ある日、お姫様になってしまった件について31話ネタバレ アルフィアス公爵を見つめるアタナシアの視線を感じ取ったのは、公爵の傍にいた黒髪黒目の青年です。 青年はアタナシアの瞳を見据えました。 * ダンスが終わった後に起こる拍手と歓声に驚くアタナシア。 (2曲目が終わった。 次はその年にデビュタントを迎えた少女全員で一緒に踊るダンスだ) アタナシアは先ほどアルフィアス公爵と青年がいた場所を見やりますが、そこにはすでに二人はいません。 (確かに…黒い目だったよね?) 青年の姿を思い返すアタナシア。 (一瞬、宝石眼みたいに見えた) そんなことを考えるアタナシアの元へ、クロードが声をかけます。 「出てみろ」 (その時) クロードの表情を見つめて、アタナシアが口を開きます。 「パパ、今日は一緒にいてくれてありがとう」 (ふと飛び出したのは) 「おかげでパパの言うとおり、とっても楽しくて幸せな日になりそうだよ」 (私の本心) (もしクロードがジェニットのためにこれ以上私を娘だと思わなくなっても、クロードは私が初めて接した父親で、私は今までそれが嬉しかった) アタナシアの言葉に、静かに目を見開くクロード。 (こんなに純粋な気持ちで言えるのも今だけ。 私はこれからも生きる為にみんなを騙さなきゃいけないから) クロードの傍を離れるアタナシア。 「じゃあね、パパ」 アタナシアは微笑みながら、クロードへそう告げました。 次第に小さくなっていくクロードの姿は、いつしか人混みの影に消えて見えなくなりました。 「白ゆりがとてもお似合いですね。 私とも踊ってください」 少女たちへ声をかけるアタナシア。 「よっ、よろしくお願いします」 「こちらこそ」 少し戸惑いながらも、少女らはアタナシアを快く受け入れます。 「腰に結んだリボンが解けそうですよ」 少女らと共に踊るアタナシアへ、不意に声がかけられます。 (今まで何度かこんなことを考えたことがある。 大きくなったジェニットが名乗らなくても、私はすぐに彼女に気付けるだろうか?) 「私が結び直しましょうか?」 (その答えが、ついに分かった) 振り返った先にいたのは、宝石眼ではなく青い瞳であったものの、見間違えようのないジェニットでした。 「あっ」 その瞬間、思わずジェニットの足を踏んでしまうアタナシア。 「いたっ!」 (ジェニットの足を踏んじゃった) 「ごめんなさい、わざとでは…」 「大丈夫です、まったく痛くありませんでした。 失礼でなければ私がリボンをお結びしたいのですが」 初々しく申し出るジェニット。 「大丈夫です。 他の者に頼みます」 笑みを浮かべながら、バッサリ切り捨てるアタナシア。 「移動した方が良さそうですね。 テンポがズレたので」 共に踊っていた少女らへアタナシアはそう言います。 「あ…」 「それでは楽しい時間を」 ジェニットへ声を掛けて去っていくアタナシア。 残されたジェニットは名残おしげに彼女を見つめていました。 (これは夢かまことか。 原作ではジェニットがどんな風に登場したっけ?こんな場面あったっけ?目色は後でクロードの前で変えるつもりなのかな?) 「アタナシア姫様」 ヒールを鳴らしながら急ぎ足で会場を歩くアタナシアの前に、立ちふさがる一つの影。 アタナシアはピタリと足を止めます。 「こうして正式にご挨拶するのは初めてですね」 かつて、<彼>が言いかけた言葉を思い出すアタナシア。 「大丈夫です。 次は僕が…」 アタナシアの目の前で微笑むのは、 「イゼキエル・アルフィアスです。 お会いできて光栄です」 アタナシアは知らない。 かつての彼が何を言いかけていたのかを。 「今度は僕が、直接あなたに会いに行きますので」 * 「あ!ご…」 イゼキエルの足を踏んだアタナシアは、反射的に謝ろうとします。 