干支 順番。 干支(えと)の順番の由来とは? 面白いけどナゾだらけ!?

十二支とは?由来や時間、物語・動物の順番の逸話、性格や相性まで

干支 順番

毎年、年末年始になるとクローズアップされるのが干支です。 大阪の通天閣などでも年末の風物詩として、本物の動物を使った干支の引き継ぎ式が行われています。 また、自分の干支と、今年の干支が一緒になると年男・年女としたり、丙午生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるなどの迷信があったりします。 それから干支による性格診断や、相性診断など占いにも活用されています。 このように私たちの日常生活から切り離せない干支ですが、古くは中国の殷時代まで遡ることができるそうです。 それも最初は日順をあらわす暦法でしたが、後に年月や時刻・方角もあらわすようになりました。 干支の順番は、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)辰(たつ)・(み)・午(うま)・未(ひつじ)申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)ですが、なぜこのような順番になったのか、なぜ本来の動物とは違う字を当てているのか解説していきます。 動物たちによるレース 干支の順番がどうやって決まったか、次のようなお話があります。 昔々、神様が動物たちに「次の元旦に挨拶にきた先着12番までを、毎年1年間動物の大将にする」といいました。 このレースに足の遅い牛は誰よりも早く出発しますが、そこにネズミがやってきて、牛の頭に乗せてくれないかと頼みます。 人のいい牛は快諾して、ネズミを乗せてあげますが、ゴール直前、ネズミは牛の頭から飛び下り1等になりました。 すぐ後に牛がゴールし、2等です。 それから、半信半疑で参加した虎が3等、休憩も取らずひたすら走り続けた兎が4等になりました。 龍と蛇は同時に到着しましたが、蛇が龍に5等を譲りました。 それから馬、羊が到着し、猿、鶏、犬、がそれに続きますが、途中、猿と犬が大喧嘩をして、鶏が仲裁に入ったので、猿と犬の間に鶏が入っているそうです。 猪は本来誰よりも先にゴールしていましたが、止まることができずに、最後になってしまったということです。 お釈迦様の物語 干支の順番決めには動物たちのレースにによるお話のほかに、お釈迦様の見舞にかけつけた順番というお話があります。 お釈迦様が病に附し、寝込んでいるところに動物たちが心配してお見舞いにいくことにしました。 ネズミは一番に駆けつけようと一生懸命走りました。 でも体が小さいため、なかなか着きません。 そうすると、前方に牛が見えました。 牛は足が遅いため、早くから出発していました。 ネズミは牛に飛び乗り、牛の背中で休みながらゆうゆうと進んでいきましたが、お釈迦様のうちの前に来たとたん頭からぴょんと飛び降り、1番にお見舞いに駆けつけました。 その後は、動物たちのレースのお話同様、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順に到着し、お釈迦様を見舞ったそうです。 干支に猫はなぜいない? 干支には、身近な動物がたくさん選ばれていますが、その中になぜ猫が含まれていないのか、疑問に思ったことはありませんか。 実は動物のレースのお話にも、お釈迦様のお話にも猫が登場しています。 動物のレースの話では、猫はレースの日時を忘れて、ネズミに尋ねました。 ところがネズミは嘘をつき、1日遅い日付を教えます。 1日遅れで猫が到着した時にはすでにレースは終わっていました。 騙されたことに気づいた猫はたいそう怒って、いまだに猫はネズミを見かけるとを追いかけるのだそうです。 また、お釈迦様を見舞った話では、動物たちがお見舞いに集まりましたが、お釈迦様の容態は悪くなる一方です。 そこでお釈迦様のお母さんが、薬を届けるため家に向かって投げましたが、木に引っかかってしまいました。 それをネズミが取りに行きましたが、猫が邪魔をして薬が取れずとうとうお釈迦様は亡くなってしまいました。 その罰で、猫は干支から外されたそうです。 