JUDY AND MARYは日本のロックバンドである。 「Over Drive」「ドキドキ」「そばかす」「クラシック」「くじら12号」「散歩道」「ラッキープール」など数多くのヒット曲を持ち、解散から15年以上経った今でも根強い人気を誇るバンドである。 ボーカルのYUKI、ギターのTAKUYA、ドラムスの五十嵐、ベースの恩田の4人で構成されており、1993年にシングル「POWER OF LOVE」でメジャーデビュー。 1993年、エピックソニーよりシングル「POWER OF LOVE」でメジャーデビュー。 以後数多くのヒット曲を世に放ち名実共に日本の音楽のトップに躍り出る。 1997年、4thアルバム「THE POWER SOURCE」発表。 邦ロックバンドとして堂々の1位、280万枚のセールスを記録。 1998年、「POP OF LIFE TOKYO DOME」初の東京ドームライブを成功させる。 2001年に全国紙朝刊の全面広告で解散を発表。 同年オリジナルとしてはラストシングルとなる「ラッキープール」をリリース。 最後のオリジナル・アルバム『WARP』が発売され、当日からラストライブツアー『WARP TOUR』をZepp Sapporoより開催し、各地のアリーナ会場・ドーム会場を廻り、3月7日、8日の東京ドーム2Daysライブをもって解散した。 現在もボーカルのYUKIのソロ活動をはじめメンバーそれぞれ精力的な音楽活動を行っている。 JUDY AND MARYのメンバー ボーカル担当。 1972年2月17日生まれ、北海道函館市出身。 血液型はA型。 本名は倉持有希(くらもち ゆき)。 1990年代前半より、J-POPという分野において、女性ボーカルによるバンド表現の進化発展に大きく貢献してきた。 日本人女性の間ではカリスマ的な存在として認知されている。 GiRLPOPの確立に貢献した1人でもある。 偶然、恩田快人が出演した映画撮影の打ち上げでデモテープを渡したことがきっかけで、のちにJUDY AND MARYを結成することとなる。 その後バンドヴォーカルを探していた恩田に誘われ上京。 上京直後はエステティシャンをしていた。 女性として初めてバンドとソロの両方で東京ドーム公演を行った歌手となり、約5万人を動員した。 TAKUYA ギター担当。 1971年9月9日生まれ、京都府京都市出身。 1989年、ソロ活動の際にはTAKUYA名義とソロユニットのROBOTS(ロボッツ)名義を使い分けている。 血液型はO型。 エッジの効いたサウンドで激しいカッティングやアルペジオなどを用い、変則的に動き回るトリッキーな演奏が特徴的。 当時インディーズでCDをリリースしメジャーデビューに向けて準備中だったJUDY AND MARYへの加入を恩田快人と五十嵐公太から誘われる。 その後オーディションで文句なしの合格を決めて加入(加入当初は本名の「浅沼拓也」の名前を使用) 2005年からはプロデューサーとしても活躍し、多くのミュージシャンのプロデュースを手がけている。 日本においては順番に弾くことだけではなく、コードを抑えた状態で弦を一本ずつ弾く事全般を言う場合もある。 ベース担当。 1963年12月13日生まれ、兵庫県神戸市出身。 血液型はA型。 神戸学院大学経済学部中退。 JUDY AND MARYのリーダー。 JUDY AND MARYは恩田から生まれたと言っても過言ではなく、ボーカルのYUKIをはじめメンバーをバンドに誘い、実際にバンド活動を開始させ中心となって動かした人物である。 小学校1年でエレクトーンを始め、中学2年でベースに転向。 左利きであるが、ベースと箸は右手で使う。 Whiteberryのプロデュースや、他のアーティストへの楽曲提供なども行なっている。 解散後現在は上述したプロデュース活動やバックバンドとして活躍している。 2008年にZAMZAのベーシストとして精力的な活動を続けている。 2004年に解散。 旧バンド名はZAMZA N'BANSHEE(ザムザンバンシー)。 五十嵐公太(いがらし こうた) ドラム担当。 1963年1月17日生まれ。 神奈川県川崎市出身。 武蔵大学社会学部卒業。 血液型はO型。 1990年、恩田快人に賛同してJUDY AND MARYに参加。 