「大丈夫ですよ、姫様」 アタナシアの顔は悔しさと羞恥から真っ赤です。 「ご心配なさらず。 足取りが羽根のように軽いので、何も感じませんでしたよ」 手を取り合い、ダンスを踊るアタナシアとイゼキエル。 (そうよ、挨拶だけで美しく別れれば足踏まれなくて良かったじゃない…。 それになんで私のことからかうの?) 周囲の視線は、アタナシアとイゼキエルに釘付けです。 (思わずキュンとしちゃった。 この王子様オーラは一体何?) 「陛下が姫様を非常に大切にしていると聞きました。 その寵愛の深さを計り知れないという噂は事実だったんですね」 (え?) 「姫様がお踏みになった足より、背中の方がヒリヒリします」 そう言うイゼキエルのはるか背後で、静かにだが確かな苛立ちを露わにするクロードの姿がありました。 (何!?) 「大切な姫様の手をまだ他の者に任せたくないご様子ですね」 (そんな、まさか) 「アルフィアス公爵が普段公子のお話をよくされるので、お父様も興味をもたれたのでしょう」 「こちらこそ聡明でお美しい姫様だとお聞きしていたので、お会いできる日を待ちに待っていました。 本当にお聞きした通りですね」 「私こそ噂のアルフィアス公子とこうしてお会いできて、不思議な気分です」 (公爵邸で出会ったことはなかったことのように行動してる。 やっぱり姫だってことわかってたのね…) 二人のダンスが終わると、周囲から拍手が送られます。 イゼキエルはアタナシアの手を取り、そっと手の甲にキスしました。 「アタナシア様の大切な日に意味深い時間をともに過ごせて光栄でした」 主に女性陣から羨望の視線が注がれます。 (視線が痛い…) 「それではまたお会いできる日を楽しみにしております、天使様」 (な、何っ…?) イゼキエルはアタナシアの手の甲に唇を落としたまま、どこか悪戯っぽく微笑みアタナシアを見上げました。 (!?!?!?) 衝撃が走るアタナシア。 (ち…小さい頃は可愛かったのに…) 31話はここで終了です。
次の無料漫画アプリ・、で連載中の「ある日、お姫様になってしまった件について」作家Spoon、Plutus、原題・어느 날 공주가 되어버렸다 ある日突然、小説の中の姫に生まれ変わってしまった主人公。 しかも実父に殺される運命の姫に。 血も涙もない冷血な皇帝クロードの娘として生まれ変わってしまった主人公が、生き残るために奮闘する異世界転生ファンタジー漫画です。 毎週日曜日に最新話が更新されます。 前回のあらすじは、ジェニットを見たルーカスは、彼女が純粋な皇族でないことに気づく。 原作を読んだアタナシアは、それがどういうことなのかわかっていた。 ジェニットは、クロードの元婚約者フェネロペと、クロードの兄アナスタシウスの不倫と黒魔法の実験によって、誕生した娘なのだ。 だからクロードの実の娘ではない。 だがそのことを知っているのは当事者だけなので、殺そうとした弟に返り討ちにされ死んだアナスタシウスと、産後すぐ死亡したフェネロペがいない今、クロードしか知らない事実であり、皆はジェニットをクロードの娘だと思っていた。 クロードの寝室には割れたフェネロペの肖像画がまだ置いてあったので、アタナシアは、彼がまだフェネロペを愛しているものと思っていた。 だが夢を見る限りでは、ダイアナを愛しているようだ。 アタナシアは、可愛らしいジェニットを生で見たことにより、より一層クロードに甘える。 彼も無表情ながら彼女に応える。 アタナシアは父の存在が嬉しくなるのだった。 そうして数年が過ぎ、皆が成長したのだった。 玉座に座るクロードの前には、アルフィアス公爵とイゼキエルに連れられたジェニットの姿が。 クロードを見て、目が合っては顔を伏せ、を繰り返すジェニット。 俺の娘とは面白い、詳しい話は謁見室で聞くとしようと言い、クロードは席を立つ。 