干支の順番の理由は? これまで物語で干支の順番の理由を説明してきましたが、実際はどうなのでしょうか。 干支の順番には理由があるのか、またあるとしたらどうして現在の形になったのか解説していきます。 まずは、干支の起源ですが中国殷時代にまで遡ります。 当初、十干のみによる日順が用いられました。 十干とは「甲・乙・丙・丁・戌・己・庚・辛・壬・癸」の順で1日1日来る日の順番を表したものです。 つまり10日を一組として一巡させるとこで、日を表していました。 それに対し、十二支は本来天体の周りを十二等分してそれぞれの方角を定めたことかが始まりです。 これによって星座の移動を調べ、季節を確かめました。 その方角を表す言葉が子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥です。 その後、漢の時代に鼠・牛・虎などの動物が擬せられるようになりました。 干支とは本来、十干と十二支を合わせたものですが、現在では一般的に動物そのものを指すようになりました。 干支が占いに使われる理由は? 殷の時代から周の時代にかけて、十干十二支をあわせた干支は、主に暦や方角を表すものでした。 では、干支を用いた占いはどのようして起こったのでしょうか。 それには、時代をぐっとさかのぼりますが、戦国時代から漢の始めにかけての陰陽五行説という名前の中国特有の哲学が始まりです。 陰陽五行説とは、すべてのものは「木・火・土・金・水」からできているという説で、それに十干と陰陽の思想が組み合わさり、甲は木の陽とされ、日本では木の兄(きのえ)と呼ばれ、乙は木の陰、日本では木の弟(きのと)とよばれました。 以下、丙は火の陽すなわち火の兄(ひのえ)丁は火の陰すなわち火の弟(ひのと)つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと、と続きます。 そしてこれら十干十二支の組合せは、極めて神秘化され、すべての吉凶を支配するものとなっていきました。 それが、易占いや四柱推命などに受け継がれ現在まで続いていると考えられます。 干支の順番に意味はあるの? 先で述べたように、十干は甲からはじまる10文字、また十二支は子からはじまる12文字で、日付や方位を表す記号です。 そのため、順番が狂っては全てが滅茶苦茶になってしまいますので、これらの順番が入れ替わることがあってはなりません。 十干は、甲が1日、乙が2日と続いて癸が10日になることは先に述べましたが、これは殷の遺跡から発掘された甲骨文字から知ることができました。 しかしなぜ、甲が1日目、癸が10日目になるのかまではわかっていません。 ただ、一、二、三というような単純な文字では、占いの際に甲羅や骨を焙った時、読み誤り等を防ぐため字画を多くしたのではと考えられています。 十二支ははじめ方角を表すために用いられた12文字ですが、十干と組み合わせることによって60通りの組ができ、日順をあらわすのにとても便利になりました。 しかし、十干と同様になぜ子、丑、寅などの字が当てられたかはわかっていません。 干支の順番の理由はこじつけ? さきほど干支に使われた文字や順番は、理由がわかっていないと説明しましたが、「史記」や「漢書」などの書物を通じて、当時の学者たちは順番に次のような理屈をつけました。 まず、十干ですが、甲(こう)は甲(よろい)で、万物が初めて種の甲を破って出ること、乙(おつ)は軋(あつ)と韻通で、万物が軋々然と伸び出ること、丙(へい)は炳(へい)で万物が生じて炳然とあらわれること、丁(てい)は万物が丁荘になること、戊(ぼ)は茂(も)で万物が盛んに茂ること、己(き)は起(き)で今まで屈していたものが盛んに起こることです。 さらに、庚(こう)は更(こう)で万物が粛然として更(あら)たまること、辛(しん)は新(しん)で、陰気が新たになって収成すること、壬(じん)は任(じん)で陽気が万物を下に任養すること、癸(き)は揆(き)で万物が揆然として萌芽することとなっています。 いずれも音や、韻に合わせたこじつけといえそうです。 干支の前半は陽気が徐々に盛んになりゆくさま 次に、十二支の順番を見ていきましょう。 