ビートルズ メドレー。 ディスコ・メドレーになったビートルズ、ビックリ仰天、ショッキング!

ザ・ビートルズ・ムービー・メドレー

ビートルズ メドレー

解説 [ ] 事実上頓挫した「」の後にビートルズ解散が危惧される状況のなか制作されたアルバム。 録音はの「」に始まり断続的に続けられた。 に正式にアルバム制作が開始され、録音はに完了した。 ちなみに本盤の制作を正式に始めた3日後()には名義で初のソロ・シングル「」を発売している。 こうした状況の中にあったビートルズのアルバムをプロデュースしたは当時の経緯を「『』の悲惨な経験のあと、彼らがまた集結するとは思いもよらなかった。 が電話をくれた時はひどく驚いたよ。 『もう1枚レコードを作りたいんだ。 僕たちをプロデュースしてくれない? 本当の意味でプロデュースしてほしい』と言われて『いいとも、もし本当の意味でプロデュースさせてもらえるならね。 また私にあれこれ指図して困らせようというんなら断る』と答えたんだ。 結果的にはとてもよかった。 もっとも連中は自分のことにかまけがちで、それぞれ違うスタジオにいたりしたから、私はあっちこっち飛びまわらなきゃならなかったがね」と語っている。 覇気のない「ゲット・バック・セッション」から一変し、ビートルズが「最後にアルバムを1つ制作しよう! 」と頑張ってアルバムを制作した。 本作は、、、など様々なジャンルを取り入れたアルバムで 、とが特徴的に使用されている。 アルバムの評価としては、B面の大部分を占めるメドレーへの評価が非常に高い。 このメドレーについてジョン・レノンは「A面は良いけどB面はちょっとね。 あれはジャンク(ガラクタ)を集めただけだと思うよ」と述べているが 、ポール・マッカートニーとは「B面のメドレーは僕らの最高傑作のひとつ」と発言している。 ポール・マッカートニーは解散後のソロ・コンサートにおいてもメドレー「ゴールデン・スランバーズ~キャリー・ザット・ウェイト~ジ・エンド」をコンサート終盤にしばしば演奏している。 誌は「本作のB面のみで、『』に匹敵する」と評している。 イギリスの「ミュージック・ウィーク」誌では17週連続 、アメリカの「ビルボード」誌では11週連続1位を獲得し 、1970年度年間第4位を記録している。 「キャッシュボックス」誌でも14週連続第1位獲得し、1970年度年間ランキング第5位を記録している。 さらに、全世界で3100万枚以上の販売を記録している。 EMIレコーディング・スタジオは、このアルバムの大ヒットをきっかけにビートルズに敬意を表して「」と改称された。 『これが最高! (Critic's Choice Top 200 Albums)』(1979年 クイックフォックス社)の英米編では9位、日本編では2位にランクされ、『』では14位にランクされている。 なお、イギリスでは前作の『』 まで、ステレオ盤とモノラル盤が併売されていたが、このアルバムからステレオ盤のみの販売となった。 そのため本アルバムのモノラル盤は販売されていない。 制作時期 [ ] 1969年9月の『アビイ・ロード』発売後に5月にビートルズ最後のオリジナル・アルバムとして発売された『』の多くの部分が、本作録音前の1969年からにかけての「」において録音されていることが知られていた。 そのため、かつては『アビイ・ロード』がビートルズの事実上ラスト・アルバムと言われていた。 しかし、にビートルズのレコーディング・セッションの詳細が公にされたことで『レット・イット・ビー』に収録されている一部の曲については本作録音後1970年からまで不在のまま追加録音が行なわれるとともに 、からにかけてが再プロデュースしていることから、現在では『レット・イット・ビー』がラスト・アルバムとされている。 ジャケット写真 [ ] ジャケット写真撮影が行なわれた横断歩道 ( ) ・EMIスタジオ前ので撮影されたは、レコードジャケット史上最も有名なものの一つである。 エンジニアのは「アルバム・タイトルを僕が吸っているタバコの銘柄に因み "Everest" にしてジャケット写真をの麓で撮影しようと思っていた」と述べている。 しかし「にまでジャケット写真を撮りにいくのはごめんだ。 撮影に関する打合せはあったようで、ジャケットに関する簡単なアイデア・スケッチとメモが残っている。 実際にジャケットに使われた写真 5枚目に撮影されたもの では、左から右にジョンを先頭に、リンゴ、ポール・ジョージの順番で並んでいる 他の5枚も全て同じ順番。 この写真のみメンバーの歩調や写真全体のバランスがきれいに取れている。 また、ジョージ以外の3人は ()によって仕立てられたスーツを着用している。 ジャケット向かって右一番手前の黒いワゴン車は回転ライトが屋上に付いているロンドン警視庁パトカー。 このパトカーは他2枚には写っておらず、ジャケット写真だけに写っているので、撮影終了直前に通り掛かったパトカーが交通規制をして撮影に協力したと考えられている。 ジャケット写真の背景の歩道に立っているのは観光客のポール・コール(, - )という人物であり、彼は撮影の数か月後に本アルバムが発売されるまで自分が撮影されていたことに気付いていなかった。 また、同じく背景に写っているは、に行われたサザビーズのオークションにおいて2,530ポンドで落札された。 また、このジャケット写真においてポールはたばこを持っているが、頃にはアメリカの多くのポスター会社が、アップル及びポールに許可を取らずにこの巻たばこを画像修正で削除していた。 裏ジャケットの写真はスタジオ近くの"ABBEY ROAD"と表示のある塀を撮影したものだが、その際に偶然青い服の女性が横切ってしまった。 これを面白がったメンバーがその写真に「BEATLES」の文字を合成したものが裏ジャケット写真になっている。 