清水翔太が約8カ月ぶりとなる新曲「416」を配信リリースした。 近年多用していたオートチューンも使われておらず、翔太の地声の温もりがやさしく伝わってくる楽曲になっている。 歌詞に綴られているのは、思い通りにいかないもどかしさが甘酸っぱくてキュンとなる恋物語。 このラブソングを翔太はどんな思いで書いたのか。 気になる「416」というタイトルの理由、現在の曲作りペース、さらにはコロナ禍で自粛生活が続く現状に対する思いまで語ってもらった。 (猪又孝) ポップに可愛い方向に振り切った ーー今回の新曲「416」は、いつ頃作った曲なんですか? 清水翔太(以下、清水):トラックは去年の10月に作ってあって。 良い曲になりそうだなという感触はありつつ、日本語の歌詞が浮かばないから放っておいた曲で、今年3月くらいにバババッと仕上げました。 ーーどのような曲調をイメージして制作に取りかかったんですか? 清水:基本的に今、自分の中で、今まで通りのトラップっぽい音作りと、昔みたいな優しいポップ路線という2つの方向性が大きくあって。 トラップっぽいものができたら、優しい曲ができたりするっていう中で、次のアルバムの路線を模索している状況がずっと続いてるんです。 ただ、良い曲かなと思える曲が優しい方向の中でポツポツできてきていて。 なんとなく次のアルバムはそういう路線で行ってみようかなという気持ちもあって、その方向で行くならこれがシングルになってもいいのかなと思ってました。 ーー歌詞はどのような思いで書き始めたんですか? 清水:過去イチかわからないけど、とにかくポップに可愛い方向に振り切ってみようと思ってました。 〈君を守るナイトになる〉の辺りとか、正直ヤバイなぁと思いながら書いてましたね(笑)。 ーー今回の曲は、相手に好意を上手く伝えられない男性が主人公になっています。 清水:僕がよく書くテーマではあるんですけど、「花束のかわりにメロディーを」と一緒で、実らない恋に一生懸命になる男の子の話というか。 モテない男のラブソングみたいな感じですね。 清水翔太「花束のかわりにメロディーを」 ーー相手の女性はどんなキャラクターをイメージしていましたか? 清水:MVでは遊び慣れてる女の子と真面目な男の子っていうストーリーですけど、僕が書いてた段階ではそういうイメージはしていなかったです。 相手も主人公の男の子と同じような感じ。 あからさまに住んでる世界が違うとか、キャラが違うっていうイメージはそんなになかったです。 MVのストーリーは「416」のまた別の捉え方の一つといったところですかね。 ーー10代から20代前半くらいの男女というイメージが沸きました。 清水:年齢は若いイメージですね。 ピュアな感じ。 だからMVに登場する人物くらいの年齢でいいのかなって感じがします。 清水翔太 『416』 Music Video ーー10代に向けた曲を作ろうという意識は当初からあったんですか? 清水:男性目線のラブソングって、曲からイメージされる年齢が若ければ若いほど、男性リスナーに対して間口が狭くなっちゃうと思うんです。 俺はもうこんなふうには思えない、みたいな感じで終了というか。 だけど、女性はいくつになっても、こんなピュアに思いを寄せてくれる男性はいいな、可愛いなっていうふうに取ってもらえるんじゃないかと思うんです。 逆に20代後半とか30代くらいの感覚でラブソングを書くと、女性リスナーへの間口が狭くなっちゃう感じがしていて。 若い女性には想像できない世界になっちゃうみたいな。 今回は振り切ってポップに書こうという気持ちもあったんで、より間口を広くするという意味で、少し若いくらいの設定がちょうどいいかなと思ったんです。 ーーサウンドメイクの部分で注意した点やこだわった部分は? 清水:今回はアコースティックな雰囲気にしたかったんです。 とはいえ、音は全部打ち込みなんですよね ーーあの綺麗なストリングスも? 清水:ストリングスも全部打ち込み。 だから打ち込みでどこまでアコースティックで温かい雰囲気にできるかっていうのは頑張りどころでした。 ただギターの音はあえて少しチープな音源を使っていて。 もっとリアルなギターの音源も持ってるんですけど、あの一定のダイナミクスな感じがいちばんトラックにマッチしたんです。 だから、ギターだけはあえて打ち込みっぽくした感じですね。 僕の曲で言うと「milk tea」とか、そういう路線のアプローチですね、今回は。 ーー確かに。 清水:「milk tea」は人気のある曲だし、とりあえず次のプロジェクトに関しては、その辺のラインを狙っていってみたいかなっていうところはあります。 「milk tea」はすごく重要な曲なんですよ。