こちらも十干と同じく「史記」や「漢書」によって、理屈が説明されています。 十二支の場合は、子(し)は滋(し)であり、この時節には万物が滋(しげ)り芽生えること、丑(ちゅう)は紐(ちゅう)、つまりヒモでせっかく芽生えたものが紐にしばられまだ十分に伸びないこと、寅(いん)は演(えん)で万物が演然としてはじめて地中に出ること、卯(ぼう)は茂(もう)で、万物の茂ることです。 辰(しん)は伸(しん)で万物の伸びること、巳(し)は已(い)で万物が已(すで)に盛りを極めて、これから実を結ぶ時期であるということです。 つまり、季節で言えば春から夏にかけて、芽吹いた種がどんどん大きくなって葉が茂り大きく成長してゆく様をあらわしていると、説明されています。 干支の後半は陰気が下からおこってくるさま 次に、干支の後半ですが、午(ご)は仵(ご)で陰気が下からあがって、陽気と相逆らい交わること、未(み)は味(み)で万物ができあがって滋味の生じること、申(しん)は身(しん)で万物の身体ができあがること、酉(ゆう)は老(ろう)と韻通で、万物が十分育って老いることです。 戌(しゅつ)は脱(だつ)または滅(めつ)と韻通で、万物が脱落し、尽滅すること、亥(がい)は核(かく)で万物が次の種となること、とされています。 つまり、干支の12文字の順番は、季節に従って、万物が春から冬にいたるまでの変化の状態をあらわしていて、年々繰り返されたと説明されています。 しかし、これらも音や韻を無理やり合わせただけのこじつけであり、根本的な理由付けにはなっていません。 十二支は方角を指す記号 はじめの方で、干支の12文字はそれぞれ方角を示す記号と説明しました。 なぜこの字を当てているか、それも本当の理由はわかっていません。 これを北と南を指す基準の記号にしたと考えられます。 次に卯と酉ですが、古い字形で卯は門が空いている形、酉は門が閉まっている形を示しています。 つまり一方は戸が開くことが夜明け(東)を示し、それの反対の側が門が閉まることで日暮れ(西)を指しています。 これで子午と卯酉で南北と東西を示すことができ、東西南北が決まります。 あとは、右回りに順番通りに丑、寅、辰、巳、未、申、戌、亥を当てはめ、方角を示す記号になったと考えられます。 子はなぜ鼠なの? これまで、干支の順番の理由や、方角を表す理由を述べてきましたが、なぜ子は鼠なのでしょうか。 同じように、丑は牛、寅は虎、卯は兎、辰は龍、巳は蛇、午は馬、未は羊、申は猿、酉は鶏、戌は犬、亥は猪となったのはなぜなのでしょうか。 中国で初めて12匹の動物たちが登場するのは、漢の王充が「論衡」のなかで「子の獣は鼠である」というように書いたものですが、理由までは書かれていません。 では、もともとどこからきたものでしょうか。 その答えは、インドのお経によるものと考えられています。 この12匹の動物は、中国だけではなく、インドやペルシアでも使用されています。 そしてそのインドに「大方等大集教」というお教があるのですが、これに干支の12種類の動物が登場し、東西南北の海に浮かぶそれぞれの島に所属しているという内容です。 これは、中国の子、丑、寅、卯で表す東西南北と合致しています。 日本に伝わったときは子は鼠だった? 「大方等大集教」によれば、まず鼠が7月1日にはじめて巡行して鼠族を教化し、2日は牛が同様に巡行して牛族を教化しというように、干支の順番で巡行と同種族の教化を繰り返すとなっています。 同じように8月1日は牛から始まり、9月は虎から始まります。 7月1日から始まるということは、インドでは歳首の月は7月ということになります。 中国で歳首は子の月で1月です。 それぞれを対応させると丑の月は牛の月、寅の月は虎というように全て合致しますので、子は鼠、丑は牛、寅は虎、卯は兎、辰は龍、巳は蛇、午は馬、未は羊、申は猿、酉は鶏、戌は犬、亥は猪となったと考えられます。 このようにインドで行われていた月の区別が中国に伝わり、日本へ伝えられたと考えられます。 日本に伝来した際には子、丑、寅等十二支をわかりやすい動物の名前で呼ぶようになっていました。 