最新アルバム『パンク修理』を5月27日にリリースした亜無亜危異(アナーキー)の仲野茂、藤沼伸一、寺岡信芳、小林高夫にZoomでインタビュー。 日本パンクロック界の生きる伝説が、現在の心境を語る。 亜無亜危異(アナーキー)がデビューしたのは1980年2月のこと。 電化したRCサクセションが同年4月に久保講堂でワンマンをやって6月にその実況録音盤『RHAPSODY』を出し、11月にはザ・ルースターズもデビューしている。 個人的なことを少しだけ記しておくと、筆者は1stアルバム『アナーキー』を発売直後に買って激しく入れ込み、内田裕也主催のロックフェスで初めてライブを観たあと、1981年5月の日比谷野音ワンマン、1982年1月の久保講堂ワンマンも観に行くなど、しばらく熱心に追いかけたものだった。 1986年にギターのマリ(逸見康成)が事件を起こして逮捕され、残った4人でTHE ROCK BANDと改名して動き始めてからも動向を追い続けたが、やがてメンバーそれぞれの活動が盛んになり、バンドは活動休止状態となった。 1980年、渋谷屋根裏でのライブ映像 その後、1994年と1996年のアナーキー再結成ライブを経て、1997年にはラウドなデジロックへと音楽性を変化させた新生アナーキー(表記はローマ字でANARCHY。 ドラムはWRENCHの名越藤丸)として再始動するも、2001年に再び活動休止。 ここで完全に歴史に幕を閉じたと思われたが、2013年5月のイベント「MAVERICK KITCHEN」で実に17年ぶりにオリジナルメンバー5人でライブを行ない、そこでは新曲「パンクロックの奴隷」も披露された。 そして2017年に再び5人でのイベント出演がアンウンスされたが、そのライブの直前にマリが急逝。 イベントには4人で出演し、2018年1月には新宿LOFTでバンドの「不完全復活」を発表して、4人組となった亜無亜危異はそこから精力的に動き始めたのだった。 5月27日リリースの『パンク修理』は、亜無亜危異が「不完全復活」を果たしてからの2作目であり、フルアルバムとしては実に20年ぶりとなるもの。 デビューから40年が経って全員が還暦を迎えもしたが、初期の明快さを取り戻した2018年のミニアルバム『パンクロックの奴隷』よりもさらにポップ度が増し、バンドの絶好調ぶりを見せつける痛快な作品となっている。 今年1月に行なわれたデビュー40周年ライブは「プランクス・イズ・ノット・デッド」と題されていたが、アルバムもまさにそんな内容。 いまが最高と言っていい、そんな亜無亜危異の4人に、「不完全復活」から2年ちょっとの歩みと新作『パンク修理』についての話を、Zoom経由で聞いた。 それにしても、まさか亜無亜危異にZoomで取材する日が来ようとは! 40年前の自分に教えてあげたいけど、意味がわからないだろうな。
次のプロフィールは? JILL ロックバンド、PERSONZのヴォーカル 生年月日:1960年1月25日 出身地:東京都 本名:渡邉理恵 高校時代に見たエアロスミスやKISSの来日公演を見て、ロックに目覚め、 その後アマチュアバンドを経て、1983年に本田毅とNOTHING PERSONALを結成。 その後、渡邉貢 ベーシスト と藤田勉 ドラマー を加え、 1984年6月、PERSONZを結成。 ライブハウスを中心にライブ活動を展開しインディーズで人気を博していました。 1987年9月、PERSONZのヴォーカルとしてデビュー。 現在もPERSONZでの活動を続けています。 風貌がハーフっぽいなぁと感じたのですが純日本人でした! プライベートでは初婚にアナーキーの逸見康成さんと結婚しましたが、 すぐに離婚しています。 離婚原因ははっきりとはわかっていないですが、 逸見さんがかなり嫉妬深い性格で、男性と話していただけで怒り出すなんて噂もあったようです。 本当のところ何があったのかわかりませんが、 結婚生活が短かったことを考えるとそれだけ結婚生活を続けるのが難しい状況だった んでしょうね・・・。 その後は、ベーシストの渡邉貢さんと結婚しています。 貢さんとの間にはお子さんもでき、 その娘さんは2017年の時点で19歳になるようです。 現在の旦那さんとは仲が良さそうですね^^ お母さんが現役のロックバンドのボーカルなんて 娘さんからしたら自慢のお母さんなんじゃないかなぁ?と思いました。 参観日の時とかはちょっと恥ずかしかったかもしれませんが^^;笑 スポンサードリンク 刺される事件について パーソンズのジルと調べると、 元旦那に刺されるという内容が出てきます。 