あなたの横顔や髪の色が 静かな机に並んで見えた 少し薄味のポテトの中 塩っけ多すぎたパスタの中 あなたがそばにいない夜の底で 嫌ってほど自分の小ささを見た 下らない諍いや涙の中 おどけて笑ったその顔の中 誰もいないキッチン 靡かないカーテン いえない いえないな 独りでいいやなんて 話そう声を出して 明るい未来について 間違えて凍えてもそばにいれるように 笑って 笑って 笑って そうやって きっと魔法にかかったように世界は作り変わって この部屋に立ちこめた救えない憂鬱を おいしそうによく噛んであなたはのみ込んだ それにどれだけ救われたことか 多分あなたは知らないな 明日会えたらそのときは 素直になれたらいいな あなたの頬や鼻筋が今 静かな机に並んで見えた 部屋に残してった甘いチェリーボンボン 無理して焼き上げたタルトタタン 張りつめたキッチン 電池の切れたタイマー いえない いえないな 嫌いになったよなんて 話そう声を出して 二人の思いについて 恥ずかしがらないであなたに言えるように 笑って 笑って 笑って そうやって やっと自由に許すようになれた世界を持って 作り上げた食事のその一口目を掬って 嬉しそうに息を吹いて僕に差し出したんだ それにどれだけ救われたことか もしもあなたが知ってても 明日会えたらそのときは 言葉にできたらいいな もう一度! 笑って 笑って 笑って そうやって きっと魔法にかかったように世界は作り変わって この部屋に立ちこめた救えない憂鬱を おいしそうによく噛んであなたはのみ込んだ それにどれだけ救われたことか 多分あなたは知らないな 明日会えたらそのときは 素直になれたらいいな 食事は不思議な行為です。 単に生存に必須と言うだけでなく、人間関係を構築する一種の装置にもなります。 知り合ったばかりの人と距離を縮めたい場合「今度食事でも」は常套句です。 家族間の諍いは「ごはんだよ」から仲直りへ向かうことがあります。 既に親しい間柄に食卓が加われば、おしゃべりの出来上がりです。 食事を提供するには、言うまでもなくキッチンが必要不可欠です。 この「メランコリーキッチン」には明らかに孤独が満ちていますが、それでもキッチンですから料理は仕上がります。 憂鬱に苛まれ押し潰されそうな日常でも、続けるにはどうしても食事が欠かせません。 無理やり咀嚼を重ねるのは拷問に似た辛さがありますが、食卓に誰かが加わると、不思議な力と相まって心境の変化を起こすこともあるようです。 ひいらぎの解釈 誰もいないキッチンではカーテンも靡かない。 どうしても言えない 独りでいいやなんて。 声を出して明るい未来について話そう 間違いを犯しても心が凍えても離れずにいられるように。 諍いも作り笑いも誰かと一緒にいればこそ。 しかし、独りでいるのはもっと嫌なこと、少なくとも僕にとっては受け入れ難いようです。 話し合いをしようと言う時に、わざわざ「声を出して」と付け加えるところを見ると、僕は言葉を用いた自己表現や、直接的なコミュニケーションが苦手なのだと思われます。 誰かと共にいることを選べば辛い出来事は避けられません。 それでも前向きに考えたいとの強い決意が伺えます。 笑って 笑って 笑って そうやって きっと魔法にかかったように世界は作り変わって この部屋に立ちこめた救えない憂鬱を おいしそうによく噛んであなたはのみ込んだ ひいらぎの解釈 何度でも繰り返し作り笑いを浮かべていれば 魔法にかかったように世界は作り変わる。 救いようのない憂鬱が立ち込めた僕の部屋で あなたはおいしそうに料理を食べた。 何度も「笑って」いるにも関わらず、部屋には「救えない憂鬱」が立ち込めています。 本心から笑っているなら憂鬱は自然に払しょくされるはずです。 つまり、僕は現状とは全く別の未来を求めて、それを作り上げるために無理やり笑い続けているのだと考えられます。 憂鬱な恋人の前で「おいしそうに」食事をするあなたは、僕の気持ちには気付いていません。 それにどれだけ救われたことか 多分あなたは知らないな 明日会えたらそのときは 素直になれたらいいな ひいらぎの解釈 あなたの頬や鼻筋が 静かな机で奇妙に見えた。 部屋に残してきたチェリーボンボン。 無理して焼き上げたタルトタタン。 ここでもピカソのような光景が描かれていますが、視線はあなたの顔の中心に寄っています。 ただ、まともに目を見ることは避けているようです。 また、料理の中にあなたの姿を探す代わり、用意したものの出番のないチェリーボンボンと、「無理して焼き上げたタルトタタン」に意識を向けています。 甘いお菓子は女子のご機嫌取りにうってつけのアイテムですが、ここで登場する二つはいずれもフルーツの酸味が利いていて、大概地味な姿をしています。 