干支の順番の読み方 干支が12匹の動物に配当されると、もともとの子、丑、寅、卯等に鼠、牛、虎、兎等の動物そのものがそれぞれの文字の内容として付加され、一般の人々にとてもわかりやすく、通用しやすい言葉となりました。 日本に伝わった時も、順番に子をネ、丑をウシ、寅をトラ、兎をウ、辰をタツ、巳をミ、午をウマ、未をヒツジ、申をサル、酉をトリ、戌をイヌ、亥をイと呼びました。 動物と組合せたおかげで、人々に馴染みやすく、現在にも続く干支となったと考えられます。 干支の順番の覚え方 五味太郎さんの絵がとてもかわいい、干支の本です。 1冊につき干支の動物1匹が主人公の絵本で、12冊のシリーズものです。 例えば、イノシシ年の人は、なんでもしっかり見ている人、サル年はチャレンジ精神が旺盛など、それぞれのいいところを引き出してくれる絵本です。 ペーパークラフトの付録も付いており、プレゼントにも大変喜ばれています。 ことばあそびや間違い探しなど順番を覚えたら次はこのような絵本で楽しんではいかがですか。 トリでスタートし、イヌが引き継いで、3番走者のイノシシが登場。 このシリーズを軌道に乗せるためにも、イノシシくんの役割は大きいが その大役をしっかりと果たしてくれた。 1:猪突猛進する姿を期待していい 2:キミの動体視力があきらかにされる 干支の順番の本当の意味とは? ここまで、干支の歴史や、順番の理由などを述べてきましたが、実際のところはよくわかっていません。 しかし、子、丑、寅、卯などあまり馴染みのない漢字の羅列で方角や時間を表すよりは、身近な動物たちを当てはめることによって、馴染みやすいものにしたことで、一般的にも広く浸透するようになりました。 また、干支の順番を意味付けるために、昔から物語という形で語り継いできていることは、干支を大事にしていたからに違いありません。 年始に当たってはその年の干支にちなんで、一年の目標を立ててみてはいかがでしょうか。 ドライバーの仕事情報を探す 現在転職先にトラックドライバーを考えている方は豊富なドライバー求人を案件を持つドライバーワークスへ!.

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干支の順番が決まった理由とは?干支にまつわる言い伝えをご紹介

干支 順番

毎年、年末年始になるとクローズアップされるのが干支です。 大阪の通天閣などでも年末の風物詩として、本物の動物を使った干支の引き継ぎ式が行われています。 また、自分の干支と、今年の干支が一緒になると年男・年女としたり、丙午生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるなどの迷信があったりします。 それから干支による性格診断や、相性診断など占いにも活用されています。 このように私たちの日常生活から切り離せない干支ですが、古くは中国の殷時代まで遡ることができるそうです。 それも最初は日順をあらわす暦法でしたが、後に年月や時刻・方角もあらわすようになりました。 干支の順番は、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)辰(たつ)・(み)・午(うま)・未(ひつじ)申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)ですが、なぜこのような順番になったのか、なぜ本来の動物とは違う字を当てているのか解説していきます。 動物たちによるレース 干支の順番がどうやって決まったか、次のようなお話があります。 昔々、神様が動物たちに「次の元旦に挨拶にきた先着12番までを、毎年1年間動物の大将にする」といいました。 このレースに足の遅い牛は誰よりも早く出発しますが、そこにネズミがやってきて、牛の頭に乗せてくれないかと頼みます。 人のいい牛は快諾して、ネズミを乗せてあげますが、ゴール直前、ネズミは牛の頭から飛び下り1等になりました。 すぐ後に牛がゴールし、2等です。 それから、半信半疑で参加した虎が3等、休憩も取らずひたすら走り続けた兎が4等になりました。 龍と蛇は同時に到着しましたが、蛇が龍に5等を譲りました。 それから馬、羊が到着し、猿、鶏、犬、がそれに続きますが、途中、猿と犬が大喧嘩をして、鶏が仲裁に入ったので、猿と犬の間に鶏が入っているそうです。 