これは、かつて結婚していた逸見康成さんにとあるパーティーで 刺されて事件になりました。 もちろん刺してしまった逸見さんは警察に逮捕されてしまい、 裁判にもなって結局そのことでアナーキーを脱退することに・・・。 ジルさんも精神的に苦しむようになりその後太ってしまったなんて話もありました。 何があったのかわかりませんが、 かつて愛した人に刺されるなんて相当の恐怖ですよね・・・ それが1986年のことなのでもう随分前のことですが、 裁判の時には 「憎しみはなかったけど、悲しかった」 と話していたそうです。 そりゃそうですよね〜・・・。 刺してしまうくらい逸見さんはジルさんを愛していたとか??? いやいや愛していても刺しちゃいけませんけどね!! でもその後に今の旦那さんのおかげで立ち直れたのではないでしょうか! そんな風に公私ともに支えてくれる人と巡り会えたジルさんが羨ましい^^ 現在の活動は? 現在もバリバリ活動しているジルさん。 つい先日は28年ぶりに中野サンプラザでライブを行っています! 28年振りの中野サンプラザ。 28年前の平成元年1989年は、日本だけでなく世界も動いた年、天安門事件、ベルリンの壁崩壊。 平成元年に生まれた赤ちゃんは今年28歳になるのです。 3枚目のアルバム、NO MORE TEARSのTDで1989年明けてすぐに4人でNYに初めて行ったとき、日本が昭和から平成に変わったことをNYの号外で知りました。 そして、平成という時代も、またもうすぐ変わりゆくかもしれないのです。 今、ここで、このアルバムをRELOAD するタイミングとなったこと。 まったくの偶然ですが、少なからずとも運命の機微を感じます。 平成元年1989年3月にNO MORE TEARSはリリースされ、中野サンプラザ2DAYSは1989年6月29日、30日にWONDERFUL MEMORIES TOURのファイナルとして行われたのです。 ほとんどきっちり28年。 あさっての6月4日に、同じ場所でライブを、同じメンバーでやれることに運命を感じ、そして、感謝を。
次のアナーキー・マリ 逸見泰成 の死因は?死去の原因は病気 持病 か? 2017年6月6日にパンクロックバンド「アナーキー」の悲しいニュースが飛び込んできました。 それはアナーキーのギタリスト「マリ」さんこと「逸見泰成」さんが亡くなっていたというニュースでした。 死去した日時 マリさんこと「逸見泰成」さんは、2017年6月4日に亡くなっていたことがわかりました。 この報告は、音楽カルチャーを発信する東京の高円寺にあるショップ「フウドブレイン」のブログで2017年6月6日に発表されました。 マリ(逸見泰成)が亡くなった原因・死因は? 逸見泰成さんの亡くなった原因ですが、これは公表されていません。 死因が公表されていないということなので、恐らく突然亡くなったことが推測されます。 ということは、持病などはなかった可能性が高いと思います。 また、交通事故などの原因ではないことも推測可能です。 もし、交通事故で亡くなったならば、もっと大きなニュースになっている可能性もありますからね。 アナーキーの経歴 アナーキーは1978年にバンドを結成されました。 そして、翌年にはヤマハ主催のアマチュア音楽コンテスト「EASTWEST」で優秀バンド賞を獲得。 さらに、最優秀ボーカリスト賞にも輝いていました。 80年にはシングルCD「ノット・サティスファイド」がリリースされ、アルバム「アナーキー」もリリースされました。 このCDにより、アナーキーは一躍人気バンドとなりましたが、2001年には活動休止。 多くのファンに惜しまれ、パンクロックバンド「アナーキー」は幕を閉じたのです。 しかし、2008年にはドキュメンタリー映画「アナーキー」が公開されていました。 スポンサードリンク まとめ 死因が判明していないため、逸見泰成さんの死去の原因には薬物も疑われました。 まぁ、パンクロックバンドといえば・・・・というイメージもあるのでしょうね。 しかし、コレに関しては完全にイメージなので、確証はありません。 一体、逸見泰成さんは何故なくなったのか・・・・。 この原因がわかれば追記していきましょう。 この記事が良ければ、下のSNSボタンでシェアをよろしくお願いします。 スポンサードリンク.
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