イギリスの初回プレス盤は、表裏ともジャケット写真がそれ以降のものより若干大きく印刷されており、その影響で裏ジャケットのアップル・レコードのロゴマークの青リンゴがクレジットの文字とずれて印刷されており、コレクターの間ではこのジャケットは通称『レフト・アップル』と呼ばれている(オーストラリア盤でもイギリスほどではないが青リンゴとクレジット文字がずれている)。 日本盤では、ジャケットの裏に記された「サムシング」と「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー」の曲順が最初の発売時から逆になっていた(修正されたのは、1992年のアナログ盤再発売時)。 本作のヒットで、録音に使った「EMI・レコーディング・スタジオ」は、それまで愛称だった「」を正式名称に改称している。 観光スポット [ ] スタッフによるアビーロードのジャケットのパロディ写真(6月) アビー・ロード・スタジオ前のこのは人気の観光スポットとなっており、道路は現在も通常に使用されているのにジャケット写真のポーズを取る人が多く以前から接触事故・死亡事故などが起こっている。 における最寄り駅は(英: St John's Wood station)。 なおにという駅があるが横断歩道から16kmほど離れた場所にある。 この横断歩道は世界中から多くのビートルズ・ファンなどが訪れる場所となり、その文化的背景から景観の保存が検討され、横断歩道を英国政府が12月に英国の文化的・歴史的遺産に指定している。 建物以外が指定されるのは初。 「ポール死亡説」の根拠 [ ] 『アビイ・ロード』のジャケット写真においてメンバー4人のうちポールが1人だけ目をつぶっているように見えて、更に裸足であり 、左利きなのにタバコを右手に持っている。 路上に駐められたのナンバープレートが「28IF 」であるのが「もし IF ポールが生きていれば、 数え年で 28歳 発売当時のポールの実際の年齢は27歳 」。 白いスーツで長髪にひげを蓄えているジョン・レノンは「」、黒いスーツを着ているリンゴ・スターは「葬儀屋」、スーツ姿で目をつぶって裸足のポール・マッカートニーは「死人」、デニムシャツにジーンズ姿のは「墓堀人」などと解釈され、いわゆる「」の根拠の一部になった。 パロディ [ ] の『』やの『』、の『』など、世界中で最もジャケットがパロディー化される、いわゆるパロジャケが多いジャケット写真としても知られる。 ポール・マッカートニーは自身のアルバム『』において、自らパロディーを披露している。 の曲「アビーロードの街」では横断歩道をこのジャケット写真になぞらえている。 50周年記念アニバーサリー・エディション [ ] アルバムリリースから50周年を記念してに50周年記念スペシャル・エディションが発売された。 ビートルズのオリジナル・アルバムが特別仕様で発売されるのは、2017年の『』、2018年の『』に次いで3作目となる。 に発売された『』やに発売された『』と同様、とによってリミックスが行われているが、本作では、ステレオのみならず、ハイレゾ・ステレオ、5. 1サラウンド、そしてでミキシングし直されており、これまで未公開となっていたセッション・レコーディングの音源23曲が収録されている。 3LPデラックス・エディションとスーパー・デラックス・エディションにはニュー・ステレオ・ミックスとセッション音源を合わせた40曲、2CDデラックス・エディションにはニュー・ステレオ・ミックスとニュー・ステレオ・ミックスに加えて、セッション音源やデモ音源から厳選された17曲が収録される。 リリース発表された2019年は、本作のジャケットがアビー・ロード・スタジオ前にある横断歩道で撮影された日から丸50年にあたる日である。 付ので1位を獲得。 本作品が同チャート1位を記録したのは、オリジナル版の付チャート以来、49年252日ぶりとなった。 これは同チャートにおいて「同一アーティストかつ同名アルバムの首位返り咲き」の最長記録であり、それまでの最長記録であった、同じくビートルズの『』の49年125日を塗り替えるものとなった。 収録曲 [ ]• 邦題の表記は、日本公式サイトに準拠。 特記を除き、作詞作曲はによるもの。 アナログA面 タイトル 作詞・作曲 リード・ボーカル 時間 1. 「 」 Come Together 4:20 2. 「」 Something ジョージ・ハリスン 3:02 3. 「」 Maxwell's Silver Hammer 3:28 4. 「」 Oh! Darling ポール・マッカートニー 3:27 5. 「」 Octopus's Garden 2:51 6. 「」 I Want You She's So Heavy ジョン・レノン 7:47 合計時間: 24:55 アナログB面 タイトル 作詞・作曲 リード・ボーカル 時間 1. 「」 Here Comes The Sun ジョージ・ハリスン ジョージ・ハリスン 3:06 2. 「」 Because ジョン・レノン ポール・マッカートニー ジョージ・ハリスン 2:46 3. 「」 You Never Give Me Your Money ポール・マッカートニー 4:03 4. 「」 Sun King ジョン・レノン ポール・マッカートニー ジョージ・ハリスン 2:26 5. 「」 Mean Mr. Mustard ジョン・レノン 1:06 6. 「」 Polythene Pam ジョン・レノン 1:13 7. 「」 She Came In Through The Bathroom Window ポール・マッカートニー 1:59 8. 「」 Golden Slumbers ポール・マッカートニー 1:31 9. 「」 Carry That Weight リンゴ・スター 主部) ポール・マッカートニー(主部および中間部) 1:36 10. 