孤独な憂鬱は軽減されるどころか、別の要素が加わって重みを増しています。 張りつめたキッチン 電池の切れたタイマー いえない いえないな 嫌いになったよなんて 話そう声を出して 二人の思いについて 恥ずかしがらないであなたに言えるように ひいらぎの解釈 空気の張りつめたキッチンに電池の切れたタイマー。 どうしても言えない 嫌いになったなんて。 声を出して二人の思いについて話そう。 本当の気持ちをあなたに言いたい。 電化製品の電池が切れたら、命が途切れたのと同じです。 緊張感の中に死んだものが転がっています。 これは「嫌いになった」と伝えた場合を想定した未来図でしょうか、それとも僕のエネルギーが切れてしまったことを表しているのでしょうか。 なぜ嫌いになってしまったのか明確な理由は書かれていませんが、作り笑いを続けることに忍耐の限界が来たと考察できます。 僕はその致命的な言葉を口に出せずにいますが、本音を話し合いたい気持ちは強く抱いています。 「恥ずかしがらないで」とありますから、僕は相手の反応を気にし過ぎてしまう、自己否定の強い人なのかもしれません。 笑って 笑って 笑って そうやって やっと自由に許すようになれた世界を持って 作り上げた食事のその一口目を掬って 嬉しそうに息を吹いて僕に差し出したんだ ひいらぎの解釈 何度も作り笑いを繰り返して 僕はやっと許すことができるようになった。 頑張って作った食事の一口目を掬って あなたは嬉しそうに息を吹いて僕に差し出した。 「自由に許す」ことは誰もが自然に行っていますが、僕の場合、おそらくは過剰な引っ込み思案のせいで、何を許すかという決定権まで他者に委ねていたのだと考えられます。 何度も作り笑いを繰り返しながら構築してきたあなたとの関係においては、ようやく「自由に許す」ことができるようになった、つまり、あなたにだけは多少心を開けるようになったと解釈できます。 そんな僕とあなたと二人の世界で、僕があなたのために作り「上げた」食事には、「無理して焼き上げた」と先にも述べている通り、かなりの労力が費やされたようです。 一方で、あなたは相変わらず僕の気持ちには気付いていないらしく、バカップルの王道とも言うべき、おめでたい光景を繰り広げようとしています。 それにどれだけ救われたことか もしもあなたが知ってても 明日会えたらそのときは 言葉にできたらいいな.
次の元々はボーカロイドという擬似音声で音楽を作るプロデューサーとして活動していましたが、 米津玄師さん自身が歌うようになり若手アーティストの中での人気・知名度共に群を抜いてトップに君臨するのではないでしょうか。 今回は米津玄師さんの「サンタマリア」の歌詞の意味を考察と、楽曲についてをお伝えしていきたいと思います。 米津玄師「サンタマリア」ってどんな曲?? 「サンタマリア」は2013年5月29日に発売された米津玄師さんのメジャー1枚目のシングルとなります。 楽曲だけではなく、ジャケット、歌詞カードも描いています。 このイラストを見てみるとめちゃくちゃクオリティーが高く、米津玄師さんの多才さが伝わってきますね。 タイトルになっている「サンタマリア」とはイエス・キリストの母親であるマリアのことです。 ラテン語で サンタ Santa は「聖なる」という 意味なので、 サンタマリアは「 聖母 マリア」になります。 またサンタマリアは、スラングとして「 死ぬこと」という意味で使われることもあります。 歌詞との関係はどう繋がっていくのでしょうか?? 「サンタマリア」でメジャーデビューするきっかけとなったのは?? 米津玄師さん自身、元々メジャーデビューに興味があったわけではありません。 それまでハチという名義でボカロPとして全てセルフプロデュースで活動していました。 「自分が作る音楽にちゃんと理解があって、同じ熱量で同じ方向を見てくれる人とモノを作るっていうのが一番正しい姿」 たまたまそれに当てはまる人物がメジャーレーベルにいたからだそうです。 この人物はインタビューでは語られていませんが、ネットの噂では米津玄師さんの事務所の社長ではないかと言われています。 米津玄師「サンタマリア」のMVはどんなの?ストーリーは? 米津玄師さんが人前に初めて姿を表したのが「サンタマリア」のMVです。 過去にボカロPとしてや自主作成アルバム「diorama」の時には一切姿は公開されていなかったので、 古参のファンにとっては嬉しい瞬間だったと思います。 MVは米津玄師さんが絵本をめくりながら物語が進んでいきます。 この絵本も米津玄師さん自身がイラストを描いています。 初めてMVを見たときはこの絵本は誰の作品何だろう?