今日の主人公はジェニット姫あなただと言う、公爵とイゼキエル。 そしてイゼキエルは彼女に手を差し出す。 貴族たちは、新しい姫だなんて面白そうだ、真っ青な顔をみろよ、アタナシア姫のデビュタントなのに、皇帝は姫のエスコートすらしてないぞ、とヒソヒソ話し始める。 ジェニットはみすぼらしい姿でぽつんと残された、腹違いの姉妹が気になったが、彼女のためにできることはなかった。 ジェニットは赤い絨毯を踏み、彼女が元々立つべき場所に踏み出したのだ。 アタナシアはダンスのレッスンをしていた。 アタナシアのダンスを絶賛する講師は、姫様の母親が踊り子だったことはこういうときに役に立つと、いちいち彼女の出生に汚点でもあるかのように付け加える。 アタナシアは成長し、クロードに挨拶のキスをする程度には、彼とのコミュニケーションもうまくいっていた。 食事の席で、今日あったことを楽しそうにクロードに報告する彼女。 クロードは、もうすぐお前の誕生日だなと呟く。 アタナシアの誕生日は、ママの命日。 7歳の誕生日に、クロードは初めて彼女に欲しいものはあるか聞いてきた。 そのときは、以前チョコをくれ可愛がってくれた、メイドのハンナとセスを呼び戻すことにした。 前世は孤児だったのと、現世では母の命日とかぶっているため、フィリックスとリリーも盛大に祝うことができず、まともに祝ったことがなかったのに、クロードから誕生日プレゼントをもらうだなんて思いもしなかった。 ちなみに、9歳の誕生日は、面倒だからとクロードのから宝物庫の鍵を渡され、感激のあまり、クロードにチューした。 チューされたクロードは、かなりキョトンとしていた。 原作のアタナシアは、9歳でクロードに会い不幸が始まったのだが、現実の自分は、最高の9歳を過ごしていたのだ。 クロードは、今回も欲しいもの、して欲しいことがあれば言ってもいいと言うが、満足度MAXの彼女は、パパがくれるものなら全部嬉しいと答える。 欲しいものが無いのかと聞かれ、うんと答えると、クロードは黙ってしまった。 変な空気になったので、パパといるだけでも嬉しいと言うと、早く食事を済ませるよう言われてしまう。 その後フィリックスに、陛下に欲しい物を伝えたか聞かれたので、パパがくれるものなら全部うれしいと答えたと話す。 他に欲しい物はないのですかとフィリックスに聞かれ、改めて考えてみるが、宝石は十分持っているし、宝物庫の鍵もいくつかあるし、専用の図書館も建ててもらったし、バラの花園は4箇所できたし、ドレスや装飾品も十分である。 全然思いつかず悩むアタナシアに、姫様のデビュタントはもう少しだが、デビューダンスはどうされるのかとフィリックスが言う。 デビュタントのデビューダンスは、普通の貴族は家で決めた婚約者か、未婚の実兄、従兄弟等近しいものと踊るのだが、ならばと、フィリックスと踊ればいいのではとアタナシアが言うと、フィリックスが盛大に咳き込んだ。 原作ではアタナシアをエスコートしてくれる人がおらず、途方にくれていたので、今は相手を選べるようなので幸せだと考える彼女。 だがフィリックスは、恐れ多いとあたふたし、私よりも適したパートナーがいるのではと嫌がる。 まだ数ヶ月あるからもう少し考えてみるというアタナシア。 そのことをルーカスに話すと、お前はバカか、どうみてもお前の父がお前とデビューダンスを踊りたがっているだろと言われる。 デビューダンスは普通父親と踊らないよと言うアタナシアに、たまにはある、皆はダサいと思ってやらないらしいけどと言うルーカス。 お前はパパに関することは鈍いよな、そのダサいことをお前のパパはしたがっているんだと、彼は指摘する。 こんなに鈍くて何を勉強しているのだと皮肉るルーカス。 アタナシアは理解が追いつかず、混乱し始める。 