猪は本来誰よりも先にゴールしていましたが、止まることができずに、最後になってしまったということです。 お釈迦様の物語 干支の順番決めには動物たちのレースにによるお話のほかに、お釈迦様の見舞にかけつけた順番というお話があります。 お釈迦様が病に附し、寝込んでいるところに動物たちが心配してお見舞いにいくことにしました。 ネズミは一番に駆けつけようと一生懸命走りました。 でも体が小さいため、なかなか着きません。 そうすると、前方に牛が見えました。 牛は足が遅いため、早くから出発していました。 ネズミは牛に飛び乗り、牛の背中で休みながらゆうゆうと進んでいきましたが、お釈迦様のうちの前に来たとたん頭からぴょんと飛び降り、1番にお見舞いに駆けつけました。 その後は、動物たちのレースのお話同様、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順に到着し、お釈迦様を見舞ったそうです。 干支に猫はなぜいない? 干支には、身近な動物がたくさん選ばれていますが、その中になぜ猫が含まれていないのか、疑問に思ったことはありませんか。 実は動物のレースのお話にも、お釈迦様のお話にも猫が登場しています。 動物のレースの話では、猫はレースの日時を忘れて、ネズミに尋ねました。 ところがネズミは嘘をつき、1日遅い日付を教えます。 1日遅れで猫が到着した時にはすでにレースは終わっていました。 騙されたことに気づいた猫はたいそう怒って、いまだに猫はネズミを見かけるとを追いかけるのだそうです。 また、お釈迦様を見舞った話では、動物たちがお見舞いに集まりましたが、お釈迦様の容態は悪くなる一方です。 そこでお釈迦様のお母さんが、薬を届けるため家に向かって投げましたが、木に引っかかってしまいました。 それをネズミが取りに行きましたが、猫が邪魔をして薬が取れずとうとうお釈迦様は亡くなってしまいました。 その罰で、猫は干支から外されたそうです。 干支の順番の理由は? これまで物語で干支の順番の理由を説明してきましたが、実際はどうなのでしょうか。 干支の順番には理由があるのか、またあるとしたらどうして現在の形になったのか解説していきます。 まずは、干支の起源ですが中国殷時代にまで遡ります。 当初、十干のみによる日順が用いられました。 十干とは「甲・乙・丙・丁・戌・己・庚・辛・壬・癸」の順で1日1日来る日の順番を表したものです。 つまり10日を一組として一巡させるとこで、日を表していました。 それに対し、十二支は本来天体の周りを十二等分してそれぞれの方角を定めたことかが始まりです。 これによって星座の移動を調べ、季節を確かめました。 その方角を表す言葉が子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥です。 その後、漢の時代に鼠・牛・虎などの動物が擬せられるようになりました。 干支とは本来、十干と十二支を合わせたものですが、現在では一般的に動物そのものを指すようになりました。 干支が占いに使われる理由は? 殷の時代から周の時代にかけて、十干十二支をあわせた干支は、主に暦や方角を表すものでした。 では、干支を用いた占いはどのようして起こったのでしょうか。 それには、時代をぐっとさかのぼりますが、戦国時代から漢の始めにかけての陰陽五行説という名前の中国特有の哲学が始まりです。 陰陽五行説とは、すべてのものは「木・火・土・金・水」からできているという説で、それに十干と陰陽の思想が組み合わさり、甲は木の陽とされ、日本では木の兄(きのえ)と呼ばれ、乙は木の陰、日本では木の弟(きのと)とよばれました。 以下、丙は火の陽すなわち火の兄(ひのえ)丁は火の陰すなわち火の弟(ひのと)つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと、と続きます。 そしてこれら十干十二支の組合せは、極めて神秘化され、すべての吉凶を支配するものとなっていきました。 それが、易占いや四柱推命などに受け継がれ現在まで続いていると考えられます。 干支の順番に意味はあるの? 