と普通に市販されているものかと思いました!! このMVの監督は関和亮さんが担当しています。 関和亮監督はPerfumeやサカナクション、木村カエラさんや星野源さんなど数々のアーティストのMVの監督をしています。 米津玄師「サンタマリア」の歌詞の意味を考察 主人公の一人称が『僕』ということから男性ということがわかります。 聖母マリアの名前が使われた「サンタマリア」の歌詞の意味を考察していきます。 掌をふたつ 重ねたあいだ 一枚の硝子で隔てられていた ここは面会室 あなたと僕は 決してひとつになりあえないそのままで 話をしている 1番のAメロです。 教会で懺悔している様子が浮かびます。 しかしこの歌詞の部分は教会ではなく面会室となっています。 そのことから病院の隔離室、または警察の面会室のようにも感じます。 1人で手を合わしているのか、それともあなたと硝子越しでお互いに手を合わしているのか? 硝子越しというのはお互いの心の壁のことを表しているのかもしれません。 今呪いにかけられたままふたりで いくつも嘘をついて歩いていくのだろうか しとやかに重たい沈黙と優しさが 見開いた目と その目を繋いでいた あなたは少し笑った 「呪い」とは孤独で人のことを信頼できない自分の心を表しているのだと思います。 人は何かしらの自分を守るために、相手を傷つけないように嘘をつくことがあります。 子供のころ親や友達に嫌われたくないからという理由で嘘をついた記憶はありませんか? 「いくつも嘘をついて歩いていくのだろうか」ということからは、 これからも誤魔化したり背を向けたりして生きていくのだろうかという憂いようにも感じます。 『あなた』はそんな僕の心を見透かすように『僕』に微笑みかけてくれます。 そんな何もかもわかっている『あなた』の優しさが、 『僕』と同じ孤独な気持ちもわかってくれるように嬉しく思ったのでしょう。 サンタマリア 何も言わないさ 惑うだけの言葉で満たすくらいならば 様々な幸せを砕いて 祈り疲れ 漸くあなたに 会えたのだから 一緒にいこう あの光の方へ 手をつなごう 意味なんか無くたって 1番のサビです。 タイトルにもなっている「サンタマリア」という言葉が登場します。 自分の存在を受け入れてくれるような聖母マリアのような存在に出会うことを望んでいたかのような歌詞です。 「様々な幸せを砕いて」という歌詞からわかることは、 『僕』は今までもいろんな人と出会い幸せな時間を過ごしていましたが、 心の奥底から信頼できる人には出会えていなかったのかもしれませんね。 「漸く(ようやく)あなたに会えたのだから」という歌詞から、 求め続けた自分の存在を受け入れてくれる『あなた』を見つけることができました。 米津玄師さんがメジャーデビューするにきっかけとなった、 「自分が作る音楽にちゃんと理解があって、同じ熱量で同じ方向を見てくれる人」と出会った瞬間を歌詞にしたのかもしれません。 いつか紺碧の 仙人掌が咲いて 一枚の硝子は崩れるだろうさ 信じようじゃないか どんな明日でも 重ねた手と手が触れ合うその日を 呪いが解けるのを 仙人掌(サボテン)のイメージといえば刺々しいというのがありますが、 花言葉は「燃える心」「偉大」「暖かい心」「枯れない愛」というポジティブな意味があります。 2人の壁となっているガラスを壊してくれること、お互いに心の底から信頼し会えるような関係になれることを切望しているのが伝わります。 今この間にあなたがいなくなったら 悲しさや恐ろしさも消えてしまうのだろうか 昏い午後の道端で探しまわった 呪いを解かす その小さなナイフを 汚れることのない歌を 「今この間」とは、先ほどの切望している願いが叶うまでの間です。 『あなた』と出会えたことで『僕』は幸せを感じることができているのですが、 同時に『あなた』を失うことで訪れる悲しみや恐ろしさのことも考えてしまいます。 これは『僕』の今までの経験がそういう考えにさせているのかもしれません。 「昏い(くらい)」とは「日が暮れて暗い」「道理がわからない」「ぼんやりとして陰気な様」という意味があります。 自分の中の孤独という呪いを解くために、 『僕』の思いを『あなた』の心に届くかせるための言葉を見つけ出そうとしています。 サンタマリア 全て正しいさ どんな日々も過去も未来も間違いさえも その目には金色の朝日が 映り揺れる 点滴のように 涙を落とす その瞳が いつだってあなたなら 落ち込んだ 泥濘の中だって 見返りのない愛をくれるのは「サンタマリア」=『あなた』 人間は生きていれば過ちを犯したりすることもあります。 しかし「失敗は成功の母」という言葉があるように、 考えようによってはそれは正しい道へ進むための過程であり決して間違いなんかではありません。 