ルーカスは、お前のパパは想像以上にお前が大好きなんだと言っただろと言う。 そうして後日。 庭園でクロードとお茶をしているときに、アタナシアは誕生日とデビュタントのことを彼に話し始めた。 デビュタントで誰のエスコートを受けたいか考えてみたんだけど、大切な日だから仲のいい人にお願いしたいと。 姫様その調子とこっそり応援するフィリックス。 フィリックスはどうかな、パパはどう思う、と提案するアタナシア。 びっくりして固まるフィリックス。 クロードは、フィリックスか悪くない、お前の好きなようにしろと答える。 フィリックスにも聞いたんだけど、他にふさわしい人がいないならいいと言っていたからと話すアタナシア。 フィリックスは汗ダラダラで、断ろうとするが、クロードが遮り、フィリックスがこの前お前のデビュタントのエスコート相手について、たった一度の大切な日だから心血を注いで決めるべきだと主張していたなと言う。 フィリックスも選ばれて嬉しいはずだ、そのわりに嬉しそうな顔ではないなとチクチク言うクロード。 青ざめるフィリックスは、もちろん代々受け継ぐ家門の誇りですがとしどろもどろだ。 クロードは眉間にシワを寄せてお茶を飲む。 ルーカスの言葉を思い出し、自分としてもそれなりにクロードに大切にされているとは思ってはいたがと考えるアタナシア。 するとゴーンゴーンと鐘の音が聞こえ、私の運命が開花した音かなと、アタナシアは喜ぶのだった。 漫画「ある日、お姫様になってしまった件について」24話の感想 エピソードの出だしは少しびっくりしましたね。 いつの間に、アタナシアの立場が逆転したのかと何が起きたのかと驚きました。 しかし原作はひどい内容ですね。 アタナシアには何の非もないのに、誰からも相手にされない人生を送っていたなんて。 現実のアタナシアは、愛嬌たっぷりでクロードにもチューするくらいになりました。 初めてチューされたクロードは、まるで乙女のようなキョトン顔でしたね。 アタナシアが憎いと思いつつ、愛しくて堪らないクロードは、デビューダンスを一緒に踊りたいけどうまく表現できません。 アタナシアは、周りにどんなに言われても、クロードに愛されているのが理解できません。 エスコート相手をフィリックスに選んだのことで、クロードは嫌味を連発した上、眉間に皺を寄せていましたが、アタナシアは気づいていないのでしょうか。 ルーカスが言うように、彼女はクロードの愛情についてだけは鈍いです。 いつものように、愛嬌ふりまいてパパが良い~と言えばいいのに、何故デビュタントだけ言えないのでしょうね。 彼女もまた原作に縛られているようです。 最後の鐘の音が、運命を開花した音ではないことが確かなのが悲しい。 エスコート相手はフィリックスで確定してしまうのでしょうか。 運命を変えるために、クロードの気持ちに応えるためにも、クロードを選んで欲しいですね。 次回のエピソードは それではここまで読んで下さってありがとうございました また次回もお楽しみに.
次の総合:60点 ( ストーリー:65点|キャスト:75点|演出:60点|ビジュアル:70点|音楽:65点 ) 父親の心配をよそに、何も知らない息子は能天気にいつもどおりの日々を過ごす。 もちろん身よりも無く自閉症の息子を1人残すわけにはいかない父親が、息子の将来を思って精一杯のことをしようとするのは理解出来る。 しかしこの親子関係の深さが伝わる描写が少なくて、何か父親が1人で頑張っている姿が浮いて見える。 それに展開が少なくて退屈する。 後半になると、父親と近所の女性、息子と劇団の女性の絡みが出てきて動きがありまともになってきた。 しかし音楽と映像で抽象的に伝えられる愛情や将来についての演出が、やはり中途半端というか観念的すぎてはっきりしない。 総じて時間を持て余し気味だった。 