彼等の代表曲の一つである「散歩道」を単独で作曲している。 また、3rdアルバム「MIRACLE DIVING」にも「Little Miss Highway」「Oh! Can not Angel! 」の2曲が、ラストアルバム「WARP」には「あたしをみつけて」が収録されている。 JUDY AND MARY解散後はレコーディングやツアーサポートを務めるスタジオミュージシャンとして活動。 また、様々な有名ミュージシャンたちとのコラボでマンスリー12回のスペシャルクリニックを開催したり洗足学園音楽大学にて講師を務めたりなど、後進の育成にも力を入れている。 上述したZAMZAのドラマーでもある。 GLAMOUR PUNK 2. JUDY IS A PUNK ROCKER 3. POWER OF LOVE 4. GET PISSED DESTROY 6. BLUE TEARS JUDY AND MARYのインディーズアルバム。 1992年4月発表。 後2001年にエピックレコードより再販。 JUDY AND MARY唯一のインディーズアルバムであり、6曲入りのミニアルバムとなっている。 アルバムを通してハードなサウンドを主体としており、パンク路線の強いアルバムとなっている。 メジャーデビュー後のJUDY AND MARYとはまた一味違った音楽性を含んだアルバムである。 LOVE ME DO 3. SLAP DASH! POWER OF LOVE 5. BLUE TEARS 6. BABY "Q" 7. LOLITA A-GO-GO 8. MAKE UP ONE'S MIND 9. DAYDREAM 10. あいたくて 11. GLAMOUR PUNKS JUDY AND MARYのメジャーデビューアルバム。 1994年1月21日発表。 読み方は(ジェイ・エー・エム)。 週間チャート最高23位。 全体的に短くパンクアレンジの曲で構成されており、1stシングル「POWER OF LOVE」が収録されている。 キャッチコピーは「夢を追い続ける全ての人へ…」である。 これについて後にYUKIは「意味がわからなかった」と語っている。 「LOVE ME DO」以外全て恩田快人の作曲であり、当初の恩田のコンセプトが詰まった人気の高いアルバムである。 楽曲「LOVE ME DO」はYUKIの作詞作曲である。 ORANGE SUNSHINE.
次のJUDY AND MARY結成から解散まで 恩田とYUKIが出会う JUDY AND MARYは4人編成のバンドです。 バンドの結成はリーダーでありベース担当の恩田快人(おんだよしと)と、 ボーカルYUKIの出会いから始まります。 1991年6月映画「いつかギラギラする日」の撮影現場で、 当時エキストラとして参加していたYUKIと恩田快人は出会う。 恩田はジャクスン・ジョーカーというバンドのメンバーだったが、 そのバンドの一員としてこの映画に参加した。 この「いつかギラギラする日」は、 出典:goo. この映画の飲み会の場で、 YUKIは恩田にバンドをやりたいけど、 どうやったらいいか分からないと相談をしました。 後日YUKIにデモテープを送って貰った恩田は、 YUKIをボーカルにバンドを結成する事を決意します。 JUDY AND MARYは恩田快人、YUKI、 藤本泰司(ふじもとたいじ)を中心に結成された。 このJUDY AND MARYというバンド名は、 快活でポジティブな女の子ジュディと、 捻(ひね)くれた性格の、 ネガティブな女の子マリーという女の子の二面性を表しているという。 恩田がYUKIの為に作ったバンド このバンドは恩田快人が作ったバンドであり、 この時恩田はジャクスン・ジョーカーのメンバーであるから、 このJUDY AND MARYはいわば片手間で行なっていた。 当初JUDY AND MARYの曲の制作だとか、 ライブとかの費用は恩田快人が全て負担していて、 メンバーに恩田快人がギャラを払っていた。 恩田は当初このバンドは期間限定、 YUKIが独り立ちする時の名刺代りになればいいと考えていた。 そんなわけで、アルバム発表、ライブ終了後は解散状態になっていたのだが、 解散後恩田快人の中で、 このバンドへの思いが強くなり、 再結成する決意をして再びYUKIに連絡をしたのです。 