「」 The End ポール・マッカートニー 2:22 11. 「 」 Her Majesty ポール・マッカートニー 0:25 合計時間: 22:33 50周年記念エディション追加収録曲 [ ] ディスク2(2CD) タイトル 作詞・作曲 時間 1. 「カム・トゥゲザー テイク5 」 Come Together Take 5 3:30 2. 「サムシング スタジオ・デモ 」 Something Studio Demo ジョージ・ハリスン 3:37 3. 「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー テイク12 」 Maxwell's Silver Hammer Take 12 4:44 4. 「オー! ダーリン テイク4 」 Oh! Darling Take 4 3:30 5. 「オクトパス・ガーデン テイク9 」 Octopus's Garden Take 9 リチャード・スターキー 1:43 6. 「ヒア・カムズ・ザ・サン テイク9 」 Here Comes the Sun Take 9 ジョージ・ハリスン 3:40 8. 「ビコーズ テイク1 - インストゥルメンタル 」 Because Take 1 Instrumental 3:07 9. 「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー テイク36 」 You Never Give Me Your Money Take 36 5:17 10. 「サン・キング テイク20 」 Sun King Take 20 3:14 11. 「ミーン・ミスター・マスタード テイク20 」 Mean Mr. Mustard Take 20 1:34 12. 「ポリシーン・パン テイク27 」 Polythene Pam Take 27 1:39 13. 「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウ テイク27 」 She Came In Through The Bathroom Window Take 27 1:39 14. 「ジ・エンド テイク3 」 The End Take 3 2:11 16. 「ハー・マジェスティー テイク1-3 」 Her Majesty Takes 1-3 1:33 合計時間: 51:17 ディスク2(ボックス・セット) タイトル 作詞・作曲 時間 1. 「」 Goodbye Home Demo 2:24 3. 「サムシング スタジオ・デモ 」 Something Studio Demo ジョージ・ハリスン 3:37 4. 「 テイク7 」 The Ballad Of John And Yoko Take 7 3:38 5. 「 テイク2 」 Old Brown Shoe Take 2 ジョージ・ハリスン 3:16 6. 「オー! ダーリン テイク4 」 Oh! Darling Take 4 3:31 7. 「オクトパス・ガーデン テイク9 」 Octopus's Garden Take 9 リチャード・スターキー 1:43 8. 「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー テイク36 」 You Never Give Me Your Money Take 36 5:18 9. 「ハー・マジェスティー テイク1-3 」 Her Majesty Takes 1-3 1:34 10. 「ヒア・カムズ・ザ・サン テイク9 」 Here Comes the Sun Take 9 ジョージ・ハリスン 3:41 12. 「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー テイク12 」 Maxwell's Silver Hammer Take 12 4:44 合計時間: 43:47 ディスク3(ボックス・セット) タイトル 作詞・作曲 時間 1. 「カム・トゥゲザー テイク5 」 Come Together Take 5 3:30 2. 「ジ・エンド テイク3 」 The End Take 3 2:11 3. 「 スタジオ・デモ 」 Come and Get It Studio Demo 2:43 4. 「サン・キング テイク20 」 Sun King Take 20 3:14 5. 「ミーン・ミスター・マスタード テイク20 」 Mean Mr. Mustard Take 20 1:34 6. 「ポリシーン・パン テイク27 」 Polythene Pam Take 27 1:39 7. 「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウ テイク27 」 She Came In Through The Bathroom Window Take 27 2:06 8. 「ビコーズ テイク1 - インストゥルメンタル 」 Because Take 1 Instrumental 3:08 9. 「カム・トゥゲザー」 Come Together 4:19 2. 「サムシング」 Something ジョージ・ハリスン 3:02 3. 「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー」 Maxwell's Silver Hammer 3:27 4. 「オー! ダーリン」 Oh! Darling 3:27 5. 「オクトパス・ガーデン」 Octopus's Garden リチャード・スターキー 2:51 6. 「アイ・ウォント・ユー」 I Want You She's So Heavy 7:47 7. 