先で述べたように、十干は甲からはじまる10文字、また十二支は子からはじまる12文字で、日付や方位を表す記号です。 そのため、順番が狂っては全てが滅茶苦茶になってしまいますので、これらの順番が入れ替わることがあってはなりません。 十干は、甲が1日、乙が2日と続いて癸が10日になることは先に述べましたが、これは殷の遺跡から発掘された甲骨文字から知ることができました。 しかしなぜ、甲が1日目、癸が10日目になるのかまではわかっていません。 ただ、一、二、三というような単純な文字では、占いの際に甲羅や骨を焙った時、読み誤り等を防ぐため字画を多くしたのではと考えられています。 十二支ははじめ方角を表すために用いられた12文字ですが、十干と組み合わせることによって60通りの組ができ、日順をあらわすのにとても便利になりました。 しかし、十干と同様になぜ子、丑、寅などの字が当てられたかはわかっていません。 干支の順番の理由はこじつけ? さきほど干支に使われた文字や順番は、理由がわかっていないと説明しましたが、「史記」や「漢書」などの書物を通じて、当時の学者たちは順番に次のような理屈をつけました。 まず、十干ですが、甲(こう)は甲(よろい)で、万物が初めて種の甲を破って出ること、乙(おつ)は軋(あつ)と韻通で、万物が軋々然と伸び出ること、丙(へい)は炳(へい)で万物が生じて炳然とあらわれること、丁(てい)は万物が丁荘になること、戊(ぼ)は茂(も)で万物が盛んに茂ること、己(き)は起(き)で今まで屈していたものが盛んに起こることです。 さらに、庚(こう)は更(こう)で万物が粛然として更(あら)たまること、辛(しん)は新(しん)で、陰気が新たになって収成すること、壬(じん)は任(じん)で陽気が万物を下に任養すること、癸(き)は揆(き)で万物が揆然として萌芽することとなっています。 いずれも音や、韻に合わせたこじつけといえそうです。 干支の前半は陽気が徐々に盛んになりゆくさま 次に、十二支の順番を見ていきましょう。 こちらも十干と同じく「史記」や「漢書」によって、理屈が説明されています。 十二支の場合は、子(し)は滋(し)であり、この時節には万物が滋(しげ)り芽生えること、丑(ちゅう)は紐(ちゅう)、つまりヒモでせっかく芽生えたものが紐にしばられまだ十分に伸びないこと、寅(いん)は演(えん)で万物が演然としてはじめて地中に出ること、卯(ぼう)は茂(もう)で、万物の茂ることです。 辰(しん)は伸(しん)で万物の伸びること、巳(し)は已(い)で万物が已(すで)に盛りを極めて、これから実を結ぶ時期であるということです。 つまり、季節で言えば春から夏にかけて、芽吹いた種がどんどん大きくなって葉が茂り大きく成長してゆく様をあらわしていると、説明されています。 干支の後半は陰気が下からおこってくるさま 次に、干支の後半ですが、午(ご)は仵(ご)で陰気が下からあがって、陽気と相逆らい交わること、未(み)は味(み)で万物ができあがって滋味の生じること、申(しん)は身(しん)で万物の身体ができあがること、酉(ゆう)は老(ろう)と韻通で、万物が十分育って老いることです。 戌(しゅつ)は脱(だつ)または滅(めつ)と韻通で、万物が脱落し、尽滅すること、亥(がい)は核(かく)で万物が次の種となること、とされています。 つまり、干支の12文字の順番は、季節に従って、万物が春から冬にいたるまでの変化の状態をあらわしていて、年々繰り返されたと説明されています。 しかし、これらも音や韻を無理やり合わせただけのこじつけであり、根本的な理由付けにはなっていません。 十二支は方角を指す記号 はじめの方で、干支の12文字はそれぞれ方角を示す記号と説明しました。 なぜこの字を当てているか、それも本当の理由はわかっていません。 これを北と南を指す基準の記号にしたと考えられます。 次に卯と酉ですが、古い字形で卯は門が空いている形、酉は門が閉まっている形を示しています。 つまり一方は戸が開くことが夜明け(東)を示し、それの反対の側が門が閉まることで日暮れ(西)を指しています。 これで子午と卯酉で南北と東西を示すことができ、東西南北が決まります。 