一度も敵を殴らず鍛えられた肉体も晒すことなく地味な父親を演じたジェット・リーとその息子、そしてその2人に絡む2人の女性の演技は良かった。 ここがこの作品の一番の見所だった。 末期がんにより余命いくばくもない父親が、自閉症の息子に、文字通りに命がけで生きるすべを教えようとする。 アクションスター、ジェット・リーの抑制された演技が光る。 そしてもう一つこの作品で光るのが躍動的な水中シーンと、抑えた光彩が静かな雰囲気をもたらしているクリストファー・ドイルの撮影。 特に冒頭の小舟から飛び込む心中未遂のシークエンスは、その色彩と被写体のとらえ方がキム・ギドクのそれに似ていると感じた。 この物語は確かに父親がいかに息子を案じているのかというところに焦点が結ばれている。 しかし、この泳げない父親は何度も泳ぎの得意な息子に命を助けられているのだ。 冒頭の心中が未遂に終わったのは、水中にもかかわらず足に括りつけられた錘をほどいた息子のおかげだ。 そのせいで二人の命が助かったのだ。 そして、照明設備を点検中のプールに浮いた息子が感電していると早とちりした父親は、自分が泳ぐことも出来ないのにプールに飛び込み、結局は溺れてしまったところを息子に助けられる。 このように、親は自分で思っているほど子供の命や運命をコントロールすることは出来ずに、むしろ子供によって命を長らえたり、運命が変わったりするものなのだ。 どのような子供が授かろうとも、それは自分ではどうにもならない運命であり、そのほかの人生は存在しない。 親も子も、一度この世に親子として生を受けたからにはその生を全うするしかないのだ。 終盤で父親の口から言及される、この子の母親の死んだ理由はまさに、この生の受け入れを拒否することを示唆している。 父親に思いを寄せる女性とグイ・ルンメイ演じるサーカス団の女の子も静かに自らの運命を受け入れて、強く生きている。 だからこそ二人ともさわやかで魅力的なのだ。 ここには「本当の自分探し」はない。 自分が今生きている現実の中で、どうしたいのか。 何が楽しいのか。 何が大切なのか。 その問いに正直に答えている人々で紡がれた物語である。 ネタバレ! クリックして本文を読む 水族館で働くワンは妻亡き後、自閉症の息子ターフーを男手一つで育ててきた。 だが、ある日ワンは癌で余命僅かである事を知り…。 ジェット・リーがアクションを封印した感動作。 ジェット・リーがとてもイイ!愛情深い父親が様になっている。 アクションでは鋭い眼差しが、本作では何と優しい事! 脚本に号泣し、ノーギャラで出演したジェット・リーの並々ならぬ意気込みが伝わってくる。 息子ターフーを演じたウェン・ジャンもお見事! 息子と言っても20歳の青年なのだが、その純真無垢な姿が可愛らしい。 冒頭、海に飛び込み心中するシーンから始まり、驚くが、後から、泳ぎが得意なターフーによって助かった事が分かる。 ワン亡き後、一人で生きていく事が困難なターフーを思っての行為。 死を選ぶなんてもってのほか!…と思うが、自閉症の子供を抱える親の苦労なんて計り知れない。 ましてや保護すべき親は死を宣告されている。 大変だね…とは、平凡な生活を送る者の偽善かもしれない。 一命を取り留めたワンとターフー。 直接的な描写がある訳ではないが、それはターフーが死を拒否したのだろう。 自閉症は自分の世界に閉じこもるとよく聞くが、上手く感情を伝えられないだけという劇中のセリフが印象的。 ワンは死よりも生を選び、最期の時までターフーに一人で生きていく術を教える。 買い物の仕方、卵の割り方、バスの乗り降り、水族館の掃除…。 覚えるのがゆっくりなターフーに、ワンは焦りや苛立ちから怒鳴る事もあったが、一つ一つ手取り足取り教えていく。 謙虚で真面目なワンに、周囲は手を差し伸べる。 