「ヒア・カムズ・ザ・サン」 Here Comes the Sun ジョージ・ハリスン 3:05 8. 「ビコーズ」 Because 2:45 9. 「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー」 You Never Give Me Your Money 4:03 10. 「サン・キング」 Sun King 2:26 11. 「ミーン・ミスター・マスタード」 Mean Mr. Mustard 1:06 12. 「ポリシーン・パン」 Polythene Pam 1:13 13. 「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドウ」 She Came In Through The Bathroom Window 1:58 14. 「ゴールデン・スランバー」 Golden Slumbers 1:31 15. 「キャリー・ザット・ウェイト」 Carry That Weight 1:36 16. 「ジ・エンド」 The End Take 3 2:05 17. 「ハー・マジェスティー」 Her Majesty Takes 1-3 0:23 ビートルズ• - 、、、、、、、、、• - 、、パーカッション• - (「サムシング」「」) スタッフ• ジョージ・マーティン、ビートルズ - プロデュース• - アシスタント・エンジニア• ジェフ・エメリック、フィル・マクドナルド、ジョージ・マーティン、ビートルズ -• ちなみに日本で1983年5月21日にCDが発売されたが(CP35-3016)、東芝EMIが独自に企画したものだったので英国EMIから苦情を申し立てられ、約1年後に販売中止になった。 このCDが世界初のビートルズのCDである。 関連文献 [ ]• のCD化においてイギリス盤公式オリジナル・アルバムと同等の扱いを受けたアメリカ・編集アルバム『』が、9月9日に発売されたデジタル・リマスター盤において発売日順に従い9作目に位置づけされたので1作繰り下がり12作目になっている。 としては11作目。 ただし、『イエロー・サブマリン』はステレオ盤をそのままモノラル化したものである。 なお、モノラルのも存在するが、これはステレオ盤をそのままモノラル化しただけのものである。 「」のヴォーカルと「」が追加録音されている。 その後を以てビートルズは自分たち主導によるアルバム制作を断念した。 しかしエメリックは「アビイ・ロードでの写真撮影およびアルバム名の発案者はリンゴ」と述べている。 他の5枚はメンバーの歩調やバランスが不揃いで、ポールがサンダルを履いているものもある。 米国で発売されたシングル盤「」の再発盤でも、同様の事態が発生している。 ポールは「これは撮影した日は暑かったので、思いつきでやった」と述べている。 実際のナンバーはLMW 28 1F アルファベットの Iではなく、数字の 1。 このアルバム・タイトルは、ライヴ・アルバムである点と、前述の「ポール死亡説」とをかけている。 アメリカで発売されたカセットテープでは「カム・トゥゲザー」と「ヒア・カムズ・ザ・サン」が入れ替えられたヴァージョンが存在したが、その後発売された全てのヴァージョン(CDを含む)はオリジナルの曲順に修正されている。 B面11曲目である「ハー・マジェスティー」はジャケットに当初クレジットされていなかった。 詳細は「」を参照。 の時点で試作段階の「」「」「」「」「」「」「」「」「」の9曲で構成されたメドレー。 出典 [ ] []• 2019年3月30日閲覧。 2019年3月30日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2019年10月5日. 2019年10月5日閲覧。 「ビートルズ/レコーディング・セッション」( シンコー・ミュージック)225頁。 James E. Perone. The Album: A Guide to Pop Music's Most Provocative, Influential, and Important Creations. 215• 228-231。 ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2019年8月9日. 2019年8月11日閲覧。 2012年10月8日時点のよりアーカイブ。 2019年3月30日閲覧。 1997. First Revised ed. London: Pimlico Random House. 300. 『』() リットーミュージック、337ページ。 1997. 559. Etherington-Smith, Meredith 1992年8月18日. The Independent London. の2014年3月14日時点におけるアーカイブ。 2019年3月30日閲覧。 DeYoung, Bill 2008年2月15日. TCPalm. 2012年11月28日閲覧。 McNichol, Tom 1989年8月9日. The Guardian London. の2012年11月12日時点におけるアーカイブ。 2019年3月30日閲覧。 2003年1月21日. 2019年3月30日閲覧。 日本経済新聞社. 2019年8月9日. 2019年8月11日閲覧。 8speed. net キザス株式会社. 2019年10月28日. 2019年12月24日閲覧。 Scott, Jane 1969年10月24日. The Plain Dealer Cleveland, Ohio• Cooney, Caroline 2012年4月6日. grammy. com. 2014年2月21日時点のよりアーカイブ。 2018年11月17日閲覧。 TOWER RECORDS ONLINE タワーレコード. 