次の05]清水翔太 - milk tea [00:00. 20]词:Shota Shimizu [00:00. 30]曲:Shota Shimizu [00:01. 38]初めて会った時から [00:06. 46]本当は少し予感してた [00:11. 99]君が隣にいる日々も [00:17. 22]僕が少し変わる事も [00:22. 58]静かに僕の中に [00:27. 80]注がれる君という滴 [00:33. 10]君色に染まっていく [00:38. 12]君も僕に染まっていく [00:46. 18]だからもっと愛すよ [00:51. 21]だからもっと愛して [00:55. 54]誰かが僕らを素敵だと思うように [01:02. 01]ミルクティーみたいに [01:07. 42]ふたり寄り添って [01:11. 20]少しの甘さで [01:16. 69]幸せになれる気がするよ [01:34. 81]例えば悪い癖とか [01:39. 74]隠してる弱さやルーズさを [01:44. 98]君は肯定しないけれど [01:49. 83]否定もせず抱きしめたね [01:56. 21]君が好きな僕で在りたいから [02:01. 27]僕が好きな君で在り続けて [02:06. 31]秋の空に憧れが [02:11. 23]汗をかいて滲んでる [02:19. 40]宝物だよ [02:24. 36]だからこそ怖いよ [02:28. 49]いつか飲み干して [02:31. 29]空っぽになった時 [02:35. 12]君を全部僕に [02:40. 44]注いでほしいんだ [02:44. 46]そのあと [02:47. 28]一番君の好きな場所で [02:55. 05]キスをしよう [02:59. 02]僕らの住む世界に [03:04. 17]悲しみが混ざらないように [03:08. 42]明るい方に向かってgoing [03:13. 78]手を離さないで [03:20. 76]理解り合っていたいよ [03:25. 68]だからもっと愛そう [03:29. 98]誰かが僕らを素敵だと思うように [03:36. 71]ミルクティーみたいに [03:41. 66]ふたり寄り添って [03:45. 95]少しの甘さで [03:51. 14]幸せになれる気がするよ.
次のReference: ただ僕が心から願うのは いつかまたどこかで出会うなら お互いが許しあい 理解りあい そしてできれば笑いたい 愛なんてそこになくていい もう一度やり直したい (『Love Story』) だけど最近の冷めた態度 愛せば愛すほど虚しいよ 君が友達と一緒に話してるとき 僕と2人でいるより楽しそうだね 『GOODBYE』 上記の楽曲は、ほんの一例である。 (5曲中、4曲がシングルとして発売された曲だ)シングル曲に限らず、彼の曲はこのような叶わない、続かない恋愛の曲が多い。 『アイシテル』や『君が好き』で見せた自分の弱さを恋人に預ける姿勢、『love』『Love Story』など、多数の曲でモチーフとして用いられる恋人との喧嘩とそれに付随する別れ、『GOODBYE』などに見られる、恋人への自信のなさと疑念の感情…など、 男子ならきっと「ドキッ」としてしまう、そんな女々しい感情のオンパレードである。 作詞表現としての全体的なクオリティは一旦置いておくとして、 男性の女々しい感情を表現した歌詞としては、とてもリアルで、正直なかなかクオリティが高いと言わざるを得ないだろう。 しかし、これらの楽曲を連続して聞いて頂いた今、あなたの心の中にはきっと「いい曲だ」「言い歌詞だ」という以外の、他の感情が芽生えているに違いない。 