密かにワンに好意を抱く隣人女性はターフーを引き取ると言う。 ターフーが幼少のお世話になった先生の手配で施設に迎えられる。 人と人の繋がりの温かさに救われる。 海や水が効果的に使われ、青を基調とした名手クリストファー・ドイルによる映像が美しい。 久石譲が奏でる音楽も心地良い。 父は逝ったが、父の教えを守り、一人で生きていくターフー。 周囲が温かく見守る。 好きな水の中で大好きだった父の温もりを感じるターフーの笑顔には悲しみは微塵も無く、爽やかな感動が胸に染み入る。 ネタバレ! クリックして本文を読む 名画座にて。 身近な知り合いに自閉症の息子を育てる夫婦がいる。 まだ赤ん坊の頃、我が家の子供と違って全く泣かない その子に、私は羨望の眼差しを向けたことすらあった。 なんて手のかからないいい子なの、と。 程なくしてその子が自閉症であることが判明し、 それから夫婦は二人三脚で今は高校生の息子を育てている。 今作を観て、あぁ…と思う場面が幾つもあった。 もちろん映画的に脚色され編集され美化はされている、が 自閉症の子供を持つ親が、その子と共に、どういう立場に 於かれているかが 日本と比べても よく描かれていたと思う。 冒頭で父 J・リー は、息子とロープで足を結び合い、心中を 図ろうとする。 ボートからドブン、と飛び込んだ水の世界は 息子にとっては夢の世界だった。 魚に生まれたら良かったのに、 と父親が言うとおり、難なく息子は水面へと顔を出して笑う。 末期の肝臓がんに冒されてしまった父は、余命幾許もない。 この子を遺して死ねない。 自分が死んだらこの子はどうなる。 気が狂いそうな思いで受け入れ先を探す父だが、成人した 息子を引き取ってくれる施設は何処にもなかった。 泣いても 悩んでもどうにもならないのが、こういった酷い現実である。 ただ今作では、彼らに無数の人々が手を差し伸べている。 温かな眼差しで見守りながらも、やはり問題が起これば手の 施しようがない息子を、父は治療を拒んで再教育し始める。 何とか生きてゆけるように。 ひとりで生活していけるように。 こういう親の願いは、どの親とて皆同じだ。 そして、これだけ長い間子供の傍に寄り添って暮らしていても、 子の心親知らず。 親の心子知らず。 が、まだまだあるわけだ。 ただ悲しいだけでなく、切ないだけでなく、そういった現実を しっかりと描くことが今作にもある希望に繋がるのではないか。 旅芸人のピエロの女の子に恋をしたり、父親に逢えなくなり 駄々をこねたり、ターフー役ウェン・ジャンの演技には文句の つけようがないほどである。 さらに泳ぎもかなり巧い! 息子のいなくなった部屋にポツンと座るJ・リーの演技を観て、 彼が少林寺より今作を選んだことをブラボー!とすら思った。 二人の演技の密度が濃く、互いの気持ちが深まるほど今作は 通じ合う親子の絆に泣かされることになる。 とはいえ、涙を 流せ~と迫りくるわけではない。 例えば自分と親に置き換えて 考えるとそこに存在している強固なものに触れた気がするのだ。 妻に先立たれ、自身も病に倒れ、遺るは息子ひとりとなる。 この先、彼は毎日を楽しく生きてくれるだろうか。 海亀と泳ぐことを楽しみに仕事に励んでくれるだろうか。 心配で心配で心配でたまらないけれど、彼を見ているとなぜか 幸せな気持ちになる。 本当に生まれてきてくれて有難うと思う。 親ならこうあるべきなのに、私はこの父親のどれだけ分でしか 子供に愛を注げていない気がして恥ずかしい。 思うより行動か。 じゃあ、現金で頼むよ。 観て良かった、良い映画でした。 衝撃的な場面から始まり、そして何事もなかったように生活する二人。 父から生きる術を少しずつ授かって、少しずつ自分のものにする自閉症の息子ターフー。 