2019年9月24日. 2019年9月28日閲覧。 2019年8月8日. 2019年8月11日閲覧。 2020年6月12日閲覧。 1988. The Beatles Recording Sessions. Harmony Books. MacDonald, Ian 1997. Revolution in the Head: The Beatles' Records and the Sixties First Revised ed. London: Pimlico Random House. 300-321. 1997. 1988. The Beatles Recording Sessions. Harmony Books. 179. 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (日本語)•

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アビイ・ロード

ビートルズ メドレー

Photo: C Apple Corps Ltd. ザ・ビートルズが全英もしくは全米のシングル・チャートで1位を獲得した楽曲だけを集めたアルバム『ザ・ビートルズ1』が映像版も含めた最新バージョンで11月6日にリリースされるのを記念して、NME Japanでは「NMEが選ぶ、ビートルズ究極の名曲ベスト50」を11月6日に向けて発表してきました。 ついにトップ10の発表です。 トップ10の選曲者には、ボブ・ディラン、スウェードのブレット・アンダーソン、ザ・ヴァクシーンズのジャスティン・ヤングらが登場します。 ランキングを締めくくる10曲をお送りします。 しかも、その誰かはビートルズの父親ではなく彼の相棒で、その歌が両親の離婚で傷ついた自分を励ますものだったとすれば、よりいっそう不思議であるに違いない。 ビートルズの最も世に知られた曲である。 あの頃、人々はビートルズの曲を分析したり、彼らについてエッセイを書いたりしてて、ビートルズを少しずつ体制側に仕立て上げつつあったからね。 まるでイカれた幼児たちのように響く言葉遊びだよね」 8位 While My Guitar Gently Weeps ザ・ヴァクシーンズ、ジャスティン・ヤング選 「僕のお気に入りは『ホワイト・アルバム』なんだ。 最も脚光を浴びたレコードじゃないかもしれないけど、良質なポップ・ソングが満載で、とても魅力的だからね。 歌詞は全部好きだけど、特にこのくだりが最高だね。 最近知ったんだけど、ジョン・レノンは自分が書いた歌の中でこれが一番詩的だと認めてる。 僕も同感だ」 6位 Tomorrow Never Knows ボブ・モールド選 「『サージェント・ペパーズ』は巧みに作られてて、例の逆回しギターなんかも含まれてるが、この曲は、絶頂期の彼らがまだツアーをしてる時に作ったものだ。 ドラッグ・ソングで、荒々しく単純で、洗練されすぎてない。 それにドラミングが素晴らしいよ」 5位 Blackbird スロー・クラブ、レベッカ・テイラー選 「遠い記憶だけど、今でもお気に入りの曲よ。 子供の頃を思い出すわ。 パパは、片面にビーチ・ボーイズ、もう片面にビートルズを録音したテープを持ってた。 それを夏が来るたびに2週間回し続けたの。 私はいつも、この曲を楽しみにしてた。 歌詞も全部覚えたわ」 4位 Here Comes The Sun コートニー・バーネット選 「とても穏やかな曲ね。 歌詞の意味はよく分からないけど、優しい響きだわ。 私が死んだら、この曲をかけてほしい。 みんなが悲しむようにね」 3位 I Want To Hold Your Hand ボブ・ディラン選 「彼らは誰もやらなかったことを実行してた。 コード進行がとにかく斬新だ。 子供の頃、親父はクラシック音楽の大ファンで、毎年リスト生誕の地へ行って、地面にキスするほどだった。 そんな親父が唯一持ってたポップ・アルバムが『サージェント・ペパーズ』で、気分が乗るとかけてくれたんだ。 メロトロンのサウンドが抜群だね。 ジョンのヴォーカルも感動的だ。 リリースの詳細は以下の通り。 「ザ・ビートルズ 1」 DVD ・27曲のビデオ UIBY-15068/3,900円 6. 「ザ・ビートルズ 1」 ブルーレイ ・27曲のビデオ UIXY-15009/4,900円 7. 「ザ・ビートルズ 1」 SHM-CD ・27曲の音源 UICY-15437/2,600円 『ザ・ビートルズ1』公式サイトはこちらから。

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ビートルズベスト名曲集!色褪せない歌詞も魅力のおすすめ人気曲ランキング

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1位~10位 順位 曲名 発売年など 動画 1 「シー・ラヴズ・ユー」 (She Loves You) 1963年8月発売。 ビートルズ初期の最高傑作と評されている。 明快で勢いのあるロック。 ジョン・レノンとポール・マッカートニーの見事なハーモニー。 ジョージ・ハリスンのメロディアスなギター。 そして、曲の冒頭の「ドドッドドン」という印象的な音から始まるリンゴ・スターのドラム・・・。 すべてが完璧とも言われる2分20秒。 1963年6月の公演前にジョンとポールがホテルの一室で書き上げたという。 4枚目のシングルとして発売された。 世界的に大ヒットし、1964年の全米の年間チャートでは自分たちの「抱きしめたい」に次ぐ2位。 ビートルズ旋風の幕開けとなった。 歌詞の中で繰り返される「イェー、イェー、イェー」は当時としては斬新なフレーズで、しばらくビートルズの代名詞になった。 