このエピソードからして、 このJUDY AND MARYは恩田快人が全ての決定権を持っていた事が分かります。 YUKIにとって恩田快人は恩人と言ってもいい存在ですね。 TAKUYAが加入 その後このバンドにオーディションでTAKUYAが加わった。 出典:goo. JUDY AND MARYメジャーデビュー曲 1996年「そばかす」(作詞YUKI 作曲恩田快人)はオリコンチャート1位を記録1、 00万枚を売り上げ、翌年発売したアルバム「THE POWER SOURCE」は、 それまでのバンド史上最高のセールスを叩き出した。 その後の活躍はみなさんご存知でしょう。 2001年1月に解散を新聞で発表同年3月8日の東京ドームのライブをもって解散した。 JUDY AND MARYの解散の理由 JUDY AND MARYの解散理由は、 元々恩田快人が立ち上げ作ったバンドだったが、 TAKUYAがバンドを乗っ取ったと言われています。 1996年10月28日に発売された「クラシック」から、 1998年2月発売の「散歩道」以外のシングル全ての作曲は、 TAKUYAが担当している。 恩田が支配していたバンドが、 後から入ってきたTAKUYAの発言力が強くなり、 恩田がないがしろにされだした。 TAKUYAは俺が作った曲が売れて金になっているのに、 皆んなと同じ取り分じゃやってられないぜ! と言い出したと言われています。 他のメンバーはTAKUYAのこの発言に、 ドン引きしたのかもしれませんね。 TAKUYAも良かれと思っていたのかもしれないが、 あまりにも恩田を軽視する雰囲気になった為、 バンドの生みの親である恩田はジュディマリから脱退する事を表明する。 TAKUYAは恩田の事を尊敬していたし、 恩田が作る曲から影響を受けたと発言していて、 自分で恩田の事をライバル視していたのだ。 そんなJUDY AND MARYの雰囲気がダルくなったのかは知らないが、 恩田は「じゃあ俺辞めるわ、俺がいなくてもやっていけるだろ?」 と皆んなに対して発言した。 TAKUYAは自分の作曲とYUKIが歌えば安泰だと思っていたが、 自分をすくい上げてくれた恩田に恩義を感じるYUKIは、 恩田が脱退するのであれば、解散すると言った。 後のインタビューでYUKIは恩田に対して 「私を拾ってくれてどうもありがとう」と涙を流した。 ドラムの五十嵐公太もじゃあ解散で!という事で解散した。 メンバーは今何やってんの? YUKI 現在ソロとして活躍中、マイペースに音楽活動を行なっている。 40代になった今でもカワイイ!と評判です。 昔から可愛かったのですが、 今はカワイイというより綺麗と言った方がいいのではないでしょうか? 奇跡の40代と言われています。 現在もそのカリスマ性は健在でYUKIの事が大好きな人は男女問わず多い。 プライベートでは、 真心ブラザーズの倉持陽一と結婚して子供三人を出産している。 2016年7月にリリースされた、 「ポストに声を投げ入れて」のミュージックビデオです。 TAKUYA 他のアーティストへの楽曲の提供、 ギター教則アプリの販売、「商店街バンド」というお笑いと音楽、 芝居を融合した新しい試みを展開中、 後は酒飲んでるかゲームしてるかって感じです。 近況はTwitterで確認できます。 だら飲み。 — TAKUYA takuya54it アメリカザリガニ久しぶりに見ました。 まだ生きていたんですね。 嬉しいです。 恩田快人 JUDY AND MARY解散後はプロデュース、 楽曲提供の傍(かたわら)でいろんなバンドを結成している。 一番最近では、辻仁成がボーカルのZAMZA(ザムザ)というバンドでベースを担当している。 このバンドのドラムはJUDY AND MARYのドラム五十嵐公太です。 五十嵐公太 JUDY AND MARY解散後は、 サポートメンバーやスタジオミュージシャンとして活躍している。 デーモン閣下やガクト、などの作品に参加したり、 様々なバンドに参加している。 TAKUYAの商店街バンドにも参加しているし、 恩田快人のバンドにも参加している。 JUDY AND MARYの事を振り返っているとバンドっていうのは、 それぞれ違った個性の融合で奇跡を起こせるんだなぁという事と、 その反面、その強い個性から来る考え方の違いから、 お互いにぶつかり合い解散していくんだなという事を感じました。 このバンド復活して欲しい! と思っている人はかなり多いんじゃないでしょうか。 芸能人の記事まとめページ (スポンサーリンク) カテゴリー•
