Sponsored Link 結婚は? 安岡さんは、1984年に、 明子さんという方と結婚されているのですが、 明子さんについては、 何も明かされていないことから、 おそらく一般の女性ではないかと思われます。 また、お二人の間には、 娘さんと息子さんが誕生しているのですが、 安岡さんと、長男の力斗君。 安岡さんの女性問題が原因で、 2001年に離婚されています。 息子は? そして、その息子さんというのが、 現在、俳優、タレントとして活動されている、 安岡力斗(やすおか りきと)さんで、 安岡さんは、離婚後、力斗さんを引き取り、 男手一つで育てられたそうなのですが、 離婚の際、まだ中学生だった力斗さんは、 離婚の原因が、お父さんの女性関係だと、 分かっていながらも、 自分と離れ離れになると、 お父さんが寂しがると思い、 「おれはパパについていくよ」 と、言われたのだとか。 さらに、2005年には、 「肝臓病」で入院されるなど、 立て続けに病に襲われます。 その後、一時復帰を果たされるものの、 翌年の2006年6月には、 運動神経に障害が起こり、 四肢に力が入らなくなる難病、 「ギラン・バレー症候群」を発症。 安岡さんは、翌月の7月から、 舞台に出演される予定でしたが、 降板を余儀なくされてしまったのでした。 そして、2008年には、 山梨県の病院でリハビリに励まれ、 かつて、100キロ以上あった体重は、 70キロ台まで減ってしまったそうですが、 療養生活を終えた後は、元の体重に戻り、 2010年5月に、トーク番組 「の部屋」で、 仕事復帰を果たされたのでした。 「徹子の部屋」より。 息子から生体肝移植 ところが、ホッとしたのもつかの間、 「C型肝炎」が 「C型肝硬変」に進行してしまい、 さらに、 「胆のう胞、肝細胞癌」にも罹患。 安岡さんは、その治療のため、2010年8月、 息子である力斗さんの肝臓を移植する、 生体肝移植手術を受けられると、 42時間という長時間に及んだ手術は、 無事に成功するのですが、 感染症や合併症の恐れから、 予断を許さない状態は続いたのでした。 生体肝移植手術後の安岡さんと力斗さん。 ちなみに、力斗さんは、 肝臓の64%を提供されたのですが、 お父さんから、生体肝移植の相談をされた時、 「長生きしてもらいたい」というのと、 「親孝行がしたい」というお気持ちから、 即座に承諾されたそうです。 Sponsored Link 心不全で死去 しかし、その後、2012年4月6日、 容態が急変。 その2日後の4月8日、 安岡さんは、心不全のため、 亡くなってしまったのでした。 その日の早朝、力斗さんが駆けつけた時には、 すでに他界されていたそうで、 2日前に言葉を交わしたのが、 最後となってしまったのでした。 安岡さんは、闘病生活中、 一度も弱音を吐いたことがなかったそうですが、 最後には、ついに、 俺負けたな・・・ と、つぶやかれ、 力斗さんに対し、 力斗、おまえは本当にパパのエンジェルだ。 と振り絞るような声で、 語りかけられたそうです。 それに対し、力斗さんも、 何言ってんだよ! オレがエンジェルなら、 アンタはゴッドだよ! と、応じられたそうですが、 これが、最後の会話となってしまったのでした。 さて、いかがでしたでしょうか? プライベートでは、 幼少の頃の厳しい境遇から始まり、 離婚、闘病と、決して、 順調ではなかった安岡さんですが、 最後には、最愛の息子さんから愛され、 救われた思いだったかもしれませんね。 ご冥福をお祈り致します。
次の3月17日の「アップダウン教育委員会」 卒業シーズンですね。 桜の開花も間もなく。 そんな本日は、竹森さんが37歳最後の放送。 21日に38歳を迎えるという事で、いつもよりもファッションに気を使ってきたとのこと。 ラジオなので、全く伝わっていないかと思いますが、あのジョニーデップと同じメガネだそうです…。 さて、そんな暖かい日差しに包まれた本日。 特別講師として安岡力斗さんをお招き。 毎週月曜日にソラトニワ銀座の「ぐだぐだ月曜日」という番組でパーソナリティを務めている力斗さん。 実はあの大物芸能人の安岡力也さんの息子さん。 …にも関わらず、高校卒業後はプロレス入門、建築業、まさかの保育士などを経て、タレント活動をしているそうなんです。 その意外すぎる経歴の秘密や、幼児教育の難しさ、さらに、著書にも書かれている、お父様への肝臓移植のお話などたっぷりと語っていただきました。 力斗さんが幼いころからテレビで強面キャラとして活躍していたお父さんの安岡力也さん。 でも実は、力斗さんにとっては本当に優しくて、お母さんに叱られた時も、いつも助けてくれる頼もしいお父さんだったそうなんです。 テレビで見る姿は偽りのキャラクター。 力斗さんにとって、そんなテレビのお父さんの姿は大嫌いだったそうなんです。 そしてある日、お父様の力也さんがギラン・バレー症候群という難病にかかり、長い長い闘病生活が始まります。 そこで、なんと自分の肝臓の64%という前代未聞の移植を行った力斗さん。 血のつながった親とはいえ、24歳の若さで、命の危険を冒してまで、まさに全身全霊を捧げた力斗さん。 本当に愛に溢れた親子の絆を語ってくださいました。 昨年ごろからタレントとして本格的に活動を始めた力斗さん。 お父様とは全く違ったキャラクターではありますが、お父様以上の活躍を期待したいと思います。 本当に貴重なお話をありがとうございました。 まだまだ喋り足りない様子だった力斗さん。 またぜひお願いします! 「ぬかづけマン」のHPもより一層パワーアップ! サイトには、食育をテーマにしたアニメーションもアップされています! ぜひチェックしてみてください。
