテリジェントで、誰よりも正確なテクニックを誇っていた。 パリ南郊のリス・オランジスで最初にアラン少年を指導したディディエ・ドゥモンシー監督は言う。 「われわれは彼に、試合中はスリータッチでボールをさばき、必ず両足を使うようにと、そう指導していた」 その甲斐あってか、両足を器用に使いこなす。 もっとも、球離れの悪さは改善されたとは言い難い。 ボールを持ったときの最初の選択肢は、つねにドリブルだ。 ニースでチームメイトだったマリオ・バロテッリが「スパゲッティ」と呼んだドレッドヘアを振り乱しながら、ひたすら独力で突破を図ろうとチャレンジする。 少年時代の伝説は、10歳で入団したブーローニュ・ビヤンクール(通称ACBB)での初試合。 ひとりで8ゴールを挙げてチームを勝利に導いた。 その後、1998年ワールドカップの優勝メンバーであるベルナール・ディオメドが設立した私立アカデミーで1年を過ごし、13歳になるとサッカー連盟直轄の育成施設、INFクレールフォンテーヌに入学。 エリートコースを進んでいた。 しかし、INFではわずか6か月で退学を命じられる。 良心の呵責に苛まれ、ただ一人、過ちを告白した結果だった。 そんな彼に救いの手を差し伸べたのが、サンテティエンヌだった。 スカウト担当のドミニク・フェルナンデズは、当時受けた衝撃をこう語っている。 「私の20年に及ぶスカウトキャリアで、これほど才能に溢れた若者は一度も見たことがなかった」 そこからモナコ、ハノーファー、バスチア、ニースと渡り歩き、ニューカッスルに辿り着いたドリブラーは、初挑戦のプレミアでどんなインパクトを残すのか。 【移動に関する感染対策】 ・感染が流行している地域からの移動、感染が流行している地域への移動は控える ・帰省や旅行はひかえめに 出張はやむを得ない場合に ・発症したときのため誰とどこで会ったかをメモにする ・地域の感染状況に注意する• 3 日常生活の各場面別の生活様式 【買い物】 ・通販も利用 ・1人または少人数ですいた時間に ・電子決済の利用 ・計画を立てて素早く済ます ・サンプルなど展示品への接触は控えめに ・レジに並ぶときは前後にスペース• 【公共交通機関の利用】 ・会話は控えめに ・混んでいる時間帯は避けて ・徒歩や自転車利用も併用する• 【食事】 ・持ち帰りや出前 デリバリーも ・屋外空間で気持ちよく ・大皿は避けて料理は個々に ・対面ではなく横並びで座ろう ・料理に集中 おしゃべりは控えめに ・お酌 グラスやお猪口の回し飲みは避けて• 【娯楽 スポーツ等】 ・公園はすいた時間や場所を選ぶ ・筋トレやヨガは自宅で動画を活用 ・ジョギングは少人数で ・すれ違うときは距離をとるマナー ・予約制を利用してゆったりと ・狭い部屋での長居は無用 ・歌や応援は十分な距離かオンライン• 【冠婚葬祭などの親族行事】 ・多人数での会食は避けて ・発熱やかぜの症状がある場合は参加しない.
次の