2 「抱きしめたい」 (I Want To Hold Your Hand) 1963年11月発売。 5枚目のシングル。 強烈なリズムと極上のコーラスで世界を熱狂させた名曲。 人種や民族の枠を越えて支持された。 現代音楽の将来像を示したと言われている。 「君の手を握りたい」という思いを直接的に表現した点も、当時としては社会的なインパクトがあったとされる。 ビートルズ史の中でも衝撃度ナンバー1。 アメリカで最初のメガヒットとなった。 全米の売り上げは500万枚で、1964年の全米の年間チャートでも1位。 1965年のグラミー賞で最優秀レコード賞にノミネートされた。 日本でのデビュー・シングルでもある。 ほとんどの日本人は、この曲で初めてビートルズを知った。 3 「キャント・バイ・ミー・ラヴ」 (Can't Buy Me Love) 1964年3月発売の6枚目のシングル。 「僕の愛はお金で買えないよ」とポール・マッカートニーがさわやかに連呼する歌。 いきなりボーカルで始まるところが印象的。 ポールらしいメロウなロックンロールで、どこか切ない感じもある。 ジョン・レノンが先行していた作曲のスキルに、 ポールが追いついてきたことを示した曲とされる。 ギネスに「史上最も多く購入予約されたレコード」と認定されている。 3作目のアルバム「ハード・デイズ・ナイト」収録。 4 「アイ・フィール・ファイン」 (I Feel Fine) 1964年11月発売の8枚目のシングル。 曲の冒頭に、ギターとアンプを近づけた雑音を取り入れている。 いわゆる「フィードバック奏法」の先駆的な曲となった。 ジョンの天才的な音づくりやリンゴの奏力の凄さが示された秀作だと評されている。 ビートルズ初の両A面となった。 「デイ・トリッパー」は、 1日だけドラッグでトリップする人のことを歌った曲で、イントロのギターが最大の魅力と言われている。 「恋を抱きしめよう(ウィ・キャン・ワーク・イット・アウト)」は、 ポールのマイルドさと、 ジョンの鋭さが見事に交錯した作品とされる。 6 「ヘイ・ジュード」 (Hey Jude) 1968年8月発売。 オリジナル・アルバムには未収録。 一般的には、ビートルズの曲の中でも最も人気が高い。 ピアノが主体の傑作バラード。 ポール・マッカートニーが、 ジョン・レノンの息子ジュリアン・レノンを励ますために書いた。 ジュリアンは当時、両親(ジョンとシンシア)の別居に直面していた。 全米チャートで9週間連続で1位。 年間(1968年)でも1位に輝いた。 カラオケソングとしても永久不滅。 最後の「ナ・ナ・ナ」で世界どこでも盛り上がれる。 ローリング・ストーンの選ぶ史上最も偉大な曲500(2010年選出)で8位。 2012年のロンドン五輪の閉会式の締めくくりにマッカートニーが歌った。 7 「ヘルプ!」 (Help! ) 1965年7月発売。 2作目の主演映画「ヘルプ!4人はアイドル」の主題歌。 空前の熱狂的な人気と過密スケジュールの中で「助け」を求める気持ちを表れた曲だとされる。 8 「フロム・ミー・トゥ・ユー」 (From Me To You) 1963年4月に発売された3枚目のシングル。 世界での成功を目前に控えた時期の曲。 イギリスでは前作「プリーズ・プリーズ・ミー」に続いて1位となったが、アメリカではあまり売れず、この時点では米国でブレークするには至らなかった。 9 「ハロー・グッドバイ」 (Hello Goodbye) 1967年11月発売。 「ハローとグッバイ」「イエスとノー」などシンプルな反意語を連発して楽しませる名曲。 シンプルでキャッチーなメロディ。 作詞・作曲は、事実上ポール。 10 「ゲット・バック」 (Get Back) 1969年4月。 末期の代表曲の一つ。 アルバム「レット・イット・ビー」の最後を飾っている。 ビルの屋上での最後のライブで演奏されたことでも有名。 事実上、ポールの作曲・作詞とされる。 オノ・ヨーコとの活動に傾斜していたジョン・レノンに対して「バンド活動に戻ってこい」とポールが訴える曲という解釈もある。 | | | | | | 11位~20位 順位 曲名 発売年など 動画 11 「愛こそはすべて」 (All You Need Is Love) 1967年7月。 フランス国歌で始まる名曲。 事実上のジョン・レノンの作詞・作曲。 ソロになったあと「ラブ&ピース」を強く訴えるレノンの方向性が示されているとされ、レノンの追悼曲としてもよく使われている。 エンディングでは、バッハやイングランドの民謡、ビートルズのシー・ラブズ・ユーなどが混ざる。 両A面。 イエロー・サブマリンは、アニメ映画『イエロー・サブマリン』の主題歌。 リンゴ・スターが歌っており、リンゴの代名詞のような曲になっている。 ハイクオリティな子供向けの歌(童謡)。 カラオケでも歌いやすい。 「エリナー・リグビー」は、バイオリンなどを使ったクラシック調の曲。 アメリカでは、この曲はB面扱いだった。 13 「ペイパーバック・ライター」 (Paperback Writer) 1966年5月発売。 全米で1位となり、100万以上売れた。 アカペラで始まるイントロが印象的。 重厚なベースとドラムの掛け合いなど、バンドとしての表現力や演奏力が一段とグレードアップしたことを示す名盤とされる。 とくにポールのベース演奏は高く評価されていまる。 作詞作曲は実質的にポール。 「文庫本の作家になりたい」と懇願する人の話。 オリジナル・アルバム未収録。 この曲の後にアルバム「リボルバー」がリリースされた。 14 「マジカル・ミステリー・ツアー」 (Magical Mystery Tour EP) 1967年。 テレビ番組「マジカル・ミステリー・ツアー」の主題歌。 トランペットから始まる威勢の良い曲で、サイケな雰囲気も漂う。 覚えやすく、親しみやすい。 実質的にポール作。 同名の番組もポールの発案で、ビートルズが参加するバスツアーの話。 