「金色の朝日」とは2人で迎える明るい未来の幕開けのように思えます。 ここでの「点滴」の意味は弱った心に栄養を与えてくれる意味合いで、 心が満たされたことによる安心感からくる涙ではないでしょうか。 後悔や不安な気持ちも全部含めて正しいと、 あなたとこれから未来へ向かって歩んでいけると受け止めている『僕』の気持ちです。 ここは面会室 仙人掌は未だ咲かない 硝子は崩れない そんな中で一本の蝋燭が 確かに灯り続ける あなたを見つめ あなたに見つめられ 信じることを やめられないように 1番Aメロに出てきた「面会室」に戻ります。 サボテンの花は咲かないし、ガラスは壊れていません。 ということは願望も叶っておらず、2人の心の壁は壊されていません。 しかし希望や祈りを表す蝋燭が灯っています。 お互いに見つめ合うことでお互いに同じ気持ちであるかを確認しているのでしょう。 信じることや叶えたいと願う心が『僕ら』に希望を与えていることがわかります。 そしてラストサビへ サンタマリア 闇を背負いながら 一緒にいこう あの光の方へ サビを繰り返しします。 『僕』にとって闇=呪い=孤独ということになります。 光があるからこそ闇があり、逆も然りです。 「闇を背負う」というのは『僕』と『あなた』がお互いに闇を背負いあいながら、 どんなことが待ち受けていても2人で未来へ向かって進んでいく。 そんな思いで「サンタマリア」は幕を閉じます。 米津玄師「サンタマリア」の歌詞の意味を解釈!メジャーデビューするきっかけになったのは??まとめ いかがだったでしょうか?? 米津玄師さんの「サンタマリア」の歌詞の意味やメジャーデビューするきっかけとなった経緯についてお伝えしていきました。 どんなに辛い過去があったとしても信頼できる相手と一緒ならどんな未来も乗り越えていけるという強い意思が「サンタマリア」から感じ取ることができました。
次の『憂鬱』 現代のの用法では、「メランコリーの特徴を有する」という、うつ病の細分類であり、重症のものという意味合いが強い。 それとは別に、近現代の精神医学では、がその著書『メランコリー』にて提起した、うつ病が起こりやすい性格としての、几帳面で良心的といった特徴を持つ「メランコリー親和型」が主にドイツや日本にて関心を集めたが、1977年の日本の報告以来、うつ病像がそういった特徴を持たないものへと変化しており、日本の現代のうつ病論へとつながっている。 医学では古くはギリシャのまでさかのぼるが、メランコリーはを示す状態でも特に重症のものを指してきた。 における黒胆汁質のことを指し、「 黒胆汁」という体液の多い人は憂鬱な気質になるとされた。 メランコリーは、用語として、憂鬱な精神状態と、それを引き起こす性格ないし身体的規定や的規定を指す。 メランコリーの概念は西洋思想の中で長い伝統をもち、その意味するところは世紀の変遷と共に大きく移り変わってきた。 現代的意味におけるメランコリーは、、、らによって概念化された。 的な用法については メランコリアという呼び方が日本では一般的である。 医学上の歴史 [ ] 「メランコリア」という語はの学説・に由来する。 人体を構成する血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁の4つの体液のバランスが崩れてになるとするこの説では、人間の性格()もこの4体液のバランスから決まるとしている。 からにかけての医学者は『』(、 Aphorisms)の中で憂鬱質を、黒胆汁の過剰により引き起こされる、精神および身体にある種の症状を起こす「」であると記述した。 「恐怖感と落胆が、長く続く場合」を、彼は憂鬱質の症状であるとした。 のギリシアの医学者はヒポクラテスの医学的知識や学説の強い影響が残る時代に生きた人物で、ヒポクラテスの説をもとに四体液説を発展させた。 憂鬱質は脾臓と精巣で作られる黒胆汁の過剰により引き起こされるとし、さらに四体液を人間の四つの気質やとも結びつけた。 この説では憂鬱はの元素と結び付き、さらにのうちのと、人生のうちの成人期と、一日のうちのと結び付けた。 これをもとに中世にはさらにと結び付き、・・と憂鬱質が関連付けられた。 ()の『憂鬱の解剖学』 では、心理学者 ()(没)が随筆『Maqala fi-l-Malikhuliya』の中で、メランコリアの一種として「 ()」(脳炎、狂乱などと訳される)を挙げている。 彼はこの種の気分障害の診察を行い、その様々な症状を記述しており、主な症状として、突然の挙動、愚かな行動、恐怖感、、などを挙げた。 