あとは、右回りに順番通りに丑、寅、辰、巳、未、申、戌、亥を当てはめ、方角を示す記号になったと考えられます。 子はなぜ鼠なの? これまで、干支の順番の理由や、方角を表す理由を述べてきましたが、なぜ子は鼠なのでしょうか。 同じように、丑は牛、寅は虎、卯は兎、辰は龍、巳は蛇、午は馬、未は羊、申は猿、酉は鶏、戌は犬、亥は猪となったのはなぜなのでしょうか。 中国で初めて12匹の動物たちが登場するのは、漢の王充が「論衡」のなかで「子の獣は鼠である」というように書いたものですが、理由までは書かれていません。 では、もともとどこからきたものでしょうか。 その答えは、インドのお経によるものと考えられています。 この12匹の動物は、中国だけではなく、インドやペルシアでも使用されています。 そしてそのインドに「大方等大集教」というお教があるのですが、これに干支の12種類の動物が登場し、東西南北の海に浮かぶそれぞれの島に所属しているという内容です。 これは、中国の子、丑、寅、卯で表す東西南北と合致しています。 日本に伝わったときは子は鼠だった? 「大方等大集教」によれば、まず鼠が7月1日にはじめて巡行して鼠族を教化し、2日は牛が同様に巡行して牛族を教化しというように、干支の順番で巡行と同種族の教化を繰り返すとなっています。 同じように8月1日は牛から始まり、9月は虎から始まります。 7月1日から始まるということは、インドでは歳首の月は7月ということになります。 中国で歳首は子の月で1月です。 それぞれを対応させると丑の月は牛の月、寅の月は虎というように全て合致しますので、子は鼠、丑は牛、寅は虎、卯は兎、辰は龍、巳は蛇、午は馬、未は羊、申は猿、酉は鶏、戌は犬、亥は猪となったと考えられます。 このようにインドで行われていた月の区別が中国に伝わり、日本へ伝えられたと考えられます。 日本に伝来した際には子、丑、寅等十二支をわかりやすい動物の名前で呼ぶようになっていました。 干支の順番の読み方 干支が12匹の動物に配当されると、もともとの子、丑、寅、卯等に鼠、牛、虎、兎等の動物そのものがそれぞれの文字の内容として付加され、一般の人々にとてもわかりやすく、通用しやすい言葉となりました。 日本に伝わった時も、順番に子をネ、丑をウシ、寅をトラ、兎をウ、辰をタツ、巳をミ、午をウマ、未をヒツジ、申をサル、酉をトリ、戌をイヌ、亥をイと呼びました。 動物と組合せたおかげで、人々に馴染みやすく、現在にも続く干支となったと考えられます。 干支の順番の覚え方 五味太郎さんの絵がとてもかわいい、干支の本です。 1冊につき干支の動物1匹が主人公の絵本で、12冊のシリーズものです。 例えば、イノシシ年の人は、なんでもしっかり見ている人、サル年はチャレンジ精神が旺盛など、それぞれのいいところを引き出してくれる絵本です。 ペーパークラフトの付録も付いており、プレゼントにも大変喜ばれています。 ことばあそびや間違い探しなど順番を覚えたら次はこのような絵本で楽しんではいかがですか。 トリでスタートし、イヌが引き継いで、3番走者のイノシシが登場。 このシリーズを軌道に乗せるためにも、イノシシくんの役割は大きいが その大役をしっかりと果たしてくれた。 1:猪突猛進する姿を期待していい 2:キミの動体視力があきらかにされる 干支の順番の本当の意味とは? ここまで、干支の歴史や、順番の理由などを述べてきましたが、実際のところはよくわかっていません。 しかし、子、丑、寅、卯などあまり馴染みのない漢字の羅列で方角や時間を表すよりは、身近な動物たちを当てはめることによって、馴染みやすいものにしたことで、一般的にも広く浸透するようになりました。 また、干支の順番を意味付けるために、昔から物語という形で語り継いできていることは、干支を大事にしていたからに違いありません。 年始に当たってはその年の干支にちなんで、一年の目標を立ててみてはいかがでしょうか。 ドライバーの仕事情報を探す 現在転職先にトラックドライバーを考えている方は豊富なドライバー求人を案件を持つドライバーワークスへ!.

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干支(十二支)の順番と読み方は?簡単な覚え方もご紹介!