放送された当時は駄作として酷評された。 アメリカで1位。 両曲ともアルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』に収録されている。 「ペニー・レイン」は事実上、ポールの作詞・作曲。 ペニー・レインとは、故郷リバプールのバス通り。 子供のころ見た情景を懐かしんで歌ったという。 間奏のトランペットが印象的。 親しみやすい名曲。 「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」は事実上、ジョン・レノンの作詞・作曲。 ストロベリー・フィールズとは、ジョンが幼いころよく遊びに行った近所の孤児院だという。 歌詞では、自らの心情が吐露されている。 幻想的な雰囲気がたっぷりの曲。 繊細なメロディ。 イントロのフルート、チェロ、インド楽器、ジョンのボーカル、リンゴのドラムなどが見事に一つの世界を生んだ。 「テンポもキーも異なる二つのテイクを一つにつなげる」というジョンの発想を、ジョージ・マーティンが具体化したとされる。 日本の音楽雑誌「レコード・コレクターズ」の 「ビートルズ名曲ベスト100」(2008年)で、数々の名曲をおさえて1位に選ばれた。 同じく読者の投票でも1位に輝いた。 16 「涙の乗車券」 (Ticket To Ride) 1965年。 全米1位。 ジョン・レノンが自ら「最も初期のベビーメタルの一つ」と呼んだ曲。 重いリズムが特徴。 曲の終盤に向けてポール・マッカートニーが優れたギタリストとしての側面を見せている。 エンディングの「ゴスペル的展開」(文筆家の安田謙一氏)も高い評価を得ている。 1969年にカーペンターズがバラード曲としてカバー。 デビューアルバムのタイトルにもなった。 17 「ハード・デイズ・ナイト」 (A Hard Day's Night) 1964年発売。 全米1位。 初の主演映画「ハード・デイズ・ナイト(旧題:ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!)」の主題歌。 4人のメンバーがファンに追いかけられる映画のシーンとともに時代を飾った。 イントロの「ジャーン」というギターの音が印象的で、体としても疾走感あふれる曲になっている。 ボーカルが途中でポール・マッカートニーに入れ替わるところも絶賛された。 実質的にジョン・レノンが作詞・作曲を手掛けた。 多忙を極めていた当時の心情が綴られている。 18 「レディ・マドンナ」 (Lady Madonna) 1968年発売のシングル。 オリジナル・アルバムには収録されなかった。 「ヘイジュード」の一つ前のシングルとなる。 主にポールが作詞・作曲したとされ、ボーカルもポールが担当。 エルビス・プレスリー風に歌っている。 軽快なリズムが特徴。 全体として1950年代のロックロールのサウンドとなっており、 前作(アルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』)までのサイケデリック路線とは一線を画している。 ジャズのサックス奏者を4人招いて完成させたという。 ポールのピアノ演奏もさえている。 歌詞は、育児に奮闘する労働者階級の女性への賛歌となっている。 19 「ラヴ・ミー・ドゥ」 (Love Me Do) 記念すべきデビュー作。 1962年10月発売。 B面は「P. アイ・ラヴ・ユー」。 イギリスで17位をつけた。 アメリカでは、ブレークした1964年に1位に輝いた。 ジョン・レノンがリードボーカルを担当する予定だったが、ハーモニカを演奏することになり、急きょポール・マッカートニーにバトンタッチした。 この次のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が1位となり、そこからビートルズ旋風が始まる。 20 「レット・イット・ビー」 (Let It Be) 1970年3月発売。 ビートルズが活動中に発売された最後のシングル。 解散直前にリリースされた。 最後のアルバムのタイトル・ソングでもある。 ポール・マッカートニーが作詞・作曲した。 「Let it be」は、ポールが14歳のときに死別した母メアリー(Mother Mary)の生前の口癖だったという。 ポールたちが兄弟げんかしたときに「放っておきなさい!」という意味で使っていたとか。 その母メアリーが、 ビートルズの解散危機に悩んでいた当時のポールの夢の中に現れて、 「レット・イット・ビー(なすがままにして、受け入れなさい)」と慰めてくれたという。 ただ、一般的な解釈としては、歌詞の中のMother Maryとはキリスト教の聖母マリアであり、絶望の淵に立つ人を救わんとする言葉だと受け止められている。 曲も宗教(ゴルペル)的なサウンドとなっている。 実際、つらい逆境のときに力を与えてくれる曲であり、メロディ、歌声、演奏などすべての面で傑作とされる。 | | | | | | 21位~30位 順位 曲名 発売年など 動画 21 「プリーズ・プリーズ・ミー」 (Please Please Me) 1963年1月。 デビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」の3か月後に発売された2曲目のシングル。 初の全英1位を記録し、ビートルズの歴史的な快進撃の起点となった。 当時の若者に与えた衝撃は大きかった。 サビでジョン・レノンが歌う「カモン、カモン」のカッコよさは、 多くの男女をノックアウト。 ロックの世界へと導いた。 コーラスからハーモニカまですべてがエネルギッシュで、 デビュー当時の若々しいビートルズらしさが満載されている。 曲名は「どうぞ(Please)、僕を楽しませて(Please me)下さい」という意味で、Pleaseを二つの意味で使っている。 