次のm-on-music. TAKUYAとは TAKUYA(タクヤ、1971年9月9日 — )は、京都府京都市出身の日本のギタリスト、ミュージシャン、音楽プロデューサー。 本名は、浅沼 拓也(あさぬま たくや)。 元JUDY AND MARYのギタリストで、ソロ活動の際にはTAKUYA名義とソロユニットのROBOTS(ロボッツ)名義を使い分けている。 血液型はO型。 ユニバーサルミュージック所属。 Wikipediaより抜粋 2. 炎上した、問題のヤフー! ニュースの記事 主に、ドイツのアマチュア向けのコンテストにプロであるTAKUYAさんのバンドが出る件について コメント欄では ・プロがアマチュアの舞台に立つこと自体がおかしい ・プロの視点でアマチュアをバカにしているのでは? といったコメントが相次いでいます。 「一応僕がやっている数々の活動の中で、最もプライオリティが低いのがTAKUYA and the Cloud Collectorsなので。 だからドイツのコンテストに出場したりしている訳で、何か良い話が来るかもしれないし、来ないかもしれないし。 」 上記リンク 記事より抜粋 出場するバンドの活動が1番優先順位が低いと。 これは、アマチュアでコンテストにすべてをかけて出ているバンドは怒るでしょうね。 しかし、これは誰に向けて言った言葉ではないのでは?と私は思うのです。 「ただ僕らが「こういう事やったら面白いんですよね」とアルバムを出して誰も買いもしないし、知られもしないというのが一番無駄な事というか。 それはただの自己満足で、たまには良いかもしれないけど。 だけど、ドイツに行ったら何か変わるかもしれないし、これで駄目だったら来年はまたSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)を受けようかなとか、アジアのコンテストでも良いし。 世界向けのコンテストに関してはTAKUYA and the Cloud Collectorsはたぶん強いから、そういうニーズのある所に対してはやっていこうと思うんです。 」 上記リンク 記事より抜粋 TAKUYA and the Cloud Collectorsの動画 一見、反論したくなる記事に見えますが、 ・プロの視点で、日本の音楽市場ではやりたいことができないし理解されないし売れないし面白くないと分析 ・海外で良い仕事や刺激が得られたらラッキー ・だから海外に行ってやりたいことやるよ! ということだと私は思いましたね。 TAKUYAさんはアイドルの曲も書いていたりしますが、日本の音楽市場は、今やアイドルが大半を占めていて、やはり純粋にバンド活動がやりにくいと感じたのでしょうか。 TAKUYAさんのブログや他のインタビュー記事見たことある? アマチュアのミュージシャンは今回の記事を見て、「なんだコイツ、なんて奴だ」と思った人が多いと思います。 でもTAKUYAさんのブログを見ると、人情あふれる記事がたくさんあります。 こちらの記事では、若かりし頃からジュディマリ結成時、その後の事など淡々とインタビューに答えています。 色々な意見があるとは思いますが、私は 「この人は、だからプロなんだなぁ」と思いました。 音楽で食べていこうと思ったら、気持ちや熱意だけではどうにもならないからです。 弱いものの気持ちを考えて、やっている場合ではないですよね。 市場や仕事につながるチャンスを自分で掴まなくてはならないので、この記事で「アマチュアの気持ちを全然わかってない!」という様な人やアマチュアを毛頭相手にしていないのでは?と感じた次第です。 まとめ ・TAKUYAさんは淡々と考えていることを述べただけだと思う 他の人やアマチュアの立場など抜きで ・自分の勝てる土俵を知っているのがプロだと改めて実感した記事でした。
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