干支 順番

「干支」と言われて、何のことか全くわからない人はいないでしょう。 ひらがなで書けば「えと」です。 正確には十干十二支を併せて干支というのですが、一般的には十二支が干支と思われています。 十二支なら誰でも、自分の生まれ年が何年なのかを知っています。 子、丑、寅、卯・・・という、干支の順番を、きちんと言えるでしょうか。 今回は干支の順番について見ていきましょう。 「60歳=還暦」は干支が関係している? 出典: 漢字の干支の、「干」は十干を指し、「支」は十二支を指します。 日本語の「えと」は「え」(兄)と「と」(弟)を合わせたものを言います。 日本では十二支のみを干支として取り扱うことが多いですが、漢字で見ても日本語で見ても、両方を併せて干支というのだということがわかります。 出生率が下がる年として知られる「ひのえうま」という干支を聞いたことがあるでしょうか。 「ひのえうま」は、十干である「ひのえ」と、十二支である「うま」とを合わせたものです。 「ひのえ」は「火の兄」です。 ひのえの翌年は、火の弟である「ひのと」です。 十干は10通り、十二支は12通りですから、十干と十二支の組み合わせは60通りあり、「ひのえうま」も60年に一度しか順番が巡ってきません。 「ひのえうま」は、八百屋お七の生まれ年で、この年に生まれた女は夫の命を縮めるというので出生率が低下するのですが、もちろん迷信です。 余談ですが、60歳のことを還暦というのは、干支が一回りして順番が元に戻るからです。 干支と十二支の関係 干支と十二支の関係によって、60年で周期することを紹介しました。 組み合わせにはすべてのパターンがあるわけではありません。 あくまで、10と12の最小公倍数という点で、一周するまでしか組み合わせはありません。 子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥は、紀元前1600年ごろにはできていた言葉であり、考え方といわれています。 その中でも動物に当てはめることで、人々が覚えやすくしたと考えられています。 日本では他に十二支に関する神話も存在するなど、動物による影響は計り知れません。 覚えやすい形では、「ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い」と言った呼ばれ方も覚えやすいといえます。 干支はカレンダー代わりだった? 干支は中国文化圏にのみ存在します。 かなり古くより、日付の記録として用いられてきました。 60通りあるので、日付を順番に記録するには適当であったのでしょう。 そして、後の世には、年・月・時刻・方位にも使われるようになります。 1年の月の数など、12ですし、木星の公転周期もおおむね12年でした。 12と10とはそれぞれ割り切れる数が多いので、時刻や方位など、均等に分割するには非常に向いています。 十干とは?十干の順番とその由来を紹介 出典: 十二支に比べるとあまりなじみのない十干ですが、生まれ年にも10通りがあるわけです。 十干の順番は、「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」です。 この字の順番は、どこかで見たことがあるでしょう。 戦前は通知簿(通信簿)に、甲乙平丁で上から順番に成績がつけられましたし、徴兵のときは「甲種合格」「乙種合格」などと言いましたから非常におなじみでした。 現代でも契約書などに、当事者を順番に示す用語としてしばしば登場します。 日本語での読みは「きのえ」「きのと」「ひのえ」「ひのと」「つちのえ」「つちのと」「かのえ」「かのと」「みずのえ」「みずのと」です。 「木・火・土・金・水」の、それぞれ兄と弟です。 陰陽五行説を連想させますが、陰陽五行説ができるずっと以前から十干はありました。 それでも、その後結びついて理解されていたのは事実です。 十二支の順番の理由とは? 出典: 十二支の順番は、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」です。 「寅さん」ならとらさん、「辰巳」はたつみ、「酉の市」はとりのいちというのは読めるでしょう。 ただこの漢字と、十二支の動物は本来まったく関係ありません。 動物のほうが、すでに出来上がっている干支に後から結びついたのです。 十二支が現代になお息づいているのは、動物に結び付き、そこに親しみが生まれたからこそでしょう。 日本語では「ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い」です。 この動物による十二支を、大人が言えないと少し恥ずかしいかもしれません。 「う」がうさぎ、「み」がへび、「い」がいのししというあたり、うろ覚えの人もいるのではないでしょうか。 干支と関係なくなぜ動物が、それも、なぜこの12の動物がセレクトされているのか、そしてなぜこの順序なのかは、諸説ありますが不明です。 恐らくは、暦の普及のため、どこかでわかりやすい動物を当てはめ、一般人に教育したのではないかと思われます。 伝わった国によって十二支の動物は若干異なります。 日本の亥年は猪ですが、中国ではこれが豚を指すというのは、比較的知られているでしょう。

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