彼はこの気分障害をで「malikhuliya」と書いているが、半ばにギリシア語やアラビア語からへの文献翻訳を行ったはこれを「melancolia」と訳した。 ここから西欧各国へメランコリアの語が広まった。 ペルシアの医師・心理学者 ()(982年没)は、その著書で医学百科事典の『Kitab al-Malaki』(コンスタンティヌス・アフリカヌスにより『 ()』の題でラテン語訳された)において精神病についても触れ、その中で、前述のものとは別の種類のメランコリアである「 ()」(狼化妄想症)を発見し観察したことを述べある種の人格の異常と結び付けた。 彼は「その患者は雄鶏のようにふるまい犬のように鳴く。 夜に墓場をさまよい、目は暗くなり、口は乾き、こうなるとその患者は回復することは難しくなり病気が子へと遺伝する。 」と書いている。 (アヴィケンナ)は、『 ()』()で神経精神医学を扱い、メランコリアを含むさまざまな神経精神医学的状態を詳述している。 彼はメランコリアを、気分障害のうち鬱の性質が強いものの述べ、患者は疑い深くなることがあり、ある種のを悪化させることもあるとしている。 『医学典範』は12世紀にラテン語に翻訳され、近世までヨーロッパで広く使われた。 メランコリアに対する治療について最も幅広く述べているのは、イギリスの学者 ()の『 ()』()であり、彼は文芸および医学の双方の観点からこの問題を扱っている。 バートンは、にはとによる治療法が、精神病、特にメランコリアの治療にとって死活的に重要視されたことを述べている。 にがを発表したことをきっかけに古代の医学説は次第に否定され、憂鬱質を説明する四体液説も医学分野では顧みられることはなくなったが、文学や芸術など他の知的分野にはなお大きな影響を与え続けた。 メランコリアに対する考え方と崇拝 [ ] 『』 ・の文献では、憂鬱質については一貫して否定的な見方がなされている。 ただひとつ、『XXX, 1』と題された文章の断片(に帰されているが、おそらくにより基となる文章が書かれたもの)は憂鬱質に対して肯定的な見方を示した唯一の文書で、「聖なる狂気」(マニア)の出現の必須条件であるとし、哲学者・政治家・詩人・芸術家など偉大な人物の多くがなぜ憂鬱質であったかを説明している。 これは後の18世紀や19世紀のに対する観念に影響している。 期にはやといった家の著書を通じ、メランコリアは土星の影響下にあるという説が広く受け入れられた。 によるに『』と題されたものがある。 に制作されたこので、メランコリアは霊感の訪れを待つ状態として描かれ、鬱の苦悩の状態としては必ずしも描かれていない。 この寓意画には、角を切り落とした菱面体などとともに描かれている。 以後の中世ヨーロッパにおいては、憂鬱質(メランコリア)は・創造の能力の根源をなす気質と位置づけし直され 、芸術家や学者のや寓意画において盛んに描かれた。 初頭、でメランコリアを崇拝する興味深い文化的・文学的現象が起きている。 これは、時代に始まった () によって引き起こされた宗教的な不確定性と、罪・破滅・救済といった問題への関心の高まりが招いた結果であると信じられている。 音楽の分野においては、以後の「メランコリアの時代」は作曲家と結びついている。 その名をもじって「Semper Dowland, semper dolens」(いつでもダウランド、いつでも嘆いている)を自らのモットーとしていたダウランドは同時代の人々からは「不平分子」と呼ばれており、の『』の登場人物である憂鬱なデンマーク王子のような憂鬱な人物であった。 この時代の文化的なムードを示す文学的な成果には、の後半生の死に取りつかれたような作品群がある。 その他、作家卿の作品や、 のやを追う著作群もこの時代のメランコリアへの傾倒を象徴するものである。 同様の文化現象は、の時代、の『』やの『 ()』が書かれた時期にも起こっている。 20世紀においても、社会的感やをもとに芸術や思想やカウンターカルチャーが数多く生まれている。 精神分析と憂鬱 [ ] 『』 者はに著した『悲哀とメランコリー』 Trauer und Melancholie で「悲しみ」( 悲哀、 喪)と「憂鬱」( メランコリー)を区別した。 愛する者や対象を失って起こる悲哀の場合、時間をかけて悲哀(喪)の仕事を行うことで、再び別の対象へ愛を向けられるようになる。 これに対しメランコリーは、「苦痛にみちた深い不機嫌さ・外界にたいする関心の放棄、愛する能力の喪失、あらゆる行動の制止と、自責や自嘲の形をとる自我感情の低下--妄想的に処罰を期待するほどになる--を特色としている。 