次のSponsored Link 安岡力也を半殺しに まずは、身長187センチで元キックボクサーのさんが唯一恐れたのが、渡瀬さんだったそうで、 安岡さんは、イケイケの売出し中だった頃、渡瀬さんに東映会館の駐車場に呼び出され、半殺しの目にあったというのです。 イケイケの売出し中だった頃の安岡力也さん。 でも、安岡力也さんには、『お前、恒さんを怒らせちゃダメだぞ。 俺がどれだけ怖い思いをしたか知ってるか?』と脅されました。 あのおっかない力也さんを震え上がらせていたなんて…… と、明かされています。 岩城滉一と舘ひろしをボコボコにして川に放り込む また、渡瀬さんは、不良を売りとして芸能界に乗り込んできた、さんやさんら、ロックバンド 「クールス」のメンバーにも、 礼儀を知らず、調子に乗っているという理由から、ボコボコにして川に放り込んだとか。 「クールス」時代の岩城滉一さん(左)と舘ひろしさん(右)。 先輩・菅原文太を一喝 そして、11歳年上で、早稲田大学の先輩でもあり、俳優としても、 「東映」の先輩でもある、さんにも、酒癖が悪かったことから、 お前、帰れ! と、怒って一喝。 (菅原さんは酒癖が悪くて有名だったそうです) ただ、 先輩なんだから金は置いてけよ と、お財布は出させていたそうです(笑) 東映時代の菅原文太さん。 芸能界のドン・若山富三郎も何も言えなかった さらに、 「芸能界のドン」と言われた若山富三郎さんにまで、 その大先生とやらは何処にいるんですかい? と、言っていたそうですが、 天下の若山さんも、渡瀬さんの睨(にら)みには恐れをなし、何も言えなかったそうです。 元ボクシング世界王者・ガッツ石松も一目置いていた そして、当時、芸能界最強の一人と言われた、歌手で俳優のジョー山中さんも、渡瀬さんの目つきを見ただけで縮み上がって、 あの人、怖いけど誰ですか? と、さんに泣きつき、 元ボクシング世界王者のさんまで、 恒さんに比べたら大したことない と、負けを認めていたと言われており、 そのほかにも、渡瀬さんには、• 屈強な黒人の米兵3人を相手に大暴れした• 反社会的組織にさらわれた国士舘の知人学生たちを助けるべく、一人で事務所へ突入した• 血気盛んだったさんも一瞬で倒した• 4人のヤクザを5分でKOした など、現実離れしたマンガ並みのエピソードが数多く残っています。 ケンカを目撃した梅宮辰夫の証言 そんな渡瀬さんのケンカを、映画 「不良番長」で共演されたさんは、(一対一ではないものの)目撃したことがあるそうで、 梅宮さんによると、 「不良番長」の撮影期間中、梅宮さんは、渡瀬さん、安岡力也さん、鈴木ヤスシさん、さんの5人で六本木にある焼き鳥屋で飲み、その後、店を出て、いい気持ちで道を歩いていたそうですが、 向こうから、サラリーマン風の男たちが5~6人、千鳥足でやってきたそうで(酔った勢いのせいか、妙に威勢が良かったそうです)、こちらも道幅いっぱいに広がって歩いていたため、このまま歩いていけば、ぶつかるのは間違いないと思った梅宮さんは、 おい、気をつけろよ。 ぶつかるんじゃないぞ と、みんなに、軽く注意したそうです。 しかし、渡瀬さんと安岡さんはまるで聞いておらず、案の定、肩と肩がふれあい、一触即発の雰囲気に。 梅宮さんも、「男が酔っぱらってケンカするくらいのことはしょうがない」と思っていたそうですが、こちらは全員芸能人のため、できれば警察沙汰は避けたいと、 一応、 おい、やめとけよ と、再び注意されたそうですが・・・ 渡瀬さんと安岡さんは、サラリーマンたちと睨み合った途端に手が出たそうで、それからは取っ組み合いのケンカに発展。 ただ、相手のサラリーマンたちも、すぐに渡瀬さんと安岡さんの実力が分かったようで、大した騒ぎにはならず、このケンカは終わったのだそうです。 ちなみに、大原麗子さんは、酔っ払っていたせいか、このケンカを見て大はしゃぎ。 また、鈴木さんはというと、当時、NHKの仕事を始めたばかりだったため、青い顔をしながら、遠巻きにケンカを止めようとしていたそうです(笑) Sponsored Link 「ピラニア軍団」志賀勝と友人・江藤潤も証言 そのほか、映画やアクション映画での共演から、渡瀬さんと親交があり、 「ピラニア軍団」の一員だった志賀勝さんは、 あるときね、街で一人のチンピラが我々に寄って来たことがあってね、仲間の誰かがボコボコにされて、私ら、ひるんでしまって、弱ってたんだな。 恒さんは腹が据わっているんだ。 何も怖いことがないよと。 私よりも年は2つくらい下だったけど、本当にかっこいい男だったな。 と、明かされており、 ドラマ 「まひる野」で渡瀬さんと共演して以来、映画 「戦国自衛隊」など、数々の作品で渡瀬さんと共演し、家族ぐるみの交流があった親友・江藤潤さんも、 仲間で飲んでいる時に、『テレビに出てるからって気取りやがって』とガラの悪い連中がからんできたんです。 売り言葉に買い言葉でケンカが始まりそうになると、恒さんが『お客さんの飲んでるところで、迷惑かけますから。 そちらの方、ちょっと、表に出ていただけますか?』と連中に優しく語りかけて、そして僕たちには『お前ら、ここで待ってろ』と。 しばらくすると、恒さんはちょっと着崩れた感じで戻ってきて、『もう終わったから大丈夫』というんです。
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