それはきっと 「女々しさに対する嫌悪感」だ。 女々しいという印象はback numberと同じなのに、どうして清水翔太の歌詞から受ける印象は全く違うのだろうか? 前編で「社会の雰囲気が男の女々しさを受け入れ始めている」と書いたくせに、矛盾しているのではないか、と問う人もいるだろう。 しかし、長々と書いてしまって申し訳ない。 答えについては、前編ですでに説明している。 清水翔太の歌詞には、back numberの歌詞にあるようなユーモアのエッセンスが全くないのである。 現実の男で考えてみよう、どちらを恋人にしたい? 分かりにくいのであれば、現実の男として考えてもらうといいかもしれない。 例えばここに、A君という一人の青年がいたとする。 彼は自分に自信がなくて、女の子に対しても奥手な面があるが、言葉のチョイスが面白いところがあったり、 自分のことを『ネタンデルタール人』と言う意味不明さがあったりして、女々しさを笑いに変える能力がある。 ダメな部分が多く、自虐的なことも言ったりするが、愛嬌があってなぜか嫌いになれない。 結果、「もー、しょうがないなあ」となってしまう、そんな男だ。 きっと、あなたの周りにも一人や二人はいるのではないだろうか。 方や、B君というもう一人の青年がいたとする。 彼もA君と同じように自分に自信がなく、女の子に対して奥手、おまけにどこか影を感じさせる部分もあり、何かの理由があって故郷にも帰れないらしい。 控えめに言って、明るい元気なメンズではない。 もっとはっきり言うなら、女々しい感じの若者だ。 しかし、A君と致命的に違うのは、彼には女々しさをネタにするような、ユーモアの感覚がないということだ。 批判ではない、 痛みや悲しみと言った感情にあまりにも真摯に向き合っていて、それを茶化したりしない、ある意味での誠実さを持っているということなのだ。 その姿勢はとても立派だし、学ぶべきことも多いが、ずっと一緒にいたいかと問われたなら、簡単にはYesとは言えないはず…。 二人の青年の中から恋人を選ぶとして、どちらを選ぶだろうか。 好みは人それぞれであるが、あくまで多数決をとった場合、前者の青年になることは目に見えているだろう。 商業的にヒットするというのは常に多数派に寄り添うことであり、単純に楽曲のクオリティが高ければ多数派に選ばれるわけではないのだ。 アーティストは「お耳の恋人」である そして、なにもこの話は恋人関係に限った話ではない。 同じように音楽でも当てはまる話だ。 自己憐憫の危険性 また、痛みに対して真摯に向き合い過ぎることには、他の危険性も伴う。 一言でいうなら、メンヘラ認定されてしまい、自己憐憫と一蹴されてしまう危険性だ。 「痛みに対して真摯に向き合うこと」は、ある一線を越えると「痛みを通じて自己を認識している」と受け取られてしまう。 そうなった場合、人は「でも、そんな自分が好きなんでしょ?」「可哀そうな自分がかわいいんでしょ?」と、うがった見方で見てくるようになる。 感情移入する前に、冷めてしまうのだ。 これは作詞表現に限らず、表現者が陥りがちなミスだ。 「自分の傷を癒した創作物が、大衆の傷も癒す」ことは、古今東西数多くの芸術表現に見られ、創作の不思議かつ醍醐味のひとつであるが、単なる自分への憐みは不思議と他者の傷を癒さないのである。 いくら良い曲を歌っていても、リスナーの視点がなければ意味がない 想いを込めれば、心を込めて歌えばそれだけで多くの人の心に響くわけではない。 清水翔太がいくら質の高い失恋曲、悲恋曲を歌ったところで、広く大衆に支持されるわけではないのだ。 時代の雰囲気に合うか、歌い手が男性か女性か、本人のキャラクター…などなど、より多角的な観点からの分析が必要なのである。 「心を込めて歌えばいい」 より大衆に支持されるために必要なのは、そのような自己満足な精神論ではなく、受け手であるリスナーの立場に立った思考なのだ。 歌詞の書き方ひとつをとってみても、語れるポイントはたくさんあるのである。
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