」 メランコリーの場合、愛するものを失った悲しみは悲哀と共通するが、「愛するもの」が具体的なものではなく観念的なものであること、対象を失った愛は自己愛に退行し、失った対象と自我との同一化が進むこと、この過程で愛は憎しみに変わり、失った対象およびこれと同一化された自我に対する憎しみが高まり自責や自嘲が起こることが異なるとされ 、フロイトはここに自殺の原因をも見ている。 キリスト教と憂鬱 [ ] 『海辺の僧侶』 中世ヨーロッパの僧侶の間では、うつにより何も進まなくなる現象は「 」(倦怠、鬱、嫌気、sloth、ギリシャ語、ラテン語でアケーディア「 ()」)として知られ、様々な神学的著作(例えばの『』vgl. 35)にとりあげられている。 における初期の例では、ににいた苦行者・修道僧ポントスのエウアグリオス(の著作において、「acedia」は「白昼の悪魔の訪問」と記述されている。 その弟子 ()からトマス・アクィナスに至るまで、「」のひとつともされた「acedia」に関する研究が進んだ。 16世紀のにおいて、メランコリーは異なった解釈をされた。 この時期のメランコリー研究は、罪を避けることには主眼を置かず、信仰を試す悪魔の誘惑としてのメランコリーが研究された。 絶望感や沈滞の状態が現れる時は、その信仰の真剣さが試される時でもあった。 一方でメランコリーの破壊的な力が認識され、祈りやや世俗的な歌などによる気晴らしを通じた治療が勧められた。 憂鬱や恐れに何度も襲われたの体験も、ルターおよび支持者らによるメランコリーの慰めに関する著作へと結び付いた。 の側は16世紀後半、メランコリーをプロテスタントの病とするを行っている。 脚注 [ ]• Hippocrates, Aphorisms, Section 6. Youssef, Fatma A. Youssef and T. Dening 1996 , "Evidence for the existence of schizophrenia in medieval Islamic society", History of Psychiatry 7: 55-62 [56]. 980 in , pp. 963-84• S Safavi-Abbasi, LBC Brasiliense, RK Workman 2007 , "The fate of medical knowledge and the neurosciences during the time of Genghis Khan and the Mongolian Empire", Neurosurgical Focus 23 1 , E13, p. Amber Haque 2004 , "Psychology from Islamic Perspective: Contributions of Early Muslim Scholars and Challenges to Contemporary Muslim Psychologists", Journal of Religion and Health 43 4 : 357-377 [366]. The Anatomy of Melancholy, Robert Burton, subsection 3, on and after line 3480 to 3485, "Music a Remedy"• 2015年2月15日, at the. by Dr. John Crellin, MUNMED, newsletter of the Faculty of Medicine, Memorial University of Newfoundland, 1996. Aung, Steven K. , Lee, Mathew H. 2004. 参考文献 [ ] 英語版記事における参考文献:• Fink M, Taylor MA. Resurrecting melancholia. Acta Psychiatrica Scandinavica 2007; Supplement 433: 14-20. Taylor MA, Fink M. Melancholia: The Diagnosis, Pathophysiology and Treatment of Depressive Illness. Cambridge UK: Cambridge Universwity Press, 2003. 外部リンク [ ]• , on the Berlin exhibition "Melancholy: Genius and Madness in Art"•
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