当初はスローな曲として準備されたが、プロデューサーのジョージ・マーティンの提案でアップテンポな曲になった。 両A面。 ビートルの活動中のシングルとしては最後からの2番目。 両曲とも、ビートルズが最後に制作・録音したアルバム『アビイ・ロード』に収録されている。 「サムシング」は、ジョージ・ハリスンが作詞・作曲した。 ソロ時代を含めてジョージの最高傑作と言われている。 (ビートルズのシングルA面にジョージが書いた曲が採用されたのはこの時だけ。 ) また、ビートルの代表的なバラードの一つとされている。 あのフランク・シナトラが「史上最高のラブソング」と絶賛。 シナトラのほか、エルビス・プレスリー、レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウンら150以上のアーティストがカバーした。 「イエスタデイ」に次いでカバーされた回数が多い曲になっている。 演奏面では、ポール・マッカートニーのメロディアスなベースが絶賛されている。 ジョージ・ハリスンのギターソロも見事。 リンゴのドラム演奏も高く評価されている。 ジョージは、この曲を当時の妻パティに捧げたという。 「カム・トゥゲザー」は、ファンキーでかっこいい歌。 ジョン・レノンの「シュッ」という声から始まる。 ジョンが実質的に作詞・作曲しており、ジョン自身にとって最もお気に入りの曲の一つだったとされている。 チャック・ベリーの「ユー・キャント・キャッチ・ミー」の類似作品でもある。 バンドとしての演奏のクオリティーも極めて高いと評されている。 23 「ジョンとヨーコのバラード」 (Ballad Of John And Yoko) 1969年5月発売。 バンドの末期に制作された。 この曲の発売の2か月前、ジョン・レノンは、オノ・ヨーコと結婚式をあげた。 挙式やその直後のベトナム反戦パフォーマンス「ベッドイン」など、2人の活動について歌われている。 曲を書いたジョンは、当時不仲だったとされるポール・マッカートニーの自宅を訪れ、 「すぐにレコードにしよう」と懇願。 わずか1日で制作したという。 ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターは不在だったため、 ジョンとポールだけですべての楽器を演奏した。 シンプルながら軽快なロックナンバーに仕上がっている。 24 「フリー・アズ・ア・バード」 (Free As A Bird) 1995年発売。 ビートルズの解散から25年後、一時的に再結成して制作された。 1980年に殺害されたジョン・レノンが、1977年ごろに作った未完成曲のテープがもとになっている。 ポール、ジョージ、リンゴの3人がスタジオに集まり、新曲として仕上げた。 同年発売されたアルバム「ザ・ビートルズ・アンソロジー1」の1曲目を飾った。 ビートルズのメンバー4人と、 元ELOのジェフ・リンがプロデューサーに名を連ねている。 ジョフ・リンは、デモテープの雑音の除去やサウンドの再構成に貢献を果たしたという。 25 「ザ・ビートルズ・ムービー・メドレー」 (The Beatles Movie Medley) 解散から12年後の1982年に発売された。 ビートルズが出演した映画やテレビ番組の曲をつなぎあわせて作られた。 「マジカル・ミステリー・ツアー」「愛こそはすべて」「悲しみはぶっとばせ」「恋する二人」「ハード・デイズ・ナイト」「涙の乗車券」「ゲット・バック」の7曲で構成されている。 26 「イエスタデイ」 (Yesterday) 1965年発売。 ロックやポップの域をこえた普遍性の高い名曲。 世界で最もよく知られている曲の一つ。 日本でも音楽の教科書に載っている。 多くのミュージシャンが演奏しており、カバーバージョンが3000曲を突破。 ギネスブックに世界記録として認定された。 作詞・作曲は、ポール・マッカートニー。 演奏も、アコスティックギターを持ったポールが、バイオリンやチェロの奏者とともに行った。 ビートルズの他の3人のメンバーは参加していない。 「彼女は理由も言わずいなくなってしまった」という歌詞だが、 ポールが14歳の時に亡くなった母をしのぶ歌だという。 ローリング・ストーン誌が選んだ「史上最高の500曲」では13位。 1977年の米グラミー賞の最優秀レコード賞にもノミネートされた。 2019年に公開された架空のビートルズ映画「イエスタデイ」の題名になった。 映画の中でも印象的な使われ方がされた。 27 「ヒア・カムズ・ザ・サン」 (Here Comes The Sun) 1969年発売のアルバム「アビイ・ロード」収録。 日本でのみシングルとして発売された。 米英でシングルカットされなかったビートルズの曲としては、 史上最も売れたことになる。 (販売数の大半はダウンロードによるものと見られる)。 爽やかなサウンドの名曲。 ジョージ・ハリスンが作詞・作曲。 「サムシング」とともにジョージの代表曲として知られている。 「長い冬だったね。 でも、ほら春らしいポカポカの太陽が顔を出したよ」という歌。 友人であるギタリストのエリック・クラプトンの自宅の庭で書いたとされる。 (マーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリー映画「ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」で、 クラプトンがそのときの様子に触れている)。 アコースティックギターとシンセサイザーのやさしい音色と、ジョージの声、そしてリンゴのドラムスなどが絶妙にマッチ。 演奏面でも厚い支持を受けている。

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