遠くない別れの時に向かって、二人らしくゆっくり歩いていくお話です。 自分の経験に重ね、たまりませんでした。 私も子どもをお誘いした事があります、きっぱりお断りされましたけど。 普段はオウム返しの返事しかしなかったくせにね、あなどれません。 生きていく、それならどうする、何ができる。 それが始まり。 本当に力強いストーリーでした。 ジェット・リー演じる父シンチョンの眼差しがとにかく優しくて温かく、一生懸命生きる普通のお父さんを見せてくれました。 他の方のレビューにもありましたが、ターフー役のウェン・ジャン、名演技でした。 ゆらめきながらプールに潜るターフーは、本当に気持ち良さそうでした。 ネタバレ! クリックして本文を読む 香港が誇るアクションスター、ジェット・リーが十八番のアクションを一切封印し、命懸けで息子を守る父親を熱演。 父子は水族館の裏方として働いており、海やプール、空などの青さが印象的でキタノブルーを連想させたが、音楽を久石譲が手掛けていたのを知り、直ぐに納得した。 自然美や人情の温かさが際立ち癒やされる一方、障害者を受け入れる環境が整っていない現実の厳しさが露呈し、やるせない気分に襲われる。 偏見や差別。 父親は勿論だが、近所のお節介なオバサンや水族館の上司、施設のスタッフなど周囲の理解だけでは息子の自立は到底、不可能だ。 現代社会をどう克服していくかは、結局、自分自身の力に委ねるしかない。 その苦闘は、障害を持とうが、持つまいが全てのヒトに共通する宿命であると半人前ながらも私は思う。 息子の恋愛めいたエピソードが唐突に始まり、唐突に終わってしまったのは、違和感が有ったが、あのギコちなさが、今作を独特なる御伽噺へ導いたとも云える。 観終えた後、我が身を包んだ優しさみたいなものが、自分の職場でも活かせたらエエなぁ っとまだまだ半人前の私が思いつつ、最後に短歌を一首。 『独りでも 泳げと託す 親亀の 遺した実り 海に手を振る』 by全竜 久々のアジア映画。 もちろん今年はこれが初めて。 注目は、なんといってもアクションを完全封印したジェット・リー。 こんなに優しい目をしていたんだと驚かされる。 自閉症の息子を持つ父親が、周りの人々に助けられながら暮らしている。 せっかく今の中国の一般的な生活を垣間見ることができるのに、機材のせいなのかプリントのせいか映像にまるで色彩感がない。 通りに面したチャイの店と、裏庭を挟んでワンの家がある臨場感や生活感といったものが、色彩の欠如で半減してしまったのがもったいない。 水族館も同様だ。 しっかり色彩があったら、ワン一家を見守ってくれる人々の温かみがもっと伝わってきただろう。 その裏庭を挟んでのワンとチャイの恋愛感情は、一定の距離を持った抑えたものだが、昔の日本映画もこんなだったよなと、なんか懐かしい思いを抱いて見入る。 日本ではいつのまにか西洋文化が入り込み、映画に於ける愛情表現もストレート且つ大胆になって、ワンとチャイがベンチに腰掛けて互いの気持ちを打ち明けるシーンは却って新鮮だ。 ワンが自閉症のターフ-のために残された時間をすべて注ぎ込み、自分がいなくなっても生活できるよう知恵を授けていく姿に、館内のあちこちからすすり泣きが起きる。 さらに、いなくなってしまった自分をターフーが探すことがないよう、先を見越した策を講じる姿に父の息子に対する深い愛情を感じる。 ワンが亡くなったあとのターフ-の行動が感動的。 とくに、最初から出てくる犬のぬいぐるみの扱いがいい。 オーソドックスな手法ながら感動と涙を誘う演出だ。 CGもワイヤーアクションもなしで、ジェット・リーが映画の原点を見せてくれる。 ターフーを演じたウェン・ジャンも上手い。
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